AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

三宅香帆『「好き」を言語化する技術』を読む。「推し」語りは自分語り。(ときめき研究家)

2024-09-21 13:55:56 | ときめき研究家
本屋で偶然見かけて購入、何度も膝を打ちながら読んだ。ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でバズり中の著者は、アイドルや宝塚のファンということだ。
「推し」のことを話したり書いたりしたいのに、「やばい」しか言葉が出てこない。上手に伝えられない。そういう人へのアドバイスが親切に書かれている。
私も好きなアイドルの楽曲や、映画、ドラマ、本などについてこのブログに書き続けている。その際、どう書いたら正確に表現できるか、どう書いたら読者に伝わるか、いつも四苦八苦しながら書いている。上手に書けたと100%満足できる記事はそんなにはない。何か違う、表現しきれていない、もう少し何とかならないかと思いながら、どこかで妥協して掲載するのが常だ。その過程もまた楽しくもあるのだが、何かヒントがないかと思い読んでみた。

「好き」は移ろいやすいから、言葉にして保存すれば自分の中で残っていく。
ありきたりな表現(クリシェ)を避け、自分だけの言葉で表現することが大事。
「好き」を具体的に細分化したり、妄想を広げたりするとオリジナルな表現になる。
一番重要で難しいのは「書き出し」。そこにはいくつかのパターンが使える。
等々、日頃私がなんとなく無意識に実行していることを、ズバリと言語化して示してくれている。何だかお墨付きをもらった気がして安心する。

特に共感したのは「自分の感想を書き終えるまで他人の評価は見るな」というアドバイスだ。知らず知らずのうちに他人の評価が自分の感想を上書きしてしまうリスクは恐ろしい。
このことは以前、私も記事にしたことがある。
「自分の目で見たものしか信じない」
2015年のプロ野球ドラフト会議で、当たりくじを引いていたのに自分で確認せず外れと思い込んだ阪神の金本監督を題材に、他人の評価に影響されず、自分のピュアな感想を護ることの難しさを書いた。その思いは今も変わっていない。
(気になって調べてみたが、件のドラフト会議を経て阪神に入団した高山俊選手は、阪神で8年間プレイした後、2024年度から新設されたオイシックス新潟に入団して現役を続行している。なぜだか頑張ってほしい気持ちになった。)

「推し」を語ることは自分を語ることでもあるという論旨にも激しく共感した。真実だと思う。
自分の書いたブログ記事の最も熱心な読者は未来の自分だと思って書いている。現に、過去に800編以上書いた記事を折に触れて読み返している。
ブログにはアクセス分析機能があり、最近アクセスが多かった記事が示される。すると時々、何年も前の、自分でも忘れていたような記事がなぜか上位に来ることがある。それを読んで、当時の自分自身に再会できるのが嬉しい。と同時に、世界のどこかで、何人かがその記事にアクセスしてくれたということで、それは本当にありがたいことだと思う。心から感謝します。
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NGT48『一瞬の花火』を聴く。櫻坂46『桜月』の姉妹曲と解釈。(ときめき研究家)

2024-09-14 17:40:22 | ときめき研究家
『一瞬の花火』(NGT48)。
昔「恋は遠い日の花火」というウイスキーのCMがあったことを思い出す。
今「僕」はひとり。学生時代に付き合っていて、一緒に花火を見た「君」のことを今も忘れられずにいる、要するにそんな内容の歌だ。
2人が別れてしまった理由は「別々の道を歩き始めたお互いのために言ったサヨナラ」と抽象的に描かれているが、離れた場所に就職したとか進学したとかそういう事情を想像する。しかし彼はその別れを後悔していると歌う。後悔するくらいなら別れなければよかったではないか、遠距離恋愛でも何でもいいから続ける努力はしたのか、そう突っ込みたくもなる。でも、その時は続けられる自信がなかったのだろう。
迷って選ばなかった方の未来を妄想しては後悔する、その気持ちはよくわかる。でも戻ってやり直したいということでもないのだろう。当時「君」と一緒に歩いて花火を見た「公園通り」を、今は一人で歩いて感傷に浸ることで充分なのだ。

花火は美しいが、一瞬で消えてしまい後には何も残らない。その儚さがゆえに、かえって深く記憶に刻まれる。
AKBグループには『僕の打ち上げ花火』という初期の名曲がある。メンバーが劇場公演で浴衣を着て歌っていたことを思い出す。しかし、その時に見たメンバーはもう誰もグループに残っていない。
「打ち上げ花火は悲しいね 儚なすぎて 美しい光も一瞬の過去」。恋と同じように、アイドルの輝きも一瞬だからこそ深く記憶に刻まれる。

