百醜千拙草

何とかやっています

生身を離れる危うさ

2016-07-26 | Weblog
人手不足で苦しんでおります。プロジェクト二本が最終ストレッチに向けて第三コーナーを回りつつある段階なのにもかかわらず、関わっていた主力の二人が戦線離脱、加えて、研究費申請に向けて色々とやらねばならないことで頭が一杯で、数年来のもう一つのプロジェクトは放置状態です。

プロジェクトも、全貌が見えてそろそろまとめに入ろうとする頃から苦しくなりますね。若いときなら、苦しくても一気にやってしまおうとしたものでしたが、もはや気力と体力的にそういう訳にもいかず、苦しいときはペースを落してとにかく無理をせずに着実に歩を進めていくことにフォーカスして日々を過ごしております。

さて、先日の内田樹の研究室の記事。現代の貨幣制資本主義社会の愚かしさが見事に解説されています。
 それで、ふと思ったのですが、近年、基礎医学研究も「生身」の体を離れつつある危うさを感じることが多くなり、なるほど、無理な経済成長を望む政府と同じロジックで研究界も動いているのかも知れないと思いました。
 最近のCell, Natureの姉妹紙に乗る論文の少なからずが、NGSなどの大量データに依存した研究です。簡単には追試はできないし、プライマリーデータを解析することも容易ではありません。つまり、読者やレビューアがデータを第三者の目から見て独自に評価するというようなことがすでに困難になっており、著者らのデータ解釈と示されている二次データを信じるしかないという論文が多くなってきました。
 また、株の自動取引ではないですが、NGSなどの大量のデータのメタアナリシスとなってくると、そのデータの解釈さえ生身の人間にはできず、コンピュータに依存せざるを得ないというような事態になっています。この手の論文は、門外漢にはもはや理解不能です。そして、こうした大量データは、しばしば独立して解釈できないのに、論文の結論を支持するために必要なものと考えられているような風潮さえあります。データの解釈はこれからコンピュータがすることになり、論文の結論も、遠からずコンピュータが出すことになるでしょう。そうなれば、論文のレビューもコンピュータ、そのうち、論文を書くのも実験するのもコンピュータと機械、出てくる科学論文の結論はコンピュータにしか理解できない、そんな時代が来るかも知れません。

この地に足が付いていない感というか、実体との乖離感、は大変、危ういものだと思います。

以下、(既にお読みになった方も多いかとは思いますが)内田樹の研究室から一部抜粋。

2016.07.22
日弁連での講演の「おまけ」部分
、、、、
例えば、今では株の売買というのはほとんどコンピュータのアルゴリズムがやっている。計算式が1秒間で千回というような速度で株の売り買いをしている。、、、、すでに経済自体人間のコントロールを離れている。金融経済というのはそういうものです。もう生身の人間の生活とは関わりがない。
実体経済というのは人間の衣食住をベースにして動きます。、、、だから、実体経済で動いている限り、経済活動の規模には限度がある。人間の身体という限界がある。消費活動はどれほど倒錯的なものであっても、結局は身体という限度を超えることはできない。、、、、でも、それではもう経済成長ができないということがわかった。身体というリミッターを外して、人間の経済活動を無制限のものにしようと考えた人がいた。それが金融経済です。
ここで起きている出来事はもう生身の人間の身体とは関わりがない。だって、これはもう消費活動じゃないからです。商品やサービスを買うわけじゃない。金で金を買うのです。株を買い、不動産を買い、国債を買い、石油を買い、金を買い、外貨を買う。これらはすべて金の代替物です。
もう現代の経済活動は人間の生理的要求を充たすためではなくて、お金の自己運動になっている。ただ、ぐるぐる回っているだけです。もう人間は関係ない。だから、極端な話、ある日パンデミックで世界の70億人が絶滅したとしても、その翌日に証券取引所ではアルゴリズムが元気よく株の売り買いをしているはずです。もう人間抜きで経済活動が行われている。
経済はもう成長しないのです。
経済活動には身体という限界があり、人間の頭数を無限に増やすことは地球環境というリミッターがあってできない。
、、、この人口推移でなお経済成長しようとしたらできることはいくつもありません。
一つは戦争をすること。戦争というのは極めて活発な経済活動を導きます。どこでもいい、どこかに戦争を仕掛ける。戦争が始れば私的財産を洗いざらいひっかき出してマーケットに投じることができる。「欲しがりません勝つまでは」で社会福祉も医療も教育も、金にならないセクターには一文も投じなくて済む。軍需産業は大儲けできる。成金たちが車を買ったり、シャンペン飲んだり、豪邸建てたりすれば、そういう富裕層向けの小売り業も「トリクルダウン」に浴するかも知れない。、、、兵器産業というのは資本主義にとっては理想の商品です。ふつうの商品の場合、商品をマーケットに投下すると、ある時点でマーケットは飽和する。、、、、でも、兵器には「飽和」ということがない。というのは、兵器の主務とは兵器を破壊することだからです。マーケットに兵器が投下されればされるほど、破壊される兵器の数が増える。対立や憎しみが激化すればするほど兵器へのニーズは増大する。、、、実際にこの間経団連のえらい人が言っていましたね。「そろそろ戦争でも起こってもらわないと、経済が回らないから」って。それが本音だと思いますよ。
実際に経済成長率というのは、戦争や内乱やクーデタの国において非常に高いのです。、、、、
もう一つ、経済成長のための秘策があります。それは日本の里山を居住不能にすることです。、、、みんな里山を捨てて都市部に出てくる。これで行政コストは大幅に削減できます。里山居住者は地方都市に集められる。離農した人たちには賃労働者になるしかない。仕事が選べないのだから、雇用条件はどこまで切り下げられても文句は言えない。そこで暮らすか、東京に出るしかない。そうすれば、人口6000万人くらいまで減っても、経済成長の余地がある。日本人全員を賃労働者にして、都市にぎゅうぎゅう詰めにして、消費させればいいんです。「日本のシンガポール化」です。
日本もそういう社会体制にすればまだ経済成長できるかもしれない。、、、
でも、日本にはシンガポール化を妨げる「困った」要素があります。それが里山の豊かな自然です。
温帯モンスーンの深い山林があり、水が豊かで、植生も動物種も多様である。だから、都市生活を捨てた若い人たちが今次々と里山に移住しています。移住して農業をやったり、養蜂をやったり、林業をやったり、役場に勤めたり、教師になったり、いろんなことをやっている。今はたぶん年間数万規模ですが、おそらく数年のうちに十万を超えるでしょう。都市から地方への人口拡散が起きている。政府としてはそんなことをされては困るわけです。限界集落が消滅しないで、低空飛行のまま長く続くことになるわけですから、行政サービスを続けなければいけない。おまけに、この地方移住者たちはあまり貨幣を使わない。物々交換や手間暇の交換という直接的なやりとりで生活の基本的な資源を調達しようとする。そういう脱貨幣、脱市場の経済活動を意識的にめざしている。ご本人たちは自給自足と交換経済でかなり豊かな生活を享受できるのだけれど、こういう経済活動はGDPには一円も貢献しない。地下経済ですから、財務省も経産省も把握できないし、課税もできない。これは政府としては非常にいやなことなわけです。
、、、
だから、われわれが言うべきなのは「もう経済成長なんかしなくていいじゃないか」ということなんです。今行われているすべての制度改革は、改憲も含めて、すべて「ありえない経済成長」のためのシステム改変なんです。、、、、

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我が闘争 ギャグかトランプ共和党 稚拙な政府 はっぱふみふみ

