百醜千拙草

何とかやっています

懐かしいラジオの歌

2007-04-30 | 音楽
昨日車のラジオからピーボブライソンの歌が聞こえてきました。十年以上も前に買ったCDからの懐かしい曲でした。結婚式での定番の曲、"Tonight I celebrate my love to you" がロバータフラックとのデュエットで大ヒットしたのは80年代の初めでした。正統派の朗々たる歌声です。数年前にはアラジンの主題歌をレジーナベルと歌ってヒットしてました。レジーナベルもなかなか良いのですが最近余り活躍を聞きません。覚えていなかったのですが、セリーヌディオーンとのデュエットで美女と野獣の主題歌も歌っていたようでこれは92年のグラミーをとっています。その更に数年前グラミーをとったアニタベーカーも私のひいきの歌手でした。この間テレビでピーポブライソンが音楽CDの通信販売のコマーシャルをやっているのを見ました。薄かった頭髪はすっかり無くなっていました。そのころアニタベーカーのコンサートのコマーシャルもテレビで見ました。スタイリッシュだったショートヘアは、なんだかただの中年おばさんみたいになっていました。大好きだったルーサーバンドロスは一年半前に亡くなりました。でも彼らの歌声は未だに若かった時のようにラジオから流れてくるのでした。
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お金の問題

2007-04-27 | お金
クリントン政権時に倍増したアメリカNIHの研究予算がブッシュ政権に変わってから横ばいとなり、研究コミュニティーに非常な不安感をかき立てるようになってから数年になります。予算が潤沢であった時期に拡張したアカデミックプログラムは維持が困難になり縮小もしくは廃止していかざるを得ない状況に追い込まれてきています。個々の研究者を見てみれば、殆どのprimary investigatorの研究並びに職そのものが、NIHの競争的資金を獲得できるかできないかにかかっている訳で、現在だいたいトップ15%の枠に入れるか入れないかで人生大きく変わってしまうわけです。悪い事に競争的と言っても、本質的に多様な研究計画の評価を公平に行えるような基準があるはずもなく、どうしてもスコアのつけ方に恣意性が入ります。にもかかわらず、ペイラインは非常にはっきりしているので、1パーセンタイルでもペイラインからはずれると何ももらえません。こんなことを書いているのも、今朝、某有名科学雑誌のフロントページを読んでいて、個人的に知っている人が、NIH資金をぎりぎりで獲得できず今月で長年すごした研究所を離れざるを得なくなったということを知ったからです。彼は問題の多い動物施設の利用状況の改善を図るべく、利用者のグループのオーガナイザーとして定期的にミーティングを開いていたのでしたが、最近ミーティングのお知らせが回ってこないなと思っていたところでした。長期的な目で見れば、能力があり成果を出せる人が最後は残るのですが、現在のこの不安定な研究環境では、一時的な不運がちょっと重なっただけで、能力にかかわらず研究を断念しないといけない状況に追い込まれてしまいます。一人前の研究者を育てるには何十年とかかるのに、一時的なピンチを救済できる経済的体力が衰えてしまったためにそうした貴重な人材を永久に失う可能性が高まってきています。一旦失われるとそれを補充するのにはまた何年もの時間が必要となります。日本は医師不足らしいですが、十年前は医師過剰時代で医学部の定員がどんどん減らされていっていました。十年前の医療費支払い基金の経済的なバランスだけで政策が決まってしまい、十年後、二十年後を考えていなかったということでしょう。再び必要数の医師を確保しようとしても医学部レベルから始めていては遅すぎます。医師を教育し使い物になるようにするまでには十年近くかかるのです。アメリカのように専門職職員を外国から輸入するのがもっとも対応が早いわけですが、アメリカと違って喜んで日本に来てくれる外国人はそう多くはないでしょう。
 アカデミックラダーを上り始めると永久職につけるまでに2,3回の評価関門があって、生産性のない研究者はそこで除かれます。しかし各大学で行われるこういった評価はだめな人を除くためのもので、良い人を選択するためのものではありません。大学もできればせっかく採用して投資した人材ですから成功してもらいたいと思っているのです。しかし研究費を供給する主に政府機関は、すべての研究者をサポートできるだけのお金がないので、そこでは優秀と考えられる研究のみしかサポートできません。そして研究計画を査定する側はその研究計画の価値を常に十分理解できるわけでもないので、優れた研究計画なのに認められない不運なものが出てきます。そうした不運がその研究者のキャリアにクリティカルな場面で現れたのが、上の例だったのだと思います。
 皆、危機感はあるのですが、何といってもお金の問題なのでお金をどうにかしない以上、何の解決策もありません。仮にブッシュが無駄づかいを止めても、NIHの体力が健全なレベルに回復するまでにはしばらくかかるでしょう。じっと耐えるしかありません。
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ダイセツ スズキのゼン

