百醜千拙草

何とかやっています

第一極を目指す日本未来の党

2012-11-30 | Weblog
「国民の生活が第一」党が解党し、「日本未来の党」という地方発の新党に合流するというビックリニュース。小沢氏のウルトラCですね。民主党が政権交代を果たした時に代表を辞任して鳩山氏にバトンタッチした時のことを思い出します。マスコミは選挙が近づくと、小沢氏のネガティブキャンペーンを横並びで展開しますから、代表や幹事長などで表に出ることがマイナスになるということでしょう。今度の神輿(と言っては悪いですが)は「卒原発」(しかし大飯原発再稼働は圧力に負けて許可)を掲げる女性滋賀県知事。副代表を森ゆう子氏にして、女性を顔にするという所もなかなかですね。加えて、反原発を訴える有名人や、民主党支持から鞍替えした京セラの会長を新党の賛同者にそろえ、一般人に対するアピールもしっかりできています。連合などの組織票を除けば、国民の7割はこの党を支持するのではないでしょうか。まずは、選挙に勝つことが議員の数を揃えるのが第一ですから、選挙の達人の小沢氏は裏方に徹するのでしょう。
早速、大阪市長、この党が本当の第三極の規模にすでにあることを知って、批判しだしました。わかりやすいですね。前東京都知事が合流した時点で存在意義を完全に失った維新は泡沫政党に転落、第三極とを自負していたのに、すっかりその座を奪われてしまいました。国民はよく見ていますね。
選挙前に、現職議員50名近くをもつ国民の生活が第一党が解党、地方発の小新党に合流という離れ業が、一朝一夕に出来るわけがないので、おそらく、民主党離党のころから、ずっと密かに計画していたのでしょうね。かつて、民主党員の未熟さゆえに自民との大連立を考えた時には、民主党員から強い反発を受けて話は流れましたが、今回の合流、私の聞く限りでは「国民の生活が第一」党の内部からの批判を一切聞きません。この新党に関して、マスコミは小沢氏が操っているとか、洗脳しているとか、これからも散々ネガティブキャンペーンを張るでしょうが、この新党のメンバーが、かつての民主党と異なって、一致した目的を目指して一枚岩となっている様子を見ると、たいへん頼もしい気がします。
次の選挙、民主は間違いなく惨敗、自民は現議席を維持するのが精一杯、東京都知事と合併した維新は存在意義を失ってほぼ壊滅、となると、「反原発、反TPP、反消費税増税」で政策が一致すると思われる数多くの少数政党をまとめて、自民に次ぐ第二勢力、あるいは、自民を凌ぐ連合与党となる可能性がでてきました。あるいは、初めて自民を与党から転落させた8党連合の細川内閣のような形で再び小沢氏が政権を取ることになるかも知れません。思えば長い3年でした。鳩山氏辞任の後の民主党は見るも無惨な状況でした。次の選挙で、自公民の談合三兄弟が連立与党をとるようなことをさせてはなりません。
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言葉の力

2012-11-27 | Weblog
ガザでの停戦合意ということですけど、イスラエルとパレスティナやイランとの間の緊張は続いています。聖書を予言の書として研究している人によれば、次に大きな戦争がおきるのはイスラエル周辺、中東なのだそうです。現在、アメリカはイスラエルから距離を置こうとしているように見えますから、イラン侵攻はオバマ政権中には起こらないのではないかと私は希望的に考えていますが、イスラエルはかなり攻撃的になっていますし、アメリカには多分まだ戦争をしたくてしようのない人々もいるでしょうからから、わかりません。イラン侵攻が起きた場合、ロシアが参戦してくる可能性が高く、米ロの戦争となりお互いを潰し合い、中東は草狩り場となると思われます。ヒトラーの予言では、2014年にアメリカとヨーロッパの1/3が荒廃してしまうという事ですから、ひょっとしたらイラン侵攻はこの二年以内に起こるのかもしれません。聖書を予言書として読めば、このイラン侵攻をきっかけとする米ロ戦争が核戦争となる第三次世界大戦であり、結果、米ロの力は双方とも激減することになるそうです。イラン侵攻は、当面起こることはないだろうと私は希望的に考えているのですけど、どうでしょうか。

