■出演
レニングラード・カウボーイズ、マッティ・ペロンパー、カリ・ヴァーナネン、ジム・ジャームッシュほか
▼誰にも何も頼らず生きる人などいないはずだ。
自立とは「依存先を増やすこと」とも言える。
ある時は支えられ側だった人が、別の機会には支える側になることがある。
双方の励ましで前進することの連帯を広げることだ。
▼若い生命よ尊い使命に生きることだ。
平和と共生の世界建設へ。
▼祈りとは変革の力だ。
▼小さな奮闘の中で多くの偉業がなされる―ゲーテ
地道な対話こそ平和の礎である。
▼勝利の栄冠は、時を逃さず、先んじて行動する人の頭上に輝く。
明日の勝利の因は、今の決意と行動にこそある。
3月8日午前4時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。
『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(Leningrad Cowboys Go America)は、1989年に公開されたフィンランド・スウェーデン共同製作、アキ・カウリスマキ監督のコメディ・ロードムービー。
概要
架空のバンド「レニングラード・カウボーイズ」が、故郷シベリアからアメリカに渡りメキシコまでを旅するロードムービー。
レニングラード・カウボーイズの奇抜な出で立ちと、ポルカに始まりロックンロールなどアメリカ各地の影響を受けて変化していく彼らの演奏、とぼけた物語展開が魅力のコメディ映画である。
極端に長いクイッフととんがりブーツがトレードマークの「レニングラード・カウボーイズ」は、シベリアの片田舎で活動する時代錯誤のアマチュアバンド。商業的な成功を夢見ているが、追っかけてくるファンは村の愚か者イゴール(カリ・ヴァーナネン)だけ。
ここでは芽が出ないと悟ったマネージャーのウラジミール(マッティ・ペロンパー)は、屋外練習で凍り付いたメンバーを含む一行を率いてアメリカへ赴く。
ニューヨークにたどり着いた一行だったが、評価はやはり芳しくない。
エージェントの「俺のいとこの結婚式で演奏しろ」との提案を真に受けた一行は、ディーラー(ジム・ジャームッシュ)から全財産をはたいて中古車を買い、メキシコ目指して旅立つ。
かくして文無しの旅芸人となった彼らは、生活費を稼ぐためにバーやクラブに寄っては演奏し、アメリカ各地の音楽を取り込んでいく。
3月5日午後2時45分からCSテレビのザ・シネマで観た。
これで観たのは2度目であるが、人生はボタンの掛け違いのように、
転げ落ちていくのであると、認識させられた。
『テルマ&ルイーズ』(Thelma and Louise)は、1991年に公開された映画。監督はリドリー・スコット、脚本はカーリー・クーリ、主演はスーザン・サランドンとジーナ・デイヴィス。
第64回アカデミー賞において6部門にノミネートされ、脚本賞を受賞し、2016年にはアメリカ国立フィルム登録簿に追加された。
しばしば「90年代の女性版アメリカン・ニューシネマ」と評されており[2][3]、また、ブラッド・ピットの出世作としても知られる。
撮影のおよそ半分はユタ州モアブ市で、また映画の終盤で主役の2人が旅をするシーンはデッドホース・ポイント州立公園で敢行されている。
アメリカの連続殺人犯アイリーン・ウォーノス元死刑囚とその恋人ティリア・ムーアの物語がモデルとされるが、これは日本の映画会社が公開時に流したデマ情報。
本作とウォーノスらの犯罪で共通しているのは「女性2人組」が「共謀(実際は主従関係)して殺人を犯す」という点だけである。
そもそもアイリーンが逮捕され、犯罪を告白したのが1991年1月。映画の撮影はその前年に行われている。
主な登場人物がアーカンソー州出身という設定のため、アメリカ南部独特の方言や俗語が頻繁に使用されている。
