tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

氷の功罪

2010年09月19日 21時27分57秒 | Weblog
今年の夏はこれまでに無いくらい暑かった。15日まで個人的なイベントを行っていて、それに力を注ぎたかったけど、暑さにどうしても負けた。冷房を使えばそれなりに快適に過ごせるのだが、例年冷房使用が限られた期間、限られた時間でしかなかった事から、一日中つけていることにどうしてもためらいが生じる。冷房のつけっぱなしがよくないという前近代的な発想はやめた方が良いのだけど、どうしても人間思考様式を変えられない。そのために、お年寄りが熱中症で何人か亡くなった。貧困の問題、居住空神の問題、ずさんな戸籍の管理から始まった「居もしない老人が存在する」という福祉の問題。今年の夏はとりわけ、高齢者に冷たい状況が明らかになった。

シビアな話はさておき、ぬるい飲み物もたくさん口にしたが、その打開に氷を入れる。さて、この氷が最近体が受け付けない事を感じた。

まずアイスコーヒー。私はインスタントのコーピーと砂糖を加えて、少しお湯で溶かしたあと牛乳だけを入れる。牛乳がどれだけ冷えていても、やはりぬるくなる。そのために氷を入れるけど、しばらく置くと上澄みのように解けた氷の水が出てくる。で、薄ーいコーヒーを飲むはめになる。これがおいしく無い。仕方なく混ぜるけど、本質的にはあまりよろしくないのだ。

で、ビール。もとい本当のビールなど飲む訳も無く、第三の発泡酒を飲むのだけど、これはもう本質的に麦を使っていないから、ビールではない。ビールに似た味である。ビールだと思い込んで飲むこれらをあまりうまいとは思えないが、結局飲んでいる。ただ、今年はぬるいままで飲まなければならないという極面もあって、氷を入れて飲んだ。いつ飲んでもうまく無い。すごく薄いのである。本当にアルコールを飲んでいるのかと思うくらい薄い。これだったら、麦茶で我慢できるなとさえ思う。

家人は、飲むものくらい少し出して買えという。毎日飲むのなら安いもののほうがいい。ただし、2,3日おきならば、少し高いものをとは思う。

基本的に第三の発泡酒って薄いところへ、氷を入れるからもっとひどくなるが、その他は?

ワインに氷を入れた。白ワインそのものが淡白なところへ、アルコール純度も低くなるのだが、やはり水のような上澄みが発生する事を覚悟しなければならない。入れて飲むとやはりまずい。

ビールを冷やして飲むというのが日本人なのだが、アイルランドとかは冷やして飲まずに、常温のものをチビチビ飲むのが風習らしい。冷やしたものもあるようだが、それでも日本人にはまだぬるいらしい。

うまい本当のビールが飲みたいよ。

買った本を読む層にケイタイの熱心な使用者はいるか?

2010年09月12日 20時32分06秒 | ニュース
さて、ブックオフのポイントカード制度が変わるという話を続ける。ところで少し昔話をしよう。

4年前の話である。結構ムチャクチャな人の使い方をする大阪にあった勤め先を「辞める」と表明した私の後任としてつれてきたのがユイさんという女性である。ユイさんはとびきりの美人ではなかったけど結構私の好みだった。で、しかも帰り道は私と同じルートだったからチャンスはそれなりにあった。ただし、話ができたのは最初のうちで、ベラベラ話をしていると、ネタが尽きてくる。あろう事かしまいには、当の私が話をするのを苦痛に思うくらいだった。

よく言うが、結婚すると女性が変化して、男性の方が「こんなはずじゃなかった」というパターンに陥る。確かに気の毒なのだが、実際変化してもらわんと困るというくらいでないと、そもそも「他者」なんぞ受け入れられない。ベラベラ話をしていた頃の私は、相当無理をしていたのだと思う。そしてその「背伸び」もあるとき限界までくる訳だ。ただし、これが結婚前に来るパターンと結婚後にくるパターンもあるのだ。で、男性は結婚すると「やれやれ」と言う感じになって、手を抜く。これがどうも女性にとって気に食わないらしい。彼女たちは曰く「冷たくなった」と。そりゃあ女性も変化するだろう。

言い換えれば、相手が変わって文句を言う前に、自分が変わらないと言うのが必須条件になる。ただし、あるとき会話が苦痛になった私のように、限界に至るまでただひたすら走らんとあかんという役回りが生じる。