2007-04-25 | 文学
数日前の「剣を長空に揮う」の出典をインターネットで調べていた時、 有名な「 三界無法何處求心 」と言う言葉もこの盤山という人の言葉で 碧巌録 の中におさめられていることを知りました。 この言葉も鈴木大拙の著書の中でとりあげられていたので覚えていたのだと思います。その部分で大拙は、漢字、漢文が中国で発展してきた禅仏教に如何に重要かを説いています。「サンガイムホウと声にして読むだけで、仏法のすべてがつくされる」と書いてあります。確かにこれらの字を見ながら読み下すだけで、何かしら訴えかえる力があるように思います。
鈴木大拙の著書に親しむようになったのは、高校生時代に好きだったSalingerの小説を読んだからでした。私の若いころはSalingerと言えばちょっと生意気な文学少女の愛読書という感じでしたし、男が余り堂々とSalingerが好きとか言えない雰囲気がありましたからこっそり読んでいました。ナインストーリーズを最初に読んで気に入ったのですが、Salingerの小説は基本的にすべての作品が繋がっているので、自動的に他のも読むようになったのだと思います。不思議なことに「ライ麦畑」は、好きだったころに読んだことがなく、随分たってから原書を読んでつまらないと思いました。おそらく今読みかえしたら他の本も随分違ったように感じることでしょう。若者にしか分からない感性というものがあって、だからこそSalingerは若者に強く支持されるのでしょう。Salingerの作品の「フラニーとゾーイ」だったかあるいは、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」だったかで、登場人物の誰かの長いモノローグの中で「ダイセツ スズキ」の名を知ったのです。私のように仏教関係者ではない普通の人が仏教にしかも禅仏教に関心を持つようになる場合の多くが、ダイセツ スズキの影響ではないかと思います。ダイセツ スズキは、アメリカのみならず世界の若者にゼンを広めた思想的リーダーでした。ゼンや少なからぬ部分の日本の一般人の禅仏教は、ダイセツ スズキによって現代に蘇った新しい仏教の形であったと思います。勿論功罪あるわけですが、若かった私が大拙の著書に容易に扇動されてしまったのは無理ありません。罪の部分については、大拙のゼンの解説は仏教を哲学的な思索の方法と誤解させてしまうことではないかと思います。実践を知らずに頭の中だけの概念として仏教を理解しようとすると誤解につながるでしょう。「説似一物即不中」は中国禅仏教の祖、六祖慧能の弟子であった七祖懐譲の言葉ですが、「口に出したとたんにはずれる」という意味です。禅を文字から理解しようとするとまさにそうなってしまうでしょう。本来仏教は空海が持ち帰った密教の様に多分に功利的な側面がありました。具体的に何かに役に立つものであったわけで、禅にしても表面上は、後生を頼むとか救済とかいうことを一切消し去っていますが、当然それを実践する事で得られる何かがあるわけです。それは頭の中の理解だけでは得られないものでしょう。高校の時、大嫌いだった倫理の先生がいました。生徒の親からの評判も悪く、倫理を教えるのにこれほど不適格な人もいないと思ったものでしたが、その先生が哲学についての最初の授業で言ったことは未だによく覚えています。言ったことはもっともなのですが、だからといって発言者に好意を持てるかというと別問題です。ともあれ、その先生は、「哲学を学ぶということは哲学することを学ぶことである」と言ったのでした。高校生の私は「哲学」の定義をまず教えて欲しかったので煙にまかれたような気がしました。今になって思えば当たり前ではありますが大変重要なことであったことが分かります。仏教や禅についても同じことが言えます。仏教をすること、禅に生きることが何より大事なのです。そう気づいたら「禅問答」の意味がわかってきます。そこに書いてある文字にとらわれてはいけないのですね。それを気づくには多少の経験と試行錯誤が必要だと思います。そういうことをわかっていなかった高校生の私がききなり禅語録などを読んでもおそらく全く理解できずに放り投げていたでしょう。そのいわば解説書として鈴木大拙の本は高校生レベルの頭でも理解するきっかけをつかめるように書いてあったわけです。以来、折りに触れては鈴木大拙の本を開くようになりました。仏教を実践している人にとっては大拙の本は両論あると思います。いってみれば素人のために多少誇張も含めて書かれた本なのです。しかし私のような一般人は十分楽しめます。今、世間で鈴木大拙がどのように受け取られているのか知りません。私が高校の倫理社会の教科書で再会した時、大拙はすでに二十年近くも前にこの世を去った後でした。大拙は著書の中で、禅は若者のものであると断言しています。もう若者でなくなった私はこうして若かった頃を懐かしんでいる部分もありますが、心の中では高校生時代と余り変わっていないと思っていますからまだまだ大拙の本は面白いです。
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危険なゲーム

