百醜千拙草

何とかやっています

仕事復帰

2014-07-29 | Weblog
この1週間ぐらい連日、福島、関東地方空間線量の上昇が見られたのは、第一号機のカバーの解体に伴うものではないか、という話。こういう話、ニュースには一切、出ませんね。チリも積もればで、セシウムは心筋に蓄積し、伝導異常や心筋不全を引き起こして、突然死するというのはチェルノブイリでよく知られている話です。チェルノブイリでの突然死は驚くべき率で起こっていました。空間線量の上昇やカバーの工事のことは当然、ニュースで知らされるべき情報だと思います。

二週間ばかり離れていましたが、明日から仕事場復帰です。書きもの主体でしたから、別に仕事場を離れていても仕事はできるだろうと思っていましたが、なかなかそういうわけにはいかないものです。ラップトップの画面だと小さすぎて、パワーポイントの図を見ながら文章を打ちつつ、インタネットで検索、という普段の作業ができません。旅行鞄に入る折り畳みの30インチ軽量ディスプレイみたいなものがあったら重宝するのですが。自分の机と椅子でないと、じっくり書き物はできないものですね。大昔はインターネットにもつながっていない一台のマッキントッシュIIをみんなが交代に使って、実験の合間にフロッピーに入れた原稿を書いていましたが、どうしてそんなことが可能だったのか本当に不思議です。現在、私、フル装備のコンピューターでも原稿を書くのに1月ぐらいかかるのですけど。

職場を離れている間、投稿したレビュー論文が放置の刑になっていました。別のレビュー原稿を投稿したあとすぐアクセプトになって、そういえばもう一本はどうなったのかなと、共著者が気づくまで私も投稿したことを忘れていました。ひと月前にminor revisionになったらしいのですが、その結果が誰にも届いていなかったというおおらかな話。そして、留守中、共同研究者が実験を助けてくれとのこと、わが社の副社長と専務に打診すると(3人でやっております)、二人ともお忙しいということで、帰ってから久しぶりにベンチワーク予定となりました。彼らも論文執筆中、私もグラントと論文抱えており、学会の準備も始めないと、ということでフル操業状態です。前から今年がこうなることは覚悟していましたが、本当にビンボー暇なしです。でも、私はベンチワーク好きです。小さな実験でも自分で手を動かして何らかの結果を手にするという作業は楽しいです。ものを作る職人さんもそんな感じなのでしょうか。

私は約二時間ほどかかる単純作業をすることが時折あり、最近は、その時に、演奏時間が二時間弱のバッハの「ロ短調ミサ曲」を聞く事が多いです。私は無宗教ですけど、さすがにクラッシック音楽の最高峰と言われるだけのことはあります、私でもこの曲を聞くと感動して興奮します。考え事には向きませんが、単純作業にはいいと思います。キリスト教のミサ曲ですから「キリエ」で始まります。「Kyrie Eleison」(主よ、憐れみたまえ)という文句をメロディーに合わせて繰り返します。「南無阿弥陀仏」と同じようなものでしょうか。

ロ短調ミサ曲は全部で大きく5部に分かれ、全部で27の曲(繰り返しを含む)で成り立ちっています。それぞれが素晴らしいですが、作業中にとりわけ心が落ち着くのは、最終章の男性がカウンターテナー(アルトの音域)で歌うアリア「Agnus Dei」です。声域上、女性が歌うこともありますが、男性が歌っているバージョンの方がいいですね。

この演奏はとりわけ素晴らしいと思います。ソロはDaniel Taylor、因みにバイオリンを弾いているのはDeborah Nemtanuです。
この演奏の中での別の曲、Laudamus Te でDeborah NemtanuはJoyce DiDonatoのメゾソプラノのカウンターメロディーを弾いています。澄んだ美しい音色の中にも深みがあって、味わい深いバイオリンです。美しい音楽を奏でるというだけで女性は美人に見えます。
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スポーツ欄の充実を憂える 

2014-07-25 | Weblog
東日本各地で7/22ごろ、放射線レベルが急激に上昇したという話。(真実を探すブログから)

7月22日午後2時頃から福島県を中心に、東日本の各地で放射線量が一時的に急上昇しました。福島県双葉町では一瞬だけ毎時14マイクロシーベルトを超えるような高い値を測定し、茨城や神奈川などでもその後に平時より高い空間線量を測定しています。福島から関東に放射能が到達するまで数時間程度の時間差があるため、関東圏の上昇は福島の放射能が到達した影響である可能性が高いです。

ただ、放射能の上昇は今日だけではなく、最近は3~4日ほど前から平時より少し高い値を各地で観測していました。昨年8月にも福島原発の瓦礫処理の影響で放射線量が跳ね上がったことがあったので、念の為に当面は放射線量に注意してください。


