旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

日本最長距離普通列車で行く道東の旅6 釧路まで

2015-01-31 05:46:52 | 日本最長距離普通列車で行く道東の旅
 池田駅を出るとまもなく左手にワイン城が見え、右手遠くに日高の山々が見えるはずですがこちらの方はかすんで良く見えませんでしたが、右手には北海道らしい風景が広がっていました。

(池田ワイン城)


 十弗(とおふつ)駅は、「弗」の字が「ドル」とも読めることから、別名「10ドル駅」とも呼ばれている駅です。駅は明治44年に開業しましたが、平成4年からは無人化されています。鉄道ファンに人気の駅となっています。

(平成12年に建てられた「10$メモリアルボード」)


 豊頃駅を過ぎ、右手に東部十勝農工連の大きな澱粉サイロが見えてくると新吉野駅に着きます。


 明治43年に下頃部(したころべ)として開業しましたが、読みにくいということで、昭和17年に近くに吉野桜に似た山桜があったのでこれにちなんで、「新吉野」と改称したそうです。しかし、「吉野」という名称は古くから字名や小学校・郵便局に使われているようですが、なぜ駅には「下頃部」の名を付けたのでしょうか。きっと由緒あるものだと思うのですが。
 池田駅から十勝川に沿うように太平洋に向かって南下してきましたが、新吉野駅を出たところでVを書くように向きを変えて北進し、浦幌駅に着きます。


 当初根室本線は、明治30年代まで十勝の開拓の拠点として繁栄した十勝川河口の港町大津村を通る計画だったそうです。
 浦幌町史等によると、明治13年青森県人某が愛牛村に入植し野菜を栽培し大津で販売したのがまちの始まりのようです。その後、明治33年大津村外六ヶ村戸長役場から十勝村、生剛、愛牛村の3村が分離、独立し、生剛村外二ヵ村戸長役場を設置した時を浦幌町開基として、その後合併と町村制施行を経て、明治45年に浦幌村に改称。昭和29年に町制施行し、浦幌町となったそうです。 
 つまり、明治33年に十勝村、生剛、愛牛村3村の分離・独立を境に大津村は衰退の道をたどったため、明治36年の開通当時の中心地に向かって方向を変えたためだと言われています。


 なお、大津の地名は今もありますが、「大津村」はその後昭和30年に、浦幌町、豊頃村、大樹町の3町村へ分割吸収合併され消滅しました。
 上り釧路発帯広行と行き違いをし浦幌駅を出ると、いよいよ山越え区間に入ります。
 途中に常豊信号場があります。駅ではないので、浦幌の駅名票には次の駅は上厚内との標示が有り、上厚内の駅名票には次の駅は浦幌の標示があり、このように駅名票から信号場の存在が分からないのが一般的ですます。そして、駅ではない信号場には駅名票がないのも一般的です。しかし不思議なことに、常豊信号場には駅名票が有り、当然のように隣の駅は浦幌・上厚内の標示がありました。


 話によると、国鉄時代から設置されていて、JRになった後も、JR北海道仕様の正規の駅名標が立てられたとのことでした。昭和41年に信号場として設置されて以来客扱いをした記録はないのですが、駅名票の他にも、列車1両分の長さにも満たないホームも設置されていました。
 ここでは上り貨物列車と行き違いのため、11分停車した後14時52分に発車しました。いくらホームがあっても信号場なので列車のドアは開きませんでした。

(常豊信号場 上り貨物列車接近)


(常豊信号場・上厚内間)


 峠を越えると無人駅になったものの今でも駅舎が残る上厚内駅。


 次の厚内も無人駅ながら大きな駅舎が残っていました。


右手には住宅街が広がり、駅を出て間もなく、一度太平洋に沿って並行し再び離れて山に入り、短いトンネルをくぐると、直別駅に到着。
 直別駅から小さな山を越え、トンネルをくぐり抜けると海岸沿いの尺別駅に着きました。尺別駅では上り釧路発芽室行と行き違いました。


 この辺は、宗谷本線に比べて無人駅であっても、昔ながらの駅舎や建て直した駅舎が多いように感じました。
 尺別駅を出ると海岸沿いに走り、音別駅に着きます。

(尺別・音別間)


