百醜千拙草

何とかやっています

借りを返す

2022-12-29 | Weblog
色々、たくさんのことがあった1週間でした。感傷的な気分がまだ残っています。
昔の中国では死ぬことを「借を返す」といったらしいという話を聞いた覚えがあります。90年近い歴史を刻んだ白い骨を見ながら、そんなことを思いました。

90年ほど前、ちょうど今の日本に流れていると同様の不穏な空気が社会に流れていました。日本は、アジアの覇権国を目指し大陸に侵攻した挙句に、思い上がって、勝ち目のない戦争へと誘われるままに突入し、結果は完膚なきまでの敗戦。そして大勢の国民が困窮し死にました。人が住む平野は焼夷弾によって焼け野原となり、広島や長崎では何万人という一般市民が、原爆によって一瞬にして大量に虐殺されました。そしてGHQによる統治を経て、独立国という体裁をもつアメリカの植民地という屈辱的立場を受け入れさせられました。一方で、日本人はがむしゃらに働いて復興、脅威の経済成長を遂げ、80年代にはそのアメリカに経済戦争で勝利さえしました。しかしその栄華も続かず、実質経済がピークに達した後は、バブル化、必然的にバブルは終焉し、不況へと突入し、そのタイミングで愚かにも消費税導入を行ったことをきっかけに、以後ただただ下り坂の日々が30年続いて今に至ります。

その日本の激しい浮き沈みの時代をくぐってきた人の一生の間に起こったであろう様々なことに思い巡らせると、その漠洋さに打ちのめされるような気持ちになります。一生のうちに、人は数え切れぬぐらいの様々な経験をし、様々なことを思い、夢を見、失望し、その間、心臓は何十億回と休むことなく鼓動をうち続け、血液は休むことなく巡り、骨は体を支えつづけました。そして、ある日、それらは止まり、命と体を返して地上を去り、元の処に戻って行きました。中身を失った肉体は「亡骸」となり、やがて白いカルシウムの塊となりました。

これまで数々の人の死に接してきましたが、それは多少の時間を共にすごした人との別れであって、私は常に地上に残される側でした。今回は、その死という別れが、そう遠くない未来に自分自身が地上を去る立場なってやってくるのだということが強く実感されたのでした。まもなく、私が借りているこの体は動くのを止め、木の箱に入れられて焼かれて灰になるということを全く違和感なく、自然と細部まで心に思い描かれたのでした。全ての生まれた人は死んでいき、それには一人の例外もありません。送る側にいる人間も最後には送られる側におかれる、その当たり前のことを、実感したのでした。
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人生劇場

2022-12-18 | Weblog
ふと気がつけば、髪には白いものが混じり、顔には皺が増えています。視力が落ち、タイプミスが増えました。もの忘れが多くなり、体を動かすたびにどこかが痛むようになりました。こうした変化が1日1日とゆっくりと進むので、今日の自分が昨日の自分と変わったようには感じないのですけど、ある日、ふと昔を思い出したりした時、鏡の自分を見て、「ああ、年をとったものだ」と実感します。

しかし、年をとって、できないことが増え、背が丸くなり、歩くのが遅くなっていっても、そういうものだと深く考えることもなく、日々の現実を受け入れて皆が生きております。そうして、いつか誰もが死ぬということを知っていながら、それは常に先のこととして、日々の些末時に一喜一憂しながら時を過ごしております。

タクシーの50代ぐらいの男性運転手の人の帽子から出た髪にも白いものが混じっています。この人も遠からず、筋力も反射神経も判断力も弱り、車から降りることになるのでしょう。タクシーは繁華街の一部を抜けていきます。信号待ちの間に、さまざまな年齢の婦人がレストランの前に行列を作っているのが見えます。このレストランの人気メニューを食べる喜びを味わうために、この寒い中で待っているのでしょう。待っている間にも、楽しい食事の時間の間にも、彼女らには「老い」が刻まれていき、そこにいる人々も世界中の人々も一人残らず、それぞれの生の終わりに向けて平等にゆっくりと移動しているのでした。