さて、聖書と言えば、キリスト教の多くの宗派では、三位一体説をとりますね。父なる神と神の子キリストと聖霊は一体で、そのキリストはロゴスであり、ロゴスとは言葉です。聖書には、「初めに言葉があった、言葉とは神であった」とあります。宇宙の始まりは言葉だったということです。このことは、私も若いときに考えたことがあります。言葉がなければ、仮に人間という物理的存在は可能であっても、おそらく、われわれには世界を理解する能力を持たないでしょう。世界が理解できないのであれば、われわれにとって世界は存在するといえるのでしょうか。私は否定的に思います。言葉を広く拡大解釈すれば、例えば遺伝子配列も言葉でしょう。そのシニフィエを理解する装置が細胞の中に存在しています。そう考えれば、言葉がなければ、生命そのものもないのかも知れません。

人間が使う言葉に戻ると、日本でも言霊という言葉があって、言葉に霊が宿るといいます。仏教でもダラニとか真言とか魔法の言葉みたいなものがありますね。多分、そういう言葉を唱えることによって、潜在意識なり何なりに入力を行うのでしょう。だから言葉には気をつけよ、という言うことです。私も最近は、なるべく、汚い言葉、ネガティブな言葉、悪い感情を引き起こすような言葉は避けるようにと心がけてはおりますが、なかなか難しいです。たとえ口にしなくても、心の中で悪い言葉をつぶやけば、同じ事でしょうし。

確かにネガティブな人にはネガティブな人や事象が集まり、明るくポジティブな人には明るくポジティブな人が集まり良いことが起こりますね。私は最近は多少、楽観的になりましたけど、若いときは相当悲観的な人間でした。そのネガティブで批判的な態度を透徹することで、私は楽観性を手に入れることができたと思うので、ネガティブであることは必ずしもマイナスばかりではないと思います。(ネガティブとマイナスは算数的には多分同じ意味ですから、これは矛盾語法ですね)私の場合、いわば、「Rock bottom」を想像してみることで楽観性の根拠を得たように思います。跳ぶ前には屈めとも言いますし。

そんなことで、私は、穏やかさ、美しいさ、といった心を幸せにするものを尊び、邪悪さ、醜悪さという醜いものを避けるようにしてはいます。ただ、日本の社会や世界で起こっている醜悪で邪悪なものが、平和や美などの人間の喜びを蹂躙しようとしている現実にどう対処すべきか悩んでいます。臭い、汚いものに蓋をして見ないふりをするのが最も簡単なのはもちろんです。しかし、正しくは、それらを直視して対処しつつも心の平和を保てるようでなければならないのでしょう。ケネディに「汝の敵を赦しなさい、しかしその名を忘れてはならない」という言葉がありますが、なるほどと思いますね。愛しても赦しても、すぐに敵が友になることは稀ですし、敵があなたにした仕打ちは消えることはありません。敵はやはり敵であり、あなたや社会に害を与えようとしていることに変わりはありません。しかし、相手の人間そのものを憎む気持ちはわれわれにとって有害です。罪を憎んで人を憎まず、ですか。こういう気持ちでやるのが良いのでしょうね。
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偽りの感謝 (追記)

2012-11-23 | Weblog
木曜日はアメリカでは感謝祭です。日本の盆や正月のように、家族が集まって、昼間からビールを飲みながらフットボールを見る日です。しかし、多分、本来は、イギリスから新天地を目指してやってきた清教徒を助けたアメリカインディアンの人々に感謝を捧げる日ということだろうと思います。何とも言えませんね。まさに、恩を仇で返すというのはこのことでしょう。その後、続々とヨーロッパからやってきた移民によって、アメリカインディアンは、散々、騙され、虐殺され、土地を奪われ、小さな保護区に追い込まれていきました。そうしておいて、「感謝祭」ですからね。いまだにネイティブアメリカンの人が感謝祭の日に大きなプロテストを行うのも当然でしょう。このヨーロッパ系アメリカ人の傲慢さが、現在の「アメリカ精神」を為していると言ってよいだろうと思います。近代アメリカの無法ぶりについては、散々、批判してきましたから、もうやめますけど、「感謝祭」という偽善のこもった言葉を聞くと、私はムナクソが悪くなりますね。おなじく、「民主化」という言葉もそうです。この言葉を錦旗に掲げて、他国に侵攻し、市民を虐殺し、他国に傀儡政権を作って実質的に植民地化を推進して来たアメリカ(というかヨーロッパ植民地主義の延長ですね)のやりかたには反吐がでます。ただ、一般アメリカ人の殆どは、アメリカが何をしてきたか正しくは理解していないだろうと思います。日本も平和ボケで3S政策、億白痴化政策が進んでいますから、アメリカの植民地であるという意識さえない人も多いでしょう。しかし、近年の政権交代、その後の民主党の瓦解、小沢氏の冤罪裁判、でっちあげ痴漢事件をつかった言論封じ、こうした信じられないほど露骨で醜悪なものを見せ続けられ来た人々は、日本の統治機構、政治の本質を知って、行動をおこしてくるようになりました。次の選挙では、もうウソつきに騙されないと思います。アメリカが日本市場に彼らのルールを押し付けるためにゴリ押ししているTPPの本質、官僚天下り財源のための消費税増税、原発利権のための原発推進、という本音を知る人も増えてきました。その点で、私は次の選挙は、旧利権(自民)、ウソつき政党(民主)を否定するものになるだろうと思います。維新のペテンにも騙されることはないと思います。
ちょっと残念なのが、鳩山氏。党公認の踏み絵を拒否して、政界引退とのこと。この人は、大事なところで判断を間違えます。理念や考えは、私は賛同するのですけど、筋を通す力強さに欠けると私は思います。結局、国民よりも政治理念よりも自分が作った党の方が可愛かったということです。本末転倒とはこのことですね。最後は飼い犬に手を噛まれて引退に追い込まれました。ちょっとは気の毒ですが、やはり大事にあたって判断を誤るようではダメですね。

