「熱意と情熱を持ち続けよう」

2024年03月19日 14時12分42秒 | その気になる言葉

▼勝利を確実にする「陰の努力の人」こそ本物の実力者である。

▼どんな偉業も強固な礎の上に築かれる。

▼一番いけないのは、自信を失い、「どうせ自分なんか」と自分で自分を小さく決めつけてしまうことだ。

「自分の可能性を、ぎりぎりまで、ためしていくいのだ」と頑張ることだ。

自分を信じ切るのだ。

▼勝つことより自分に負けないことだ。

▼如何なる試練にも応戦する「価値創造の世界市民」に成長を。

▼人類が直面する諸課題を考える時、教育の目的は、より公正で持続可能かつ平和な世界の実現のらめの切望される。

社会変革に貢献できる知識や価値観等を備えた新しい時代の専門家やリーダーを育成することだ。

▼高等教育を受けた人々は、より良い社会のために役立てる倫理的・道徳的責任を担うことになる。

地球憲章は「すべての人が、人類家族と生き物全体の現在と未来の幸福に、責任を分かちあっている」ことを思考するように呼びかけている。

▼自身の考えを刺激し、広げことを止めてはいけない。

▼自分の目に映る事象は、さまざまな相関性のごく一部でしかないという事実を常に忘れず、謙虚であってほしい。

世界規模の世界観と意識を呼び覚ます努力を続け、考えを広げていってほしい。

▼世界規模の世界観と意識とは、「智慧の人」「勇気の人」「慈悲の人」との世界市民の要件と一致する。

▼高潔さを保持し、倫理に根差した生き方を追求する。

文化の垣根越えた人類の利益のため、私たちは日々の生活の中で、倫理的な生き方を心がけるべきだ。

▼深い思いやりと責任感のある人間を目指して、知識と技能を発揮してほしい。

▼<取るに足りないこと>で、足をすくわれないようにすることだ。

人は容易に注意散漫になり、集中力を失うものだ。

▼正邪と善悪を見分ける能力を養い、道徳的指針に従えば<人生の成功は物質的な豊かさのみできまる>といった思考に陥ることを避けることができる。

▼「熱意と情熱を持ち続けよう」といことだ。

現状に安住しないでほしい。

▼<演奏しているときにミスをすることは構わないが、情熱なしに演奏することはゆるされない>ベートーベン

 

 

 

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うつ病など 労災認定 過去最多710人

2024年03月19日 13時49分47秒 | 社会・文化・政治・経済

 仕事の強いストレスなどで

仕事の強いストレスが原因でうつ病などの精神障害になり、昨年度、労災と認められたのは710人と、これまでで最も多くなりました。

厚生労働省によりますと、仕事の強いストレスや長時間労働が原因でうつ病などの精神障害になったとして昨年度、労災と認められたのは710人でした。

厚生労働省によりますと、仕事の強いストレスや長時間労働が原因でうつ病などの精神障害になったとして昨年度、労災と認められたのは710人でした。

前の年度より81人増え、調査の始まった1983年度以降で最も多くなっています。

このうち、「過労自殺」に追い込まれたのは未遂も含めて67人で12人減りました。

労災が認められた710人のうち、「上司などからのパワハラ」が147人と最も多く、「悲惨な事故や災害の体験、目撃」が89人、「仕事内容や量の大きな変化」が78人でした。


年代別では、最も多かったのが40代の213人で前の年度より13人増え、次いで20代が183人で30人増えました。

業種別では、医療、福祉が164人、製造業が104人、卸売業、小売業が100人でした。

一方、長時間労働などが原因で脳出血や心筋梗塞などを引き起こし、労災と認定されたのは前の年度より22人増えて194人でした。
増加は、2016年度以来です。

このうち死亡した「過労死」は54人で、前の年度から3人減りました。

労災が認められた194人を年代別に見ると、50代が最も多く67人、40代が58人、60歳以上が49人でした。

厚生労働省は「制度の周知が進み、精神障害に関する労災認定が増え続けている。働き方改革や新型コロナウイルスの感染拡大により長時間労働が減少し、以前と比べれば過労死は低い水準にあるが、引き続き長時間労働やハラスメントの防止対策などに取り組んでいきたい」としています。

過労死弁護団「異常事態だ」

今回の結果について、過労死弁護団の幹事長を務める玉木一成弁護士は「異常事態だ。早く原因を突き止めて対応しないとこの傾向は変わらないし、今後、人手不足で職場の負担がさらに増えると心配している」と話しています。

玉木弁護士は、うつ病などの労災認定が過去最多となったことについて「認定件数が100件近く増えていて異常事態だ」と指摘しました。

特に医療や福祉の分野で多くなっていることについて「介護職でさまざまな事件が起きているように働く人たちに対するストレスの増加が顕著に統計にも現れている。

医療分野では新型コロナがあって一般の医療も含めて過重な業務で苦しんでいる人が増えているのではないか。

すべての分野で原因を早く突き止めて対応しなければもっと悪くなる恐れがある」と指摘しました。

6月に行った全国一斉の電話相談でも相談は増加傾向にあるということで、中でも、休みがとれなくて長時間労働になっていることや、業務関連の指導や指示が叱責を伴いながら長時間行われるといった相談が多いとしています。

