てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

画家として死ぬということ(2)

2007年08月01日 | 美術随想


 青木繁といえば徹頭徹尾、人間を描く画家だと思っていた。有名な『海の幸』にしても、切手になった『わだつみのいろこの宮』にしても、背景が描かれていないことはないが、画面をいっぱいに埋めつくした人間の存在感があまりにも大きく、圧倒的なのだ。彼の絶筆とされる『朝日』(上図)の中に、たったひとりの人間も描かれていないのを観て、ぼくは意外の感にうたれざるを得なかった。

 日本近代洋画史上に燦然と輝く、あまりにもよく知られた青木繁であるが、ぼくはこれまで彼に強く惹かれたことはなかったように思う。もう何年も前に、京都の美術館で思いがけず『海の幸』の実物に遭遇したことがあったが、想像したよりもはるかに小さなサイズと、構図を決めるため等間隔に引かれた鉛筆の線が透けて見えるほどの荒い仕上がりに、感動するよりも当惑してしまったことをよく覚えている。この絵はまだ未完成であるとか、塗られていた絵の具が退色してしまったのだとか ― だからといって復元しようという話は出ていない ― いろいろなことがいわれているようだが、本当のところはどうなのだろう。

 ただ、『海の幸』の荒削りな作風が、破滅型の芸術家・青木繁のイメージと強く結びつき、彼の名声をますます輝かしいものにしていることはたしかだと思われる。この絵は彼がまだ22歳のときのもので、普通の画家であれば若描きの作品としてかたづけられてもおかしくはない。描かれた漁師たちが自分の身長より大きな鮫を必死になって担いでいるように、『海の幸』一枚に青木の全生涯を、そして日本洋画の黎明期そのものを担がせようというのは、ぼくには無理があるような気がする。

                    ***

 青木の絶筆『朝日』は、その後の彼の画業がどのように展開されたかを知る目安となるのだろうか。『海の幸』と単純に比べてみると、『朝日』は実にありふれた画題だといわざるを得ないが、一方で油絵としての完成度は非常に高い。すみずみまでしっかり描き込まれていて ― 絵の具に多少のひび割れがあるものの ― みずみずしい色彩を今に伝えている。大きくうねる波には、過剰なほどたくさんの色が塗り重ねられていて、きらびやかであると同時に重厚である。今にも潮騒のとどろきが聞こえてきそうな迫力ある描写には、ただただ驚くばかりだ(『海の幸』の背景に描かれたのは、こんなに生き生きした海ではない)。

 そして水平線のはるか彼方で、茜雲を飛び越えて燦然ときらめきわたる朝日の輝き・・・。その透徹した美しさに、ぼくはうたれた。その光は何の物語も、いかなる象徴的な意味すらも、担ってはいない。純粋な輝きそのものとして、晩年の青木を照らした朝日の光は、彼の眼にいったいどんなふうに映ったのだろうか。その証しとなるのが、この一枚の絵であるようにも思われる。

 このとき、青木はまことに不遇であった。家族には見捨てられ、画壇からは認められず、乞食同然の姿で九州各地を放浪していた彼を、まるで当然の結末だとでもいうように病魔が襲うのである。

 亡くなる7か月前に、唐津の海岸で見た朝日を描いたとされるこの絵は、ろうそくの炎が消えかける直前にふっと明るくなるように、画家の力の最後のほとばしりを感じさせる。まだ28歳、あまりにも早すぎる絶筆である。

(佐賀県立小城高等学校黄城会蔵)

つづきを読む
この随想を最初から読む


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。