百醜千拙草

何とかやっています

のぞみとひかり

2020-09-29 | Weblog
まだ今年はあと三ヶ月ほどありますけど、2016末から始まった私の運気の下降はとどまるところを知らず、今年はさすがに底ではないだろうか、と思いたいのですが、予断を許しません。コロナの影響で多くの人が辛い思いをした年だとは思いますけど、私もその影響を受け、複数の問題がおきました。研究面では、長い手続きの末、ようやく来てくれたポスドクは3ヶ月で研究室閉鎖になってしまい、閉鎖がとけてまもなく派遣大学の方針で、ほとんど何もできずに、去って行きました。一人の実験助手もコロナで嫌気がさしたのか、別の道に進むと言って去り、そしてもう一人のポスドクもプロジェクトもほとんど進まないまま、キャリアの都合で辞めないといけない状況になったと週末に言われました。結果、このままだと4つのプロジェクトを二人の実験助手だけで回さねばならない状況に追い込まれそうです。資金はあっても人は簡単に見つからないし、見つかっても雇う手続きに数ヶ月かかるのが辛いところです。なかなかトンネルの出口の光明が見えません。

最近、故 河合隼雄さんが、新幹線の駅員との会話で啓示を得た時のエピソードを知りました。新幹線の席の有無をたずねたところ、「のぞみはないが、ひかりはあります」と言われ、啓示に打たれて、思わずその言葉を繰り返したら、駅員さんが「あ、こだまがかえってきた」と呟いたというエピソードです。

それに関連して、故 小林静観さんの言葉、「夢も希望もない暮らし」を思い出しました。希望や夢を持つということは現状に不満であるということの裏返しであり、禅でいう「いま、ここ」に生きていないということであるとの趣旨と思います。南泉は「ずばり、畜生道を行け」といい、過去や未来にとらわれず、現在のみに存在する「栄光ある生」をただ生きる動物に学ぶことを教えました。

過去と未来に囚われないということは、時間という軸に沿ってある我々自身のアイデンティティー、自我を超越するということでもあります。つまり、「のぞみ」は自我の意識から生まれ、自我があるゆえに希望も欲望が生じるわけですが、「ひかり」は自我を超越したところにある「生」そのものの輝きを喩えたものと言えるでしょう。

スランプが続くと、そのうち運気は好転するはずだという「のぞみ」にすがりたくなりますけど、運気が良い、悪いと思うのも、当たり前ながら自我ゆえであって、本当は、良い悪いとは無関係に、ひかり輝く生命が存在するだけなのでした。

とすると、今年は最低の運気ではあるが、最高に輝いている年でもあるのだな、などということを考えたりした週末。
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帳尻

2020-09-25 | Weblog
グラント書いています。締め切りが迫ってきているのに、必要な予備データがなかなか揃いません。生きもの次第なので、いくら急かしてもどうなるものでもなく、日にちを逆算しながら、考えられる予想データのパターンをいくつか考えて書いていますが、結局は予備データによって書き方を変えないといけないので、非常に非効率的です。また、いくら予備データとはいえ、自信が持てないようなクオリティーではダメなので、再現性の確認を考えると時間的にギリギリです。予想された結果が出なかった場合や、あるいは最悪、実験結果が玉虫色で解釈不能だった場合のプランB、プランCを考えて、そのための予備データを取れるように準備も必要です。それにしても、このコロナでの三ヶ月あまり施設がシャットダウンになったのは痛かったです。

いつも私はこのパターンです。グラントに限らず、締め切りのある重要なものに、余裕をもって臨めたことは稀です。それでも、締め切り間際にはなんとなくデータもとりあえず揃って帳尻があうのがパターンなのですが、その前の数ヶ月はハラハラのし通しです。多分、仮にコロナで実験が遅れていなくても、同じことを言っていたのではないかなと思います。むしろ、変に余裕がない方が、よく調べて深く考えるようで、最終的に良いものが書けるのではないか、と思ったりしてますけど、精神的に余裕がないというのは健康には悪いです。幸い、最近はあきらめがよくなっていますので、何かミスをしても引きずることはありません。
淡々と毎日できることを続けたいと思います。
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今後の準備