追記。

プロジェクト99というサイトを知りましたのでリンクします。
現在進行中のプロジェクトは「脱原発、消費税反対、TPP反対」議員を当選させようという運動です。

現在すでに、国民の生活が第一、社会民主党、新党きづな、新党大地・真民主、減税日本、新党日本、改革無所属の六党一会派で形成する「民意の実現を図る国民連合」が存在しているということを私は知りませんでした。マスコミはもちろん報道はしません。これらの政党の所属議員は、マスコミが第三極と呼ぶ維新、みんなの党をあわせた数よりも多いのだそうです。今回の解散は消費税増税法案を通したための談合解散です。自民公の談合三兄弟が談合して、消費税増税とその後の解散を決めたのですから、実質、これら三党は同じ穴のムジナであり、数の上からこれらの政党を第一極と呼ぶならば、生活党を中心とする「民意の実現を図る国民連合」が第二極、そしてその他、という構図になっているのが現実でしょう。自民にいれても民主にいれても同じです。どうせ彼らは党名は違っても目指しているものは同じ、ねじれでどうせ談合することになります。消費税反対、TPP反対、原発反対ならば「民意の実現を図る国民連合」の議員を支持しないといけません。
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グラントの書き方

2012-11-20 | Weblog
学内のポスドク向けのグラントのレビューを頼まれたのでやりはじめました。約60本の応募を三つのグループに振り分けて、3-4人からなるグループが申請書を評価します。私は19本の申請書を二週間で評価しないといけません。行き帰りの電車の中などで読んでいますが、各々6ページの研究計画と申請者のバックグラウンドなどを読むのは、なかなか骨が折れることがわかりました。というのは、学内ですから、利益相反を避けるために自分と直接関係のない講座からの申請を読まないといけないからです。結局、あまり知識のないようなものを読むことになります。それも比較的基礎生物学に近いものであればまだよいのですが、臨床研究に近いものとか、科学というよりは技術開発を目指しているものとか、ふだんの評価法が通用しないようなものまであります。どの申請書もよく書けているのは専門的知識がなくてもわかります。(私が最初に書いたグラントは、これらに比べたらひどいものでした)正直、書いた人に気の毒な気がします。評価する方は専門家ではないのですから。
 これはトレーニング用のグラントなので評価は研究成果を求めるよりは人材を育てるという目的であることを考慮するべきなのだろうと思いますけど、私は、やはり研究計画そのものが最も重要だと思います。ポスドクですから、テーマの選択に大きな自由はないでしょうし、応募時点でおもしろいデータが揃っているかどうか、というようなタイミングの問題もあり、応募者自身がどうすることもできない、運、不運があると思います。だから、パッとしないのテーマを与えられて、それを何とか面白い話にしようとして一生懸命頑張っているのがわかる申請書を読むと、気の毒に思います。私の場合、評価の基準は単純で、研究が意義あるものかどうかと、その研究が意味のある結果を生み出す可能性が高いかどうか(ポジティブな予備データ、研究方法の妥当性、申請者の過去の実績)ですので、実際のところ、それほど詳しくその分野のことを知っているかどうかは余り関係ないとも言えます。多分、他の人も同じような基準でやっていると思います。そういう点から、スクリーニングで何か新しいものを見つけるという類いの「宝探し」プロジェクトはダメです。仮説が弱くて、記述的なデータしか得られないようなプロジェクトもダメです。強い仮説があって、その仮説が証明されることで有意義な知見が得られる可能性の高いプロジェクトは高く評価されることになります。
これまでは、私は、自分の専門に関係したグラントや論文のレビューしかしたことがなかったので、今回の経験は大変、意義がありました。グラント申請書は素人にでもすぐ研究の意義が理解できるように、シンプルにストレートに分かりやすく書く必要がありますね。

