百醜千拙草

何とかやっています

フェイク論文との戦い

2021-03-30 | Weblog
前回話題にしたポスドクの人の大学院時代の指導者は出版論文が500以上あり、年間20本以上出している計算です。が、PubPeerでデータの問題を数多く指摘されてもいます。数多くの論文の一つ一つに割ける時間を考えると、一つ一つの論文の質に問題が出るのは当然と思われます。その問題が厳密さに欠ける研究態度からくる単なるミスなのか、あるいは作為的なものかを見抜くのは困難であることも多いと思います。

弱肉強食、資本主義、金と競争のこの世の中ですが、アカデミアの世界でも同じです。教員、研究者の評価は出版論文の数と質でおこなわれ、それがポジションと金に繋がっています。ゆえに、論文を出して、ポジションを手にいれグラント(金)を手にするために、科学論文でデータを捏造、偽造する例はあとを絶ちません。そういう世界ですから、データの偽造捏造などというまどろっこしいことをするぐらいなら、論文全部を外注してしまえ、と考える人やそれをビジネスにする人が出てくるのも然るべしです。どこかの知事をリコールするための署名運動で署名をあつめるかわりに署名をアルバイトにやらせたようなものですね。

基本的に絶対神を信じるいわば理想主義の西洋に科学は生まれたわけですが、一方で中国は現実主義だと思います。中国はいろいろ役に立つものを発見し発明しましたが、独自の宗教や「神」の概念を発展させることはせず、インドから輸入した仏教でさえも結局、ほぼ消え去りました。変わりに彼らは実利的な儒教や倫理という「神」とか「理想」とかの必要のない規範を発達させました。絶対神からみて人はどう生きるかではなく、人間の社会の人と人との相対的な関係の中で決められる彼らの行動基準はフレキシブルです。

「科学」においても、現実主義の中国人が「科学」が役に立つことを発見し、それを国の発展のために利用するのは当然です。また、競争原理と成果主義に基づく社会の階層化による管理は現実的な中国人と相性がよかったであろうと想像できます。論文成果主義によるアカデミアの階層化はあっという間に中国に広まりました。

現実主義者にとっては「神」の存在はどうでもいいことですから、科学においても、その神の部分、つまり理想主義的な建前の部分はしばしば軽んじられているのではないかと想像します。キレイごとで飯は喰えないとなれば、キレイごとを捨てるのに割合ためらいがない文化とも言えるのではないかと思います。つまり、本来、「真実(という一種の理想)を追求する」という建前で行われる科学的活動ですが、現実的な東洋人にとれば、科学活動は、メシや出世のタネになる論文を出版するという実利的目的を目指して行われ、ゆえに、真実の追求という側面は二の次だというスタンスがとられる場合もある、というか、むしろ論文出版が主目的になっている場合の方が多いだろうと思います。となれば、ウソでも論文になればいいと、あまり罪悪感もなく考える人が少なからずいることも容易に想像できます。

私見ですけど、捏造論文の出やすさというのは、競争社会の構造的問題に加えて、歴史的文化的背景にも左右されると思います。論文の数が多いこともあって「中国」が目立っていますけど、下の記事にあるように捏造論文はどこの国にもあります。日本でも研究不正は毎年のように聞きます。それは研究者個人のインテグリティの問題ではなく、社会の構造的問題であって、加えてそれに文化、歴史的背景が影響していると私は思います。