最近、この曲とよく似た曲を聴いた気がして、考えたら櫻坂46『桜月』だった。櫻坂46に改名して以降の代表曲と私は思っている。
その曲は、卒業して上京する「君」に心を告げることもなく別れてしまう「僕」の心情を歌っている。ここでその心情を投影しているのは散っていく桜の花だ。花火と同じように、短い時間で散っていく桜の儚さを、移ろいゆく心に重ねて描いている。
『桜月』の数年後の歌が『一瞬の花火』だと勝手に解釈して楽しむこともできる。
何より、曲調が似ていると感じる。ピアノが印象的なサウンドに、緊張感のあるメロディーが乗せられている。

歌詞の中で「シダレヤナギ」(NMB48)、「坂道の途中」(欅坂46『乗り遅れたバス』など)、「将来の夢を語り合った」(渡辺麻友『三つ編みの君へ』)など、AKBグループ、坂道グル-プ関連の楽曲のモチーフを連想させるワードも忍び込ませてある。「公園通り」は『109』『渋谷からPARCOが消えた日』を連想させるが、渋谷の公園通りから花火は見えないので、たぶん新潟にある「公園通り」なのだろう。
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AKB48『恋、詰んじゃった』を聴く。なぜ彼の恋は詰んだのかを深読み。(ときめき研究家)

2024-08-31 14:06:43 | ときめき研究家
『恋、詰んじゃった』(AKB48)。
タイトルは『猫、踏んじゃった』からの派生。『恋をしちゃいました』(タンポポ)という曲もあった。『甘栗むいちゃいました』という商品も昔からある。
そういう可愛げのあるタイトルとは裏腹に、恋が終わったという絶望感を歌った曲だ。

曲調はレトロっぽいサウンドで、深刻ぶった焦燥感を映し出している。『大声ダイアモンド』に雰囲気が似ている。全然今風ではないが、AKBグループにはよく似合っている曲調だ。この路線で押していく方が良いと思う。

ただ、歌詞の意味がよく分からない点がある。彼は「恋は詰んだ」と絶望しているが、そう思った理由がはっきりしない。本記事を書くに当たって改めて歌詞を読み直してみた。
彼女の気持ちを過信して「噂の彼とお似合いじゃないか?」などと余裕の軽口を叩いて怒らせたのが原因か? いや、それは彼女の心変わりに気付いたきっかけに過ぎないだろう。「さっきの視線でわかった」というのが気付いた瞬間の描写だ。では、彼女の心変わりの原因は何か? 
「謝るだけじゃ許してくれない」と言っているから、彼の方が何かいけないことをしたのだろう。となると、それは「誰かの背中 君に似ていて 少し急ぎ足で追い越し振り向いた」の部分だろう。この部分は、君に似ている誰かに浮気をしたということの比喩とも読める。これを解釈その1とする。

先述の、似た女性を追い越した部分を素直に読めば、彼女と別れた後で、偶然見つけた彼女に似た人を追いかけたが人違いだったという描写だろう。彼の未練を表している。『ルビーの指輪』(寺尾聡)で、彼女と似たコートの女性を探す描写と同じだ。この解釈の方が自然だろう。
だとすれば、彼女の心変わりの原因は、直接には描かれていないという結論になる。間接的に描いているのは「思い出に過信して 今と未来見失った」というフレーズだ。彼女との過去の関係が永遠に続くと思いこみ、油断して、現在の彼女への心遣いが足りなかったというくらいの意味だろう。この歌詞は『ひこうき雲』(AKB48)の歌詞「未来への曲がり角とやさしさと風を忘れていた」とニュアンスが似ている。別れの理由を直接的に描かないのは秋元康だけの得意技ではなく、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦:阿久悠作詞)でも「別れのその訳は話したくない」と歌っている。これが解釈その2だ。

