百醜千拙草

何とかやっています

ヒューマニズムの退行

2017-01-20 | Weblog
難民の受け入れに寛容だったドイツのメルケル政権、先月のチュニジア人によるベルリンのテロ事件を受け、「テロを起こす危険があるとみなした人物の足首に衛星利用測位システム(GPS)付き「電子足輪」を装着するなどのテロ対策をまとめ、法改正に乗り出した」とのニュース。どうも、イスラム過激派を念頭に置いているようです。

「テロを起こす危険があるとみなす」とは、誰がどの基準で判断するのかという点が、最も危うい問題であり、先日のアベ政権の、罪の計画段階で処罰可能とする、いわゆる「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を20日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた、という動きを思い出させます。

いずれも、権力を持っている者次第によって、容易に暴走する可能性のある法案です。

確かに イデオロギーと現実とをうまくすり合わせられない人々は危険です。オウム事件やそれよりさらに前の日本赤軍とか活動家の内ゲバ事件とかを思い出すまでもなく、人並み以上の知能を持つ人間が、他人や自分自らから洗脳状態に入って、異常な視野狭窄を起こしているわけです。ま、一種の精神病と言ってもいいでしょう。こう言う人々は少数なわけで、世界最大の宗教であるイスラム教教徒のほとんどは、普通の人ですから、どうやって、危険な人間をより分けて、監視し、場合によっては権力で拘束するか、という点にambiguityが許されるのであれば、これは一挙に人権問題となり、ひいては現実的に民主主義を破壊することにつながるだろう、とは多くの人々の危惧するところでしょう。

イデオロギーに「狂った」人も危険ですが、イデオロギーがない人間も困りものです。トランプのことです。イデオロギーがないというのは正確ではないかもしれません。彼もイデオロギーらしいものは持っているかもしれませんが、それはおそらく、自分が一番で、儲かることは絶対的に良いことだ、というような幼稚極まりないものでしょう。

いずれにせよ、間も無く始まる彼の政権は、始まる前から大荒れです。マトモに国家の運営などできないことは遠からず明らかになり、彼に投票した人々を絶望させることになるであろうと予想されます。すでに40名近い議員が、大統領のinarguration ceremonyへの出席をボイコットすると表明しており、数多くの有名アーティストはセレモニーでのパフォーマンスの招待を拒否し、当日から、人権保護団体は、トランプのマイノリティーへの政策に反対するデモを行う予定にしており、数日前には、テレビ番組で以前に性的嫌がらせを受けた女性がトランプに対してクラス訴訟を起こしています。次のモニカ ルウィンスキーになる候補者には事欠かないようです。

これらのニュースはバラバラのように見えますが、共通項として、人が人を思いやり、他人の権利を尊重するという、戦争の世紀から痛い思いをして学んだ教訓から逆行していく傾向を示していると思います。「自分さえよければ良い」という考えがヨーロッパ、それからアメリカの帝国主義を生み、世界を陰惨なものしてきたのではなかったのですかね。殺し合いの20世紀から、人類は、多少賢くなって、ケンカをしないで憎しみ合わないで生きていく方がより効率的で人間的であることを学んだのではなかったのですかね。トランプ現象が、前人間時代の断末魔の悪あがきであってほしいと思います。
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訪れる終わり

2017-01-17 | Weblog
週末、ポスドク時代の知り合いが亡くなったという知らせを受けました。多分最後に会ったのは10年ぐらいは前の学会だったように思います。病気になってからウェッブサイトで病状報告をしていたようですが知りませんでした。地方大学で教鞭をとっていましたが、そのウェブサイトの記録によると、最初に腹痛で見つかってから、わずか5ヶ月ほど、亡くなる一月前まではまずまずだったようですが、化学療法を試してから急激に悪くなったようです。

その記録を読んでいると、彼の口調が蘇ってきて、なんとも言えない感情が湧きあがってきます。映画のシーンのように昔のことが思い浮かびます。そして、映画が終わった後、知らぬ間に観客が去って行って、ふと自分だけが取り残されていることに気づく、そんな感覚を覚えるのです。映画は終わったけど、みんなはもういない、一体、自分はこの後、どうすればいいのだろう、そんな途方にくれたような気分になります。
自然と「善き者は逝く」とつぶやいていました。

一緒に研究室で過ごした日々が昨日のことのようです。あれから十数年が経ったのだ、もう自分も含めて何があってもおかしくない時期に来ているのだとあらためて思いました。

忘れたころや予期しない時にこそ、物事の終わりはふと訪れるのかも知れません。私は死ぬ時は跡を残さずにすっと去りたいものだと思います。そのために、この数年来、そろそろ終わり方を考えよう(でもまだいいか)と、折に触れては思いついては先延ばしにしてきたことですが、今年のグラントが落ち着いたら、ジックリ取り組むか、と思いました。
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今日はいい日

2017-01-13 | Weblog
研究計画が行き詰まり、あれこれとまとまらずに、計画書が一行も書けないという日々が続いています。仕方がないので、周辺作業の図を描いたり、イントロの使う論文を漁ったり、そんなことをしている間に、1日が暮れてしまいます。そういう時に限って、他のところにも問題が出てきたり、雑用がやってきたりして、焦りに拍車がかかるものですが、やはり、気持ちに余裕がないのはダメですね。

