取手通信・ツール・ド茨城の実現へ 利根輪太郎

医学情報社編集顧問
フリージャーナリスト

<積み残された戦災孤児問題>

2017年12月16日 07時12分11秒 | 社会・文化・政治
毎日新聞記者の目

東京学芸部の栗原俊雄記者は、空襲被害など戦後未補償問題の取材を続けている。
1945年3月10日の東京大空襲で多くの孤児が路頭にさまよった。
国が1948年に行った調査によれば、孤児は全国で約12万人。
沖縄の孤児は調査に含まれていない。
大人も飢えていた時代。
引き取り手のない孤児たちの中には、生きるために盗みや恐喝、売春などに手を染める者もいた。
<浮浪児>と呼ばれ、警察の<刈り込み>という取り締まりにあった。
東京・台場に収容所があり、牢屋ではなく、犬のように狭いおりに入れられた。
逃げないように、裸にされていた。
国が始めた戦争の被害者である。
だが、被害の全容把握も、補償する施策もなかった。
それにつながるアカデミズムの体系的な研究も、マスメディアの報道もなかった。
背景には、当事者たちの多くが声を上げてこなかった。
身一つで社会に放り出された子どもたちは、生きていくのがやっと。
長く、補償を求めた法廷闘争や政治運動をする余裕がなかった。
その中で、作家となって、辛かった体験を表現した方のいた。
「国は弱い立場の者ほどやっかいもの扱いをした」
国は元軍人や元軍属は「国との雇用関係」を理由に戦争被害の補償を受けている。
一方、民間の空襲の被害者への補償を国は拒んできた。
一番弱い立場であった子どもたちが、70年以上国に押しつけられた負の遺産の一つ一つ歴史を記録して残すことが、メディアの役割でもある。
政治家の責務でもあるのだ。
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沼田利根の友人の中にも、戦災孤児がいて悲惨な体験を聞いている。
あまりにも、国は身勝手で理不尽である。
司法ですら国側で、あてにならないのである。
声をあげないで多くの戦災孤児たちは亡くなっていっているのだ。
両国の自宅跡地を他人に奪われた北村虎雄さんは、1945年3月10日、7歳。
疎開先から戻った時には、他人が自宅跡地にバラック住宅を建てて居座っていた。
「ここは、僕の家だった土地だよ」と抗議をしても子どもだったので、「この浮浪児、どこかえ行け」と追い返されたのだ。
「虎さん、さぞや悔しかったですね」
「悔しくて、地団太踏んだよ」
巣鴨や湯島、水道橋の居酒屋で虎さんとはよく酒を飲んだ。
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文学の力

2017年12月15日 07時28分14秒 | 社会・文化・政治
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である」
世界人権宣言の文言である。
1948年12月10日、国連で採択され、この日を人権デーと定め、人権尊重を国連が世界へ訴えてきた。
だが今日、紛争やテロ、貧困、飢餓、差別、虐待など、世界の現実は過酷。
人権宣言の理想は遠くかすむ幻のように映る。

文学の力

「私は文学作品を書くのではない。信仰の作品を書くのだ」
「灰の中で眠っている、人々の魂の火を覚醒させること。そのための英雄が必要だ」
「思想や力の英雄ではない。心情によって偉大だった人々だけを、私は英雄と呼ぶ」フランスの作家・ロマン・ローラン
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「自分たちの知らない世界」

2017年12月15日 05時48分14秒 | 社会・文化・政治
今は世の中の無関心な時代と言われていますが、実はみんな「自分たちの知らない世界」を知りたがっている。
知らない世界とは、一つは、「殺人者の息子が何をしゃべるか聞きたい」という素朴な好奇心を満たす世界。
もう一つは、今の日本の社会システムの中で隠されている現実の世界です。
そこに光を当てれば、みんな注目する。
<ホンモノ>への要求は、昔より今の方が強いのではないかと感じます。
今の世界に矛盾があるんじゃないかという世間の疑問は強い。
その問いに答える番組を作るのが、メディアの役割だと考えます。
男女6人が殺害された「連続監禁殺人20年後の番組」のフジテレビのドキュメント制作TVプロデューサー張江泰之さん

