百醜千拙草

何とかやっています

夏の食卓

2021-08-31 | Weblog
日の出が遅くなり、夏はまもなく過ぎて秋になります。今年はとりわけ夏が過ぎていくのがさびしく思います。それで、週末はなるべく夏らしく過ごそうとしています。あと何回あるかわかりませんし。今年は、なぜか妙に素麺が食べたいと思う日が何度かありました。普通の素麺、それからネットで覚えた油素麺。油素麺のバリエーションで胡麻油ではなくオリーブオイルを使うのもあるそうです。

オリーブオイルの香りは夏という感じがしますね。オリーブオイルといえば、地中海ダイエット。スーパーに行くと、トマト、アボカド、茄子、ズッキーニなど夏らしい野菜が並んでいるので順番に買います。トマトは週末に余ることが多いので、台湾の家庭料理、トマトと卵の炒め物を最近はよく食べます。トマトの酸味が夏らしくていいです。ニンニクと胡麻油、ですけど、オリーブオイルに変えてトマトペーストを加えて酸味を強調すれば地中海風。ちなみに、トマトペーストやケチャップを料理に使う時は「焼く」といいそうです。高熱によってクエン酸がアニコット酸に変化してまろやかになるのだそうで、ケチャップでつくる日本の「スパゲッティー イタリアン」を美味しくつくるコツでもあります。ちなみに、この変化はミトコンドリアのクエン酸サイクルではAconitaseによって触媒される反応で、この反応の間に水が一分子抜けます。

週末はパンを食べたいので、パンに合うようなものにすることも多いです。この間は、いつもパンを買う店で、もう一種類の新らしいバゲットが売られているのに気がつきました。チャバッタ バゲットという名前がついていて、イタリアのパン、チャバッタの生地で作ったバゲットでした。チャバッタは、バゲットよりも腰が強い四角いパンです。知らなかったのですが、チャバッタの歴史は比較的新しく、イタリアでサンドイッチのパンにフランスからのバゲットが使われるようになって、危機感を抱いたイタリアのパン職人がバゲットに変わるものとして開発したものだそうです。材料はバゲットとほぼ同じながら、強力粉と多量の水を使うのが特徴で、そのため、一回り粘りを強くしたような感じです。

この腰の強いパンを軽くトーストして夏野菜のグリルと一緒に食べます。ズッキーニはシンプルに茹でるか電子レンジで加熱するのもいいです。半分に割って、一番搾りのオリーブオイルに塩とレモンで食べるのが簡単で美味しいです。お皿に残ったレモンと野菜の香りが移ったオリーブオイルをパンにつけて食べます。これは、白いご飯の上に柔らかめの卵焼きとバターと鰹節を乗せて麺つゆと醤油を垂らしたものぐらいの幸福感があります。

さらに、今回は、パンを買った店にオリーブ タプナードという瓶詰めを見つけたので、買ってきました。ギリシャからの輸入品のようです。Wikipediaによるとタプナードは南フランス発祥の食品のようです。オリーブを刻んでアンチョビ、ニンニク、ケッパー、オリーブオイルなどで和えたペーストです。チャバッタ バゲットのスライスをトーストし、アボカドと一緒に上に乗せてブルスケッタのようにしてみました。
 
チャバッタにタプナード、豆、トマトをのせたブルスケッタ(別サイトから)

残りはブロッコリー パスタの味付けに使いました。ブロッコリーを適当に切ってパスタと一緒の鍋で茹でるのです。その間にオリーブオイルでニンニクとアンチョビと唐辛子を炒め、タプナードも加えて、茹で上がったパスタとブロッコリーを合わせて出来上がりです。あえてクタクタにしたブロッコリーが崩れてソースと馴染んでいい感じになります。今回はペンネを使いました。ショートパスタがいいと思います。
ブロッコリーとアンチョビのパスタ 

ついでに、夏が過ぎていくのは物悲しい、で思い出したので昔の隠れた名曲を。

日本がまだ元気だった頃、ラテンとポップスの日本的融合。チカ ブーン - 夏がせつない (1994)