ところで、恋が「詰んだ」と言っている。この歌詞と同様、最近若者を中心に「万事休す」「八方塞がり」「絶体絶命」という状況のことを「詰む」と表現するのが流行っているようだ。「テストが赤点で詰んだ」「バイト先の先輩が意地悪で詰んだ」「借金まみれで人生詰んだ」などなど。
しかし、この言葉遣いには、将棋アマチュア初段の私としては異論がある。将棋で「詰み」とはゲームオーバー、試合終了のことだ。「万事休す」「八方塞がり」「絶体絶命」はもう少し前の段階、もしかしたら起死回生策があるかもしれない状態を指しているような気がする。そんな段階で「詰んだ」とか簡単に言わないでほしい。この歌詞でも「どうすればいいんだろう let me know」と歌っているが、本当に詰んだのであればできることは何もないのだ。どうするもこうするもない。将棋盤を片付けて帰るだけだ。

いや、「詰んだ」後にやることが1つあった。プロ棋士は対局の後「感想戦」をやるのが慣例だ。対局を振り返り、勝負の分かれ目や、違う選択をした場合の形勢などについてお互いに話し合うのだ。
この歌の彼も、なぜ彼女が心変わりしたのか、自分の何が悪かったのか、彼女と腹を割って話し合うべきだ。そしてそれを次の恋に生かすのだ。
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大谷翔平の40盗塁・40本塁打をリアルタイム観戦した。(ときめき研究家)

2024-08-25 15:59:10 | ときめき研究家
日本時間8月24日土曜日、大谷翔平が40盗塁・40本塁打を達成した試合を観戦した。
4回の内野安打と盗塁はNHK-BSテレビで見た。左ピッチャーのモーションを完璧に盗んだスタートだった。キャッチャーが握り損ねて2塁に送球できなかったが、もし投げていても楽々セーフだっただろう。
9回の劇的なサヨナラ満塁ホームランは、実はテレビでは見ていない。外出先で、インターネットの「一球速報」をチェックしていた。動画ではなく、ダイアモンドの図とテキストによる速報だ。前のバッターが四球で二死満塁になり、すごい場面で回って来たなとドキドキしながらスマホ画面を凝視していたら、いきなり「本塁打(4点)」の表示に切り替わった。大谷が打った映像を見たわけではないが興奮した。もちろん、夜のテレビニュースで、実際の映像は何回も見た。
さて、私は大谷翔平の劇的なサヨナラ満塁本塁打をリアルタイム観戦したと言えるのだろうか?
私は自信を持って「イエス」と言える。

リアルタイム観戦か否かは「結果を知らずに観戦したか否か」なのだと思う。
観戦の媒体は何でも構わない。現地の球場で観戦するのが最も臨場感があるだろうが、テレビでも、ラジオでも、そして私のようにネット情報でも、結果を知らずに観戦すればそれはリアルタイム観戦だ。
もっと言えば、録画しておいたテレビ中継を、結果を知らない状態で再生して視聴すれば、それも疑似的なリアルタイム観戦と言える。私は競馬中継をよくそのようにして見る。馬券が当たるかどうかドキドキしながら見るのが楽しいのであって、結果だけ後で知るのではつまらない。外出などで生中継を見られないときは、ニュースなどの情報を遮断して家に帰るのに細心の注意を払う。

スポーツの種類によって、テレビ、ラジオ、インターネットといった観戦手段の向き不向きはある。野球は、1球1球プレイが中断するのでインターネットに適性がある。今回私が見た「一級速報」など、とてもよくできている。もちろんラジオ中継にも非常に親和性が高いし、長い歴史もある。だから、聞いていて、どのようなプレイだったかほぼ想像できる。
一方、映像がないと厳しいと思うのが、サッカー、相撲だ。プレイが連続し、中断しないし、目まぐるしく状況が変わる。それをラジオやインターネットで的確に伝えることは非常に難しい。それでもやむを得ず観戦することもあるが、野球ほどには楽しめない。ドキドキしない。
野球以上にインターネットに向いている競技は、囲碁・将棋だろう。多くのファンは実際インターネットで楽しんでいる。ただしこれらの競技は、ラジオ向きではない。

さて、ここでようやくアイドルの話になる。
アイドルのライブを動画配信で見ることは一般的になっている。自分の推しメンだけをずっと見るような楽しみ方はできないが、ライブ全体をほぼ現場にいるのと同じように楽しむことができる。また、スポーツのように「結果を知らずに観戦」することは求めていないので、「リアルタイム」というのも必須ではない。後日の配信やDVDなどでも充分楽しむことができる。
もっと言うなら、映像がなくても、音声だけでも十分だ。昔は「ライブ盤」のレコードも発売されていた。今のように映像ソフトを手軽に家庭で楽しめる時代でなかったこともあるが、そもそも音楽は音声で楽しむもので、映像は付加価値に過ぎなかったのだ。
更に言うなら、インターネットの記事でライブのセットリストを眺めるだけでも、楽しめることもある。
すこし前に、宮本佳林主演舞台『ザ☆アイドル』の鑑賞記を掲載した時、ナッキーさんから「記事を読んだだけで実際に見たような気になった」という言葉をいただいた。最上の誉め言葉で、嬉しかった。
観戦・鑑賞の媒体、スタイルは多様であるということだろう。
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アラン・ドロンから連想するアイドルは?(ときめき研究家)

