澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

宮脇淳子 中国の正体・中国人の本性を見誤った政治家・官僚たち

2024年02月05日 20時40分04秒 | 読書

 昨日の「デイリーWiLL」に東洋史家・宮脇淳子が二年ぶりに登場した。宮脇淳子女史は、岡田英弘氏(故人 東京外国語大学名誉教授・東洋史)の妻で、夫君と同じくモンゴル史専攻の学者。

 時に「岡田史観」と呼ばれる岡田英弘の歴史観との出会いは、従来の王朝交代史や中国共産党史観に知らぬ間に呪縛されていた私にとって、実に衝撃的だった。「中国史」は漢民族の歴史ではなく、周辺の民族との興亡の歴史であること、とりわけモンゴル帝国が世界史において果たした役割の重要性を強調したのが岡田英弘だった。
1957年(昭和32年) - 『満文老档』の研究(共同研究)で第47回日本学士院賞受賞[3]。これは史上最年少(26歳)の受賞である。既存の中国正史に追従する中国史学の在り方に異を唱えたことで、日本の史学界では長年異端扱いされた[6]。」(Wikipedia)

 岡田英弘は、長く東京外国語大学に勤めた。

1966年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授に就任[3]1968年、ワシントン大学客員副教授となった( - 1971年[3]1973年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授に昇進[3]1993年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所を定年退官し、名誉教授となった。」(Wikipedia)

 だが、27年にわたる東京外大時代には、大学の学部で授業を受け持つことは一切なかった。アジア・アフリカ言語文化研究所という研究組織に属していたためだが、門外漢から見れば「学生に岡田史観を伝えさせないため」「弟子を育てさせないため」という悪意が感じられる。私が東外大でアジア関係の科目を聴講していた時、たまたま先生(外大の卒業生)に「岡田先生の授業はどうでしたか」と聴いたことがあった。だが、その人は岡田英弘の名前を全く知らなかった。だから、そんな風に勘ぐってしまうのだが‥。

 ともあれ、「岡田史観」を継承する唯一の人・宮脇淳子女史のお元気な姿を見て一安心した。台湾有事が目前に迫るという今、中国共産党史観の欺瞞、虚構性を暴くことができるのは、岡田史観をおいて他はないから。

 

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