2016-07-22 | Weblog
大橋巨泉さん逝去とのニュース。
寂しいですね。かつての日本のジャズ界を育てた人、私の世代では、テレビ司会としての活躍や「はっぱふみふみ」のコマーシャルで覚えていますが、全盛期に引退し、その後は、優雅に世界中で生活を楽しんでおられた様子でした。
いつもにこやかで明るい陽性の巨泉さんでしたが、最近の右翼化、独裁下するアベ政権には危機感を抱かれて、発言されておられたのを覚えております。かつての民主党体質を早々と見抜いてダメ出ししたこともありました。鳩山氏もこの時によく巨泉さんの意見を聞いておけば、現在の民進党の惨状はなかったかも知れません。ま、もうすっかり手遅れですが。

トランプ夫人のスピーチ、ギャグかと思いました。オバマ夫人のスピーチをお手本にするつもりが、そのまま読んでしまったという恥ずかしい事件。スロベニア生まれで元モデル、トランプとの年齢差は24、お互いのどこに惹かれたのか、色々と想像させるカップルですが、それでも要は中身です。しかし、スピーチがオバマ夫人のコピー、というのでは、、、。共和党大会も根強い反トランプ感情のせいか、選挙に向けて一枚岩となって団結、とはほど遠かった様子です。
しかし、共和党がこんな状況なのに、民主党もヒラリークリントンですからね。それでもさすがにトランプはありえないでしょう。

話変わって、辺野古問題、国が、またいきなり沖縄県を訴えると言う話。この誠意のなさ、この傲慢さ、さすがはアベ政権。
たまに田舎の学校にいますな。親が地元の有力者の金持ちで、校長は親戚、担任は校長のイエスマン、という事情で、クラス中から嫌われているのに、やりたい放題、逆に一部の人間は長いものに巻かれよとばかりその手下にまでなって、弱いものいじめに加担する、それでますますつけあがる、、、というような子供が。
人の見かけを云々してはナンですが、この官房長官、最近、ますます人相が悪くなってきたような。

それにしても、この国の政府の稚拙さ、ため息が出ます。そういえば、さっき見た地上げ屋さんのブログで格言が引いてありました。「賢い者が愚か者から学ぶことの方が、愚か者が賢い者から学ぶことよりずっと多い」それはそうでしょうね。学習能力が低いのが愚か者なのですから。国民諸賢は政府から色々学ばせてもらっているとでも思うしかないですね。

政府、沖縄知事を22日に再提訴 普天間移設巡り
 菅義偉官房長官は21日午後の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、同県を相手に新たな違法確認訴訟を22日に福岡高裁那覇支部に起こすと発表した。辺野古の埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事が、撤回を求める政府の是正指示に従わないのは違法だとの確認を求める内容。政府と県は、再び法廷闘争に入る。、、、

辺野古埋め立て 政府あす沖縄県を再提訴
、、、、会合後、翁長氏が記者団に明らかにした。翁長氏は政府の対応について「(政府と県との)協議が先だと思っていた。直ちに提訴するという判断は非常に残念だ」と述べた。国と県は再び法廷闘争に入る。
 政府と県は三月、埋め立て承認取り消しに関し、三件あった訴訟を取り下げることで合意。この際の和解条項には、政府があらためて行う是正指示に関し、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」の審査をへて、県が再び提訴する手順が盛り込まれていた。
 だが想定に反して、国地方係争処理委は是正指示が適法か違法かを判断せず、両者は「真摯(しんし)に協議」すべきだという見解を出すにとどまった。このため県は政府との協議を優先し、定められた期限内に提訴をしなかった。
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都知事選帰趨

2016-07-19 | Weblog
トルコのクーデター、日本でもかつて2.26事件がありました。気持ちはわからんではないです。現代の日本も「力」を持っている一部の人間が、大多数の国民を支配しているわけで、民主主義という建前のウラの現実を思い知らされるようなことがあると、その不条理を「力」によって解決したいという気持ちにもなるでしょう。武力というのは一番わかりやすい力ですし。日本ならカネと権力ですね。これは単なる暴力よりもタチが悪いです。

しかし、力に生きるものは力に死すです。仮に今回のクーデターが成功していても、シリアやさらにロシアとの関係上、トルコの現政権を支持したいアメリカとNATOが、すぐに新政権を「力」で制圧してしまったでしょう。

クーデターが失敗に終わるとトルコ政権は、さらに強権的方針を表明しました。今後、更に権力の強化を図ることになるでしょう。日本の2.26事件時は、世界大恐慌の煽りを受け、国民の不満が鬱積していました。この事件が日本政府と政府側に立つ陸軍によって制圧された後、軍の力はより強大となり、結果として太平洋戦争を導く結果となったとも考えられています。今後、トルコも政府側が統制と強め、国民の不満はより鬱積し、国情はさらに不安的になっていくであろうと思われます。その歪みをいつまでも「力」で抑えつけておくのは不可能です。トルコの現政権の終わりも近いだろうと私は思いました。「驕れる者久しからず」は世の原則ですし。

同様に、現在の日本、自公の一人勝ちのように見えます。これもいつまでも続かないと思います。しかし、今、仮に、かつての8党連立みたいなトリックを弄してその政権を奪うようなことができたとしても、それが国民の意思を反映していないのであれば、長続きはしないでしょう。まずは、人々の意識が総じて一定レベルに達する必要があります。

今回の選挙年齢の引き下げは、社会経験の浅い、いわばメディアのプロパガンダにのせやすい若者で野党票を希釈して、与党有利に選挙を進める狙いでしょう。選挙結果は、一見、与党の一人勝ちのように見えますが、与党も支持を失いつつあるのは自覚しており、だから衆参ダブルを断念したし、こういう姑息な手も使うわけです。事実、今回の参院選で、創価学会員の3割が公明党に投票しなかったという話もあります。多少の希望を感じさせる話です。

東京都知事選、有力3候補のうち、自民党が分裂、野党統一候補として鳥越氏。前回、善戦した宇都宮氏が野党共闘のためにあえて出馬を見送り、鳥越氏支持を表明したことを考えると、不正がなければ、鳥越氏の当選となるはずでしょう。敵は分裂しているおり、その二人とも、特に東京都民に好かれているとは言えない人々です。それでも増田氏(あるいは小池氏)が当選してしまうのが今の日本の選挙です。(そうならないことを願っておりますが)

この東京都知事選、当初、立候補を計画していた石田純一氏、リテラの記事によると、今後、一切の政治的発言は「できなくなった」のだそうです。

今週14日に告示された東京都知事選。各候補者が街頭演説をスタートさせたが、もうひとつ注目されたのは、出馬を断念した石田純一が選挙応援に登場するのかどうかだった。だが、昨日15日、石田の所属事務所がこんな驚きの発表を行った。
11日の会見をもちまして、今後一切、政治に関する発言はできなくなりました
 この国は憲法で言論の自由が保障されており、どのような立場の人間も自由に政治的な発言をすることが認められているはず。しかし、石田の事務所は「政治発言は今後一切できなくなった」と、石田についてその言論の自由を取り上げる宣言をしたのだ。
 これは、スポンサーやテレビ局、代理店と石田の所属事務所の間で、そういう取り決めをしたということだろう。


チェルノブイリの後の1988年、RC サクセションのアルバムが発売中止になった事件を思い出させますな。東芝が原発を作っていた関係で、反原発メッセージの「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」の入ったアルバムが、当時の所属会社東芝EMIからは発売できず、「素晴らしすぎて発売出来ません」と新聞広告を出した事件です。

ドロドロしてます。ま、スポンサーあってのテレビ役者、スポンサーの「力」で支配されているわけですね。

ところで、都知事選の立候補者のリストを眺めていると、いろいろな人が出ています。

(毎度おなじみ)マック赤坂、スマイル党総裁。(ちなみに、弟子は、マック赤坂見附)
桜井 誠、在日特権を許さない市民の会
上杉隆 無所属、ジャーナリスト (鳥越氏が出なければ応援していたところですが)
立花孝志(たちばな・たかし) NHKから国民を守る党 (一瞬、あの「"ち"の巨人」がNHKを批判しているのかと勘違いしました。しかし、都政に携わるにしては、党名がちょっとSpecificすぎるのではないでしょうか?)

