夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

鬼の決断

2012年06月25日 10時21分00秒 | 日記
 織田信長は北陸攻めか何かに際して状況不利が判明した時、電光石火の決断早業で退却したという。”どうしようか、どうしようか”と思いわずらうこそ愚かなれ。ここに”動物的勘”が必要なわけである。第二次大戦のエストニアで真冬の湿地に押し寄せるソ連軍をわずかパンツアー2両で防いだドイツ陸軍のカリウス中尉と言う人が居た。自ら足で地形を調べ、戦車のハッチを開けて自分の目で戦況、敵状を観察する冷静さ、とその観察による判断洞察決断があってのことだ。この人は兵卒から将校に昇進した。実地の経験が机上の空理空論に勝る実例だろう。戦争ではそういう例が多かったと思う。
 造船設計は基本設計、性能設計、生産設計と流れてゆく。人間の弱みとして面倒くさいことはしたがらない、人と対立しそうなことは避けたい。そこで”問題先送り”と言うことをする。基本設計は”まあ、仕様書に書いておけばヤード設計の連中が何とかするだろう”とボヤけたものを我々に引き渡す、ヤード設計の連中はそれに苦しんで何とか図面を作る、しかしそこでもまた詳細までは判りかねる、或いは決め兼ねる。そこでまた”生産設計が何とかしてくれるだろう”と一部怪しい図面を出す。こうして問題先送りで図面は”工事現場”に出てゆく。
 すると・・・ある朝始業前に電話が鳴る。”沖まで出て来いっ!!”と怒声が飛び出る。はしけに乗って港の外に停泊している艤装中の船に出向き、暗い心ではしごを上る。早出で作業していた海軍工廠生き残りの怖い現場長、配下の工長、そして作業員が並んでいる。”この図面のサインはお前やろが”、”そうです”、”こがんとで仕事がでくっか、作業員ば貸してやるけんワイやって見せろ、模範演技ばせろ!!”と怒鳴られる。
 設計作業中で問題に気が着くことが多い。自分の設計ミスを発見した時、問題の見落としに気が着いた時、図面に対する船主のコメント等種々雑多、とにかく多い。その解決に関連部署や上司のところに行って理を言って縺れた糸を解さなければならない。これは非常に憂鬱で面倒な作業であった。ついつい”明日にしよう”と伸ばす、そしていつしか忘れる、時々思い出す、しかし”問題として浮上しないな、もしかしたらこのまま行けるかも”、と甘い考えに負ける。そして・・・船は明後日引渡し、と言う日になって”あれはどうなっているか?”と”燻ぶっていたものが突然燃え上がる”そして修羅場が展開する。・・・死にたいと言った部下も居た。その両親が心配して私の自宅まで相談に来られたこともあった。
 ”燻ぶっている物事は必ず燃え上がる”、だからそれに気がついたら、或いは問題が起こったら”寸秒を措かず迅速果敢に人の心を捨てて機械のように冷徹に強引に”消す、完全に消す、味を残さない”、”綺麗ごとや美辞麗句は一切言わない、必要最小限の文言を抑揚なく事務的に述べ、伝達する”。これが美味い酒を飲む為の不可避的必須の条件である。
 一体あんた、何が言いたいの?
・・・・消費税増税ですよ。このままじゃ国家が破綻すると何年言い続けていますか?誰も火中の栗を拾わないじゃありませんか。昔は”はりつけ獄門”を覚悟でお上に苦境を訴える庄屋さんや名主さんも居たのですよ。

 

 

咒術(まじわざ)

