夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

或いは之が第三次世界大戦もしくはハルマゲドン

2013年05月31日 08時13分09秒 | 日記
非常に卓見と考えるブログを見つけたのでここに全文転載する。できるだけ多くの日本人に伝えたい、知らせたいが故に無断転載します。平にご容赦くだされたく。粗雑な私の洞察がもっと精査されている。

この度の中韓の怒りは、見れば見るほどただのナショナリズムではありません。
人工的で自足できない国家統合の理念に起因しているとしか考えられないのです。

◆日中韓の対立をナショナリズムで語ることの愚 10月1日 マイネ・ザッへ

中国の反日暴動や、韓国の反日姿勢を目の当たりにして、両国の過度なナショナリズムにあらためて驚いている人は多いと思います。そしてそれへの反動として日本でもナショナリズムが高まり、やがては衝突するのではないかと危惧する人も少なくないはずです。

軽薄なジャーナリズムは、ナショナリズムを嗅ぎ取るととにかく危険だと叫び、ただひたすら冷静になれと繰り返します。しかし歴史を見ると、ナショナリズムはそれほど危険なものではありません。睨み合う2つの国のナショナリズムが共振して増幅し、コントロール不能に陥って暴発するという現象は、ありそうでないのです。

人々がナショナリズムを意識し、ナショナリズムに突き動かされるようになったのはナポレオン戦争以降のことで、19世紀から20世紀初頭にかけての西洋は、遮るものなしにナショナリズムの暴風が吹き荒れた時代といえます。しかしこの時代は、戦争が常態ともいえる西欧史において例外的に平和な時代でした。国家間の摩擦は国際会議で妥協が探られ、何度か起きた大きな紛争の原因も、単純なナショナリズムに帰すことはできません。

ナショナリズム時代の最終的破滅とされる第一次大戦も、起爆スイッチを押したのはナショナリズムではありませんでした。なるほどオーストリアの皇太子夫妻を射殺したのはセルビア人のナショナリストでした。しかしそのときは誰も戦争になるとは予想しませんでした。最初に超えてはならない一線を超えたのは、ロシア、フランスと組んだセルビアに報復戦争をしかけたオーストリアです。そしてオーストリア=ハンガリー帝国という国家は目眩のするような多民族国家であり、当時の欧州において例外的にナショナリズムを否定し、皇帝を中心に「友愛」による共生を目指す国家でした。ナショナリズムの時代である19世紀は、ナショナリズムの高揚ではなく、アンチ・ナショナリズムにより暴発したのです。

そんなわけで、ナショナリズムというイズムは言われるほど危険なものではありません。ナショナリズムによる対立には、それがいかに激しい対立であろうと、相手もまた愛国者であるという了解を通じて互いへのリスペクトがあるため、国民と国家をヒステリカルな行動に走らせる要因にはなりにくいのです。では国家はどんなときに正気を失うのでしょうか?

1914年の夏にアンチ・ナショナリズム国オーストリアを軽率な行動に走らせた理由は明白です。セルビア人のナショナリズムを見過ごせば、セルビア人はもちろん、国内にいるその他の諸民族、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人、ウクライナ人、スロベニア人、クロアチア人、ルーマニア人等々のナショナリズムを刺激して分離独立運動を加速させ、友愛多民族国家のオーストリアは存在意義を失い瓦解してしまうからです。


国家というのは必ず国家統合の理念を持ちます。日本のように言語や文化、歴史を共有する人々の集合体である「国民国家」はナショナリズムを基盤とし、アメリカ合衆国は自由を基盤とし、いくつかのイスラム諸国は宗教を基盤とし、かつて存在したソ連のような国は共産主義、そしてオーストリア帝国は友愛を基盤としました。そんな統合の理念が脅かされたとき、国家は激しく動揺し、ヒステリカルになりやすいのです。