残念ながら、ドクター中松は不出馬。個人的には、マック赤坂氏の得体の知れなさは面白い。しかし、あの政権放送では、国民が聞きたい政策や計画を知りようがありませんから、選挙に当選するのが目的で立候補しているとは思えません。頭はいいはずですから、凡人には理解できない壮大な目標があるのか、すでに悟りきってしまった人なのか、あるいは、単に「ほんまもん」なのか、測りかねますね。発言は時に極めてまともに聞こえます。一回、やってもらってもいいのではないでしょうかね。
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まずいレストラン

2016-07-15 | Weblog

「すぎりおのがんばったるねん」で紹介されていた二つの論文のタイトルがあまりに面白かったので、紹介:

Affinity purificationで引っかかってくるnon-specificな「ゴミ」のデータベースについての論文、
「The CRAPome: a contaminant repository for affinity purification–mass spectrometry data」

もう一つは、糞便中の微生物を調べた論文、
「An In-Depth Analysis of a Piece of Shit: Distribution of Schistosoma mansoni and Hookworm Eggs in Human Stool」

特に、二つ目の論文、4文字単語が、科学論文のタイトルに使われたことは、かつてなかったのではないでしょうか。エディターもレビューアも悪ノリしたとしか思えません。Sxxxはcrapとも言いますから、まだ「Piece of Crap」の方がマシだったのではないでしょうか。それでも十分、おかしいですが。

さて、話題転換。選挙の不正というのは、怪しい選挙結果が出るたびに、密かに議論されるものです。少し前の北海道の衆議院補選では、開票終盤になって、与党の対立候補が得票数でリードしていたにもかかわらず、突然、与党候補に当確が出るという不思議なことがありました。最後に開票されたある選挙区でどういうわけか圧倒的に与党候補者票が多くて、最終的に逆転したのです。集票の機械を作っている会社は独占状態で、機械のソフトを監視する方法もありません。これは、以前の小沢氏の陸山会事件で、検察審査会の審査員を選ぶ「くじ引きソフト」が、インチキでいくらでも不正操作ができたということがあったことを思い出せます。これまでのやり方を見ていると、国政選挙にも色々な不正やトリックが仕組まれているのも十分、想像できることです。

こういうことを確たる証拠も無しに言うと、結局、陰謀論だと言われて、逆に非難を受けることにないますから、誰もおおっぴらには言えないという状況があります。しかし、選挙のために怪しいことが起こるのだから、誰かが、おかしいことを指摘はしていかないといけないのだろうとは思います。

そういう意味で、地方紙とは言え、全国紙並みの発行部数を誇る東京新聞が、コラム欄とは言え、選挙の不正を示唆するような記事を書いたのは、意味があると思います。
という訳で、貼り付けておきます。

東京新聞、筆洗

 この町には二軒の料理店がある。大きい方の店「J」の経営は風変わりで、できる料理はカレーライスとハンバーグのみ。どちらも大した味ではない。見るのも嫌という人もいる▼試しに住民に聞いてみた。アベノなんとかというカレーライスを六割の人がまずいといい、改憲ハンバーグは五割がひどいと答えた。二つのメニューのいずれも人気がない。それでも、町のレストラン選挙ではいつも、もう一店の「M」を引き離し、勝ってしまう▼おかしい。あの店においしい料理はないのに。結果を疑った「M」の店主は探偵に調査を依頼した。探偵は選挙後、町の住民に聞いて歩いた。「あのカレー? ひどいね」「あのハンバーグは絶対許せない」。悪評しか聞こえてこない▼やはり不正投票の可能性がある。探偵は事実を知らせようと「M」に飛び込んだ。「やはり不正…」と言いかけてやめた。この店の様子もおかしい▼メニューを見た。「あの店のカレーはまずい」「ハンバーグは絶対阻止」と書いてある。「おいしい料理を作りたい」「こうやっておいしくします」と決意やアイデアもある。しかし、今すぐ提供できる料理がメニューのどこにも見当たらない▼探偵は店を出た。向かいに「J」が見えた。おなかをすかせた客がカレーを食べている。喜んで食べている人もいる。疑いながら、泣きながらの客もいる。

非常に共感します。近々、JでもMでもない小さなレストランの数々が集まって、客を満足させてくれるのではないか、と期待しておりのですが。
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普通の国へとダウングレード

2016-07-12 | Weblog
先週から、知り合いのお嬢さんの女子高生が研究室に来ています。
将来、医学部に進みたいので、基礎医学研究の現場を見たいということで、数週間の予定ですが、大変です。これまでも比較的研究経験の浅い人をトレーニングしてやってきましたので、慣れてはいるのですが、やはり女子高生となるとモチベーションも実地の知識も違いますので。幸い、ありがたいことに、共同研究している人が面倒を見てくれています。

長年、研究室に出入りしている人を見ていると、モチベーションも大切と思いますが、実験のセンスというものも大切だな、と思います。1を聞いて少なくとも1.5ぐらいを理解するぐらいでなければ辛いです。インプットとアウトプットが同じでは、バイオリアクターとして働いていないと言えます。過去一緒に働いてくれたポスドクや技術員の人のうち二人は、インプットの増幅率十倍ぐらいの優秀な人でした。そういう人はあまりいません。十人に一、二人ぐらいです。

しかし、センスや才能と研究キャリアはあまり関係ないようにも思います。長年、研究現場に残っている人の多くは、粘り強く、研究で生き残れると信じている人が残っているように思います。頭の切れすぎる人や地味仕事を続けることが苦手な人は、さっさと見切りをつけて、別の分野に行きますね。
これは、多分、どの世界でも同じでしょう。駆け出しの頃は、誰もが苦労するので、そこを諦めずに粘っていると活路が開けてきて、続けていくことができるようになるのだと思います。石の上にも3年です。9割の普通の研究者の人はこのパターンでしょう。

残りの少数派の大成功者の人々にも共通項があります。そうしたトップ研究者の9割は、皆、似たような経歴を持っています。つまり、一流大学を出て、一流のラボでポスドクをし、独立後早くから大きな仕事を連発しています。すなわち、成功した有名研究者になりたければ、おそらくこうした条件を満たしていくことが近道なのであろうと思います。中央官僚として偉くなりたのであれば、東大に行くというのと同じでしょう。トップ研究室はリソースも潤沢で超一流紙にもコネを持っており、そういう研究室からの仕事は一流紙に載りやすい。そうやって彼らが流行を作っていくのだから、彼らの仕事は常に流行の最先端であり、したがって常にインパクトの高い論文となるわけです。そういうラボに入り込むには一流大学で良い成績を取っておく必要がある、そういうことでしょうな。
ですので、私のような経歴の人間は9割の普通の研究者の中でそれなりの幸せを見つけながら生きていくことを第一目標としつつ、チャンスを辛抱強く待つという戦略になるのです。

さて、参院選ですが、どーでもいいです。と言うと日本の国とその子孫の将来を真面目に考えよ、と説教されそうですが。
悪法も法、アベ氏でも総理、民意は民意、です。つまり、国民のレベルと政治のレベルは一致します。いくら、役人や政治家や経団連が結託して、マスメディアを操って国民を利用しやすいように社会の仕組みを変えようとしているのだとは言っても、騙す奴も悪いが、騙される方も悪いのです。国民のレベルも結局、アベ氏なみということです。