番組は9歳で警察に保護された加害者の息子の証言から描いた。
両親が被害者に拷問や虐待を繰り返した光景を鮮明に語った。
自分も浴槽に顔を沈められる水責めを受けたり、包丁を突き付けられたりすることを打ち明けた。
両親が出生届をださなかったため、戸籍のない子として育ち、保護されるまで小学校へ通えなかった。
その後入所した児童養護施設では「加害者の子」として孤立したことも振り返っている。
生活がすさみ、施設を飛び出して住所不定となって高校を退学。
職を転々とする生活を送ったことも語っており、加害者の家族に対する社会の冷たさが浮き彫りになった。
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北朝鮮への帰還事業

2017年12月14日 09時01分21秒 | 社会・文化・政治
1959年に始まった北朝鮮への帰還事業で、約9万3000人の在日朝鮮人が海を渡った。
革新政党や文化人、新聞までが帰還をあおった。
「北朝鮮の社会主義建設はめざましい・・・。近代的ビルが並び、それはことごとく労働者の住宅」(1959年12月26日の朝日新聞)

在日朝鮮人の帰還事業とは、1950年代から1984年にかけて行なわれた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住のこと。

北朝鮮では帰国事業と呼び、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)が推進した運動という側面からは帰国運動。
または帰還運動と呼ばれる。
朝鮮総連と対立関係にあった在日本大韓民国居留民団の立場からは、北送事業と呼び、「在日韓国(朝鮮)人の追放を計画した日本の政策に北朝鮮が便乗したもの」との主張がある。
日本と北朝鮮には国交が存在しなかったため、日本赤十字社(日赤)と朝鮮赤十字会(朝赤)によって実務が行なわれた。1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し[2]、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
93,340人が北朝鮮へと渡り、そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や子といった日本国籍保持者だった。在日朝鮮人は日本から地理的に近い朝鮮半島南部の出身者が多かったが、そのような者にとっては、祖国ではあるが異郷への帰還となった。
帰国船の費用は北朝鮮が負担し、事業の後期には万景峰号(初代)が使われている。
日朝間を頻繁に行き来する帰国船は、北朝鮮による朝鮮総連への指導・連絡や日本・韓国への工作員送り込みにも利用された。
吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。
このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。
1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」。
さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。

吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。
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ノーベル賞の役割

2017年12月13日 14時19分00秒 | 社会・文化・政治
奇しくも、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんは長崎市生まれであった。
母親は被爆者であり、ノーベル賞と平和を促進する役割について教えられていた。
母親の声に「特別な感情がこもっ」ており、印象に残ったという。
「私の街、長崎が原爆によって壊滅的な被害を受けてから14年しかたっておらず、まだ年端のいかない私でも、平和とは何か大切なものであること、それがなければ恐ろしいものがこの世界を襲うかもしれないことが分かってた」
「共同体が分裂して集団が敵対する時代」の中、ノーベル賞の役割について、「私たちが自分たちを分断している壁を越えてものを考えられるよう助けてくれ、人間として共に闘わねばならないことは何かを思い出させてくれる」と述べた。

「生きているうちに核廃絶を」という被爆者の願いと現実とのギャップはあまりにも大きい。
「核兵器は絶対悪」
ノーベル平和賞の受賞団体である「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)。
「これまで核戦争が起きなかったのは賢明な指導者のおかげではなく、運が良かっただけだ」
「私たちは偽りの核の傘の下で暮らしている。核兵器は私たちを安全になどしない」
ICANベアトリス・フィン事務局長

今日に至るまで核軍拡競争は続いている。
核による人類滅亡の脅威を永久になくしてほしい。
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若者の意識の変革を