以下は最近のNatureの記事の一部です。


Laura Fisherは、RSC Advancesに投稿された研究論文に顕著な類似性があることに気づき、疑念を抱いた。RSC Advancesに投稿された論文の中に、著者や所属機関などの共通点はないのに、図表やタイトルが驚くほど似ていたのです、とフィッシャーは言う。、、、1年後の2021年1月、フィッシャーは同誌から68本の論文を撤回し、英国王立化学会(RSC)の他の2誌の編集者も同様の疑いで1本ずつ撤回し、15本は現在も調査中だ。フィッシャーは、偽の科学論文を注文に応じて製造する会社であるペーパーミルの製品と思われるものを見つけた。すべての論文は、中国の病院に勤務する著者によるものだった。雑誌の発行元であるロンドンのRSCは、「組織的に偽造された研究が行われている」との被害声明を発表した。、、、 、、Nature誌の分析によると、昨年1月以降、ペーパーミルとの関連が公表されたジャーナルは少なくとも370件の論文を撤回しており、今後も多くの撤回が予想される。、、、 、、、出版業界における組織的な不正行為の問題は、今に始まったことではなく、中国に限ったことでもないと、世界最大の科学出版社エルゼビア社で出版サービスを担当するカトリオナ・フェネル氏は指摘する。「イランやロシアなど、他のいくつかの国でも組織的な不正行為の証拠が見つかっている」 、、、ブラッドリー大学の図書館員、Xiaotian Chen氏は、中国では以前から、企業が研究者に論文を販売することが問題になっていたと言う。、、、2013年には「Science」誌が、中国で研究論文のオーサーシップをめぐる市場が存在することを報じた。 、、、中国の医師は、昇進のために研究論文を発表する必要があるが、病院で忙しくて科学的な研究をする時間がないことが多いため、特にターゲットにされている、、、中国の科学への影響について、李は「その影響は壊滅的だ」と語る。、、、 、、、多くのジャーナルがアナリストを雇い始めており、原稿に問題があるかどうかを見極めようとしている。、、、 、、、詐欺師側がより巧妙な能力を身につければ、軍拡競争に発展するのではないかと心配しています。例えば、昨年bioRxivに投稿されたプレプリントでは、人工知能を使って本物と見分けがつかないような偽のウェスタンブロットを作成できることが示唆された。 

この記事では、捏造論文が組織的なビジネスとして行われていて、ジャーナルは被害者との立場で書かれていますけど、本当の被害者は、一般研究者だと思います。ジャーナルは研究者に対して、知見の発表の場を提供しているわけですが、結局、多くの特に二流ジャーナルは出版してナンボのビジネスですから、出版に対する非常に強いインセンティブがあります。例えばレビューアを引き受けた時に、リジェクトした論文がリバイスになって戻ってくることはしばしばあるし、ひどい時はエディターがリジェクトではなく、リバイスの可能性はないか、と聞いてくる始末です。正直、アホらしくてやってられません。ジャーナルの一部(というか多数と思う)は、低クオリティーの論文に目をつぶり、レビューアの無償の労働を利用して、ビジネスのために怪しい論文出版し、読者と分野の研究者を欺くのに加担している加害者でもあるともいえると思います。

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スムーズにお別れ

2021-03-26 | Weblog
しばらく前にちょっと愚痴っぽい話で、最近来てくれた期待の新人ポスドクの問題に触れたのですけど、とにかくこの人は、最初の週から出てこないし、普段から研究室にいないし、質問にもこないし、プロジェクトの内容も理解さえしていないように見えるしで、非常に出だしの印象が悪かったのです。それでもしばらく様子をみていたのですが、さすがにこれではまずいと思い、一月前に研究プロジェクトについて一時間ほどじっくり話をして、様子を見ることにしました。その後も週に一度のミーティングで進捗を聞くわけですが、その都度、がっかりするようなことばかり続き、困ったなあ、またもう一度、じっくり話あわないといかんなあ、と思っていました。私は人を見る目はないですけど、問題が改善する見込みがあるかどうかぐらいの見当はつきます。残念ながら、この人は、時間をかければかけるだけロスが増大するタイプだということは(認めたくなかったですけど)明らかでした。

学問や研究において、謙虚に真摯に学び考えることの重要さは強調するまでもありません。逆に言えば、経験や知識が足りなくても、謙虚に真面目に学ぶ姿勢さえあれば、私は満足です。大抵の場合で、ゼロかマイナスからのスタートになるのは織り込み済みですから、ベクトルがそこそこの傾きでポジティブに向いていればOKです。現に今、働いてくれている技術補助員の二人は大学終了後ほとんど研究の実地経験なしに来ましたけど、この一年で随分、伸びました。

一方、大学院を優秀な成績で卒業し研究のプロであるはずの今回の人ですが、私から見ると、研究の基本もあやしいレベルでした。プラスからのスタートという前提が崩れただけでなく、その後のプログレスのベクトルはどうみてもさらにマイナス方向を指していました。ミーティングの時に話してわかったことは、彼女は、自分の優秀さを深く信じており、よって人から学ぶことはなく、論文を読む必要もなければ、一生懸命に課題に取り組む必要もない、とでも考えているらしいということでした。つまり、研究者にはもっとも向いていない人でした。これらのことは最初の面接のときにはスマートな笑顔の裏に隠れていてみえず、当初、あまりに非常識な行動をとるのは何か深い意味があるに違いない、あるいは私の方に問題があるのかも知れないなどとさえ考えていたのです。明かになったことは、どうもこの人は自分自身や状況を客観的に評価して適切に行動する能力に問題があるらしいということでした。ま、人間は誰でも自分を過大評価しますし、経験の浅い若い人ではしばしばそれは顕著ですから驚きませんが、この人のはちょっと度を超えていました。この人よりも若い二人の研究補助員の人の方がはるかに大人なので、余計目立つのかも知れません。