2024-08-20 22:27:52 | ときめき研究家
アラン・ドロンが亡くなった。二枚目俳優の代名詞とも言える大スターで、日本のアイドルの楽曲にも登場している。

『アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた』(榊原郁恵)は、どんな二枚目俳優よりもあなたの方が好きと言う他愛のない内容。榊原郁恵の4曲目。奇抜なタイトルだが、ほのぼのとした青春ソングだ。ハーモニカのイントロ、間奏が印象的だった。気になって調べたら、アル・パシーノの方はまだ存命のようだ。(榊原郁恵に関する過去記事はこちら

『赤いハイヒール』(太田裕美)は、「アラン・ドロンと僕を比べて陽気に笑う君が好きだよ」というフレーズが出て来る。榊原郁恵の曲もそうだが、世界的なスターと身近な恋人を比べるという構図だ。比較対象となるスターは、名前を聞いただけで誰もが知っている有名人でなければならず、アラン・ドロンなら文句ないということだろう。

『太陽がいっぱい』(松本伊代)は、アラン・ドロン主演の代表作のタイトルを借用している。私はその映画を観たことがないが、映画の内容と歌詞はあまり関係がないと思われる。松本伊代の初期の楽曲『センチメンタル・ジャーニー』『ラブ・ミー・テンダー』『抱きしめたい』は洋楽の曲名を拝借しており、それと同様のノリだろう。映画の題名の借用で有名なのは『勝手にしやがれ』(沢田研二)がある。
『太陽がいっぱい』という同曲名は光GENIJIにも使われていた。

それでは、日本で、アラン・ドロンのように二枚目俳優の代名詞として使われ、歌詞や曲名にも使われるようなスターはいるだろうか? すこし前なら、石原裕次郎や高倉健は該当しただろう。
現在存命の俳優では誰かと考えてみたが難しい。俳優としての格で言えば役所広司だろうが、彼は二枚目だけでなく多彩な役柄をこなすので条件には合わない。
よくよく考えて出た結論は、人によって好き嫌いはあるだろうが、木村拓哉なのだと思う。
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同じ本を2度読むのは時間の無駄なのか?(ときめき研究家)

2024-08-16 14:48:37 | ときめき研究家
最近気になるテレビコマーシャルがある。
サントリーのノンアルコールビールを飲みながらのんびり読書していたダイアン津田が、突然「この本、読んだことがあった! 時間返せ!」と叫ぶのだ。
このコマーシャルは、飲んでも酔うことがなく、読書もできるというノンアル飲料の良さを伝えている。そして、一度読んだことのある本に途中で気づくという、誰でもやったことがある「失敗」を微笑ましく描いて、好感度を狙っているのだろう。しかし、私は「時間返せ」という一言に引っ掛かってしまう。

同じ本を2回読んでしまうのは、本当に時間の無駄なのだろうか?
それは、その人の価値観によるだろうし、読んでいる本の種類にもよるだろう。
気に入った小説の本なら、二度三度読み返すことはよくある。あるいは伏線がたっぷり張ってあるミステリーなら、結末を知った後でもう一度読んで確かめたくなる。
一方で、ハウツー本などは、一度読んで内容を把握したら、全文を再読することは少ないだろう。
つまりは「鑑賞」と「情報取得」の違いなのだ。もっと分かりやすい例で言うなら、アイドルを含むミュージシャンの楽曲を繰り返し聴いても「この曲、聴いたことあった! 時間返せ!」とは言わないだろう。漫画もそうだ。気に入った漫画は何度も読み返すという人は多いだろう。ストーリーは覚えていても、同じシーンで何度でも感動できるものだ。
一方で、昨日の新聞を今日のものと間違えて途中まで読んでから気づいたら、失敗したという気分になる。

ベストセラーとなっている三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』にも似たような分析があった。現代人は忙しすぎて「情報」にノイズが混じる「読書」ができなくなっているという説だ。「情報」を得るだけならインターネットが手っ取り早い。時間をかけて、ノイズの中から情報を読み解かなければならない「読書」をするには疲れすぎているというのだ。

