ダイヤモンド社竹井善昭氏の 指原莉乃1位に違和感論への感想と指摘(ナッキー)
このブログのコメントで話題になったダイヤモンド社竹井善昭氏の記事 AKB総選挙「指原1位」、ホントにそれでいいの!? 公平な選挙制度が持つ「光と影」を考えるを読んで、とても参考になりました。
中森明夫、小林よしのり、濱野智史等の文章は、AKB48をよく知っているから面白い。一方、逆にAKB48を知らない人の文章は、知識や認識に誤りはあるが、「木を見て森を見ず」になっている自分に気がつかせてくれることがよくある。
「竹井氏の文章の要約」と、<<私の感想>>
「最終結果が出た時に感じた「ああ、ホントに指原が1位になっちゃったんだ」という感覚。それは虚無感とか脱力感ともいえるものだった。」
<<私は毎年、虚無感と脱力感を味わってきた。一番最初は2010年に渡辺麻友が1位になれなかった時。アイドル史上最高傑作と言ってもよい「まゆゆ」がアイドルとして全盛なのに、1位になれない総選挙っておかしい、制度に問題がある、辞めた方がよいのではないかと。ナッキー>>
「多数の人間が「指原1位」の結果に違和感を持ったということだ。指原ファンには申し訳ないが、これが今回のAKB総選挙の結果に対する、多くの人の反応である。」
<<私は2010-12年と3年連続も、違和感を持ち続けてきた。指原1位により、私が3年間持ち続けてきた違和感を、多くのAKB48ファン・一般人と共有できたことは、とてもうれしい。ナッキー>>
「指原個人に向けられた違和感ではないと思う。そうではなくて、指原を1位にしてしまったファンの投票行動に対する違和感だったと思う。」
<<指原莉乃がセンターのAKB48は認められない・認めたくないというファンの攻撃は、本来は指原に投票した人に向かうはずだが、誰を攻撃してよいのか分からないため、結果として違和感と攻撃は指原莉乃個人に向けられているのではないでしょうか。ナッキー>>
「ファン自身の手で踏みにじられたアイドルに対する「神聖感」
指原が1位になったことで、僕や多くの人が感じた違和感。それは「ホントにそんな結果でいいの?」ということだったと思う。もう少し詳しく言えば、AKB48などのアイドルグループには不可欠の「神聖感」というものが、ファン自身の手で踏みにじられたことへの違和感、嫌悪感だったと思う。」
<<私はアイドルは恋愛自由にして、恋愛発覚により人気がなくなるメンバーは自然淘汰されればよいと考える。「神聖感」はアイドルに不可欠ではなく、「神聖感」がある方が売れやすいという付加価値にすぎない。「神聖感」がなくても売れるアイドル(タレント・芸能人)がいて、そちらの方が恋愛禁止を守り続けないと人気を維持できないアイドルより、(芸能界で生き残る)実力がある。
文中、多くの人が違和感・嫌悪感を抱いたという点は正しい認識。>>
「恋愛スキャンダルを起こしたAKBメンバーは指原1人ではないが、彼女の場合(週刊文春の報道によると)「ファンに自分から手を出した」という致命的なスキャンダルだった。いかに寛容なファンといえども、(スキャンダルの相手が業界関係者や芸能人相手ならともかく)自分からファンを誘うという行為は、重大なルール違反だと感じたはずだ。しかし、指原ファンは僕の予想を超えて寛容だった」
<<相手がファンだと罪が重いという思考回路は(私にはないので)新鮮。>>
「だからこその総選挙1位という結果なのであった。これは何を意味するかというと、恋愛禁止というルールを必死に守ってきた他のメンバーに対するモラルハザードが起きてしまうということである。」
<<モラルハザードは起きない。他のメンバーはアイドルであると同時に芸能人である。芸能界で人気をつかむには、恋愛禁止を守らないと人気が保てない「甘ちゃん」のアイドルでは限界があり、スキャンダルを踏み台にしてビックになるくらいの実力が必要であるという、マーケットの声を実感したはず。それができないアイドルは恋愛禁止を守っているという「売り」に頼らざるをえないので、モラルハザードは起きない。>>
続く。ナッキー
このブログのコメントで話題になったダイヤモンド社竹井善昭氏の記事 AKB総選挙「指原1位」、ホントにそれでいいの!? 公平な選挙制度が持つ「光と影」を考えるを読んで、とても参考になりました。