当然、結果はでないし、論文も読まないので、最も基本的なことを質問しても答えられず、自分でも目的が説明できないような実験をする。こちらからみれば、典型的な「できない人」でした。本当になぜ、大学や大学院の成績があれほど良かったのか理解に苦しみます。ま、すでにある正解に早くたどり着けば高得点が出る暗記力主体の学校の試験と、答えがあるかどうかわからない問題の解決法を論理的に考え、実験を計画、実行し、実験結果を正しく解釈していくという研究に必要な能力は別ものとも言えますけど。それでも、普通は努力をする能力がなければ学校でもよい成績はとれないでしょう。こちらとすれば、学業優秀なのは少なくとも努力をする能力があると判断し、引き続いて努力してプロジェクトに取り組んでくれることを期待して雇ったわけですが、期待というのは必ず悪い方向にはずれるものです。

周囲の人にもこの人の問題点を指摘され、挙句に、たまたま偶然、彼女の大学院時代の指導者の人はPubPeerに相当な数のエントリーがある人だということを発見したこともあって、できないのは大学院の研究室でまともな科学研究のトレーニングを受けなかったせいではないのかという疑念も湧いてきて、もうこれは、社会人としても科学者としても問題が大きすぎて、辞めてもらうしかないなあ、と思っていたところでした。

いずれにしても、人は自らが自覚して自らが行動しないかぎり、変わりません。自らを客観的に見て謙虚に学ぼうとする姿勢の乏しい人を、外から変えようとするのは無理です。このことは、過去、いろいろな人と働いた経験から実感しています。とくにこの人のように、自らを客観的に見ることができないのにプライドが実力と不釣り合いに高い人は、関われば関わるほど、トラブルとストレスが増えるだけなのは自明でした。そもそも基本的な教育に時間をかけている余裕がないので、研究のプロフェッショナルとしてポスドクを雇ったわけですし。色々考えた結果、少なからぬ損失はあきらめて、この人は放置しプロジェクトは自力でなんとかするしかないという結論に至ったわけですが、それを受け入れるのは辛いことでした。

それからしばらくして、思うに、彼女の方も無理だと察したのでしょう、「将来のプランの変更を考えている」と話を振ってきたので、渡りに船と、「いやー、残念だけど、私のプロジェクトは期間が限られているし、そういう計画なら早い目に別のところに移った方が将来にプラスだと思う、残念だけど、君の将来ためだから、、、」みたいなことを熱弁しました。このままズルズルというのはお互いにとって大変不幸なことになるのは目に見えていたのでホッとしました。スムーズに早くトラブルなくお別れできるよう、詰めを誤らぬように段取りします。
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最後の日々

2021-03-23 | Weblog
ちょっと専門外のことを勉強する必要があって、いろいろと論文を漁っていて、二年前にサイエンスに出たある論文に行きつきました。解析中のマウスの手がかりになると思って、大変興味深く読んだのですが、この論文ではマウスではなく出芽酵母を使って研究されています。その現象がマウスでも保存されているかどうか調べてみようと思い、とくに重要な働きをする二つの遺伝子の哺乳類の相同遺伝子を調べようとしたのですが、特定できませんでした。同じ真核細胞生物とはいえ、酵母と哺乳類では随分違いますし、ちょっとマニアックな現象なので、この際、直接論文を書いた本人に聞いてみようと思い、とりあえずグーグルして研究室のサイトを探そうとしました。結果、研究室のサイトのかわりに行き着いたのは、新聞の訃報記事でした。ちょうど、数ヶ月前にこの細胞生物学研究者の方はがんで亡くなっておられたのでした。このサイエンスの論文が発表されたころに、がんの診断が下り、そして二年の闘病の末に働き盛りの年齢で病に倒れたということになります。