2012年06月24日 16時43分14秒 | 日記
 諸々の国人は汝の咒術(まじわざ)に惑わされ・・・黙示録18章21節~

昨日AIJ投資顧問の詐欺容疑報道を見ていてM1指数とか言う騙しの手法めいたものの事を聞いた。すぐにデリバティブ、金融工学、などの言葉が頭に浮かんだ。また国内での未公開株の事件や、実際私のところにも豆を買わないかとかマンションを経営しないかとか、佐賀大学で研究している水のなんとかかんとかと言う麗々しく飾ったパンフレットなどが到来したことを思い出す。
 聖書に言う”まじわざ”であろう。それがどんな処罰を受けるかを知りたければ黙示録を読めばいい。しかし、これらのことが次々に露見し、検閲され、処断されるのを見ているとそら恐ろしくなる。聖書が予告していることが次々に現実になって来て今や残り少ない。
 そんなことを考えているとここ数日の報道は消費税増税に関する三党合意、それに対して造反、の話である。一つの意見は”その前にやるべきことがある”ということのようだが、”やるべきこと”とは何か?を明確に言わない。公約違反だから反対だと言う。公約を先に破ってお手本を示したのはあなたじゃないか、との意見もある。要するに増税反対と言えば国民の歓心を買えると思っているのではないかと邪推したくなる。そんな愚かな国民と見くびられているのだろうか?
 黙示録の予言はあらかた起こって今も進行中、且つ残り少ない。船底から序々に始まった浸水はそろそろ閾値に近付きつつある。その閾値を越えれば船は一挙に転覆する。知ってか知らずでか喧々諤々、国家国民をほっぽらかして”党内融和”だとか”新党設立”だとか・・・。そのうちキッチリ罰が当たるのではなかろうか。ある人が言っているそうだが”あなたがたはただの駒なんですよ、・・・”。”うまい!、よくわかってらっしゃる”、一般大衆もそう見ているよ。
 増税の前に”景気対策”とか”成長戦略”という人もいる。西欧キリスト教世界から資本主義経済は生え出た。それは煎じ詰める、たけのこの皮を剥がす、芯だけ残す、ような見方をすれば要するに”収奪”であり”時は金”の思想であって”愛”や”奉仕”までも金銭に換算する思想ではないか。収奪は植民地主義で、かつては豊穣な文化を持っていた人々を啓蒙思想とか称する騙しの手口で目くらましして収奪を働いた。”時は金なり”の思想で人々を要するに奴隷労働に追い込んで富を蓄えた。今や家庭の食事までカネを払って買わせる。
 徹底的に毟り取って後に何が残っているのか?地球に優しいとか温暖化防止とかキレイごとを言いながら”成長戦略”とはどういうことだろうか?まだ地球から何か収奪できるものがあるのだろうか?
 だから多分この黙示録に言う”大いなるバビロン”つまり”あらゆるものを金銭に換算して地球に存在するものを欲と二人連れで収奪し尽くす仕組みは”近いうちそれこそ一瞬に、人々が”平和である、安全である”と言っているとき・・・要するに普通の日に突如!崩壊するだろう。
 別に私が言うのではない、黙示録や聖書の他の部分を読んでいれば自然にそのように感じる。ウソだと思うなら聖書を一冊買って読んで見られるといい、『天網恢恢疎にして洩らさず』