中森明夫、小林よしのり、濱野智史等の文章は、AKB48をよく知っているから面白い。一方、逆にAKB48を知らない人の文章は、知識や認識に誤りはあるが、「木を見て森を見ず」になっている自分に気がつかせてくれることがよくある。
「竹井氏の文章の要約」と、<<私の感想>>
「最終結果が出た時に感じた「ああ、ホントに指原が1位になっちゃったんだ」という感覚。それは虚無感とか脱力感ともいえるものだった。」
<<私は毎年、虚無感と脱力感を味わってきた。一番最初は2010年に渡辺麻友が1位になれなかった時。アイドル史上最高傑作と言ってもよい「まゆゆ」がアイドルとして全盛なのに、1位になれない総選挙っておかしい、制度に問題がある、辞めた方がよいのではないかと。ナッキー>>
「多数の人間が「指原1位」の結果に違和感を持ったということだ。指原ファンには申し訳ないが、これが今回のAKB総選挙の結果に対する、多くの人の反応である。」
<<私は2010-12年と3年連続も、違和感を持ち続けてきた。指原1位により、私が3年間持ち続けてきた違和感を、多くのAKB48ファン・一般人と共有できたことは、とてもうれしい。ナッキー>>
「指原個人に向けられた違和感ではないと思う。そうではなくて、指原を1位にしてしまったファンの投票行動に対する違和感だったと思う。」
<<指原莉乃がセンターのAKB48は認められない・認めたくないというファンの攻撃は、本来は指原に投票した人に向かうはずだが、誰を攻撃してよいのか分からないため、結果として違和感と攻撃は指原莉乃個人に向けられているのではないでしょうか。ナッキー>>
「ファン自身の手で踏みにじられたアイドルに対する「神聖感」
指原が1位になったことで、僕や多くの人が感じた違和感。それは「ホントにそんな結果でいいの?」ということだったと思う。もう少し詳しく言えば、AKB48などのアイドルグループには不可欠の「神聖感」というものが、ファン自身の手で踏みにじられたことへの違和感、嫌悪感だったと思う。」
<<私はアイドルは恋愛自由にして、恋愛発覚により人気がなくなるメンバーは自然淘汰されればよいと考える。「神聖感」はアイドルに不可欠ではなく、「神聖感」がある方が売れやすいという付加価値にすぎない。「神聖感」がなくても売れるアイドル(タレント・芸能人)がいて、そちらの方が恋愛禁止を守り続けないと人気を維持できないアイドルより、(芸能界で生き残る)実力がある。
文中、多くの人が違和感・嫌悪感を抱いたという点は正しい認識。>>
「恋愛スキャンダルを起こしたAKBメンバーは指原1人ではないが、彼女の場合(週刊文春の報道によると)「ファンに自分から手を出した」という致命的なスキャンダルだった。いかに寛容なファンといえども、(スキャンダルの相手が業界関係者や芸能人相手ならともかく)自分からファンを誘うという行為は、重大なルール違反だと感じたはずだ。しかし、指原ファンは僕の予想を超えて寛容だった」
<<相手がファンだと罪が重いという思考回路は(私にはないので)新鮮。>>
「だからこその総選挙1位という結果なのであった。これは何を意味するかというと、恋愛禁止というルールを必死に守ってきた他のメンバーに対するモラルハザードが起きてしまうということである。」
<<モラルハザードは起きない。他のメンバーはアイドルであると同時に芸能人である。芸能界で人気をつかむには、恋愛禁止を守らないと人気が保てない「甘ちゃん」のアイドルでは限界があり、スキャンダルを踏み台にしてビックになるくらいの実力が必要であるという、マーケットの声を実感したはず。それができないアイドルは恋愛禁止を守っているという「売り」に頼らざるをえないので、モラルハザードは起きない。>>
続く。ナッキー
AKB総選挙「指原1位」、ホントにそれでいいの!? 公平な選挙制度が持つ「光と影」を考える
今年もAKB48の総選挙(正式名:AKB48 32ndシングル 選抜総選挙、別名:第5回AKB48選抜総選挙)が行なわれた。1位となったのはご存じのとおり、指原莉乃である。読者の皆さんは、この結果を聞いてどう感じただろうか?