それで、うまくいかないことがあった時には、「今日はいい日だ」と言うようにしております。そう言うと、その言葉を正当化しようとして脳が何かいいところを探し出そうとするのだそうです。いいことに注意を向けて、うまくいかなかったという事実からネガティブな感情を生み出すのを予防する効果があるということです。

斎藤一人さんは、いいことがある時には、「いやーな感じ」がするのだそうです。いやーな感じがあった時、「今日はいいことありそうだ」と言うのだそうです。そうするといいことが起こる。

物事には、アプリオリにいいことや悪いことが存在しているわけではなく、良い悪いを判断しているのは実は私たちです。望まないことが起きた時には、私たちはそれを悪いことだと単純に反応し「悪いこと」というラベルを貼ってしいまいがちです。その反射的な作業を意図的に止めて、望ましくないと見えることの中に、もしも良いことがあるとすれば、それは何だろうか、と考えてみることは有効だと思います。よく考えてみれば、一見悪く見えることの中にも一つや二つの良いことは発見できます。仮にその時に発見できなくても、十年経ってからその意味が理解出来るようなこともありますから、少なくとも、物事を「悪いこと」と即時に判断するのを保留するようにするのが良さそうです。

思うようにいかなかった出来事に悪いことが起こったと反応して、自分の機嫌を悪くすることは、少なくとも私にとっては大変有害です。

そんなことを、ますます酷くなるトランプの言動を聞いて思いました。この品性と良識と誠実さに欠ける傲慢で幼稚な俗物王が、民主主義国家を引っ張っていくリーダーに最もふさわしくない一人であるのは間違いありません。そんな人が世界最強の軍隊を持つ国家の元首ですから、これは良識を尊ぶ人々にとっては、間違いなく悪い事でしょう。

ただ、始まりがあれば終わりがあります。限界に達した近代資本主義が、核反応のような強烈な連鎖反応によって、暴力的に終わるしかないのであれば、その時にどんな大統領がふさわしいのだろうか、と考えてみました。そう思うと、この時期にトランプが大統領をやるのも必然の成り行きなのではないかとも思えます。

ゴルバチョフのペレストロイカの後、ソ連が崩壊しました。ソ連の崩壊は、ゴルバチョフが引き起こしたのではなく、それは必然であっただろうと今ではなんとなく思います。アメリカは国家として崩壊しないかも知れませんが、その金融システムは崩壊するするかも知れません。遅くともその時にトランプは退場することになるでしょう。中国も同様でしょう。中国政府が規制をし始めたようですが、それまで中国人がビットコインを大量に買い漁っているという話を聞きました。アメリカ経済の崩壊は、即、世界経済の崩壊につながります。中国富裕層はそれを見越しているのかもしれません。

それはともかく、
昨日は過ぎ、明日は来ず、今日しかない1日は、何があってもいい日です。
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言論弾圧

2017-01-10 | Weblog
アベ氏も属するという右翼カルト集団「日本会議」。ベストセラーの「日本会議の研究」の出版さして止めという異常な判決に、言論弾圧と批判。

東京新聞から。
ベストセラー「日本会議の研究」 異例の出版差し止め決定

 ベストセラーの新書「日本会議の研究」によって名誉を傷つけられたとして、書籍内に登場する千葉県の七十代男性が、出版元の扶桑社に出版差し止めを求めた仮処分で、東京地裁(関述之(のぶゆき)裁判長)は六日、「真実でない部分があり損害も著しい」と判断し、差し止めを命じる決定をした。
 扶桑社によると、昨年春からの発行部数は約十五万三千部。裁判所がベストセラーの出版を差し止めるのは異例だ
 書籍では、保守系団体の日本会議と宗教法人「生長の家」の関係を記載。生長の家幹部だった男性は、六カ所について真実ではないとして仮処分を申し立てていた。、、、、、
 書籍は日本会議の成り立ちを探った上で、安倍政権による改憲に向けた動きを批判する内容。各書店でベストセラーランキングの上位に入った。、、、
 「日本会議の研究」著者の菅野完さんは六日の東京地裁決定後、取材に「、、、本件は言論弾圧の一環と言わざるを得ない」とコメントした。
<日本会議> 保守系団体の「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」を統合し、1997年5月に設立された民間団体。「皇室崇敬」や「新憲法の創造」を掲げ、近年は夫婦別姓反対や外国人参政権反対などを訴える。、、、


日経新聞では、その詳細について次のように報じています。

決定によると、書籍では、宗教団体の活動の中で自殺者が出たと記載。宗教団体の幹部だった男性は自殺者が出たことについて「馬耳東風であった」と描かれていた。決定理由で関裁判長は、自殺者が出たことを裏付ける客観的な資料が存在せず、一部の取材対象者は伝聞を述べているにすぎないなどと指摘。著者が男性に対して直接の取材も行っていないことなどから「真実でないと言わざるを得ない」とした。