2007-04-24 | Weblog
最近の格差社会、当たり前ですが資本主義がグローバルに浸透していった結果だと思います。狭い意味での成功すること、つまり経済や社会的地位において優位な立場を求めること、が何より大切だという考えは、例えば私が高校生や大学生だった時代は、はしたない事だと考えられていたように思います。表向きだけでなく、心の底から金持ちになったり出世したりすることに興味がないと考えている人も多くいたと思います。最近はイデオロギーとしての資本主義ももっと低俗に「市場原理」と呼ばれているようです。人の価値を単純なものに例えてしまう訳ですね。例えば、研究者が職探しをする場合、需要と供給のバランス、その人の研究者としての能力、将来性など、選考のプロセスは株式投資みたいなものです。根本的にそうした市場原理が社会活動のあらゆる面にあるのは事実ですが、それが近年非常に露骨になってきているような気がします。このことはやはり「お金」の社会における重要度が上がってきているからだと思います。社会活動の多くを経済活動の面から見る癖がついてしまっているのです。世界がせまくなり、共通の言語として「お金」でコミュニケーションをとることが合理的だからでしょう。私はこれは大変よくない傾向だと思います。勝った負けたで世の中のものや人を判断するわけです。昔、「マルビ」「マル金」という言葉がはやりました。貧乏人と金持ちですが、そのころは、これは架空のステレオタイプをおもしろがる「遊び」だという認識がありました。しかし最近の勝ち組、負け組とかいう言葉には、そうした風情というかユーモアというかそうしたものを感じません。マル金は、金持ちの恥ずかしいところを笑うわけですが、勝ち組という言葉には絶対的に勝ち組が負け組よりも上という価値観が織り込まれています。私からみると、おとなげないというか余裕がないというかそんな気がするのです。単純な市場原理の価値観を私はアメリカを中心とする近代資本主義に押し付けられ、日本は生き延びるためにそれを受入れてきたのですが、最近はいやいやではなく心からその価値観を信じているようにさえ思います。この経済第一主義はどこまで続くのでしょうか?私はそれはいずれ訪れるであろう地球的食料危機が到来した時に、崩壊していくような気がします。お金が大事なのは、お金で多くのものが買えるからで、お金で欲しいものが買えないような状況になった時には役立ちません。そうした状況となったときに誰が世界を救い得るでしょう。そうした危機を乗り切るためには価値観の多様性が許される社会でなければならないと思います。多様性を許容できる社会は豊かです。なぜなら多様性は非効率的だからです。価値観のマイノリティーはある意味では社会のアソビ部分であり、社会の安全装置であり、将来への投資だと思います。
 研究の世界は前から市場原理が強い世界でした。明らかに競争があってそれに勝ったものは褒美をもらえますが、同じだけの労力をかけても競争に負けると取り分はぐっと少なくなります。競争になる理由は、需要と供給のバランスが悪いからです。有名雑誌に論文を出せば研究資金の獲得その他で有利になります。有名雑誌に載せるには、みんなの関心の強いホットトピックをやらねばなりません。その分野がホットになる前からこつこつやっていた人は、そこで大きなチャンスを得ることになりますが、多くの人はホットだからそこに参入してきた人々で、いわばゴールドラッシュみたいなものです。競争に勝てば褒美があるというのは余りにわかりやすいわけで、ゴールドラッシュにのせられる人々はその褒美が目当てなわけです。確かにある特定の目的を達成するという場合、複数のグループに競争させて、勝者に褒美を与えれば早いわけです。昔、日銀の建物を作る時の石工が余りに仕事が遅くそろって賃上げを要求するので、四グループに分けて建物の四隅から競争させて褒美を与えたら、あっという間にできあがったという話を聞いたことがあります。建物をたてる場合とかのようにはっきりした目的を達成する場合に競争の導入は効率をあげるでしょう。しかし、研究はそうではありません。人類の健康の増進とか、癌を直すとか、究極の目的はあると言えばあります。しかし、そうした究極の目的というものはまっすぐに目指していって到達できるものではありません。科学の進歩は地道にこつこつやっている中の小さな発見を積み重ねることで、概念を作っては壊し、そして将来の方針を試行錯誤で設定していくことを繰り返す途方もない道筋を通っていくわけで、ある意味限りない努力の上にふと訪れる幸運に頼っているわけです。ですから科学の進歩には、できる限りの多様性のある研究を許容できる底力みたいなものが不可欠だと思うのです。すぐに成果が目に見えない研究をこつこつやる人が多くの分野にいることが、研究界の基礎体力の源だと思います。最近の日本、アメリカの研究の世界でお金の配分の仕方を見ていると、基礎体力を上げることをおろそかにして、ゲームに勝つ事のみを重視しているように見えます。"Translational Research"といわれる比較的臨床応用に近い研究を推進しようという動きがありますが、 こうした分野を意図的にトップダウンで進めようというアイデアは百害会って一利なしでしょう。勿論みんな臨床に役立つことをしたいとは思っていますから、役に立ちそうな何らかの発見があれば臨床応用を考える人は既にいっぱいいます。ここにあえて外から主導を加える必要はないのです。むしろそうした所に集まってくるひとは褒美めあての人も多いでしょうから、それらの人がどれだけ本来の目的達成に情熱を持って取り組めるのか怪しいところです。基礎体力の充実をおろそかにしてゲームに勝つ事を最重視するのは、本末転倒です。上場廃止となったライブドアみたいに、そういう態度はインチキを生みます。科学界でもここ数年毎年、少なくない数の捏造論文スキャンダルが有名大学から聞かれます。競争があって勝ち負けがあれば、インチキしてでも勝ったものが偉いと思うものが増えてくるのは当然でしょう。研究界に限らず、インチキは多大な悪影響を及ぼします。研究でも会社でもその社会に貢献してすることに存在意味があります。インチキして勝った場合には勝った人だけが得をし、社会は損をすることになります。最近の勝ち組、負け組という一元的な見方で判断してしまう風潮を見ていると、社会の退行現象、幼稚化が進んで行っているのではと危惧するのです。
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成功の秘訣

2007-04-21 | Weblog
若い時は、「成功する」ということが大事なことだと思っていませんでした。振り返ってみれば、「成功しなくても死なない」と思っていたのでしょう。不自由無く親の保護を受けて生きていたから、「成功」の意味を知らなかったのですね。最近は「成功すること」は即ち「自己実現」であり、「成功を目指さないこと」はまあ半分死んでいるのと変わらないのではと思うようになりました。「成功」という言葉の意味を通常より広くとらえれば、それは「持続性のある充足感」または「一過性でない幸福」とほぼ同義になります。若いころは、成功は運とかタイミングとかが必要なのだと思っていました。だから若い時には成功しなかったのでしょう。今も成功したと言えるわけでは全然ありませんが。
昨年ある大学の教室を訪れて教授と話をした時、しばらく用事で教授が席をはずされました。教授室で待っている間に机の上においてある小さな四角い木のペーパーウエイトに気がつきました。それは二つの部分を蝶番でとめてあって、開くことができるようになっていたのですが、一番上の部分に「成功の秘訣」と書いてありました。興味を引かれてそれを手に取って開いてみると、中に書いてあったのは、「ハードワーク」でした。10年前の自分だったらふふんと笑っておしまいだったでしょうが、この時は心から共感しました。自分では自分なりに努力してきたつもりだったのですが、それでも「成功した」と自分で感じたことはなかったのです。正しい努力が足りなかったことが身に染みて分かりました。「百醜千拙」には、一生懸命がんばろうと言う意味を込めました。今になって若い時に嫌いだった「頑張る」という言葉が大好きになりました。頑張りましょう。今日は自分に対する励ましです。
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剣を長空に揮ふ日

2007-04-20 | 文学
なかなかうまく行きません。うまく行かないのが研究の普段の姿ですから、うまく行かないのは研究が普通に進んでいると解釈すべきなのでしょう。そうわかっていても論文は出さないといけないので、あせりをどうしても感じてしまいます。周囲のことは気にせず、目前のことに集中し一生懸命やるしかないのです。それでも毎日のように小さな期待や希望が潰されて落ち込んでしまうような時、思い出す句があります。鈴木大拙の本のどこかにあって気に入ったのですが、いったい誰がオリジナルなのかは知りません。

