南尾根の探索を続けます。武田信玄が松本、深志城を出て、刈谷原城を経由し、青柳城、麻績城から更埴に入って川中島に備えた。最初に刈谷原城に登った時に、こんな規模の小さな山城を拠点としたのかと疑問を持っていましたが、南尾根を入れて本丸を中心に四つの尾根に縄張りを配していたことから、7・8千人の兵野駐屯が可能であると思いました。
横堀を配した曲輪を下り
空堀
曲輪を囲む壕道
南尾根を下る壕道、後世の山林開拓の道である可能性もありますが、上の曲輪を囲むような道は作らないでしょう。
大きく長く伸びる南尾根、この平地も駐屯地として使用できたでしょう。
南尾根を戻ります。堀切の景色が変わります。本丸から第三堀切の壁
第二堀切を見上げています。
第一堀切
ここを登って
南西曲輪に到達し
本丸下になります。
鷹巣根城はなかなかの山城です。まだ見逃している遺構もあるかもしれません。南尾根の発見は松本市教育委員会に連絡します。
次回 旧四賀村 笹沢城
横堀を配した曲輪を下り
空堀
曲輪を囲む壕道
南尾根を下る壕道、後世の山林開拓の道である可能性もありますが、上の曲輪を囲むような道は作らないでしょう。
大きく長く伸びる南尾根、この平地も駐屯地として使用できたでしょう。
南尾根を戻ります。堀切の景色が変わります。本丸から第三堀切の壁
第二堀切を見上げています。
第一堀切
ここを登って
南西曲輪に到達し
本丸下になります。
鷹巣根城はなかなかの山城です。まだ見逃している遺構もあるかもしれません。南尾根の発見は松本市教育委員会に連絡します。
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