2020-09-22 | Weblog
週末は素晴らしい天気でした。昔の楽しかった日を思い出します。精神衛生のためにちょっと仕事をし、あとはリラックスして過ごしました。週明け、新着論文を物色していたら、昔の知り合いが何か出しているのに気がつきました。よくみたら、彼のポスドク時代のボスの訃報記事でした。
現在、変形性関節炎のマーカーとしてよく使われるMMP13と呼ばれるコラーゲン分解酵素があって、20年ほどまえ、この人の研究室を含む二つの研究室でノックアウトマウスが作られました。もう一つの研究室は個人的にもよく知っていて、当時、研究室を持っていた人はすでに70代後半でしたが、このマウスを使って変形性関節炎の研究をしようと申請を出したのが全く評価されず、それがきっかけで引退を決めたと話してくれました。それから数年して残念ながら病気で亡くなられました。
こうして、マトリックス蛋白研究が盛んだった70-90年に名をなした人々の世代がポツリポツリといなくなっていくのは、親を亡すように寂しいものです。

いつまでも若いと思っていた人が、急に、衰弱したり亡くなったりするもので、実は人ごとではありません。私も、肉体の老化を感じる機会が多くなったので、老後のこと、そして、そのうちやってくる永遠の眠りへとどのようにスムーズに移行していくかを考え始めました。理想的には70才台前半に何らかの原因で急死するというシナリオを望んでいますけど、どうなりますか。

私はこの数年で血圧があがり、不整脈が出はじめました。根拠はないですけど血管系は大丈夫だろうと思っていたので、驚くと同時に、もう体に自信など持てる年ではなくなってきたのだと思い知らされました。何があってもおかしくありません。不整脈は結構不愉快です。どうも心房細動のようです。放置、血栓、脳梗塞、半身不随、嚥下障害、肺炎で死亡というシナリオが頭に浮かんだので、心臓内科を受診することにしました。ツテを辿って適当な人を探しました。コロナのせいか、メールと電話で診察という運びになりましたが、検査データをあらかじめとってほしいとのこと。

昔は不整脈の評価は、体に電極と電線をはりつけて弁当箱のような記録装置をぶら下げて1-2日間の心電図モニターをしたものですが、今や煎餅ぐらいの大きさの小な装置を胸に貼り付けるだけで、電線も弁当箱もいりません。貼り付けたあとはほとんど気になりません。シャワーも浴びれるし、運動もできます。記録期間は二週間もあります。症状が出たら装置のボタンを押して詳細をiPhoneのアプリで入力するようになっています。モニター後ははずして郵便で送り返せば業者が解析し、結果を医師に送るという手順です。

不整脈の治療にしても格段に進歩しました。心房細動は昔は脈拍数のコントロールと抗凝固療法ぐらいでしたが、いまはアブレーションによる根治療法が主流になりつつあるようです。私の場合は多分、まず血圧コントロールから始めて様子をみてアブレーションを考えるという感じになるのでしょうね。まだ、モニター中なので診察は一月先なのですが。歳をとると、面倒ごとが増え、できないことお増えていきます。幸いなことに、あきらめもよくなるのでバランスがとれるのでしょう。

そういえば、父も心臓伝導異常の頻拍発作がありましたが、結局、それとは無関係の血管障害で若くして急死しました。発症から数時間で意識を失ってしまったので、多分、本人は死んだ自覚もなかったと思います。実際、自宅で行った葬儀の最中に、死去の直前に新しくした機械が電源も抜いてあるにのもかかわらず、動きだしましたから、多分、存在をアピールしたかったのだろうと思います。

私としては、やはり、脳血管障害などで後遺症がのこり、寝たきりになってしまうとか、ひどい認知症になるとかで、周囲に長年、迷惑をかけて「死んでくれてホッとした」と言われるような死に方は、できれば、なしで済ませたいと希望しております。やはり、急激に意識を失ってそのまま死ぬようなのがいいですね。その点では心房細動はマズいですけど、心室性不整脈は望ましいと思います。広範囲の心筋梗塞や大動脈瘤の破裂、物理的な事故などは比較的すぐ死ねるかも知れませんが、痛いのが辛そうです。また、ヘタに生き延びたりすると大変やっかいな後遺症が残って最悪の状態になりかねません。心室性不整脈で血圧が落ちて、意識を失って寝ている間に死ぬというのが理想ですが、ダメなら、知らぬまに進行したガンで、あっという間に食べれなくなって一月以内に枯れて死ぬというのがいいです。その場合は少し時間に余裕があるので、自分も周りの人も多少の準備ができるかも知れません。ま、いずれにしても、こちらにはあまり選択権はありませんから、希望が叶えられるかどうかはわかりませんけど、今後の行いには気をつけたいと思います。