剣を長空に揮ふてその及ぶと及ざるを問わず

大拙の本には確かこう書いてあったように思ったのですが、今インターネットで調べてみると、出典は祖堂集十五巻の中にあるようで、そこには、

禅徳、譬えば剣を擲て空に揮うが如く、及ぶと及ばざるとを論ずる莫し。斯れ乃ち空輪の跡無く、釼刃の虧(か)くるに非ず。

とありました。前後をちょっと読んでみると、馬祖の弟子であった盤山と言う人の言葉のようです。最初に大拙の本で知ったときに前後の句が欠けていたので意味を多少勘違いしていたようで、これが原本であるとすると「禅徳あるいは道というものに実体があると思ってはいけない」というような意味であったのだろうと思います。しかし、大拙版のようにこの部分だけを取り出してもっと俗流に解釈した方が、原本の意味以上に味わいがあるような気がします。例え話ではなく実際に剣を揮ってみようという元気がでてきます。揮うことそのものに真実があり、結果のみによって剣が評価されるべきではないというように解釈できます。まあ自分に対する慰めですね。
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わかってもらうことの重要性

2007-04-19 | Weblog
研究計画書とそのクリティークを英語でやり取りすることについて数日前少し触れました。科学の成果は本質的には言語に依存するものではないはずですし、英語で書こうが日本語で書こうが、その価値に本来差があるものではありません。日本で論文にもならないこうした活動にそうした苦労をなぜする方がよいのかという点について書きたいと思います。これはやはり客観的実在を基本的に原則とする科学とは言っても、所詮は人間が作ったものだからであろうと思います。科学は基本的には何らかの法則を見つけるものですが、観察事実が仮に客観的実在であるとしても、法則そのものは観察者の頭の中にしか存在しません。そうした頭の中にしかないものをその他の多くの人と共有することによって、その価値が判断されることになります。科学の成果も芸術作品と同様にそれを鑑賞してくれる人が必要なのです。客観的事実というものは客観的事実であると判断できる主観があって初めて成り立つのではないのでしょうか。これは観念論や唯心論的な哲学的な意味ではなく、もっと単純な経験的事実としてもそう思います。そして経験的事実とは主観的に認められる客観的法則の実感と言っていいと思います。いくら大発見であると本人が思っても、大発見であることをアピールし、わかってもらえなければ、発見は無いのと同じです。そして人にわかってもらうことというのは、思っているより困難なものです。日本から出る論文は一般的にレベルが高くデータも美しいものが多いように思います。にもかかわらず、しばしばそれに相応の雑誌より下のランクの雑誌に載っています。論文の採否を最終的に決めるのは編集者ですが、論文のレビューをするのは同業者であり、多くの場合同業者は仲間であると同時にライバルでもあるわけです。論文の内容に加えて、レビューアやエディターの心理的要素が多分に論文採否に影響しているのは間違いないところです。仮にレビューアが著者に何の感情的な問題を持っていなくても、良くない英語で書かれているだけで減点だし、有名でない大学や研究室から出たというだけで更に減点されるわけです。そうした先入観や偏見を正していくには、本当の日本の研究を論文という製品面だけからでなく知ってもらうしかないと思うのです。
 高品質の車や電化製品を生産し、世界第二位の経済力を誇る国なのに、外国から見ると日本はおそらく「よくわからない国」、ひどければ「不気味な国」と思われていると思います。おそらくな日本の優秀さを知っているが具体的に人間レベルで日本がどんな文化をもつどのような国なのかはよく知らないような中途半端な知識人は、日本に対しておそらくネガティブな印象を持っているであろうと想像できます。これはやはりコミュニケーションの問題だと思います。「巧言令色少なし仁」、「不言実行」の儒教的道徳教育を受けた多くの日本人は、言葉によるコミュニケーションをやはり軽視する傾向があるような気がします。「自分ではしゃべらない、理論にしゃべらせる」といった日本人物理学者がいましたが、こういう「美学」を尊ぶ態度こそが、「何を考えているかよくわからない、不気味な国」という印象につながっているように思います。当たり前のこと、言っても言わなくてもよいことをあえて言うことの必要性を、しばらく前、社会の潤滑油と例えたことがありますが、私が思う日本の問題は「効率」を重視する余り必要な「あそび」の部分を削り過ぎてしまっているのではないかということです。社会の柔軟性が乏しいというのでしょうか。ミクロメータのレベルでも狂いのない優れた高品質の製品を作る優れた科学技術を誇る日本でありながら、その本体である日本人が何を考えているのかわからないというのは、閉鎖された空間で魔術を行う魔女のイメージに重なります。かつてエコノミックアニマルと非難された日本ですが、これは一方的なアメリカの逆恨みでしょう。なぜなら日本はずっとアメリカが主導して引いてきたルールの中で戦い、その勤勉さと優秀さでゲームに勝ってきたからです。アメリカはゲームの内容自体を論理的に非難できないのでプレーヤそのものを非難しているわけです。ルール上は日本には何の非もないと思います。日本に非があるとすれば、わかってもらう努力をしなかった、あるいはわかってもらうことが重要であると思っていなかったことでしょう。話が跳びますが、これは、一代で一時は日本最大の総合商社となった神戸の鈴木商店の焼き討ち事件を思い出させます。米不足の時期、鈴木商店が米を輸出して米価をつり上げ巨利を得ているというデマを流されます。大阪朝日新聞をはじめとするマスメディアが国民を扇動し、デマがどんどん大きな話になっていった時期、鈴木商店の幹部は世論へ何らかの対策をすべきでだと考えます。しかし実質のCEOであった番頭、金子直吉は、「悪い事は何もしていない以上なんの申し開きをする必要はない」と世論を無視、ついに神戸鈴木商店本店は感情的になった民衆の焼き討ちにあい、この事件以後、鈴木商店の崩壊が始まっていくことになっています。力を持っているということは、それだけで反感を買うわけで、「正しい、間違っていない」という論理に人間の感情が基づいていると思う所に間違いがあるわけです。今の日本は力を持っています。研究においてもそうです。そうであるのに日本はその成功を快く思わない多くの外国に対して、自ら歩み寄って自分たちが善良な世界の市民であることをアピールすることが余りないと思います。自ら歩み寄らないのに二つの理由があると思います。一つはコミュニケーションする力の不足、二つ目には論文やパテントに繋がらないことを切り捨ててしまう効率主義。これらのことの弊害にもっと気づかねばならないと思います。研究計画書の話に戻りますが、英語で長文の研究計画書およびそのクリティークをやり取りすることには、これらの日本の効率主義の弊害の改善に有用ではないかと思うのです。研究計画書を部外者にもわかるように書く、それも英語で書くことは、「あたりまえであること」「わざわざ言う必要もないと思われるようなこと」を書くことを強いられます。誰にでも分かることから説きはじめて計画の核心へと進めることが必須です。その誰にでも分かる部分をわざわざ書くことが私は大切だと思うのです。部外者の人に自分の仕事をスライドなどで話てみればわかるのですが、他人は自分が思っているほど自分の話を理解していないことが多いです。そうした聴衆に分かってもらえるように話をすることは科学のコミュニケーションの上でとても大切だと思います。日本の研究室では、論文や研究計画書を書く人と実験をする人が全く分かれてしまっている所があります。場合によっては実験も分業体制でやっている工場のような研究室もあります。しかし本来研究は自分の疑問に対して実験的に答えていく活動であるはずで、疑問の提示とそれへの回答は非常に密接に相互作用しあっているわけで、それ故に新発見があるわけです。書くだけの人と実験するだけの人とクラスをわけてしまっては、実験するだけの人はなかなか論文を書いたりコミュニケーションしたりするトレーニングが十分できませんし、現場での実は重要なアイデアが埋もれてしまうことにもなります。これらは将来独立していく上で必須の能力であるにもかかわらずです。また逆に分業制の場合、論文を書いたり講演をしたりする人はたいていシニアの人で実験の実際がよくわかっていなかったりするわけです。若手で手を動かしているうちから、トレーニンググラントやリサーチグラントを書くことは、英語でのコミュニケーションをとり、論文を書いたりレビューしたりする技術を身につける上で大変有用だと思うのです。こうした作業は効率主義、工場的分業制にとっては、何のメリットもないと思います。しかし本当に重要な科学の発見は工場で生産されることはまれです。長期的に科学者を育ててオリジナリティーのある研究を進め日本をもっと理解してもらうためのコミュニケーション技術を育むことは大変重要だと誰でも考えていると重いますが、目先の成果を重用視する現在の日本の効率主義分業制がこれらのことを促進する上で障害となっているように思えます。長期的視野で日本の科学界の基礎体力を上げ、他の国にわかってもらえる開かれた国にするために、英語長文研究計画書とレビューシステムを入れることは悪くないアイデアだと思うのです。
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子供の遊び