ナショナリズムは統合の理念のひとつにすぎません。そしてあらゆる理念の中で最も自然で無理がないだけに、安定していて壊れにくいイズムです。外国との関係がどう変化しようと、外国に何を言われようと、ナショナリズムに立脚した国家の正当性は揺らぎません。ナショナリズムは目立つので危険視されがちですが、実のところ地に足がついた、ヒステリカルになりにくい理念なのです。

ですから本当に危険なのはナショナリズムではありません。危険なのは、人工的で自足できない国家統合の理念です。たとえばオーストリア帝国の「友愛」は、あまりに人工的で説得力を欠き、最終的には力でナショナリズムを叩き潰さない限り生存できない理念でした。ソ連の共産主義やドイツのナチズムは、常に「国際資本主義」に対する優位性を示し続けないと説得力を失うため、情報鎖国して幻想の中に閉じこもるか、軍事的に勝負に出るしかない理念でした。

では、今日本の周辺で吹き荒れる領土紛争は心配するに及ばないのでしょうか?

それがナショナリズムによって引き起こされているものなら、そうだと言えます。ナショナリズムによる摩擦など、酔っぱらいのケンカのようなもので、酔が覚めれば話し合いで解決します。しかしこの度の中韓の怒りは、見れば見るほどただのナショナリズムではありません。残念ながら、彼らの怒りは人工的で自足できない国家統合の理念に起因しているとしか考えられないのです。

中国、韓国ともに非常にナショナリズムの強い国です。しかし両国ともに、ナショナリズムだけでなりたっている普通の国民国家ではありません。

かつての中国には、ナショナリズムと並んで共産主義という理念があり、それが一党独裁強権政治の正当性を支えてきました。韓国の場合は、ナショナリズムと並んで「反共」という理念があり、それを北朝鮮に対して朝鮮半島の正当政権であることの拠り所としてきました。

しかし両国の国家統合の理念は、冷戦の終結により1990年前後に瓦解してしまいました。本来であれば、このとき中国の共産党政権は崩壊し、中国大陸の地図は塗り替わるはずでした。韓国は破綻国家の北朝鮮を吸収したのち普通の国民国家へと脱皮するはずでした。

ところがそうはなりませんでした。ロシアから旧東欧ブロックにかけて、統合の理念を失った国家が相次いで崩壊したヨーロッパに対して、アジアではものの見事にステータス・クオ(現状維持)が続いています。このグロテスクな不自然を可能にしているのが、「世界最凶の極悪国家日本によるホロコーストの被害者」という神話、「ホロコースト・ドグマ」なのです。

両国ともに、かつてはそれほど反日ではありませんでした。中国などは、政府レベルでも市民レベルでも世界有数の親日国でした。しかし1990年に前後して反日教育、反日プロパガンダに力を入れ始め、日本の悪行を告発する記念館を建設したり、新たな抗日記念日を制定したり、反日ドラマを量産したり、半世紀以上前の親日派を裁く法律を制定したりして、古い傷跡を切り開き、傷などなかった部位にまで新たな傷をつくる作業を始めました。

価値を失った共産主義や反共という理念のプロキシ(代理)として、自らをホロコーストの被害者とするイデオロギーを確立するためです。これにより、中国共産党は一党独裁を継続する大義名分を獲得し、韓国は北朝鮮の同胞を見殺しにして経済的繁栄を享受しつつ、都合よく民族愛を叫べる特殊な立場に立てるのです。

ユダヤ人作家ジェーン・デリンの次の言葉は、「ホロコーストの被害者」であることが現代においてどれほど強力なイデオロギーになるかを示しています。


「私は核廃絶を支持しますが、イスラエルが核を保有していることは嬉しく思いますし、イスラエルの生き残りのためなら核の使用もやむを得ないと思います。あえて醜い言葉で極論するなら、もしイスラエルの生存とその他の人類60億のどちらをとるかと選択を迫られたら、私は400万人のイスラエル人をとります。」


社会的に認められている作家にここまで言わせるのは、ただのナショナリズムではありません。ナショナリズムとは似て非なる病んだイデオロギー、カルトです。今回、反日暴動について議論する英語の掲示板で、次のような中国系と思わしき人々によるコメントをあちこちで見かけました。