とりあえず、医者に行って、リンゴとカレーをたべて、ビタミン剤を齧り、高血圧と不整脈に効く手足のツボを10回押して、屍のポーズで瞑想しながらホ・オポノポノを唱えるぐらいならできるのでは考えています。
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イギリス訛りと関西弁

2020-09-18 | Weblog
オンライン学会が終わり、日常に復帰しました。といっても、オンラインだったので物理的に日常が遮断されたわけでもなく、スムーズに継ぎ目なく移行し、喜んでいます。学会のアンケートには、オンライン学会でなければ来年は参加しないと書きました。

学会の最終プログラムの後には学会とは無関係のオンラインセミナーが早速ありました。普通なら移動日ですから参加できないものです。それが一瞬にして画面を切り替えれば一つのイベントから別の会場へと行けます。身の回りはいつも通りなので、日常と非日常が入り混じったような妙な感じがします。

このZoomで行われたセミナーは数年前にイギリスに移ったとあるアメリカ人(と思う)研究者のセミナーで100人ほどの聴衆の中にはノーベル賞受賞者を含む数人の有名人もいました。十数年前は、この人の論文をしょっちゅう有名雑誌で目にしていたので、話を聞いてみたいと思っていましたが、機会は一度もないままでした。が、コロナのおかげでセミナーがバーチャルになったので、初めて話を聞く機会を得ました。話の内容はかなりマニアックな分野の基礎的な研究を掘り下げたもので、かつハエの系を使っていたのでちょっと私の興味とはずいぶんずれていましたけど、話を直接聞けてよかったです。どうも自宅からZoomで参加していたようで、背景にエレキギターや楽器が並んでいるのが見え、私生活も垣間見れたのが興味深かったです。そういえば、数年前のCheck point inhibitorでノーベル賞となったJim Allisonもハーモニカ とボーカルのブルースロック演奏が趣味でした。

この人は、アメリカの大学を出ているのでアメリカ人だと思っていたのですけど、軽いイギリス訛りがありました。数年のイギリス生活で訛りも移ったのかも知れません。逆のパターンは知りません。イギリス人でアメリカ生活が長い人でもイギリス訛りのままの人が多いように思います。また、我々のように英語が母国語でない場合は、正しい文法で適切な言葉づかいで喋るかぎり、外国訛りはある方が、英語を第二外国語として習得したことがわかるので、知的な印象を与えるようです。

そもそもかつてイギリス本土で喋られていた英語は今のアメリカ東部で話されているような発音であったという話を聞いたことがあります。アメリカに移住した清教徒は昔のイギリス英語を引き継いだ一方、イギリス本土の人々は(想像するにアメリカ移民と差別化するために)自らの言葉を変えていったようです。オーストラリアにイギリス人が入って行ったのは18世紀後半ぐらいであり、現代のオーストラリア英語は現代イギリス英語に近いので、イギリス人がイギリス訛りの英語を発達させたのは、17世紀半ばから18世紀半ばの間ぐらいであろうと推測されます。

日本語の方言はどうなのでしょう。いわゆる標準語は、かつて関西に都があったころには存在したのでしょうか。あるいは、関西人が差別化のために関西弁を意図的に発達させたのでしょうか。
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パジャマで学会