 駅の近くに大塚製薬、大塚食品の釧路工場があるためJR貨物の駅もあり、ここから主力商品のオロナミンC、ポカリスエットがコンテナ列車で出荷されているそうです。


 音別駅を出ると右手に砂浜の広がる太平洋が迫る区間がしばらく続き、その後「馬主来沼」と書いて「バシュクルトウ」と読む湿地帯が広がります。文字から想像すると「馬」に関係する所かと思われがちですが、由来は諸説ありますが「馬」とは関係なく、アイヌ語の「カラス」の意味だそうです。ここでカラスが鳴いていたことなどから命名されたとの説が知られています。

(馬主来沼)


(音別・古瀬間)

再び内陸に入り馬主来峠越えに入りトンネルを抜けたところに古瀬駅があります。


 古瀬駅は、昭和29年に客扱いする信号場として開設され、JRに引き継がれると同時に駅に昇格しました。周囲に人家もなく、道路は線路と並行する林道のみ。停車する列車も下り4本、上り3本と計7本。そしてホームは木造。ホームの発車時刻表に案内がありましたが、1番ホーム(下り)から2番ホーム(上り)側へ移動するには一度林道に出る必要があるります。このようなことから、ここは秘境駅の一つと数えられています。ホームの時刻表を見ると、ホームは上り下り分かれてあるのですが、上り線の2番ホームを使用する列車は今乗っている列車を含め1日2本、いずれも下り列車というのも何とも不思議なことですが、1番線優先に線路が配置されているので、通過列車を待避するときは上り下り関係なく2番線を使うようです。その証拠に札幌行特急「スーパーおおぞら12号」の通過を待って古瀬駅を発車しました。


(今では珍しい板張りのホーム)


(帯広方に見える1番ホーム)


 馬主来峠を下ると視界が広がり、茶路川を渡ると白糠駅です。


 「白糠」という地名は青森県東通村にもある地名です。ここ白糠の「シラヌカ」という地名の語源にはいくつかの説があるそうですが、アイヌ語のシラリ(磯)、カ(上)やシラルカ、シラリイカで、波が磯を越えしぶきが立つ「岩磯のほとり」を指すといわれているそうです。アイヌ民族は文字を持っていませんでしたが、その鋭敏な感覚と優れた記憶力により地形や山、河川、湖沼、産物、生活環境、自然の風物等を的確に地名に表したそうです。そのため、アイヌ語の地名を聞くと、そこへ行かずともその土地の地形や産物を知ることができるといいます。
 「シラヌカ」という地名は国後島や、道南の八雲町にもあり、いずれも気候や風土、地形、産物などに共通点があるそうです。
 白糠駅を出ると白糠港を右手に見て平坦なところが続き、西庶路駅に着きます。石炭岬の地名からも分かるとおり、白糠は北海道で初めて石炭を採掘したところです。ここ西庶路駅からも昭和40年代まで明治鉱業庶路炭鉱までの専用線が延びていました。
 庶路川を渡ると庶路駅に着きました。線路が外され2番ホームには国鉄時代の旧駅名標がそのまま残っていました。



 庶路駅を出てしばらくは市街地を通り、やがて国道38号と海沿いに並行して走りますが、国道に位置が微妙に高く海は見えません。
 右手に道の駅「しらぬか恋問」が見えるとまもなく東庶路信号場を通過し、国道と交差し阿寒川を渡ると大楽毛駅に到着します。

(庶路・東庶路間)


(阿寒川)


 元々は駅舎に直面し1番のりば、島式ホームに2番のりば・3番のりばがあったものを、合理化によって線路を外し島式ホームを1番のりば・2番のりばとした駅です。駅名は、アイヌ語の「オタ・ノシケ(砂浜の中央)」に由来し、それに漢字を当て字したものです。大楽毛駅では12分停車して、貨物列車と釧路発帯広行と行き違いました。


 大楽毛から釧路市に入ったので、今までよりは多少住宅地も続き、製紙工場や水産加工場の建物が見えてくると、新大楽毛駅です。この辺には元々工場群があり、その後郊外型ショッピングセンターの進出や住宅が増えてきたため、JR北海道になってからの昭和63年に開業した駅です。
 新大楽毛駅の次は新富士駅。ここは、駅前にある大正9年から創業を開始した日本製紙釧路工場(当時の会社名は「富士製紙」)に専用線を引くために開業した駅です。当時既に東海道本線に富士駅が開業していたために「新」を付けたそうです。
 今ではその専用線はなく旅客駅としては無人駅ですが、東側にはJR貨物の釧路貨物駅があります。
 新富士駅を発車し、左に日本製紙の工場を見て新釧路川を渡り、17時39分定刻釧路駅に到着しました。