2017年12月12日 12時40分22秒 | 社会・文化・政治
人口減少は国の存続にとって最大の危機。
子育て政策の充実と国民の意識改革が急務。
公的な住宅手当や家族手当が充実しているフランス。
保育所は無料で、大学も無料。
学生のときに子どもを産むのことも珍しくない。
フランスは個人でなく社会全体が寛容であり、社会保障の制度がそれを認めている。
雇用が不安定で、所得上昇に期待が持てない日本の若者たち。
だが、一人より二人の方が実際に生活は安定し、豊かになる。
そのことを浸透させることではないだろうか。
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1日1個のリンゴは医師を遠ざける

2017年12月10日 19時43分13秒 | 社会・文化・政治
リンゴはバラ科リンゴ属の木になる果物。
リンゴはクエン酸を多く含み、腸内細菌を整えて胃腸の働きを助けたり、疲労回復にも役立つ。
皮にはポリフェノールが多く含まれている。
<リンゴポリフェノール>と呼ばれ、抗酸化作用があり、アンチエイジングにも勧められている。
リンゴは皮にも豊富な栄養が含まれているので皮ごと食べるてもいい。
<1日1個のリンゴは医師を遠ざける>と言われている。
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核兵器は非人道的

2017年12月09日 09時35分53秒 | 社会・文化・政治
市民団体「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ISAN=アイキャン)にノーベル平和賞。
「広島と長崎の経験は比類のないもの。被爆者の話を聞いた人は誰もが核兵器は非人道的だと感じる」ISANのベアトリス・フィン事務局長(35)と話している。
被爆国日本であるが、核兵器禁止条約交渉の場にすら日本がいない。
原爆の悲惨さを最もよく知る立場の日本。
「強い動機がなければ、運動は形骸化する」
その意味で北朝鮮の問題は、現実の危機を突き付けている。
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中国の日本研究者が考える両国友好

2017年12月07日 20時50分12秒 | 社会・文化・政治
未来志向の対話を

中国と日本には、漢字をはじめ共有する多くの文化、友好往来の長い歴史がある。
中でも、青少年同士の交流促進が重要である。
可能性を秘めた両国の若者たちの交流があってこそ、中国と日本の関係はよりよく発展し、盤石なものとなるのではないだろうか。
両国の首脳会談。
経済と文化の交流の推進。
大局観にたち、アジアの平和など、相互の利益となる事案を中心に協力関係を深化させていくことが大事だ。
現在の中国の指導部の理念は「人類運命共同体」の思想だ。
日本研究を担う人材を育成している中華日本学会。
中国が直面している諸課題は、どれも日本が向き合ってきた問題だ。
これらについては、日本から学ぶことが可能だ。
両国間の状況が芳しくない時は、中国と日本の友好を築いてきた先駆者たちの知恵を思い出すべきだ。
友好のためのたゆみない努力こそ、両国間の国民の感情を良好んものとする。
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中国共産党と世界政党の上層部対話会

2017年12月07日 19時53分07秒 | 社会・文化・政治
「大国の外交」の自信を反映

発信時間:2017-12-01 10:32:48 | チャイナネット |
「中国共産党と世界政党の上層部対話会」が11月30日から12月3日にかけて北京で開かれ、120数カ国の200人以上の政党・政治組織指導者が出席する。米オンライン誌『ザ・ディプロマット』は29日「これは中国共産党が初めて開催する世界各国の政党上層部との会議で、中国共産党が世界的により大きな声を出そうとしているというシグナルを伝えた」と報じた。