久しぶりに印刷された日本の新聞を読み、テレビを見ました。いつもはウェブで興味のある部分しか読まないので、こんな状況とは思いませんでした。一番おどろいたのは、スポーツ欄の充実ぶりでした。異常です。高校野球、相撲、プロ野球、サッカー、5面ぐらい使っています。一方、社会、政治面の記事は貧しく、非常に表層的。あとはほとんどゴシップ記事と言ってもよいような、中国食肉業者の杜撰な実態など。福島原発事故に関してはゼロ。3S政策とはよく言ったものです。どの野球チームが勝ったの負けたのというのは、これだけの紙とインクを使って国民に周知させるべきほどの価値のあるものですかね。ま、すべてカネもうけですから、需要にあわせているのでしょうが。

放射能は目に見えませんが、とくに若年者に健康被害をもたらすものです。福島からの放射性物質拡散状況を報道して、注意を呼びかけるということもマスメディアはできるはずです。連中もカネもうけでやっているし、そもそも政府のプロパガンダ機関なのでしょうから、言っても仕方ないことですが、どうでもいいスポーツ記事で重要な問題を目くらましするぐらいなら、そんなマスメディアは要りません。しかし、そんなマスメディアでも商売になるのは、国民がそれだけバカにされているということなのでしょうな。
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マレーシア機撃墜とBRICS開発銀行

2014-07-22 | Weblog
マレーシア航空墜落、どうも親ロシア派ウクライナがロシアから供与されたミサイルを使って撃ち落としたらしいという形の報道がされていますが、どうなのでしょう。事件当初の西側通信社のロイターの発表によると、ロシアの関与と親ロシア派ウクライナ勢力を犯人と決めつけている様子。
一方、同日、ロシアの声で紹介されているルガンスク人民共和国報道部の発表では、ウクライナ空軍スホーイ25型機が撃墜したとのこと。
「旅客機ボーイング777の飛行を見守っていた現地の人達は、同機をウクライナ空軍機が攻撃する様を目撃した。攻撃を受けた後、同機は空中で真っ二つになり、ドネツク人民共和国領内に落下した。攻撃後、ウクライナ空軍機は撃墜され、こちらはルガンスク人民共和国領内のクラスヌィ・ルーチ地区に落下した。」

真相は、そして、その動機は何なのでしょうか。前回のマレーシア航空行方不明事件は、おそらく火災事故によるコントロール喪失ではないか、という説が最も信憑性があったのですが、それでも、様々な陰謀論的憶測を呼びました。今回、親ロシアウクライナの「犯行」らしいということを受けて、早速、オバマは声明を発表、ロシアが親ロシアウクライナに強い影響力を持っているはずなのに、プーチンがその勢力をコントロールしようとしていない、とロシアを批判したという話。ケリーに至っては、ロシアがやらせたと決めつけて(ロシアにとっては痛くも痒くもない)経済制裁を示唆したしたそうです。これを聞いて、マレーシア機撃墜は、ロシアに罪をなすりつけたいアメリカとEUの陰謀だという意見がチラホラ。

この欧米の陰謀説が出てくる背景には、15日に最終合意に達した「BRICS開発銀行」設立のことがあるのではないか、という気がします。ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの諸国が国際基金を作り、非親欧米諸国の経済的補助を行うための国際銀行です。これがうまく稼働すると、ドル、IMFを通じてアメリカが行ってきた世界の金融支配に対する強大な対抗勢力となるだろうと思われます。何しろ、BRICSだけで世界人口の半分以上を占めます。アメリカの世界支配に対する大きな抑止力となると考えられます。アメリカはドルが基軸通貨として国際的に使用されることを背景にした金融力、それから最大の軍事力を使って、戦争とカネによって世界支配を続けてきました。戦争によって資源を奪い、カネによって人間をコントロールする、この二つを組み合わせることで、覇権を維持してきました。ところが、既に、大多数のアメリカ人は、戦争には反対しており、そんなことより目の前の生活の方を良くしてもらいたい、世界支配などどうでもよい、と考えているわけで、もうブッシュがやったような子供騙しのレトリックは通用しなくなってきました。アメリカの支配者層にとっては、BRICS銀行は脅威であっても、一般国民にはどうでもいい話です。

今回のマレーシア航空機撃墜事件が、仮にBRICSの中核にいるロシアをframe-upするための陰謀であったとしても(違うのではないかなと、実は私は感じているのですが)、それによってアメリカと日本を含む親欧米諸国の世論が激しく動くようなならないでしょう。むしろ、それよりも現在再び激しくなってきたパレスティナ問題、つまり、ガザへ執拗な攻撃を加えるイスラエル、そのイスラエルの背後を固めるアメリカという連想から、アメリカ戦争勢力に対する反感はむしろ高まっているのではないだろうかと思います。アメリカ国内外で、イスラエルに対する反感は高まっています。そしてアメリカでその支配者層と一般アメリカ人との考え方にかなりの乖離が(むしろ対立さえ)あるのと同様、イスラエルも一般イスラエル人とイスラエルのシオニスト政権との間の乖離は大きいと思われます。あの孤立したガザに密集した200万人ほどの大した武器も持たないパレスティナ人に強大な武力で攻撃するイスラエル、それによって既に数百名の犠牲者が出ているという話を聞くと、これは別に判官贔屓でなくても、ガザのパレスティナ人に同情してしまいます。