研究に人生を捧げたこの人の最後の二年間を、この人はどういう気持ちで過ごしたのだろうということをついつい考えてしまいました。研究者を志し、長年の努力の末に、成功を収め、脂が乗ってきた時期に訪れた突然の死です。思うに、この人の人生の半分以上は研究に埋め尽くされていたはずです。おそらくまだまだ追求したい問題もあったでしょう。

昨年、定年直後に逝去された私の恩師の最後の様子を一緒に過ごした弟子の人から聞きました。最後までずっと仕事をされていたそうです。数年前に胆嚢癌でなくなったかつての同僚も闘病しながら、最後の日々は彼の学生の指導をして過ごしていたと聞きました。残りの人生がわずかになったことがわかった時でも、人は昨日までと同じように今日を過ごすのは、自らの生き方に確信があるからなのでしょうか。

私なら、あと半年ですと言われたらどうするだろうか、と想像してみました。確実に言えるのは、研究室にはもう来ないだろうということです。迷惑がかからないようにはしたいし、誰かの役に立つことができるのなら、それは果たしたいとは思いますけど、その半年を昨日と同じように研究室に来て、論文を読んだり、色々考えたり、実験したりして過ごしたいとは思いません。

しかし、では何をして過ごすのかと言われると、わかりません。多分、何もせずに、窓から外の空を眺めながら、空虚で無為な時間を過ごすのではないかなあと思います。そもそも私は怠け者ですし。あるいは空虚さに耐えかねて要らぬ細かなことをして時間を潰してしまうのかも知れません。ま、それでもいいかな、などと思っています。
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泣く細胞

2021-03-19 | Weblog
今日の五分フランス語レッスンで覚えた言葉は「泣く(Pleurer)」でした。「泣く」と「雨」は語源が同じようで、「Nantes」というシャンソンの出だし、「ナントの街に雨が降る、、、」の音を覚えていたので雨(Pluie)と関連づけて覚えました。他のロマンス語はどうなのかと思って調べると、スペイン語では「泣く」は「llorar」で「雨」は「lluvia」、イタリア語では「泣く」は「piangere」で「雨は」「pioggia」でした。ロマンス語系では泣くことと雨は
関連しているようですが、ちょっと調べたら、ロマンス語系のルーマニア語だと、「雨」は「ploaie」なのでフランス語に多少似ていますが、「泣く」は「strigăt」で、関連はなさそうです。この「strigăt」という言葉は、ルーマニア近隣のスラブ語系とも類似性がありません。強いていうならゲルマン語系のドイツ語の「Schrei」とSで始まるところだけ共通ですが同じ語源とは思えません。ドイツ語だと「雨」は「Regen」で「泣く」と「雨」の間に関連はなさそうです。日本語でも「なく」と「あめ」には類似性がないですね。ま、構造言語学は専門家に任せるとして、本題は、レッスンの後に目にしたツイッター経由の研究関連のニュース。

「泣く」には涙がつきもので、涙を流すのは人間の最も感情的な行為の一つですけど、見出しを見て、一瞬、細胞も泣くのかと思い、感動してしまいました。

最初は、細胞を泣かせるのに1日もかかったが、経験を積んだ研究者たちは、わずか30分で細胞を泣かせることに成功した。、、、、
(Hans Cleversの研究室)

実は、涙腺の細胞のオーガノイドの作成に成功したという話だったのですけど、つい培養細胞が泣いている様子を思い浮かべていました。いずれにしても、研究者にとってはうれし涙の成果でしょう。

培養では涙管はできないので、涙は細胞の中に溜まってしまうようで、この記事のビデオをみて、今度は、細胞が必死で涙をこらえているように見えて笑ってしまいました。


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I stayed too long

2021-03-16 | Weblog
のどかな春の週末でした。一年後の方向転換のことを考えながら、これまでの自分と社会のことなどを振り返っていました。

私が生まれたころは戦後の高度成長期で、国民全体が人よりもより豊かになることを目指してがむしゃらに働き、それにつれ競争も激しくなっていっていった時代でした。それとともに、公害、環境破壊、さまざまな社会問題も加速しました。

当時、左卜全が歌ってヒットした「老人と子供のポルカ」という曲がありました。音程のはずれた調子で「やめてケレ、ゲバ、ゲバ、、、ああ、神様、助けて パパヤー」と歌うアレです。ゲバは社会運動での暴力事件、ジコは交通戦争の交通事故、ストは労働運動のストライキ、です。社会における闘争、競争の激化を批判したメッセージソングなのですけど、そういう時代だからこそ、とりわけ私の親は私たち子供世代の将来を心配していました。私の親は、戦争、敗戦、戦後の高度成長と激変する世の中を見てきた世代です。