私もここ数年、そういうシンプルで力強いプロジェクトをやりたいと思っていろいろやっていますが、なかなか、そのようなプロジェクトを見つけるのは容易ではありません。よい研究ネタを掴んだ時に、パッと始動できる状態にないといけませんから、運、不運というのは大きいと思います。しかし、運も実力のうちと言います。たまにしか来ない幸運を捕まえるためにわれわれができることは、日々、努力することしかありません。振り返れば、私は一流研究者ではありませんけど、なんとか研究の世界に今まで生きてくることができましたから、たいへん幸運だったと思います。もちろん、自転車操業ですからいつ何時こけるかはわかりませんけど、とりあえずまだ何とかフラフラしつつも走っています。対して、現在の若手研究者の人をとりまく環境をみると、本当に気の毒です。自転車に乗るチャンスでさえ与えられない人が少なくありません。その環境の中で弱気になってしまい、ますます幸運を掴む機会を失ってしまう人も見ます。
 最近、若手の人々からキャリアアドバイスを求められることが何度かありました。私はとてもエラそうなことをいう立場にはありませんが、主に私が失敗から学んだことなどを話ました。一つ思うことは、うまくいかない人(私も含めてですが)に共通しているのは、自分が何をしたいかよく分かっていない、ということです。逆に言えば、自分が何をしたいかよく理解している人は、自然とそれにむけて努力しますから、それだけ幸運を掴むチャンスも多くなり、結果、成功に近づいて行くのではないかと思います。

話題転換。最近、バカらしいので日本の政治の話はやめようかなと思っていたのですけど、つぎのようなニュースを聞いて、呆れ果てたので。

民主党の安住淳幹事長代行は18日、NHKの番組で「野田佳彦首相の考え方についてこられないなら公認できない。党で決めたら反対していても守ると誓約書を書いてもらう」と述べ、衆院選にあたって、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への参加推進や消費増税に反対する候補者を公認しない考えを明らかにした。


どうでもいいけど、これ「脅し」のつもりでしょうかね。それとも漫才でいう「ボケ」ですか。民主党の公認は次の選挙ではむしろマイナスではないですかね。
群馬から千葉四区に鞍替え立候補を決めた生活党の三宅雪子議員、やる気満々なようです。これまでの船橋でのドジョウ落選運動とか見ていると、三宅さんに刺されてドジョウ落選の可能性は大いにあるでしょう。現役首相が落とされて、比例復活というのでは、情けな過ぎますね。次の民主党は何の力もない泡沫政党と成り下がる可能性が高いわけで、ドジョウも落選可能性が高いのですから、こんな強がりを言ったところで何か足しになるのかな、と思います。むしろ、泥舟から逃げ出す議員の数を増やすだけでしょう。
どうするのか見ものなのが、優柔不断の鳩山氏。これまで何度も離党するチャンスはあったのにここまでずるずる。「TPP反対」は譲らないが、民主党から出ると言っていますから、党の公認はなしですね。もし落選したら復活の可能性はないということになりますが、どうするのですかね。
最近のヤフーのアンケート見ました。3538票の母数のうち47%が「生活」党を支持しているという結果で、二位の自民党16%に大きく差をつけています。民主党3%、公明党1%ということですから、談合三兄弟をあわせても20%しかありません。これが民意を表しているとしたら、生活党、生活党と連携を組む「脱原発、反TPP、反消費税」政党は、すべての選挙区に候補者を擁立できたら、第二の政権交代となるのではないでしょうか。にもかかわらず、マスコミは殆ど「国民の生活が第一党」の活動を報道しません。たまの報道は、自民党の誰かが小沢氏の悪口を言った、とかいう程度の低いネガティブなものに限られます。一方、このアンケートの支持率からは、どうみても泡沫政党としか言えない維新(支持3%)とか、自民総裁選でボロ負けしてから小沢氏に対してルサンチマンを抱え込んでしまった僻み老人の太陽の党(今は維新ですか)とか、本当にどうでもよい政党の話はよくでてきます。何とかならんのでしょうか。