ただし、これは今現時点の話です。若者はプロパガンダを垂れ流すマスメディアから離れつつあります。そして、親の代に自民党に世話になったから、とか、創価学会信者だから、という義理や組織に頼る票は減っていくでしょう。昔はそれでもよかったが、今では、自民党も公明党も、中身も外見もすっかり変わってしまいました。もっともマトモなのが共産党かも知れないとういうような時代になっているのです。一旦、行き着くところまで行く方が良いのかも知れません。

世界には、悪政に耐えかね、生活が苦しくて国を捨てた人々が大勢おります。歴史的に見ればそういう人々を多く出さなかった国でない国の方が少ないでしょう。しかし、幸い日本は、第二次大戦後、勤勉な平和主義国家として、世界から信頼と尊敬を得てきました。総じて日本人の人間としての優秀さは世界トップクラスであったと思います。

しかし、どうもアベ政権や政府官僚は、グローバルがどうのと言って、日本人のレベルをを世界の平均レベルにまで落とし、「国を守る」ためという詭弁を弄して、戦争産業の末端に加わり、アメリカ軍の下っ端となって、世界中にケンカを売るチンピラ派遣社員にでも仕立て上げたいようです。そうやって、政府は、日本に悪事の片棒を担がせて、テロの対象になるような憎悪を買ってまでも、アメリカに貢ぎ、その隙に国民の税金の一部をピンハネしたい、ちゅーことのようです。アベ氏には「日本軍」というおもちゃを与えて、そのコマンダー イン チーフという称号さえやっておけば満足するだろう、これで、アメリカの歓心を変えるし、いざとなれば、戦争という最後の切り札も使って、溜まりに溜まった財政赤字もチャラにできる、とでも官僚組織は思っているのでしょうな。

野坂昭如さんが亡くなる前に述べられたように、軍装するのは、日本国民を守るためではなく、国民の命と財産の犠牲の上に「国体」(その実態は、支配者層である政府役人)の利益を守るためです。プルトニウムを満載した原発50基あまりを体中に巻きつけた自爆テロリストみたいな状態で、多少、武装したからと言って、どうやって国の安全が守れるとでも考えているのでしょうか(と確信犯に正論を言ったところで無駄ですね)。

ま、これも修行の一部とでも思って、われわれは、善意を持って前向きに、できることをやるしかないです。
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カタにはめられる

2016-07-08 | Weblog
一年半前に研究室を去った人の3年がかりの論文、散々、引き回しの刑になった挙句、ようやく引っかかりました。
この仕事は、一年半前に出版された別のグループの人の論文のプロジェクトが進行中の時に、内容がオーバーラップするので、一緒に出そうという話をしていたものですが、相手の都合でソロで出されてしまい、結果として、こちらは出すタイミングを失い、行き場を失った状態になっていたのです。それで、そのままでは出せないので、それなりの雑誌に載る程度の形をつくるためのデータを足そうと、いろいろやってはみたのですが、論文のクオリティーを上げるために使えるようなデータを得ることが出来ず、実験を継続する人もカネもないということで、とにかく体裁だけ整えて投稿したものです。なんとか投稿したのが一年前、正直、別グループの論文で重要な論点が既に出版されてしまったため、出来はパッとしません。
ちょっとムリだろうなというレベルの雑誌を数本トライしている間に一年が経ちました。ま、想定内です。

それにしても、N紙出版グループの囲い込み戦略はすごいですね。よほどひどいものでない限り、どこかで出版できる仕組みになっているようです。雑誌名に「Nature」のつく上位雑誌と、つかない二軍雑誌で、裾野を広く構えています。その二軍雑誌群のなかでもヒエラルキーがあります。アメリカの野球リーグ制みたいなもので、「Nature」が名前に入る雑誌がメジャーリーグを形成するとすると、それ未満がマイナーリーグ、マイナーリーグの中でもインパクトファクターは7-9のAAA、5-7のAA、そしてそれ以下というような感じでしょうか。

この論文も最終的にマイナーリーグのN紙系雑誌をトライしたのですが、そこでリジェクトとなった時に、Editorに勧められて更に下位雑誌へそのままtransferしたものです。最初のレビューでのコメントもそのまま次のジャーナルにも伝達されるようになっていて、そこでリジェクトにならなければ、リバイスも基本的にレフリーに回らずに編集室レベルで判断するらしいです。便利でよいともいいますが、まさに「カタにはめられる」という感じです。むこうはビジネス、ブランド名を守りつつ、下位雑誌で掲載料を稼ぐという戦略のようです。

論文出版に関しては、私は、結構、粘る方です。資金が潤沢で面白いネタがパイプラインに詰まっているようなラボなら、最初から、よいジャーナルに通りそうなレベルにしてから出すか、レベルが上がらねければ、絶対載るというレベルの雑誌まで落とすでしょう。そこそこのレベルにいかないような仕事に時間と労力を費やすぐらいなら、サッとロスカットして、見込みのある別のプロジェクットにリソースを回すでしょう。

しかし、私のような零細では、仕事は、一本、一本を、それなりに形にしていかないと、成り立っていきません。投じた労力とカネは多少でも回収していかないと、次がないのです。冒険はできないし、カネと労力が必要な大きなプロジェクトもできません。小さなことをコツコツと質と量のバランスを考えつつやっています。ま、そういうスタイルが性にあっていますけど、時々、「あのころ、二人のアパートは裸電球眩しくて、貨物列車が通ると揺れた、二人に似合いの部屋でした」という昔の歌を口ずさんだりしています。ビンボーくさいですが、なんとなく幸せな感じもしますな。
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Get Up, Stand Up

2016-07-05 | Weblog
ちょっとピンチです。
唯一の戦力と言って良いポスドクの人がようやく2週間の研修から帰ってきて、この数年やっている有望なプロジェクトの完成に向けて最後の難所の実験に本腰を入れて取り掛かろうとする所でしたが、復帰二日後、家族の健康状態の急変で、戦線離脱、二ヶ月は復帰不可能の見通しという状態に陥りました。加えて今週から、女子高生インターンを受け入れるという予定が以前からあって、その人にほとんどの面倒を見てもらうつもりにしていたのです。

バタバタと最小限の引き継ぎの後、送り出し、しばらくしてから、状況が実感として迫ってきました。私以外の誰も彼女のプロジェクトをカバーできる人はいません。また、共同研究で別のプロジェクトを一緒にやっている人も今月一杯で、もとの研究所に帰ります。このプロジェクトもそれなりのインパクトになる予定で、その出版は、彼女(共同研究者)が研究者としての地位を確かにするために重要なのですが、かなりの技術的困難が予想される最後の実験が丸々、残っているという状態です。

グラントも遅くとも来年の3月までに出さないとチャンスを失いますから、その予備データのための実験を色々とやらねばなりませんが、この方もなかなか手探りが続いています。

少なくとも2ヶ月は、これらを全部、それなりに一人で回していかなければならなくなりそうです。週末の実験室で、しばらく呆然と一人立ち尽くしました。季節外れながら、荒野に残る一本の枯れ木に北風が吹き付ける、そんな心境です。

とは言うものの忙中閑あり、週末はニュースをチェックしていました。

私、アベ政権と公明党の悪口も、どうやっても一流になれない旧民主党の悪口も、もう言うのはやめておこうと思います。天網恢々、彼らの裁きは天に任せます。民進党に期待するのも無理です。今の民進党なら、仮に政権交代したところで、前回の空きカン以降のクズっぷりを見ている限り、政権を取った瞬間に自民党化するのが火を見るより明らかです。第三極に期待するしかなさそうです。