日本が右肩上がりだった頃、印象的なベースラインのアレンジが70年代なフォークポップ 。このころはなぜかわざわざロスアンゼルスまで行ってスタジオミュージッシャンを雇って録音するパターンが多かったようで。風(大久保一久)- トパーズ色の街 (1977)
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私は私のことをする

2021-08-27 | Weblog
再来月にある二つの発表の締め切りが迫ってきました。気が重いのですけど、こういうことで自分に多少のプレッシャーをかけておくのも意味があるのではないかと思って、前向きにやろうとしています。

ところで先週末のDS氏のスキャンダル、大物研究者の転落はさぞかしゴシップのネタになるのではないだろうかと思いましたが、周辺は驚くほど静かです。詳細が明らかにされていないのも原因かもしれませんけど、ツイッターでもほとんどその後の話は流れてきません。

一人の人間の存在というのは、他人にとってみれば、どんな有名人でもその程度なのだなあ、と新ためて実感します。誰でも自分自身の生活、目の前のことが第一だし、こうした事件からは学ぶべきものを学んだらサッパリ忘れて、それぞれの個人の重大事に集中するというのが健全な態度だろうと私も思います。「あなたはあなたのことをする、私は私のことをする」は成熟した大人の態度だと思いますし。

残念ながら、私は尾を引くタイプで、さまざまな事情で身近な人や有名な人に大きな事件がおこると、つい関係するさまざまな事柄を思い出しては、その場面場面の詳細をいろいろな方向から想像し、その人の存在の意味というようなことに至るまで、あれこれと考えてしまうのです。何かにつけて意味を求めるのは人間の性とはいうものの、自分とは直接、関係のない別世界の詳細不明の事件についていろいろと考えること自体は、意味の乏しいことだろうとは思っているのですけど。もっと目の前のことだけに集中して毎日楽しく過ごせたらいいのになあ、と思います。
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踏み外した一歩

2021-08-24 | Weblog
最近、ちょっとした偶然が重なり、細胞内代謝について少しごそごそやっております。この数週間、近年第一線に復活した糖尿病薬であるメトフォルミンは私の対象にしている細胞では、先天異常疾患の原因となるとあるシグナル系を抑制するらしいということがわかって、追求しようかと考えていたところでした。主なメトフォルミンの作用機序はミトコンドリアの呼吸鎖を抑制することにより、細胞内のAMP濃度を上げてAMPKを活性化することによると考えられています。しかし私の細胞でのシグナル抑制効果はAMPKに依存しないようです。私の細胞の場合、問題はAMPKの活性化がいろいろとのぞましくない作用を起こすことで、その一つがmTORの抑制です。AMPK活性化は複数のメカニズムでmTORを抑制し、私の細胞ではせっかくのメトフォルミンの目的シグナルへの抑制効果を相殺してしまうようです。

mTORは多分、細胞生物学分野ではもっとも有名な分子の一つと思いますが、それをここまで有名な分子に育てたのは、DS氏の研究の成果であるのは間違いありません。mTORといえばDS氏、DS氏といえばmTORです。実際、彼自身、自分のことをmTOR manと呼んでいたぐらいです。DS氏の話を20年近く前に一度、聞いたことがあります。彼が一流大学のMD/PhDコースを終え、学生時代に大きな成果をあげたあと、世界トップの研究所で研究を続け、そのままそこでファカルティーになったころのことです。アメリカのこうした一流大学は、ふつうジュニアの教員は外部の応募者から選ぶのを好むので、内部昇格というのは異例で、それだけ彼が才能に恵まれていたということを示しています。事実その後も異例のスピードで教授となりました。彼の話はスライドに細胞を示す一つの円の図から始まり、その円のサイズが大きくなるメカニズムについてmTORが果たす役割を述べたものでした。当時の私のmTORの理解は乏しく、細胞が大きくなるメカニズムという話は面白いテーマだな、と思った程度でしたが、若くしてすでにDS氏が放つ強烈なカリスマの光に歴然とした彼我の差を感じたのを覚えています。有名な科学者の父を持つサラブレッドで、超一流の大学で若くして優れた研究成果を出し、そのままファカルティーとなったエリート、かつハンサムでスマート。比べる方が間違っているといわれればその通りですけど。