「3500万人のアジア人を虐殺し、数百万人を性奴隷にするというナチスを遥かに凌駕する犯罪を犯しておきながら、その罪を認めようとしない日本人の所業について知れば、その被害者である中国人や韓国人の怒りは理解できる。人類共通の価値観を共有できない日本人は、世界で力を合わせて打倒すべきだ。」


典型的なホロコースト・シンドロームです。しかしこのイデオロギーの恐ろしさはこれにとどまりません。イスラエルの心理学者ベンジャミン・ベイト・ハラミ氏は「政治目的を正当化するためにホロコースト・ドグマが使用されると、すべての議論がストップしてしまう」と警鐘を鳴らしていますが、こんなことが言えるのも氏がユダヤ人だからです。

さまざまな人種の人が書き込む英語の掲示板では、通常誰かが偏狭なコメントをすると、別の誰かが必ず皮肉を込めた反論を返すのですが、今回上のようなコメント対する反論はほとんど見られませんでした。

中韓の日本叩きをナショナリズムで語り、その観点から解決を探るのは的外れで不毛な行為です。今東アジアを揺るがしているのは、ナショナリズムなどという生ぬるいものではなく、もっと切実で醜く歪んだ怪物なのです。そして残念ながら、このような状況を平和的に解決した事例はまだありません。

イスラエルとアラブの抗争は言うに及ばず、各民族が「我こそはホロコーストの被害者。お前たちはナチスに協力した加害者である!」と主張して武器を手にした多民族国家ユーゴスラビアの分裂戦争は、互いに民族浄化の応酬で疲れ果てるまで鎮まることはなく、今なお諸民族間の憎悪は消えていません。

いくら日本のマスコミが「お互いに頭を冷やして」と訴えたところで、中韓は頭を冷やしませんし、日本人が単独で頭を冷やしたところでどうにもなりません。中韓がステータス・クオのために悪鬼日本を必要とする限り、領土を差し出しても、頭を下げても、金を出しても、その結果たとえ日本という国家が消滅してしまったとしても、日本と日本人への憎悪は消えないのです。

中韓がホロコースト・ドグマの構築に力を入れ始めた1990年にティーンエイジャーだった人たちは、今はまだ40歳以下です。彼らが社会の要職につくのはこれからで、先が思いやられます。

(ブロガーコメント)

今回の中韓による反日デモは、単なる日本への抗議デモではなく、自国のイデオロギーへの危機感が含まれているものだろう。中国の反日デモは容易に反政府デモに変化してしまいますが、中国共産党の正当性が揺らいでいるためだ。その為に91年のソ連崩壊以降に中国はイデオロギー崩壊の危機に見舞われて、正当性を強化する為に抗日戦争の勝利した共産党をアピールするようになった。

中国にとっては中国共産党を正当化するためにはナショナリズムを高めるだけではなく、共産党そのものを正当化する必要があるのでしょう。韓国も共産主義の防波堤といった役目が無くなり国家的なアイデンティティ意の危機がある。中国も韓国もソ連崩壊と共に国家的なアイデンティティの危機に陥った。ナショナリズムは何処の国にもあるものですが、中国や韓国は国家統合の理念がなければナショナリズムだけでは纏まりきれない弱さを抱えている。

日本のように自然発生的な国家で、海と言う自然の国境線に囲まれた国家は国家統合の理念も必要がなく分離独立を目指す地方もない。しかし中国は共産党が弱まれば国家分裂の危機を抱えているし、韓国はアメリカと日本の支援がなくなれば中国と北朝鮮の勢力によって統合されてしまうだろう。もはや反共と言う理念では韓国を纏めきれなくなり、あったか無かったかわからないような反日独立運動に統合理念を求めようとしている。

ソ連の崩壊と共に中央アジア諸国やバルト三国やウクライナなどが独立しましたが、中国共産党は崩壊せずに残り北朝鮮もベトナムも共産主義国家として生き残っている。中国は改革開放政策をとることによって高度成長経済を実現しましたが、同時に共産主義独裁に対する正当性や民主主義化を求める声も大きくなってくる。天安門事件は民主化を求める事件でしたが、小平は軍隊でもって鎮圧した。

