年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

虎に翼の日

2024年04月16日 | 宅老のグチ
都営新宿線住吉駅A3出口を出ると、駅の付近に近隣地図があって、猿江恩賜公園が近かった。公園の桜目当ての外国人観光客に占拠されているが猿江の公園は昔と言っても10年前の公園風景だった。ちょうど桜からサツキ・つつじへ切り替わる時期かもしれない。頭の中に花の東京という歌が浮かんだ。確か東京ラプソディーという曲でこの後行く駿河台のニコライ堂の唄だった。次の季節の花が咲き始め、チョウチョ用の花迄用意している。
 猿江の公園は中にある水の池が異様に高いと感じ、公園から地下鉄住吉駅で海抜マイナス30センチとい標識を見た。確かに下町の土地の低さは知っていたがマイナス表示の所は少ない。江戸時代は幕府の貯木場だったようだ。

 新宿線住吉駅から小川町駅まで行く。この駅で降りるのは初めてで地上に上がってようやく位置関係が判った。この小川町駅付近の明治期神田雉子町32と言う所に正岡子規の勤めていた新聞日本があって、同地に明治の風刺漫画雑誌団団珍聞があった。また小川町駅からニコライ堂に向かう南甲賀町に戸田極子の住んでいた戸田侯爵邸(南甲賀町6)があって、明治大学(南甲賀町11)もあった。明治大学は駿河台に移転して今に至る。つまりNHKの朝のドラマの昭和初期の様子は明治期と大幅に異なる。小川町は楽器とスポ―ツ用品の町だったが今では面影も薄く、途中にミズノの東京支店が見え、さらに中央大学の創立の碑もあった。この地の古本屋街の成立には上野寛永寺の学問僧侶と、桜ケ丘の儒者から来ている。林家の儒者は昌平坂の学問所に移転し、明治に入って多くの学校・予備校が神田付近に集積し、本屋街となった。出版・印刷・学校が揃った。今ではカレ―の町でもある。
NHKの朝のドラマで明治大学が出て来るので、明治大学博物館所蔵の「徳川幕府刑事図譜」と関連する展示を見に行った。NHKのドラマなので大学が騒いでいるかと思うと博物館入り口にも付近のもそれらしき案内の旗もない。最近偏差値が上がり、受験者数も多いので余裕なのだろうか。この博物館へは3度目になるし、前は明大生のためのコロナワクチン集団接種会場だった。地下3階に刑事の展示がある。そこで大番屋の展示を見ていた。大番屋は調べ番屋と呼ばれ、普通の番屋より大きい番屋で、何か正確な記録もない。「徳川幕府刑事図譜」事体も明治の26年の出版でどうやら不平等条約改正のための出版で、いかに徳川の時代が酷く、明治政府が刑事裁判を改善したという対外的な意味があるという。この出版後に日清戦争が起きて、不平等条約のうち、領事裁判権の不平等が消えた。関税自主権が取り戻せたのが日露戦争後である。この辺の言及が明治大学法学部の展示が変わったかを確認したが変化が無いように見えた。
 明大博物館の入り口に虎に翼のコ-ナ-があって、昼過ぎ、月曜で数人の人がいただけである。

テレビの反応を明大は見ているのだろうか。以前の大河ドラマで同志社大学はどう対応したのだろうか。
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