それはともかく、BRICSが非ドル圏の大国を集めての経済協力機構を作ろうとしていることの意義は大きいです。これで少なくともドルの基軸通貨としての影響力はますます低下するでしょう。あと、第三の勢力、つまりインドネシア、アラブ、アフリカにまたがるイスラム圏が、欧米に殺されたガダフィが描いたような共通通貨による独立経済圏を作れば、世界の経済は欧米、BRICS、イスラム圏と大きく3分割されることになると思います。勢力の多極化、分散は、それが一極集中することよりは総じてよい結果を生むだろうと想像します。

と、ここまで書き終わってから、しばらく前の別の情報があることを知りました。マレーシア機の撃墜からわずか30数分後に、プーチンを乗せたロシアの航空機が、マレーシア機とほぼ同じ航路をたどってロシアに向かっていたことが確認されている。ということで、実際、ロシアの大統領機の模様とマレーシア機の模様はよく似ています。これはオッチョコチョイなら間違えます。プーチン暗殺をしようとして、うっかりマレーシア機を撃ち落としてしまったというのはあり得ると思います。というか、この説ならなぜマレーシア機がウクライナで撃ち落とされたのかという理由が腑に落ちます。これが真相だとすると、もちろんプーチンが犯人であるはずはないでしょう。親ロシア派を援護するプーチンに恨みを抱くウクライナ空軍が撃ち落としたという説が信憑性を帯びてきます。
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無力感の正体

2014-07-18 | Weblog
拝金病に侵された産官複合互助会が、使い勝手のよい軽くて何でも言うことを聞く男人形をおだてた結果、アベ内閣の今日の暴走があると思います。アベ自身、自分が何を言わされているのか、何をしようとしているのか、何がおこるのかわかっていないのでしょう。アベ内閣とはいうものの、本体は政府官僚であり、彼らの主命題は税収を上げること、そのためには利用できるものは何でも利用するのです。対米隷属はその道具。いくら防衛上何の意味もなくても、彼らにとってはアメリカ軍は日本にいてもらわないと困るし、日米軍事同盟は無くなると困る、アベを矢面に立たせて、そのウラでカネの算段。国民はとりあえず、怒りのやり場をアベに向けるわけですが、このハリボテはいくら攻撃しても相手本体には何のダメージもない、それが国民の感じる無力感の正体だろうと思います。

住民至上主義の「戦争予算の作られ方」という記事が、政府の短絡的で刹那的、かつ利己的な戦争への動機をよく説明していると思うので転載します。

 『集団的自衛権』という言葉をネタにした演芸会=国会が開かれている。
正直な話、日本の政府も自衛隊も、戦況を理解するだけの情報収集能力や分析能力をまったく持ってはいない。

 皆さん良く考えていただきたい。例えば、役所が公共工事をする場合には大抵、不測の事態が起こり、当初予算の倍以上になる事はザラにある。役人達は、議会の承認を得やすくするために当初の計画を安く見せかける。
 工事が始まってから、シロアリが出たとか、工事が延びたなどの言い訳を付け足す。議会は何回でも追加予算を承認するしかなくなる。工事金額が膨れ上がり、関わった業者や関係役人、政治屋の収入や立場向上になる。 不測事態のでっちあげによる予算増額は役人達の常套手段だ。 戦争予算もこのようにして作られる。
 
 例えば、120万人以上の死者を出したベトナム戦争はでっち上げのトンキン湾事件から始まった。戦争末期、ペンタゴンペーパーと呼ばれる機密書類が流出し、この事件はアメリカが参戦の口実を得るための陰謀であったとされた。後年、事件当時の国防長官であったロバート・S・マクナマラは、トンキン湾事件が存在しなかったことを認めている。

 イラクの「大量破壊兵器保有」もアメリカ政府の言いがかりであった。イラク攻撃に加担した日本政府は何の反省もしていない。日本政府は状況を判断する能力が無いので反省する能力も無い。実際のところ、国会などあってもなくても結果は同じ。この国は米軍がでっちあげる嘘に流されてゆく。
 日本の政治屋たちは国民をだますのには長けているが、役人の嘘にはまったく抵抗できない。ましてアメリカ大統領が言えば、嘘の効果は絶対だ。

 日本の自衛隊、そして役人や議会の組織や情報能力を知る者からすれば、政治家達は集団的自衛権がどうのこうのという話ができるようなレベルではまったくない。国会など、結果の決まった与太話で時間つぶしをしているだけだ。 日本は役人組織が長い間、慣れ親しんだでっちあげ癖をアメリカ政府に利用されて核戦争にまで突き進むに違いない。

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研究不正は止まらない

2014-07-15 | Weblog
Biomedサーカスに、STAP問題のまとめのまとめみたいな記事がありました。

・メルボルン大の研究公正アドバイザー「研究のあるところには不正がある。教育やトレーニングをしても不正は止まらない不正があった時に所属組織がどう対応するかの方が大切で、今回の理研の対応は成功である。データ管理やプレスリリースにおける誇張に問題があったことを理研は認め、対応は迅速で透明性があり、野依氏は理研の全発表論文について同様の問題がないか見直すよう指示した。」