うーむ、微妙ですね。ベストセラーであるからその影響力を考えて、差しとめの判決になっただけかもしれませんが、昨今の強権的アベ政権と行政に牛耳られる司法を見ていると(先の沖縄県と国との裁判など)、言論弾圧の意図があった可能性は大きいと思います。出版差し止めというのは異例の判決のようですから。日本では、政権に有利な判決を出す、所謂「ヒラメ裁判官」が多いのは、日本の裁判官は最高裁総務局を頂点とする司法官僚に給与と昇進と転勤人事で管理されており、最高裁判事の人事権は時の内閣が握っているという(司法が現実的には行政の下に置かれている)事情があるからのようです。この判決が政権批判を含んだ本であったために、政権の意図を「忖度」したヒラメの判決だ、との批判が出るのでしょう。

だいたい、新聞でさえ世論誘導のためにウソを垂れ流して後で小さな訂正記事で終わらせたり、週刊誌が売らんがために信用度ゼロの記事を書き散らしたりしているわけで、今やPost-truth時代、ウソでもインチキでも売れれば勝ちというご時世なのに、「日本会議」と政権批判の本には厳しい判決ですな。

もう一つ。
政府は5日、犯罪の計画段階で処罰可能とする、いわゆる「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を20日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた、というニュース。
 犯罪も犯していないのに計画段階で処罰とは、怖い世の中になったものです。中世の魔女狩りを思い出させます。犯罪の事実もないのに「犯罪の準備段階である」ことを判断するのは誰か、権力を持っている連中でしょう。つまり、やりたい放題。これも言論弾圧の一環といえるでしょう。法案成立の際は、憲法を無視して独裁国家を作り戦争犯罪を計画している危険なアベ政権に、まず第一にこの法案を適用してもらいたいものです。
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世のため、人のため

2017-01-06 | Weblog
ちょっと前に再会した昔の友人と色々話をした中で、印象に残った話。

私の研究室は超零細で、人を公募したことはありません。私のところに来たいという人は、たいてい私の研究に興味があるというよりは別のところに本来の目的がある場合が多いので、こちらの要望とアチラのプランをすり合わせることができるかどうかという物理的レベルの交渉して、条件が合えば一緒にやるという感じです。しかし、彼の研究室は、若手研究者やポスドクから応募が多数あるようです。それで面接の時は、なぜ彼の研究室を選んだのか、という当然の質問をするそうです。

彼自身は基礎研究者なのですが、関連した珍しい難病を扱っており、彼自身がその病気のadvocateとして活躍しテレビにも出たりしたこともあるので、そんな活動を見て応募してくる人も多いようです。それで、インタビューでは、なぜ彼の研究室に来たいのか、という質問に対して、「苦しんでいる患者さんの役に立ちたい」というような趣旨の回答をする人が少なからずいるのだそうです。

興味深いことに、「患者さんのために」研究すると答えた人のただの一人も長続きした試しがないのだそうです。

誰かのために働くためには、そのことによって自分にも何らかのメリットがなければ長続きしないのだろう、と思いました。誰でも自分が一番です(人間だもの)。その本音のところを見つめずに、「誰かのために」と言う人は、その建前のところで思考が終わってしまうのではないでしょうか。誰かのために一生懸命やれば、(自然と)自分も報われるだろう、と根拠なく想像してしまい、具体的にどう報われたいのか、自分が目指すゴールはどこなのか、ということを突き詰めて考えないのではないでしょうか。

あるいは、「誰かのために」という大義を全面に出す人は、己の本音を言わなくて済むと思っているのかも知れません。

そういえば、「復興支援」で福島に赴任した人が給料を不当に下げられたことを理由に福島を去ったという話を聞きました。給料が理由で辞めるのなら、「復興支援」という大義を前に出さなくてもいいのにな、と思った記憶があります。

人のため(為)と書くと「偽」になる、と斎藤一人さんの言葉を思い出しました。

などと、エラそうなことを言いましたが、若いときの私は典型的な何も考えていない人間でした。とにかく一生懸命やれば、結果は(自然と)ついてきて、自分も含めてみんなハッピーになるだろうと根拠もなく思っておりました。当たり前ですが、具体的に目指すものがなければ、いくら必死で漕いでも目的地に到達しませんね。また、そのその目指すものに正直でなければ長続きしないのだろうと思います。まずは自分の自己実現、その手段として「誰かの役に立つ」ことをしたいと欲求もあるのだろうと想像します。誰かの役に立ったが、利用されて騙されたのでは、満足しないでしょう。人の役に立ちたいというのも、突き詰めれば、結局はエゴの表れ、トランプが大統領になりたいとかアベ氏が首相を続投したいとかいうのと大差なさそうです。(他者への貢献を考えているだけ、彼らよりはマシですが)

ま、最近は、もう大義も自己実現も目的地に到着するということもそんなに重要ではないと思うようになりましたので、私も人の役に立ちたいとか、意義のある貢献をしたいとかの欲求は随分なくなくなりました。

こだわりなく流れのまま、雨に打たれては冷たいと言い、風に吹かれては寒いと言い、みんなにデクノボーと言われるが、別に苦にもされない、そういう者に私はなれればいいな、と思います。
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今年もよろしくお願いします

2017-01-03 | Weblog
あけましておめでとうございます。

相田みつをさんの話で知りましたが、正月の「正」という漢字は「止」ヘンなのだそうです。「一」に「止」と書いて「正」。「一」すなわち「原点」に止まること、自分の原点に立ち返ること。正月は原点に立ち返る月ということなのだそうです。

