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あれは聞違いでした。 人道に反していました(ジョー・オダネル)

2020年05月18日 | 平和
ジョー・オダネル:1945年、米軍カメラマンとして原爆投下後の広島、長崎に入り、被災した市内の様子を撮影。その際、残留放射能で自らも被爆し、後に健康被害に苦しんだ。亡くなった赤ん坊を背負い、火葬の順番を待つ少年を撮影した「焼き場に立つ少年」などで知られる。2007年アメリカナッシュビルで死去。85歳。



オダネル夫人の坂井貴美子氏による「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」が最新作。あまりにもの現実の悲惨さにオダネル氏は写真ネガを50年にわたり封印。あるイエス像との出会いをきっかけに写真の公開に踏み切り、その遺志を夫人坂井貴美子が引き継ぎ今日に至ります。

アメリカ国民の一人として、わたしの考えを述べます。
必要のなかった世にも残酷な原子爆弾の投下によって
引き起こされた痛みに、後悔と悲しみの念を覚えます。
あれは聞違いでした。
人道に反していました。
ナチスのホロコーストと同じほどの、
犯罪と言ってよい過ちでした。

歴史に対してだけでなく、人道に対ナる犯罪でした。
私は一九四五年に広島、長崎.の灰と瓦瞭の中を歩き、
これまでに存在しなかったであろうほどに
変わり果てた姿になって死んだり、
苦しんだりしていた子ども、女性、老人たちを
写真に撮りました。
五十年たった今、みなさんの前で宣言します。
私は、かつて見たことを決して忘れません、死んでいっ人々に対して、
覚えておく義務があるのです。
彼らの死を無駄にしてはいけません。
覚えていることによって、
彼らの死を悼みましょう。
命の尊厳を彼らから学びましよう。
私は語り続けます。
一九四五年の日本がどんな悲惨な状態にあったのかを。
私の広島・長崎の写真展はこれからもずっと閲催されることでしょう。
そして出版された本を、
多くの人が読んでくれることでしょう。
もう二度とこのような惨事の犠牲者になったり、
加害者になったりしてはいけないのです。
ノーモア広島、ノーモアバール・ハーバー、ノーモア長崎、ノーモァ。
平和が私たちの未来ををつくるのです。
平和なくして未来は語れません。
ジョージ・オダネル