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指原莉乃 ニュータイプのアイドル(総選挙分析ライター)

2014-12-27 21:15:00 | アイドル論
指原莉乃 ニュータイプのアイドル(総選挙分析ライター)


昨日このブログに投稿した「指原莉乃 AKB新聞2014MVP受賞 感想 141226」という記事のなかで、指原は「裏の部分は見せない」フィクションとしてアイドルとは対極の”素の姿を見せプロデュースもできるニュータイプのアイドル”である、と述べたことについてもう少し詳しく説明したい。

指原はAKB48とANAが特別に組んだ「Challenge for ASIA by ANA×AKB48」presentsという企画の中で「指原莉乃のアイドル論」を語っており、アイドルを大きく2つに類型化している。
指原莉乃のアイドル論 140316

その一つは「キラキラしていて華やかなで裏の部分はみせないアイドル」であり、この例として中森明菜をあげ「ミステリアスなところが人気があった」と言っている。

(以下は筆者の見解)
この「キラキラしていて華やかなで裏の部分はみせないアイドル」は今まで普通一般に言われていたアイドル像であり、実際には存在しないかもしれないフィクション(虚構)としてのアイドル像を所属事務所や運営側が創り、アイドル本人はそのアイドル像にできるだけ近づけようと発言したり行動しようとするものである。したがって、アイドル本人は場合によっては自分の人格とはかけ離れたキャラクターを演ずることもある。

演じるアイドル像が可愛く、清潔で、美しく、気高く、ピュアであればあるほど生の本人との乖離が広がるので、それを演じるのは難しくなるし、アイドル本人にとっても苦痛になる。まず、自分の考えていることが素直に言えなくなる。自分が演じているアイドル像との乖離を恐れるあまり、内部のチェックを受けないと心配になるからだ。行動は1人で行うようになり、あまりメンバーとグループでプライベートを過ごすことがなくなる。それは生の自分の姿が他の人から漏れてしまってはせっかく自分が演じているアイドル像が壊れてしまうのが怖いからである。当然その帰結としてブログ、Twitter等SNSを通じた自らの情報出しは少なくなり、極端な場合はほとんど行わなれなくなる。

こういう従来ながらのフィクション(虚構)としてのアイドル像を演じるアイドルのファンはその情報の少なさ、ミステリアスさが相まって妄想をたくましくしてあれこれ自らの中に「こうあるべし(当為)」という現実には存在しないそのアイドルの偶像を創り上げていく。自分が崇拝するアイドルに何か起こると現実がうそ(虚構)としかとらえられなくなり、現実を受け入れられず現実に起きた事実の責任をアイドルではなく他(のアイドル)に転嫁(他責)し、自ら崇拝している偶像には一切責任がないと頑な行動をとるようになる。酷いときには全く関係ないものまで生贄とするような攻撃を行う。すなわち、実際には現実に存在しない偶像(教条的アイドル観念)がファンの言動や行動を引き起こす原点となる。

こういうアイドルと接する業界担当者は非常に気を使うことになる。アイドル像を守るため所属事務所や運営側が事前に細かいチェックを入れるからだ。一緒に共演する芸能人にもこのアイドルのNGの話題をしっかり伝えておかないとイメージに傷をつけたり、ファンから局宛てに脅迫まがいのクレームが来るリスクがある。共演する芸能人も大変である。普段何気なく使っている突っ込みが使えないからだ。もし仮に間違って使った場合には、そのアイドルのファンから脅されることも覚悟しなければならない。このようなリスクがあるため業界担当者はこういうアイドルを使うことに躊躇してしまうことになる。

マスコミは大変である。情報が少ないため記事が書けないのである。情報を集めるために記者会見場に詰めかけるが、所属事務所や運営側の情報統制が厳しいことに加えて、アイドル自身がほとんど公式見解しか話さないため通り一遍の記事しか書けず、どのマスコミも同じような記事となり、読者の反応も弱く記事を書いている記者のモチベーションは上がらない。


一方で、もう一つのアイドル像は「素の姿を見せてくれるアイドル」という類型であり、これは例えば「冷蔵庫が臭いとか花が枯れているとか、全部見せる」アイドルであり、これは指原によればAKBによって提唱されたアイドル文化であり、マジでガチなアイドルである。

