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ふたたび沖縄へ

2024年02月28日 | 平和
沖縄は何度も訪れていますが、沖縄県営平和祈念公園はたぶん四度目。

沖縄県営平和祈念公園の崖からのぞむ太平洋。

浅瀬がずっと続きますが、おどろくのはこれは連合軍の艦砲射撃で崖が削られて出来たもの。地形さえ変えてしまう文字通り鉄の嵐。連合軍は沖縄戦で砲弾300万発、機関銃弾3,000万発を発射しました。人々はこの銃弾の嵐の中を逃げ回ったのです、助かる可能性は低かったのも当然です。この浜にはまだ多くの人骨が埋まっているそうです。

平和の礎(いしず)犠牲になった日本人とアメリカ人の名前が整然と刻まれています。いまも刻まれて続いています。新たに判明した犠牲者の名前です。沖縄の方がいわく、これは記念碑でも慰霊碑でもない、「学ぶ」場である。




チビチリガマ(ガマは鍾乳洞の意)は平和祈念公園から少し離れた読谷村にあります。ガマに入った140名のうち、半数が自決しました。毒薬を所持した看護婦がいたことも自決を助長したようです。

見方によっては墓地であり、立ち入る人はありません。
案内板にある名簿には子供の名前も刻まれています。

すぐ近くにあるシムクガマには1000人ほどの人が逃げ隠れましたが、ハワイから帰国した日本人が2人いて、アメリカ人は捕虜を殺さないと必死で説得、おかげで全員助かりました。戦争では生と死は紙一重の差です。

渡具知の港。ガマがそうですが、沖縄南部は琉球石灰岩の多い地層であることがよくわかります。


おおくのひめゆり学徒が犠牲になった第三外科壕も深さ10メートルの巨大なガマを利用して作られました。


<お断り>写真は第三外科壕を除いて最近撮影したものです。第三外科壕のみ数年前に撮影したものです。