見世物小屋

2012年06月23日 08時38分25秒 | 日記
 昭和20年代までは祭礼の出店に見世物小屋、覗き窓みたいなものがあった。着物を着た女の人が立っている絵があり、次に下着姿、裸、筋肉赤まだら、骸骨、なんて風に並んだ幻燈窓みたいのもあってワクワクしながらヘェーこんなになってるのか!なんて。パンタグラフのようなものでブロマイドの映画俳優の絵をなぞりながらハンカチを掛けて隠した右手で拡大して見せたり、あれが欲しくて見よう見まねで作ってみたが”比率”の概念がないからへんちくりんなものになった。
 見世物と言えば小学校の頃読んだ話でこんなのがあった。結構真理をうがっている。”あるところに一つ目小僧の村がある、と聞いた者が捕まえて来て見世物にしようと出かけた。くだんの村に着いたところ、やあ珍しい二つ目小僧が来た、と捕獲されて見世物にされてしまった”よーく考えると世の中に絶対的なものは神以外存在しない。
 江戸末期の人々にとってペリーもプチャーチンも要は”見世物の一部”だった。”これは珍しい!!”で日本国中沸き立った。同時にこの東の海から来る赤鬼、北の海から来る青鬼共に何をされるか判らないと言う不安が募った。東は太平洋だから怖くても上手に付き合うしかない。北のほうには幸い朝鮮王国がある。そこでここに頼み込んで”力を合わせて北からやって来る青鬼を何とか追っ払おうではないか”と持ちかけた・・・本音は一度は青鬼を撃退した朝鮮王国に頼ろうとした、だろう。ところが最近の韓国時代劇のように外のことはほったらかして権謀術策ばかりやっている。そこで西郷隆盛などはこれじゃ間尺に合わん、と征韓論など言い出した。いかに何でもそんな乱暴なことをされてはたまらんと言うわけで西郷さんは下野、西南戦争に雪崩れ込んでしまった。万事用意周到、緻密な頭の持ち主である大久保利通にしてやられたのだはなかろうか。あれっ、変な方に逸れちゃった、元に戻そう。
 明治はつまり珍しさに沸き立った日本人が生来の新しがり屋、学びたがり、真似したがりの本領を遺憾なく発揮して最後に暴走して赤鬼青鬼と戦争、一網打尽にやられて無一文になった。考えて見れば滑稽でもあるな。
 昭和20年はそうではなかった。”ある”と言う前提で生きていたものが実は”無い”と言う話になった。私の家族も”まさか戦争に負けるなどとは気が狂っても思わない、最悪、講和で停戦”と思うものだから内地の財産一切合財処分して台湾で新しい歴史を作ろうとしていたのが驚天動地の結末で昨日まで学校の先生であった父も今日からは台湾人経営の豆腐屋の丁稚、自転車に乗って豆腐を売り歩く、慣れないでひっくり返る、豆腐を道にばらまいてワヤにする、などと言う失態を演じた挙句に本国送還・・・一家族2千円と身に着け、両手に持てるものだけ持って帰ってよい、後は洗いざらい置いてゆけ、ということで白い目で見る親族の元に引き揚げた。
 こうして”見世物小屋を興味津々で覗く”ではない、”茫然自失”から始まったのだ。何が言いたいかって?、前回は暴走の挙句の戦争と言う津波で洗いざらい流されてゼロになったが今回は、・・・・なんと時宜に適った流行、流行語だろう・・・断捨離・・・から始めなければならないのではなかろうか。日本人の密かなる自負”世界の優等生””表彰状受け取り登壇総代”なる”既得権”を諦める、捨てる、その勇気とそこからまた立ち上がるとの元々持っているDNA信頼が今必要ではないのか?
 元禄武士が吉原で遊興三昧に明け暮れ”腰の刀が重くてたまらぬ”と嘯いていたのが幕末になって”赤鬼青鬼がやって来る、これは一大事”となった時に発揮した瞬発力はつまり”危機に際しては猛烈な強さを発揮する”DNAのせいでしょう。既得権にしがみついてあっちひねくりこっちパチ当てなど最早限界ではないでしょうか?一切合財坊さん払いして一からやり直し、”どうじゃ見て見ろ、日本人の底力、悔しかったら真似して見ろ、船も車も家電もいITもくれてやるよ”ってならないかな、そんな風に国民に”火を点ける”政治家が欲しい。
 

頭が悪いのかな

2012年06月22日 23時31分03秒 | 日記
 頭が悪いのかな?・・・どっちに言う言葉かなと迷う。何の話だ?
 神社に行って”家内安全・商売繁盛”と何万遍繰り返しても神さんは聞いていない。そういうのを聴く耳が神さんにはない。”景気対策”と言う言葉を聴くとこれを思い出す。増税論議の前に景気対策を、と仰る。”景気対策、景気対策”と、もう過去何度も聴いて”またそれか!”とウンザリしている。”そう言うならさっさとやればいいじゃないか、何故やらない、出来ないんだろう、本当は、どうしていいか解らないんだろう??”。
 かつて在籍した会社の社長は売り込み相手の会社の経営トップのところに行って机上の空論を展開する。片足のほんの少しを現実に突っ込んでいるから相手はころりと騙される。こういうのを山師と言うのではなかろうか。我々実務家に言わせれば”出来ない”ことが空中では出来る話になるのだ。夜中の夢とうつつ合い半ばする魔の時のアイデアみたいなものだ。万里の長城も空中の論議でなら出来る。どこそこから石を切り出し、何処そこでレンガを焼いてどこそこに運搬して・・・と言う具合に。そうこうして仕事が実務レベルに降りて来るとポシャる。BASIC言語でC言語レベルのことが出来るはずがないのに空中論議では出来ることが前提になっている。
 消費税増税論議に反対と言うなら、”それをやった場合のシミュレーションを示し、その結果首尾がよくないから対案としてこうすべきだ、その現実性は・・・”の論議をしてみせるべきだ。しかしそれは見たことも聴いたこともない。そういう愚劣なことは我々実務の技術者の間では通用しない。造船設計実務、まあ私の守備範囲は艤装、即ち車で言えば車体にくっつけるいろいろな装備に相当するが、そういったものの選定、発注、装備、設計だが・・・決められた工程内に決められた予算に沿ってともかく答えを出さなくてはならない。要点は昔の陸軍の兵站部訓練と同じ、少々の誤差はあるさ、匍匐前進、そりゃそうだが多少立って走ってでも早いほうが勝ち!、の要領、”当たらずとも遠からずさ”、であった。
 陸軍幼年学校なんか入学するときはチビで制服などだぶだぶ、これぞダンブクロの姿だったが一年するころにはドンピシャの姿になったものだ。体を服に合わせろと言うのだ。今は、特に日本を引っ張る人々にはこの動物的勘裏付けによる大まかいい加減強引さがないように思う。
 したり顔の論議など聞き飽きた。国民の生活が第一と言うならもっと具体的に”生活とは何のことか”、から始めてそれがどういう理由で第一でなければならないのか、何を以って第一に成し得るのか、その現実性は、その作業工程は、等々『具体的に、俺がやるならこうするんだ』と解説して見せなければ我々実務者は鼻もひっかけないぜ。会議でそんな馬鹿な発言をすれば来島どっくの坪内社長からたたき出されるよ。
 私が尊敬する池田勇人総理はその経済政策について学生が騒いだ時に”私の政策に異論があるならデモをするのではなくノートと鉛筆を持って私のところに来なさい”と仰ったようだが今まさにこのように言える政治家は残念ながら居ない。”国民の生活が第一”、”景気対策”、”商売繁盛家内安全”何百回何千回何万回、手をすり合わせて唱えても日本神界の神さんは聞いていません。
 今の日本は最早昭和の延長上には居ない、と言う苦い思いをホネの髄まで味わって捨てなければならないものが有りはしないか?ここに洞察力が要る、”暗い洞穴を覗いてそこに何が居るかを推量判断決断する力”が要る。世界全体をめがねに写しそのレンズの向うに焦点を結ぶ何かを見極める必要があろう。聖書を読んでいるのはそれを考えるからだ。