2007-04-17 | Weblog
春の嵐となりました。すごい風で家が揺れたのがわかりました。天気が悪い休みの日は子供が退屈して困ります。ほっておくとインターネットのゲームを際限なくやってしまうので一日時間を決めてさせているのですが、それが終わるとだらーとして退屈だ退屈だと騒ぎ出します。映画や図書館や買い物に誘っても嫌だというし、そのくせ自分で工作したり本を読んだりする工夫があるではなく、大変 受動的で困ります。この間6歳の下の子が余りに退屈だというので、「夏も近づく八十八夜、、、」の歌に合わせて手を打ち合う遊びを教えました。子供の頃、女の子たちがよくやっていたように思うのですが、私自身は面白いと思ったことはありません。歌詞もうろ覚えだったので調べたら、これは茶摘みの歌なのですね。日本の昔の懐かしい情景が浮かびます。意外な事に子供はこれを妙に喜んでずっとやっています。音楽の教科書にもこの歌が載せてある事を見つけました。私が子供のころ、テレビはありましたが、ビデオゲームやインターネットは勿論なく、主に模型を作ったり、ビー玉をしたり、虫を捕まえたりということをよくしていた記憶があります。この辺りは捕まえる虫もいないし模型屋もないしビー玉遊びをする子供もいません。天気のいい日はサッカーやテニスをしているので、まあいいかと思いますが、多くの子供は遊び時間はビデオゲームをするのが主流のようで、横から見ていると遊びの創造性に乏しいような気もします。休みの日は仲のよい友達から必ず電話がかかってきます。何を話しているのかと思えば、インターネットのゲームの攻略法とかこつとかを議論しているようです。部外者には創造性のないビデオゲームと映っても、実はもっと奥が深いのかも知れません。私が子供のときは、父が竹馬を作ってくれてその乗り方とかトレーニングしてくれた記憶があります。インターネットのゲームでは、こちらは教えるどころか全くお手上げ状態で、こちらが子供と遊びたくても仲間に入れてもらえません。遊びも進化していくわけですし明らかに悪い遊びでないのならどんなふうに遊んでもよいとは思うのですが、私はもっとアナログで電気代のかからない遊びが好きです。
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研究と私小説