2020-09-14 | Weblog
オンライン学会に参加しております。週末は自室で普段着のままです。
オンライン学会、大変すばらしいです。とにかく、飛行機に乗ったりホテルに泊まったりする必要がない、服も着替える必要もない、待ち時間を潰す必要もないし、晩飯をどこで食べるか悩む必要もなく、日常の作業を中断する必要もない、面白くないトークは飛ばしてレコーディングされたものを後から要点を確認すればよいし、ポスターは、うっかり演者と目があったために、つかまって時間が足りなくなる恐れもないし、気に入ったものは邪魔されることなくじっくり見れます。口演はパワーポイントに音声を重ねて事前レコーディングしたものなので英語話者でない人の発表もわかりやすいし、質疑はチャットで時間制限も緩いので、リアル学会より議論も活発となっています。小グループのセッションではZoomを使ってよりinteractiveにと工夫してあります。時間と費用は大きく節約できますし、聞き逃したものも後からチェックできます。同時進行のトークは画面を三つ出して、行ったり来たりしながら、要点だけチェックして、あとでじっくりみることもできます。質疑にしても、同時にインターネットで検索しながら質問したり回答したりすることも可能です。良いことずくめで研究成果のdissemination という点では、リアル学会よりもはるかに優れていると思います。 

唯一の欠点は昔の知り合いとかと直接会って無駄話をする楽しみがないぐらいですけど、ま、それはメールとかSNSでやればいいことですし。コロナが終わって学会がバーチャルでなくなったら、もう学会に行こうという気にならなくなるのではないかと思います。

実際、学術的な情報交換という意味で言えば、すでに学会の役割は非常に小さくなっていると思います。BioRxivなどのPreprintとTwitterで十分です。共同研究者にしても、私は学会で見つけたことはありません。一方で、政治的な意味で学会の存在が必要と思っている人は多いでしょう。研究費獲得のための宣伝活動や、互助会的活動をするのに、サークルを作って活動するのに学会は都合がいいかも知れません。また、日常から離れるという学会出張の意味も結構重要だと思います。

しかし、私は、日常のリズムが崩れるのは好きではないですし、政治活動にも縁がありません。知り合いに会うにはいい機会と思っていますけど、週末を含む数日を潰して、それなりの費用をかけて、飛行機に乗ってホテルに泊まって、という面倒を考えると、マイナスの方が大きいです。リアル学会がなくなると、旅行ビジネスや学会ビジネスでメシを食っている人は困るでしょうけど、おそらく、当の参加者の大多数はこれからも学会はオンラインでやることを要望するだろうと想像します。これは地球環境の点からも歓迎すべきできごとであろうと思います。
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アベ政権総括 - Nature's take

2020-09-11 | Weblog
Nature フロントページから。

アベ政権の主に科学政策を中心にした総括。ほぼ全部が批判で、褒められる点が見られない。政策的失敗にフォーカスしているが、もっとも批判されるべきは、アベの人間性だと思う。モリカケ、サクラ、河井事件、すべてのスキャンダルの原因が、アベの個人的な利得、自民党の党利党略から生まれた社会システムの破壊であって、そこには大義も何もない低俗さだ。かつてこれほど、志の低いみみっちいヤクザ政権があっただろうか。そして、横浜ヤクザの後ろ盾で議員となって、アベ政権の犯罪をもみ消し、誤魔化してきた実行犯でもあるスガがあとを継ぐという。Nature が短命に終わるであろうスガ政権を総括することはないだろうが、田中真紀子はスガ政権を「アベ家の生ゴミのフタ」と始まる前から、的確な総括をしている。

一部抜き書き (DeepL翻訳)

2012年に安倍晋三氏が首相に復帰した時、日本は5回の首相交代を経て、先進国の中でも特に経済が低迷していた。それから8年後、日本で最も長く首相を務めた人物が健康上の理由で退任したが、日本は政治的には安定している。しかし、経済成長と社会発展の名の下に行われた安倍首相の改革は、複雑な遺産を残している。科学、特に生物医学研究を通じて経済を活性化させるための意図的な努力にもかかわらず、安倍政権時代には成長率が低下し、2017年の高値2.3%を超えることはなかった

右派の自由民主党を率いる安倍氏は就任時に、科学からもっと多くを引き出すことを誓った。全体的には、日本の研究者の多くが共著者との共著論文を他の場所で発表するようになったが、日本の国際的な科学論文の出版に占める割合は数年前から低下している

日本は国民所得の3.2%を研究開発に費やしており、これは世界の主要経済大国であるG20グループの中で最も高い額の一つである(米国は2.8%)。しかし、そのうちの約8割は産業界からの投資である。日本は先進国の中でも政府の科学投資に占める割合が低い。一方で、経済成長の構成要素の一つである科学研究からイノベーションを引き出そうとする安倍首相の努力は、明確な成果を上げていない。