小学校高学年の頃、あるとき、母に呼ばれて「塾に行って勉強したいか」と聞かれました。当時住んでいた地域に学習塾は存在せず、「塾」というものが何なのか知りませんでしたが、運動もピアノもダメで虫をとるぐらいしか能がなかった私は、なぜか「行きたい」と即答しました。それが、その後、現在に至るまでの私の人生を決定した最初の大きなきっかけであったと思います。

親は競争が激しくなってくる社会で、生き残って、それなりの生活をするには教育が大切だと思ったのでしょう。資格をとって、学校の先生にでもなって欲しかったようです。事実、資格の取れる学部に入学が決まった時は随分喜んでくれました。親が私に勉強させたのは、将来、明日食べる米の心配をせずに人間らしい生活がおくれるよう私の幸せを願ってのことでありました。受験戦争、就職戦争、出世競争を勝ち抜き、他人よりも偉くなってほしいとか、沢山カネを稼いで欲しいと思ったからではないです。

しかし、競争社会で生き残ることと、他人を蹴落し人よりも上の立場を手にいれることとは表裏一体です。この20年ほど、研究の世界でメシを喰わせてもらってますが、本来、もっとも人間らしい活動の一つである思う研究という活動の競争的側面は、過去20年近く激化の一途をたどるばかりで、すでに最も非人間的な活動の一つとなっています。人間的側面を犠牲にしないと人間的活動である研究が継続できないようなシステムは破綻しています。もちろん、これは金融資本主義の現代社会では、ほとんどの分野の人間の活動に関して言えます。ポスドク問題、派遣という働き方の問題、ブラック企業にサービス残業、人の命よりカネの方が尊い世の中ですから。それで少しずつ、この社会の歪んだあり方に愛想をつかす若い世代の人が増えてきました。私も否応なくこの競争社会の片隅でなんとか居場所を見つけて生きてきましたが、昨年にあったいくつかの大きな出来事で「残りの人生をいかに生きるべきか」という最重要の問題はもう先送りにはできないことを実感しました。

人間は人の役に立って人類の幸福に貢献し、世の中をよりよくするために生まれてきたという考え方を私は支持しております。その人類は自分自身も含んでいます。その本来果たすべき役割を私は果たしているのかという疑問はずっとありました。思うに、私だけでなく現代社会に生きるほとんどの人が今の社会のありかたに疑問を持ち、いかに自分の人生の使命を果たすべきか悩んでいるのだと思います。

昔、若いころ、何もうまくいかなくて疲れてしまったとき、成功をもとめて努力することの虚しさ、みたいなものをテーマにした昔の曲をよく聞きました。当時好きだった60 - 70年代黒人音楽にはこの手の名曲があります。思い出すのは、Otis Redding の"Dock of the bay"、Gladys Knight & Pipsの「夜汽車よジョージアへ」などなど、いずれも、南部のジョージアから夢を抱いて西海岸へ出てきた人の夢やぶれた時の歌です。あと、黒人歌手ではないですけど、円熟期のローズマリー クルーニーが歌う" I stayed too long at the fair"もよく聞きました。今は昔とちょっと違った気持ちでしみじみと聞いています。

I stayed too long at the fair(意訳)

いつまでも音楽が鳴っていて欲しかった
道化者には常に賢くいて欲しかった
私はお祭りに長居しすぎたのだろうか

髪の毛に似合うブルーのリボンを買った
でも、誰も気に留めなかった

メリーゴーランドは スピードを落としはじめた
音楽が止まり、 子供たちはもう帰る時間となった
私はお祭りに長く居すぎたのだろうか

お母さん、誇りに思っているでしょう?
ギンガムチェックを着ていたあなたの小さな女の子が、はるか人々の上に昇り詰めたことを
でもお父さんは知るよしもなかったでしょう?
私がこんなに成功することも、そしてとっても孤独なことも

親しい人と遠くはなれたニューヨークで
私は毎日実感している
カーニバルはこんなにも悲しくもあるのだと

私はカーニバルの街に住みたかった
笑いと愛に満ち溢れていて欲しかった
友達は、刺激的で知的であって欲しかった
そして、私を気にかけてくれる誰かが欲しかった

成功をつかむのは簡単だった
でも、いまはそれを望んでいない
カーニバルの看板の灯は私の頭上で消えようとしている
故郷に帰ろう、私を愛してくれる人のところへ
私はお祭りに長く居続けすぎたのだから