その後、私は特にmTORとはほぼ関わりなく過ごしてきましたが、彼の研究室がリードして、巨大な研究分野に育っていったmTOR研究の話題は嫌でも耳に入るし、一流紙にはしばしば彼の名前の論文を目にしますので、私にとってはテレビで見る芸能人なみの感覚でした。

そこに、週末の衝撃的ニュース。HHMI fires prominent biologist for sexual harassment

詳細はわかりませんけど、スーパースターであっても、過ちも犯す一人の人間であったということでしょうか。

この30人のノーベル賞受賞者が所属する世界トップの工科大学では、以前にも大物日本人研究者のST氏が教官職に応募してきた女性研究者に不適切なメールを送って辞退させようとしたことがスキャンダルになって、付属の研究所所長を辞職した事件がありました。また、かつて黒人教官のテニュア拒否をめぐってのこの大学での騒動もニュースになりました。

このアメリカ東部のエリート大学にはびこる性差別、人種差別意識は根強いものがあると思います。それは共有無意識の深くに潜んでいるので、表立って発露されることはありませんが、確実に存在するものです。今回の事件の詳細は知りませんが、少し前にもこの界隈のもう一つの有名大学のイタリア人教授、PP先生がセクハラで辞職し引退に追い込まれるという事件がありましたので、ひょっとしたら超エリート大学の男性教授には共通したメンタリティーがあるのかも知れません。

今回のDS氏の場合の衝撃はかなり大きいと思います。研究室は閉鎖のようで、気の毒なのは研究室の三十九人の研究員や学生です。これだけの数の優秀な若者の未来が、防げたかもしれないこの事件によって狂わされることになったわけですから。踏み外した一歩から転落はおこり、それが複数の人々を直撃しました。また、自業自得とはいえ、この過ちによって成功の高みから転落し、すべてを失った上にStigmaを背負うことになった本人は残りの人生をどう生きていくのだろうと思うとなんとも言えぬ気持ちになります。

さて、この事件に対してDS氏に多大なサポートをしていたHHMIと所属研究所の対応は迅速でした。日本であればスター研究者を守るために事件は隠蔽され、証拠は揉み消され、被害者は根回しされ、事件は秘密裏に処理されていたでしょう。アメリカではそれは許されないことです。なぜならそれは国家の根幹となっている価値基準を揺るがすことになるからだと私は思います。このように原理原則を尊ぶアメリカの姿勢は科学の精神そのものであり、それは絶対の神を信じるキリスト教国家であるという歴史的背景から来ていると私は考えております。一方で、絶対神への信仰がなく、現実の相対的関係において善悪を判断する日本や中国の実利主義の精神は「黒い猫でも白い猫でもネズミをとってくるのが良い猫」という中国の昔の諺によく現れています。しかし、科学や西洋社会ではそれは許されません。ネズミを何匹とってくるかによって猫の価値が判断されるのではなく、まず猫として正しく在る、という原理が優先されなければならず、過程に瑕疵があれば、仮に結果がよくてもそれは認められません。法(法治国家における神)を第一にに尊重し遵守する努力は、法治国家のインテグリティを守るのに不可欠です。ゆえにアメリカは「法の下に正しいこと」に厳密であろうとしているのだと思います。

そうした法治国家の原理原則を軽んじてきた日本では、政治がここまで腐敗し、社会が崩壊し、いじめがはびこるのは然るべくして起こったことだと私は思いますし、それこそが、いつまでたっても日本が民主主義国家として成熟しない理由でしょう。

最後に、中国の名誉のために付け加えますが、中国には「泣いて馬謖を斬る」という故事もあるのを思い出しました。
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坂を登る

2021-08-20 | Weblog
先月にまだ若い息子さんを亡くされた知り合いの人とばったり会いました。ご本人も神経系の持病を患って長く、久しぶりにみた姿はすっかり老けて小さくなっていました。お悔やみを言って、雑談しようとしたのですけど、病気のせいでしゃべるのも難しくなっているようでした。つい、昔の元気で快活だった時のことを思い出して悲しくなりましたが、思えば、私も私の周りの人々も同じなのでした。毎日が連続しているので、だんだん悪くなっても慣れてしまっているだけのことで、十年前と比べれば随分変わっていることが実感されます。