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最高裁の罠

2012-11-16 | Weblog
小沢氏の陸山会事件に関する無罪判決について、各紙はきわめて小さく矮小化して報道しました。そして、検察と最高裁という司法行政権力が、このような悪質な事件をでっち上げて、個人の社会的抹殺を謀ろうとした、という国家の根底を揺るがす事実を全く無視しています。一方で、少数のマトモなメディアは、この無罪判決に関して、検察の腐敗を糾弾しています。
東京新聞 社説 小沢代表無罪 検察の“闇”を調べよでは、事件の拠り所となっている石川氏の調書が全く架空のでっち上げであったこと、その説明が「記憶が混同した」という検事の幼稚な言い訳であったこと、など、検察の悪質極まりない体質を批判しています。同新聞の13日づけのコラムでは、
文化や風俗は時代とともに変わってゆくが、一角が崩れると国を危うくする領域がある。法秩序への信頼もその一つに数えられるだろう。だが、その信頼は今、法秩序を維持する責任を負う検察組織の愚行によって大きく揺らいでいる▼政治資金規正法違反罪で強制起訴された「国民の生活が第一」の小沢一郎代表の控訴審判決で、東京高裁はきのう、一審より踏み込んだ明確な無罪判断を示した▼検察審査会に提出された捜査報告書は偽造だった。それが明らかになった時点で「勝負あり」だった。検察は認めようとしないが、今回の強制起訴は素人の審査会を欺き、有力政治家を政治的に葬り去ろうとした東京地検特捜部の「権力犯罪」だった疑いが濃厚である▼傲慢(ごうまん)な検察の世直し意識を助長してきた責任の一端は、マスメディアの側にある。猛省しなければならない。

とあります。その通りです。

一方、今回のでっち上げ事件で二度、不起訴となったこの事件を素人の検察審査会を使って、強制起訴に持ち込んだ、そのカラクリを追求してきた市井の人が、カラクリの総元締は、最高裁事務局であり、検察審査会での議決の架空のでっちあげてあることを地道な調査で明らかにしました。検察の悪質な犯罪を糾弾した、森ゆう子議員らの「検察の罠」に続いて、この最高裁事務局の陰謀を糾弾する「最高裁の罠」が12月に発売予定であることを知りました。(一市民が斬る

日本の国家の根底を揺るがすシステムの腐敗が極めて深刻で、自浄作用が全く失われている中、日本を建て直すのは、こうした普通の市民の人々が真実を知り、声を上げていくことでしか為し得ないという思いに強く駆られます。そういう意味で、今回の小沢裁判に関しての検察と最高裁の犯罪を地道に追求してきた、市民の人々、八木啓代さんや一市民T氏らの活動には、頭が下がります。

と書いたところで、ドジョウが解散するというビッグニュース。私はてっきり粘れるところまで粘るつもりかと思いました。選挙では、民主党は全滅でしょうが、多分、自民に票がそこそこ戻ることになるでしょう。だとしたら、ドジョウの計算としては、オリーブの木が実る前に、つまりそのコアとなるであろう小沢氏の「生活」党の選挙体制が万全でないうちに、解散して、自分は自民と連立で与党に残る、そのような計算をしているのではないでしょうか。民主党が壊滅しても自分さえ連立与党に残れればOKという浅ましい考えなのでしょうね。しかし、地元、船橋でドジョウ落選デモが行われているような状態で、ドジョウは再選できるのでしょうかね。やっぱりヤケクソ解散でしょうか。
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財政の崖

2012-11-13 | Weblog
大統領選の後、アメリカの「財政の崖」というマスコミ キャンペーン(?)の文句をよく見るようになりました。アメリカの財政が実質、破綻しているのは、もう何年も前からの話で、今更、何を、という感じです。アメリカで何かモノを買えば、ほとんどが外国製です。農業と一部の工業以外、アメリカにモノ(価値)を生み出す産業はもうないのに、人々は平気で借金を積み重ねて大量に消費をしています。常識で考えてそれで回るはずがありません。アメリカがまだ何とか保っているのは、十年ごとに外国に戦争をしかける一方、基軸通貨としてのドルを利用して日本を始め外国に(返すつもりのない)多額の借金をし続けているからです。
基軸通貨としてのドルの地位は失われつつあります。中ロは二国間貿易にドルを使うのを止めました。リビアのガダフィはアフリカ、インドネシアを含むイスラム圏でディナールを軸とした新システムを作り、貿易にアメリカドルを排除しようとして、殺されました。アメリカの凋落はドルに信用がなくなった結果であり、それは、ろくに価値を生み出す仕事もしていないのに、中央銀行、FRBが安易に量的緩和を繰り返して来たからでしょう。私の子供の時は、舶来のもの、アメリカやヨーロッパのものや文化は、優れたものというイメージがまだありました。多分に、敗戦国に対する戦勝国の政策もあったのは間違いありません。しかし、現在は話は違います。いまや工業製品、一部の農業製品でさえ、アメリカ製というだけで心配になります。