2007-04-15 | 研究
小説の分野に私小説というものがありますが、私のやっている研究というものはまさに私小説を書くという行為と近いのではないだろうかとふと思いました。といっても私は私小説なるものは書いたことがないのではっきりと分かりません。その手の小説というのは、小説を娯楽として読むものにとっては、多くの場合、暗く難解で面白くないものでしょう。しかし書く方にしてみれば、ほとんど無から有を生み出すような行為であり、自分をいうものをひたすら掘り起こすことで、何か価値あるものを発見しようという活動であろうと思います。それは自分以外の題材を選び取材しそれをもとに話をまとめていく多くの小説と比べれば、効率が悪くまた辛いものでしょう。しかも余り一般の人に評価されない。世の中にはドラマのネタになる興味深いことがたくさん世界中で起こっているわけで、娯楽として小説を読むものにとっては、そうした劇的なドラマの世界の方が、個人のありふれた日常をねちねち掘り起こすような話よりもはるかに興味深いのは当たり前です。然るに、科学論文ではどかと言うと、専門外の人や一般の人が興奮するような面白い科学の発見など一流紙を見回してみても滅多にありません。私は主に娯楽目的で科学雑誌を購読していますが、専門外の論文でこれは面白いと膝を打つような論文を見ることは年に一度あるかないか位です。というより面白いという以前に専門外の論文の場合、その価値さえよくわからないことが多いです。論文の価値が分かるためにはその分野のある程度の知識をバックグラウンドとしてもっている必要があるわけですが、最近のように高度に細分化され、どんどんとパラダイムが更新されていく科学界では、自分の専門以外の分野にリアルタイムでついていくのはなかなか困難です。そもそも紙に書いてあることを読んで得た知識など半分は勘違いといってもいいでしょう。ですから苦労して得た科学の成果を苦労して論文に書いても読んでくれる人は限られています。読んでくれた人でその論文の価値を理解してくれるのはまたその数割というところでしょう。そういう点からも研究は私小説に似ていると思います。
小説と同じく、研究でも外に取材する部分と私小説的な部分があって、多くの論文は両方のパートをふくんでいるのが普通です。取材部分はdescriptionと呼ばれ、私小説的部分はmechanismと呼ばれていると思います。なんらかの現象を見つけたという部分が前者で、その現象を解釈して裏付けたというのが後者です。前者は比較的ストレートですが、後者は多くの場合困難です。しかも後者は多くの場合「あやしい」ものが多いです。もちろん困難であるからあやしくなるわけです。ここのmechanismの部分は、「あーでもない、こーでもない」と頭をかきむしりながら苦闘することになります。そんなところが売れない純文学作家が自分をいじめて私小説を書いている図と重なってしまうのかも知れません。科学研究者は、再現できる実験的結果がもちろん最も大切であると思っていますから、最初から私小説的部分で苦闘するのはバカらしいと思っていて、確信的にその部分に「でっちあげ」に近いデータ含めるのを躊躇しないような人もいます。もちろん直接本人に「でっちあげでしょう?」と訊いたことはないので、下種の勘ぐりと言われても仕方ないですが、そうした論文はいくら現象部分は面白くても読んでいてもやはり感心しません。論文は出して「ナンボ」のものだし、どうせ読んでくれる人は限られているのだから、出版に必要な部分以外の体裁付けのような部分に苦労するのはバカらしいといえばその通りといえばその通りなのです。それでも多くの真面目な研究者は完成度の高い作品を目指して頑張るわけですから、やはり理想の高い売れない純文学作家みたいなものですね。メジャーになりたければ私小説をうじうじ書いていたのではだめなのですが、良い論文、よい研究成果を得るには、この部分で苦労して成果をあげねばならないのだろうと思います。
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研究費申請書

2007-04-12 | お金
今日、レビューの依頼を受けました。普通の論文のレビューの依頼ではなく、驚いた事にイスラエルの研究者がイスラエルの科学基金に申請した研究計画のレビューでした。どうしてイスラエルの科学基金が研究費申請書のレビューを私に頼んでくるのでしょう?この基金はイスラエルでの日本の文部科学省またはアメリカでのNIHのようなものみたいです。日本では科学研究費の申請を文部科学省にしたら、普通日本人がレビュ-すると思います。イスラエルでは国内の人間がピアレビューをすると利益相反が大きいのでしょうか?あるいは単に国内でレビューできる人が忙しすぎるか数が少なくて、外国にレビューのアウトソーシングをするのでしょうか?興味本位でなんだか悪いようですが、とりあえず乗ってみようと思い承諾しました。
 その後、研究計画書が送られてきたのですが、全部で50ページほどの文書のうち、研究計画と予備結果の分はシングルスペースで約15ページです。4年分で$350,000の研究費を申請してあります。申請書の分量はNIHの小規模の研究グラントとほぼ同量なので、リーズナブルな分量だろうと思いますが、申請書はヘブライ語ではなく英語で書かれているのです。Budget JustificationもUSドルで示されています。もちろんイスラエルにはワイスマン研究所という世界トップクラスの研究所がありますし、外国からの留学生も沢山受入れているでしょうから日本よりは英語環境はより整っているはずです。それでも私の乏しいイスラエル人との交流の経験からは、非英語圏の中で彼らの英語はフランス人なみにヘタな方だと思います。そんな中で、NIHなみの分量の英語の研究申請書を国の研究基金が要求するのですから、気合いが入っているなと思いました。日本で同じ事をやったらどうなるでしょうか?むかし私の知っていたころの日本の科研申請は、たった数ページしかないくせに、どこに判子を押せとか、枠からはみ出すな、とかどうでもいい事ばかりに厳しく、形だけという感じで申請書の内容を十分評価できるようなものではありませんでした。おそらく過去の実績とか有名度とかそんなもので評価されていたのではないかと思います。過去の実績が重要なのはどこでも同じでしょうが、これではいくらよい研究計画があっても若手は評価されにくいのは間違いないでしょう。もし、英文で15ページの申請書の提出を日本でも要求すれば、それだけで申請者の能力はかなり評価することが可能になるのは間違いないと思います。また当然レビューアに対しても英語によるクリティークの提出を求めねばなりません。これは明らかに書き手およびレビュー側に時間の負担を強いることになります。研究費の割り振りを研究者内で行うわけですから、そうした時間の負担を避けたい研究者はみな嫌がるでしょう。しかし、英文で科学の成果を発表し、英語でコミュニケーションすることを求められる研究の世界では、科研申請およびそのレビューをを英語でさせるということは、長期的には日本の研究界にとって利点が大きいと思います。
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ひらめき