(新釧路川)


 JR北海道では平成22年4月より10月31日まで、全区間を乗車した乗客に「2429D完乗証明書」がプレゼントしていましたが、好評だったため1年間延長し、今年の10月31日までなくなるまで配布するとしていました。そこで早速改札に行き、全区間に有効な乗車券を提示して、完乗した旨を申し出て証明書を頂きました。




 8時間2分。実際乗ってみると景色も楽しめそんなに長くは感じませんでした。

 つづく

日本最長距離普通列車で行く道東の旅5 池田まで

2015-01-30 05:03:34 | 日本最長距離普通列車で行く道東の旅
 新得駅を発車し、牧場の中にある平野川信号場を通過し、停車する列車は下り3本、上り5本と普通列車でも通過列車が多い羽帯駅を通過。以前は、羽帯と書いてアイヌ語の「小さい『それ』がたくさんいるところ」を意味する「ポニオプ」と読んだそうですが、「それ」とはアイヌ民族が忌み嫌って名を呼ぶことさえ嫌ったトッコニ(蛇)のことだそうです。このように、アイヌ語に無理な当て字をした結果、まったく違う読みになってしまった地名は結構多いと聞きます。
 次の御影駅は明治40年に開業した当初の駅名は「佐念頃」で、由来はアイヌ語の「サン・エンコロ→サネンコロ(出ている鼻)」の地名を発音に当て字したそうですが、語呂が悪いので、大正時代になって芽室村から分割してこの地域の産物花崗岩(御影石)にちなんで御影村が誕生したのに合わせ翌年駅名を改めた駅です。ここでは上り札幌行特急「スーパーおおぞら8号」の通過待ちのため4分の停車。


 次の上芽室信号場では、上り帯広発滝川行と行き違いのため8分の停車し13時30分に発車しました。


 新狩勝峠信号場で石勝線と合流した根室本線はこの先、上り列車との行き違いや特急列車追い越しなどで長めの停車時間になるところが増えてきます。
 上芽室信号場を出て、芽室川を渡ると畑が広がり、いよいよ十勝平野に入ったという感じの景色が広がります。

(上芽室信号場・芽室駅間)

 芽室駅に隣接する「複合商業施設めむろーど」は、駐車場のスロープを利用して建物が傾いているように見せるデザインで、数少ない列車利用者を楽しませる遊び心がありました。ここでは上り札幌行特急「スーパーとかち6号」と行き違いのため8分の停車。


 次の大成駅を過ぎると日本甜菜製糖芽室工場が左手にある。以前ここから「十勝鉄道(略して十鉄-じゅってつ-」と称する専用線が根室本線に沿って一直線に帯広貨物駅まで続いていて、まるで根室本線が複線になっているかのように見えたのですが、今はそれも廃止されています。

(日本甜菜製糖芽室工場)

 帯広市に入るとさすがに住宅が目立つようになり、まもなく西帯広駅に到着します。
ここの跨線橋は複雑です線路の両側の地区をつなぐ橋と二重になっているように見えるが、実はこの2つの橋の間にさらに連絡通路があり、ホームから駅舎に行くには一方の橋からもう一方の橋に移らなければならないのです。


 西帯広駅を出るとまもなく帯広貨物駅に停車しました。本来ここは信号場でもなく通過するのですが、ここでは旅客列車の行き違いも可能で、停車することもあるそうです。しかし、今日は帯広貨物駅に隣接する帯広運転所から、帯広駅に向かう乗務員が乗るための停車のようでした。


 帯広貨物駅を出るとまもなく線路は平成8年に帯広駅高架化と同時に高架化された区間に入り、帯広駅と同時に高架駅となった柏林台駅に停車の予定でしたが…。

(後方に柏林台駅が見えます)

 次の日の新聞記事によると「22日午後2時5分ごろ、JR根室線の滝川発釧路行き普通列車(2両編成、乗客35人)が、停車駅である帯広市内の柏林台駅に停車せず、そのまま通過した。JR北海道は、運転士の男性(33)は停車駅であると認識していたが、考え事をしていてブレーキ操作が遅れたとしている。」所謂オーバーランしたのです。