二年ほど前の会で若手の人と雑談していたときに、ふと、自分は坂道を下りはじめた人間だから、という言葉が思わず口に出たことがあって、自分の言葉ながらそれに随分驚いたことがありました。自分の中では野心も多少あり、新しいこともやっていきたいという意欲もあったと思っていたからです。

今、振り返って思うと、この喩えはむしろ逆だったのではないかと思います。坂道を下って麓でのんびりしたいという無意識の願望が出たのでしょうが、現実は、歩く坂道の勾配は増す一方です。人は年齢とともに、ますます急になって空気も薄くなる山道を、伴する人もなく登っていくものではないのだろうか、と感じることが増えました。その登った先に何があるのかは知りません。体力と気力は落ち、進歩は遅く、苦しいことが増えていく中を、ただ登っていくという選択しかないがゆえに、トボトボと登っていくのが人間というものなのかなあ、などと思います。ふと「無縁坂」を思い出しました。

人生は劇場で、修行の場なのだ、とよく聞きます。方便なのでしょうけど、そう思わないとやってられないわな、と思います。凡夫たるわれわれにはこの喩えがいいのでしょうね。仏教では「後生の一大事」というのでしたか、苦しい坂道を登る間も、その一瞬一瞬にフォーカスすれば、上りも下りも楽も苦もない、と思えるのかも知れませんけど。
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権力闘争とコロナ

2021-08-17 | Weblog
日本ではコロナの感染爆発が止まるところを知らず、医療崩壊と緊急事態が続いていますが、例によって与党は国会開催を拒否、閉会中審議にもポンコツは出席を拒否。一方、今回の爆発と医療崩壊を加速させたともいえるオリンピックは中止にもせず、パラリンピックも開催方向。緑のおばさんはいつもの調子でスローガンだけ。東京の区長らが国政選挙を延期して国会を開き党を超えてコロナ対策をするように提言しましたが、党利と手前の再選にしか興味がない国会議員には馬耳東風の様子。政治は権力闘争以上の何物でもなく、本来の職務は役人と現場に丸投げという無責任国家。非常時に無能というのは罪です。こういう政治家を選んだ国民の自業自得と言えばそれまでですが、国民は気の毒です。国民が気の毒といえば、他の国の心配をしている場合ではないですけど、アフガニスタン。このコロナの最中にタリバン復活。そもそもアメリカが介入したのが悪いと言えばそれまでですけど、アメリカが民主主義の大義名分を掲げて戦争ビジネス目的で介入したイスラムの国々で、結局、アメリカは全敗。そのツケを払わされるのは、国民です。七月はアフガニスタンでもコロナ感染は急増していました。タリバン政権を嫌った人々は密になって脱出しようとしていますが、これでは感染も増えるでしょう。タリバン政権がスムーズにコロナ対策できますかね。武力で強権的にロックダウンするのでしょうか。
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フロントページの記事

2021-08-13 | Weblog
とくに低め安定で変わりありませんので、今日はScience magazineのフロントページで目についた記事を淡々と。

Golden Rice。フィリピンでゴールデン ライスの栽培が認可。これはベータカロチンを作るように改変した米で、ビタミンA欠乏による子供の失明を防ぐ目的で開発されたもののようです。ビタミンAが足りないのなら別に足せばいいと思うのですけど、ダメなのですかね?昔の米には色付きの米粒が少数混じっていて、それらはビタミンB強化米だったように思います。ビタミンAも同じようにできないのでしょうか?ゴールデン ライスと聞いて、昔の同僚の間で話題になっていたゴールデン バナナという大人のお店を思い出しました。

臓器移植を受けた人の間では、COVIDワクチン接種にかかわらずコロナに感染する率が高いというデータが出たそうです。一般人と比べてブレークスルー感染の率は82倍だそうです。免疫抑制剤のせいでしょうね。

プリオン病の実験室の研究員がプリオンに罹患して死亡した事件が続き、フランスではプリオン病研究そのものを一時的に凍結。死亡した研究員の家族は研究所を殺人で告訴したそうです。治療法はなく、発症から死亡まで週単位で急激に進行するこの病気は恐怖です。研究所以外なら患者との接触、狂牛病の牛の肉から罹患するのが多いようです。関係ないですけど私はこの十年、牛肉を食べていません。

