曲輪3から曲輪4へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/95/593cecd3d37ed7c5f8a36e908b190ac2.jpg)
曲輪2の北側の空堀オ、その上に曲輪3、さらに三段の腰曲輪があって本丸と成るのですが、三段の腰曲輪は薮の中で写真になりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/98/da154f8e4290336fc5c826a764d71a27.jpg)
本丸(宮坂氏は曲輪4としています。前回記事の縄張り図を参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/84/c86ea707fd92f0624da681cf25009afd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/03/d5c126497c35a7f7a624370112172c70.jpg)
本丸を北の土塁から南に見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/11/ae8afdb2637174308b3641edbd39aa06.jpg)
本丸北にある堀切ク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ed/af18ced5bd124a03590d927f97ab1d0b.jpg)
堀切の北の小曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/b3/a844009b0bd525587e07fe7caa0c3ca1.jpg)
曲輪5から土橋を経て北尾根
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/1af0666e908dac985d06928010b76ded.jpg)
北尾根は西側は絶壁、敵はここを下って土橋を歩き、本丸へ向かうことになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b7/29a53961e22f124ba2b1c1d8cbd688d2.jpg)
北尾根の城域
城主は天文20年(1551)大厩兵五宛ての仁科盛政奉書には渋田見の長生寺に関する記述で、「堀内家の者ども」とあり、堀内氏が存在していたことが知れる。宮坂氏はこれにより、堀内館、花岡城は堀内氏が関わっているであろうと推察されている。
次回 北山城 池田町広津
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/95/593cecd3d37ed7c5f8a36e908b190ac2.jpg)
曲輪2の北側の空堀オ、その上に曲輪3、さらに三段の腰曲輪があって本丸と成るのですが、三段の腰曲輪は薮の中で写真になりません。
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本丸(宮坂氏は曲輪4としています。前回記事の縄張り図を参照)
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北側にある土塁と虎口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/03/d5c126497c35a7f7a624370112172c70.jpg)
本丸を北の土塁から南に見ています。
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本丸北にある堀切ク
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堀切の北の小曲輪
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曲輪5から土橋を経て北尾根
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/53/1af0666e908dac985d06928010b76ded.jpg)
北尾根は西側は絶壁、敵はここを下って土橋を歩き、本丸へ向かうことになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/b7/29a53961e22f124ba2b1c1d8cbd688d2.jpg)
北尾根の城域
城主は天文20年(1551)大厩兵五宛ての仁科盛政奉書には渋田見の長生寺に関する記述で、「堀内家の者ども」とあり、堀内氏が存在していたことが知れる。宮坂氏はこれにより、堀内館、花岡城は堀内氏が関わっているであろうと推察されている。
次回 北山城 池田町広津