ゆえに、会話のジョークはアメリカ人以外には理解しがたいものも多い。本作の日本語への翻訳は、字幕は戸田奈津子、吹替は丸山垂穂がそれぞれ担当している。
アーカンソー州でウエイトレスとして働く中年の独身女性ルイーズは、親友で専業主婦のテルマと週末のドライブ旅行に出発する。
途中のバーでテルマは泥酔し、店の客に駐車場でレイプされかける。
助けに入ったルイーズは、テルマが護身用に持って来た銃で男を撃ち殺す。ルイーズには、レイプされ傷ついた過去があった。
テルマとルイーズはその場から車で逃走する。
メキシコへの逃亡を計画し、ルイーズは恋人のジミーと連絡を取って逃走資金を借りる。警察は目撃情報からルイーズたちの身元を割り出し、州を越えて逃げる二人を追うために、FBIに協力を依頼する。
逃走中にもかかわらず、テルマはハンサムなヒッチハイカーのJ.D.に一目惚れし、車に乗せる。
J.D.は、強盗で仮釈放中だとテルマに打ち明けて一夜をともにし、逃走資金を盗んで姿を消す。テルマは責任を感じ、J.D.の真似をして店に強盗に入り、金を作る。
逃走を続けるうちに、テルマとルイーズは人が変わったように大胆になっていく。スピード違反でパトカーに停められれば逆に警官の銃を奪い、タンクローリーのドライバーに卑猥に挑発されると、ガソリンが詰まったタンクを撃って爆発炎上させる。
テルマとルイーズはグランド・キャニオンまで逃げて、パトカーに包囲される。覚悟を決めたふたりは手を握り合い、絶壁から車ごと死の大ジャンプを決行する。
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは75件のレビューで支持率は85%、平均点は8.00/10となった[5]。Metacriticでは12件のレビューを基に加重平均値が88/100となった[6]。
▼チェーホフ「往診中の出来事」
「あなたの不眠症は尊敬すべき不眠症」です。
▼歴史は響きと怒りから生まれる―ミッシェル・セール
▼衆望を担う政治家も、不動の志を胸に、絶えず自己変革しゆくことが求められる。
▼平和のために文化運動をい断交するのだ。
人びとに一流の芸術を!
文化の力で平和の人間世紀を!
▼現実社会の仕組みを学びながら、知識の応用や問題解決の力を育む「目的津発見型教育」
▼釈尊は自分から先に話しかける人。
半数以上の父の実態が不透明。
死因は、絞殺や窒息64人、生後の放置が29人。
加害者は母165人で、父の関与が指摘されたのは10人だった。
赤ん坊の母は最多が19歳以下の48人。
父は97人が年齢不明、服役などで「いない」「不明」とされた。
年齢が把握できた43人では、40歳以上と19歳以下がいずれも13人で最も多かった。
母親は逮捕され、一方、父親である男性は逮捕されていない。
無責任な男性の存在が数字に表れている。
無料で性行為ができる都合の良い女として、男から捨てられる女性たちの姿が浮き彫りになっている。
母となった女性は全て医療機関外で出産し、165人が加害者とされ、一方で半数以上の父の実態が不明。
妊娠、出産への負担が女性に大きく偏る現状が浮き彫りになった。
生まれたばかりの赤ちゃんが遺棄される事件があとを絶ちません。この3年間、NHKが報じただけで全国で40件以上にのぼっています。
小さな命が失われる最悪の事態はなぜ起きるのか。取材を進めると予期せぬ妊娠に周囲から孤立して追い込まれていく若い女性たちの姿が浮かんできました。
相次ぐ赤ちゃんの遺棄事件。
愛知県では3年前の6月、西尾市の公園の植え込みでビニール袋に入れられた赤ちゃんの遺体が見つかりました。
母親は当時20歳の専門学校生。保護責任者遺棄致死などの罪で有罪判決を受けました。
専門学校生は裁判の中で、「母親を悲しませたり心配させたりしたくなかった。誰かに相談して周りから自分が孤立するのが嫌だった」と話しました。