さあ、あなたはできるかな?(笑)

さて、これが本論ではない。これは導入。2ヶ月くらい経ったある日、飲み会で遅くなって結局二人同じ帰り道。だが、毎日同じように帰っていた訳じゃない。こっちが残業で遅くなる時もあったし、ユイさんが遅くなるときもあった。そんな状況の二人同じ帰り道。

悪いけど、賢明なる読者の諸君はここで変な期待を持たないでほしい。確かにラブホに誘う方策もなきにしもあらず。ただし、たった2ヶ月である。のっかる方の身としても少し心もとない。で、そのまま電車に乗るのである。ただし、話は既につきた状態である。その時点で勝負は既に決まっていた。

電車に乗ると彼女はご自慢のケイタイを取り出し、なんだかんだと通信を始めた。それを見た私は手持ちの本を取り出した。これが文庫か新書だったらまだかわいいものだが、取り出したのはハードカバーの専門書だった。そしてそのまま、彼女の最寄りの駅に着くまでそのままだった。

うん、事の是非はともかく、話の本質は電車でケイタイをいじる人は、そのままいじり倒し、本を読む人は最寄りの駅か眠くなるまで読み続けるという事である。二人はずっとそのままだったのである。ということは、本を読む層にどれだけケイタイを熱心にいじるのかというデータはないけど、どちらかというと「ほどほど」に使うというのが本音だろう。私はもっぱら通話くらいだ。メールもそんなにしない。

ケイタイをよく使う層の大半は、メールを使用する。この傾向は年齢が下がるほど大きい。(http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/03/post_3249.html)ただし、この層が金銭使用の延長上にケイタイを位置づけているのかいうとどうも怪しい。またケータイクレジットサービスの利用傾向に対する調査においては、20代30代男女で今後使ってみたいという意見が60%も出ている(http://www.nttdocomo.co.jp/binary/pdf/info/news_release/report/060323.pdf)が、少額決済の傾向も高い。定価販売のコンビニが現在消費を牽引していることを考えても、クレジット払いする事に関しては金銭的な皮膚感覚が若干薄い若年層にしてみれば、それほど違和感が無いのかもしれない。ただし、それも皮膚感覚が「敏感に」なったとき、果たしてケイタイのクレジットにどれだけ依存するかということにもつながってくる。知りたいのは、クレジットカードが今後なくなっていく(ケイタイの機能として統合する)ことになるのかという疑問に対する答えである。確かにサイフを持ち歩く事が必要なくなれば、クレジットカードも必要なくなる。ケイタイのみになる。ただ、そうなると貨幣紙幣といった実体的お金も必要なくなるのかという質問もできよう。

ブックオフの例にしてみても、ブックオフで買った本を読む傍らで、ケイタイを熱心にいじるという振る舞いがどれだけ多くいるのか。ブックオフのケイタイポイント制もそんな風に考えるのだ。

話を少し戻そう。私の横の席でケイタイをいじり倒して彼女の中には、私が完全なる「他者」である事を意味していた訳だけど、こうした態度を取る女性の深層心理を悪く言うサイトは結構多い。「心を病んでいる」とか。ただ、そうしたサイトの書き手の大半が男性である事も確かで、あまり当てにもならない。女性が書けばもしかしたら「男性が頼りないからです」と書くかもしれない。まあ、男性依存の見解を示すことは戦闘的フェミニズムの発言から見て妥当とも思えないが。

しばらくして私はその会社を辞した。驚いたというべきか当然というべきか、ユイさんもその会社を辞した。長くいる意味を見出せなかったのだろう。その頃になると私の中のユイさんに対する印象は少し変わっていて、仕事はできるんだと思うけど、少し頼りないかなと思うようになった。ただ、頼りなさは私にも当てはまる。つきあいだしても長く続かなかったと思う。ニッコリ笑って、「おたがいがんばりましょう」「またどこかで」。それ以降会っていない。

元気にしていればそれでいいし、結婚して幸せになっていればそれがベストだ。

ブックオフのポイント方式がまた変わるらしい

2010年09月11日 10時30分43秒 | ニュース
「ポイントどうされますか?」
「あー、ためる方で」

ポイントカードの使用でよくかわされる会話だが、少ないポイントをためていても、全然面白く無い事がわかった。いや、わかるまでもないのだが。とりあえずブックオフで使うTポイントカードは求められるままに出して、つけてもらうだけという感覚だった。出てくるポイントも2ポイントとか10ポイントとか。