山本太郎氏推薦の無所属、三宅洋平さんの選挙活動が盛り上がっているようです。私は知らない人でしたが、選挙演説でのT-シャツに「Now you see the light. Stand up for your rights」と書いてありました。調べてみるとレゲエバンドの人のようで、なるほどと思いました。(学生の頃、試験勉強中の私の応援歌でした)イギリスの植民地であったジャマイカに連行されたアフリカ人奴隷と自公政権に奴隷化されようとしているニッポン国民が重なるのでしょうか。なんとか若者の共感を得て、頑張ってもらいたいものです。

権力や組織が個人の権利を蹂躙するのは、創価学会でも同じようです。三宅さんの選挙応援で、そんなことを予感させる創価学会員の若者のスピーチをリンクします。

創価学会員が公明党に「無理」宣言 https://youtu.be/3QKXPbVXAFc

学会員が、安保法案を批判すると「地獄に落ちる」そうです。キョーレツですな。アベ政権下のニッポンも地獄、どうせ地獄なら、一踊りしよう、そんな前向きさを感じますね。

Get up, stand up, don't give up your fight.... ちゅーわけで、意味は多少違いますが、私も頑張りたいと思います。
Bob Marleyの1980年のライブ


三宅さんによるカバー

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失敗しない実験

2016-07-01 | Weblog
てなワケで、イギリスのEU離脱の交渉はこれから多分、年単位で始まる訳ですが、ドイツが早速「いいとこ取り」は許さない、みたいなことを言っています。ドイツではなく、ギリシャぐらいが言ってくれると面白いのになあなどと不謹慎なことを思ってしまいました。

ドイツの気持ちはよくわかります。とくにメルケル首相としては、キャメロンの馬鹿げた政治的バクチの失敗の煽りを食らったようなものですからね。キャメロンの政治生命がどうなろうと知ったことではないが、EUを道連れにして、ドイツにその尻拭いを押し付けるのでは、いい迷惑だと思っているでしょう。

EUという共同体のメンバーの権利を享受するには義務が伴う、当たり前だと思います。
そこには「フェア」であることを望む人間の心理があります。しかし、フェアであることを望むとは、嫌らしい見方をすれば、自分は他人に比べて「損」したくない、負けたくないという心理と同根ではないでしょうか。イギリスは外国移民の受け入れを制限するくせに、EUの市場には自由にアクセスしたいというのなら、ドイツやフランスがその移民の受け皿となって自分たちが「損」をすることになる、「フェア」でない、という言い分でしょう。もっともですが、では、より貧しいEU諸国の国民にとってはどうでしょう。同じ人間として同じヨーロッパに生まれたというのに、コチラは生きていくのに精一杯だ、豊かなライフスタイルを満喫しているイギリスやドイツの国民はアンフェアに地球のリソースを使いすぎている、ちょっとぐらいコチラに回してもバチは当たらんだろう、ぐらいのことは思っているでしょう。

つまり、フェアであることの基準など非常に恣意的で自分勝手なものです。思うに、フェアとかアンフェアという考え方も、各々の自己保存能の一部として社会生活を営む人間のエゴに対処するために生み出された概念ではないでしょうか。この辺りが、人間の社会の難しいところです。大勢のレベルの違う人間が集まって暮らすのですから、お互いのエゴがぶつかり合わないように調整するのは簡単ではありません。それで「フェアネス」という概念を発明せざるを得なかったのではないかと思います。

そして、フェアというものが概念で恣意的なものである以上、現実の世の中は「フェア」であるものなど何一つないわけで、要は、人々が納得できるかどうか、です。「いいとこ取りは許さない」とか「ただ乗りは許さない」と筋の通った発言をすれば、国民を納得させやすい。然るに、実際には「辞めたいという国をやめさせないことはできないのだから放っておく、引き続いてEU市場をイギリスに開放するかどうかはどちらがEU諸国にとってプラスになるかを考えてから決めればいい」と考えた方が「得」な結果になりそうです。しかし、それでは残った国の国民の「気持ち」が収まらんのですな。

キャメロンにしてもメルケルにしても、政治家であり、その主要アジェンダは、平たく言えば、国民をうまく操ることです。彼らにとって、国民は自分たちに権力を与えてくれるお客様であり、お客様は常に正しいのですから、彼らの機嫌を損ねないようにすることが第一の仕事です。今回、その国民を操るためにキャメロンは丁半バクチを打ち、その危険な賭けに負けました。そして、EU崩壊へのドミノ倒しを防ぐべく、メルケル首相もEU諸国の国民を納得させる声明を出す必要がありました。

外から見ていると、まるでドタバタ喜劇です。

いずれにしても、人生も世界も、コントロールのない実験のようなものです。コントロールがないから結果の解釈ができません。解釈ができないということは、自由に解釈してもよいということだとも言えます。これからEUを見て、成功したと解釈するするのも、失敗だったと解釈するのも自由です。

というわけでイギリスのEU脱退については、私は是非を云々せずに、興味深い実験と思って、その成り行きを楽しみたいと思います。
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見直しの時期

2016-06-28 | Weblog
理想と現実をすり合わせ妥協点を見つけていくというのは、なかなか根気のいる作業です。当たり前ですが、キレて投げ出すというのが最も良くない結果を生むのですけど、それを学ぶのに私は随分失敗を重ねました。今だに反省すること多しです。

「世界は一つで人類は皆兄弟」は真実でありますが、それを地上の皆が行動に現すことは今はまだ理想です。現実は、沈む者がいるから浮かぶ者があり、他人はみんな泥棒で、人の不幸は蜜の味であったりします。

「自分が一番可愛い」という人間の動物としての本音の部分は認めつつも、実は、自分も他者も等しく地球という家に生まれ育つ家族であるという理想に近づいていけるように、根気良く努力するところに人間の成長があるのだろうと思います。しかし、ジョンレノンのイマジンみたいなところ、国境も国も天国も地獄もないような世界に行きつくには、人類全体がその理想を共有し、努力していく必要があり、まだまだ途方もない時間がかかるであろうと思われます。

そんなことを考えながら、今回のイギリスのEU離脱のことを考えていました。ソ連崩壊につながったペレストロイカと状況がちょっと似ているような気もします。EU発足当時は、一般イギリス人も、ヨーロッパが一つの国のようになって、人々が自由に交流できることを、理想に近づく一歩として歓迎したでしょう。でも現実は、貧しい地域の人々が豊かで社会保障の優れた国を目指して大量移動し、結果として以前からのイギリス住民の負担を一方的に増やしてしまい、結局、理想のためのガマンも限界だという状況に追い込まれたというように感じます。しかし、生きるのに精一杯の貧しい移民の人々にとっては、理想よりも目の前のパン、腹が減っていては、比較的豊かに暮らしていたイギリス住民と同じレベルで人類愛や理想を語るのはムリです。またイギリス住民にとっても、これほど急激に増加する移民は想定外だったでしょう。増える人口でこれまで受けられていたレベルの社会サービスを受けることが難しくなり、病院は飽和し、学校の教育の質は低下し、犯罪は増加するわけで、中流家庭にとっては、彼らの生活が脅かされるとさえ感じるようになったのではないでしょうか。

理想は現実に基づいて作り上げられるものであり、現実が変化すれば、それに応じて理想も変化していくのは自然なことであろうと私は思います。EUの発足は殺し合いの歴史であったヨーロッパを核の時代の破滅的な荒廃から守り、かつより大きな経済活動を推進するという意図であっただろうと思います。そのより大きな経済活動の結果は、グローバル化という非人間的な経済によるカースト制の推進であり、消費活動の拡大による環境破壊ではなかったのではないのでしょうか。すなわち、「命よりもカネ」の傾向があまりに露骨になりすぎました。豊かな人々はより豊かに、持たざる人々の生活はより苦しくなり、貧富の差は広がりました。ヨーロッパ諸国の中での経済格差も歴然としたものがあります。

