堀切から西尾根を登ってゆきます。
西尾根を登って来ると、大きな岩があり右手から登ります。登りきると東支尾根になります。頂部に見える岩場が狼煙台か物見に使用されていたと思われます。ただ、このまま岩場に向かい登るのは危険ですので、南支尾根に回ってゆきます。
東支尾根の先端部。大きな岩の上になります。大手を見下ろすことができます。
南尾根に回ってきますとやや大きな南曲輪があり、南尾根の中央に位置します。
縄張り図は「境目の山城と館」上野編
眼下に見える星尾集落、また県道201号線は田口峠に通じていて、佐久市になります。まさに星尾城は県境の山城です。
先に東支尾根から見えた岩場を南から見ています。岩が二つ虎口のように見えます。
本丸から北尾根の北曲輪を見下ろしています。
岩場を登ると、本丸、物見としての機能であったかと思います。
本丸を下って南尾根を歩きます。</fon>
南尾根の東下にある東曲輪(仮に)は犬走によって登ってきた大手の尾根に通じています。
東曲輪から南東に尾根が伸びており、腰曲輪が二段構築されています。
南東尾根の先端部。以上で星尾城は終わりです。
前回記事で南牧資料館は羽根沢城址であったと書きましたが、ここに土屋山城守高久が武田信勝を連れて逃れてきたわけです。街道沿いの墓地にある市川五郎兵衛真親は初代市川四郎兵衛貞吉から五代目となる当主です。
西尾根を登って来ると、大きな岩があり右手から登ります。登りきると東支尾根になります。頂部に見える岩場が狼煙台か物見に使用されていたと思われます。ただ、このまま岩場に向かい登るのは危険ですので、南支尾根に回ってゆきます。
東支尾根の先端部。大きな岩の上になります。大手を見下ろすことができます。
南尾根に回ってきますとやや大きな南曲輪があり、南尾根の中央に位置します。
縄張り図は「境目の山城と館」上野編
眼下に見える星尾集落、また県道201号線は田口峠に通じていて、佐久市になります。まさに星尾城は県境の山城です。
先に東支尾根から見えた岩場を南から見ています。岩が二つ虎口のように見えます。
本丸から北尾根の北曲輪を見下ろしています。
岩場を登ると、本丸、物見としての機能であったかと思います。
本丸を下って南尾根を歩きます。</fon>
南尾根の東下にある東曲輪(仮に)は犬走によって登ってきた大手の尾根に通じています。
東曲輪から南東に尾根が伸びており、腰曲輪が二段構築されています。
南東尾根の先端部。以上で星尾城は終わりです。
前回記事で南牧資料館は羽根沢城址であったと書きましたが、ここに土屋山城守高久が武田信勝を連れて逃れてきたわけです。街道沿いの墓地にある市川五郎兵衛真親は初代市川四郎兵衛貞吉から五代目となる当主です。