オバマの再選を受けて,またドジョウが、急に再び「TPP交渉参加」という売国政策を出してきました。日本市場にアメリカのモノやシステムを売りつけるためです。TPPは農業界、医療サービス業界などを中心に強い反対が以前からあります。日本が開国という名の最初の敗戦を喫したあと、その日米通商条約(貿易不平等条約)を撤回させるのに十数年を要しています。TPPの性質は、この貿易不平等条約と酷似しています。自由貿易によってものの流通がスムーズになると言えば、一見、よいことのように聞こえるかも知れません。しかし、おのおのの国にはそれぞれに特有の事情があり、譲れるものと譲れないものがあります。国家の最も重要な意義は、国土を守り、その国民を守ることです。TPPによって破壊される可能性が強い数多の日本の産業、それによって失われる人々の生活のことを考えれば、TPPはまさにアメリカとごく一部の日本人のためにある貿易不平等条約に他ならず、きわめて悪質な売国政策であると言わざるを得ません。ドジョウがオバマ再選後にTPPのことを熱心に言い出したのは、そういうことです。ドジョウが公僕として仕えているのは、一般国民ではなく、一般国民の築いた土台を食い荒らすシロアリであり、事なかれ主義で戦後65年たっても隷属を続けているアメリカです。

検察と最高裁事務局がでっち上げた「陸山会事件」の控訴審、当然ながら、小沢氏は無罪となりました。事件そのものがでっちあげですからね。一方、この事件をでっち上げた東京地検特捜の担当検事らは、この裁判が始まってから、一人、一人と辞職したり、飛ばされたりして事件そのものから逃げ出し、もう誰もいません。酷い話です。政治的意図をもって極めて悪質な権力の濫用を行い、秘書を含む複数の人間を社会的に抹殺しようとした、あってはならない事件でした。フクシマ原発事故と同じ、被害者はいるのに加害者はコッソリ逃げ出し、誰も責任をとろうとしません。やはり、新聞は「小沢氏無罪」のニュースを極めて小さくしか扱っていません。公判前はあれほど、マスコミは総出で小沢氏を批判し、社説でも連日トンでもなく不公平な攻撃を繰り返したくせに、無罪のニュースは知らんぷり。酷いものです。
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大学利権

2012-11-09 | Weblog
予想されたことですが、大統領選はオバマの再選ということになりました。しかし同時に行われた上院、下院の選挙の結果、議会でのパワーバランスはかわらず、下院は共和党、上院は民主党が制し、ねじれたままです。多分、二年後の中間選挙でもこの構図は変らないでしょうから、これからも、オバマは共和党の要求を飲まざるを得ないでしょう。ま、本当にアメリカを操っている連中にとっては看板がオバマであろうが共和党の誰かであろうが大差ははないので、国民に「大統領が何かしてくれる」という幻想を持たせるためだけのガス抜き選挙ともいえますけど。日本の場合はそのカラクリがあまりにバレバレなので、だれも政治家に期待しないというレベルにまで来てしまいました。民主党のおかげです。政治家も行政も信用がない、官僚独裁の無法国家です。

大学認可を拒否したあと、結局認可した田中眞紀子氏。この人の「暴走」に見える行動や発言は、天然なのか、計算されているのか、興味深いです。ネットでも今回の事件に関しては賛否両論。「内田樹の研究室」では、不認可というちゃぶ台返しは、政治的失策であったという意見ですけど、どうなのか。そこで述べられているビジネスと大学との関係など、うなずけるところもありますが、私は、もう一つ大きな要素が考察されていないように思いました。つまり、「大学利権」のことです。教育機関の大学は税金から補助金がでます。大学という機関をそういう目で見れば、大学を新設し、施設を作り教員ポジションをつくることによって、税金を流す受け皿ができることになります。官僚がいつもやっている、ハコモノを作って天下り先を作り、税金を撮み食いする、シロアリ活動です。どうも今回の大学は、反角栄派の清和会系と関係があったようで、地上げ屋さんは、田中眞紀子はそれに鋭敏に反応していまったのだと書いてあります。