ダイアン津田が読んでいた本がどんな本なのかは不明だが、おそらくハウツー本など「情報取得」系の本だろう。しかし、半分読むまで気付かなかったということは、忘れてしまっていた情報を再度取得できたのだから、時間の無駄とは言えないだろう。いっそ最後まで気付かなければ、なおよかったのだ。ただ、読んでもすぐ忘れてしまうような「情報」に価値があるのかどうかはわからない。

要するにこういうことか。2度目と自覚しての再読は「鑑賞」なので、無駄ではない。2度目と自覚せずに再読してしまったのは、気持ちの問題も含めて「失敗」という感情になりやすい。

私自身は、還暦を超えてから、昔読んで良かった本を読み返すことを増やしている。自覚しての再読だ。好きだった小説でもストーリーの細かな部分は忘れてしまっていることも多く、新鮮な気持ちで鑑賞することができる。そんな時は「時間返せ!」どころか、忘れさせてくれた長い時間に感謝したい気持ちになる。
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好きな女性アスリートは、「My wife」(ときめき研究家)

2024-07-28 16:25:47 | ときめき研究家
ドジャースの大谷翔平が「好きな女性アスリートは?」と訊かれて、「My wife」と答えたことで株を上げたと報じられている。確かに「神回答」と言えるだろう。
大谷夫人の真美子さんは、元バスケットボールの選手だ。つい最近まで現役でプレーしていた。大谷との出会いはスポーツジムとのことなので、お互いアスリート同士として知り合い、お互いの業績や技術などについても尊敬し合っている関係なのだろう。そういう二人の関係性がうかがい知れるような回答であって、単なる「愛妻家」というだけではない「神回答」なのだ。

そこで思い出すのがもう一人の「まみこ」夫人のことだ。
秋元康夫人の元アイドル高井麻巳子は、言わずもがなだが、彼がプロデュースした「おニャン子クラブ」の人気メンバーだった。役得と言うか、お手付きと言うか、職場恋愛と言うか分からないが、一緒に仕事をしている中でそういう関係に発展したのだろう。
そこで疑問がある。もし今、秋元康が「好きな女性歌手は?」と訊かれたとして「My wife」と答えるだろうか? 勝手に予想してみることにした。

もちろん。大谷翔平の場合とは条件が異なる点はある。
まず、ここは日本だ。日本では自分の配偶者を堂々と賞賛することには照れがある。
そして、真美子夫人と違って、麻巳子夫人は歌手を引退してから長い年月が経っていて「好きな女性歌手」として挙げるには一般的でないといった配慮も働く。
更に、秋元康は現在も作詞家として多くの女性歌手に詞を書いたりプロデュースしたりしている。そんな現役歌手たちを差し置いて自分の妻を挙げることも躊躇される。
しかし一方、現役歌手のだれか一人を選ぶのは角が立つから、自分の妻を挙げておこうという戦略もありえる。大谷発言を念頭に、気の利いた答えとして「My wife」と答えることも考えられる。

しかし、もっと本質的に、秋元康は歌手「高井麻巳子」を評価、リスペクトしていたのだろうか? 
以前に「柏木由紀は高井麻巳子にイメージが似ている」という内容の記事を書いたことがある。その時にも書いたが、秋元康はソロ歌手高井麻巳子には作詞していない。一方で、ユニットの「うしろゆびさされ組」にはノリノリで作詞している。ソロ歌手としては、落ち着いた曲調、女性作詞家の作詞で、女性らしいイメージを出したいといった戦略とか、様々な事情があったのだろう。だが、少なくとも当時、「この歌手にどうしても自分の詞を歌わせたい」と秋元康が思えば、彼が作詞することに反対する者はいなかったと思われ、そこまでの熱意は沸き上がらなかったのではないかと推理する。

私はソロ歌手高井麻巳子の作品も好きで、4枚のアルバムも今も時々は聴くこともある。ただ、おニャン子クラブメンバーからソロデビューした中では、工藤静香、新田恵利、国生さゆり、河合その子の4人には、当時の売り上げや個性では及ばなかったという印象はある。プロデューサーである秋元康にもそれは十分わかっていたはずだ。そのことと恋愛感情は全く別だったのだろう。