今回の対話会は中国共産党第19回全国代表大会(第19回党大会)後に中国で初めて開かれる多国籍外交活動であり、中国共産党にとって初の世界各種政党と開く上層部対話でもある。
テーマは「人類運命共同体の構築、素晴らしい世界の共同建設:政党の責任」。
会議の日程によると、12月1日午後に上層部対話会の開幕式が開かれる。習近平中共中央総書記・国家主席が開幕式に出席し、基調演説を行う。
カンボジア自民党議長のフン・セン首相、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問、欧州対外行動局事務次長、タンザニア革命党のキナナ書記長、エチオピア人民革命民主戦線副議長、ベトナム共産党代表団、中東政党高官視察団、レバノン政党高官視察団など、対話会に出席する各国の代表者が続々と北京入りし、中国側の高官と会談している。
ロヒンギャ問題の影響が広がるなか、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問の訪中、同対話会への出席が世界から注目されている。
ミャンマー通信社によると、アウン・サン・スー・チー氏は昨年8月に訪中していた。
ミャンマーは中国との関係発展を高度に重視しており、今回の訪問により両国の協力水準を引き上げることに期待している。
アウン・サン・スー・チー氏はミャンマー国民民主連盟と中国共産党との関係を深め、両党の相互信頼と協力を引き続き促進しようとしている。
米NYタイムズは11月30日「ミャンマーの高官による訪中はこの1週間で2人目だ。
ミャンマー国防軍のミン・アウン・フライン総司令が訪中し、中国最高指導者と会見したばかりだ。西側諸国がミャンマーを批判するなか、中国はミャンマーをより近くに引き寄せた」と報じた。
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日本では公明党が中国共産党の招請を受け、対話会に出席した。
「中国と各国との関係を深めるには、政府間だけでなく、政党間の交流も重要だというのが中国共産党中央対外連絡部の認識だ」と公明党の山口那津男代表は11月20日の記者会見で目的を説明した。

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取手本部敢闘会 次回は1月28日、日曜日

2017年12月07日 13時14分04秒 | 社会・文化・政治
取手本部敢闘会が12月7日、大利根支部の相米宅で開かれた。
何時もは10時開始であるが、本日は30分遅い開催であった。
今回、初めて竹内副敢闘長も参加した。
次回の会合について、各敢闘長、幹事から意見を求めた。
会員だけではなく、一般の方の参加も期待する声もあり、次回の会合は1月28日、日曜日に決まった。
敢闘会は通常、平日の会合であるが初めて休日に開催し、多くの人に参加してもらうことになった。
予定では外部の講師を招き、セミナーを行うが詳細はこれから決め、1月中旬には式次第を会員に配布する。
訪問して会員と対話をすることで、未参加の会員や未入会の人に参加を呼びかけることになった。
なお、前回の会合での記念写真はピントが外れていた。
1月の会合で撮り直す予定だ。
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<いかに生きるか>
<何のために生きるのか>
人生の目的観に、まず焦点を当てられるかどうかである。
<生きる喜び>にあふれていれば幸である。

苦悩や病があっても、それに打ちのめされない。
負けない心、強い心、広い心、豊かな心、柔軟(しなやか)な心。
<生涯青春>の心意気で生きるのが理想。
人に尽くせる生き方を貫きたいものだ。
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映画「写真甲子園」 生涯、挑戦の姿勢を

2017年12月06日 21時53分34秒 | 社会・文化・政治
2011年3月の東日本大震災で、映画がつくれなくなったつという、映画監督の菅原浩志さん。
被災後、すぐに被災地に入った。
「私の価値観は180度、ひっくり返りました。何を基準に生きていけばいいのか、分からなくなった。この時、映画の全てが<作りもの>にしか見えなくなり、うそ臭くて、映画が何の役に立つのかを問い続け、しばらく作れなくなりました」
「3年間は、事故を起こした福島原発から20㌔圏内の浪江町に拠点を構え、ドキメンタリー(記録映像作品)を撮りました」
「自分の映像を通して、見る人に何が届くのか」と自問自答を繰り返しながら被災者の<声なき声>をしっかり聞くことだけびに集中しました。