(以下は筆者の見解)
言葉のとおり、このアイドルは「素の姿を見せ」ているので、生の本人にかなり近いか生の本人そのものである。したがって事務所や運営側はあまりに生の姿を見せすぎるとマイナスとなる点を注意するに留まる程度でアイドル像を「創る」という大層なことは行わない。事務所や運営側が行うのは本人が持つキャラクターを活かしたアイドル像を本人と一緒考える程度である。したがって、アイドルが本人の人格とかけ離れたキャラクターを演じることは少ない。

そもそも「素の姿を見せ」れば見せるほど、ファンを含めて周りの人たちは喜ぶので、「素の姿を見せ」るアイドルは自分の考えていることを結構はっきり言う。発言は自己責任で行うので、内部のチェックなどは受けない。行動は1人の時もあればメンバーと一緒のときもあり、プライベートの行動が多少メンバーから漏れてもそれほど気にしない。ブログ、Twitter等SNSはできるだけうまく使いこなして1人の時の行動も含めて支障のない範囲で素の姿を見せて話題の喚起を図る。

「素の姿を見せ」るアイドルのファンはアイドルから発信される情報量が多いことによりそのアイドルの現実の姿を知っているため、妄想をたくましくしてあれこれ自らの中に「こうあるべし(当為)」という現実には存在しないアイドル偶像を創り上げることはしない。そのアイドルの存在、発言、行動そのものが現実であり、アイドルに何か起こっても、アイドル自身が自己責任で問題に対処するので、そのアイドルに起こった現実と対処することができる。したがって、現実が起こった責任を他に転嫁(他責)したり、そのアイドルには一切責任がないと頑な行動をとるようなことはない。ファンの言動や行動は観念的、教条的ではなく、現実の状況を踏まえたものとなる。

「素の姿を見せ」るアイドルと接する業界担当者は特段の気を使うことはない。アイドルが自身の自己責任で言動、行動をしているので所属事務所や運営側と事前の細かいチェックを入れる必要がないからだ。一緒に共演する芸能人もNGの制約がないため自由に発言や行動をすることができる。ファンがそのアイドルに対する様々な発言や行動に対してアイドル本人の知名度を上げてくれると逆に喜ぶ傾向があるので、たとえそのアイドルに対して過激な発言や行動があってもファンは寛容である。したがってクレームリスクは少なく、仮にクレームをするファンがあった場合はアイドル自らがファンに働きかけて抑えようとする。業界担当者、出演者双方にリスクが少ないため出演依頼はかかりやすい。

マスコミの評判は概ね好意的である。普段から本人の情報が多いため記事にするバリエーションが多いことに加えて、アイドル自身が自己責任でリップサービス的な情報を記者会見で流してくれるからである。所属事務所や運営側の情報統制が緩いため多少脚色をつけた記事を書くことが可能であり、話題となるようなニュースを書いた場合にはアイドル本人、読者の反応もよく記事を書く記者のモチベーションも上がる。


お断りしておくが筆者は学生時代に社会科学を専攻しており、上記の二つアイドル類型はドイツの社会学者であるMax Weberの「理念型」を使ってまとめたものである。したがって現実の事象を多少デフォルメしており、なにか現実にこれに当てはまるアイドルが実在するわけではない。それぞれのファンが推しているアイドルがどちらの類型に近いかを理解する手助けとして使ってもらいたい。

さて、前述のとおり、この「素の姿を見せ」るアイドルは、「キラキラしていて華やかなで裏の部分はみせない」旧来型のアイドル像と比較したとき、情報がオープンになっている比率が高い分、アイドル本人にもファンにも業界関係者にも余計な負担をかける度合が少ないためいろいろな側面で旧来型のアイドル像より優れたモデルであることがわかる。

以前の指原は旧来型のアイドル像を意識していたようだが、最近の指原の言動や行動を見ているとこの「素の姿を見せ」るニュータイプのアイドル類型に近いことがわかる。前述のとおりこのモデルは旧来型アイドルモデルより優れたところが多いので、今後はこのモデルが主流になっていくのではないかと思う。

昨日の記事の最後に「今後、昔ながらの「裏の部分は見せない」フィクションとしてアイドルとは対極の指原のような”素の姿を見せプロデュースもできるニュータイプのアイドル”が人気の主流となっていくような気がするがどうだろうか」と述べたのはこのような理由による。



以上

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