旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

米坂線・男鹿線の旅10(完) 奥羽本線に乗って帰途に 奥羽本線下り普通 青森行 

2019-01-25 11:52:05 | 米坂線・男鹿線の旅
 弘前駅では8分の待ち合わせで次の列車に乗ります。


奥羽本線下り 普通 青森行  


弘前     12:24発   
 弘前市街地は、駅の西側に広がります。


撫牛子    12:27着 12:28発
 難読駅名の「ないじょうし」を過ぎると、日本百名山・新日本百名山にも選ばれてい青森県の最高峰岩木山1,625mの全容が見えます。
 山頂部分は、右から巖鬼山(岩鬼山とも表記し「がんきやま」と読む)、岩木山、鳥海山と3つに分かれています。
 太宰治も著書『津軽』に「十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉を正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある」と喩えているとおり、その山容から津軽富士とも呼ばれ、富士山と同様に、古くから山岳信仰の対象とされ、山頂には岩木山(いわきやま)神社の奥宮が置かれています。


川部     12:31着 12:32発   
 川部駅から終点青森駅までは単線になります。


 この先浪岡駅の手前まで、津軽平野の中をほぼ直線で進みます。


北常盤    12:35着 12:36発   
 よく見ると、橋梁を架け替えたと所だけカーブしているのが分かります


浪岡     12:41着 12:41発   
 梵珠山地を正面に見ながら大釈迦駅に向かいます。


大釈迦    12:46着 12:46発   
 大釈迦駅から更に登っていきます。


 かつては1,000分の25の勾配があった大釈迦峠越えです。
 現在の勾配は?標識がどれも壊れていて分かりません。




 勾配緩和のために作られたトンネルも3代目となる2,240mの新大釈迦トンネルに入ります。


鶴ケ坂    12:51着 12:55発   
 鶴ケ坂駅では、下り特急つがる4号の通過を待って1分少々遅れての発車です。


 新大釈迦トンネルを境に、津軽平野から青森平野に入ります。


 市街地が見えてくると、津軽新城駅に到着します。


津軽新城   13:00着 13:01発   
 津軽新城駅を出て右にカーブすると目の前に新青森駅が見えます。
 1.8km、約2分で到着します。


新青森    13:03着 13:04発   
 東北新幹線の盛岡駅以北の建設が遅れて高まっていた地元の不満を解消する狙いもあって、東北新幹線関連事業の一環として新幹線駅と接続することを前提として、1986年(昭和61年)11月1日に国鉄の駅として開業した駅です。
 実際に東北新幹線が新青森駅まで延伸されたのは、開業から遅れること24年後の2010年(平成22年)12月4日。政治力の貧困と、関連する地元の思惑があって遅れた開業でした。


 似たようなことが、国鉄時代の鉄道管理局誘致問題。
 戦後GHQの意向によって、国営事業とし政府によって経営されていた国有鉄道事業は、1949年(昭和24年)に独立採算制の運輸省の外郭団体、日本国有鉄道に移管されました。
 これに伴い地方の管理組織を簡素化し、全国に49あった管理部と9カ所の鉄道局を、27の鉄道管理局に再編するという鉄道創業以来の大規模機構改革がありました。
 当時、東北・奥羽の両本線、そして青函航路という本州北端の鉄道の要であった青森市鉄道管理局が設置されるであろうことを、県民誰もが疑っていませんでした。
 しかし、発表された内容は、青森県を二分し秋田と盛岡の両鉄道管理局が管轄するというものでした。
 本県の政治力の貧困と油断の結果であると、今でも語り継がれています。
 JR東日本となった現在も、奥羽本線の津軽新城駅までは秋田支社、他の線区は盛岡支社の管轄となっています。このことがダイヤ編成や新型車両導入の遅れなど、色々な面に影を落としています。
さて、この新青森駅は新幹線開業までは単式ホーム1面1線の無人駅で、普通列車の一部も通過していましたが、開業後は島式ホーム1面2線となり、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」の始発、特急「つがる」と寝台特急「あけぼの」・「日本海」の停車駅となり、ホームもそれに合わせた長さになっています。
 特急「白鳥」・「スーパー白鳥」、寝台特急「あけぼの」・「日本海」の廃止によって、現在は8両分確保し、不要部分は立ち入り禁止となっています。