「昔は面白かったんだけどな・・・」

ブックオフのポイントがTポイントに変わったのは2007年10月。それまでは独自のポイントシステムで、5%還元。1000円買ったら、50円分の金券が出てきた。この目に見えるアナログなシステムの効果は結構大きかった。ただ、カードに一方的にポイントをつけていくシステムはいちいちレシートを確認しなきゃならない。まして1%だから1000円買っても10円のおまけくらいにしかならない。だんだん関心が薄れていった。

ブックオフの撤退の背景を調べると、次のような文章に行きあたる。

中古書籍販売大手のブックオフコーポレーションは25日、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)のポイントサービス「Tポイント」を2010年9月末までに終了すると発表した。07年10月から実施していたが、当初想定ほどの売り上げ増に貢献しないことなどから脱退を決めた。 同日付で、CCC社長の増田宗昭氏がブックオフの社外取締役を退任した。CCCはブックオフの発行済み株式の6%を持つが、資本関係に変化はないという。 Tポイントの正式な終了日はCCCと協議して決める。ブックオフのTポイント関連の負担費用は年7億~8億円。Tポイントよりも中古書籍の安さや豊富さを利用動機にあげる顧客が多く、新規利用者の開拓につながらなかったとしている。 (http://blog.livedoor.jp/video_news/archives/1269100.html)

負担費用が年間7億~8億円なら、もとの5%に戻して購入者に還元すべきだろう。いちいち振り回されるのは購入者の方だ。実は私のTSUTAYAのカードは、レンタルビデオの会員として入ったが、年会費の継続を行わなかったので、本来の用途からは大きく外れた状態での使用だった。つまりブックオフで使うだけ。昔はローソンでも使えたが、それも脱退とかで使えなくなった。

でも新しいポイント制度はもっと抵抗がある。ケイタイベースなのだ。おサイフケイタイなんてあるけど、ケイタイって重要な個人情報の固まりだ。それを決済に使うのでもなく、ポイントだけのために店先でかざすというのは少し抵抗がある。だって、知らないうちにケイタイの中の情報を抜き取られているかも知れないから。

「そんなはずはない」というのは、私たちが技術を知らないだけで、もしかしたら既にケイタイの中の情報を抜き取る技術は、もう確立しているのかもしれないし、それを知っている人は黙っていれば良いだけなのだから。知っているひとは、抜き取った情報を使っている人たちか。

昔のブックオフのポイントカードは単純な個人情報の記入でカードをもらった。TSUTAYAのカードはレンタルだから、それなりの量の情報だ。次はもっと多くの情報を知らないうちに抜き取られる可能性がある。ほんの少しの得のためだけで。

結局、新ポイント制度へは入会しない方針なのだけど、あの新ポイント制度ってほんとに得なのかは検証してみないとわからない。

あのとき

2010年09月05日 22時48分32秒 | Weblog
ひとは時々、「あのときこうしていれば・・・」と振り返ることのある生き物であるという。ほぼその大半は、後悔の念を伴ったものである。

「あのときこうしていれば、人生こう変わった」とか、
「あのとき素直に告白していれば、今頃は」といった具合だ。

ただ、私にはそれが無いように思う。「あのときそうしなかったから、今はおおむね悪くない」とか「あのとき、あの人を選ばなかったから今をもって自由に生きている」とか。それは、そのとき、何もしないという事を含めた選択が重要であるのだと思う。

「仏の魂」の基準

2010年09月05日 12時19分02秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
「専門書が欲しければ、ジュンク堂書店へ行こうね」という認識が生まれて既に久しい。それだけ専門書の数が豊富なのだが、十分に納得できる店を作るには、相当の経験と商品知識がないと難しい。最近、私が住む奈良でよく目にするのが、大型店舗の開店である。たとえば、近鉄奈良駅にはK書店があるが、本来の敷地以外に、近くのビブレの地下に大型店舗をオープンした。そのふれこみは「売り場面積が500坪、専門書から児童書まで40万冊の品揃え!!」というものだが、私の認識では、「よくわからない店」になっている。

よくわからない店になったのは、同じように経営する本屋が、目と鼻の先に店を構えておきながら、その二つに棲み分けを作るのではなく、よく似た品揃えにしてしまっていることである。言い直せば、従来のA店舗の品揃えに、B店舗は店舗面積が広くなった分、商品をさらに多く追加したという程度である。