百年後、それまでには、おそらく私も含めてこの世界に、現在、存在する人々はほぼ全員が地上から去ってしまっていると考えられます。誰もが泣きながら生まれ、多かれ少なかれ苦しい生を生き、老い、病にかかって死んでいく、そうして一生を勤め上げて舞台を降りる運命です。「熱海殺人事件」のように、人間はその現実そのもののような人生という芝居を、人生劇場というリアルな舞台で演じ、そして、一幕の作品を作り上げて去っていく、そう思えば、人間というものは尊い存在なのだという感に打たれます。

われわれが病院に向う理由を察して抜け道を急ぐタクシーの運転手の白髪混じりの髪を見ながら、急ぐことに何の意味があるのだろうか、とぼんやり考えていました。遠からず皆が同じところに行くことになるのに。しかし、すぐに、この運転手も、われわれと彼自身の舞台に立つ役者なら、急ぐのは当然であった、と思い直しました。そして、私は、急いで頂いてありがとう、と礼を言ってタクシーを降りました。

我々はゆっくりと老い、毎日変わらぬ日常生活を送りながら、なだらかに坂を下ります。そして、ある日、いつもの道を曲がった先が崖になっていることを発見して狼狽するのです。坂はいずれ歩けなくなると台本に書いてあることは最初からわかっていたのに。
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クリスマス ランチと旅の終わり

2022-12-13 | Weblog
ストックホルムでは、昔の知り合いがホテルに出迎えてくれて、金曜の午前中は彼女の研究室を訪れ、ゲノムシークエンスセンターをツアー。ガラス張りの綺麗な研究所の中にNova seqが4台に加えて、Nanopore、PacBioのマシンが稼働中とのこと。すぐ隣にはつい数日前にノーベル賞レクチャーが行われた講堂が建っております。

クリスマス ランチは、そこから徒歩15分ほどの湖のほとりにある歴史あるホテルの離れの会場を予約してくれました。この湖の向こう側に王家の墓とプリンセスの宮殿があるそうです。プリンセスと言っても45歳の中年女性、夫は一般人とのこと。夫は王にはなれないのでずっと義理のプリンス。プリンス マスオ。

彼女夫妻、それからヨーテボリの知り合い夫妻と我々の6人でクリスマス ランチ。スウェーデンは肉、魚の料理が豊富で、このビュッフェ スタイルのランチでは多分100種類以上の料理が並べられていました。

まずは食前に暖かい薬草酒のようなものを飲むのが伝統らしく、酸味の少ない赤ワインのような飲み物の中にアーモンドとレーズンを入れて嗜みます。お屠蘇のようなものでしょうか。

食前酒とアーモンドとレーズン

魚料理はサーモンを色々に調理したものが主でしたが、ニシンもよく食べられる食材でニシンのマリネが10種類ほど。肉料理はお馴染みのミートボールの他、ハム、プロシュート、サラミなどの普通のコールドカット、それから、ラム、猪、の他にオオカミの肉。猪やオオカミなどの野生動物は数のコントロールのために一定量駆除されて食肉となるそうです。

クリスマス用の黒ビールとビュッフェ プレート第一ラウンド。
上から右回りにスモーク サーモン、ミニきゅうりとビーツのピクルス、ニシンのクリーム漬け、ハム、卵と小エビのパテ、真ん中のポテトの左側にあるのがオオカミの肉。これは足先の肉を潰して成形したものらしく、パテ状の肉の中にコリっとした肉片が混在し独特の食感と風味があります。一度食べればもう十分。
これを3ラウンドやったあと、食後のデザートとコーヒー。どうもこの国ではアーモンドは幸運のシンボルのようで、クリスマスのデザートはアーモンドを使ったものが多いです。それからクラウドベリージャムのタルトとムース。スウェーデンといえばリンゴンベリー が有名ですけど、クラウドベリーは収穫量の関係か高級食品として扱われているようです。味は普通。スウェーデンでのコーヒーは日本サイズで他のヨーロッパ諸国のようにエスプレッソではありません。