研究者としての自分の原点とは何だろうかと考えてみました。それは新しいものを見つけ出すことの喜びだろうと思いました。多くの実験は意味のある結果を得ることなく終わりますが、それでも失敗の実験からも学ぶところがあり、知る喜びがあります。そんな小さな喜びがあるおかげでここまで何とか来ました。そんな地道な実験を繰り返して得た失敗や小さな成功が、研究者という畑を耕すと私は思います。よく耕された畑に種が蒔かれ、地道に世話をする苦労を経て、実は実るのだろう、そんなことを思いました。

とはいうものの、人間ですから、研究者の原点以前に、社会的動物としての原点、自分や家族の生存に必要な資源を確保し喰っていかねばならぬ、というものが付きまといます。残念ながら、研究の喜びは、社会動物としての原点とは直接リンクはしていません。

というわけで、この半年ほど、二ヶ月後に締め切りのグラントのことばかりを考えていました。グラントは生存のための原点であり、研究費を獲得するということが最終ゴールです。研究のゴールは、そうして得た研究費を使って、価値ある成果を出すことですから、グラントと研究のゴールは全く別です。グラントのゴールを達成するには、レビューアの興味と興奮を惹起して、敵ではなく味方になってもらうことが必要だと思います。それをロジックとレトリックで達成するゲームといえるでしょう。映画で言えば、インパクトのある予告編とその期待を裏切らず、読み進めるほどに期待が上昇していくようにうまく構成された本編が要求されます。何れにしても、研究の原点とはほどんど無関係な活動と言えるでしょう。

グラントのことばかりを考えすぎると、視野狭窄になって研究の原点に立ち返ることを忘れてしまいがちになります。それで、迫る締め切りのことはとにかく置いておいて、研究費がもらえたつもりになって、その準備に向けて、共同研究者を探し、できる範囲で実験をやっています。そうして出たデータをグラントに使うという目的もありますが、何より、実験をやって結果を見て、何らかのデータが出て、そのデータの解釈を色々と考えるというプロセスは、グラント書きのような作文とは全く別のTangibleな喜びを与えてくれます。そのデータや実験でどれぐらい自分は興奮できるのかを確かめたいのです。私の場合、自分が心から興奮できなければ良いグラントは書けないです。

日々ウジウジとやっている間にちょっとずつアイデアと現実が連動し出したような感覚が出てきました。これがもう少しはっきりしてくれば、グラントも書けると思います。

本年もよろしくお願いします。
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沖縄の戦い

2016-12-30 | Weblog
政府、辺野古工事を再開 沖縄反発、断固阻止と知事。
辺野古工事を再開 沖縄知事「絶対に造らせない」

工事再開に先立ち、翁長知事は二十七日午前、首相官邸で菅義偉官房長官と会い、再開前の事前協議を要請。菅氏は「わが国は法治国家で(辺野古移設を巡る)確定判決の趣旨に従って工事を進める」と拒否した。、、、
 翁長知事は工事再開後、東京都内で記者団に、県民の怒りと悲しみは非常に大きいと指摘。「そう簡単に物事は進まない」と述べ、政府の思い通りにはさせないと強調した。、、、沖縄平和運動センターの大城悟事務局長(53)は「県民だけでなく知事の声にも耳を傾けない。強硬姿勢が改めてはっきりした」と批判した。
 「国はやりたい放題だ」と憤るのは、第二次普天間爆音訴訟の原告団長島田善次さん(76)。「辺野古に基地ができれば、子や孫の世代にまで基地負担が残る。止める以外にない。正念場だ」とつぶやき、口を真一文字に結んだ。


トランプ会談で怒りを買ったオバマ政権へのゴマすりで真珠湾訪問したアベ氏のスピーチが、また国内とくに沖縄の人々の怒りを買っています。

首相の真珠湾慰霊 国内から注文「これで和解成立でない」

演説を聞いた国内の戦争被害者や在日米軍基地が集中する沖縄出身者からは「言葉よりも行動を」「まずアジアへの謝罪を」という厳しい声が上がった。「安倍首相は日米関係を希望の同盟と強調したが、沖縄にとっては絶望の同盟になりつつある。沖縄が置き去りにされていると実感した」、、、首相は「(日米は)共通の価値のもと信頼を育てた」と語った。元山さんは「日米が共通して持っているはずの民主主義や地方自治の価値観をないがしろにして、沖縄に米軍基地の負担が押し付けられているのに」と違和感を覚えた。、、、、首相は「和解」を強調したが「私たちは原爆被害者として政権に対して『和解』は求めていない。軽々しく和解という言葉を使ってほしくない。言葉よりも、その後の行動が大事だ」と語った。