「不正を防ぐのは不可能」という意見は私は完全に賛同します。研究不正というものは、極端に言えば、交通事故のようなものです。車がある限り必ず起こります。事故がおこれば、どんな場合でも誰に過失があるかが検討されます。交通事故の場合は意図的に事故を起こそうとするケースは少ないでしょうから、別の喩えで言えば、婚姻者の「浮気」の方が適切かも知れません。結婚があれば必ず浮気があります。動物的本能と人間の社会的制度との葛藤がもとにあるのですから、なくすには結婚という制度を止めるしかないと思います。研究不正も、論文出版という研究者の本能と研究におけるルールというコンフリクトで起こります。完全に予防するのは不可能です。予防するために監視や規制を強めるのではなく、一定割合で必ず起こるということを前提にして、起こってしまった不正にどう対処するかというところにもっとフォーカスすべきであろうと私は思います。今回の理研の対応は、成功だという判断ですが、その辺は微妙ですね。理研は第三者ではなくこの研究不正の一部の責任者でもあると私は感じます。

起こってしまった不正にどう対応すべきか、に関しては私は良いアイデアはありません。犯罪に関して言えば、罰則を強化するとその発生率はかなり下がるのだそうです。不正が見つかったときにその研究者への罰則を強めれば不正は減るでしょうが、そもそも研究不正というのはグレーゾーンで行われる微妙なものなので、罰則を強めれば、今度は、不正が疑われた場合にその不正を確定するプロセスに多大なリソースを費やすことが必要になるでしょう。

思うに、本当に深刻な不正は必ずバレます。その間にその不正のためにカネや労力や様々なものがムダになる可能性はありますが、そうした稀におこる深刻な不正を防ぐために、過剰な規制や監視をかけることは、全体的利益という観点からは遥かにマイナスであろうと思います。

論文に問題があった場合に、それが意図的な不正であるのか、不注意からくる過失であるのか、をはっきりさせることはしばしば困難です。どちらの場合でも、問題のある論文を出版した著者は、悪質、もしくは無能と判断されて評価を落とすでしょう。そう思えば、研究不正は「放っておく」のが、総合的に全体的利益の点でベストではないだろうかと思います。特に生物学の論文では過半数が再現性がないとも言われています。研究不正がこれに一部、加担はしているでしょう。私は、方法的懐疑に基づく自然科学の研究者であれば、発表論文の中には少なからず研究不正があるということを研究者の常識とするのが第一だろう、と思います。

とういうわけで、賛成してもらえないかも知れませんが、私は、研究不正は「放っておく」ことがベストだと思うのです。思うに、「研究不正を許さない」という感情の基礎にあるのは、(不正の有無にかかわらず)一流紙にサクサクと論文を載せる人に対して大多数の人が抱く不公平感や嫉妬心ではないでしょうか。一本、一本の論文がポジションや給料や研究費に直結していくこの世界では当然です。そこに不正があったとなれば正直者でバカを見たと思う人が怒るのも然るべしです。しかし、この人間の感情の問題を切り離して、研究界における不正問題にどう対処するかと言われると、やはり放っておくのがベストだと思わざるを得ません。少なくとも、私が見てきた中では、かりに不正が認定されなくても、怪しい研究者や不正研究者は淘汰され、あやしい論文は忘れ去れて行きますから。不公平感や不正によってムダになるリソース、そういったものは一定割合で不良品が出るシステムが払わなければならないコストだと割り切り、各研究者は、「喰わせもの」に引っかからないインテリジェンスを磨くことに集中する方が生産的と思います。私の昔の研究者の友人は、「信じるものは騙される」をモットーにしていました。不正論文を真に受けて被害に会わないようにするには、研究においては、騙される方が悪いと考える方が実利的です。つまり、研究不正を予防したり、見つけたり、糾弾したりしようとする活動に要する(しばしばマイナスの)エネルギーは、ポジティブな研究活動に振り分けた方が、全体としては、より有益だろうと思うのです。

EDITORIALS
「Agency of change」
・2014年4月30日付。
・過去に日本で起きた捏造事件として、アマチュア考古学者による自作自演や東大のトルコ人教授による100報以上の論文撤回を例に挙げ、日本には研究不正を監視する組織がないのが問題であるとしている。


この意見には賛同しかねます。研究不正を監視する組織とは具体的にどういう組織なのでしょうか?そんなものがある国はそもそもあるのでしょうか?それから、監視する組織があろうとなかろうと、研究不正は既婚者の浮気と同じで必ず起こるものです。不正をする人は見えないところでやるわけですし、浮気する方もコソコソと隠れてやるのです。家庭に浮気を監視する組織がないから浮気がおこるのだ、などというようなことを言う人はいないでしょう。
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命よりカネ(4)

