夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

人生・運命

2013年03月30日 08時54分06秒 | 日記
 昨夜長男が面白い事を言って来たので覚えの為に書き留める。曰く、人並びにその人生或いは運命と言うものはその基本的人格・・・これは色即是空の空の範疇にある・・・が、地球上三次元世界に現象化した映像である。

 なるほど、ならば運を変えたければ基本的人格をどうにかしなければならない。しかし、およそこの部分は母の胎内に宿った時に素材は揃っていて三歳までにそれが脚色されて人格は決まってしまう、・・・だから三つ子の魂百までと言う。・・・であるから見よ、小学校の同窓会に出て暫くするとそこに老人は居なくなる、つまり子供の頃と人は殆ど変わらない。
 この相互に異次元の世界、『念の世界』と『現象の世界』を謂わば繋ぎ、現象界から念の世界にアクセスしようとする試みがつまり坐禅であろう。

QUO VADIZ

2013年03月29日 13時58分46秒 | 日記
 クオ ヴァディス!、主よ何処へ行き給う、とペテロは聴いた。”あなたが逃れて来たローマへ!”とイエス・キリストは答えた。それを聞いてペテロは折角逃れた迫害の渦中に戻って行った。十字架の死の後、復活したイエス・キリストは何人かの弟子たちにその姿を見せた。
 元々イエスを迫害したグループ・・・学者パリサイ人、の仲間であったサウロはしかしガザに於いてイエス・キリストからの強烈な光による目くらましにあって回心して熱心なキリスト教者となった、と言われる。どうしてイエス・キリストは姿を見せてサウロを諭さなかったのか??強烈な光で盲にするなどと言う謂わば邪道をやったのか?
 それが怪しい。新約聖書を読んでみればサウロ、のちのパウロが書いた書簡が他の書と全く趣を異にして浮いていることが判る。極めて晦渋な言い回しを以て単純明快なイエス・キリストの教えを荘重な言い回しによる倫理道徳律にスリ変え、”天の王国”をはぐらかした。その流れがキリスト教会の”饒舌”や”愛の奉仕”を産んだ。

 人間は言葉では悟りに至らない。言葉は顕在意識、現象界のものであり、それが人間を動かす力にはなり得ない。一方、日本の神道は何も論がない。あるのは”神ここに在す”との前提での祭祀である。人はこれを見る、これに参加する、それを以て言葉では言い現せない認識に到る。その認識の中に神霊が降りる、降りるから例えば東日本大震災、津波、原発事故に際して人間としてまっとうな判断行動が生まれる。
 世界はますます宗教から離れる、一方でますます日本に惹かれるようになる、神社に詣でて何故か心落ち着く不思議にとりつかれる、ようになる。

議を論うことの無意味

2013年03月29日 13時35分10秒 | 日記
 エホバの証人を止めた直近の原因は”あらゆることに議を言う”下品さにうんざりしたことである。それから、キリスト教会に行ってみた。そこで図書にあった神学の書籍やカルヴァンのキリスト教綱要などを読んでみた。
 ああ、これもまた単なる”論”に過ぎない、要するに”顕在意識”で”ああでもないこうでもない”と物事を論うに過ぎない、何も変わらない、と思って止めた。
 ローマ法王が”弱者に寄り添う”ことを表明しているようだがこれもまた”顕在意識の世界”でのこと、ナポレオン・ヒルの”思考は現実化する”と同一次元にある。言葉でなら万里の長城だって出来るのだ。少年院に行って子供達の脚を洗うことによって三重冠の頂点にある神のご意思をはぐらかすか?!そのような些事は末端の信者がするならまあ解る、教会の頂点にある人が神のみこころを全世界に向かって説かずにそのような事を行なうならその存在意義はないのではないか?
 では”神のみこころ”とは何か?と言えば、”人類はその発祥以来、悪い夢にうなされている、早く醒めよ”と言うことではないか。旧約聖書にも新約聖書にも神が”眠りこけ悪夢を見続けている人類の枕を蹴飛ばす時”を暗示しているではないか。
 お得意のジェスチュアかもしれないが北朝鮮は弾道弾とやらをアメリカ本土にも照準を当てたようだが、もしもこれを本気で発射したら世界は多分破滅しよう。キリスト教会は全宇宙創世の全能の神が存在し、人類に関心を向けていることを前提として存在している。それなれば今こそ声を大にして”悪夢から醒めるべき時が来た”と表明しなければならない。