結論として、秋元康は「好きな女性歌手は?」と訊かれたら、「My wife」とは答えないだろう。
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宮本佳林主演舞台『ザ☆アイドル』を鑑賞(ネタバレあり)。(ときめき研究家)

2024-06-23 13:58:55 | ときめき研究家
ナッキーさんに勧められて、本当に久しぶりにアイドルの舞台を鑑賞することとなった。
紹介された告知サイトで「80年代の売れないアイドルが2024年にタイムトリップして人気アイドルになる」というあらすじだけを読んで、なぜだかこの舞台は観た方がいい、否観なければならない、ぜひ観たい、と直感したからだ。こういう直感には従わなければならない。早速チケット(9500円)を予約した。
この時点では主演の宮本佳林とは何者で、どんなキャリアで、どのくらい人気があるのかも全く分かっていなかった。これほど何の予備知識、先入観もなく鑑賞できるのは貴重な体験だ。自分がどのように感じることができるのか、ワクワクした。
ブログ記事で過去に遡って確認したら、直近の舞台鑑賞は2017年3月の多田愛佳出演の『僕たちのピンクスパイダー』だった。7年ぶり。私は現場派でないとは言え、ずいぶんご無沙汰だったのだ。

さて、今回2024年6月21日の観戦。会場は新宿丸井本館8階にある「シアターマーキュリー新宿」で、もちろん初訪問だ。丸井本館自体がずいぶんお洒落になっていて、1階にはアップルの店舗が入っていた。
劇場の広さは、小劇場にしてはやや広め。座席数を数えたら、12~15席が10列なので130席程度、列間にも余裕があった。後ろの方に若干空席があったが、100名以上は入っていた。この会場で16日間、1日2~3公演できるのだから、相当の人気公演と言えるだろう。
客層は老若男女幅広いが、7:3で男性が多く、30代から50代が一番多いように見えた。この時点でハロプロ関連であることには気づいていたので、結構ファン歴が長い客も多いのだろうと推察した。

いよいよ開演。舞台装置は簡素で、出演者は4人(宮本佳林、元宝塚のえまおゆう、ハロプロ研究生2名)のみ。ナレーションと小芝居で物語が進んでいく。歌は、ミュージカルのように物語の一部として歌われるのではなく、あくまで宮本佳林演じるアイドルがステージ等で披露する楽曲という設定で歌われる。だから歌は歌として純粋に鑑賞することができる。というより、物語はほどほどで、歌を聴くのがメインの公演だった。

宮本佳林が歌うのがオリジナル6曲と『青い珊瑚礁』『迷宮のアンドローラ』『時をかける少女』の計9曲。その他に、ハロプロ研究生2名が歌うデュエット曲はBabe風の元気な歌(曲名不明)。そして狂言回し的な役で舞台を回していたえまおゆうが、物語に関係なく『僕が君をどんなに好きか、君は知らない』(郷ひろみ)を披露してくれたが、さすがの歌唱力だった。
また、物語終了後に「ショーケース」と称して、宮本佳林が2曲歌った。『セカンドラブ』と、もう1曲は彼女のオリジナル曲。その場では曲名が分からなかったが、後でネットの歌詞検索で調べたら『若者ブランド』という楽曲のようだった。

今公演のための書き下ろし楽曲の人気投票用紙が配られていて、上位曲をシングルカットするとのことだ。その用紙が手元にあったので楽曲名が正確に分かった。しかも、6曲の「サビメドレー」のWebサイトもあったので、復習することができた。いいサービスだ。オリジナル曲6曲の感想を以下に記す。

1.『バイオレット・サンセット』:1985年に歌っていた想定の楽曲。黄色いドレスに聖子ちゃんカット。海辺でファーストキスしたいというような、酒井法子風の王道アイドルポップ。「渡り廊下」という「季語」も登場。

2.『ビーズに願いを』:チャイナ風アレンジがアクセントのミディアムテンポ曲。ちょっと松本伊代風。

3.『一万光年アイドル』:2024年にタイムトリップしてから歌う曲。YOASOBI『アイドル』を連想するような今風サウンド。ラップ部分あり。衣装もパステルカラーで現代風。

4.『HANAMICHI』:「夢じゃない、奇跡を信じて花道を行く」というような啓発ソング。ちょっと松浦亜弥風。

5.『約束の愛の歌』:黒いドレス。「いつもそばにいるよ」というようなバラード。浅香唯風。

6.『SUPER IDOL -Especial-』:濃いピンクの衣装。「世界中が敵でも私は味方、あなたは最高」というような応援ソング。歌詞の内容はうしろゆびさされ組風。