2014-07-11 | Weblog
いろいろ公私ともに問題が多く忙しい日々です。
9月の学会、今年はウチの二人がそれぞれ一つずつ演題を出しました。二人とも口頭発表演題に選択され、二つとも賞金つきの授賞演題となるという快挙。あとは論文です。うちの一つは先日、投稿しましたが、もう一つは結構インパクトがあると思うので、本命ジャーナルに出す前にN紙姉妹紙に記念投稿しようと企んでおります。 しかし、最近は、こういうのもちょっと疲れてきました。論文をジャーナルに載せるという活動、グラントを取る活動は、研究には必須の活動ではあるものの、科学研究の本質とは関係がない、そんなことを、この間なくなったGerald Edelmanの追悼記事を読みながら思いました。この人は抗体の構造でノーベル賞を貰った後、後年、「Neural Darwinism」という仮説を提唱し、実験科学のメインストリームからはずれた研究活動を続けていました。抗体が抗原刺激によって、数多くのレパトアから必要なものが選択されるように、脳の発達、活動というのも、レパトアから選択されるのではないかというアイデアです。私も随分前にその本を買ったので(結局サワリだけ読んで終わりました)名前を知っていましたが、追悼記事を読むまで彼のノーベル賞の仕事のことは知りませんでした。フランシス クリックのことを思い出させます。クリックもノーベル賞をとり、その後、数々の偉大な分子生物学の発見をしたあと、どういうわけか、「意識はどのように生まれるのか」という問題に残りの研究人生を捧げました。やはり、このメインストリームからはずれた研究活動は余り評価されませんでしたが、思うに、クリックは自分のやりたい研究が簡単には評価されないことは十分わかっていていて、だからこそ、ソークのグラントを書かなくていよい一研究員というポジションを手に入れ、本当に興味のあることに集中したかったのでしょう。一度きりの人生ですから、本当にやりたいことができるように戦略を立てるのは大切です。グラントも論文もその手段として必要なものですが、最近は、その手段そのものが目的化しているような気がして、多少、嫌気を感じることも多くなりました。

そんな中、二日後が〆切の原稿の手直しでデスマーチ中、思わぬ来客。随分前、実験で多少協力したことがあった中国人研究者の人で、二年ほど前に上海の研究機関で研究室を始めたという話。前回、協力した時も、当時私が研究していた遺伝子と大変近い遺伝子を研究していました。話をしていると、またもや私がやっている全く別のプロジェクトの内容と非常に近いものを研究しているという話。それで、またデータを見せ合いして、協力的にやろうということで話がまとまりました。私のところは零細研究室でほそぼそとやっているのに、この人や先週のドイツ人研究者のように学生やポスドクを十人以上抱えているようなところが、人海戦術でまともに競合されたら、私はひとたまりもありません。ひたすら「平和外交」です。「世界は一つ、皆が幸せになるように一緒にやりましょう」みたいなことを演説しました。

言うまでもなく、外交は、お互いの利益をともに上昇させるように交渉するのであり、戦争は力づくで相手から奪って自分のものにする頭の悪いやりかたです。どちらが長期的にトクかは自明だと思うのですが、日本の支配者層の連中は、頭が悪いはずはないだろうと思うのに、視野狭窄と拝金病に陥っていて、人間としてマトモな思考ができなくなっているのは悲劇です。世界は一つで全てつながっているのですから、オノレの行いはいずれ必ず自分に返ってくるのです。彼らの頭の出来は、死ななきゃ治らないどこかの首相のレベルとは違うと思うのですが。

武器を売り、戦争をし、人間を殺す、カネのためなら何でもやりますよ、ちゅーことですな。あさましいです。

「米国やイスラエルに武器を売らないで」-ガザの少女の訴え
「イスラエル兵の投げ込んだ爆弾で、パパは首から上が吹き飛び、ママはお腹が裂け、内蔵を飛び出させて死んだわ…」(ザイナブさん)。日本が武器輸出三原則の例外としてF-35共同開発に関わろうとしていることを話すと、ザイナブさんはこう訴えた。「米国やイスラエルに兵器を売らないで下さい。その兵器が私達を殺します。日本の人々がいい人達だと、私は信じています」


https://twitter.com/akiharahaduki/status/487047578551201793/photo/1


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あとを濁さず

2014-07-08 | Weblog
そとは快晴ながら心は多少曇り空。今週末が〆切の論文の原稿、できてません。二人の共著者の人に大部分を任せていたのですが、その初稿を今朝みました。午前中それにかかって、一通り通し、午後からは別の論文の投稿。投稿してホッとしましたが、これもつかの間の安息に過ぎません。明日が当番の論文紹介の準備、できてません。論文でさえ一回じっくり読んだだけです。そこへ急な来客、分野は多少近いですが、お互いよく知らない研究者の人、講座の別の共同研究者との打ち合わせのためにきて、ついでに時間が余ったからということで雑談していたら、何と、同じ遺伝子を同じような組織で研究しているという話。データを見せ合い、お互いの足を踏み合うことはしないようにしようと紳士協定の握手をしながら、その探るような目は笑っていません。最近、こういうのが多くて気を使います。競合者ではなく共同研究の方に向かってくれればいいのですけどね。

