夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

ギター遍歴・・1

2019年05月29日 18時17分58秒 | 日記
最初に買ったのは当時5000円のヤマハダイナミックギター、まだナイロン弦ではなかった。それで【南国の夜】を何とか弾けるようになった。二年使った。次に8000円で矢入貞男氏のギターを買った。弾き易く音が良く、これで随分上達した。本気でクラシックギターをやり始めたのもこのギターで、だった。
当時、広島の紙屋町交叉点の太田川側に木定楽器店があってそこで買った。ある日幟町辺りの路地を歩いていて小さな楽器店で北折忠直氏の【睡蓮】と言うギターを見た。その名前に惚れて買った。が、余り弾かなかった。
社会に出て最初のボーナスで河野賢氏の6号を買った。・・これには奇妙な思い出がある。注文したのは夏だった。秋も深まったある明け方、夢を見た。髪の黒い、痩せぎすのロイド眼鏡の人が誰かにギターの梱包をさせている夢だった。翌日、会社から帰ると立派な木箱に梱包されたギターが届いていた。夢が当たり始めた最初の経験だった。ケースはバーガンディの内張りで洒落ていて嬉しかった。これを60代まで使った。アルハンブラの想い出やグラナダなどスペインものをやった。

学生当時、好楽社と言うところから発行されているギターピースをよく買った。大学を出る前の日に買ったピースにリュートの絵があった。もう50代半ばになっていてふと本棚から見つけたその楽譜の絵に触発されて(かなりお調子者の気がある私は)ルネッサンスリュート曲をギターで弾いてみることにした。使ったキターは松村雅亘氏のsuperior model。だんだんのめり込んで病気が重くなり、ついにリュートを買った。この段階で、ギターの方もブレーキが壊れて Armin Gropp、Armin Hanika ギターなど買った。Gropp ギターは旧東ドイツ、ワイスガーバー系統の作家だったので、人と違うのが好きなおっちょこちょいの気がある私みたいのが手を出しそうなものではあった。楕円の響孔があった。Hanikaギターは気に入っていたが息子の車をブレーキ・アクセル踏み間違いでバンパーをやってしまってその弁償の為に売ってしまった。
ああ疲れた、次はまた別に書こう。振り返るとトンデモナイ無駄使いをしているのだ、出来れば忘れたい。

短い詩のような曲が欲しい

2019年05月29日 17時32分48秒 | 日記
ギターもリュートも長い曲は息切れがする。それに、一曲を頭から尻尾まで間違えずに弾くのは大変な事だ。表現はその後から載ってくるわけだからアマチュアが大曲に挑むのは無謀である(と、ヘボアマチュアは思う)それを半ばプロ並みにやる人もいるようだから、一も二もなく尊敬する。
大曲と言ってすぐさま想起するのがバッハだ、似たようなフレーズが少しずつ姿を変えながら延々と続く、目が回る、憶えられない、憶える以前に何処が違うか目がついてゆかない。
日本の作曲家で長大な曲と言って思い出すのは伊福部昭氏だ。自分にとってこれに優る邦楽はないと思うところの、氏の25弦筝の【琵琶行】、野坂恵子氏の名演奏で聴く。素晴らしい!そこで拙者も、と言うわけでギターの為の日本古代旋法による【踏歌】をやってみようかと薄ら考えている、が、長い曲だ。

楽器は弾かないと駄目になる。リュートと欲張って個性の違うギターを5台持っているが息切れがする。

 さねさし相模の小野に燃ゆる火の ほなかに立ちてとはし君はも
 わかければ道行き知らじ まいひはせむ したべのつかひおひてとほらせ
 かわずの目 越えてさざなみまたさざなみ
 白鳥は哀しからずや 空の蒼 海の青にも染まず漂う
 ふるさとの 尾鈴の山の哀しさよ 今日も霞のたなびきてあり
 からごろも 裾にとりつき泣く子らを 置きてぞきぬる 母なしにして
 我が母の 袖もち撫でて我がからに 泣きし心を忘らえぬかも 

このように秀逸な歌を詠んだ日本人が何故このような音楽を作曲できない、或はしない、のか?そればかりか学校音楽にグレン・ミラーの茶色の小瓶だとかを取り入れてみたり、アホな事をする。分からんのはあのビートルズと言うのを大変に誉める人々が居ることだ、あの品のないのを。

 夏は熊野の浦過ぎて 匂いゆかしく渡り来ぬ
 阿波より来る藍売りは 村の紺屋を立ちいずる
 つばめの声にふるさとの 暮れゆく春を思うらむ (有本芳水)

どーだ、この染み入るように懐かしい日本の春、そして典雅な日本語の品格!
 