列車は、柏林台駅を過ぎたところで急に減速して、高架上に停車しました。車内には、帯広貨物駅から乗り合わせた乗務員の方がいたので、運転士さんはなにやら話をして、2人で列車後方に行き後進を試みようとしたようですが、距離が長いため無理と判断し、帯広駅に向かいました。なお、新聞には乗客35人とありますが、誰も数えてはいなかったようなのですが。
 下校途中の小学生は、珍しそうに無邪気に手を振っていました。 高架停車中に紫蘇色をした街路樹を多く見ました。柏林台なので柏の一種かと思ったら、ヨーロッパカエデの一種で「クリムソンキング」といわれるものだそうです。


 帯広駅には6分遅れて到着。元々下り釧路行特急「スーパーおおぞら5号」に追い越されるため14分停車だったので、予定通り特急に先を譲り、遅れを回復し定刻通り14時24分に出発しました。
 帯広駅を出発し、高架区間は終わると、札内川を渡るり札内駅に到着しました。



 駅裏には農業倉庫が何棟もあり、かつては農産物の集荷駅であったことをうかがわせます。右手に丘が迫り、停車する列車は下りが5本、上りが3本の稲士別駅を通過し、幕別駅に到着。
 もとは止若(やむわっか)駅といい、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ピラ」(冷たい水のがけ)からつけられたものです、駅の所在地は元々幕別町でることから幕別の駅名にしたかったそうですが、当時はまだ天北線も有りそこにも「幕別」があってまぎらわしいことから、昭和38年10月1日、まず天北線の「幕別」を「恵北」と改め、11月1日「止若」を「幕別」と改め たそうです。

(「幕」の文字に歴史を感じさせる幕別農協倉庫)

 幕別町と町村合併した忠類村は、昭和44年に日本初となるナウマン象の全身骨格の復元につながる化石が発掘されたことから「ナウマン象のまち」、また昭和58年には鳥取県発祥のグランドゴルフを参考にパークゴルフを考案したことから「パークゴルフ発祥の地」を名乗っています。最近では、陸上女子短距離の福島千里選手の出身地としても知られています。なお、過ぎてきた芽室はゲートボール発祥の地を名乗っています。
 札幌行特急「スーパーおおぞら10号」の通過を待って5分停車した後、幕別駅を出るとすぐに市街は切れ、十勝川を渡ります。まわりは畑や牧場など広々とした農地が広がっています。

(石狩川、天塩川に次ぐ北海道第三位の十勝川)

(幕別・利別間)

 利別駅を過ぎると右手に住宅街が続き、利別川を渡るとまもなく右に大きく曲がり池田駅に着きます。
 池田町は、昭和35年からぶどうの栽培を始め、昭和41年にワインの生産を開始し、昭和45年には町営レストラン開設、「十勝ワイン」のブランドは有名となりました。駅前にワインオープナーモニュメントを見ることができました。


 つづく

日本最長距離普通列車で行く道東の旅4 新得まで

2015-01-29 05:15:24 | 日本最長距離普通列車で行く道東の旅
 富良野駅からは1両増結して2両で釧路を目指し、国道38号にぴったり沿って南下します。

(「圭子ちゃんの店」で購入したのり弁当)


(ふらのとんとろ丼)

 次の布部駅。テレビドラマ「北の国から」の記念すべき第1回で、黒板五郎と純、蛍がこの駅に降り立つところから始まりました。 


 布部駅の隣、山部駅では右手には北の峰から芦別岳、夕張岳へと連なる切り立った険しい山容を見ることが出来ました。ここで、釧路発滝川行快速「狩勝」と行き違いました。


 山部駅から線路が左に90度向きを変えるといよいよ山間部に入り、左手に木の間から見下ろす空知川を見ながら下金山駅に着きます。


 下金山駅は、広い構内跡からかつては大きな駅だったようで、ランプの油を保管するための木造の危険品庫も残っていました。


 下金山駅を出ると国道237号に沿って南下、谷は狭まり山迫る。山部あたりではまだ広い河川敷をもってゆったりと流れていた空知川ですが、この辺に来ると狭い谷や断崖の見える渓谷となりました。


 金山駅。名の通り砂金採取者が山に入り拓かれたところで、明治の末にはトナシベツ川の砂金でゴールドラッシュに沸いたそうです。

(金山駅には煉瓦造りの危険品庫)

 金山駅を出ると90度向きを変えて東に進み、徐々に高度を上げていきます。


 列車は延長2,256mの空知トンネルを出ると、かなやま湖を渡り、東鹿越駅に着きます。


 駅裏には日本有数の石灰岩の鉱山があり、鉱山までの専用線が敷かれたり、専用の貨物列車が運行されたりしていたようですが、今ではそれも廃止され無人駅となっています。
 ホームには、石灰岩で栄えたときの思い出なのか黄色のペンキで「石灰石」とかかれた石が無造作に置かれていました。