韓国も一応は民主主義国家ですが基本的に軍事独裁政権であり、言論の自由は制限されている。現在も北朝鮮からの軍事的な挑発があり、工作員も沢山入り込んでいる。にも拘らず反北朝鮮よりも反日運動が盛んなのは北朝鮮や中国の工作活動の成果だろう。韓国は小学生低学年から「独島は我が領土」と教え込んでいますが、国家的な理念が揺らいでいるからだろう。

中国や韓国に共通しているのは、マイネ・ザッへに書かれているように、日本によるホロコーストの被害者と言う理念だ。これはアメリカのユダヤ人の共感を得やすく、最近では南京大虐殺も30万人から40万人に10万人も増えている。従軍慰安婦も20万人にまで増えましたが、日本政府は謝罪外交で河野談話や村山談話で政治的な解決を図ろうとしましたが、かえってこじらせる結果になっている。

マイネ・ザッへでは次のように結論を述べています。『いくら日本のマスコミが「お互いに頭を冷やして」と訴えたところで、中韓は頭を冷やしませんし、日本人が単独で頭を冷やしたところでどうにもなりません。中韓がステータス・クオのために悪鬼日本を必要とする限り、領土を差し出しても、頭を下げても、金を出しても、その結果たとえ日本という国家が消滅してしまったとしても、日本と日本人への憎悪は消えないのです。』と言うように、幼少期から反日教育で刷り込みが行なわれると、ヒトラーユーゲントのような反日サイボーグのようになってしまう。

中国や韓国はこれからも日本に対しては歴史カードで突きつけてくるだろう。これは日米にとっても日米離反工作になる。一番いいのはアメリカの大統領が靖国神社を参拝してもらう事ですが、ブッシュ政権の時に実現しかけましたが、小泉総理はなぜか断り明治神宮参拝に切り替えられた。日本とアメリカが歴史観で一致する事があるのだろうか?

「株式日記」は1997年から書き続けてきましたが、大東亜戦争はまだ終わってはおらず、中国や韓国やアメリカとの歴史言論戦争が続けられている。これらの三国に共通しているのはホロコースト・シンドロームであり、彼らにとっては日本=ナチスドイツに当てはめられて、反論しようとすれば修正主義者として意見を封じてしまう。事実マスコミや政治家は東京裁判史観を遵守して戦後の日本人を小学生の時から教育して来た。これは中国や韓国が90年代から反日教育を始めたのと対照的だ。

アメリカは正義であり日本は戦争を起こした犯罪国家というレッテルは、マッカーサー憲法という形で植えつけられてしまった。NHKでは吉田茂のテレビドラマを放送していますが、マッカーサー憲法が存在する限り日本は敗戦国の汚名から避ける事はできない。しかし未だに自主憲法が制定される動きはなく吉田茂が言っていたように「占領国から押し付けられた憲法」は無効なのだ。

引用終わり

 ここでも旧約聖書エゼキエル書38章が脳裏を過ぎる。彼らを筆頭にそれに扇動された世界はどうあっても日本を抹殺しようと攻め寄せて来る・・・それが実際の戦闘行為であるか言論による攻撃かはわからない。多分言論報道による攻撃ではないか? 
 日本人はその文化と歴史が世界のどこにも類を見ない、謂わば屹立したものである理由を考えなければならない。それが如何に聖書、特に旧約聖書と重なるか、それが何故かをよくよく思量しなければならない。
 世界中が目先の平穏のために日本人に過去の罪科を詫びて跪き”普通の共和国”になれ、日本の伝統と文化と国の姿を棄てよと迫るかもしれない。だとすればそれはハルマゲドンであり、既に始まっている。が、日本の識者、政治家でこのような洞察する人は未だ一人も居ない。恐ろしいことだ。
 エゼキエル書で僕が注目するのは38章21節にある”人々の剣その兄弟を撃つべし”と言うくだりと上記ブロガーのコメント中にある”反日は容易に反政府に変わる”と言う一文だ。同調しているではないか!
 ところで多くの日本人が頼りに思うアメリカはどうするだろうか?私思うにアメリカを動かしているのは黙示録3章で”自らユダヤ人と称えてユダヤ人に非ず、ただ偽りを言うもの・・・”と書かれているハザール系ユダヤ人であろうから実質は中・韓と同じ穴のムジナと考えたほうがいい。