週末は、各地で、「アベ辞めろ」デモ。新宿のは、数千人規模。



しかし、アベは単なるラッパ吹きに過ぎず、独裁、戦争を計画している連中は、アベが辞めたところで、次の神輿の飾りはいくらでもいると思っているでしょう。悲しい事に、ちょうど空きカン時代の民主党執行部の例のように、カネと権力をエサに与えておけば、官僚の言うがまま、という連中が大多数のようです。この連中は選挙前に言ったことと180度真逆の政策を平気でやる厚顔無恥ですから、こんなバカどもに腹を立てる方がバカらしいぐらいです。

私は、愛国心などないし、残りの人生も知れていますから、あとを濁さずこの世を去りたい、というのが願いです。しかし、私一人が後を濁さないように心がけても、日本や世界を破壊し、戦争して人を殺してでも、オノレの金儲けをしたい、というXXどもが跋扈する今日では、後が悲惨なことになりそうなのは目に見えます。なんとかしないと本当にヤバいです。被支配者側の立場としては、民主主義、法治国家の建前のもとに、人々が団結して声を上げることしかないのですが。

悲しいことに、ネットでは「中国が尖閣諸島で攻めて来るから、国を守るために戦争できるようにしないといけない」というような、全く的外れな理屈で、集団的自衛権容認を評価する連中が大勢おります。そもそも「集団的自衛権」など、日本の自衛とは無関係です。アメリカがアメリカの「自衛」という名を使っての侵略戦争に使いパシリとして利用されるためだけの売国政策に過ぎない、愛国とは全く逆のものです。そして、日本の支配者層が戦争をしたいのは刹那的なカネ儲けのためで、自衛とは無関係です。加えて、集団的自衛権とはいうものの、日米の力の上下関係がありますから、アメリカが儲からないと判断すれば、中国が尖閣諸島でせめて来た所でそれは個別自衛の問題だとして、アメリカは何もしないのです。一方、アメリカの戦略戦争にはつき合わされることになります。ま、アベの言っていることは全て「詭弁」で、本人も詭弁だとぐらいはわかっているが、どうせ国民はデモをするぐらいしか何もできないし、公明党は下駄の雪だ、とナメきっているから、横着してまともに国民に向き合うこともしないのでしょう。

原発ムラの連中にしろ、アベにしろ、こういう連中がやってきたことは、刹那的衝動による「破壊」行動であり、「後は野となれ山となれ」という無責任極まりないハレンチで幼稚な思考に基づくものです。(むしろ、後が野や山になってくれるのなら御の字です。原発と戦争で、草木も生えないような国土になりかねませんから)「あとを濁さず」と考えている私とは全く相容れません。

残念ながら、恥知らずに恥を教えることは不可能であり、XXを死ぬまでに治すのもムリです。しかし、因果応報は必ずあります。
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命よりカネ(3)

2014-07-04 | Weblog
小さな論文の投稿準備をしています。図は5つでSupplemetnal dataはありません。最後の図を作るのに、一年位いろんなことをやりましたが、ポジティブなデータが得られなかったのでそれらの使い道はなく、結構苦労したのに、データだけみれば一年前と余り変りません。最近の論文は、とにかくデータが多く、多くにオンラインだけで見れるsupplemental dataがついています。必要なデータであるが本文に含めるスペースがないのでsupplementalに回すというのならわかりますが(例えば、ノックアウトマウスのゲノム操作の詳細とか、包括的解析の一次データとか)、なくても問題ないが実験をやったということを証明するためだけのクオリティーの低いデータをsupplementalに入れるのは(読む方の立場から言わせてもらうと)止めて欲しいと思います。
Supplementalと言えば、「retraction notice」にSupplementalがついているのを私は初めてみました。例のNature論文のことですが、このSupplemetalも必要ないものです。言い訳の言い訳みたいなものですから。

さて、憲法を都合の良いようにねじ曲げて解釈し、集団的自衛権という名の、早い話がアメリカの手先となって侵略戦争に加担し、国民の血を代償にしてカネ儲けする権利を、数の暴力で閣議決定した一日、まさに、アベが歴史に汚名を残し、公明党がその正体を晒した記念日となりました。今後、日本はアジア、中東において、より危険な国とみなされて孤立することになるでしょう。このバカどものおかげで、自衛隊員は日本とは関係のない国への侵略略戦争の切り込み部隊として使われて、若者が死ぬことになるでしょう。日本は憎まれ、軽蔑され、そして攻撃されるでしょう。プルトニウム満載の原発が50基以上も林立する自爆テロみたいな国なのに、どうやって武力で「国を守る」つもりなのでしょうかね。できるわけないです。
XXにつける薬はありません。たとえそうとはわかっていても、そのXXが詭弁を弄して、オノレのカネのために国を売り、国民を危険に晒しています。大変、くやしいです。