2007-04-12 | Weblog
ここしばらく空回り状態であれこれ考えたり論文を読んだりしていたのですが、数日前の朝、突然アイデアがわきました。ちょっと調べてみるとそのアイデアに沿ったデータが出ました。データの数が少ないので、まだこの方向へ進むのが正しいかどうか裏付けが足りません。もっとデータを集めるしかありません。
しかし、こうしたひらめきというのは数年に一回しかありません。生物現象においては、集めたデータを素直に解釈して正しく理解できるということはまれだと思います。そもそもそんなに簡単に行くのならみんな苦労はしないでしょう。正しく理解するとは自分の理解の仕方に心から確信が持てるということで、それは自分で直接生データをいじっているものにしか分からない感覚だと思います。理解のためにいろいろな実験をしてデータを出してモデルをつくるわけですが、一つ一つのデータの重みというのは、自分でそのデータを出したものでないとなかなか分からないものです。本来そうした玉石混交のデータを平等に並べてモデルを作るから誤るわけで、それ故に世の中には数々の「誤った」論文が出版されることになるのだろうと思います。
 不思議なもので、正しいひらめきというのはひらめいた瞬間に正しいことが確信できるのです。何年か前にひらめいた時は、ずっとその問題を考えていて休みの日にソファに寝そべっていた時でした。そのアイデアが正しいことは瞬間的に確信を持てました。実験的にそれをサポートするデータが出た時にはほっとしました。このアイデアを皆に話したとき、この分野に余り詳しくない人はわりと素直に理解してくれたのですが、同じ分野をずっとやってきた同僚たちは強い抵抗を示しました。彼らの考えていたモデルと食い違ったからでしょう。直属の上司も私の発見を認めたくなかったようで、そのためこの論文は随分気を使って書きました。本人はガリレオの気分でしたが。しかしこの世の中、いくら正しいことを言っても他人に納得してもらって初めて認められるわけで、この時には人に分かってもらうことは簡単ではなく、それなしには論文もグラントも無いのだということを身にしみて感じました。
 ひらめきはふと起こるのですが、それにはどうも仕込みが必要なようです。前回も何週間もいろいろなモデルを考えて思考実験を繰り返していたあげく行き詰まっていた時に思いつきました。振り返れってみれば実に当たり前のアイデアなのです。進行形の時は、それが分からないし、経験のある研究者でありながらそれを示されても理解することができないのです。だからこそ発見なのでしょうが。今回のひらめきも以前に読んだ論文のことが頭引っかかっていたこと、今回の空回り期間に自分の昔のデータを見なおしていたことが、間接的な引き金になったような気がします。朝起きてコーヒーを入れようとしたときにふと思いついたのでした。もし以前に立てた仮説のいくつかに沿ったデータがでていれば、このアイデアは浮かんでいなかったでしょう。自分の立てた仮説に基づいて苦労して実験したのに、仮説と合わない結果が出るというのは余り愉快ではありません。しかしそうやって失敗を重ねるからこそ正しい方向へ進むことができるのだと思います。
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フレンチサルサ

2007-04-10 | 音楽
YouTubeで昔の音楽を聞いていて、Lambadaのビデオクリップに行き当たりました。20年近く前、すごくはやりました。私はその頃は余りラテン音楽には興味が無かったし、そもそも、ラテンと言えば、それより更に一昔前の日本のラテンブームの頃にはやったマンボとかブガルーとかの暑苦しいイメージがあったので興味が持てないでいたのです。Lambadaも流行したから耳に覚えがあっただけのことでした。Lambadaが大流行した後に、ふとしたことで手にしたレコードが、フランスでのズークの祭典、”Le Grand Merchant Zouk”のライブ版でした。例によってズークの流行が過ぎ去ってから初めて聞いたのです。ズークはラテンにしては比較的単調なリズムを持つダンス音楽ですが、カリブのフランス領グアドループ島やマルティニーク島で発達したもので、フレンチクレオールの歌詞とあいまって独特の雰囲気を持っています。その中で歌われたバラード、Caresse Moinはズークとは言えませんが、単調ながら哀愁を帯びたメロディーで、ラテンというよりは歌謡曲ののりで印象に残ったのを覚えています。Caresse Moin (Caress me) はMarie-José Alieの歌でヒットしたのですが Marie-José Alieは、マルティニークのグループ、Malavoiで一時歌っていました。Malavoiが最も有名だったころ、多くのラテングループが管楽器を使ってリズム重視の演奏をするなかで、Malavoiは厚い弦楽器のセクションによるメロディアスで、ヨーロッパ音楽の雰囲気の強い音楽を演奏していました。独身のころ週末のアパートで一人でビールを飲みながらMalavoiを聞いては、南国にあこがれたものでした。地図で見るとカリブのマルティニークは日本からだと最も遠い場所の一つで、お金も時間の自由も無かった昔の私にはそこを訪れることは夢の中の話でした。もちろん未だに行ったことはありません。メキシコのユカタン半島に去年行く機会があったので、何となくカリブの雰囲気もわかるような気はしますが、同じカリブでもスペイン語圏とフレンチクレオールの文化圏は違うのでしょう。グアドループやマルティニークからの音楽は、独特のアイデンティティーを保持しながらもその他のラテンやアメリカ音楽を取り入れています。妙な話ですが、マルティニーク出身のEdith Lefelが歌うフレンチクレオールのサルサを聞いて、私はサルサが好きになりました。スペイン語とは違って、ひと味違う繊細なサルサです。今インターネットで調べていて知りましたが、Edith Lefelは2003年に40歳で亡くなっていたようです。好きな歌手が一人一人去っていきます。これが嫌ならもっと若い人の音楽を聞くべきなのでしょう。
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イースター

2007-04-10 | Weblog
今日は復活祭ですが、キリスト教徒でもない自分にとっては普通の日曜日です。むしろ多くの店が休んでいたりするので、むしろ普通の日曜日よりも不便な日曜日です。外は天気は良かったのですが気温も低い上に風も強く、そろそろ戸外に出て自然の中で春を楽しめたらいいなと考えていたのですが、オーバーコートと手袋なしでは外を歩くことも出来ませんでした。この時期毎年、チャールストン ヘストンとユル ブリンナーがでてくる十戒と、フレッド アステアとジュディ ガーランドのイースターパレードをテレビで放映しています。両方ともテレビではまじめに見た事がないので話の筋も知らないし部分的なシーンが記憶にあるだけですが、イースターパレードの方は、アステアの特集をやっていた映画館で昔見たはずなのです。思い出せません。アステアが死んだのはもう20年も前になると思いますが、今でもあの優雅なタップダンスは折りに触れては話題になります。ジーンケリーももちろん好きですが、ジーンケリーの踏みならすような重心の低い踊りに比べると、アステアはもっと軽やかで優雅な踊りです。スタンダード曲の"A Nightingale Sang in Berkeley Square"の歌詞の中に、"...Our homeward step was just as light as the tap-dancing feet of Astaire"というくだりがあります。アステアのタップは床を軽く滑っていくような優雅さが魅力だったのでしょう。イースターパレードは確かジーンケリーが最初は出る予定だったのが怪我のためにアステアが代役で出たのだったように思います。このころのアステアは既に五十歳近いはずで、ジュディガーランドの方は二十歳台だったので、スクリーンでみても年齢的な不釣り合いを感じましたが、ミュージカル映画だし、アステアだし、そういうものだろうと思った記憶があります。アステアはもちろん最盛期をとっくに過ぎていてダンスの点では物足りないと思いましたし、ジュディガーランドの踊りにも感心した覚えがありません。やはり、皆が思うようにアステアはジンジャー ロジャースとのコンビの時代がもっともよかったように思います。アステアとロジャースの踊りは、古き良きアメリカへの強い憧憬を誘います。アメリカに憧れる人の多くはハリウッド映画の作りものの世界に引かれるのでしょう。あのような世界は今アメリカのどこにも存在しないように思います。作り物のファンタジー世界だからこそ現代人にも魅力があるのかもしれません。ふと稲垣足穂の小説の世界を思い出しました。
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ベルカントな日