 東鹿越駅を出ると、引き続きかなやま湖に沿って走りますが、木に阻まれて湖面はあまり見えません。
 遠くに富良野岳、十勝岳を見る頃幾寅駅に到着しました。


 駅舎には「ようこそ幌舞駅へ」の看板と「ほろまい」の表示。


 ここは平成10年の冬から映画「鉄道員」ロケのため改修され、映画では「幌舞駅」となっていたところです。基本的に建物はそのままで、モルタルをはがしただけだそうです。それが今でもそのまま使われていました。駅前には床屋や商店など映画で使用された建物がそのまま保存されて観光スポットになっていて、映画に使用されたぽっぽや号(撮影のためにキハ40を改造した、キハ12)の車両の一部が駅の横に展示されていました。


 幾寅駅から次第に急になり、落合駅に着きました。かつての根室本線落合駅・新内駅間は、標高664mの狩勝峠直下あった標高534mの狩勝トンネル(954m)を通るルートで結ばれていました。トンネルを十勝側に抜けると眼下に雄大な十勝平野が一望できることから「日本三大車窓」の一つとされていましたが、昭和41年9月に、25/1000という急勾配の連続を緩和するために、峠から南へ約4kmほど離れた新狩勝トンネルを経由する現在のルートに切り替えられました。以前は峠を越える列車は落合駅で後ろに蒸気機関車を連結していました。当時の転車台や機関庫の跡もなく、今では無人化された駅舎と跨線橋だけがそのまま使われていました。ここでは11分停車し、帯広発滝川行と行き違いました。

(落合駅跨線橋より新得方面 左に分かれる旧線が見える)


(落合駅跨線橋より幾寅方面広い構内に昔が偲ばれる)

 落合駅を出ると、左にカーブしていく旧ルートの線路が見えますが、すぐに途切れているようです。
 落合駅から川沿いに第一から第五までの落合トンネルをくぐり抜け、新狩勝トンネルに入り、トンネルの中で石勝線と合流して、北海道内では唯一のトンネル内の上落合信号場を通過しました。ここが新ルートのほぼサミット。


 5,790mの新狩勝トンネルは完全に直線で、信号場を過ぎると下り勾配になり、トンネル出てシェルターをくぐると新狩勝信号場を通過しました。
 新狩勝の名は旧ルートにあった狩勝信号場に対してのもので、狩勝は石狩と十勝の国名からとったものです。
 新狩勝信号場から大きなカーブを切って下りましたが防雪林のため景色は今ひとつ。
 次の広内信号場は、昭和46年までは有人の信号場で、上落合、新狩勝、西新得の各信号場の遠隔操作を行っていたという、2階が張り出した独特の形になっていました。ここにも、よく見られるスノーシェルターがありました。これは雪崩から線路を守るのではなく、線路の分岐部分を雪から守るためのものだそうです。除雪のための職員を常駐させなくてもよいように設置しているそうです。

(広内信号場)

 広内信号場を過ぎてから西新得信号場まで、良い景色が続きましたが、すっきり晴れ渡る天気でないために、少々惜しい気持ちになりました。


 西新得信号場を過ぎると間もなく新得駅かと思いましたが意外にもこの区間は6.8kmもあって、途中の長い新得山トンネルを抜けてやっと町並みが見え、もう一つトンネルを抜けると1分ほどで新得駅に着きました。


 新得駅は落合駅同様、狩勝峠越えの拠点で新得機関区のあった大きな駅でしたが、昭和63年に商工会館を併設したこぢんまりとした駅舎になりましたが、駅前には「火夫の像」がありました。



 駅前にはもう一つ、やじろべいの形をした、「北海道の重心地」の記念モニュメントもありました。
そばの記念碑によると、平成5年3月建設省国土地理院は『北海道の重心』は、新得町にあることを発表しました。
 その地点は東経142°49′40″北緯43°28′2″新得駅から北に43㎞離れた、トムラウシ温泉の西側に位置しますが、新得町ではこれを記念して、モニュメントを設置したそうです。
 新得駅の隣の十勝清水駅のある清水町は、ベートーヴェンの交響曲第9番を全国の町村の中でで初めて合唱したことから「第九の町」をうたっています。