中日新聞の一日の社説から。

戦後日本の「国のかたち」は「平和国家」である。憲法九条は、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、武力の行使を「国際紛争を解決する手段としては」永久に放棄することを定め、国の交戦権も認めていない。
 、、、
 政府がきょう閣議決定する「集団的自衛権の行使」容認は、これを根本的に変えるものだ。
日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される「明白な危険がある場合」との条件付きとはいえ、日本への攻撃がなくても他国同士の戦争に参戦し、海外で武力の行使ができるようになる。
 その場合、相手国は日本を敵国とみなすだろう。自衛隊も攻撃されて交戦状態になれば、双方に戦死者を出す。政府・与党や支持勢力に、その覚悟があるのか。
 、、、
 山口那津男代表自身が解釈改憲に反対していた公明党執行部は、より有権者に近い地方組織から噴出した反対論を押し切って結局、「海外での武力の行使」の容認に転じた。期待された歯止め役を果たしたとはいえない。
 自衛隊を軍隊とせず、海外で武力の行使をしない誓いは、三百十万人もの国民の命を失い、周辺諸国に多大な損害を与えた先の大戦の痛切な反省からだった。
 首相が「平和主義を貫く」というのであれば、歴史の教訓をいま一度かみしめるべきである。


アベには覚悟もなければ、歴史の教訓を学ぶだけの脳細胞もありません。国民の感じる憤りと無力感は、このXXにつける薬がないという事実からきています。

朝日新聞の社説から

なぜ憲法改正ではなく解釈改憲なのか。自衛隊員に命を捨てろというのか。この根本的な問いに、首相が真正面から答えたことがあるだろうか。代わりに発せられるのは「日本は戦後、平和国家としての道を歩んできた。この歩みが今後、変わることはない」「自衛隊の諸君に愛する家族がいることを私は知っている」。全く答えになっていない。対話や説得の意思を欠いているから、言葉は言葉として機能しない。
、、、
「『必要最小限度』の集団的自衛権の行使」という概念は、「正直なうそつき」「慈悲深い圧政」と同じような語義矛盾である――。政治学者や憲法学者らが結成した「立憲デモクラシーの会」はこう指摘している。
、、、
首相はある種の全能感すら抱いているのではないか。「現実」は私が決める、私の現実に合わせて、解釈を変えればいいではないかと。
、、、
他国で戦争ができる国へ。時の政権が憲法を都合よく解釈できる国へ。
、、、
観客ではなく主権者である私たちは声をあげ続ける。昨晩も首相官邸には多くの人が集まった。おかしい、認められないと。

ついでに東京新聞のコラムから

さて<踏んでも蹴ってもついてくる下駄(げた)の雪>と揶揄(やゆ)されているのは、連立与党の公明党だ。あれほど集団的自衛権の行使容認は筋が通らないと政府・自民党に言っていたのに聞き入れられなかった
▼ここまで踏み付けられては、さすがに堪忍袋の緒が…と思いきや、きのう結局、行使容認に踏み切った。公明党の結党の理念は「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」。まさに雑草魂なのだが、踏み付けにされてついていった先に、どんな新天地があるのか


地上げ屋さんブログから、
この人たち(公明党)に・・ 連立離脱の選択など・・ 当初より、まったくありませんでした。
この人たちに ブレーキ厄を期待してた人も 少なからずいらしたようですが・・ 人を見る目がございません。 (苦笑) 
ブレーキ踏むフリして、アクセル踏むのが・・ この人たちの得意技。 (笑)


結局は同じ穴のムジナ。数が欲しい自民党と与党でいたい公明党。与党でいたいのは理念を政策に反映したいからではなく、単に権力、つまりカネ、が欲しいだけ、という話。

インターネットで、この集団的自衛権の容認という違憲閣議決定について、一般の人がどう考えているのかな、と思ってチラチラと色んなサイトを見てみました。ランダムに見たところ、かなりの人が「集団的自衛権」という言葉が何を意味しているのかさえ理解していない様子で、愕然としました(もちろんネットですからバイアスはあるでしょう)これでは、一部の人がいくら頑張って、政権批判し、デモを打ってもどうしようもないという気持ちになりました。この閣議決定前に集まったデモの人数とその日に野球観戦に球場に集まった人間の数を比べて、アベは笑ったという話です。
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命よりカネ(2)

2014-07-01 | Weblog
都会では自殺する若者が増えており、社会は閉塞感に溢れ、いつ何時第三次世界大戦がはじまるかもわからない世の中ですが、とりあえずの問題は、雨の日に傘がないことであったりします。悲しいことやつらいことがあっても、腹は減るし夜になれば眠くなり、陽は昇り陽は沈みます。そんな感じで、一つ一つとやってくるものや日々の瑣末事に冷静に対処しつつ、私もやっております。

しかし、今日にカネがいるからと言って、明日の命のことは知った事ではないというのでは、余りに刹那的でしょう。多分、そんなふうにカネが欲しいのはカネが無いことに対する恐怖に捕われているのでしょう。恐怖に捕われ視野狭窄に陥ってはいけません。

一部の上級官僚が戦争をしたいと考えているのはおそらく間違いないと思います。これは以前にも取り上げた岩上さんの記事での内部の人間への取材を含む複数のソースや「戦争をさせない1000人委員会」アピール、それからxxxが弱いためにいくら表面をとり繕っても本音がスケスケのアベ氏の行動をみれば、「そうとしか考えられない」と思います。

