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沖縄県民斯ク戦ヘリ

2023年05月17日 | リーフレット
那覇近郊に旧海軍司令部壕があります。今は入り口は多くの千羽鶴で飾られていますが、実は防空壕、人海戦術でツルハシのみで全長450メートルを掘り抜いたとのことです。内300メートルをが復元されています。。兵士は狭い壕の中で立ったまま寝たということです。ここで司令管大田実を含む4000人が戦死あるいは自決しました。

これは歴史が証明していることですが、第2次世界大戦時軍部は沖縄を本土決戦最後の砦と位置づけ、ここでの戦闘を少しでも長引かせることにより、本土決戦に備えました。いわゆる消耗戦であり、死者18万人(当時の沖縄県の人口は45万人)、内半数が民間人、という数字が如実に示しています。つまり沖縄県民3人に一人以上死んだことになる。非常にわかりやすく言えば、一家のうち父親か母親か子供か、すくなくとも一人は戦争で死んだことになるわけですね。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ」という一通の電報があります。旧海軍司令部壕で激戦の末自決を遂げた大田實海軍少将が、海軍次官へ当てた、沖縄県民の献身的行動と犠牲について切々と述べる電報です。彼の人柄がしのばれます。

電文は旧海軍司令部壕の中に、石碑として展示されています。

發 沖繩根據地隊司令官(大田實)
宛 海軍次官
左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖繩縣民ノ實情ニ關シテハ縣知事ヨリ報告セラルベキモ縣ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ餘力ナシト認メラルルニ付本職縣知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ラザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖繩島ニ敵攻略ヲ開始以來陸海軍方面防衛戰鬪ニ專念シ縣民ニ關シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ然レドモ本職ノ知レル範圍ニ於テハ縣民ハ靑壯年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ(沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。)殘ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ燒却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戰ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノ□□ニ中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲彈運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ所詮敵來リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒芽ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出發シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ□□眞面目ニシテ一時ノ感情ニ駈ラレタルモノトハ思ハレズ(看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。)更ニ軍ニ於テ作戰ノ大轉換アルヤ夜ノ中ニ遙ニ遠隔地方ノ住居地區ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者默々トシテ雨中ヲ移動スルアリ是ヲ要スルニ(つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に)陸海軍部隊沖繩ニ進駐以來終止一貫勤勞奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ惡評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□與ヘ□コトナクシテ本戰鬪ノ末期ト沖繩島ハ實情形□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ沖繩縣民斯ク戰ヘリ(沖縄県民はこのように戦い抜いた)
縣民ニ對シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ(県民に対し、後世、特別のご配慮を頂きたくお願いする。)

大田司令が、「陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。」と語っていますが、この言葉には矛盾がありますね。防衛戦と言っていますが、何を守るというのでしょうか。人民を守れない軍はその時点ですでに崩壊しつつあった、あるいはすでに崩壊していたと言えるでしょう。





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