 つづく

日本最長距離普通列車で行く道東の旅3 富良野まで

2015-01-28 05:04:45 | 日本最長距離普通列車で行く道東の旅
 第5列車 根室本線 普通 釧路行 乗車距離 308.4㎞  日本最長距離普通列車
滝  川          09:37発
東 滝 川(ひがしたきかわ) 09:46着 09:50発
赤  平(あかびら)    09:57着 09:57発
茂  尻(もしり)     10:02着 10:03発
平  岸(ひらきし)    10:07着 10:08発
芦  別(あしべつ)    10:14着 10:15発
上 芦 別(かみあしべつ)  10:20着 10:20発
野 花 南(のかなん)    10:26着 10:26発
島 ノ 下(しまのした)   10:41着 10:42発
富 良 野(ふらの)     10:48着 11:08発
布  部(ぬのべ)     11:15着 11:15発
山  部(やまべ)     11:22着 11:23発
下 金 山(しもかなやま)  11:32着 11:32発
金  山(かなやま)    11:40着 11:40発
東 鹿 越(ひがししかごえ) 11:53着 11:54発
幾  寅(いくとら)    11:59着 11:59発
落  合(おちあい)    12:10着 12:21発
新  得(しんとく)    12:46着 12:51発
十勝清水(とかちしみず)  12:59着 13:00発
羽  帯(はおび)       レ
御  影(みかげ)     13:12着 13:16発
芽  室(めむろ)     13:36着 13:44発
大  成(たいせい)    13:47着 13:48発
西 帯 広(にしおびひろ)  13:54着 13:59発
柏 林 台(はくりんだい)  14:05着 14:05発
帯  広(おびひろ)    14:10着 14:24発
札  内(さつない)    14:30着 14:30発
稲 士 別(いあなしべつ)    レ
幕  別(まくべつ)    14:41着 14:46発
利  別(としべつ)    14:53着 14:53発
池  田(いけだ)     14:58着 14:59発
十  弗(とおふつ)    15:08着 15:08発
豊  頃(とよころ)    15:14着 15:15発
新 吉 野(しんよしの)   15:22着 15:22発
浦  幌(うらほろ)    15:29着 15:35発
上 厚 内(かみあつない)  15:58着 15:58発
厚  内(あつない)    16:06着 16:06発
直  別(ちょくべつ)   16:14着 16:15発
尺  別(しゃくべつ)   16:20着 16:20発
音  別(おんべつ)    16:25着 16:25発
古  瀬(ふるせ)     16:36着 16:41発
白  糠(しらぬか)    16:48着 16:53発
西 庶 路(にししょろ)   16:59着 16:59発
庶  路(しょろ)     17:02着 17:03発
大 楽 毛(おたのしけ)   17:13着 17:25発
新大楽毛(しんおたのしけ) 17:28着 17:29発
新 富 士(しんふじ)    17:34着 17:35発
釧  路(くしろ)     17:39着
 
滝川駅からは、今回の旅のメインの一つ目の根室本線を走っている「日本最長距離普通列車」に乗車します。


 根室本線は、滝川駅から富良野町・帯広市・釧路市を経て根室市の根室駅を結ぶ、総延長443.8㎞の路線です。日高山脈を貫く石勝線が開通する前までは、函館・札幌方面と帯広・釧路方面を結ぶ幹線でした。このうち釧路駅から根室駅までの区間には「花咲線」の愛称が付けられています。


 この「日本最長距離普通列車」は滝川駅を9時37分に発車し、308.4㎞を8時間2分かけて走り、終着釧路駅に17時39分に着きます。駅構内にもこの列車のポスターが貼ってありましたからJR公認と言っていいでしょう。
 と言うのも、山陽本線の岡山駅6時57分発下関駅14時21分着の普通列車が363㎞を7時間24分かけて走っているのです。しかしこちらは、岡山駅から1725M、途中糸崎駅から33M、岩国駅からは3341Mと車両が同じでも、列車番号が変わるので同列車と見なさないのが一般的なようです。
 いよいよ乗車です。JR北海道はほとんどの駅で発車5分前にならないと改札しませんが、「日本最長距離普通列車」は、15分ほど前に入ってきました。


 ポスターには国鉄色「朱色5号」を塗装したキハ40系が乗っていましたが、こちらは第2・第4土曜日限定の運転。今日は、JR北海道標準塗装のキハ40-1778が1両で「日本一長い距離を走る定期普通列車(2429D)」と添え書きされた行先票(サボ)をつけていました。


