百醜千拙草

何とかやっています

ピア レビューはいらない

2023-03-07 | Weblog
ようやく小さな論文が出版されました。もう今後は自分がメインで論文を書くつもりはないので、これが責任著者としては最後の論文となるはずです。ホッとしました。ほぼ同時に共同研究で参加したものも出版されました。これはN誌で理不尽なリバイスを要求された挙句にリジェクトされた仕事で、そのために今回の出版まで初稿が完成してから二年ほどかかっているのではないかと思います。筆頭の人はすでに製薬企業の研究開発部に移ってしまいました。結局、この腎臓での燐代謝と糖代謝が密接にリンクしているという興味深い知見は、発見されてから世間の目に触れるまでに数年かかったことになります。

私の論文にしても、二度のリバイスが必要だったので、初稿から出版まで半年はかかっています。科学的厳密さを追求することは重要だと思いますが、振り返れば、レビューアからの要求は主要な結論に何の影響も与えないもので、いわば枝葉末節をつついたものでした。

思うに、レビューのプロセスは科学的厳密さを担保するためというよりも、学位のディフェンスと同じく、論文出版のための儀式にしかすぎないと場合の方が実は多いのではないでしょうか。

端的にいうと、商業出版と論文至上主義には健全な学問の発展という点においてマイナスの方が多いと私は思っています。論文出版における問題は前にも何度か議論したし、もう私はこの世界にはすっかり愛想が尽きたので、どうでもいいですけど、紙媒体を主な情報のdisseminationの場として使わなくなった現代で、科学論文をピアレビューを経て出版することは時間と労力の無駄である、と一言、言っておきたいと思います。

レビューのプロセスを経ることによって、批判的な思考力が育まれるとか、論理力が検証されるとか、建前はいくらでも言えますし、そうした面があることは確かですけど、現場を広く眺めれば、そのような建前は吹き飛ぶぐらい馬鹿げた商業主義が跋扈する俗物世界だと感じます(どの分野もそうでしょうが)。

というわけで、論文はピアレビューなしに速やかに出版し、出版されたものの一部を公平に評価するシステムを導入すべきだと私は思っています。そうすることによって商業雑誌や出版ビジネスは、原著論文の発表の場としての商売がなりたたなくなるでしょうから、N誌やC誌や、出版でメシを食っている大勢の人々や、こうしたブランド雑誌を広告に使う一部の研究者は抵抗すると思うので簡単ではないでしょう。しかし、この巨大な学術論文の出版ビジネスは、アカデミアを食い物にするのではなく、アカデミアを支援する形に変わっていかなければならないと思います。
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