2007-04-07 | 音楽
今日は単純作業をしました。単純作業をするのは悪くないのですが、やる気を出すが難しいです。そんなときは音楽を聞くことにしています。数年前にiBookを買ったときに勧められてiPodも一緒に買いました。長らく音楽を楽しむような生活をしていなかったので、その辺にあった昔のCDや図書館から借りてきたCDなどからiTuneに移して聞いていました。iBookが昨年壊れてしまってからiPodの中身は変化していないので、ずっと同じものを聞いています。最近よく聞いているのは Renata Scottoです。Maria Callas もいいのですが、最近は情熱的な濃いものよりも、上品で端麗なものが好みにあうようです。プッチーニの「つばめ」の中のCh’il bel sogno di Dorettaなどの透き通るようなソプラノを聞いていると、単純作業の手も思わず止まりそうになります。昔は単純作業の時はJazzとかR&Bとかラテンとか聞いていました。昔一緒に実験していた人はなぜかミュージカルナンバーを大音量で聞くのが趣味で、これは余り楽しくなかったです。私はもっと「美しい」ものが好きなのです。若いころはもちろん扇動的なものも好きでしたから、JazzでもJohn Coltraneの後期のものとか、Thelonious Monkとか、Pharoah Sandersとか聞いていた覚えがあります。休みの日に父がくつろいでいる部屋のステレオでMonkとかをかけると、「もっとピアノのうまい奴のにしてくれ」とか言われたのを思い出します(Miles Davisじゃあるまいし、、)。ColtraneとSandersが一緒にやっていたものをかけると、首を振りながら部屋から出て行ってしまいました。私がJazzが好きになるきっかけになったのは、1975年の New York Jazz Quartetの日本公演のライブレコードをたまたま買ったことでした。メンバーは、ベースがRon Carter、サックスとフルートがFrank Wess、ピアノがRoland Hanna、でドラムがちょっと思い出せませんが、なかなか渋いメンバーです。レコードには4曲おさめられていたと思います。なかでもRoland Hannaのピアノは美しく、いつか生演奏を見てみたいものだと思った記憶があります。もうこれはかなわぬ話ですが。「音楽は美しくなければならない」と昔、渡辺貞男が山下洋輔に言ったそうですが、年をとれば汚いものより美しいもの、情熱よりも洗練が好きになってくるものですね。またよりシンプルなものが好きになってきました。プッチーニの曲はまさにシンプルでありながら奥深い味わいがあっていいです。そしてRenata Scotto はプッチーニを美しくストレートに歌うのです。彼女も引退して数年ですから本物を生で見る機会はきっともうないのでしょう。
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インターネット

2007-04-07 | Weblog
実験が進まないので、机の前に座ってあれこれ考えたり調べたりしているのですが、こうしてコンピュータに向かっていると、この技術の素晴らしさを実感します。学生のころは文献の検索は一日仕事でした。図書館にはコンピュータ検索システムすらなく、Index Medicusという、毎月発行される、分厚い目録雑誌が積んであって、キーワードや著者を手がかりに、論文を検索するのですが、過去2-3年間の論文を1キーワードで検索するだけで何十分もかかりました。図書館の書架をぐるぐるまわりってその論文をみつけては、とんでもなく重い製本した雑誌を抱えて、安い生協のコピー機の場所まで往復したものでした。読みたいけれども運悪く図書館にない論文は、学外依頼となり手に入るのに何日も待ったものでした。現在ではインターネットのおかげで、図書館に行く事もほとんど無くなりました。探したい論文は、あっという間に見つかるし、ほとんどの論文はその場でダウンロードして読むことができるようになりました。論文の投稿、査読もほとんどオンラインでできるし、人とのやり取りはE-mailとなり、ほんの数年前のアナログの時代を思い出すと隔世の感があります。パソコンが普及しだしたころは、殆どの人がApple MacIntoshを使っていました。Windowsはまだまだ使いものにならず、DOSのコマンドラインを使って操作しなければならないコンピュータと比べると、Macは画期的なマシンでした。少なくともMacがなければ、パソコンは無かったのではと思います。私は今でもMacを主に使っています。やはりGUIの洗練度にはWindowsに比べ一日の長があると思います。しかし、パソコンを使う主な理由は明らかにインターネットであり、今やこれなしにはパソコンの魅力は無いに等しいといっても過言ではないでしょう。インターネットが大学に導入されたころは、実用という点では殆ど疑問視していました。余りに遅かったからです。しかし現在見るように、インターネットは急激に進化し現在のような快適な環境が実現されました。インターネットは昔のアナログな情報交換手段をどんどんと置き換えていっています。まさに革命的な情報技術であったわけです。世界中のコンピューターを繋ぐというアイデアとその夢を本当に実現したマイクロソフトはすごかったと言う他ありません。Appleがパソコンに起こした革命はコンピューターの未来と言う点からその発展への持続性が読み取れますが、インターネットは全く次元の違う夢であったように思えます。その夢を語っていたころのビルゲイツにどれだけの勝算があったのか知りませんが、その夢を実現し社会にこれだけ大きな影響を及ぼす技術を作りあげたのですから本当に大したものだと思います。情報を手に入れると言う点ではマスメディアよりもインターネットの方がはるかに効率的だと思います。そのうちテレビは誰も見なくなるかも知れません。
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