 多分現在の中・韓・米、そして世界の状況は”武力ではなく言論や情報によって日本を抹殺しようとしている”第三次世界大戦にしてハルマゲドンだ。我々一般大衆に出来ることはただ一つ、日本神界に祈ることであろう、至るところに神社がありそれが日本人の日常生活の、実は地下茎になっていることを忘れてはならない。
 多分彼らは自ら吐いた言葉で裁かれて消滅する。・・・墓地をマゴグのゴグに与える、と書かれている。

出エジプト記と神社について

2013年05月31日 08時09分46秒 | 日記
先日大宰府天満宮をテレビで見てそこに鏡が祀られているのを見た。そして、神社には鏡が安置されていることを(全てではないかもしれないが)思い出した。・・・何故鏡なんだろう?と思った。
 一昨日或るブログで注連縄と言うのは雲と稲妻をあらわしている、との記述を読んで出エジプト記の20章が記憶の底から閃いた。モーセを通してイスラエルの人々に神が十戒を授けられる時、”雷(いかずち)と電(稲光)と密雲(厚き雲)”の中から語られ人々は震え慄いた、と。
 そうか!、神社の鏡は稲妻、注連縄は雲と雷を現しているのだ、そして同じ20章に”汝もし石の壇を我に造るならば琢石をもてこれを築くべからず其は汝もしノミを之に当てなば之を汚すべければなり”と書いてあるではないか。故に神社の御神体は自然石なのだ。また確かに神社に切り石は使われていない、自然石である。

橋下氏問責決議

2013年05月31日 08時05分58秒 | 日記
橋下氏の発言を失敗と言うならば”揚げ足を取られる”ことが火を見るように明らかな事柄を敢えて口外したこと、それを私は失敗と考える。ヘビのように用心深くあれ、と聖書にも書いてある。しかし・・・
 ここに到って問責決議案を可決するとは日本の職業的政治関与者(敢えて政治家とは言わない)の無能と臆病と腰砕けを全国民の前に露呈し反国家言論人、報道者、主義者をして”してやったり!”とほくそ笑ますだけの愚行である。何故これを逆手に取って下記のような書籍を精読、裏付け資料を整えて全世界に向けて反論しないのか?
 要するに彼らが日本につきまとって罵詈雑言を放つのは心理学的に言えばアイデンティティを確立できなかった、自己を確立できなかった不安、その状態でこの地球上で生きてゆかねばならない恐怖から何としても目を逸らしたいからなのだ。有体に言えばイヌと同じ心理・・・やさしくすれば付け上がり殴れば尊敬する・・・なのだ。

 「韓国人の歴史観」黒田勝弘著

一部を抜粋する。・・・
従軍慰安婦は何人いたのだろうか?
日韓の支援団体によるとその数は20数万人だったそうである。
日本には戦争最盛期当時何人の兵士がいたのか? せいぜい500万人程度である。
すると朝鮮人の従軍慰安婦はすべての日本人兵士20人に一人という割合だったことになる。
でも、日本兵は日本国内にもいたし、北千島にもいたし、太平洋の孤島にもたくさんの日本兵が配備されていた。
朝鮮人の従軍慰安婦はそんなところまでサービスには出向かなかったろうから、これらを除けば兵士10人に一人とかの割合になるだろう。
そんなに大量の女性を必要とするとは思えない。
でなければ我らの父や祖父は精力絶倫だったに違いない。・・・

だが、韓国人のアイデンティティを確立するために日本人を足蹴にすることが必要なことなのか?
それではあまりにも子供じみている。
日本人は今、おとなしくしているからいい。
いったんその要求を歴史に照らして判断し、拒否したらどうするのだ?

