旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

晴耕雨読日記 2020年(令和2年)5月31日 日曜日 朝の散歩『名所・旧跡10kmコース』 『野辺地八幡宮』①

2020-05-31 10:47:54 | 晴耕雨読日記
 ずいぶん日の出が早くなってきましたね。




①今朝はお天気は良いけど、昨日の朝より4度ほど低く、歩きやすいスタートです。 


②テイクアウトの張り紙がはずれた、ラーメン屋さん。


 店の前の自販機にはこんな張り紙が貼ってありました。色々考えていますね。


③今日の「名所・旧跡案内」は、『野辺地八幡宮』その1。
  創建は、慶長年間(1596-1614)、1598年(慶長3年)とも伝えられていて、御祭神は誉田別命(応神天皇)になります。


 現在の本殿は、国主南部信濃守利幹公に届け出た旨の棟札あり、1714年(正徳4年)に本殿再建されたことが分かっています。また、鞘殿拝殿は1843年(天保14年)の再建です。
 本殿は『野辺地八幡宮の創建は、慶長年間(1596-1614)のことと伝えられる。現在の本殿は1714年(正徳4年)に再建されたもので、拝殿を兼ねた覆屋の中に納められている。桁行1間、梁間1間の1間社流造で屋根は栩葺。向拝柱上の象鼻や脇障子などの各所の彫物は優れており、また建築手法には地方独特のものも見られる。この本殿は建築形式を損なうことなく建立当初の姿をそのまま示しており、江戸時代中期の神社建築のありさまを示す格好の文化財建造物としてきわめて価値が高い。』とのことで、1997年(平成9年)7月30日に青森県重宝に指定されています。


 文化庁が、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定する制度があるそうです。
世界遺産登録や文化財指定は、いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い、保護を担保することを目的とするものですが、日本遺産は、既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく、地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで、地域活性化を図ることを目的としているそうです。
 『日本遺産STORY #039 荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~』
 江戸時代、北海道・東北・北陸と西日本を結んだ西廻り航路は経済の大動脈であり、この航路を利用した商船は北前船と呼ばれました。北前船は、米をはじめとした物資の輸送から発展し、船主自身が寄港地で仕入れた多種多様な商品を、別の寄港地で販売する買い積み方式により利益をあげたことから「動く総合商社」と形容されています。日本海や瀬戸内海沿岸に残る数多くの寄港地・船主集落は、北前船の壮大な世界を今に伝えています。
関係する自治体は北海道(函館市、松前町、小樽市、石狩市)・青森県(鰺ヶ沢町、深浦町、野辺地町)・秋田県(秋田市、にかほ市、男鹿市、能代市、由利本荘市)・山形県(酒田市)・新潟県(新潟市、長岡市、佐渡市、上越市)・富山県(富山市、高岡市)・石川県(加賀市、輪島市、小松市)・福井県(敦賀市、南越前町、坂井市、小浜市)・京都府(宮津市)・大阪府(大阪市)・兵庫県(神戸市、高砂市、新温泉町、赤穂市、洲本市)・鳥取県(鳥取市)・島根県(浜田市)・岡山県(倉敷市)・広島県(尾道市、呉市)と広範囲です。
 我が町でも構成する文化財に12ほど指定されています。
 

 ここの『御神燈』一対もその一つです。『北前船が運んだ石造物』として指定されています。 


 「嘉永5年」「奥御國産御會所」、「大坂御仕送御用所」の文字が読めます。
 『豪商が活躍した湊町』と言われる我が町は、代官所が置かれ、盛岡藩の西廻り航路の拠点湊町として北東北随一ともいわれました。中国への輸出品である尾去沢の銅・煎海鼠(干しナマコ)やヒバ・大豆など、領内の主要産物は奥州街道を通って野辺地湊に集められ、上方へ積み出されていました。そして下り船は、さまざまな品物や文化を運んで来て、今も生活習慣や祭りなどに、上方の香りが残る町です。




④漁船の艤装作業も順調のようです。


⑤コース一番の難所。『愛宕公園』です。
 公園の上につながる主な道は3つ。 
 右に曲がると、ヘアピンカーブ2回の距離は長いけど勾配が一番緩い舗装された道。


 『御膳水』を過ぎて右に進むと、『愛宕神社』へ続く石段と階段。


 ほぼ真っ直ぐに上る道。
 いつもこの道を上っています。


⑥気持ちの良い散歩でした。




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