てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

「日展」の“点と線”(2)

2007年04月02日 | 美術随想
〈彫刻〉その2


 一年ほど前に、「物言わぬ群像 ― 人体彫刻をめぐって(2)」の記事で取り上げた中村晋也は、ぼくが毎年「日展」に出かけるたび、つねに注目する彫刻家のひとりである。注目といっても、ただ単に彼の作品のファンだとか、そのようなレベルではない。中村の彫刻の前に立つと、ほとんどいつも、ある精神的な体験をせずにはいられないからだ。それは、キリスト像や仏像などを前にしたときの心境にも似ている気がするのである。

 昨年まで、中村は『MISERERE(憐れみたまえ)』というシリーズを制作していた。題名からわかるとおり、キリスト教に根ざした人物像である。だが今年は一転して、『周利槃陀伽(しゅりはんだか)』という彫刻を出品した(上図)。この痩せさらばえた僧形の男は、会場の中でひときわ異彩を放って見えた。

                    ***

 過去の記事でも触れたことだが、この彫刻家は奈良の薬師寺に『釈迦十大弟子像』を奉納している。その際に学んだ弟子たちの生き方について、一冊の本を書いてもいるようだ。ぼくは残念ながら、そのどちらにもまだ接する機会がないのだが、写真で見るかぎりこの『周利槃陀伽』の像は、一連の弟子像とよく似ている。

 だが周利槃陀伽は、十六羅漢には含まれているが、十大弟子には数えられていない。というのも、彼は釈迦の弟子たちの中でも、目立って愚鈍で、物忘れのひどい男だったらしいのだ。自分の名前さえ忘れてしまうほどなので、釈迦は名前を書いた札を身につけさせたというから、相当なものである。今だったら、若年性認知症と診断されてしまうかもしれない。

 死ぬまで名札を背負いつづけた周利槃陀伽が世を去ると、その墓から草が生えた。人々は、“自分の名を荷(にな)って生きた”男にちなんで、その草を「茗荷(ミョウガ)」と名づけたという。今でも、茗荷を食べると物忘れがひどくなるといわれるのは、そのことに由来するらしい。

 しかし、中村晋也が刻んだ周利槃陀伽の姿は、そのような愚者ではない。肋骨が浮き出るほど痩せこけ、自分の体さえ支えるのがやっとといった姿で、それでもぼくたちの前に手をさしのべる。その厳しい顔つきは、観る者に向かって何かを語りかけてくるかのようだ。

                    ***

 周利槃陀伽はあるとき、自分のあまりの愚かさ加減に、釈迦のもとを去ろうとした。それに対して釈迦は、愚者がみずからを愚かだと思えばそれは賢者だ、と説いたという。愚者でありながら自分が賢者だと思う者は、それこそが愚者だ、とも。

 この戒めは、仏教の説話であることを超えて、現代のぼくたちにも強く響いてくるのではなかろうか。この世の中には、われこそが賢者だといいつづける愚者たちがあふれ返っているような気がするのは、決してぼくひとりではあるまい。

 われわれは、周利槃陀伽の口から語られる言葉にこそ、謙虚に耳を傾けるべきではなかろうか? 

つづきを読む
この随想を最初から読む


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。