二の丸から三の丸へ
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0e/0c4d89380863eee400f4b9716d7248ab.jpg)
東から本丸を見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ac/f6392718b0ef2ae305cf46646fca4fab.jpg)
本丸と二の丸との空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/86/8059c942b1dec58a72b2a7fd5c784e13.jpg)
空堀は南側に土塁へ通じています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b5/7a49f621a01e9919915c8c83d289ad23.jpg)
空堀越しに二の丸を見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/02/2fbbf79d5bdb61f0d2548068fd493dba.jpg)
二の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/29/d2ee676e594a5c4a598cc473ca8d1b28.jpg)
二の丸の先の東尾根、三重に堀切があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/21/86d6230f7d728bf9a1579c591c5553b2.jpg)
東尾根は登ってゆき
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/7e/12277d9db08e147c3eea4e2d07adf8c8.jpg)
腰曲輪が手前にあり、三の丸の城壁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/7d/89475274914d4420750cc04f51e2d774.jpg)
三の丸城壁手前に立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/e5/30d491fea65902c8b4f2b5a9affce0e4.jpg)
登ってきた尾根を西に見下ろしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/60/658698269139b1e3013008bb8f70cc8d.jpg)
三の丸(宮坂氏はここを曲輪3としていますが、本丸はこちらではないかと私は見ています。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ec/3487c0dbb7062af65cadc7dc1fe16f08.jpg)
縄張り図は「信濃の山城と館4」再掲載
麻績氏の一族 青柳清長
青柳 清長(あおやぎ きよなが)は、戦国時代の武将。仁科盛国の次男。信濃国筑摩郡青柳城主。
青柳氏は信濃国の麻績氏の一族という。清長は仁科氏から養子に入り、初め信濃小笠原氏に属していたが、信濃に侵攻した武田信玄に敗れてからは武田氏に仕え五十騎の軍役を務める。 ウィキペディアより
青柳氏に関連して、久しぶりに青柳城へ登ってきました。近日紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/98/e5907c4b131e3a9ceda22b7f78cf3383.jpg)
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東から本丸を見ています。
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本丸と二の丸との空堀
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空堀は南側に土塁へ通じています。
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空堀越しに二の丸を見ています。
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二の丸
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二の丸の先の東尾根、三重に堀切があります。
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東尾根は登ってゆき
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腰曲輪が手前にあり、三の丸の城壁
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三の丸城壁手前に立っています。
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登ってきた尾根を西に見下ろしています。
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三の丸(宮坂氏はここを曲輪3としていますが、本丸はこちらではないかと私は見ています。)
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縄張り図は「信濃の山城と館4」再掲載
麻績氏の一族 青柳清長
青柳 清長(あおやぎ きよなが)は、戦国時代の武将。仁科盛国の次男。信濃国筑摩郡青柳城主。
青柳氏は信濃国の麻績氏の一族という。清長は仁科氏から養子に入り、初め信濃小笠原氏に属していたが、信濃に侵攻した武田信玄に敗れてからは武田氏に仕え五十騎の軍役を務める。 ウィキペディアより
青柳氏に関連して、久しぶりに青柳城へ登ってきました。近日紹介します。
私は雑誌のライターをしております、小川と申します。
この度は、「山城さんぽ」(発行・交通タイムズ)という雑誌の製作にご協力いただけないかと思い、コメントさせていただいた次第です。
メールフォームがございませんでしたので、コメントをさせていただいたのですが、他にご連絡の手段はございますでしょうか?
コメント欄にお送りするのは場違いかと思ったのですが、他に方法が思い浮かばず、申し訳ございません。
よろしければ、私の方にご連絡をいただけますと幸いでございます。
(私のアドレスはogawa.s.nfgfk@gmail.comです)
ご依頼内容はアンケートに答えて頂くことと、写真を借用させていただくというものなのですが、詳細をご説明させていただけますと幸いです。
このような内容のコメントは差し控えるべきかと思ったのですが、申し訳ございません。コメントは承認していただかなくて構いません。
お忙しいところ大変恐れ入りますが、ご検討のほど、よろしくお願い致します。