しかるに、どうして、その上級官僚どもはそんなことを考えるのか。下に紹介するように、岩下おじさんは「病」であると言います。私も、そういう結論に達したところでした。「病気」です。喩えは悪いかも知れませんが、社会的にも大変成功している人が自殺をしたりする例が沢山あります。私も身近にそういう人がいました。教授になって、超一流紙に論文を載せ、外からは極めて順風満帆に見える人が、実は(多分その「成功」そのものによるプレッシャーのために)鬱になり、自殺にまでいたるという例があります。官僚の病もそれに近いものがあるのではないかと想像します。トレッドミルを走り続けるのをやめて「降りれば」いいのです。一生懸命走った所で、どこに行くわけではありません。それができずに絶望して、かえって己が身を害するに至るのは極めて有害な精神の病だと思います。

本来、テスト勉強は得意なT大官僚ですから、頭が悪いわけではない、しかるに、結果として頭が悪い人間よりももっと悪い行動をとってしまうのはなぜなのか、戦争は始めるのは簡単でも終わらせるのは大変だということを理解しようとしないのはなぜか、やはり、病気なのだろうとしか思えません。

先週末の岩下俊三おじさんのブログのエントリーを一部、転載します。

なんでこんなことになたんだろう
なぜ安倍晋三は急激な愛国主義、戦前回帰に走っているのか。具体的に日本版NSCとか秘密保護法とかの実行が早すぎ集団的自衛権も焦りに焦って直ちに閣議だけで容認しようとしているのはどうしてか。
それはズバリ、
日本経済、とくに政府の財政に対して「冷静に」絶望している旧大蔵省(つまり安倍を操る傀儡師)の勢力が起死回生の策として戦争やむなしとすでに意思決定しているからである。

安倍はその幼稚な知力でただ進軍ラッパを吹くだけの役割であるが、官僚上層部はそろばん片手にどう小手先であがいても財政が健全化することは不可能とみており、最終的な解決方法は「戦争」しかないと考えている。これは「ようだ」ではなく実際の官僚トップの証言もあるから、間違いないだろう。
、、、
複雑なことはいくらでも考えられても単純なことは考えられない、、、というよりかんがえないことにしているのである。なぜなら己の職責は短期間しかなく、短期間でつじつまを合わせ実績を作ることが自分にとっては重要であり具体的な出世や天下り先の収入の多寡にも直結するからである。
、、、
これは右とか左とかとは関係はない。イデオロギーの問題でもない。そして彼らは卑怯小心ではあるものの決してバカではない。高校、大学の過程で同級生だっているから具体的に彼らのパーソナリティは知っているつもりだ。


だから問題は官僚の視野狭窄にすぎないのである。病気なのだ。なんでそうなったかしらないが長年の業務内容と特殊な環境が彼らをそうさせてしまったのであろう。
、、、
卑屈な民と官僚の視野狭窄、第二次大戦に日本が参画したときの構図とまったく変わっていない


もう一つ、永田町異聞から。
公明は党是を捨て、安倍は歴史に悪名を残す

安倍首相が繰り返し口にするのは、「国民の命と平和を守る」だ。記者会見でも、国会答弁でも、党首討論でも、食傷するほど耳にした。

スローガンというものは昔から政治詐術の常套手段である。「国民の安全を守るため」、「平和のため」…。誰も反対しないそうした名目を掲げて、殺人兵器を使う
そんなインチキ政治家に鼓舞され命を捧げる兵士たちは気の毒だが、スローガンをぶち続ける政治家は彼らの犠牲を賞賛してやまない。
集団的自衛権行使についての自民、公明の協議とやらが、「限定的」と称して国民を欺く合意をつくるための文言探しの意味しかない“茶番”であることは誰しも分かっていたことではある。
しかし、すでに常識になっているように、集団的自衛権の行使とは、米軍の下請けをして戦争に参加するということである。
、、、
(イラク戦争時のコリン パウエルの補佐官の)ウィルカーソンは言う。「こういった誤った情報による戦争は今後も繰り返される。われわれはまったく学んでない。米国は唯一の超大国だからイラク戦争のようなことはやるべきでないが、またやるかと聞かれれば、『絶対にやる』と言える」

日本が憲法を改正する手続きを省いて、解釈変更で集団自衛権の行使ができる国になるということは、すなわち米国に巻き込まれて、世界の火薬庫に足を踏み入れ、憎しみの連鎖の輪に加わる可能性があるということである。

それで本当に日本人は誇りが持てるのだろうか。ウィルカーソンは続ける。

「私は日本がいわゆる普通の国になるのを見たくありません。普通とは、10年ごとにあちこちへ戦争に行き・・・何人も人を殺す銃や爆弾を持って、石油などのエネルギーを追いかけるようなことです」

イラク戦争の当事者の一人だった米政府の元高官が政治的立場を離れたがゆえに言える良識的な言葉と受け止めたい。

おそらく、知日派米国人の多くが、わざわざ米軍の下請けをやれるように憲法解釈を変えるなんて馬鹿げたことだと、利害を離れた本音の部分では思っているに違いない。

日本はやっかいな首相を選んだものである。


一応、建前上は、この首相を選んだのは国民ということになっていますので、己を恨むしかないのでしょうが。
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