ジュンク堂は神戸が最初の本部であったが、やはりこれと似たような状況であった。ただ、今日、専門書でそれなりの名声を得るに至ったのは、一つの店舗を専門書中心という「棲み分け」の設定を行ってノウハウをためた事にある。

K書店の場合、表通りの店に一般的な書籍や雑誌を置き、ビブレの地下店に専門書かあるいは品揃えで特色ある店を展開するのが戦略である。若者中心の店の地下に雑誌をわざわざ買いに入ってくる客は少ない。それは、ビルの9階に店を持ち、そこへ雑誌を買いにくる客がどれだけいるのかという命題と同様であり、そこへ買いにこさせる仕掛けが必要という事でもある。

最悪なのは、売り場面積の広さが本の多さにつながってくるという誤った認識を経営の側も客の側も持っていることだ。私の専門が社会学というのもあるが、ここ最近オープンした大型店舗の社会学の棚の内容の薄さにはあきれる事も多い。これは奈良だけの問題ではない、京都でも同様なのだ。

特に京都のO書店は、イオンに大型店を作ったが、社会学のみならず総じて内容が薄いので数回行って足が遠のいた。奈良のK書店もしかり。

「仏作って魂入れず」ということわざ?があるが、最近、私の周りでオープンした本屋がこういった状況だ。

WA M4の金型

2010年09月01日 21時47分55秒 | エアーガン/実銃
みんなが知っていて私だけが知らなかった話題なのかもしれないが、ウエスタンアームズのM4シリーズの金型は、MGCの売却物であるという。私は今日これを知って驚いた。

確かに、一時期、MGCは金型を売却していた時期があった。メーカの活動が停止したと公言されたが、少なくとも、私の中では1994年末に倒産している。実際には、1994年に起こったのは、製造部門の廃業である。しかし、新規の製品を作るのでもなく、ただ販売を行うに徹した会社が、市井の小売り店とどう違うのという質問をされたとき、それに明確な答えを与える事ができる人間は少ないであろう。たしかに、その後、モデルガンの製造販売は行っていたが、あれはハウスカスタムのような代物であった。要は、新規に製造するという魂胆を抱かなければ、過去の財産を消費して会社を維持する事は可能なのだ。エアーガンの業界に限った事なのかどうかわからないけど。

だが、実際には金型というのは、内部のブローバックのエンジンシステムよりも遥かに「財産」なのである。実際、一つの金型の代金が数千万円というのは少なくない。MGCが金型を売却しているというのは、末端のユーザの私でも知っている情報だった。それもそのはず、雑誌の広告の片隅に「金型リスト送ります(ただし、企業向けのみ)」という一文がのっていたからだ。さて、私は手に入れなかったが、実際にはどれほど一般人がMGCをダマして手に入れたのかは少し気になるところだが、既にその金型を利用して、モデルガンが出始めている。あからさまに、MGCの金型をつかってリメイクという広告を行っている会社もあり、ほっといたらまず作らないだろうメーカから、この金型を使って販売したりしたのだが、WAのM4については本当にびっくりした。

金型は買い取りで製造上のショートカットを行ったのだ。

私が持っているM4はオークションで手に入れたものだが、結構払わされた。落札後マガジンからガス漏れしているので、入札を白紙にするかどうかの問い合わせを受けた事がある。この機会を逃したら手に入らないと思い、結局そのまま送ってもらったが、マガジンの修理で結構時間的ロスが生じた。その後、不評だったバレルを変更したモデルがほとんど変わらない定価で販売されたりした。ボルトも変わっていたと思う。これみんな最初に買った客は損したという事だ。みんな、これをベースにいろいろカスタマイズしているみたいだけど、私がやったのはせいぜいRISをノーマルのハンドガードにかえたくらいだ。

普通に楽しむ分にはいらんよ。レイルシステムなんて。重くなるし、金もかかる。マガジンも馬鹿高いから一本だけ。

しかし面白いのは、金型をMGC製品の流用という事実だ。過去の金型で生産したものをベースに、店の裏か工場で手作りに近い状態で、カスタマイズして出す。見方を変えると、多くのエアーガンメーカのリストラ方法は、製造/設計部門から手を付けていくという方法である。そのため、マグナブローバックというシステムが10年近く改良も行われていない理由は簡単に見えてくる。ただ単に「完成したシステムだから・・・」という回答を棄却できる見方であると考える。