 終点青森駅までは、3.9km、約4分です。


 途中で左から津軽線と盛岡車両センター青森派出所への回送線が合流します。


 次に、青森駅に乗り入れている奥羽本線と青い森鉄道線をショートカットして滝内信号所(青森駅構内)と青森信号場を結ぶ通称奥羽貨物支線が右に分かれていきます。
 通常は、青森駅に入らない貨物列車のみの運行ですが、2006年(平成18年)3月から2012年(平成24年)3月までの間は寝台特急『北斗星』『トワイライトエクスプレス』もこの貨物支線を通っていました。


 輸送量は減ったものの今でも青森駅の配線が多いことが窺われます。


 右から青い森鉄道線が合流すると青森駅はもう目の前。




 JR列車は基本的に3~6番線を使用しています。


青森     13:10着 
 1959年(昭和34年)12月25日に竣工した青森駅の建て替えや東西自由通路整備がようやく進み始めました。新駅舎と東西自由通路は2020年度末の利用開始、西口駅前広場は22年度に利用開始を予定しているそうです。


 最後の乗り継ぎ列車まで1時間27分の待ち合わせ。ここで昼食にします。青森駅「つがる路」の「焼き干しラーメン」720円。




 30分程前には列車が入っているのでホームに行きました。


 「四季島」が入ってきました。ツアーではなく試運転のようで、8分程停車して出て行きました。




青い森鉄道線上り 普通 八戸行

  
青森     14:37発 
筒井     14:42着 14:42発   
東青森    14:44着 14:44発   
小柳     14:46着 14:47発   
矢田前    14:49着 14:49発   
野内     14:51着 14:52発   
浅虫温泉   14:57着 14:57発   
西平内    15:02着 15:03発   
小湊     15:06着 15:07発   
清水川    15:11着 15:12発   
狩場沢    15:15着 15:16発   
野辺地    15:21着
 

 おしまい。

米坂線・男鹿線の旅9 奥羽本線に乗って帰途に 奥羽本線下り普通 弘前行 

2019-01-24 11:22:27 | 米坂線・男鹿線の旅
 次に乗る列車は毎日運転している臨時列車です。この臨時列車には、利用状況を把握して利用率が高ければ定期化するし、低ければ廃止するという狙いもあるようですが、事実上定期の定期列車です。
奥羽本線下り 普通 弘前行


大館     11:34発   
 定刻より2分程遅れての発車です。
 大館駅から長峰駅までは複線となります。


 少しずつ高度を上げて行きます。
白沢     11:39着 11:39発   
 下り線は左に、上り線は右にカーブし分かれます。


 地図上では上り線が直進し、下り線は右にカーブし、勾配緩和のために城ヶ倉山の下に掘られた松原トンネルを通って、再び合流しているのが分かります。




陣場     11:46着 11:46発   
 陣場駅と隣の白沢駅は、秋田県で最初に開業した駅です。現在はどちらも無人駅になっています。


 陣場駅を出ると青森県との県境、矢岳峠越えに入ります。
 かつては、最高勾配1,000分の25を7つのトンネルで越えていましたが、現在は3,180mの矢立トンネル1本で越えていきます。


津軽湯の沢   レ 
 ここは、冬期間全ての列車が通過する駅です。


 青森県に入ると一面白くなっています。


碇ヶ関    11:55着 11:56発   
 ここで定刻運転に回復しました。


 JR東日本が、老朽化している除雪用機関車の代替として導入しているENR‐1000が停まっています。箱形の両運転台の機関車のように見えますが、自走できるモーターカーで、機械に分類される「投排雪用保守用車」と言われるもので、ラッセル車・ロータリー車の除雪機能をヘッドの着脱なしに選択出来ることが特長です。


 長峰駅が近づいてくると、岩木山が頭をのぞかせてきました。


長峰     12:00着 12:01発   
大鰐温泉   12:04着 12:04発   
 1991年(平成3年)3月に改称するまでは「大鰐駅」。
 隣接している弘南鉄道大鰐線は「大鰐駅」のままです。
 両駅は跨線橋で繋がっていて、南口と北口がありますが、北口は弘南鉄道管理となっていて、直接JRの利用はできません。


 弘南鉄道大鰐線のラッセル車キ105と電気機関車ED221です。
 

 弘南鉄道にはもう一つ弘南線という路線があり、そちらにもラッセル車が配備されています。


 津軽平野に入りました。りんご畑を目にするようになります。


 遠くに八甲田の山々が見えてきました。


 弘南鉄道大鰐線をアンダーパスすると石川駅に着きます。


石川     12:09着 12:09発   
 石川駅を過ぎると、津軽平野の南端を直進します。
 青森県南地方に住んでいるので、こちらから見る八甲田はなんとも言えません。