また同紙、社説では、

首相の演説は、かつて激しい戦火を交えた両国が「歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国」になった意義を強調することに重きが置かれ、反省や謝罪の言葉はなかった。、、、、戦後七十年の安倍談話でも、戦後五十年の村山談話や戦後六十年の小泉談話に盛り込まれた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」の文言を使っている。、、、¥不戦の誓いが、先の大戦に対する痛切な反省に基づいているのなら、こうした言葉にも言及すべきではなかったか。さらに、真珠湾攻撃は日米戦争の戦端ではあるが、三一年の満州事変に始まる「十五年戦争」の一部にすぎない。日米開戦時点ですでに中国大陸への侵攻は続いており、真珠湾攻撃と同日にはアジア・太平洋各地域への攻撃を始めている。日本が真に和解すべきは、安全保障や経済ですでに深い関係がある米国ではなく、中国をはじめとするアジア諸国だろう

と当然の意見。反省も不戦の誓いも口先だけで、本音は別です。

一方、お抱え新聞、産経は3ページにもわたる提灯記事。
寛容の価値を世界に すぐに歴史問題を振りかざす中韓にも理解を迫る

中国は日本の戦争被害者であり、戦勝国、日本はアベ氏も含む歴代首相が、侵略戦争であったと反省と謝罪の談話を発表してきています。その加害者が、被害者に向かって、「寛容の価値を解いて、理解を迫る」のはスジが違うというものでしょう。

読むのもアホらしい記事ですが、そこに引かれている聞き捨てならないアベ氏のセリフ。

「これで戦後は完全に終わりになるかな。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない」


日本が日米地位協定で植民地状態にずっと置かれていて、そのツケのほとんどを沖縄一県に押し付けていることを何と考えているのか。独立国の首長のはずなのに、オバマとトランプの機嫌取りに東奔西走させられているのをどう思っているのか。国際社会の誰かも相手にされていない理由をちょっとでも考えてみたことがあるのか。
その勘違いの激しさに沖縄の人々ならずもはあきれ返っています。

戦後ではなく、沖縄ではまだ戦時中です。戦後が終わるどころか、戦争そのものが継続中だと見る方が妥当でしょう。

民主主義によってトランプ選ばれてアメリカが二つに分裂してしまったり、ヒトラーが選ばれて民主主義が独裁制を支持してしまったり、と民主主義が国民の利益と逆方向に働いてしまうことはしばしばあります。社会の構成人員の多数が必ずしも成熟した判断能力や同様の価値観を持つわけではないですから。しかし、民主主義は最善ではないが他の政治形態よりはマシである、というチャーチルの言葉には同意します。

問題は、民主主義の精神に基づいて政治を行おうを考えている政治家や官僚が国家中枢に極めて稀だということでしょう。自民党やその他の議員の多くは、民主主義というのは権力を手に入れるための方便だとしか考えていないようですし、アベ政権の強権的で雑な政権運営は、民主主義だから選挙で勝って多数を占めれば好き勝ってやっても良いのだと思っているようです。

しかし、民主主義は文字どおり、国民一人一人が主権者であり、政治家はその権利を託されているにすぎないという建前です。国家権力を嵩に着て一部の国民に不利益を押し付けるようなイジメが平気でできるアベ政権は、一刻も早く消えてもらわねばなりません。

沖縄県の人々が日本国民として他の国民と同様の権利が保障されるようにすることは民主主義、立憲主義の立場をとる人々にとって当然の願いです。辺野古の自然を破壊した上で、そこに強制的に米軍基地を新設して沖縄を恒久的にアメリカ植民地にしようとする日本政府は、沖縄県の主権者の意思を踏みにじり、憲法と民主主義を否定するものです。そして放置しておくと、同じことが本土の我が身にもふりかかってくるでしょう。

この戦いは県と国と対立ではなく、民主主義とファシズムとの戦いです。国家権力を使って、己の利益のために弱いものを利用して負担を押し付けようとする人間が政府中枢にいる限り、沖縄に起こっていることと同じことは本土の人間にも起きます(事実、起きています)。沖縄と国との戦いにおいて、我々や子孫の将来を考えれば、どちらを応援し、どちらが勝利しないといけないのかは、一般国民にとっては、考えるまでもないと思うのです。
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ランニングのおともに

2016-12-27 | Weblog
ここ数年運動らしい運動はしなくなり、体力の低下を感じることが増えました。日常生活に問題はないので気にしていなかったのですが、血圧が高い目になったり意欲が減退したりと、他自覚症状も出始めて、さすがにここで血管障害でも起こって寝たきりになるわけにもいかぬと、職場近所のジムに通い始めました。昔からジムはエネルギーの無駄遣いだとバカにしていましたが、自分がやるようになるとは、とトホホな気分です。今のところ、週に二回ほど走っています。血圧は多少下がり、食欲も多少増えたような感じで悪くはないのですけど、ジムというのはやはりあまり馴染めない場所ですね。他の運動クラブ、例えばテニスクラブとか、と違って、メンバー同士のコミュニュケーションというものが基本的にないワケで、その辺が長続きしない理由なのかもしれません。それなりの人数が集まっているのに、みんなが黙々とバーベルをあげたり下げたり、機械相手に漕いだり走ったり、なんとなく集団で自慰行為にふけっているような、アヘン窟のような雰囲気があります。

私はストレッチをして、4 -5キロほど走るだけですが、それでも30分ほどはトレッドミルの上にいるわけで、だんだんと退屈になってきました。それで最近は機械についているyoutubeでビデオを聞きながら走ることにしています。
 前回は、Wayne Dyerの講演。話し方がうまいのでランニングの単調さが紛れていいです。残念なことに、昨年の夏に亡くなりました。久しぶりに聞きましたが、やはり話がうまいなあと思います。その中から印象に残った言葉。

