山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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三ノ倉城②

2017-04-04 21:10:24 | 山城ー上州
本丸へ

本丸の西支尾根の腰曲輪

本丸、南側には土塁

東から本丸の土塁を見ています。中央に虎口があり、南下の帯曲輪へ通じています。

一方、北側土塁の東側寄りにも虎口があり、北側下の帯曲輪へと通じています。

北側下の帯曲輪

本丸を東側から見ています。

本丸東下曲輪

東下曲輪の先に大空堀

大空堀に立って、本丸方面を見返しています。

一段目の北側帯曲輪

二段目の北側帯曲輪

さらに二段の帯曲輪の下側には空堀からの土塁が回ってきています。

木部氏の開基(倉渕村史)
榛名神社の古文書に出てくる木部氏は、室町時代半ば頃から永正年間(1504~1520)にかけて高崎・西群馬郡地方を支配した足利方の部将である。そして浦野氏は、永正年間の末から木部氏に代わって当村地方を支配した箕輪長野氏方の部将である。木部氏は「榛名山管轄沿革書に」に木部弾正左衛門道金、応永七年(1400)より永享九年(1437)まで俗別当職とあり、上野国守護上杉氏の代官木部氏が榛名山の俗別当職になって支配していたことを示している。同管轄書は木部氏の次に 鎌倉管領上杉兵部少輔憲房 文明十二年(1480)より大永二年(1522)在職四十三年 実際の支配は地方の実力者が、それを代行していたものと思われる。次いで 管轄書には上杉修里太夫憲政 大永三年(1523)より天文十九年(1550)在職二十八年 乱世の時より長野伊予守兼業へ管轄を委託せり。この頃になると管領上杉の威勢は全く地に落ち地方の実力者に頼るほかなかったので、長野兼業に管轄委託と明らかに書いたものであろう。この沿革書の記載から推察して、はじめこの地方は木部氏が支配し、後に長野氏がこれに代わったものと見る。つづく
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