近々何かが起こるのではなかろうか

2012年06月21日 09時06分17秒 | 日記
 ずっと造船に関与して来た。これは構造不況業種と言って大体10年に一度ぐらいの間隔で1,2年の不況がある。数回経験した。ところが2009年辺りから始まった不況は未だ回復の展望がない。少し様子が変だと思っている。同業者に聞いてみたがどこの造船所も仕事が切れかかっている一方で新規の受注がない様子だ。韓国、中国に抜かれてしまっているのだから仕方もなかろうと思うがその国々でもどうやら状況は良くないような記事が見える。荷動きがないのだ。荷動きがないと言うことは結局物が売れないのだ。
 大学や大学院を出て職がない若者のことは前に書いた。教員採用試験をもう十回も受けている人も居るとか言う。
 昨日国民健康保険税の税額通知があった。40年間真面目に働いて年金税を納めていたが最近は年金上限が20万前後、それが何やかやと理由を付けられて19万以下に下がり始めている。それにしては健康保険税は額が大きいと思った。でもこれが世界に冠たる医療制度を維持するものならば協力しなければならないと思う。因みに、医療と言えば歯の治療ぐらいしか経験がない、肥後国百姓の頑健な体を先祖から戴いている。
 しかし、不況で収入もままならぬ息子たちの苦境を考えると夜も眠れない。同じ思いの親は多かろう。
 こうしてこれらの解決策はあろうかと考えると思考のどうどうめぐりになって最早現在までの仕組みではどうにもならないのではないかとの思いに到る。
 南の王の配下にあった中東、アフリカ諸国は既に北の王が溢れかえって過ぎ去った国内が混沌として再び昔日の勢力を回復できないように見える。一方北の王配下の諸国もユーロ圏金融危機で青息吐息と言ったところか。これらの埒外にあるかに見える中国も東南アジア諸国もグローバリズムの洗礼によってドミノのどこかの駒が倒れればアッと言う間に影響を受けるであろう。
 こうして、一旦どこかが破綻すると世界中が混沌混迷に陥るように見える。多分これが洗浄、浄化の時であろう。
 その時、浄化に続く人間社会の在り様をお手本として示さなければならないのが日本人であるように思う。この自覚、見識、認識が今の政治家にない。いや、神さんは多分政治家などに期待していない。この国で最も信頼の置ける、もっともまっとうな人々、つまり”もの言わぬ一般大衆”だが、そこを覚醒させようとしているように感じる。宇宙の一大事の時の為に隠されて保存された国、それが日本だと思う。大祓祝詞にちゃんと書いてある。みなさん早く覚醒してください。