2015年、安倍氏は日本医療研究開発機構(AMED)を発足させた。これは米国の国立衛生研究所に相当するものだが、発見を臨床に移すことに重点を置いている。2018年の年間予算は1,266億円(12億米ドル)であった。

AMEDの業績を判断するには時期尚早だが、政府はすでに再生医療の商業化に向けて動き出していた。2014年に可決された2つの法律は、企業が幹細胞などの再生医療を患者に使用する際に、より迅速な規制当局の承認を得ることを可能にした。これを許可するにあたり、幹細胞治療が安全で効果的であることを対照臨床試験という形で厳密かつ明確な証拠が確認されるまでは、幹細胞治療を商業化すべきではないという国際的な専門家のコンセンサスを、日本は無視することにしたのだ。国内外から多くの批判があったにもかかわらず、日本政府はその姿勢を変えていない。

このような自己主張の強いテクノナショナリズムは目新しいものではなく、むしろ世界的に一般的になりつつあるように思われる。しかし、これは日本の伝統的なやり方ではない。研究者たちは、科学は平和と経済発展のためにしか使われてはならないという考えを貫いてきた。しかし、安倍首相はその考えを改めようとした。政権に就いてからは、防衛費を増やし、平和主義の憲法を改正しようとしたが、最終的には失敗に終わった。安倍首相はまた、軍事利用の可能性のある技術を支援するための基金を立ち上げ、防衛省の調達・技術・物流庁が監督することにした。

日本政府はまた、量子コンピューティング、人工知能、半導体設計などの分野での国際共同研究に制限を設けることを検討している。これは、日本政府が機密性の高い科学研究が他国、特に中国の研究者と共有されることを阻止するものであり、米国やオーストラリアで実施されている政策と一致している。

このような行為は、十分な注意を払わずに行われた場合、日本の研究コミュニティの国際化という長年の野望に向けた進展を覆す危険性がある。日本のポスドク研究者や大学院生のかなりの割合が中国からのものであり、日本の国際交流学生の4割が中国からのものである。両国の人々の架け橋となってきた科学が、両国の間に楔(くさび)を打ち込むことになるのは残念なことである。

安倍政権の最も顕著な失敗の一つは、職場におけるジェンダーの多様性を改善するという約束を果たせなかったことである。安倍政権は、女性のエンパワーメントを加速するための集中政策、子ども・子育て総合支援制度、野心的な第4次男女共同参画基本計画などの新法や政策を次々と打ち出した。

いくつかの進展があった。例えば、第一子を産んだ後も働き続けた女性の割合は、2011年から2016年の間に38%から53%に増加した。しかし、科学の分野では、進歩はあまり顕著ではなかった。2016年に始まった5か年の基礎科学技術計画では、2020年までに女性を科学労働力の30%にするという国家目標を掲げていた。総務省によると、2019年現在、科学者のうち女性は16.6%にとどまっているが、これは2018年に比べて2.9%の増加という記録的な数字である。しかし、この数字はG20諸国の中でも最低水準にとどまっており、ドイツでは女性が科学者の28%、ロシアでは39.5%、南アフリカでは45%を占めている。日本を代表する研究機関である理化学研究所でさえ、女性研究者や外国人研究者の数を押し上げることができていないことが、2019年11月に発表された理化学研究所独自の諮問機関「理化学研究所諮問会議」の報告書によると明らかになった。2020年3月時点で、同研究所の研究者のうち女性は14.5%にすぎず、研究責任者の8.3%にすぎなかった。

では、今後はどうなるのだろうか。日本の政治はコンセンサスの上に成り立っており、政治家は、政党の所属に関わらず、現在他の国で見られるような衝動的なアルファ男性のリーダーシップは知られていない。コンセンサスは政治システムにおいて重要で必要な特性であるが、政府が方向転換を望むとき、あるいは必要なときには、それに時間がかかるということでもある。つまり、日本ではもうすぐ新しい首相が誕生するが、次期政権が安倍首相の掲げる道からすぐに強く逸脱することはないだろうということだ。

