てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

眼の人・モネが観ていたもの(2)

2016年04月02日 | 美術随想

ピエール=オーギュスト・ルノワール『新聞を読むクロード・モネ』(1873年)

 特定の大画家の名前を展覧会名に付けておきながら、それ以外の画家の作品から展示がはじまるというケースは、ままある。今回もまさにそうであった。

 まずは、会場の入口の通路のようなところに、ブランシュ・オシュデ=モネの絵が2点掛かっている。モネの伝記を読んだことのある人なら、オシュデという名にピンとくるはずだが、この人はモネの2番目の妻となったアリス・オシュデの連れ子で、のちにモネと先妻カミーユとのあいだにできた長男と結婚した。近親婚のようだが、血が繋がっていないからいいのだろうか。すでにこの段階から、われわれ日本人の常識ではカバーし切れない芸術家の複雑な環境が焙り出される。

 しかしブランシュ・オシュデの作品は、アマチュアの域を出ていないといっていいだろう。やはり今展覧会の幕開けを飾るのは、盟友ルノワールが描いた、モネ夫妻の肖像画であった。モネとルノワールとは、かつてキャンバスを並べて制作に励んだほどの、いわば同志ともいうべき存在である。

 この『新聞を読むクロード・モネ』は、いわゆる「第1回印象派展」が開かれる前年の作品で、まだ印象派ふうの筆触がみられるとはいいがたい。しかし、のちに触れることになると思うが、この時点でモネはすでに例の『印象、日の出』を描き終えていた。よく印象派の二大巨頭のように称される彼らだが、印象派が産声を上げる前からすでに、その作風は大きくかけ離れていたということだろう。

 それにしても、ルノワールが描いたこのモネ像は、ひとりの芸術家の姿というよりも、ありふれた勤め人が一服しているだけの、ごく平凡なスナップショットに見えてしまう。モネの顔つきは、写真で見る晩年の風貌よりも優しい。もちろん、これ以降の過酷な創作活動が、モネの外見に厳しい印象を加えていくのかもしれないが・・・。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール『クロード・モネ夫人の肖像』(1873年)

 一方、奥さんであるカミーユの肖像画は、夫クロードに比べて、あまり穏やかな表情とはいえない。夫に向かって何やらガミガミいってやりたいのを、ようやくのことでこらえて、無理にポーズをとっているかのような不自然な様子に見える。

 この夫妻の肖像は、対の作品として描かれたといわれており、展覧会場入口で流されていた古い白黒フィルムでも、2枚並んだ状態でひとつの額縁に入れられているところが映っていた(今では別々の額縁に移されている)。

 しかしこの夫妻の像を並べてみると、どうしてもある種の温度差に気づかずにはいられない。単純にいってしまえば、売れない画家であったクロードにやきもきしている妻と、それを気にもとめないでマイペースを貫こうとする、ちょっと困った夫の姿がありありと描き出されているのである。

 のちにクロード・モネは大家となり、経済的には豊かな生活を送るようになるが、カミーユは32歳の若さで亡くなってしまう。それだけでなくモネは、死につつあるカミーユを絵のモチーフとして描いてさえいるのである(「レーピンが描いたロシアの心(5)」参照)。夫と妻とは、しょせんわかり合えることのできない、近いようで遠い存在なのだろうか。

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