多くのメディアは「予想外」と伝えた。しかし、僕が感じたのは、「予想外」ではない。一種の虚無感である。今回の総選挙、速報で指原が1位であることが発表された段階で、多くの人も同様だと思うが、僕は彼女がそのまま1位になるような予感はあった。だから、指原が1位になったことは、けっして「予想外」のことではない。
しかし、最終結果が出た時に感じた「ああ、ホントに指原が1位になっちゃったんだ」という感覚。それは虚無感とか脱力感ともいえるものだった。AKB48に関心を抱く日本人の多くが感じたものだったのではないかと思う。今回はその虚無感、脱力感の本質を探りつつ、選挙のあり方についても考えてみたい。
「指原1位」に感じた違和感
まずは、AKB総選挙を振り返りたいが、僕はこの選挙結果を都内某所のとあるカジュアル・レストランで、娘と食事をしながらテレビで見ていた。特に注視していたわけではないが、それでも上位の発表あたりから少しずつ気になり始め、娘と一緒にその結果について語り合っていた。店内にいた他のテーブルの客もそんな感じだった。
しかし、3位に渡辺麻友の名前が発表されたあたりから、店内に妙な緊張感が漂い、それまでテレビをチラ見しながら談笑していた客が(僕らもそうだが)、テレビに注視し始めた。
この時点で、残っているのは大島優子と指原莉乃の2人。もし、次の2位に大島優子の名前が呼ばれてしまったら、指原莉乃の1位が決定である。「まさかね…」。そんな「不安感」が、さして広くはないレストランの店内に充満してしまっていた。そして、その不安は的中し、大島優子の名前が呼ばれてしまった。つまり、指原莉乃1位決定。その瞬間、店内には何ともいえないシラケた空気が漂ってしまったのだ。
これはレストランにいた、AKBファンでも何でもない一市民だけの反応ではないようで、各種メディアの報道によれば、総選挙の会場であった日産スタジアムでは、大島優子が2位に確定した段階で多くのファンが席を立って帰ってしまったという。
要するに、多数の人間が「指原1位」の結果に違和感を持ったということだ。指原ファンには申し訳ないが、これが今回のAKB総選挙の結果に対する、多くの人の反応である。
では、その違和感とは何だったのか、なぜ違和感を感じたのだろうか――。それはたぶん、指原個人に向けられた違和感ではないと思う。そうではなくて、指原を1位にしてしまったファンの投票行動に対する違和感だったと思う。
ファン自身の手で踏みにじられた
アイドルに対する「神聖感」
公式サイトによると、AKB総選挙の開票ルールは、
「AKB48に関連しない第三者機関に集計を依頼。さらに、弁護士による監視の下、厳正なる開票を行ないます。開票当日は、弁護士の最終確認を終えた順位ごとの用紙を封筒に入れ、弁護士による割印も押します。その後、会場にて皆様の前で司会者が開票致します」
ということである。
つまり、総選挙の結果に対して運営側が何らかの意図を持って操作することはできない仕組みになっているということだ。もちろん、この仕組みも疑えばキリがない。本当に厳正に集計・開票が行われているのか、と。
しかし僕は、この総選挙はけっこうピュアに行なわれているように感じている。これは秋元康氏や運営側の良心を信じるとか、そういったキレイごとで言っているのではない。ピュアにやったほうが、このようなイベントは盛り上がるという、純粋にビジネス的な視点でそう思っているわけだ。今回の総選挙の結果も運営側の意図によるものではなく、純粋にファンの意志によるものだろう。しかし、だからこそ、これはAKB48にとって問題だと思うわけだ。
指原が1位になったことで、僕や多くの人が感じた違和感。それは「ホントにそんな結果でいいの?」ということだったと思う。もう少し詳しく言えば、AKB48などのアイドルグループには不可欠の「神聖感」というものが、ファン自身の手で踏みにじられたことへの違和感、嫌悪感だったと思う。
指原莉乃は、恋愛禁止のルールがあるAKB48にあって、昨年の総選挙直後に「恋愛スキャンダル」を起こしてしまい、福岡を拠点とする「HKT48」に「左遷」されている。恋愛スキャンダルを起こしたAKBメンバーは指原1人ではないが、彼女の場合(週刊文春の報道によると)「ファンに自分から手を出して、しかも、その男性に交際の内容をマスコミにばらされてしまう」という、アイドルグループの一員としては致命的なスキャンダルだった。いかに寛容なファンといえども、(スキャンダルの相手が業界関係者や芸能人相手ならともかく)自分からファンを誘うという行為は、重大なルール違反だと感じたはずだ。