大変楽しいひと時を過ごして、ホテルに帰ったら、日本の家族が急病で容態が悪いとの知らせで、急遽、残りの予定をキャンセルして帰国することにしました。翌日の午後発の飛行機を予約。今は祈る以外に何もできることもないので、翌日の朝は出発までの時間、ガムラスタンまで散歩しました。零下6度でしたが風が穏やかだったので、そう寒いという感じはありません。ガムラスタンも週末の朝のオフシーズンということで観光客もパラパラ、店もほとんど空いていません。前回の三年前の秋は観光客でごった返していたガムラスタンの小道も静かなものです。夏の間はオープンテラスのレストランで賑わう島の中央にある広場では、今の時期は開店前のクリスマス マーケットの屋台が並んでいます。

人気もまばらなガムラスタンの商店街

ガムラスタンの冬の王宮


中央の広場には、クリスマスマーケットが設営。開店前の茶色い屋台


先週はノーベル賞ウィーク。広場にあるノーベル賞博物館の入り口には今年の受賞者の名前。


残念ながら三年ぶりのヨーロッパは、思いがけない形で終わりとなってしまいました。スウェーデンでの任務は果たしましたし、数人の知り合いにも会うことができましたから、目的の半分は達成できました。ベルギーとパリの知人にあえないのは残念でした。前回見れなかったルーブルのモナリザを見るという今回の旅の大目的は達成できず、ローマもケルンの大聖堂も見ずしてヨーロッパを離れることになりました。

ストックホルムの空港について、本来はその日に乗るはずだったローマ行きの飛行機の搭乗口を横目で見ながら、羽田行きへ乗り継ぐべくヘルシンキ行きの飛行機へと向かいました。
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二度目のストックホルム

2022-12-09 | Weblog
ヨーテボリの3日目は雪になりました。外が明るくなるのは八時半、暗くなるのが四時前で、大学に行く前の時間を利用して外を散歩します。気温は0度弱で川には氷が張り始めていますが、風が穏やかなので寒さはそう強く感じません。

そして、ヨーテボリでの2日にわたる任務を無事に終え、最後の夜は知り合いがHaga地区にあるシーフード バーに連れて行ってくれました。ムール貝、生牡蠣、エビの前菜に、シーフード のスープ、地元のビール( IPA)で夕食。メインのスープというのはブイヤベースを濃厚なクリーム仕立てにしたような感じのもので、ロブスタービスクのようなスープにディルの風味が効いたユニークな味。付け合わせのパンも美味。ヨーロッパはどこでもパンが美味しいのが嬉しいですね。
Restaurang Sjöbarenのムール貝、牡蠣とエビの前菜

濃厚シーフード スープ


この街は北欧料理の他、フレンチ、イタリアン、中華、ベトナム、インド、中東料理などと食のバラエティーは大変豊かで、総じて食事は美味しいです。日本食レストランも数軒、目にしました。中でも笑ってしまったのが、「Sushi Renaissance」を謳う寿司屋、その名も「高め"Takame" 」です。高級寿司とは思えませんけど、この店名はどういう意図なのでしょう。2号店「安め」ができたら行ってみたいです。

翌日は、ヨーテボリの中央駅からストックホルムに向けて高速電車で移動。満席ですが大変静かで快適です。500キロ弱を3時間ぐらいで走ります。ヨーテボリから10分も走れば、雪景色の田舎の景色が延々と続きます。

ストックホルムで別の共同研究者に会う予定です。ストックホルムは三年ぶりで、その知り合いとは前回は学会出張であいにく入れ違いになってしまいましたが、今回は週末のクリスマス ランチに誘ってくれました。クリスマス ランチというのはビュッフェ スタイルの食べ放題のことらしく、種類が多いので、朝は絶対に食べないようにと念を押されました。