長い目で見れば、それは日本が進むべき道ではない。日本の研究者は、技術規制を急ぐのではなく、多様性と包摂性、政府投資へのよりスマートなアプローチ、より良い科学外交によって、研究システムがより革新的で回復力のあるものになることを次期政権に説得しなければならない。

私たちは、国家間の紛争や緊張の脅威が常に存在し、近年の歴史の中で最も憂慮すべき、予測不可能な時代の一つを生きている。日本はこれまでのところ、平和のための科学を受け入れるという点で、世界への道しるべとなってきたが、世界はこの注目すべき国が今後もそうであることを必要としている。

Nature 585, 159 (2020)

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第二外国語でも

2020-09-08 | Weblog
最近、自分の母や義理の両親を見ていて、老後の過ごし方を考えることが増えました。今の私の人間関係は、子供がらみのものがなくなったので、すっかり仕事でのつきあいに限られています。町内会もありませんし、同年代の親類も、それぞれに家庭があって遠くにいるので交流もありません。この調子だと引退したあとは、引きこもり老人に一直線です。引きこもるのはいいのですけど、その時にどうやって時間を過ごすことになるだろうか、と思うと、何かできることを今から始めておくべきだろうなと思いました。いま思い描いている生活は、家庭菜園をする、犬を飼う、禅寺に参禅する、ピアノの練習する、などですけど、何か長く興味をもって続けられるものも新しく始めたいと思い、語学はどうだろうと思いました。若いころ鈴木大拙の本が好きだったこともあり、中国語はどうかと思って中国人に聞いたら、1000年前の禅文学のころの中国語は今のものとは随分違って、現代中国語を学んでも役に立たないよ、という話をされて意欲を失いました。昔にインドから中国にやってきて中国で確立された仏教は日本に輸入されて生き延びてはいるものの、その中国ではすでに忘れ去られた文化のようです。

かつては語学は知識を得るためのツールとして学ばれましたが、いまや言葉を学ぶモチベーションは、文化、芸術、歴史などの興味からだろうと思います。明治以降、西洋文明の輸入によって、日本人の外国への興味は西洋諸国に向いており、とくに敗戦後はアメリカ植民地政策の一環もあって、日本は急激にアメリカナイズされました。私も戦後の高度成長期の後期に子供時代を過ごし、西洋やアメリカに対して愛憎入り混じる感情を持っていました。映画も音楽も踊りも基本的に西洋のものを日本人むけに仕立て直したものに囲まれて育ちました。そういう事情で、アジアの国でありながらアジア諸国の文化にはあまり馴染みがなく育ったのは皮肉なものです。

最近は、そういうわけで、いろいろな国の音楽などをYoutubeなどで楽しんでいますが、アジアの音楽では面白いとおもったのはモンゴルの音楽で、躍動感があっていいです。喉で歌う独特の歌唱法も興味深い。しかし書き物のBGMには向かないと思います。その辺から西に向かっていくと、馴染み深いロシア民謡を通って、バルカン音楽に至りました。ロシア民謡と違って、バルカンの音楽はアラビア音階ぽいを使っているものが多くリズムも特有で、すぐ好きになりました。

それで言語の話にもどりますけど、せっかく、ロシア民謡やバルカン音楽が好きになったので、スラブ系の言語を学ぶのはどうかとも思いました。しかし、どうもスラブ言語はアラビア語ほどではないにせよ、かなり難しいという話。調べてみると、比較的簡単な言語はロマンス系で、スペイン語、フランス語ということでした。ロマンス系が比較的簡単といえるのは、英語の語彙の3-4割はロマンス語系からきているからのようです。一方、ドイツ語は英語と同系のゲルマン言語なので簡単な方なのかと思っていましたが、実際は英語とはかなり語彙の点でも離れており難しいとのこと。確かに、大学時代にちょっとだけやったドイツ語は定冠詞の変化を覚えさせられた時点でアレルギーになった覚えがあります。

意外なことにルーマニア語はスラブ語の国に囲まれているのに、ロマンス系言語なので、スラブ語系に比べると多少は易しいのだだそうです。どうもかつてのローマ帝国の影響らしく、そういえば、数人知っているルーマニアの人名は周りの国々のスノバビッチとかナンチャラスキーとかいう感じではなくて、一目でルーマニアとわかります。

