夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

日本の責任

2017年01月02日 16時27分25秒 | 日記
 我々の先祖は奴隷状態にあったエジプトから救出され、紅海の水が割れると言う奇跡を、荒野を彷徨う40年を空から落ちるマナなる食料で命を繋ぐ奇跡を、体験しながらなお守護の神を信頼せず周辺諸族に攻められると何処かに頼ろうとし、兵の数を数え、他国の娘の色香に迷ってついに守護の神を捨てた、そして歴史の闇に散らされて消えた。
 明治維新以降、日本は戦費は借りたが他国の戦力に頼った事はなく国益の為に孤立無援で戦った。義和団の乱鎮圧の主戦力は日本だった。先祖よりマシだったと思う。1945年以降、我々はがんじがらめに縛られ、蹴られ、殴られ、洗脳された。それによって頭の部分は今日見る通り狂牛病のスポンジ脳になってしまったが首から下、つまり額に汗して働く人々は健全だったと思う。むしろよくも70年を持ちこたえたと思う。
 この秘密は何だったろうか?ひとつには皇室、ひとつには全国各地に無数に存在する神社とその祭礼、そこへの参詣、年中行事への参加、が日本人の無意識の領域を保護し、紐帯を堅固なものにしていた、と思う。教育などと言う薄っぺらなものではない。
 2016年暮れの真珠湾献花、あれは日本を縛っていた銅と鉄の縛りの解除を告げるものであり、同時に地上世界覇権の移譲式典でもあった。間もなく多くの日本人が自分が何者であったかを想い出す、日本と言う樹はふたたび亭々と繁茂し始めるだろう。
 しかしキリスト教文化圏は崩壊するかもしれない。私はキリスト教なるものが表面的に語る慈愛と救いの言葉の下に世界秩序擾乱の種を内包していると見ているがそこから派生した欧州の文化芸術が損なわれることを恐れている。力を取り戻した日本はあの正倉院のように、貴重な遺産を護らなければならないと思っている・・新世界の中心として!

戦後70年の意味

2017年01月02日 11時39分06秒 | 日記
 70年の拘束が解かれ日本は蘇り人々に正気が戻り始める。何故【70】年なのか?
 地上世界覇権の推移については古代バビロニアのネブカドネザル王の夢に現れた【金・銀・銅・鉄・鉄と土塊の像とそれを打つ石】の夢で予告されていた。(旧約ダニエル書1,2章)この中で【石】は日本。
 同ダニエル書4章には別の夢が述べられている。そのあらましは『亭々と茂る樹があった。その木陰に動物が、枝に鳥が、多くの生き物がその恵みを受けていた。そこに天から声があり、この樹を伐り倒し切り株に銅と鉄の帯を掛けて拘束し、而して七つの時を経させよ』というものであった。
 この夢はやがてネブカドネザル王に実現、己の治世の輝かしさを自慢した舌の根も乾かぬうちに王は正気を失い、獣のようになって野に寝起きし、草を食べて七年を過ごした。その七年が終わった時、分別が戻り、王は【いと高きものが此の世を如何様にも成し得る】ことを悟った、と言う物語である。
 この予言書が暗示する樹は日本、伐り倒されたのは1945年、銅と鉄での拘束は日本人の精神・思考の拘束、それによって真っ当な日本は失われ、諸国民のような獣の心(我善しの心)と品位を失った姿で我々は生きた。但し、切株は残っていた、即ち神道や皇室は生きていた。
 1945+70=2015年にその拘束が解かれた。
2016年に日本に正気が戻り始めた。2017年から加速的に日本と言う樹は再び亭々と茂り始める。ではなぜこういう事が起こったのか?かつてのバビロンの王は言う・・・『かくてその日の満ちたるのち我ネブカドネザル目を上げて天を望みしに我が分別我にかえりたれば我、いと高きものに感謝し、そのとこしなえに生きるものを誉めかつ崇めたり。彼の御世は永遠の御世、かれの国は世々限りなし・・・』(ダニエル書4章34節)
 短く言えば『日本人は何故このような苦労をしなければならなかったのですか?』『あなたがたによって私の栄光が顕わされるためであった』となろう。日本人よ、誇りと自覚を持て、我々はその昔シュメールのウルで神に選ばれた人アブラムの子孫であって神の栄光と力と権威を諸国民に示す為に極東の島々に隠し置かれた者共である。(イザヤ書24章15節)
今年から日本には驚くべき慶事が起こり始める。