どの曲もいいと思ったが、1曲選ぶとすれば『バイオレット・サンセット』。どの曲がシングルカットされるにせよ、他の曲もカップリング曲にしてほしい。それなら購入する。

カバー曲も含めて、歌唱にはかなり満足できた。もちろん全曲生歌で、ところどころ怪しい箇所もあったが、しっかり歌いきる力は感じられた。何より、他の誰とも違う「宮本佳林風」の歌唱法を確立している。強いて過去のアイドルに例えるなら、石川ひとみの語尾までしっかり歌う歌い方に似ていた。
それでも、一番上手に聴こえたのは自身のオリジナル曲で、何百回も歌い込んでいると思われる『若者ブランド』だった。この曲だけ口パクか? と疑うくらい目覚ましく堂々とした歌唱だった。

物語についても少しだけ触れる。
タイムトリップものは私の大好物で、それもこの舞台を観たかった理由の1つだ。現代から過去にタイムトリップして、未来を知っているメリットを活用して活躍する話はありがちだが、過去から現代に来て活躍するのはデメリットばかりで困難なのではと思った。劇中では、「時代錯誤のずれた所」が受けていることになっていた。
時代は変わってもアイドルは魅力的、どんなに売れていないアイドルでも応援しているファンはいて、いつまでも覚えている、そんなことを描いていて素敵な物語だと思った。でも、現実問題として、スターボーのうち1人が現代にタイムトリップして来てデビューしたら、同一人物だと断定できる自信は私にはない。

観戦後に、ネットで「宮本佳林」について調べた。
2008年に8歳でハロプロに入り、現在25歳の大ベテランだった。2013年から「Juice=Juice」のメンバーで、2020年にハロプロ卒業後ソロで活躍しているという。そんなことも知らずに観戦していたのは、会場で私一人だったかもしれない。昔からのファンには失礼だったかもしれないが、チケット代に値する貴重な観戦体験だった。
「Juice=Juice」主演のテレビドラマ『武道館』は観ていたので、実は初見ではなかったはずだ。でも残念ながら当時の印象は全く覚えていない。
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日向坂46『君はハニーデュー』を聴く。(ときめき研究家)

2024-06-07 22:38:05 | ときめき研究家
『君はハニーデュー』。
タイトルの意味が分からずに聴いたが、「ハニーデューメロン」のことだった。
ハニーデューメロンは、マスクメロンなどの高級メロンと比べると甘さもほどほど、果肉もやや硬めだが、僕はそれが一番好きだという内容だ。言いたいことはよく分かる。他人がどう言おうと、自分にとって一番好きなのは君だという比喩で、『ドリアン少年』『逆転王子様』『ゴルゴンゾーラ』『あばたもえくぼはふくはうち』『ポンコツな君が好きだ』などの曲と同じ趣向だ。フルーツ関連で言えば『アボガドじゃねーし』とも構図は似ている。他人の評価関係なしに、好きなものは好きという主張だ。
ただそれらの曲と異なるのは、ハニーデューメロンはそれほど個性的ではないということだ。「好き嫌いはっきり分かれる」と歌ってはいるが、私はそうは思わない。「特別好きでも嫌いでもない」という人が多数なのではないか。そんな中で、自分は特別に好きだと歌っているのだ。ドリアンやゴルゴンゾーラチーズのような強烈な個性に惹かれるというのではなく、平凡で地味だけど素朴なおいしさが好きという感じなのではないだろうか。
例えて言えば、アイドルグループのメンバーの中で、埋もれがちで目立たないメンバーを好きになったファンの心情だろう。現在の日向坂メンバーはあまり知らないので誰と例えることはできないが、昔のAKB48なら仲川遥香、HKT48なら穴井千尋、乃木坂46なら深川麻衣というような感じだろうか。そして、私は結構好きなタイプだ。
曲調は楽しく賑やかな感じ。いかにも日向坂のシングルに似合った曲調だ。「ダメかな?」とメロディーから外れてセリフ調になる所など、あざといアイドル唱法だが、思わずニヤけてしまう。

カップリング曲の『恋とあんバター』も同工異曲の楽曲だ。デザートではあんバターが一番好きとひたすら連呼している歌で、この曲もとても楽しい。
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乃木坂46『チャンスは平等』とカップリング曲を聴く。(ときめき研究家)