今回のイギリスのEU脱退の動きは、EU発足時の理想というものを、一旦、立ち止まって、見直す時期であることを意味しているのではないかと私は思います。戦争を防ぎ、人々が人間らしく幸せに暮らすために、ヨーロッパの国境をなくして「均一化」しようとするやり方がかえって社会の歪みを生み出したように見えます。貧富の差がまだまだ大きいヨーロッパ諸国の現実を考慮してプランを作り直した方がよい、とイギリス住民は考えたのではないでしょうか。目的は、戦争のない平和で人々が幸せに暮らすことができる社会の実現ですから、EUという手以外にもやり方はあるのではないかと思います。

ですので、今回のイギリスのEU脱退は、理想からの退行ではなく、新たなより良い理想を求めるための有意義な実験の始まりであると私は捉えたいとおもいます。今後、EU諸国にどのようなことが起こるのか、そのデータは貴重なものになると思います

ソ連が崩壊したように、EUという形も一旦、リセットして、また違うタイプの共同体を作るのがいいのかも知れません。壊すことなしには、より良いものに作り変えることはできないですし。
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企業とアカデミアの研究

2016-06-24 | Weblog
先日、とある大手製薬会社が主催した「交流会」に行ってみました。目的は人材の発掘ということらしく、多分50-60人の参加者の半分ぐらいが、転職に興味があったのではないかと思います。交流会とはいうものの、前半は、就職説明会みたいな感じでした。その後、参加者と会社関係者とでmignlingが始まったのですが、私は、たまたま隣にいたイメージング技術の開発などをしている工学系の研究者の人に、この方も製薬会社への転職の希望はないとのことなので、いろいろ面白い話を聞かせて貰っていました。

そこへ会社の研究開発部門の人がやってきたので、アカデミアとの共同研究への取り組みや、研究開発のストラテジーなどを聞いてみました。ま、バイオテクや中堅製薬会社のR&Dにいる人に聞いているのとと同じような話です。会社ですから、規模と制約は大きいですが、アカデミアの研究室と基本的な部分では変わらないな、と思いました。そして、そのワケは、ひょっとしたら実は、アカデミアの研究の方が製薬会社の研究スタイルに近くなってきたからではないか、と私は思い直しました。

アカデミアでもグラントを取って出版し続けないと回らないわけで、その点では、研究資金を調達して薬にして利潤をあげないと回らない製薬会社と同じです。利益の出せる製品を出すためには人々のニーズに応えないといけません。同様に、アカデミアでグラントを取るためには、やはり人々の興味のあることで、インパクトのある計画を提出する必要があります。生命科学系だと、どうしても病気とのつながりについて議論せざるを得ませんし、そうなると、その研究が如何にその関連した病気の治療や予防に役に立つかという具体的な話に自然となって、最近では、結局、Translationalな研究、製薬会社がやるような研究のミクロ版みたいなものを計画書に入れざるを得なくなる、という感じになっています。以前ならば、病気とのつながりは、本題に入るための落語のマクラみたいなもので、形式的なのでしたが、いまや競争も激しくなってきており、パッと見てそのインパクトが明らかな研究、実際的なものにすごく役に立つような研究が高評価を得るような傾向が進んできたために、疾病との関連性は単なるマクラでは通らなくなってきました。ま、計画書を評価する立場に立ってみれば、それはそうだろうと思います。数十とある申請書から最終的にトップ1-2割を選別するわけですから、シンプルで意義が明らかな研究ほど最終候補に残る可能性が高くなるわけで、従って、何らかの実利的効果が期待できる研究が選ばれやすい、ということだと思います。

ただ、製薬会社と違うのは、アカデミアで研究費申請の研究計画というのはあくまで、金を取ってくるための方便にすぎないということだと思います。もちろん、実績がないと金は取れないので、なんでもウケそうなネタを書けばよいというわけではなく、ある程度の本気度は必要です。しかし、研究計画を立てて、研究申請書を出して、運良くそれが当たって、実際に研究費が支払われるまでの間には、年単位の時間がかかることも多いわけで、現代のように進歩の激しい研究業界では、一年前の素晴らしい計画が、実際に研究費が下りたころには、まったく無意味な研究に成り下がってしまうということもしばしばあります。ですので、研究費は必ずしも計画を遂行するためではなく、もっとも有意義な結果を出せる活動に使われることになります。しかし、おそらく製薬会社ではそういうわけにはいかないでしょう。研究の中身と資金はかなり厳密にコントロールされるであろうと予想されます。事実、とある製薬会社からの小さなグラントをもらっている知人は、半年で3回の会社側とのミーティングとシンポジウムでの発表を課せられたとボヤいておりました。これではグラントというよりコントラクトです。

会社側の人は、企業での研究はチームプレーであることを強調し、それぞれの持ち場で、社員が生きがいを持って働いているという話をするわけで、勿論、その通りなのですが、合う合わないがありますね。私は和を尊ぶ平和主義者ですが、チームプレーとか体育会とか、トモダチとか絆とか、アベ自民党とかは、どうも、ちょっと。
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Dance with My Father

2016-06-21 | Weblog
日曜日は「父の日」でした。
自分が子供のころ、「父の日」という日があったかどうか、それを祝っていたかどうか、よく覚えておりません。母の日にカーネーションというのはあったような気がします。子供の時は、両親に何か特別なことをしたこともなく、ワガママで自分勝手で、親孝行というものをしたことのない不孝者の子供でした。

土曜日にちょっとだけ仕事をして昼過ぎに帰ってきて、何か軽く食べようと思って冷蔵庫を開けると、「父の日おめでとう」と書いたカードとチョコレートを抱いた小さなクマのぬいぐるみが冷えていました。
ウチの二人の息子たちの贈り物です。

自分は自分の父に何もしたことがないし、子供も放置してきたのに、ウチの子供たちは、ちゃんとそんな父親を気遣ってくれるのです。何と幸福なことだろうかと思います。子供が、思いやりのある「良い人間」に育って、そして健康で幸せに暮らしてくれること、親にとってそれ以上の喜びはないです。私は恵まれているのだなあとつくづく思いました。

孝行したいときには親はなし、とはよく言ったもので、私の父親は、私が何一つ孝行らしいことをしたこともないうちに、突然、この世を去ってしまいました。その時は随分、後悔しました。その後悔も、のど元過ぎればなんとやら、それからずいぶんの月日が流れ、日々の数々の瑣末事の前に父親のことを思い出すことも少なくなりました。

今年の夏は父の法事があります。それが終わってしばらくすると、私は父親よりも年上になるのです。そう思うと時の過ぎる速さに驚きます。

父は、カッコいい不良であり、会社員であり、それから独立して商売を始め、零細ながらもシャチョーをやっていた人でした。親分肌で若い人にも友人にも慕われていたと思います。我が身と比べてみると、その父親よりも年上になろうかという年齢になっても私はいまだに子供のままだなあ、と感じます。昔の私は、クズではありましたが不良ではなく、カッコ悪いことから逃げようとするために却って醜態を晒すタイプで、人と関わるのが苦手なくせに寂しがり屋、といういじけた子供でした。最近、多少はマシになりましたが、やっぱり三つ子の魂です。ま、それでもいいか、とは思っておりますが。

若いとき好きだったLuther Vandrosが10年ちょっと前に死んだ時、ラジオで繰り返し掛かったのは、遺作となった「Dance with My Father」でした。2003年にグラミーでSong of the Yearとなったこの曲は、糖尿病の合併症で亡くなった自身の父を歌ったものでしたが、その翌年、今度はLuther自身が糖尿病の合併症で亡くなることになったのでした。