 ほぼ満席状態で定刻通りの9時37分に1番ホームから出発しました。
 滝川駅を出発し、すぐに函館本線と別れて滝川の市街地をかすめるように走ると、東滝川駅に到着しました。4分の停車で富良野発滝川行快速列車行き違うのですが快速が遅れていたため9分停車しました。ここでは、本州で見たことのない草刈り装置をつけたモーターカーが止まっていました。


 5分遅れで東滝川駅を出て次の赤平駅の間で空知川を渡ります。この先かなやま湖まで延々空知川に沿って走り、何度も川を渡ります。


 赤平駅は総工費18億円をかけて平成11年10月にオープンした「赤平市交流センターみらい」という6階建ての立派な建物。札幌駅を除くJR北海道の駅舎としては最高層建築だそうです。
 次の茂尻駅は、駅名は「もしり」と濁りませんが、地元では「もじり」と言い、バス停も「もじり」だそうです。


 赤平、茂尻、平岸、芦別と道路に沿って集落が続くのは炭鉱町独特のものだそうです。このあたりの線路は山側の小高いところを走っており、途中で国道38号と空知川を見下ろす絶景のポイントがあります。この空知川は延長195km。石狩川、天塩川に次ぐ北海道第3の大河です。

(国道38号と空知川~茂尻・芦別間~)

 平岸駅を過ぎ、間もなく芦別駅に着く頃、左前方に「北の京・芦別」のシンボルである、北海道大観音が見えてきます。「北の京・芦別」は、北芦別市にある、「芦別レジャーランド」として生まれ、その後「北の京・芦別」に改称された宿泊施設を備えたレジャーランドで、巨大な観音像の他にも日本各地の名所を模して造られた旅館や神社があることで知られているそうです。


 芦別駅前には小さな五重塔がありますが、下が電話ボックスになっていました。「北の京・芦別」には五重塔のホテルがあるとのことです。


 芦別駅を出ると、かつて炭鉱の城下町として栄えた上芦別駅。そして野花南駅。当て字も美しく響きもいいのですが、アイヌ語の語源でヌカナンは「しかけ弓の糸を置くところ」だそうです。野花南駅では池田発滝川行と行き違いました。


 野花南駅から次の島ノ下駅までは13.9㎞15分ほどですが、途中5,595mの滝里トンネルと2,839mの島ノ下トンネルが短いスノーシェルターでつながっている所を7~8分かけて通過すると島ノ下駅に着きます。


 島ノ下駅付近は空知川沿いを走り根室本線が富良野線に合流するようにして、富良野駅構内に入ると、左手に貨物のコンテナが集積していました。道内有数の農業地帯である富良野盆地からはこのコンテナで農産物が出荷されているそうですが、出荷の最盛期には普段のトラック輸送に加えて貨物列車が臨時に運転されるそうです。


 富良野は、ドラマ「北の国から」ロケ地で今でも北海道で人気のある観光地の一つです。列車で訪れる観光客も多く、今の時期はリーゾート気動車を使った札幌との間で3往復運転されています。
 富良野駅では20分間の停車。駅にはキヨスクのほか、立ち食いそばとしては珍しい名前の付いた「圭子ちゃんの店」が営業していました。


 「展望台のある駅は当駅だけです」という跨線橋があったが、平成12年1月12日、跨線橋の横に自由通路「ポッポブリッジ」が完成し、十勝岳連峰、芦別岳・夕張岳の素晴らしい展望は遮られていました。


 富良野に開拓が始まって数年後の大正3年、当時の京都帝国大学理学部教授新城蔵博士ら一行が地球重力の測定・天文観測・経緯度測定のため機械を据え付けた地がここで、「北海道のへそ」として全国に知られるようになりました。跨線橋の階段には毎年夏に開かれる「北海へそ祭り」のイラストが描かれていました。



 つづく

日本最長距離普通列車で行く道東の旅2 滝川まで

2015-01-25 07:09:55 | 日本最長距離普通列車で行く道東の旅
 第3列車 室蘭本線 普通 岩見沢行 乗車距離 75.8㎞  
苫 小 牧          06:12発
沼 ノ 端(ぬまのはた)   06:20着 06:20発
遠  浅(とあさ)     06:28着 06:29発
早  来(はやきた)    06:34着 06:35発
安  平(あびら)     06:40着 06:41発
追  分(おいわけ)    06:48着 06:49発
三  川(みかわ)     06:56着 06:57発
古  山(ふるさん)    07:01着 07:02発
由  仁(ゆに)      07:06着 07:07発
栗  山(くりやま)    07:13着 07:14発
栗  丘(くりおか)    07:20着 07:20発
栗  沢(くりさわ)    07:25着 07:26発
志  文(しぶん)     07:33着 07:34発
岩 見 沢(いわみざわ)   07:41着