2024-05-20 21:50:10 | ときめき研究家
『チャンスは平等』。
いかにもシングル曲らしい歌だ。
タイトルからはよくある啓蒙的な楽曲にも思えるが、この曲に限ってそれほど深い意味はない。軽いノリで「君ならできる」「明日はきっといい日」とか、根拠もなく声をかけているような歌詞だ。
洗練されたリズムとメロディーに合わせそれっぽい歌詞を当てはめただけ。何よりダンスの方を重要視している。そんなコンセプトの楽曲だと理解した。鹿爪らしく「チャンスは平等なのだから無駄にしないように努力するべきだ」と説教されるかと思ったら拍子抜けして、これはこれでいいものだ。

『車道側』。
幼稚園の頃からの幼馴染が、いつか恋愛対象になって、僕が車道側を歩いて君を守るよという歌。
幼馴染からの恋愛をテーマにした歌は数多ある。『鈴懸なんちゃら』(AKB48)『ショートケーキ』(柏木由紀)がすぐに浮かぶが、いずれも2人の関係がいつの間にか変化していたことに気づく歌だ。『車道側』も同じだ。ただこの歌の2人は『ショートケーキ』のように上手に恋愛に移行できていないことを暗示している。「どこにいたって君のことが好きだ」というラストは、恋人として一緒にいられない現実を示唆する。その意味では『鈴懸なんちゃら』の2人の関係に近い。

『あと7曲』。
仲間と深夜までカラオケにいたが、まだ歌い足らず、あと7曲歌わせろという他愛のない歌。
アンニュイな曲調と、ストレートな欲求がミスマッチで、そこが独特の味わいになっている。
「順番にマイクを回すと割り込めない」「マニアックな曲は遠慮してしまう」「キーをいくつ下げると歌いやすいか把握」「カラオケ嫌いだったのに突然ハマってしまう」など、カラオケあるあるを盛り込み、一種のカラオケ賛歌になっている。
しかし若者はパワーがある。最近私はめったにカラオケに行かなくなったが、3曲も歌えばもう満足だ。

『ぶんぶくちゃがま』。
シュールな歌。ぶんぶく茶釜の蓋がないと大騒ぎしているが、そもそもぶんぶく茶釜って何だっけ? ただ言葉の響きが気に入っているだけ、というような支離滅裂な内容。でもそれは正直な作詞家の告白で、メロディーにしっくり合った「ぶんぶくちゃがま」という言葉からスタートして1曲でっち上げた歌詞なのだろう。文学性をはじめから求めない歌詞があってもいいし、この歌はそういう歌なのだ。

『「じゃあね」が切ない』。
いつも一緒にいたい。ほんの数時間でも離れていたくない。「じゃあね」がなかなかできない熱愛期のカップルの歌だ。そんな一時期がどのカップルにもあるのだろう。恋が始まり、加速度的に親密度が増していくその貴重な一時期。それは二人にとってかけがえのない時間だ。やがてその速度は鈍化し、平常運転となる。それが恋愛の日常だ。平常運転になってしまうまでに、どこまで速度を上げられるのか、それによって長く続く日常の在り方も変わってくるのではないか。
レトロな喫茶店と中目黒駅の改札という2場面だけの描写で、そんな2人の一瞬を切り取った歌詞が印象深い。穏やかな曲調がそれを引き立てている。

『夏桜』。
山下美月のソロ曲。彼女の卒業ソングで、作詞も自身が行ったとのことだ。
また1人、顔と名前がわかるメンバーが卒業してしまう。彼女のことは朝ドラ『舞いあがれ』で認識したが、その後もいろいろなドラマで目にするようになった。女優としての活動に注力するため、卒業のベストタイミングだと判断したのだろう。
しっとりしたフォークソング調の曲だ。山下の声は思いのほか幼く、ウエットだ。ドラマでのしっかりした演技力と対照的に、儚げな歌唱は、これはこれでいいものだ。
「夏の桜」とは葉桜のことだろう。花は散り、時期が来て、自分は卒業する。次の季節の花を咲かせるのは後に残るメンバーに託す。「ありがとう ありがとう もう行くよ」とメンバーやファンへの気持ちを歌う素直な歌詞だ。「美しい月が照らす」と自分の名前も自然に忍ばせ、「何より大切なこの坂」とグループを暗示する「坂」も歌い込んでいる。ファン心理をくすぐる、なかなか完成度の高い歌詞だ。

『サルビアの花を覚えているかい?』については既に記事を掲載済み。何度も聴きたくなる曲だ。

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