キリスト教徒やイスラム教徒や仏教徒として生きるのではなく、キリストやモハメッドやブッダのように生きなさい。

自分の外にあるものをコントロールすることは困難だが、自分の内にあるものならコントロールできる。

自分というものを魂の入った肉体と思わずに、肉体をまとった魂と見てみたらどうだ。

自分がコントロールできないことを心配するのは無駄である。そして、自分がコントロールできることなら心配する必要もない。心配することが人を動けなくするのだ。

最後に着るスーツにはポケットはいらない。

あなたが踊る時、それはフロアのある位置から別に位置へ移動することが目的ではない。一歩、一歩を楽しむためである。

オレンジを絞れば誰が絞ってもオレンジジュースが出てくる。それはオレンジの中にあるものが出てくるからだ。誰かがあなたを絞った時に、怒りや憎しみや悲しみが出てくるとしたら、それらは他ならぬあなたの中から出てきたものである。


なるほど、アベ政権のデタラメぶりを見て怒りが湧いてくるのも、己が因果なのかも知れません。できることをしたならば、それ以上は、愚痴や悪口を言うな、心配するヒマがあれば行動しろ、ということですね。
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深まる対立

2016-12-23 | Weblog
先日の東京新聞から。

辺野古訴訟、県の敗訴が確定 知事は別の権限で阻止へ
、、、(翁長知事は)「新基地を造らせないという公約実現に向け、全力で取り組む。あらゆる手法を用いる」と、別の知事権限を使って工事を阻止する考えを表明した。、、
地方自治法に基づき、国と地方自治体が争う訴訟は、二審制となる。九月の一審は「普天間飛行場の危険除去には辺野古移設以外ない」「国の計画が不合理でなければ知事は尊重すべきだ」などと新基地建設の妥当性や国と地方の役割分担にも踏み込んだが、今回の判決はこうした論点には触れなかった。

この件に関しての社説。
辺野古判決 沖縄の声を聞かぬとは
沖縄の声を聞かずに結論を出すとは…。米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐる最高裁判決は「沖縄敗訴」だった。国と地方は対等という地方自治の精神を踏みにじる判断と言うべきである。
 地方自治とは何だろうか。憲法の条文には、地方公共団体の組織や運営については「地方自治の本旨」に基づき法律で定めるとしている。、、、
 だから、沖縄県側は「民意に反する新基地建設の強行は憲法が保障する地方自治権の侵害だ」と憲法違反を訴え上告していた。
 この観点からすれば、最高裁は大法廷に回付し、十分に審理したうえで、憲法判断に踏み込むべきだったと考える。だが翁長雄志(おながたけし)知事の言い分を聞く弁論さえ開かず、「国の指示に従わないのは不作為で違法」と退けた。、、、別の問題点もある。基地の辺野古移設に伴う海の埋め立て承認が今回の訴訟のテーマだった。つまり前知事による埋め立て承認の判断に違法性がなければ、現知事はそれを取り消すことができないのかというポイントだ。
 選挙という「民意」が現知事の主張を支持すれば、政策を変更できるのは当然ではないか。
 この点について、最高裁は「前知事の承認を審理判断すべきだ」「(現知事が)職権により承認を取り消すことは許されず、違法となる」と述べた。大いに疑問を抱く判断である。
 それでは選挙で民意に問うた意味がなくなってしまうからだ。県民の合意がないまま埋め立てを強行しては「民意より米軍優先」そのものにもなる。
 高裁は「辺野古しかない」と言い切った。その言葉はなくとも、最高裁の思考回路も「辺野古ありき」だったのではなかろうか。


ま、最高裁は「逃げた」のですな。県が希望する弁論さえ認めず、形式的な整合性だけを言い訳に内容を審査しなかったわけです。厳密にやれば、沖縄県に憲法を根拠とした理があることはわかっているし、これまでの沖縄の戦後史から辺野古への移設が将来にどういう意味を持つかを考えれば、政府と米軍がやろうとしていることはxxでもわかります。そこで沖縄側に立った判決を出せば、政府から何をされるかわからない、かといって、正面から真面目にやった挙句に、小学生でもおかしいだろうと思われるような政府寄りの判決文を書くのは辛い、その板挟みとなって、裁判長は「逃げた」のだと思います。そのことによって、沖縄イジメに加担したことは間違いありません。裁判長は逃げれても、沖縄の人々には逃げるところはありません。

関連して、オスプレイの墜落事故、その事故後のあまりにひどい米軍と政府の対応に沖縄県民と知事は激怒。事故後、何の検証も行われないまま、6日目にして、「安全が確認された」と言って飛行を再開し、政府は容認。