たわけた”東アジア共同体”発言

2013年03月29日 11時46分03秒 | 日記
 これぞ独善家族土壌で深窓令嬢が純粋培養した花ボクチャンの花構想だ。花発言の収拾をつけられずオバマに睨まれて上目使いに固まっているあの写真がまるでヘビに睨まれたカエルみたいだった。・・・実は私はその同類だった、だからピンと来るのだ! 
 蝶よ花よで母親が舐めるように私を容造り”独善女の小心とその反動としての尊大”さによって”勉強勉強躾シツケ、一般大衆下がりおろう”と、”小心翼翼お人形さんみたいに可愛く美しい少年”としてお勉強のクセをつけさせられ、上目遣いに母親の意向を察して行動する青年に成長した。
 背中に絵を描いた工員下請けもいるような社会会社でそんな青年が通用するもんか。でも世界が花社会だと勘違いしていたから花強がりを言って左から弾かれ右からぶつかり上から抑えられ下から掬われコワレテしまった。これが私の半生。この謂わば鉄火場をくぐった後の拙者を見て”若い頃は綺麗な顔をしていたのにキタナイ顔になって・・・”と母は嘆いた。ザマア見ろ!煮ても焼いても喰えない猜疑心の強い人間になってしまった。
 何だか話が逸れた、まあ、男子は全て『親殺し』をしないと一人前にはならない。”遊んでばかりいないで政党でも作りなさい”と金をもらうようでは・・・(そんな記事を読んだことがあるぞ)
 欧州はローマ帝国を創ったラテン人と寒冷化と中央アジアからの異民族に押されるようにして南下したゲルマン人の混血であり言語もラテン系語とゲルマン系語で構成されている。無論、フン族、マジャール人、モンゴル族なども少しは混じっていようが、まあスパイス程度。ローマ帝国は後に西と東に分裂し西ローマ、神聖ローマ、そして現代の西ヨーロッパにつながる。
 一方東ローマはビザンチンを経てロマノフ王朝のロシアにつながる、が、その両方ともキリスト教会が人々の心を支配する権威として世俗の権威の上にあった。世俗の権威、つまり政治はキリスト教会を差し置いて人々を支配できなかった。・・・日本の神道・皇室と幕府の関係に似ているではないか。
 従って欧州共同体と言う話は別段異常でも何でもない、遠い親戚、疎遠になっていた親戚ともう一度一緒にやろう、と言うような話だろう。しかし東アジアはどこを見ても共通点はない。早い話が赤の他人である。言葉も通じない。それが一つ屋根の下に暮らそうなどとはまっとうな神経を持つ人間なら当然ムリと判断する。
 それを真顔で言うとはアンタ教養も洞察もないね、と言いたい。
 ところで、・・・宮崎に行くと公園に『八紘一宇』と書いた大きい石碑がある。戦前に言われたことだ。元々は八紘為宇・・・”多くの民族を統合して一家と為す”と言う意味だと聞いたことがある。詳細を知りもしない主義者運動家善意者などが”植民地支配”などと我らが先祖・・・つまりはあんたがたのおじいさんおばあさんお父さんお母さんだよ・・・を罵るが、当時の日本人にはそういう観念があった。
 まあ、幼稚と言えば幼稚、お人好しと言えばお人好し、植民地とは”搾取するところ”との西洋人の概念を知らなかったのか植民地とは”日本本国と同じようにするところ”と考えて優秀な人材と国費を送り込んで、例えば台湾などは日本本国よりも豊かにしてしまった。
 満州朝鮮だってそうだ。しかし見てみよ、心血を注いで開発しインフラを整備し骨を埋めた人材もあったにかかわらず日本の統治をそれなりに評価しているのはただの一国。詳細事情を探求詮索もせずスローガンに踊って我らが先祖を悪し様に言う、それどころかそのお先棒を担ぐ日本人もいる・・・クソ忌々しい!!。
 これらを考えれば”東アジア共同体”などと言うのは花ボッチャン・・農の言葉で言えば”花子(ハナゴ)”の絵空事でしかない。ボーヤが言うならまだ許せるがれっきとした”男”の”大人”の、それも”政治家”が言うとは、それに票を入れたとは日本人も随分とだらしなくなったものだ。
 侍の誇り、商人の気概、百姓の気骨、職人の頑固はどこに捨てたのかね。

人間が関わる全てのことには終わりがある

2013年03月28日 14時05分11秒 | 日記
 どんなに繁栄している国にも社会にも組織にも会社にも人にも必ず終わりというものがある。どんな苦労にも悩みにも必ず終わりというものがある。それらがどのように終わるかは別として”自分の今は過ぎ去る、永遠ではない”と言う思いは今繁栄している人を謙遜にし、今苦労している人に慰めと勇気と忍耐を与える。
 人類は行くところまで行って核爆弾を手にした。これを使えば、”敵を呪えば穴二つ”が実際に起こる。つまり使えなくなって”遠吠えのお札”にしかならない。これを思えば、人類が営々と築いて来た文明なるものが”何の値打ちもない”と解る。立派な宗教や立派な思想信条を築いて諍いをしている。素晴らしい科学技術で驚異の兵器を造り核爆弾を造り、三すくみになっている。
 何と愚かなことか。『何事も放てば満つる』と言った仏弟子の言葉を人類は今、考えなければならない。
 私は考える、自滅兵器を持った今、人類は無駄な抵抗は止めて命運を天の配慮に委ねるべきである。・・・できないだろうなあ・・・。しかしひとつだけ道がある。世界中が日本に倣うことである。