コロナワクチンには、現在、RNAワクチン、アデノウイルスワクチン、伝統的な不活化ウイルスの三種が使用されていると思います。最近のデータから、ファイザー(BioNtech)とモダーナのRNAワクチンの感染予防効果が高いことがわかりました。ワクチンの予防効果は抗体レベルと相関し、RNAワクチンの抗体産生効果が優良であるとのこと。

太っているからといって不健康であるとは言えないという話。この記事は長いので面白いと思ったところだけ。肥満と代謝的健康さの相関を調べたところ、アメリカ女性では肥満の42%は代謝的には健全、一方イギリス女性では肥満の25%が健康、男性だと、各々、32%、13%となります。アメリカ人は太っていても健康な人が多く、イギリスでは逆に標準体重でも代謝的に不健康な人が多いようです (女性で47%、男性61%で、アメリカでは各々、20%、25%)。不味い食事のせいでしょうか?

コロナに効く薬を見つけるのは困難。すでに認可されている薬は数千種類、バイオロジクスを入れるとその倍はあるわけですが、これらのすでに臨床試験を通ってきた薬がコロナに効けば、数多くの利点があります。こうした研究は積極的におこなわれていますが、多くの知見は実験システム上のアーティファクトである可能性があるという話。Catinonic amphiphillic drugs (CAD)と呼ばれるタイプの薬剤は、培養細胞ではリソゾームのリン脂質の蓄積を起こすことが知られていて、これが、ターゲット分子の阻害と無関係に多くのウイルスの産生を阻害するそうです。これまで、培養細胞でのスクリーニングで有効とされたコロナに効く薬剤の6割がCADの可能性があります。CADがこのメカニズムでウイルス産生を抑えるのは培養細胞だけで、動物で実験するとこうした薬剤は効かないという話。去年、コロナに効くと言われたがダメだった薬、クロロキンがこの手の薬の例です。この教訓から、この記事では「仮説」のない薬剤スクリーニングの落とし穴を強調しています。スクリーニング実験をやったことのある人なら、「仮説なし実験」の泥沼を実感した経験があるのではないでしょうか。うまくいけば、大発見、アッセイシステムをつくって数をやるだけの単純作業なので、つい、こうした実験に手を出しがちですが、実際には当たる確率は低く、当たらないのが普通。その場合にあきらめきれず、アッセイシステムの最適化などの方向に行ってしまうと、底無し沼に落ちてしまいます。仮説を立ててあらかじめ深く考えておくことは、うまく行かない場合にどこで損切りをするかの判断をするためにも重要だと思います。

長くなったので、この辺で。
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Silent Fukushima

2021-08-10 | Weblog
二ヶ月後の締め切りに研究費申請を出そうと思ってしばらく前からいろいろ考えてます。ウケのよい研究費申請には、いくつかの条件を満たす必要があり、それが非常に困難です。主題のタイムリーさ、扱う分子や現象の目新しさ、アイデアの斬新さ、自分の研究バックグラウンドとの合っていること、実現可能性が高いこと、などなど、これらを満たすような申請を書くのは困難です。今回のアイデアは、ある薬剤が小児難病の治療に最近認可されたというニュースから思いついたのですけど、もともと抗がん剤として開発されたこの薬剤の開発の歴史は古く、初めて臨床認可されたという以外はタイムリーさにかけること(ただしウチの分野ではほとんど研究されていない)、それから対象疾患も目新しいものをターゲットにしていないので、そこが最大の弱点です。普通に思いつくようなアイデアなのになぜか誰もやっていないというのが不気味で、何か大きな見落としがあるのではないかと情報を漁っています。また、中心仮説のアイデアが陳腐というのは致命的なので、そこに一ひねり必要なのですが、そのひねりが荒唐無稽でない程度に斬新でありながら、理論的、データ的に強い裏付けがあることが必要であるのが難しい点です。ま、研究費申請は「夜店の射的」に等しいと言いますから、軽い気持ちでやるのがいいのでしょうけど。