東京新聞は、この事件に関した記事を連発して強い抗議姿勢を示しています。
オスプレイの飛行再開 事故6日後、原因究明を後回し 政府追認
、、、沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は「一方的に再開を強行しようとする姿勢は、信頼関係を大きく損ね、到底容認できない」と猛反発した。日本政府は米側の飛行再開を追認している。
、、、
 在沖縄米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官は「安全性と信頼性に米軍は高い自信を持っている。そのことを日本国民が理解することが重要だ」との談話を発表した。、、、
 事故が相次いでいるオスプレイ。二〇一二年には低空飛行訓練ルートを公表したが、いつ、どこで、どのような訓練をしているのか不明な点が多い。、、、航空評論家の青木謙知(よしとも)さんは「事故原因調査の中間報告もなく、再発防止策も定まっていない。完全に米側の都合による飛行再開だ」と指摘する。 

このニコルソンとかいう男が、事故後に逆ギレして、副知事に「人間性を疑う」と評されたアメリカ帝国主義時代の恥ずかしい遺物です。このものの言い様、何様のつもりなのですかね。

オスプレイ再開に与党からも疑問 「事故多すぎる」
、、、共産党の小池晃書記局長も記者会見で「稲田朋美防衛相が『理解できる』と述べたのは、植民地のかいらい政権のようだ」と非難。オスプレイの配備撤回を求めた。
自民沖縄県連が異例の猛抗議 米軍の新型輸送機オスプレイ飛行再開を受け、自民党沖縄県連の照屋守之会長は十九日、那覇市の事務所に防衛省沖縄防衛局の中嶋浩一郎局長を呼び出し「冗談じゃない。(再開を)やめさせろ今から。(安倍晋三)首相に(米側に)電話させて」と激怒した。、、、
 さらに「向こう(米国)の言いなりで許可できるか。県民の理解を得るのが先だ」と安倍政権の対応を強く批判した。

「植民地のかいらい政権」のようだ、との小池書記局長の批判。「ようだ」ではなく、かいらい政権そのものですけどね。

その後、
沖縄県議会は、オスプレイの即時飛行停止とニコルソンの更迭を求める抗議決議を採択。

当たり前ですが、日本も沖縄米軍もトップがアホでは組織が持ちません。

沖縄の翁長知事、「米軍北部訓練場返還式典」に欠席し、オスプレイ抗議集会に出席。米軍基地の返還はヘリパッドの新設とカップルしており、そのヘリパッドをオスプレイが使用することになっています。返還は手放しで喜ぶようなことではなく、むしろより深刻な恒久的米軍の沖縄駐留を目指した県民にとっては迷惑なプランの一部。

オスプレイ 飛行再開、理解できぬという記事では、
 飛行再開を急いだのは、返還式典を前に、オスプレイの飛行を既成事実化するためではないのか。
 オスプレイは陸上自衛隊も十七機導入し、千葉県の陸自木更津駐屯地では普天間に配備された米軍の二十四機の定期整備も始まる。米軍横田基地(東京都)にも米空軍特殊作戦用機が配備される。オスプレイは日本の空を飛び回る。危険にさらされるのはもはや沖縄県だけではない。すべての国民が直視すべき現実である。

とあります。日本が通常価格の5倍の値段で買わされたこの「空飛ぶ恥」の開発費用の回収のためには、日本各地にどんどんと配備してもらわないと困る、というアメリカの要望なのでしょうな。


追記。オスプレイの値段についての誤りの指摘をいただきました。通常価格の5倍という表現は現実を正確に反映したものではないようです。
スプレイの米軍納入価格は1機80億円台です。これは「オスプレイ機体」のみの価格であり、諸経費は入っていません。自衛隊が購入する1機200億円という数字は、教育費や予備(エンジン40基など)の諸経費込みの価格を1機あたりに換算したものです。
とのことです。
5倍の価格は訂正させてください。ご指摘ありがとうございました。


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我輩はカモである

2016-12-20 | Weblog
続壺齋閑話ブログ主さんの記事から。
我輩はカモである:安倍晋三のお人よし外交

プーチンがロシアから鳴り物入りでやってきて、安倍晋三総理の地元長州で会談した。、、、
ひとつだけ確かなのは、日本であれほど事前に期待が高まっていた北方領土問題の解決への動きが、全く進展しなかったということだ。、、、、ロシアの方は、今回の会談を契機にして、北方領土問題は棚上げにしたままで、日本側から巨額の経済協力を引き出したと受け取っているようだ。何のことはない、安倍晋三はプーチンにうまい具合にあしらわれたわけだ。、、、
プーチンへの大判振舞と言い、アメリカのバクチ打ちへの利権供与と言い、もしそれが実現したら、安倍晋三はうまいカモを演じたということになる。マルクス兄弟のドタバタ喜劇映画に「我輩はカモである」というのがあるが、安倍晋三がまさにそのカモに進んでなろうというわけだ。、、、、


因みに、1933年のマルクス兄弟のドタバタ喜劇映画「我輩はカモである」はファシズムを際どく風刺した映画で、イタリアではムッソリーニが上映中止にしたそうです。原題は"Duck soup"。この俗語は日本語での「カモ」とまさに同じ意味です。語源は明らかではないようですが、ちょっと調べてみると、カモは捕まえるのが簡単だ、という日本と同様の説、アラスカエスキモーが作る鴨鍋は鴨を羽さえ毟らずにそのまま鍋で茹でるという「簡単」な料理法であるらしいという噂から来た説、鴨料理の下処理をするためにまず丸ごと茹でる時の茹で汁(dunk soup)から来たという説などがあるようです。

