二の丸から鍛冶ヶ城へ
建物は城山荘と言って現在は廃屋となっていますが、二の丸です。その一段下が三の丸
見取り図は上が南で下が北
見取り図では三の丸の南に道路脇の目のような小島が、この写真です。ここを南東に進むと
平地があって
堀切の上に鍛冶ヶ城(出丸)縄張り図では曲輪4としています。
出丸は南西に土塁を構築しています。長さ50m幅20m、鍛冶と名がついていることから、鉄砲、刀などの製造場所でしょうか。
以前来たときは鍛冶ヶ城(出丸)で引き返してしまいましたが、その先、南尾根を歩きますと切岸が現れます。
縄張り図は「信濃の山城と館」6巻 南尾根は左手の尾根です。
南尾根➀曲輪(宮坂氏は番号を振っていないため)
曲輪①には腰曲輪が東下に付きます。
見取り図で鍛冶ヶ城と名付けているのは、これから曲輪5までを含んだ南尾根の曲輪群をいうのではないかと思います。それほど一つの山城といえる縄張りを見せています。続きは次回に
建物は城山荘と言って現在は廃屋となっていますが、二の丸です。その一段下が三の丸
見取り図は上が南で下が北
見取り図では三の丸の南に道路脇の目のような小島が、この写真です。ここを南東に進むと
平地があって
堀切の上に鍛冶ヶ城(出丸)縄張り図では曲輪4としています。
出丸は南西に土塁を構築しています。長さ50m幅20m、鍛冶と名がついていることから、鉄砲、刀などの製造場所でしょうか。
以前来たときは鍛冶ヶ城(出丸)で引き返してしまいましたが、その先、南尾根を歩きますと切岸が現れます。
縄張り図は「信濃の山城と館」6巻 南尾根は左手の尾根です。
南尾根➀曲輪(宮坂氏は番号を振っていないため)
曲輪①には腰曲輪が東下に付きます。
見取り図で鍛冶ヶ城と名付けているのは、これから曲輪5までを含んだ南尾根の曲輪群をいうのではないかと思います。それほど一つの山城といえる縄張りを見せています。続きは次回に