太田修は、37年もの間、新聞配達を続けた。
実は彼は「40年間は頑張りたい」と友人たちに決意を語っていたのであるが、あと2軒の時、道で倒れてしまったのだ。
まさかのアクシデントだった。
しばらく道の草むらに横たわっていた。
倒れたのが、コンクリートの道路でなくて幸いした。
午前8時に隣に住む友人の春川治夫に頼んで、自動車で5分の近隣の病院へ連れて行ってもたった。
「貧血ですね。輸血が必要、即入院です」医師のレントゲン撮影と薬剤師らによる血液検査で異常が判明したのだ。
「どういう、ことですか?」
「たぶん、大腸がんです。柏のがんセンタ―を紹介します」
「待ってください。いったん家へ戻ります」
「ダメですよ」検査技師の声が威圧的だったので、「帰ります」と修は態度を硬化させると会計をすまして院内を飛び出すようにして出たのである。
「がん、そんなはずない」彼は道すがら腹立たしくなってきた。
そして、翌日には納得ができずに、歩いて30分の総合病院へ向かった。
内視鏡検査のために、下剤を飲む。
さらに、大腸内をすべてきれいにするために、大量の液体を飲むのである。
院内を「歩いてください」と看護師が言うのだ。
これが実に苦しいのである。
同じように、大量の液体を飲んだ外来患者と「苦しいもんですね」言い合って院内の通路ですれ違う。
その後、トイレへ駆け込み排便する。
30分後には、横たわる枕もとのモニターで自らの大腸の映像を見せられる。
大腸内の奥へ奥へ、正確には上部へ内視鏡は向かっていく。
そして医師は最上部で手を止めると「これですね」と画像を凝視する。
「これが、大腸がんです」
「そうですか」修は画像の黒い影に愕然として納得するほかなかった。
腫瘍は上行結腸に巣くっていたのである。
もしも、大腸がんで入院し、手術をなければ、修は新聞配達を続けていただろう。
実に忌ま忌まし思いであった。