早くして亡くなってしまった父親、その父親との思い出、夫を失った母の悲しみ、しみじみと歌われるのを聞いていると、当時は、まるでLuther自身が自分の死について歌ったかのようにも思えて、妙に泣けてきたものでした。

私の父親が死んでから随分経ちますが、夢に出てきてくれたのはほんの数回です。そのうち時間が来れば、また会うことになるでしょうが、きっと、その時は私の方が年寄りになっているのでしょうね。そんなことを思いながら、この曲を聞いていました。
久しぶりに聞いてもやっぱりちょっと泣けますね。



追記。このビデオクリップに出てくる数々の有名人の人々は、病気で倒れてPVに自ら出ることができないLutherに代わって出演したものだそうです。
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目くらまし

2016-06-17 | Weblog
研究も私生活に関しても日々まずまず平穏で、たいしたニュースはありません。
久しぶりに「内田樹の研究室」が更新されていて、ルモンドの記事の翻訳が紹介されていましたので、すでにお読みになった方も多いとは思いますが、その一部を転載します。

舛添氏の奇癖は以前から知られていた。「2014年の知事選以来、舛添は会計上の規則違反を繰り返してきたと言われている」と都政に詳しいある人物は指摘している。民放テレビやスキャンダル専門紙で連日のように荒れ狂ったメディアの暴風について、この専門家は「攻撃は周到に用意されていたもので、タイミングを計って行われた」と言う。情報筋によれば、この攻撃は計画的なもので、官邸の暗黙の同意を得て行われた。
メディアが知事問題一色に染まったために、報道された場合に政府にとって不都合ないくつかのニュースが結果的に報道されなかった。知事についての報道の開始は、英紙「ガーディアン」が2013年にブラック・タイディングに対してなされた130万ユーロの資金流入についてのフランス当局の捜査について報じた5月11日と同時期である。シンガポールに拠点を置くこの会社はパパ・マサタ・ディアク−1999年から2013年までIOC委員、前国際陸連会長で、現在は汚職で捜査中のラミーヌ・ディアクの息子−の所有するものであり、この資金は日本の五輪誘致チームから出たものと見られている。
日本では、このニュースは二人の人物を巻き込む可能性があった。一人は現在も政界に力を持つ森喜朗元首相。彼は五輪の東京招致を推進し、現在も五輪組織委員会のトップにいる。もう一人はJOCの委員長で、皇族の竹田恒和である。
同じように、舛添氏に対する攻撃は「パナマ文書」の暴露とも同時期だった。日本の400の個人名と企業名がそこに言及されているというのに、日本のメディアはこれについてほとんど何も報道していない。
「さらに、舛添事件によって、7月10日の参院選の選挙選のスタートが丸ごと隠蔽された。これはさまざまな批判、とりわけ経済政策の失敗についての批判を回避しようとしていた政府にとってはまことに好都合なことだった」と専門家は語っている。


やはり、多くの人が違和感を感じたように、このセコい事件を延々とメディアが引っ張ったのは、目くらましだったのでしょう。この記事ではオリンピック招致における「電通」が絡んだ賄賂事件(これはフランスが調査中なので、ルモンドが特に取り上げているのでしょう)、それから、パナマ文書の問題(電通はここでもやっていましたね)への人々の注意を逸らすためであろうという話があります。政府が電通を通じてメディアをコントロールしているという話はずっとあるわけで、お互いの不祥事の報道は抑えたいのは彼らにとっては当然です。

、私は、しばらく前にも書きましたが、自民党の元TPP大臣の収賄事件を不起訴にした事件の隠蔽も大きな理由ではないかとおります。この収賄事件は現職自民党議員のものですから、突っ込まれると選挙に響くということでしょう。それにしてもこの方、収賄事件が公になったら、その瞬間に健康上の理由で国会にこなくなったくせに、不起訴となったら、急に健康障害が完治して政治活動に復帰する、というのだから、現金なものです。これはテスト前のうちの子供の腹痛なみです。

ま、国民は、いつまでもテレビや新聞での政府や広告主に都合のよい話を真に受けて意見誘導される都合のよい存在ではないとは思います。ウチでは既に誰もテレビは見ません。ラジオは生き残っても、全国ネットのテレビ放送という産業はそのうち消えていくのではないでしょうか。
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放射能、集めてばら撒く山桜

2016-06-14 | Weblog
数日前のニュース

公共工事で除染土を再利用へ 全国の道路、防潮堤に (東京新聞)
東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の減量と再利用に向けた環境省の有識者検討会は7日、東京都内で会合を開き、放射性物質濃度が基準以下となった除染土を全国の公共工事で使うとする再利用の方針案を大筋で了承した。近く同省が正式決定する。
方針案によると、管理責任が明確で、長期間掘り返されることがない道路や防潮堤などの公共工事に利用先を限定。工事中の作業員や周辺住民の年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下となるよう、用途や期間に応じて放射性セシウム濃度を1キログラム当たり5千~8千ベクレル以下と定めた。


わざわざ放射性物資で汚染された土壌を集めて分けたのに、今度はそれを全国にばら撒くそうです。
以前に、大量に放置されているこの汚染土を詰めたゴミ袋をドローンで写した映像を海外のマスコミで大きく流されたことがありました。海外に対しても国内に対しても、溜まる一方の放射能汚染物質を放置していると、原発事故の収束の見通しが立たないことをまた避難されて、福島も会場の一部となる東京オリンピックにも響く、というわけで、国としては、何かしているポーズを取りたいのでしょうね。かといって、根本的な解決法があるわけではないので、結局はいつもの通り、ツケは全国の住民にコッソリ回して、汚染をバラまいて薄めてしまえ、というのが、いかにもニッポン政府です。大きな問題は見ない、目先の問題は、ゴマかし、すり替え、先送り、自分たちが退職金をもらうまでボロがでなければ、その後は悠々自適の海外移住、後は野となれ山桜、絆だ、トモダチだ、ニッポンチャチャチャ、欲しがりません勝つまでは、と日本人の思いやりと和を尊ぶ心に付け込んで、結局はオノレがためという政府、さすがは民主制官僚独裁国家、ちゅーことですな。

この放射能廃棄物の再利用する今回の基準がいかにキチガイじみていかは、10年前の原子力安全委員会などでの文書から明らかかと思います。是非、下の署名サイトからリンクを見てみてください。一部、抜粋します。

そもそも3・11以前から今に至るまで、原発施設などから発生する100ベクレル/kg以上のものは、「低レベル放射性廃棄物」として、厳重に管理・処分されてきた。今回の「8,000ベクレル/kg以下、再利用しちゃえ」基準は、2011年時に、「非常時だから8,000Bq/kgを通常のゴミと同様に処分してしまえ」という環境省の方針を、さらに。緩めたものだ。

100 Bq/kgと8,000 Bq/kgの二つの基準の違いについて (環境省廃棄物、リサイクル対策部)(PDF)
廃棄物に含まれる放射性セシウムについて、100Bq/kg と 8,000Bq/kg の二つ の基準の違いについて説明します。
ひとことで言えば、100Bq/kg は「廃棄物を安全に再利用できる基準」であり、 8,000Bq/kg は「廃棄物を安全に処理するための基準」です。 

原子炉等規制法第61条の2第4項に規定する規則では、再生利用の基準は放射性セシウムについて100ベクレル/kg以下となっている。これは、原子炉施設のクリアランス・レベル(これ以下は放射性廃棄物として扱わなくてもよいというレベル)については、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会廃棄物安全小委員会において、2004年(平成16年)に報告書を取りまとめ、2005年(平成17年)に原子炉等規制法を改正し、クリアランス制度を導入した。これだって、相当「甘い!」という批判があった。、、、