しかし、指原ファンは僕の予想を超えて寛容だったわけで、だからこその総選挙1位という結果なのであった。これは何を意味するかというと、恋愛禁止というルールを必死に守ってきた他のメンバーに対するモラルハザードが起きてしまうということである。
また今回、2位となった大島優子は記者会見でこんなコメントをしている。
「涙のひとつも出ない。おなか抱えて笑ってしまう総選挙は初めてです」(6/8サンケイスポーツ記事より)
なぜ涙のひとつも出ないのか。なぜお腹を抱えて笑ってしまうのか。僕はそこに、大島優子の深い絶望と大きな脱力を感じてしまう。ご存じのように大島優子は、長年にわたって前田敦子とセンターのポジションを争ってきた存在で、「AKB48を支えてきた」という強い意識を持っているはずである。まして、前田敦子が卒業した後は、文字通り「AKB48の中心的存在は自分だ」という(良い意味での)自意識を持っていたはずだ。その意識の中には、「アイドル・グループとしての神聖感を守る」という想いもあったかもしれない。
それなのに、渡辺麻友ならともかく、指原莉乃に負けた。必死になってAKBを守ってきた自分ではなく、恋愛スキャンダルによってAKB48の神聖感を汚した指原をファンは選んだ。そのことが結果として発表された瞬間の大島の感情をひと言で表せば、
「なんだ、こりゃ?」
だったのだと思う。だからこそ、「お腹を抱えて笑って」しまったのではないかと思うわけだ。そしてこれは、指原ファンをのぞく多くのAKBファン、そして一般市民が感じたことと同じだと思う。だからこそ、「2位、大島優子」が発表された瞬間に、多くのファンが日産スタジアムを立ち去り、ツイッターやネットの掲示板では「エッチ写真バラ巻かれた女が国民的アイドル1位になる時代」などという、いささか下品だが本質を突いた投稿が溢れたワケである。
念のために断っておくが、僕は大島押しでもなければ、指原莉乃が嫌いなワケでもない。ただ、指原ファンの今回の投票行動は、AKB48の価値を毀損する行為だったと言っているわけだ。それが本当に指原のためにもなったのだろうか、という危惧もある。
今回の1位を受けて指原本人はこのように宣言している。
「私がセンターになったらAKBは壊れる、とか言われましたが、AKBは壊しません! 頑張ります!」
そう、AKBを壊すのは指原莉乃ではない。彼女に投票したファンなのである。
制度だけでは、
「公平な選挙」は実現しない
今回のAKB総選挙で見えたのは、「公平な選挙」というものが持つ光と影である。つまり、「公平な選挙」は時として「何か大切で神聖なものを必死になって守ってきた者」を裏切ることもあるということだ。それは国政選挙も同じである。
いわゆる「フェミニスト」がよく指摘することだが、日本の国会議員の92%は男性である。この事実をもって、日本は男女格差があるという。確かに日本社会にはさまざまな男女格差もあるし、女性差別もある。就活においては未だに女子大生は男子学生と比べて格段に不利だし、企業内においても不利益をこうむっている。女性をメインターゲットにした企業でさえ、多くの場合、社長は男性だ。
しかし、少なくとも政治に関しては男女平等なのである。あたりまえだが、有権者の半分は女性であり、男性と女性の間に1票の格差はない。票の半分を女性が握っているにもかかわらず、国会議員の92%が男性なのは、多くの女性も男性候補者に票を投じているからである。ジェンダー平等が社会のあるべき姿だとすれば、それを阻んでいるのは男性だけでないということだ。
もちろん僕は、女性なら女性候補者に投票すべきだと言いたいわけではない。議員は人柄と志と能力で選ぶべきで、それこそジェンダーで選ぶべきではない。男性にだってジェンダー平等主義者はいるし、女性のエンパワーメントに高い価値観を置く人間だっているし、議員としてふさわしくない女性候補者もいるだろう。
しかし、それでも有権者の半分が女性にもかかわらず国会議員の9割が男性というのは、やはり何かがおかしいと感じる。これは本当に「公平な選挙」の結果なのだろうか。公平でないとすれば、不公平を生み出しているものは何か?