というわけで、愚痴以外に書くことがないので、週末に見たドキュメンタリー、アヤ ドメーニック(日本・スイス)監督の"Silent Fukushima"をリンクします。映画の雰囲気と題名から想像するに、レイチェル カーソンの古典的環境汚染告発本、「沈黙の春 (Silent Spring) 」が監督の念頭にあったのではないでしょうか。ゴーストタウンとなった福島の街の静けさ、この現在進行中の問題を隠蔽したい政府の積極的な沈黙、マスコミも含めた当事者以外人々の忘却による消極的な沈黙、Silenceには複数の含意がありますけど、その静けさの下に隠れているのは、複数の種類の恐怖です。



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コロナ終息への希望

2021-08-06 | Weblog
日本では過去最大のコロナの感染爆発が起きていて、不安が募る一方です。しかし、Johns Hopkins のCOVID dataを眺めていると、希望はもてそうな気がします。サイトのデータから推測すると、あきらかにワクチンが効いているという感じがします。つまり、コロナは非常にタチの悪い致死性の感染を起こすウイルスといういう位置付けから、罹っても死ななくてすむ病気になりつつあるのではないか、という感じがするのです。

例えば、アメリカでは、デルタ株のせいだろうと思いますが、先月から新規感染者が再び上昇に転じはじめました。しかし、感染者数は上昇しているが死亡者数は上昇していないということです。これはワクチン前と明らかにパターンが違います。また、イギリスやワクチン接種をアグレッシブにやったイスラエルやその他のヨーロッパ諸国、メキシコなどでも同様に、新規感染者数と死亡者数の乖離がみられます。これらのデータはおそらくワクチンは感染を完全にはシャットアウトできないが、重症化を防ぐ作用があるということを示唆しているのではないかと思います。

一方、ロシアではSputnik Vを世界に先駆けて射ちはじめたはずなのに、七月前からの新規感染者の急上昇につれ、死亡者数も相関して上昇しています。これは一見、ワクチンが重症化を防ぐという仮説に反するようではあります。ただし、ロシアではワクチン接種率が低く、非ワクチン接種者が感染者の大部分を占めるからではないかと思われます。

なぜロシアの接種率が低いのかは興味深い考察がありました。ワクチンの開発は国家主導で迅速に行えるのだが、それを大量生産して分配するためのシステムがロシアでは脆弱らしく、生産をあげるために中国や他の国のプラントとライセンス生産を模索しているという話があります。思うに、Sputnikはアデノウイルスベクターを使っているので、化学合成できるRNAワクチンよりも生産処理過程が煩雑で非効率なのではないかと想像します。アストラゼネカも確かアデノウイルスだったと思いますが、西側資本主義国家の製薬会社では、多分ウイルスベクターの生産ラインは以前から確立していたのではないでしょうか。

日本では過去最高の一日あたり新規感染者数になっていますが、死亡者数の上昇は今回は見られていないようです。これもワクチンの効果であればいいのですけど、ひょっとしたら医療崩壊で入院できずに自宅で放置されて死亡するのでコロナ死とカウントされないのだったら怖いです。

想像の通りであるとすると、ワクチンの大規模で長期的な接種プログラムの計画と実施が、コロナ禍の終息を決定するのではないだろうかと思います。

振り返れば、医学研究面で、この2年弱の間になされたコロナ終息のための集合的努力は素晴らしいものでした。それと同時に、このような世界的な厄災に際すると、政治的に優れた国と全くダメな国がはっきりするものだなあ、と嘆息するのでした。
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コロナと独裁政権

2021-08-03 | Weblog
久しぶりに知り合いの中国人研究者に会ったので雑談。たまたま、二年前のCRISPR babyの話になり、中国の研究現場の倫理規制の甘さについて、彼は批判しはじめました。中国共産党政権は独裁政権であり、彼らの都合によって事実は曲げられ、長いものに巻かれたい人だけが残る、そんなところでまともなサイエンスが行われないのは当然だ、と自国ながら厳しい批判。日本でも、ポンコツ政権が政権に都合の悪い日本学術会議のメンバーを恣意的に任命しなかった事件がいまだに尾をひいていますから、独裁政権による腐敗と法治の形骸化という点においては、中国も日本も北朝鮮も同じようなものです。
私も中国から投稿される科学論文のいいかげんさには辟易としていますから、中国人研究者である彼は、もっと深く思うところがあるのでしょう。

