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もう一つの沖縄

2012年08月29日 | よしなしごと
国道58号を名護から南下、嘉手納町に入ると左手にこんもりと木が生い茂った丘陵がずっと続きます。沖縄本島南部でこういった土地を見つけると、大抵米軍の施設です。あとで確認すると、やはり嘉手納弾薬庫でした。もし爆発したりすると間違いなく、山一つ無くなります。

さて、国道58を逸れて県道74を東に少し走ったところにあるのが、道の駅かでな、道の反対側はフェンス、その向こうは嘉手納基地。三階だての駅の屋上は展望台、基地が一望できる場所にあります。ここでトランシーバを片手に持つ人を見かけたら、大抵基地反対運動の人。交替で基地監視をしています。またいくつかのカメラで常時基地の動きを録画、ライブ画像を階下の展示室で見ることが出来ます。

展示室。前回、数年前来た時は無かった気がしますが、改装され、部屋じゅうに鉄条網が張り巡らされた異様な雰囲気。と我等は感じますが、鉄条網越しに自分の生まれ育った(もと)田畠を眺める、それが一晩にて生家から追い出された村民の日常、それを少しでも感じてもらえれば、ということでしょうか。

憲法九条問題とは温度差があるかも。

詳しい人に確認すると、フェンスに沿った盛り土、通称安保の丘での抗議活動に手を焼いた政府が、道の向こうにちゃんと観察出来る施設を作るから、そちらで抗議活動を、ということらしい。

首里城の茶室。観光地でしかありませんが、文化の交流と言えば聞こえがいいが、薩摩藩にいいようにされ、日本国から棄てられ、アメリカに蹂躙され、それでも穏やかで優しい沖縄県民、それは感じることが出来る。


あまりにも有名な言葉、「夜はみんな杖を持って歩いた。死体を踏まないためだった」旧海軍司令部壕にて。


将校達が自決した部屋の壁に残る手榴弾の破片跡。余りにも悲しい出来事。ただ遺族には申し訳ないが、逃げ惑い、殺されたわけではない。


さて、ひめゆりの塔とはこの碑のことですが、ここはこれ以外に写真はありません。資料館内部は撮影禁止。


その理由は?館内には駆り出された女学生、教師の写真が全て掲示されています。そして別の部屋には、その大多数になりますが、死亡した生徒、先生が、これも実名、写真入り、しかも「爆弾の直撃を受け即死」とか、「腹部に重症を受け翌日死亡」など、それぞれの最期まで、丁寧に描写、余りにも個人的な情報、故人の尊厳もあり、撮影出来る訳がありません。

生存者も歳を取り、以前のように直接訪問者に体験を語ることはすくないようですが、証言を記録した映像を流す部屋があり、「隣にいた友達の頭が吹き飛ばされ、その血を顔中浴びた」「ふと振り返ると先生の背が急に低くなっていた。下半身が吹き飛ばされていた」など、凄まじい体験が次から次へと流れます。

美ら海もいい、首里城もいい、本部の海は最高、平和記念公園や嘉手納基地、旧海軍司令部は時間がなければパスしていい、でも半日割いてひめゆりの塔だけは訪れて欲しい、「死」というものが、こんなに身近に感じられる場所は他にありません。