それは、「文化」である。女性の国会議員が極端に少ないのは、女性が女性候補に投票しないからであり、女性が支持したいと思うような女性候補者が少ないからであり、国を背負うリーダーになりたいと思う女性が少ないからであり、そのような状況を生み出してしまったのは、これまでの日本の文化のせいである(そのあたりの事情はアメリカも同様らしいが、そのことについては次回以降、詳しく述べる)。
つまり、「公平な選挙」という制度を作っただけでは社会は変わらない。やはり文化を変えなければ社会は変わらない。そうでなければ、公平な選挙がいつまでも、「女性にとって不公平な結果」を生み出し続けるだろう。永遠に。
7月には参議院議員選挙が行なわれる。順当に行けば今回も自民党が勝つのだろう。少なくとも安倍政権を崩壊させるような結果にはならないと思う。ただ、その安倍政権の売りは、アベノミクスとウーマノミクスである。 僕は、意外と安倍政権はこれまでのどの政権よりも本気で女性の社会進出を考えているのではないかと思っている。女性の機会平等を願う人にとっては、その意味で今回の参院選は大きなチャンスなのである。チャンスは生かさなければならない。
「女性の解放」については、これまで長い時間をかけて多くの女性たちが戦ってきた。たとえばココ・シャネルは女性をコルセットから解放した。マリー・クワントはミニスカートとホットパンツを発明し、それは60年代には女性解放の象徴となった。日本では、婦人参政権の実現に尽力した平塚らいてうのような女性もいる。今回の参院選が、そういった女性たちが「腹を抱えて笑うしかない」ような結果にならないことを願うばかりである。
はっきりいって、AKBファンはそんなもの求めていない。
高校野球や箱根駅伝は、プロ野球や社会人に比べてレベルは低いけど、全力のヘッドスライディングに感動する。別に隠し玉や相手にけがをさせてまで、生き残ろうとする邪道さは、一切求めていない。
スキャンダルを踏み台にするような、薄汚れた世界を求めているわけではない。
例えそれがプロとして優れていても、AKB的には価値はない。
だから指原の1位は、「AKBの死」とイコールである。
指原を美談にしすぎる。
すでにAKBファンの半分近くは、今回の1位でAKBに冷めただろう。
2012年8月ギンガミチェック131万枚
2012年10月UZA126万枚
2012年12月永遠プレッシャー120万枚
2013年2月 So long! 112万枚
2013年5月さよならクロール180万枚?
これがAKBファンの半分?
>すでにAKBファンの半分近くは、今回の1位でAKBに冷めただろう。
テッドさんはデータを提示してAKBファンの動向を推定しておられますがこの手法に大賛成です。
(多少不完全でもよいのでけど)データ等の何かの裏付けもなく自分の単なる個人的な「思い」にもかかわらず
他のAKBファン全部、(あるいは半分近い、等の表現ですね)が感じていると陶酔するコメントはよろしくありませんね。
他のAKBファンに迷惑です。
このような、自分の単なる個人的な意見をAKBファン全体(あるいは大多数)という主語にすり替えたコメントが色々なサイトで最近増えてきていますが、これはなぜですかね?
実はそもそもAKBファンではない人人間のAKBへのネガティブキャンペーン?
ミリオン割れ確実、70万いけばいいほうでしょう。
この匿名の方は何が言いたいのかな?
指原のせいでミリオンは割れるけどCD販売はトップを維持すると言いたいのかな?