 弘南鉄道弘南線が右から近づいてくると弘前駅に到着します。


弘前     12:16着 


 つづく。

米坂線・男鹿線の旅8 奥羽本線に乗って帰途に 奥羽本線下り普通 大館行 

2019-01-23 07:37:48 | 米坂線・男鹿線の旅
 この先、大館・弘前・青森の各駅で乗り継ぎしますが、まずは大館駅まで。


 大館・弘前駅では7~8分の乗り継ぎ時間なので、ここで水分を確保します。
 最近は、スープや味噌汁系の種類が多くなってきました。
 「具たっぷり とん汁」、飲み物の域を超えています。


奥羽本線下り 普通 大館行  
 始発 秋田09:46
追分     09:59着 10:00発
 1分程遅れての到着です。


大久保    10:06着 10:06発   
 この辺りは、男鹿半島が陸とつながるまでは海だったそうです。
 田んぼを餌場にしているのは鷺でしょうか。


羽後飯塚   10:09着 10:10発   
 羽後飯塚駅のある旧飯田川町は、2005年(平成17年)の平成の大合併により昭和町、天王町と合併し潟上市となるまでは秋田県で一番小さな町で、二代秋田藩主佐竹義隆が神明社を建立した際に、御前で舞われた鷺舞が伝統芸能として伝わることからか、町の鳥は鷺だったそうです。


井川さくら  10:12着 10:12発   
 「芸名・人名だと勘違いしそうな実在の駅名ランキング」で第1位になったことがある駅です。
 駅名は、駅から徒歩20分程の所にある桜の名所「日本国花苑」に由来するそうです。
 「日本国花苑」は、1972年(昭和47年)4月に昭和天皇・皇后両陛下の御訪欧、秋田県立県百年、井川小学校統合校舎の建設を記念し、日本各地から集められた桜200種2,000本が2年がかりで植樹された公園だそうです。


 八郎潟に注ぐ馬場目川を渡ると八郎潟駅に着きます。



八郎潟    10:16着 10:17発   
 五城目駅・一日市駅・八郎潟駅と名前を変えてきた駅。
 話せば長くなる「八郎太郎伝説」が残るところでもあります。


 八郎潟に沿ってきたに進んでいるのですが、見えているのは八郎潟の干拓地ではありません。


 鯉川駅の手前で、八郎潟干拓事業によって残された3つの水域の一つ東部承水路が見えてきました。


鯉川     10:21着 10:22発   
 駅のフェンスに「橋本五郎文庫」の看板が見えます。
 駅から徒歩15分程の所にある、みたね鯉川地区交流センター(旧鯉川小学校)に2011年(平成23年)4月29日に、三種町鯉川出身の読売新聞東京本社特別編集委員であり、テレビなどで御存知のジャーナリスト橋本五郎さんから寄贈された約2万冊の書籍と、地域の方々から提供された書籍によってオープンしたそうです。


 次の鹿渡駅の位置は北緯40度2分40.69秒、東経140度4分57.25秒。
 日本列島には緯度・経度線の分、秒以下の数値が0となる交差ポイントが陸上に39箇所存在し、これを「ポイントゼロ」と呼ぶそうです。
 中でも、10度単位で交差する交点は1ヶ所。北緯40度0分0秒、東経140度0分0秒。場所は大潟村の中にあります。
 北緯40度0分はこの辺りと思われます。


鹿渡     10:26着 10:27発   
 鹿渡駅を過ぎると八郎潟と離れます。
 左手に見えるのは八郎潟ではありません。「角助沼」です。
 周囲3.5kmの大きな池で、昔、ここに住んでいたカッパがいたずらをするので、角助という者が懲らしめたという伝説が残っているそうです。
 「森岳ジュンサイの発祥の地」で、かつては「角助沼」にもジュンサイが自生していましたが、現在自生のジュンサイはなく、ハスの花が一面に咲くそうです。


森岳     10:32着 10:33発   
北金岡    10:37着 10:37発
   
 秋田自動車道をアンダーパスします。


 東北電力の城火力発電所の煙突が見えると東能代駅に到着します。
 発電所の煙突は赤白塗装と決まっていたのですが、なんでも航空法の改正でを受けて、高輝度障害灯を付けていれば、塗装色は自由に出来るようになりました。