玉木弁護士は「働き方改革で労働時間の上限規制が行われているが、仕事の内容や質は変わらず、規制が守られてないところもたくさんある。

国は労働基準監督署に人をかけて労働基準法や労働時間の規制を実現をしなければ過労死や過労自殺はなくならない」と対策を求めました。

そのうえで「新型コロナが収束して飲食、旅行、販売など、さまざまな職場で負担が増えている一方で、働く人は増えないということで今後、過労死を発生させるような過重な労働が生まれるのではないかと非常に心配している。

長時間労働やパワハラなどのストレスを抱えながらも働き続ける人は真面目な人が多く、症状が現れても周りに迷惑をかけないよう仕事から脱出することに発想がいかない人もいるので、自分だけで悩まず、まずは第三者に相談するようにして欲しい」と話していました。

 

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映画 ジミー さよならのキスもしてくれない

2024年03月19日 10時26分51秒 | 社会・文化・政治・経済

3月19日CSテレビのブービープラスで観た。

A Night in the Life of Jimmy Reardon

監督ウィリアム・リチャート

脚本ウィリアム・リチャート

原作ウィリアム・リチャート
Aren't You Even Gonna Kiss Me Goodbye?より)

製作ラッセル・シュワルツ製作総指揮ノエル・マーシャル
メル・クライン出演者リヴァー・フェニックス

音楽エルマー・バーンスタイン

撮影ジョン・J・コナー

製作会社アイランド・ピクチャーズ

配給アメリカ合衆国の旗 20世紀フォックス
日本の旗 松竹富士公開アメリカ合衆国の旗 1988年2月26日
日本の旗 1988年1月15日上映時間93分

製作国アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国言語英語

製作費$5,000,000

興行収入アメリカ合衆国の旗 $6,264,058

ジミー さよならのキスもしてくれない | 内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー

絶妙なデザイン ジミー さよならのキスもしてくれない DVD fawe.org

ジミー さよならのキスもしてくれない | ciatr[シアター]

ジミー さよならのキスもしてくれない』(原題:A Night in the Life of Jimmy Reardon)は、1988年制作のアメリカ合衆国青春映画リヴァー・フェニックスの初主演映画。

あらすじ

ジミー・リアドン(リヴァー・フェニックス)は、17歳の多感な少年。

彼の家は最近、シカゴ郊外の中・上流階級ゾーンに引っ越して来た。回りの新しい友達はお坊っちゃん、お嬢さまばかりなのだが、イキがっていても根は人の良いジミー、すぐに仲間に溶け込んで、人気者になってしまった。

彼を取りまくのはリサ(メレディス・サレンジャー)、フレッド(マシュー・ペリー)、デニス(アイオン・スカイ)スージー(ロアンヌ)の4人。

特にリサは、ジミーとは恋人同士だが、お高くとまって、最後の一線を越えさせてくれない。

また、フレッドはジミーを兄貴のように慕っているが、彼のGFのデニスはこっそりジミーとベッドでデートを重ねている。

そして、このグループを取り仕切っているのがスージーだ。

卒業を間近に控えたある日、ジミーの父親(ポール・コスロ)が、突然、自分の母校へ進学するように、彼に強制する。

これに反抗したジミーは、ハワイの大学へ進学することになっているリサと共にハワイに行こうと決意する。

そのために残された時間は24時間。

まず妹を騙して少しばかりの金を手に入れたあと彼が考えたのは、ジゴロ!

ついに母親の親友で金持ちのジョイス(アン・マグナソン)とベッド・インしたが、彼はジミーの父とも関係があったことが判明する。

だんだんと収拾不能の方向に事態は進んでしまい、おまけにリサの恋仇まで現われて、カーチェイスをくりひろげるハメになる。

しかし、こうした体験が大人になるために必要な通過儀礼だったことに気づいたジミーは、父親と自分の関係を見つめ直し、父の母校へ行き、新たな自分の可能性を見つけることを誓うのだった。

俳優へ

リヴァー・フェニックス
リヴァー・フェニックス
1989年3月

母がNBCの職に就いたことで10歳にして初めてテレビに出演。

広告やテレビシリーズの仕事を経て、1985年、『エクスプロラーズ』で映画俳優としてのデビューを飾った。

翌1986年には映画『スタンド・バイ・ミー』への出演で注目を集める

1988年出演の『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネートされるなど、数多の映画への出演をもってスターダムへの階段を駆け上がっていった。

1991年配給の『マイ・プライベート・アイダホ』ではヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞。代表作とされるこの作品での演技は俳優仲間にも評判が良かったという。

死について

ザ・ヴァイパー・ルーム

1993年、弟のホアキンと共に訪れたウェスト・ハリウッドジョニー・デップが経営しているナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」の入口付近にて、ヘロインコカイン過剰摂取が原因で倒れ、病院に搬送されるが心不全で死去した

当時、レッド・ホット・チリ・ペッパーズを一時脱退していたジョン・フルシアンテとはドラッグ仲間で、死の直前にも共にヘロインなどを摂取していた。

倒れて搬送される際には、親友であったフリーが救急車に同乗し、彼の最期を看取った。

23歳の若さで死去する。

フロリダ州散骨されたためはない。

ファンは最期の地であるザ・ヴァイパー・ルームを弔問することが多い

遺作

キャスト

 

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