ストックホルムの中央駅には午後三時前に着きました。駅から出るとすでに陽が傾き始めている上に気温はマイナス7度、冷たい海風が吹き付けます。旅の良い思い出を作るつもりならば、冬に北欧観光はやめた方がいいと思います。ホテルから散策する予定だったガムラスタンまで徒歩で15分ぐらいですが、この寒さの中をウロウロできるかどうか心配になってきました。

夕飯はあまりに寒いので暖かいものと思って調べたら、ホテルから徒歩一分のところに「ラーメン 愛」。かなりの人気店のようで平日の夕方にもかかわらず満席で20分待ち。一階はバーになっていて日本酒、カクテル、ビール、ワインなどが楽しめます。次から次にラーメンを求めてやってくるスウェーデン人。頭の中で鳴るBGMは、矢野顕子の「ラーメン食べたい」。バーのカウンター席に座ってラーメンを啜るスウェーデン人をみながら、「恐るべし、ラーメン愛、日本スゴい」と思った夕刻でした。スパイシー味噌ラーメンは予想を裏切る出来栄え、濃厚な出汁の効いた味噌スープ、もっちりしたストレートの細麺、完璧な出来栄えの煮卵、さりげなく添えてあるシラントロが絶妙な風味を加えています。ビールはShapeshifterのIPA。フルーティーで苦味は控えめの爽やかなIPAがコッテリした味噌スープが染みた煮豚にあいます。






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初めてのヨーテボリ

2022-12-06 | Weblog
ま、そんなわけで、まずフランクフルトの空港につき、EUへの入国審査を済ませ、別の遠いターミナルまで延々と歩いて、ヨーテボリ行きの飛行機へ乗り継ぎました。フランクフルトから1時間半ほどでヨーテボリです。
ヨーテボリはスウェーデン第二の都市ですが、Göteborgと綴り、英語ではゴッテンバーグ (Gothenburg)と呼ばれます。"g"を"y"のように発音するので、カタカナとアルファベット表記がマッチしていません。
空港に知り合いが出迎えてくれて、ホテルへ。知り合いはストックホルムから移ってきたので現在、家族はストックホルムに残して単身赴任中。その前々日もストックホルムから500kmを運転してきたということで車は泥だらけ。間も無く、子供の進学を機に家族もヨーテボリに移る予定とのこと。

とりあえず、ホテルにチェックインし、一服。スウェーデンは「こんにちは」の「ハーイ」の代わりに「ヘーイ」というので、受付のお姉さんにヘーイと微笑まれるのは妙な気分です。

ここは一応「仕事」という名目で来ているので、その後は徒歩で30分ほどの道を散歩しながら大学附属病院の一角にある研究室まで行きました。気温は3℃ほど。ここの人々はなぜかコートのフードを使わないようです。街中は路面電車とバスが非常に発達しており、携帯電話のAppを使えば、チケットが買えて目的地へのルートも教えてくれます。帰りは早速、路面電車を使って、ホテルの最寄り駅まで帰りました。特に検札もないので、電車の番号を確認して乗って降りるだけです。チケットは90分有効でその間は区間内なら自由に乗り降りしても良いです。

暗くなって電飾がついた街路樹を眺めながら、駅方面に向けて散歩、川を渡ったところにある、Kafe du Nordという安食堂 でスウェーディッシュ ミートボールとマッシュポテトのリンゴンベリージャム添えとビールで食事。175クローネ。ここはカフェというより昭和の大衆食堂という感じのところです。例によって入り口でぼーっとしていても誰も相手にしてくれないので、店の店員を捕まえて質問したので、ようやくこの店が自分でカウンターまで行って注文するカフェテリア方式であることを知った次第。安い理由を理解しました。
味は普通、ビールは結構美味。
今日は、これから明日する話の準備をします。