それにしても、1キロ5000- 8000ベクレルと言うレベルは、放射性同位元素を使って実験している人間からすれば、強烈な量の放射能です。それを道路などに何万トンというレベルで使うのでしょう。これからは、どこに行くにもガイガーカウンターが必要になりそうです。

オンライン反対署名

緊急署名 放射性廃棄物を含んだ除染土を公共事業で利用する方針の撤回を

もう一つ、福島でのオリンピック競技に反対する署名活動も行われているようです。

No Olympics or Paralympics in Radioactive Fukushima!
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xxとカネ

2016-06-10 | Weblog
資本主義の世の中、つまり現在ならカネですね、カネのために働き、カネを使って人をコントロールし、カネのためには(他人の)命や地球環境の犠牲もやむを得ぬ、そういう考えの人間が、国のトップにいるというのは不幸なことです。(そうでなかった例は少ないかもしれませんけど)ウルグアイのムヒカ大統領の話が、人々の心を打つのも、そういうカネ第一主義の政治家しか見当たらないという理由かもしれません。

ま、それはともかく、資本主義の原理で動く社会に大勢の人々が生活しているのだから、そこで生きて行くためには、好きキライは置いておいて、「結局、世の中カネよ」という理屈で社会は動いているという現実は受け止めて、それに対処していくしかありません。アカデミアも例外ではありません。

先日、医学部の学生さんとたまたま話をする機会がありました。休みを利用して体験した基礎研究が楽しかったようで、目をキラキラさせながら、「医学研究をしたいので、卒後に海外の大学院に進みたいです」という話をするので、どう反応すべきか、しばらく沈黙してしまいました。
 初対面の人だし、本来、研究の夢を語り、研究で生きて行くのは大変なこともあるけれど報われることもあるよ、みたいな話をすべきだったのでしょうが、結局は、つい、「へへへ、旦那、地獄の沙汰もカネ次第でっせ」みたいな話をしてしまい、すっかり鼻白ませてしまいました。本音はそのような現実の中で、カネではないところを目指して頑張りましょう、と言いたかったのですけど。

少なくともアメリカでは、アカデミアで研究で成功できるかどうかは、どれだけカネを取ってこれるかに依存し、それによってポジションも昇進も決まると言ってよいのではないかと思います。研究者に論文や仕事のインパクトが求められるのは、突き詰めれば、インパクトのある仕事を出せば研究費を取れる確率が上がるからに他なりません。研究費がなければ研究もできないし、研究費を取れないと、研究費についてくる間接経費を当てにしている大学やその雇用者の生活にも響きます。すると仕事は出ない、インフラは劣化する、人も雇えない、仕事がでないからカネも当たらないという負のスパイラルに落ち込むというワケです。

それで、その医学部の学生さんには、とりあえず学生時代には良い成績を取っておくこと、良い師を求めること、奨学金には積極的に応募すること、などを伝えました。私が若いときに、そうしたことに真面目に取り組まなかったことを今になって後悔しているからです。私、大学の専門の勉強は嫌いではなかったのですが、試験に関しては通ればよいとしか考えていなかったので、卒後随分してから、自分の成績表を取り寄せてみて、あまりの出来の悪さに我ながら情けなくなりました。試験はよい成績でパスしておかないと奨学金を取れる確率が減ります。奨学金が取れないと、一流の研究室の一流の師のもとで研究をするという機会を得ることが困難になり、したがって、インパクトのある論文を出せる確率が低くなり、よい論文が出せないと独立してやりたい研究をするためのポジションや資金を得る確率が低くなります。やはり、二流の施設の二流のラボから一流の仕事を出すのはなかなか困難です。

ま、そうやってゴールを設定してその達成のためにひたすら頑張るという人生が幸せかどうかは別問題です。しかし現実問題として、やりたい研究をやるためには、背水の陣で文字通り生き残りをかけてやってくる世界中の研究者とポジションとカネを奪い合うという競争に勝ち残らねばならない、という現実は急には変わりません。研究をやりたいからと、独身を選んだ有名ステムセル研究者の例もあります。それだけの献身と情熱を払ったからこそ彼女の成功があると思います。
しかし、私は、カネとポジションは奪い合うのではなく、回しあう方が、長期的にはプラスだろうと思っているのですが。

とりあえずは、まずは先立つものがあってこそ、研究も学問も物好きの暇つぶしと言ってしまえば、道楽にカネがかかるのは当たり前の話ではあるのですが。
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カシアス クレイの肖像

2016-06-07 | Weblog

東京都知事、サンドバッグになっていますが、「クレヨンしんちゃん」の本を必要経費で買ったなどというみみっちい話がトップ記事のタイトルになるのは、やはり異常だと思います。私、この人も前の不祥事で辞めた都知事もその前の自称文豪の人も、ついでに号泣議員も全員気に入りませんが、どうも後ろ足で砂をかけた自民党にも余り好かれていないこの人が血祭りにあげられているのは理由がありそうです。自民党にとって、突っ込まれると政権運営と次の選挙に影響が出るもっと大きな不祥事への注目を反らせたいからではないでしょうか。
 ど真ん中ストライクの真っ黒の案件で、久々に特捜も汚名挽回のチャンスとなるはずであった元大臣の収賄事件のことです。蓋を開けてみれば「不起訴」の大茶番、呆れ返った人も多かったでしょう。どうも小沢氏の事件の黒幕とも言われた法務省の誰かさんがもみ消したという話。さすがは、官僚と政権与党、越後屋と悪代官、水心あれば魚心。コッチはもみ消し、代わりに東京都知事の事件を煽って、目くらましということですな。東京都知事、目くらましに使われて多少気の毒な気もしないではありませんが、やっぱり自業自得ですね。

さて、話変わって、先週末、モハメド アリが死去とのニュース。
私の子供のころにアリはすでに伝説で、蝶のように舞い、蜂のように刺す、その華麗なる一撃は、榎本美恵子さんにも真似されるほどでした。
アリの全盛期の試合は私はリアルタイムで見ていたわけではありませんが、その活躍ぶりは何度もマンガや映画の題材となっています。
ヘビー級ボクシングで、実際に覚えているのは全盛期のマイク タイソンのブームですね。確かその後ぐらいに、すでに腹が出ていたジョージフォアマンが40過ぎてカムバックし、復帰後いきなり30数連勝を重ねているのをTVでみて、その化け物ぶりに驚いたことを覚えています。タイソンやアリのスピードではなく、フォアマンは重戦車のように相手を薙ぎ倒すスタイルでヘビー級ボクシングならではの醍醐味でした。そのフォアマンに最初に引導を渡したアリの試合を見たくなって、キンシャサの奇跡と呼ばれる伝説の試合を見てみました。重戦車フォアマンのパンチをガードで交わしつつ、相手の体力の消耗を待って、蜂の一刺し。アリの戦略がちですね。

アリは、リング外での活動も注目を浴びました。私は、反戦運動、人種差別撤廃運動、人道主義的活動や、引退後にテレビで見せるユーモアに富んだ話などの方をよく覚えています。ボクシングの後遺症と思われるパーキンソン症を発症したのは不運でした。しかし、パーキンソンのせいか表情を変えずに放つジョークに磨きがかかり、その人間的な魅力は多くの人に愛されました。

調べてみると、アリのプロでの成績は、56勝5敗で、このうち37勝がノックアウト勝ち、一方、フォアマンは、81戦76勝5敗、68ノックアウト勝ち、二人とも化け物ですな。

アリの名言集を見つけました。

チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。

肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める。

他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。

私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。

私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい。

私の一番つらかった戦いは、最初の妻とのものだ。



アリの死に際して、フォアマンは、「大切な一部が逝ってしまった」とコメント。
ちょっと、さびしいですね。
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