こう話すのは今回、取材に応じてくれた別の20代前半の女性。直筆の手紙で心境を明かしました。
当時、大学院生だった女性はもともと生理不順だったため異変に気付くのが遅れ、病院に行ったときには中絶可能な期間を1か月もすぎていました。
交際相手に打ち明けると突然、連絡が途絶え、SNSのアカウントも消されました。
学費や生活費を自分でアルバイトをしてまかないながら学んでいた女性。
周りに話すこともできず思い描いていた人生の先行きも見えなくなり、絶望したといいます。
全国20を超える産婦人科施設と連携して支援団体をつくり、全国からの相談者を受け入れています。予期せぬ妊娠をした女性たちのいわば最後の“セーフティーネット”のような存在です。
クリニックの鮫島浩二院長は相談に訪れる女性の多くは一様に追い詰められているといいます。
「本当にせっぱ詰まって来られてる方が多いですよね。妊娠してどうしようかと、人にもしゃべれないで堕ろそうかどうしようか、赤ちゃんポストまで行っちゃおうかとかね、悩んでる方もいらっしゃいます」
「それまで不安だった気持ちがなくなり、心の底から安心しました。一番は、お腹の赤ちゃんとこれからの自分について、自分が独りで解決しようと不安になったり、 苦しむ必要がないと確信したことです」
クリニックで過ごす間、生まれくる子のために名前を考えたり、よだれかけを作ったりしてきた女性は、悩み抜いた末にいまは1人で育てていくのは難しいと考え、赤ちゃんを里親に委ねることにしました。
7年前からこのクリニックなどで支援を続けてきた看護師の吉田知重子さんは予期せぬ妊娠に戸惑う人は若い世代に多いと話します。
(吉田知重子さん)
「予期せぬ妊娠をした女性たちの3割は中学生と高校生、4割が10代なんですね。気づいているんだけどSOSを出せないままどうしようどうしようと思ってる間に週数が進んでしまってここにたどりつく女性が多いなと思います」
気がかりなのは経済的に厳しい状況に追い込まれながら、社会から孤立し周りから見えにくくなっている若い女性たちの存在だといいます。
(吉田知重子さん)
「本当に経済困窮があってその日に食べるものとか、ライフラインも止まってしまった中で、食事をとれない、スマホとかも止められてしまって本当に緊急の連絡もつけることができない中でつながった子が最近いまして。その子たちのSOSをくみ取れるような仕組みももっと必要なんだと思います」
「もし支援がなかったら、私も赤ちゃんも私の家族も想像できる最悪の事態が起こっていたと思います。現在は再び新しい自分の夢と目標に向かって生きることができて本当に幸せです。感謝の気持ちでいっぱいです」
(名古屋放送局・武田菜々子記者)
今回の取材を通じて病院につながれない、また本当に身近な存在である家族からも孤立する女性や子どもたちが増えていると感じました。一緒に住んでいる家族でさえ妊娠に気づかないケースもありました。
取材したクリニックでは令和3年度、「妊婦健診」を1度も受けずに妊娠期間を過ごした女性を8人支援しましたが、このうち7人は10代でした。この中には出産間近の妊娠35週や37週になっていた女性もいました。クリニックによりますと7人とも親は妊娠に気づいていなかったということです。
看護師の吉田知重子さんへの取材では「関係性の貧困」ということばが強く印象に残りました。
家族で集まってご飯を食べる習慣がなくなりつつあるとか、もしかして妊娠しているのかなと思っても踏み込んで聞けないとか。そこから生じる孤独感が、1人で抱え込むことにつながっているではと思います。
予期せぬ妊娠は、自分の身に起きるかもしれないし、家族や友達が悩んでいるかもしれません。その小さな変化やSOSを1人でも多くの人が感じ取れる社会にしていかなければいけないと強く感じました。