指原さん個人に関しては、スキャンダルの悪名は、
時に無名(=毒にも薬にもならない存在であること)よりも、勝る。
しかし、AKBグループ組織全体に関しては、
やはりスキャンダルの悪名を、自ら茶番劇化にしてPRを続けることは、
AKB組織崩壊という副作用として、ボディブローのように効いて来る。
つまり指原さんの最大の罪は、「自己利益の為のみ」に、
スキャンダルを茶番化し、AKBグループという「組織を崩壊に」導いていること。
小林よりのり氏のスタイルは大歓迎。
指原の1位を心情的に受け入れられない立場からいうと、
アイドルの存在自体も、恋愛禁止も、
ある意味、「偶像・ネタ」であること自体は、分かっているんですよ。
いや、「分かっているからこそ」、むしろ、「分かっている人ほど」、
指原の1位が受け入れられないのです。
マジックショーを見に行くとき、タネもシカケもあることを分かっていながら、
敢えて魔法に騙されることを期待して、快感を覚え、共鳴する。
その魔法が繰り広げる形而上の神話(≒理念)の世界を楽しんでいるんです。
そうやって、これまでは特に、前田vs大島+神7のガチの闘いが共感を得て、
AKBはここまで大きくなったのは間違いない。
だから、前田敦子の1位に対する冷たい反応、大島優子の1位に対する「笑っちゃう」の反応。
あれは、ガチ中のガチですよ。
二人とも、ガチで怒り狂ってる。小林よしのり氏と同じくらいの勢いで。
これまでの二人の半生を、すべて否定されたくらいに。
こちらが指原に求めてもいないのに、「アイドルには、タネもシカケもあります」
「みなさんにもぜひ、それを隠さずお見せしましょう」と、
アイドルの裏事情やスキャンダルネタを見せつけられて、
わざわざ見たくもないマジックショーの裏側を見せられて、
それが1位になろうものなら、不快以外の何物でもない。
冷める。シラケる。ただただ、それだけ。
そこに価値もへったくれもない。
そういうのをやりたいのであれば、AKB辞めて、AKBの看板降ろしてソロでやれよと。
そういうスタイルを表現する場は、AKB以外にたくさんあるだろうと。
AKBが元々はヲタ層を母体にした「メタアイドル」とはいえ、
広義のアイドルの範疇であることを放棄していない以上は、
その範疇を超えたスタンスの指原は去ってくれと。
百歩譲って、総選挙1位の表通り(センター)には押し出すなよと。
総選挙というシステムによってファン自らの投票で、その悪夢が現実に。
まさに、小林よしのり氏状態です。
でもそういう存在も含めて、AKBの魅力の範疇なのだという支持・容認層が
1位に押し上げるだけの一定数存在する以上、この溝は埋まらないでしょうね。
今回のAKBファンの「シラケ」は、かなりガチです。
溝が埋まらず論争になっているうちはモチベーションを維持できますが、
完全にシラケて冷め、論争にすらならず、AKBファンが黙って去り続けたら、
今度こそAKBは本当に終焉でしょう。
AKBにとって、一番不幸な道だと思います。
そうなったら、指原も生涯、「AKBを潰した女」として槍玉に挙げられるでしょう。
今のスタンスで(芸能人として)成功すればするほど、
ある意味、本心では辛くて、不幸でしょうね。
だから指原は今のうちに、叩かれ続ける「べき」なのです。
今回の1位で、AKBのメンバーとしては、潰されて消え去るまで追い込まれ、
徹底的に叩かれ続けるのではないでしょうか。
AKBファンからも、これまでAKBを支えてきた周囲のメンバーからも。
残酷ではあるけれど、それも自ら選んだ道、宿命だと思います。
前田敦子や大島優子とは違った意味で、今やとんでもない環境に
置かれているメンバーだと思います。それも覚悟の上でAKBを続けるなら、
それも一つの道だと思います。でも今のスタンスなら、たとえ今以上に成功したとしても、
AKBは辞めたほうがいいと思う。AKBのためにも、本人のためにも。
今こそ、AKBファンの心に、小林よしのり氏のスタンスは必要なのです。
はっきりと「俺は」といえば良い。
基本的に「自分は多数派」という事を前提に話を展開するが、そもそも自分が多数派にいたい、そのはずだという願望も見え隠れしているのが気持ち悪い。
「俺はこう思う」
「1ファンとしてはこう思う」
でいいのでは?
>そうなったら、指原も生涯、「AKBを潰した女」として槍玉に挙げられるでしょう。
今のスタンスで(芸能人として)成功すればするほど、
ある意味、本心では辛くて、不幸でしょうね。
だから指原は今のうちに、叩かれ続ける「べき」なのです。
今回の1位で、AKBのメンバーとしては、潰されて消え去るまで追い込まれ、
徹底的に叩かれ続けるのではないでしょうか。
AKBファンからも、これまでAKBを支えてきた周囲のメンバーからも。
こんな文章「俺の思いはAKBファンも一緒のはず、だから俺がこう思うからこんなことが起こる。」
という気持ち悪い妄想シナリオなんだという事をまず最初に気づけ