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ジョブホッパー

2021-03-12 | Weblog
先日、ネットで下のブログのエントリーに行き着きました。なかなか興味深い話だなあ、と最初は人ごととして読んでいたのですけど、最近来てもらった研究者の人とだぶっていることに気づきました。この人は大学、大学院を非常に優秀な成績で出て、インパクトのある論文で最近、学位をとった人です。エンジニアリング系の人で細胞生物研究の経験は限られていますけど、大学では生物学も学んでおり、教授の推薦も強く、面接の感じもよかったので、分野が少し違うものの、期待して採用しました。数ヶ月経ってはっきりしたことは、プログレスが遅いのは、専門分野が違うので慣れるまで時間がかかっているという良性の理由ではなく、どうも研究においてすべての基礎になるはずの科学的思考法というものが理解できていなさそうだということでした。普通に話している分には、知的で愛想もよく賢そうです。しかし、具体的に話を掘り下げて議論をしようとしたら問題は明らかでした。知らないということ自体は深刻な問題ではないです。学べばいいだけですから。しかし、この人は知らないことを学ぼうとするのではなく、知ったふりをしてやりすごそうとする傾向がありました。問題に対峙するのではなく、問題を避けようとします。問題を解決するために存在している研究者がこのような性向をもつのは深刻な問題です。

 分野の異なる私のところに応募してきた理由は、ひょっとしたら下のブログの「カトー氏」と同じような理由だったのかも知れません。しかし解せないのは、どうして科学者としての基礎もあやしいのに、大学や大学院では非常によい成績を収め論文が書くことができたのかということです。エンジニアリングでは一流の部類に入る大学ですし。確かに世渡り上手な感じはしますけど、世渡りだけでは普通、論文は書けませんし。

知り合いが教官をつとめる大学で、彼の学生の学位審査の学外審査員を引き受けたのですが、研究の発表会について、彼と話した時のことを思い出しました。学生の発表後にいくつか質問しないといけないので、質問で何か気をつけることがあるかときいたところ、ウチの大学は私立で、学生の満足が第一だから、学生の気分を害するような質問は避けて欲しい、と言われたのでした。ひょっとしたら、今回の人も、大学院生時代はお客様扱いされていて、仕事や仕事ぶりを批判されたことがなかったのかも知れません。

昨日はちょっと決定的なことがあったので、今後をどうするか頭を悩ませています。こうした愚痴や人の悪口に類する話を記事にするのはよくないのはわかりますけど、教訓的でもある話だと思いましたので、以上の私の経験と共に下にブログ記事をリンクしました。

僕は食品会社の営業部で働く中間管理職。短期間で転職を繰り返すジョブホッパーに対して偏見を持っていたけれども、実際に同僚として働いてみて、今はその偏見が違うものに変化している。、、、、

、、、ジョブホッパーは、己のために会社を踏み台にする人ではなかった。会社のために己を踏み台に捧げる人であった。己のスキルアップを第一にする人ではなく、スキルがばれないことを第一にする人であった。、、、ジョブホッパーはサラリーマンと同じ…いや、サラリーマン以上に哀しく不自由な生き物であった。

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コロナの影響

2021-03-09 | Weblog
この数回、Low keyな内容の話が続きましたけど、最近の下の記事を読んで、あらためてコロナが自分自身の精神にここまで影響した理由がなんとなく納得できました。人間は社会的動物であって、他人と実際の手触りや匂いを感じられる同じ場所で同じ空気を吸う経験が必要なのでしょう。逆説的ですけど、それは、もともと人間は孤独な存在であるからだろうと思います。