東能代    10:43着 10:43発   
 東能代駅の能代市は、秋田県立能代工業高等高校のバスケットボールでの活躍が有名で、旧能代市時代の1989年度(平成元年度)からバスケットボールによる街づくり事業に取り組んでいます。東能代駅・能代駅のホームにはバスケットボードもあるのですが、歓迎の横断幕には「北限の茶畑」の文字が見えます。
 日本茶の栽培の南限は沖縄県。北限は秋田県。栽培しているところは「秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ 能代春慶 桧山納豆 大館曲げわっぱ…」に出てくる、現在の能代市檜山町です。


 東能代駅発車時点で、遅れが5分に広がっています。
 東能代駅から進路を東に変えます。
 白神の山々が見えます。


鶴形     10:48着 10:48発   
 戦後、仮乗降場を経て開業した駅です。
 駅建設を想定していない、築堤のようなところに設けられたホームの高さに合わせるため、駅舎は鉄骨で組まれた高床の上に建てられています。


 そんなに遠くないところを米代川が流れていますが見ることはできません。


富根     10:53着 10:53発   
 駅前にあるのは…。ロダンではないようです。
 「考える少年の像」(昭和42年度富根中学校卒業記念制作作品)とのことです。
 昭和44年4月1日に二ツ井町内6中学校が統合し、二ッ井中学校となっていますから、統合1年前の卒業制作のようです。


 ここで、米代川を渡ります。


二ツ井    10:58着 10:59発   
 奥羽本線の前身、奥羽北線と同時の1901年(明治34年)11月1日に開業した駅です。
 1922年(大正11年)から1936年(昭和11年)まで(正式には、1940年(昭和15年)3月1日に廃止。)は、駅前から米代川の川岸までの0.78kmに、中西徳五郎さんが敷設した軌間610mmの手押しトロッコ軌道「中西徳五郎経営二ツ井軌道」(個人経営であったため、正式名称が無かったとも言われています。)が荷物専用で、それまでの米代川水運と二ツ井駅との中継交通機関としての役を果たしていたそうです。
 「食堂前田屋」。かつての駅前の賑わいを感じさせます。


 明治天皇によって「徯后阪(きみまち阪)」と命名されたのは1882年(明治15年)。「きみまち阪」は県立自然公園に指定されている、サクラと紅葉の名所です。


 二ツ井駅を出て藤琴川を渡ると徯后阪トンネルに入るため、「きみまち阪」は見えません。電車は、「恋文神社」の下を通っているようです。


前山     11:04着 11:05発   
 前山駅で、関係箇所への業務連絡のため少々停車というアナウンス。
 そんなに時間も掛からず、5分遅れた発車。


 至る所で白鳥を目にするようになりました。


 右手に、本間様の「マルホン」の看板が見えてくると、秋田内陸鉄道線が合流して鷹ノ巣駅に着きます。




鷹ノ巣    11:09着 11:10発   
 JRは「鷹ノ巣駅」、秋田内陸鉄道は「鷹巣駅」。




 第三セクターに転換される前の秋田内陸縦貫鉄道はもともと国鉄阿仁合線で、駅名は「鷹ノ巣」駅でしたが、第三セクターになった際に「鷹ノ巣」から「鷹巣」に変更になりました。当時の町名であった「鷹巣町」にあわせたものと思われます。
 しかし、「鷹巣町」は平成の大合併で2005年(平成17年)3月22日、森吉町・合川町・阿仁町と合併し北秋田市となりました。
 北秋田市には世界各国の太鼓を展示している「大太鼓の館」があり、最も大きいものは直径3.80m、二番目に大きいものでも直径が3.71mあり、二番目に大きい太鼓は1989年(平成元年)に、「牛の一枚皮を使った世界一の和太鼓」(綴子大太鼓)ということでギネスブックに認定されているそうです。


糠沢      レ
 糠沢駅は、綴子大太鼓が伝わる秋田県北秋田市綴子集落にある無人駅で、かつては貨車を改造した駅舎が利用されていましたが、2009年(平成21年)から綴子大太鼓の形を取り入れた新駅舎に生まれ変わりました。しかし、特急・快速列車は勿論、日中の上下合わせて6本と下り最終の普通列車が通過します。


早口     11:17着 11:17発   
 早口駅を出ると平地が広がり、左手に青森県八戸市に本社を置く、1921年(大正10年)創業の「吉田金物店」を前身とするとする「吉田産業」大館支店が見えます。


下川沿    11:21着 11:21発   
 雪の「大」の文字が浮かび上がる鳳凰山。かつて山嶺に鳳凰山玉林寺あったことにちなんで命名された大館市のシンボルとされる山です。
 1968年(昭和43年)、当時の大館市長の発案により大文字の送り火を実施したことが始まりの大文字まつりは毎年8月16日に行われているそうです。
 間もなく、大館駅に到着します。