ミートボール、マッシュルーム、リンゴンベリージャムにビール。昭和の喫茶店のカレーライスに福神漬けを思い出しました。


ヨーテボリ版昭和の大衆食堂、その名もKafe du Nord、小さな商店街を出たところにあります。


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旅の計画

2022-12-02 | Weblog
英語での旅行すること(travel)とフランス語での働くこと(travail)は語源が同じだそうで、どちらも「辛いもの」を指す言葉からきているそうです。
まだまだ先と思っていた旅行も気がつくと数日後に迫り、ようやくホテルや移動機関の予約がだいたい終わりました。旅行の段取りは旅行することと同じぐらいのエネルギーが必要だということを実感しました。旅行はともかく旅行の段取りは辛いです。

ヨーロッパは明治以降の日本の近代化のお手本で、歴史の重みもスケールも違いますから、どこに行ってもそれなりに感動すると思います。とはいえ、別に個人的な思い入れも建造物や西洋の街並みにそう興味があるわけでもないので、今回は、有名どころをつまみ食いのように回ることにしました。いくつかクリアする目標、仕事関係、知り合いに会うこと、ダビンチ作品を見ること、を決めて、日程を組むと結構しばられるもので、結局、移動手段の都合などもあり、スウェーデンのヨーテボリを起点と終点にして、六カ国を駆け足で回ることになりました。客観的にみれば、真冬のシーズンオフのヨーロッパをこのような日程で観光するのは馬鹿げたことだと思います。

今回のテーマはダビンチということで、スウェーデンでの仕事と用事を終えたらローマのダビンチ空港に飛んで、バチカンのダビンチ博物館にいき、それからミラノで最後の晩餐を見て、パリのルーブルのモナリザで締める予定です。「最後の晩餐」は入場制限と時間制限(15分)で予約制、モナリザもルーブルでの第一人気なので、朝一番で展示室までダッシュしないと人混みでまともに見れないという話で、慌てて9時からのルーブルの入館チケットを予約しました。ダビンチの作品を見るのはいろいろ大変だということがわかりました。

途中、ミラノからベルギーへの中継地としてケルンに二泊することになりました。ミラノでも大聖堂を見物するつもりですが、ケルンの大聖堂は楽しみです。それとケルン(Cologne) は、ライン川水域の水でつくった香水、オーデコロン(l'eau de Cologne、ケルンの水)の発祥地であり、4711の本社があるところです。私がマセガキだったころ、ウチには家業の関係で4711の男性用整髪剤があって、その柑橘系の香りが好きでした。4711の本社に立ち寄って香水の小瓶を一つ買って昔を懐かしむ予定です。またどうでもいい話ですけど、ケルンはOlga Schepsという美人ピアニストの拠点地です。私としては、美人ピアニストにはショパンよりバッハを弾いてもらいたい。

その後はベルギーへ電車移動、ルーベンで昔の知り合いの研究室に寄り、それからパリに向かうつもりです。乗り換えのブリュッセルで世界一美しいといわれる広場で本場のフライドポテトを食べ、パリでルーブルのモナリザを見て、コペンハーゲン経由でヨーテボリまで戻ることにしました。コペンハーゲンは、単に移動の都合で立ち寄るだけですが、学生のころ、Duke Jourdanというジャズ ピアニストの「Flight to Denmark」というレコードを勉強用のBGMに聴いていたのを思い出しました。このレコードは約50年前の冬のコペンハーゲンで録音されたもので、下のジャケットの写真のようにシンプルでリラックスした演奏がいいです。Jordanはその数年後、コペンハーゲンに移住し、亡くなるまでそこで過ごしています。黒人という理由で差別されるアメリカよりも一人の音楽家として扱ってくれる北欧の方が居心地がよかったのでしょう。

静かな冬の喜びを感じさせる明るい曲調のタイトル曲、Flight to Denmark

因みにJordanは1947年のチャーリーパーカーとマイルスの歴史的名盤、Bird & Milesでピアノを弾いていた人です。(後ろ向けに写っている人)

というわけで2週間ちょっとほど留守にします。
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