ということで、記事のリンク (DeepL訳の一部を抜書き)。


、、、パンデミックは科学生活の中心を脅かす。研究者たちは、行き詰った実験を再開したり、放置されていた現場に戻ったりすることを熱望しているが、何よりも科学の人間的な側面に戻ることを楽しみにしている。、、、「個人的な交流はこの仕事の重要な部分だから」
、、、2020年のロックダウンの間、大きな孤立と不確実性の中、彼は不安の発作に苦しんだ。彼は今でも仕事のほとんどを自宅で行っているが、週に一度か二度は研究室やオフィスを訪れ、安全な距離でチームメンバーと連絡を取っている。
、、、アギラール=カレーノは、実際の教室に入って実際の顔を見ることができたとき、科学が正常化に向けて大きな一歩を踏み出したことを実感するだろうと言う。、、、自分と同じことに興味を持っている知的な人たちに会うのは本当に楽しい。それがこの仕事のやりがいの一部だから。
、、、Tregoning氏は必要に応じてバーチャル会議へ参加しているが、スクリーンに映し出されたプレゼンテーションを見ていると、頭の中がふらつく傾向があるという。、、、
、、、個人的な交流が科学をやりがいのあるものにしているとヴィエイラは言う。「科学はとても厳格で形式的なものですが、創造性も必要です」と彼女は言います。「何気ない会話の時間が必要なのです」。
、、、生活が完全に元通りになる保証はない。「私は希望をもっているが、悲しい未来も見える」

そもそもが個人的で孤独な活動であることが多い研究であるからこそ、生身の人と人との関わり合いが重要なのだと実感しました。人間には自分のやっていることの意義を誰かに認めてもらいたいという承認欲があり、不安や希望を誰かと共有したいという思いがあると思います。

コロナは地球環境や働き方という点においてプラスの面もありました。これまでの資本主義社会への痛烈な批判であったとも言えます。経済活動は縮小し、人々の生活は一変し、生活は困窮しました。生活がカネに依存する社会で、カネのために地球を無制限に破壊するなという地球からのメッセージだと受け止めた人も多かったでしょう。(これを機会にカネがなくても人々が飢えずに生きていける社会を作ろうとする方向に動けばいいのでしょうけど、それにはまだまだ時間がかかるでしょうね)

コロナ禍で、物質的な困窮に加えて大きいのは、人々の精神への影響ではないでしょうか。研究活動という点においても、多分もっとも大きなネガティブな影響は、仕事が進まないということ以上に、研究に従事する人々の精神衛生にあっただろうと思います。
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昔の気持ち

2021-03-05 | Weblog
前回、もうやりたくないことはしない、とタンカを切ってはみたのですけど、その直後に研究報告の担当者に報告書がなっていないから、至急に書き直すように言われ、研究資金管理担当者からは、必要書類がでていないと文句が入り、ジャーナルからはコメントを受け取っていないから出せと言われ、動物実験プロトコールの変更書類をやり直せ、とメールがきました。

やりたいことをちょっとやるために、やりたくないことをいっぱいやらされるのがいやで、そう宣言したものの、各方面から小突き回される現実は、簡単には変わらないです。小突き回されるのも、元はと言えば自分の方になんらか必要があって関係方面に働きかけた結果としての反応である場合が多いようで、自分のせいではあるわけですけど。とりあえず、これからは、いらないしがらみは、もたず、つくらず、もちこまず、の三原則をこころがけて行きたいと思っております。

そうしていると、社会から無視されて、寂しい晩年を迎えることになるし、経済的にも困ることになる可能性もあるでしょうけど、そもそも、人間どうしの関わり合いの9割以上はどうせ利害関係なので、金の切れ目がなんとやら、どっちにしても人間はそもそもみな孤独なものと考えればいいでしょう。

やることを簡素にして、やりたくない仕事を減らすと決心したのですが、そもそも、こんな状態を招いたのは私自身です。仕事の優先順位を決めるための表、Task quadrantを見ながら考えてみました。緊急か緊急でないか、重要か重要でないか、で仕事を四つのカテゴリーに区切って優先度を決める仕事の整理法ですけど、これまでの私は、緊急性はともかく、重要か重要でないかよくわからないからやめられない仕事が多くありました。結果、そうした仕事に結構な時間と労力を費やした挙句に、破綻したというものが多くあります。重要さが決定できない理由は、ビジネスにおいて顧客がそのビジネスの意義を決定するのと同じように、研究においては重要さは評価する審査員が決めるからです。でも、こういう考え方を変えることにしました。何が審査員にウケるのかよりも、自分の研究の興味を優先することにしました。そう決めたら、研究を始めた大学院時代の気持ちを思い出しました。当時、私は、分子生物学と発生生物学の教科書を読んで、たいへん興奮しました。何がウケるかなど考えたことなどなく、知らなかった知識を得てあれこれ考え、実験することが純粋に面白かったです。