「3・11」を契機に、映像に関わる人間としての責任の重さを痛感しました。
真実を伝えたい。
芝居と音楽で構成する映画の中にも真実がなければならないし、本物がなければならない。
こう強烈に意識するようになったのです。
映画「写真甲子園」
写真甲子園に参加する高校生たちは、ものすごい挑戦をしています。
挑戦した人だけが見える世界がある。
-このメッセージを、映画を通して伝えたかった。
「自分にはできない」「やっても無駄」と、行動しない人が増えています。
そうではなく、無駄かもしれないし、失敗するかもしれない。
それでも自分の限界に挑むことで、自分が考えてもみなかったような新しい世界が見えてくる。
次の道が開ける。
ですから、自分を諦めないでください。
生涯、挑戦の姿勢を持ち続けてほしいのです。
そのためには<勇気>です。
日本の社会は<勇気を出すことが、どういうことか>を、きちんと教えていない。
自分の殻を破るのも、本当の正義を実現するために前へ進むのも、勇気です。
では、どうすれば勇気が出るのか。
<自分の好きなことを見つけること>です。
好きなことであれば、挑戦することもいとわないし、怖くないでしょう。
好きなことが見つからない人は、好きになれそうなものを探すことです。
私は、人間が生きるうえで本当に大切なものを、きちんと映像で伝えていきたいと思っています。


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解説
毎年北海道で行われる「全国高等学校写真選手権大会」をテーマに、大会に挑む高校生たちを描いた青春ドラマ。通称「写真甲子園」に出場する高校生たちが日本一を目指して、奮闘する姿を映す。メガホンを取るのは『ぼくらの七日間戦争』などの菅原浩志。菅原監督作『早咲きの花』の笠菜月や『オー・マイ・ゼット!』などの萩原利久のほか、写真家の立木義浩や竹田津実も出演。

あらすじ
大阪の関西学園写真部の尾山夢叶(笠菜月)たち3人の部員は「全国高等学校写真選手権大会」通称・写真甲子園に出場して、挑戦した人だけが見える世界を体験したいと思っていた。一方、東京の桜ヶ丘学園唯一の写真部員、椿山翔太(甲斐翔真)は3人でチームを組む写真甲子園のために仲間を集めた。そして、北海道の東川町で行われる写真甲子園に彼らを含む選抜18校が集結。頂点を目指し、彼らは夢中でシャッターを切る。


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寛容と慈悲の精神

2017年12月06日 20時45分32秒 | 社会・文化・政治
政治レベルの友好に加えて、民間レベルでいかに国と国との友好を築くことができるかである。
偉大な精神も、未来に継承されてこそ真の輝きを放つ。

いかなる差異や変化を超えて、常に心を一致させていく共通の指標、理念。
平和と文化と教育の揺るぎない連帯を深め、広げていく。
平和と人道の歴史を開いていく。
「対話の力」が不可欠。
生命と生命のふれ合い。
友好も一人から始まる。

人類にとって平和こそが最も大切である。
他者への寛容と慈悲の精神を根底として。
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<子どものための社会>の構築

2017年12月06日 11時53分04秒 | 社会・文化・政治
自分の運命は自分で変える。

人を真剣に励ませば、かえって自分が励まされ勇気をもらう。
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<子どもの権利>は十分守られている社会であるのだろうか。
昨年度の児童虐待に関する相談所への相談件数は、過去最多で12万件を超えた。
生命の尊厳の観点から信じ難いことだ。
7人に1人の子どもが貧困状態にある。
諸問題の課題の解決を困難にしている要因の一つに、家庭・地域の<つながりの希薄化>
今、求められているのは、現実を捉えた制度改革とともに、子ども観の転換とされている。
まず、子育てを<家庭の問題>から<社会の問題>にシフトしていく必要がある。
子どもの育成の鍵を握るのは、<親><学校の先生>に加え<地域の大人>である。

子どもたちは、一個の尊重されるべき人格、権利を持った主体-という子ども観を共有することが重要だ。
<子どもらしい自己実現>という指向性である。
子どもは主役であり、親の属性ではない。
<子どものための社会>の構築が期待される。
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若者に寄り添う体制を

2017年12月06日 09時08分46秒 | 社会・文化・政治
いま「寛容」の度量が問われている。
寛容さを欠けば、排他的な違和感である。

「死にたい」「生きる価値がない」
自らが自身に不寛容になり、自身を排他する志向になっているのだろう。

将来に夢や希望を持つのが難しい時代でもある。
手を伸べ、寄り添う体制づくりが求められている。
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