車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

重伝建保存地区(主計町&東茶屋街) in 石川県金沢市

2017年08月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

浅野川に美しく影を落とす「浅野川大橋」。3径間連続固定アーチと呼ばれる独特の構造を持つこの橋が架けられたのは大正11年(1922)12月。架橋当時から昭和41年(1966)までは、北陸鉄道金沢市内線が浅野川大橋上を通っていたそうで、犀川大橋と同様に電車の走行にも耐えられる構造となっています。

文禄3年(1594)に加賀藩初代藩主前田利家が北国街道に架けたのが始まりとされる浅野川橋。橋が架かる浅野川を挟んで「ひがし茶屋街」「主計町(かずえまち)茶屋街」があり、「西の茶屋街」とともに、金沢三茶屋街として国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

夕暮れ時になると、芸妓が奏でる三味線と太鼓の音が聞こえてくるという茶屋街の細い路地。格子戸から漏れる光に浮かぶ街並みは、昔映画で見ただけの一場面を思い起こさせて魅惑的ですが、庶民の私にはどこまでいっても想像の及ばぬ世界(^^;)

地元の文豪『泉鏡花』の小説、「化鳥」「照葉狂言」の舞台となった「中の橋」を渡り、これから「ひがし茶屋街」へと向かいます。

中の橋から見る「浅野川大橋」。こうして離れて見ると尚更に美しいこの橋は、歴史的建造物として犀川大橋と同様に2000年12月20日に登録有形文化財に登録されました。

浅野川越しに見る主計町茶屋街の佇まい。しばし現実を忘れてしまいそうな・・不思議な光景に思わず後戻りしたくなる誘惑を振り切って(笑)

金沢市橋場町、浅野川大橋の南側のたもとに建つのは、明治中頃まで存在した木造火の見櫓の復元。右は浅野川大橋の北側のたもとに建つ、大正13年に建設された鉄骨造りの火の見櫓で国登録有形文化財。後ろのビルと一体化して、自分でも画像を探すのに苦労しました(笑)

金沢市東山ひがし、かって「東の郭」と呼ばれていた「東茶屋街」は江戸時代の遊郭に由来する町。浅野川沿いの東山周辺には今も古い町並みが残り、主計町とはまた違った独特の風情が観光客の人気を集めています。

紅殻格子の町家が建ち並ぶ路地を歩いていると、かってそこに繰り広げられたであろう筈の多くの人生が胸の中で勝手に物語を紡ぎ始めていきます。泣いて笑って・・時には恋もして、そこに生きた女性たち・・その数だけの物語。

どこかの建物の入り口で見かけた色鮮やかな暖簾は「花嫁のれん」。花嫁は婚家先の仏間に掛けられたこの暖簾をくぐって婚家の人として生きていきます。廓としての性格を持ったこの場所には、何とも皮肉に思える艶やかさ。

しっとりと流れる時間・・すでに時計の針は六時を回っているけれども八月の季節は、まだ十二分に観光客の目を楽しませる景色を展開してくれます。いや・・もしかしてそう思っているのは私たちの勝手な思い込みかもしれません。

「東茶屋町」は茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残しているとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されています。」Wikipediaより

訪問日:2009年8月14日

 

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