それで、この数年興味を持っていたテーマがあるのですけど、「金」にならないから余裕ができるまで止めておこうと思ったプロジェクトを形にすることを考え始めました。資金を得るためではなく、今使える資金と時間があるうちに、とにかくできる限りのことをして、形にすることを優先することにしました。こんな風に実験計画やその結果を妄想するのは楽しいです。

随分前、アメリカで独立した優秀な中国人研究者と「研究とは何か」みたいな話をしたとき、彼は、研究者が頑張るのはエゴゆえだ、自分の優秀さをshow offしたいという強い動機を持つものが生き残る、というような話をしました。現実はその通りです。何としてでも競争に勝ち、有名になって地位を確保するという強い意志のある人が、努力と手段を惜しまず、結果を出して残っていくのだろうと思います。しかし、研究成果を出すという点ではいいかもしれませんけど、その強い目的志向は、多かれ少なかれ、人間性とか文化的で健康な生活とかいう部分での犠牲との引き換えになっています。

そういえば、普通のレベルの高校からT大医学部へ入学した人が、大学に入って驚いたのは同級生の体の貧弱さだと言っていました。高校の同級生と比べてあきらかに成長が悪い人が多かったのは、体を作るべき時期に無理をして勉強ばかりしていたからだろうと言っていました。競争社会が激しくなってきている中国では高校生の8割以上が目を悪くしてメガネをしているそうですがおそらく同様の理由でしょう。

競争が激しくなれば、犠牲は大きくなります。その犠牲と報償のアンバランスがひどくなっていることは随分前から明らかになっています。そもそも、私は昔から巨大エゴとか弱肉強食とかが苦手でしたが、どうも、ますます厳しくなる一方の研究業界のイヤなところがちょっと私の許容範囲を超えつつあるのだろうと思います。
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方向転換

2021-03-02 | Weblog
前回の続きみたいですけど、昨年は、いくつかの重量級のできごと、コロナや心臓病や複数の恩師の早逝などが重なり、さすがに鈍い私でも、精神的、身体的なダメージが蓄積して、先々のことを具体的に考える気持ちになりました。

今ちょうど、NIHのRare Disease Dayのイベントで若くして種々の病に苦しむ人々の個人的な話を聞いています。昨年、心臓を痛めて以来、ようやく私も彼らの気持ちが真にわかるようになった気がします。重度の障害と常にある彼らは、今日をどう生きるかという問題と日々直面しています。彼らにはその問題を先送りにする余裕はないです。しかし、これは、持病を持たない人であっても、本来、同じことで、明日、重病や事故に倒れ、死ぬ可能性は誰にでもあります。実際、それが私の大学院時代の恩師の二人に昨年起こりました。今度は私の番です。その時に後悔はできるだけしたくないものです。

これまでの十五年ほどは、止まればコケる自転車操業で、立ち止まって先をじっくり考える余裕もなく、とにかく一生懸命こいでいればそのうち先の見通しも見えてくるだろうと思ってやっていました。現実はむしろ逆で、道はだんだん勾配がキツくなり、向かい風は強くなるばかりに感じました。そして、昨年はさすがにここが底だろうから頑張りどころだと考えたのですが、それはどうも読み間違いらしいとようやく気づき、ぢっと手を見て、このままではいけないと思い至ったわけです。

それで、一年後ぐらいを目処に方向転換したいと思っていろいろ考え始めました。この一年でやりかけていることのいくつかにケリをつけたいし、同時にやってみたい実験もできる範囲やって、研究することの楽しみをじっくり味わい、できる範囲で結果を形に残したいと思います。つまり、研究の「いいところ」だけに集中する一年にしようと決心しました。その間に、分野や 講座の人々の役に立てることはできる範囲で積極的にやりたいと望んでいます。

そして一年後の方向転換後の生活を妄想しはじめました。研究を継続する場合でも、これまでのような自転車操業はしません。意義も見出せず、楽しくもないと思うことはしません。それで資金が尽き、社会から愛想をつかされ、居場所がなくなるかも知れませんけど、それでもなんとかやっていける方法はありそうです。

そして、可能ならば、その後は、週に4日だけ働いて、一日二合の米を食べ、田舎で家庭菜園をしながら犬を飼い、休みの日は昼にビールを飲んで昼寝をし、若者からは老害といわれ、誉められもせず、苦にもされず、それでも犬と床屋のオヤジには慕われる、さういふものに私はなりたい、などと妄想しております。(あくまで希望)
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