日本文化の特徴

2019年05月29日 10時06分16秒 | 日記
外国や他民族をよく知らないで言うのもおこがましいが・・・。台北に住んでいた頃の微かな記憶や父母の話を聞いて持って居る観念と現代日本を見て感じるのが、他の民族、他国の場合、外来文化が入った時、多くは排除され、排除されなかったものは【混合】【混在】になっているのではないか?
一方、日本の場合【化合】が起こるのではないか、その触媒がもしかしたら神道じゃないか?例えば日本の仏教は神道の別の説明様式であり、同時に神道が忌み嫌う要素は姿を消している。神道が忌み嫌う要素とは何か?・・・【不浄・不潔】である。京の都は中国人に言わせれば古い唐王朝の名残があるそうだが、多分あれは飛鳥・奈良・白鳳を経てザ・日本と化合して唐ではないか?だから唐の面影らしき何かはあるが、では具体的に何がか?と言うとどうも分からない、でも感じる。

大学の定期試験・造船科・・芸術と工学の狭間

2019年05月29日 07時46分31秒 | 日記
材料力学の教授が学生たちの試験答案を覗いて回る・・・『なんじゃこりゃ、5トン15メートルのデリック・ブームの直径が850mmだと、うわっはっは、そーんなことなかろうが、うわっはっは・・・』『先生、ウルサイから黙っててくれ』と学生が苦情を言う。
物理数学の試験・・『先生、こんなの習った覚えがない』『でも答え書いてる人が居るよ!』
造船科の学生が何人かでボートを造った。出来上がって海に浮かべて沖に・・出る前に【沈】した。泳いで戻って来た。
昔の大学はそこそこユルくて面白かった。私は多分、トレーシング・ペーパーに鉛筆で図面を描き、計算尺で排水量計算などをやった最後の世代だ。
今はCADなるものがあって精度と速さは抜群だが、Naval Archtect の【Art】が抜けた。世界が新しくなったらゆっくり流れれる長い時の流れの日々に、計算尺とトレーシング・ペーパーに帆船の図面を引こう。それにしても・・・あの戦艦大和の中央断面図を見た時にはびっくりした。トレーシング・ペーパーとは言っても【絹の布】、そこに【烏口】で【墨入れ】して描いてある。昔の設計技術者、職工を尊敬する。とても敵わない。

男の下着

2019年05月29日 07時14分45秒 | 日記
猿股と言うのがあった、もしくは今もあるかもしれない、要するに丈の短いトランクスだ。子供の頃はこれ一択だったが嫌いだった。遠足で長距離歩くとズリ上がってきて要所を緊縛するようになる、何度も立ち止まって押し下げるも半ば汗になってずり上がるクセがついてしまってどうにも気持ちが悪い。
1970年代辺りから西洋式が流行ったが生臭い感じで嫌いだった。その頃は現在言うトランクスはなかった。
叔父は東京芸術大学と言う音楽の最高学府を出て大学教授だった。しかし何分戦前の育ちだったせいか生涯フンドシで過ごした。娘たちが子供のころ『お父さんは鬼とおんなじのをしてる』と言ったらしい。理由を聞くと『パンツというのは軟弱な感じがする』とのことであった。なるほど、納得。
いつかその叔父が言った・・『最近の女の子はもう小学校からブラジャーというのをしてるんだ、俺が風呂場で娘たちのその上にフンドシを置いてるとオコルぞー!わっはっは』
昔カイシャのお偉いさんたちと飲みに行った、当時はキャバレーだ。飲ん兵衛の課長がダブルの背広を着た部長を指さして、そこに居る女性たちに言う・・『これは紳士面しとるが中はフンドシと言うものを履いているんだ』
船の室内設計を多くやったが、船長・機関長クラスは居室に洗面手洗い区画が付属している。しかし通常の士官、船員クラスは洗面器が居室の中に設置される。『フムフム、このサイズならここでサルマタぐらい洗えるな!』
その高級船員を掴まえて『今日は海が荒れるそうですから試運転は中止します』と言った奴が居た。『船乗りをつかまえて海が荒れるから出るのは止そうと言うのは失礼じゃないか』とご機嫌が悪かった。