大館     11:27着 
 定刻より7分遅れての到着。次の列車の発車時刻となっています。




 急いで跨線橋を渡ります。

 つづく。

晴耕雨読日記 2019年(平成31年)1月19日 土曜日 「大人の休日倶楽部パス」第3日目 第54回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会

2019-01-19 19:16:07 | 米坂線・男鹿線の旅
 「大人の休日倶楽部パス」第3日目の今日は、昨日に引き続き日帰りで、東京の「京王百貨店 新宿店」で開催されている「第54回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」に行ってきました。
 2日間で購入した駅弁です。今日は外観だけの紹介です。
 実食した感想などは後日「旅のコレクション~駅弁」で紹介します。


























 お腹いっぱい!!!

米坂線・男鹿線の旅7 男鹿駅でUターン

2019-01-17 02:58:38 | 米坂線・男鹿線の旅
 男鹿駅は男鹿線の終点で、男鹿市の中心駅です。


 駅舎は2018年(平成30年)7月1日に移転改築されたものです。


 駅舎は新しくなりましたが、駅スタンプは年季の入ったもののままでした。


 旧駅舎は、今でもそのまま残っています。


 かつてはこの先、船川港まで貨物線が延びており、男鹿駅構内にも多数の側線がありましたが、2002年(平成14年)に貨物線は廃止され、側線もすべて撤去されています。


 駅舎を出ると正面に、男鹿市が整備を進めて2018年(平成30年)7月1日に開業した、道の駅にも登録されている複合観光施設「オガーレ」が見えます。新鮮な魚介類や野菜、加工品が並ぶ物産館やレストランなどが入っているそうです。この「オガーレ」に行きやすくするため、新駅舎は「オガーレ」方向に約100メートル移設されています。


 「男鹿」の観光スポットと言えば、「男鹿水族館」「入道崎」「寒風山」「なまはげ館」「ゴジラ岩」などが挙げられると思いますが、公共交通機関を使っての旅では時間余裕がなければなかなか足を向けることが出来ません。


 

 駅舎内には、やっぱり「なまはげ」。


 「男鹿駅」の駅名の由来も紹介されています。


 なお「男鹿」の地名由来については諸説ありますが、民俗学者の柳田国男先生は、日本海に浮かぶ「陸」のように見えることから、「陸(おか)」が由来ではないかと述べています。
 そもそも、地名を考えるとき漢字で考えてはいけないという方もいます。あくまでも漢字は外国語、読みに漢字を当てたと言うことでしょう。それなりに意味を考えて当てているとは思うのですが…。
 駅舎や駅周辺でもまだまだ見たいものがたくさんあったのですが、今回は20分程度の滞在時間なので、また訪ねたいと思います。
男鹿線上り 普通 秋田行


男鹿     09:00発
羽立     09:03着 09:04発
脇本     09:10着 09:11発
船越     09:15着 09:16発
天王     09:19着 09:19発
二田     09:24着 09:25発
上二田    09:28着 09:28発
出戸浜    09:32着 09:33発
追分     09:39着
 二田駅から乗車した中国系と思われる二人連れが、上二田駅で運転手に質問して発車が遅れたことから、追分駅に6分程遅れて9時45分の到着です
 9時43分発、普通八郎潟行が待ち合わせのため停まっているのが見えます。


 追分駅は1902年(明治35年)、当時の南秋田郡金足村に開業した駅です。
 あの「金足旋風」「金農旋風」を起こした、秋田県立金足農業高等学校はここから徒歩10分です。


 駅舎は、2018年(平成30年)内外装のリニューアル工事が完成しています。


 跨線橋から見ると、駅構内が広いと感じます。


 秋田駅寄りには、追分駅東西歩道橋「追分Weロード」がまたいでいます。


 男鹿線の起点駅ですが、0キロポストはありません。
 これがそれに代わるもののようです。


 また、追分駅構内には「追分鉄道設備技能教習所」という建物がありました。
 JR東日本秋田支社が、施設・電気系統からなる設備職場におけるベテラン社員の技術や技能を、次代を担うメンテナンス部門社員に継承することを目的に作った施設で、「仲(な)間と 学(ま)なび 励(はげ)む」ということばの頭文字をとって、愛称を「なまはげ」としているそうです。


 ロゴマークは、スーパーこまちのジャパンレッド、流れるような曲線美を持つスーパーこまちの車体、これまでより東京~秋田を短時間で結ぶスピード感、線路及び架線のイメージが描かれています。


 つづく。