また、内田氏は教育の質が下がっているのは中高教育の質の低下であり、大学が多過ぎることが必ずしも原因ではないというような解釈のようですけど、では、中高教育の質の低下はどうして起きているのでしょうか。ゆとり教育のせいでしょうか。しかし現代でも勉強している子供は我々が子供だった時代よりももっと勉強しているようです。教育の低下は、全体のレベルが平均して下がったのではなく、勉強しない子供の数が増えたからのように思います。いくらでも大学があって、誰でも入れるとなれば、勉学に対するモチベーションも下がるように思うのですが、どうでしょうか。新設大学は、とりあえず大学という名前のついた所に行きたい若者(の親)から、授業料を取り、そして税金から補助金をもらって、天下り教官ポストについた人間に金を払うということをやろうとしているのではないでしょうか。たしかに、学校に長くいれば学問が多少はできるようになるのはそうでしょう。しかし、税金が流れるのですから、バランスの問題ではないでしょうか。高等教育を受けていなくても素晴らしい教養を身につけた人格者はおりますし、東大を出てもどうしようもない人間(政府をみれば沢山いますね)もおります。税金が多少なりとも使われるのであれば、国民の利益になるように大学の政策も考慮されてしかるべきでしょう。ただでさえ余っている大学を新設して、若者のモラトリアム期間を延長するのは、正規職がないのでポスドクとかの一時雇用を増やして痛みを先延ばしにするのと似ています。いずれ、ツケは払わないといけなくなります。

例えば、かつてのリビアやナウル島のように資源が豊かで、国民は働かなくても良い生活ができるのであれば、死ぬまで大学にいって色々、学べばよいでしょう。オイルや資源を売ってその金で、国もジャンジャン補助してやればよい。しかし、今の日本にそれだけの余裕があるのでしょうか。衣食足りてこそ、礼節や教養に気が回るのではないでしょうか。シロアリが屋台骨を食いつくそうとしていて、そこに住む一般住人はまともな職がなく、若者は結婚するだけの財力を保つのも難しい一方で、老齢化が加速しています。加えて、これから何十兆円もかかるとされる福島原発事故の後始末をかかえ、災害にあった多くの人々はいまだに難民状態に置かれており、そして、これからは、増えてくるであろうと考えられる放射能被爆によるがん患者の問題が予測されます。国民の衣食住、最低の健康さえ満足に確保できないという現実があるのに、ただでさえ余っている大学を増やして、そこに助成金を流すことが賢いことなのか、私は疑問に感じます。
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大統領選前夜

2012-11-06 | Weblog
先日、大学院入学が決まった研究室の女の子は、あと二ヶ月半ほどで去って行くことになりそうです。お祝いということでタイレストランに行きました。大学院入学が決まった後、安心したのか、あるいは私の説教がようやく奏効しはじめたのか、急に熱心に実験を始めました。しかし、残された時間を考えると、プロジェクトは完了しないままになりそうで、どうしたものかと思っていたら、研究室に来たいという奇特な人のメール。若い女医さんで、本国では医学校時代からいろいろ賞を貰っている優秀な人のようです。しかも、給料は要らないという素晴らしい話。渡りに船というか、こちらにはもちろん異存はありませんけど本気でしょうか。イスラム圏なので、無事ビザが下りるかどうか。

私は、給料を満足に払うお金がなくて、選べる立場にはありませんので、研究室にはそれでも来てやってもよいという人がたまたまいたら、じゃあお願いしますという感じで、来てもらっています。ふりかえれば、みんな若い女性でした。数年前は若い男性が中国から来てくれることになりそうだったのですが、思わぬことで奨学金の応募資格を満たさないことがわかり、その話は流れてしまいました。研究に熱心なのも女性の方が多いような気がしますから、偶然なのでしょうか。あるいは「若い女の子に囲まれて研究したい」という私自身も気がついていない潜在願望が現実化しているのでしょうか。そうだとしたら潜在意識恐るべしですね。確かに若い女の子と日々楽しくやっておりますが、残念ながら(いや、幸い)モテているというわけではないことだけは確かです。

潜在意識に向かって祈る、ということを最近私は意識的にするようになりました。祈るということは謙虚にひざまずくということだと思います。そうすることによって自分が泳いでいる川の流れを感じられるのです。逆に、欲望をかなえたいという気持ちが強過ぎる祈りには効果が少ないと私は思います。流れに沿った願いでなければかなわないようです。つまり、自らの意図と自然の意図が同じ方向を指しているとき、すなわち「調和」があるとき、願望はかなえられるように思います。祈りという行為は、自分の願望と自分に求めてられているものの「すり合せ」を少しずつ行っていっているのだろうと私は考えています。私の経験上、「すり合わせ」がうまくいけば、願望はたいてい叶えられるようです。