今までのようなやりたい放題の言いがかりは内政干渉、名誉毀損の外交問題となる。
韓国人は日本が韓国に謝罪と反省を要求することを考慮しておくことが必要だ。

日本国歌と旧約聖書とライシャワー博士と石と石垣と皇居と

2013年05月31日 08時03分42秒 | 日記
かつて駐日アメリカ大使を務められたライシャワー博士の日本評に”中国は岩のような国で、なかなか変わらない、しかし日本は石垣のような国であって一朝にして組み変わる”との明言がある。明治維新、第二次大戦終結前後を振り返ればこれはすぐに納得できる。
 また第二次大戦終了後、アメリカの識者が当時の中華民国に対して”あの国(日本)は一夜にして変わる”から、そこを念頭に置けと注意したらしい。
 私はこれが記憶に残っているが、何故か国歌”君が代”をいつも連想する。そこには”さざれ石の巌となりて・・・”と言う一節がある。まさにさざれ石の小川で四六時中遊んでいたのでそんな小石を眺めて子供心に何故小さい石ころが寄り集まって大きい岩になるだろうか、理屈としておかしくないか?と思っていた。
 しかし”石垣の国”と言われるとその国歌の奇妙な一節が納得できる。そして・・・

 今度は旧約聖書のダニエル書2章が脳中を駆け巡る。そこには”人間による統治”を象徴する巨大な像(バビロニヤのネブカデネザル王の夢)の証しが述べられている。その像の足を人手によらず切り出された石が打つ、すると像は倒れて粉々になる、一方、像を打った石は”大いなる山”となって全地に満ちた、と言う記事である。君が代との奇妙な一致を感じる。・・・さざれ石が巌になるまで君が代は続く、・・・杖ユダを離れず法を立つるものその脚の間を離るることなくして(つまりDNAの継承、即ち男系)シロの来る時にまで到らん・・・と。(シロとは未だ誰も解釈していないがもしかしたら『城』かもしれない。そこで真っ先に想起されるのが巨大な石垣である。もっと言えば江戸城であり、今は皇居である)

 さらに言えば、神社は山や石を御神体としている。拝殿には鏡が置かれてはいるが・・・(このあたりは不勉強で詳細を知らない)だが奈良の三輪山(大体ミワとは神をミワと読む)などはご神体とされている筈で、たとえ知らなくてもそのような神域に足を踏み入れて非礼を働くと神罰が下ると言われている。つまり何が言いたいか?・・・日本を何で象徴するのが適切かと言えば『石或いは山(富士山があるではないか)または皇居の石垣』であろう。そういう国歌がどこか他にあるだろうか?

 現在の世界の覇権国家・・・人類史上最後の人智による統治の象徴・・・はおそらく神道を治世の原理とした日本によって倒される。アメリカの深層無意識はそのことを知っている。知っているからあらゆる手段を使って日本の力を殺ごうとする。しかしキリスト教と言う彼らの拠って立つ倫理観が非常識な手段に走ることを阻害する。

 しかし聖書が予告する歴史の展開は外れたことがない、諸予言を読んでみれば解る。

世界を50人の学級に例えるなら

2013年05月15日 10時55分51秒 | 日記
 チビで目立たなかった子がふとしたことでメキメキ頭角を現わし始めた。それを妬んだ番長が踏んだり蹴ったりして苛めた。その子は渾身の力で抵抗して力尽きた。でも苛められていたほかの子供たちは自由になった。
 番長は手前勝手の規則でその子を裁き、首輪を付けた。永久に我々に跪いて生きろ、と言う。少しでも力をつけると首を絞める。傍で子分がせせら笑う。

 番長はアメリカ、チビは日本、首輪は憲法、子分は中国韓国、ほかの子たちは東南アジア、首輪を締める、は日米貿易摩擦、半導体交渉などなど時と場合によって様々。