 苫小牧駅を出ても日本一の直線区間が続き、日高本線の線路も加わって3本の線路がまっすぐに走ります。

(苫小牧・沼ノ端間)

 直線区間は沼ノ端駅を過ぎても千歳線の下り線と室蘭本線の上下線が2㎞ほど進み、千歳線が思い切り良く左へカーブを切っていくと、アイヌ語で沼の奥という意味の「ト・アサム」が語源の遠浅駅につきました。

(沼ノ端で千歳線が分岐)

次は、早来駅です。早来は中央競馬で三冠を達成したディープインパクトの生産牧場もあるなど、種馬生産などもさかんです。アイヌ語で夏に超える沢道という意味の「サク・ルペシペ」の上半分に当て字をした「早来(さっくる)」が「はやきた」と読み替えられたことに由来する説や、麻・カヤのある沼と言う意味の「ハイキト」に由来するとの説もありますが、室蘭本線が予想より早く開通したので、「はやきた」と読み替えられた、という説もあります。
 次は、アイヌ語の片方だけに崖のある川という意味の「アラ・ピラ・ペッ」に由来するという安平駅。安平駅を過ぎるとやがて左後方から石勝線の線路が近づいてきて、オーバークロスし、追分駅に到着します。

(安平・追分間)


(追分で石勝線が合流)

 明治25年に鉄道が通るまでここは植苗村安平と呼ばれていたそうですが、鉄道が開通した際、室蘭本線と夕張線(現石勝線)の分岐点であることから「追分」の名がついたと言われていますが、たまたま同じなのかアイヌ語でも十字路を「オイ・ワケ」と言うそうです。追分はかつて岩見沢方面からの石炭と夕張からの石炭が合流したところで、鉄道の町として発展してきたところで、その面影は線路が取り払われた広い構内に見ることができました。

(追分駅構内)

 広い構内を眺めつつ出発すると、まもなく石勝線は右に分かれていきました。


 愛知県の人が多く入植したことから三河をもじってつけたとされる三川駅を過ぎると、ずっと続いてきた複線の線路もいよいよここで途切れ、1本の線路となって北へ向かいます。
 沼ノ端以北は、複線で有りながら非電化という全国的にも珍しい線路でしたが、これは石炭産業が華やかだったころの名残で、三川以北ももとは複線でしたが、列車本数の減少によって片方が撤去されたのだといいます。
 丘の傍らを意味する「フル・サム」の古山駅、温泉のある場所を意味する「ユウンニ」の由仁駅を過ぎると、栗山、栗丘、栗沢と紛らわしい駅名が続くが、山→丘→沢と、なんとなく順番に並んでいるようにも思えますが、栗沢駅はは開業当時は清真布駅といい、アイヌ語の萱のあるところを意味する「キ・オマ・プ」に由来したそうですが、戦後、アイヌ語の「ヤム・オ・ナイ」(栗の多い川)を和訳したことに由来すると言われています。

(いかにも北海道らしい栗沢・岩見沢間の車窓)

 志文駅を過ぎ、大きく回りこんで函館本線と合流し、右に岩見沢操車場跡の広大な土地を見つつ、終点・岩見沢駅に到着します。


 岩見沢駅からは、札幌からの普通電車滝川行に乗り換え滝川を目指します。
 第4列車 函館本線 普通 滝川行 乗車距離 42.9㎞
岩 見 沢          07:54発
峰  延(みねのぶ)    08:00着 08:01発
光 珠 内(こうしゅない)  08:05着 08:05発
美  唄(びばい)     08:09着 08:10発
茶 志 内(ちゃしない)   08:14着 08:14発
奈 井 江(ないえ)     08:19着 08:20発
豊  沼(とよぬま)    08:24着 08:24発
砂  川(すながわ)    08:28着 08:28発
滝  川(たきかわ)    08:35着

(岩見沢からはあと数年で姿を消す711系電車)

 岩見沢駅から滝川駅までの車窓については昨年の「最北端 稚内への普通列車の旅」で述べているので割愛します。

 滝川駅は昭和37年建築の典型的な鉄筋コンクリートの駅舎ですが、待合室には歴史を感じさせる暖簾の立ち食いそばやがありました。



つづく