さて、田中眞紀子の新設大学認可却下の話、私、正直、どう解釈したものか戸惑っています。大手マスコミは横並びで非難。横並びで非難されると、私は何か事情があるのだろうとつい勘ぐってしまいます。建前上、「教育の質」の低下を理由に認可申請を却下するのは、文科省大臣の権限だと思います。これまでは、官僚が原稿もシナリオも書き、政治家に振り付けし、結局、大臣はただの飾りに過ぎず、大臣の認可は盲判に等しいと言っても過言ではありませんでした。政権交代前は、「政治主導」「霞ヶ関改革」というような言葉が使われましたが、そもそも政治家が主導して官僚が仕事をするというのは、当たり前の話であって、官僚が主導して政治家を振り付けるという、官僚政治がおかしいのは論を待ちません。今回の大学認可に関して、その官僚政治に対して、無差別破壊兵器がプッツン火を吹いたのではないか、とも私は感じるのですが、どうでしょう。大学やそれをあてにしていた学生さんは気の毒ですけど、建前上、これまでの慣例を当てにして、認可もおりていないのに、学生を募集したり大学設備を広げたりする方にも問題はあると私は思います。

まもなく、4年に一度のお祭り、アメリカ大統領選の投票が始まります。世論調査ではオバマとロムニーが拮抗しているようですが、どうでしょうか。Electral vote なので、一般票の比率が直ちに結果に結びつくわけではありません。アルゴアの時も総投票数ではアルゴアの勝ちでしたが、キーとなる州(特にフロリダ)を取られて負けました。今回もキーになるのは、オハイオ、フロリダ、コロラドなどのどっちに転ぶかわからない大票田でしょう。これまでの感じだとオバマが優勢、加えて、再選候補の方が総じて有利ですから、オバマの再選の可能性が高いだろうと予想します。フロリダとオハイオをオバマが制すれば、相当な大差でオバマが勝つのではないでしょうか。もちろん逆にフロリダやオハイオをロムニーが取ったら、多分、ロムニーの勝ちとなるでしょう。
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ドリー

2012-11-02 | Weblog
ちょっとした縁で、この一年半余り預かっていた女の子が、ようやく大学院入学が決まりました。本国でマスターをとってから大学院が始まるまでの3ヶ月という約束で来たのですが、あてにしていた大学院のプログラムが突然閉鎖になって、行き場を失ったのでした。そもそも二十歳半ばの若い女の子で遊びたい年頃、3ヶ月でまともな研究などできるはずもありませんから、大学院入学前の3ヶ月間を気楽に過ごすつもりでやってきています。実験するのはそれなりに好きなようですが、それほど研究に燃えているというわけではありません。私も若いころはそうで、結局、後々に、長期的な視野にたって自己を規律することを怠ってきたツケを随分払うハメになりました。それで、この子にも機会を見つけて、やさしく言ったりキツくいったり、なだめたりすかしたり、色々、わかってもらえるように話をしたりしてきたのですけど、ウチの子供と同じで、右の耳から左の耳。同じことを何度も何度も言っても5分後には忘れているとしか思えない「Finding Nemo」のドリーのような記憶力で、ま、明るくてくよくよしないサバサバした良い性格といえば、そうとも言えるのですけど。しかし、私もずっと面倒みれるわけでもないし、任せたプロジェクトは遅々として進まないしで、困ったなと思っていたので、今回、彼女が見つけてきた別の大学の大学院の申し込みには、全面的に援護射撃、推薦状もほめ殺しかというようなものを書きました。結局、大学院に入れたばかりか奨学金まで貰えるということで、本当にホッとしました。

ドリーと言えば、羊のドリーをクローニングしたキース キャンベル博士、58歳で死去との話。死因は公表されていません。羊のドリーのCellの表紙を覚えていますが、確か1997年で、この年は私の分野にも複数の重要な発見がなされた年でした。今まで知りませんでしたが、ドリーの名はカントリー歌手のドリー パートンに因むとのことです。ドリー パートンの曲としては、シーナ イーストンの曲と同名の「9 to 5」、ウィットニー ヒューストンのカバーで大ヒットした「I will always love you」ぐらいしか知りません。どちらも、シーナ イーストンやウィットニー ヒューストンの曲がヒットしたので聞きました。コテコテの南部のブロンドのおばちゃんですね。私は演歌とカントリーはちょっと苦手です。シーナ イーストンの名前は聞かなくなって久しいですし、ウィットニー ヒューストンはついこの間亡くなってしまいました。羊のドリーもドリーの生みの親も亡くなりましたが、本家、ドリー パートンはまだまだ元気です。

ドジョウの情けない所信表明演説と非常に評価が高かった東幹事長の代表質問聞きました。アホウ政権の末期にアホウ氏を追いつめた鳩山氏の代表質問もなかなか良かったでしたが、東氏の方が落ち着きがあって良かったですね。ドジョウはどうも官僚に利用されるだけされてすでに抜け殻になっているような感じです。
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