CRISPR babyの彼の批判は続きます。このCRISPR babyを作った中国人研究者はそもそも生物学のトレーニングはほぼゼロの物理学者で、数年アメリカの生物系研究室でポスドクをやっただけで、いきなり遺伝学者になったというにわか作り。自分のやっていることの意味が理解できないレベルなのだ、と彼。また、普通なら、ヒトの胎児に遺伝子操作を施すためには、研究所レベルの倫理委員会での承認が必要であり、それをヒトの母体に返すという操作にはさらに病院での倫理委員会の承認が必要となるはずで、普通の国なら簡単に行えるような人体実験ではないのです。それが、すんなりできてしまうということは倫理委員会が(存在しないということはさすがにないでしょうから)有名無実で、機能していないということです。そして、そのCRISPR babiesがどうなったのか、その帰趨を知る者は誰もいないのだ、と彼は言います。同様に、最近のオスのラットに子宮移植をするという実験で世界的に大バッシングを受けたのも中国の研究室。普通なら、動物実験倫理委員会がそんな実験を許可するはずがないのに、できてしまうのがいまの中国なのだと。

そして、話題は東京のコロナ感染爆発にうつり、そもそもあのウイルスは武漢のウイルス研究所から漏れたという噂があるけど、とふってみると、彼も、それは間違いないと思う、自分は中国人だから中国の研究現場の実情はよくわかる、あのウイルスが、なぜ食肉市場から発生したのかも想像がつく、というのです。彼によると、中国の研究所のポスドクも他の国と同様に薄給で雇われている低賃金労働者なのだそうです。普通なら厳しい封じ込めが必要なウイルス実験研究所の規制も、あってないようなものだったのではないか、実験後のバイオハザードの処理も厳密ではなかっただろう、なぜなら誰もチェックしないから、とのこと。

武漢のウイルス学研究所でコロナウイルスとその感染治療に関する研究が行われていたのは公然たる事実です。そして、そこで働いているのは生身の人間です。ウイルスの起源が食肉市場であったことに関して、彼は、研究所に出入りする誰かが、金にするためにウイルスに感染させた実験後の動物の肉を市場に売った可能性もある、と言い出して、驚くと同時に、ありえる話だと納得もしてしまいました。今となっては、これが本当であろうが陰謀論であろうが、問題の解決には何の役にも立ちませんが、惨事に際して、振り返って改めるべきところは素直に欠点を認めて改める、過去の失敗から謙虚に学ぶ、ということがなければ、同じことを繰り返すでしょう。これを妨げているのは独裁政権だと私は思います。

中国に限りません。独裁国家で国民が生活レベルに不満を抱えて働いている国ではしばしば、重大事故が起こり世界に迷惑をかけるものです。安全や倫理のための規制というのはブレーキであり本来の目的遂行の妨げでしかないですから。日本でも同じです。東電に便宜を図るために、第一次政権時のアベが福島原発の安全性に疑問を呈した専門家の意見を一蹴した5年後、世界最大の原発事故、福島原発事故がおこりました。独裁政権にとっては、世界の安全や地球の未来や自国民の幸福も、権力の維持以上には重要ではないからです。中身はどうでも体裁だけ取り繕えばよい、権力さえ握っていることができればいいと考えているのでしょう。そういう理由で、日本でも、コロナ感染爆発も起こるべくして起こっていると感じざるをえません。独裁国家では、政府が専門家に耳を傾け、国民の声を聞き、世界の批判を真摯に受け止め、正しく判断し、正しく行う、ということしないのです。我欲のために、過ちを認めて改めるという成熟した人間なら当たり前のことができない。自らの完全性を保持しないと独裁が崩壊するからでしょう。そんな人間がリーダーを務める国では国民も清廉で高い倫理観を維持できるはずもないでしょう。日本の没落が加速していっている最大の理由は、自民党の自浄作用が失われた結果としての独裁国家になっているからだろうと私は思っています。
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