花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

いじめられてる子供らへ、松井秀喜さんからのメッセージ、そして君の〝アメリカ〟

2006-12-06 23:58:03 | Weblog
 「無理して立ち向かわなくていいんだ」、大リーガーの松井秀喜さんはこう呼び掛ける。いじめられている子供やいじめている子供に向けた各界の著名人や識者のメッセージを、少し前から朝日新聞朝刊では掲載しているが、今日は松井選手からのものだった。「学校やクラスにいても楽しくない。仲間にうまく入れない。それなら、それで、別にいいんじゃないかな。だれかがつくった世界に君が入らなければいけない、ということはないんだよ。それより、君には、居心地のいい場所で、自分の好きなことに夢中になってほしい。何かに没頭(ぼっとう)することによって、いやなことが気にならなくなることって、あると思うんだ。逃げるんじゃない。自分から好きな世界を選ぶんだ。その中で同じ夢を持った友だちに出会うこともあるだろう。新しい仲間ができるかもしれない」、松井選手はこう続ける。
 かなり昔だが、司馬遼太郎さんの「アメリカ素描」(新潮社刊)を読んだことがある。次の箇所は、アメリカへ行くことになった司馬さんに、ある友人の方が述べた言葉である。「もしこの地球上にアメリカという人口国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」。この言葉の意味を司馬さんは以下のように捉えている。「いまもむかしも、地球上のほとんどの国のひとびとは、文化で自家中毒するほどに重い気圧のなかで生きている。そういう状況の中で、大きく風穴をあけたのが、十五世紀末の〝新大陸発見〟だった。アメリカ大陸が〝発見〟されると、ヨーロッパから、ほうぼうの国のひとびとがきて、合衆国をつくった。・・・(略)・・・文明だけでOKですという気楽な大空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこへ移住はせぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感が人類の心のどこかにあるのではないか。」
 もちろん、松井選手と司馬さんはそれぞれ次元の異なる話をしているのだが、共通しているのは、「自分の居場所」あるいは「自分にふさわしい場所」があると信じることで、人は苦難に立ち向かえる、ということだろう。話は横道にそれるが、たまたま今読んでいるオルハン・パムクの「雪」(藤原書店刊)では、トルコの政治的、宗教的対立の中で、女子学生が自殺したり、人々が殺されていく話が次から次と出てくる。それは、死や暴力が特別のものではなく、日常的な世界だ。「雪」では、〝アメリカ〟の存在が心の一角で光を照らすことのない世界の重苦しさを読み取ることが出来る。一方、〝アメリカ〟を必要としない幸せ、それは普通気が付かない幸せなのだろうが、けれども充分感謝に値する幸せであることを、思い合わせられる気がする。ともあれ、松井選手は最後にまたこう呼び掛けている。「だから、いま君が立ち向かうことはないんだ。」 これは、きっと、「君にも〝アメリカ〟があるよ」、という励ましなのだ。