この時点で、スラブ系言語、ドイツ語、中国語は除外、スペイン語かフランス語かがいいのではないかという結論になりました。話者の数からはスペイン語、フランス語を学んでも実用的意味はないなあと思いましたが、そもそも老後の趣味に実用性は問題ではありません。若い頃は、ラテン系音楽も好きで、サルサとかのスペイン語系とズークなどフレンチカリビアンも同様に好きでした。リンダ ロンシュタットがスペイン語で歌った"lo siento me vida"や、Millie P の"Si, usted me quiere"などの名曲、一連のジプシーキングスのヒット曲も好きで、スペイン語を学んで歌ってみるのも楽しそうです。(ちなみにジプシーキングスフランスのグループで、彼らのスペイン語はちょっとおかしいそうです)

日本では70年台ぐらいからフレンチポップスのブームがあり、シルビー バルタン、フランス ギャルやフランソワーズ アルディーの曲がヒットしました。そのせいか、私はそのころのフレンチポップスをきくとノスタルジックになります。昨年パリを訪れた時も、なぜか懐かしい感じがして、これはきっとフランス文化が大きく影響を及ぼしていたころの日本で私が育ったからなのだろうと理解しました。パリの空港で飛行機を待っていた時、日本人らしい男性の老人がフランス語で空港職員と会話しているのを見てシビれました。フランスでも英語でだいたい用はたりますけど、旅先で漏れ聞く現地の人々の会話がわかったら面白いだろうなあと思いました。フレンチポップスを聞くにしても、フランソワーズ アルディの"message personnel"の語りが理解できたら楽しみも増すのではないかと思い、ちょっとフランス語をやってみるかと思ったりしているところです。それでは、Salut, a bientot.

Francoise Hardy "Message personnel"

ついでに
Linda Ronstadt  "Lo Siento Mi Vida"

サルサ ポップス、Millie Puente "Si, usted me quiere"



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Zoom学会

2020-09-04 | Weblog
九月になり、秋っぽくなってきました。あっと言う間に一年がたったような気もしますけど、そういえば旅行に行ったのは一年前の今時分かと思えば、はるか昔のことのような気もします。多分、コロナのために時間が分断されたような感覚になっているのだと思います。学会シーズンとなりましたが、学会もZoomなので、数日間遠くに行って実験室から離れる必要もなく、普段の生活とそう変わりません。毎年、昔の友人と会うために行っていたようなものですけど、最近は、皆忙しくなって年に一回の学会で会う時でさえ、ゆっくり喋ったり、一緒に食事をしたりする機会も少なくなりました。私は、そもそも日常のリズムが崩れたり、人の多いところや賑やかなところに行くと疲れる方なので、Zoomでの学会は楽でいいと思います。

いまやインターネットで情報は繋がれております。出版前の研究情報の交換はBioRxivもTwitterなどもありますから学会の重要性は低くなりました。学会はいまや社交的、政治的な目的が主になってきました。そういったものにあまり興味がない私のような人間にとっては、学会はZoomで十分です。

そもそも、地球上を人間が物理的に行ったり来たりすることで、環境や生態系を破壊し感染症を広げてきました。人の活動に由来する温室ガスの発生は車や飛行機による石油燃料によるところも大きく、人間が物理的に遠距離移動せず、ローカルとバーチャルで情報やモノをやりとりするようになれば、今回のコロナでの活動抑制でわかった通り、地球環境はかなり改善します。また、今回のコロナにしても、人の行き来がなければ、中国の一地域の風土病程度で終わっていたかも知れません。アメリカでの急激なコロナの広がりの発端の一つは、3月にマサチューセッツのバイオテク、Biogenで開かれたエグゼクティブ会議だと言われています。そこでウイルスは広がり、各地に持ち帰られて急激に広がりました。この会議がZoomで行われていて、誰も握手もハグもしなければ、随分違っていたでしょう。
コロナのおかげで、いろいろ習慣とか働き方とか社会保障とかを考え直すよい機会になりました。学会とかそれに付随するビジネスも縮小するのは地球環境にとって望ましいと思います。カネを稼ぐために環境破壊も生活や健康の破壊もすることなく、ローカルに平和に暮らしていける社会になればいいなと思います。

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