さて、この会談、普通に見れば、どう見ても大失敗にしか見えません。北方領土返還どころか、それはむしろ遠退き、逆に金だけ出さされたように見えます。共同会見の時に、ファーストネームで「ウラディミール」とか「君」とか言って、プーチンを呼んでいたのも、失礼を通り越して気持ち悪かったです。欧米でも年下で格下と思っている人間にファーストネームで呼ばれると、ムッっとする人は大勢います。どうして礼儀ただしくプレジデント プーチンと呼べないのか。親しき中にも礼儀あり、まして親しくもなく、信頼関係もない人間に馴れ馴れしくファーストネームで呼ばれて相手がどう思うか、それぐらいのことはわからんのですかね。プーチンはアベ氏をシンゾーとか君とは呼ばなかったことが、この二人の関係をよく示していると思います。

北方領土に関しては次の記事が詳しくて良かったと思います。
現代ビジネス プーチンにやられた12・15 安倍「北方領土交渉」無残な結末 大山鳴動してネズミ一匹とはこのことか。「2島返還+α」と言っていたのが、いまや「0島返還」。加えて1兆円ものカネをロシアに掠め取られようとしている。「プーチン一本勝ち」の日ロ交渉を追う

領土問題、進展なし、大惨敗の安倍外交(小林よしのり)という記事も見ました。
「私の故郷に招いて話し合う」とか親密ぶりを演出して、「私の代で解決する」とか無責任な期待感を国民に持たせ、まったく意味不明の「新しい制度下で」共同経済活動して3000億円むしり取られることを、「重要な一歩になり得る」なんて堂々と胸を張って述べているのだから、面の皮が厚すぎて滑稽でしかない。、、、


また、ロシア政治学の木村汎氏は、「日本完敗、合意は負の遺産」という東京新聞の記事で次のように述べています。

会談は日本側の完敗だった。平和条約交渉は事実上行われず、同条約に関する声明や文書が出なかったばかりか、四島での「共同経済活動」の協議開始にすら合意してしまった。今後日本は、これらの「負の遺産」をもとにして、対ロ交渉を行わねばならなくなった。
 どうすれば日本の主権を損なわない形で四島での「共同経済活動」が可能になるのか。妙案があるとは思えない。平和条約締結に向けての重要な一歩どころか、むしろマイナス効果を及ぼすことが危惧される。主権の所在はどうでもよいとの気分が醸成され、ロシアの実効支配が強化されるからだ。


一方、ロシアとの外交がウリの鈴木宗男氏は会談を評価

今朝の新聞各社は「領土問題では進展なし」という見方が大方だが、私は平和条約締結に向けての大きな一歩を印したと受け止めている。、、、それは北方四島で日露両国の法的立場を害さず、特別な制度を作り、共同経済活動を行うことを合意したからである。今、ロシアが実効支配している場所で主権問題を棚上げし共同経済活動をするということは平和条約の一部と考える。、、、 安倍総理は過去にとらわれない新しいアプローチ、未来志向で平和条約締結に向けての決意も表明した。、、、安倍総理の政治感、外交手腕を高く評価したい。、、、いずれにせよ安倍総理が一本取った形の「自由往来」、合意であった。、、、確固たる信念と決意を持って平和条約締結に向ける安倍総理の姿勢を大いに評価したい。、、、安倍総理とプーチン大統領の間で必ず平和条約締結が実現するものと確信した、、、、。

極めて薄弱な根拠で成功と断じる上に、このアベ氏へのヨイショぶりは異常と言えるでしょう。平和条約の話が全く進展せず、経済協力だけさせられることを大失態であると評価しているのに、ムネオ氏、まさにその同じ理由で、成功であるといい、アベ氏に異常なヨイショ。これは、民主党として当選したにもかかわらず、支持者を裏切り、議員辞任もせずに自民党へと鞍替えした娘と無関係ではないでしょう。また、前出の木村汎氏を、北方領土問題解決を邪魔して、それを種にメシを食う「北方ビジネス」をする学者であると個人名をあげ、批判しています。

この会談のどこを見れば、アベ総理が一本とったなどと言えるのか、北方領土返還の日ソ共同宣言は60年前の話、それを平和条約の締結後という条件によって60年間引き伸ばされて、その間に実効支配を許したわけで、60年間、平和条約という口実で返さなかったものが、信用もないアベ氏が地元でもてなしたぐらいでどうにかなるはずもなく、逆に平和条約をエサに金を引き出された格好。まさか、ムネオ氏も平和条約が締結されたら自動的に戻ってくると信じているわけでもないでしょうに。

その後、アベ氏自身が、「主権を返すとは書いていないというのが(ロシアの)プーチン大統領の理解だ。その点で日本側と齟齬(そご)がある」と述べ、両首脳間の認識に隔たりがあると認めた。プーチン氏は十六日、首相との共同記者会見で、日ソ共同宣言に触れて「どのような形で(二島を)引き渡すか明確に書いていない」と主張した。

行間を読むまでもなく、アメリカの属国の日本に北方領土を返すつもりはない、というのが見え見えです。返した後に北方領土に米軍のミサイル基地でも設置でもされた日には、ロシアにしてみれば逆キューバ危機ともなりかねませんからね。さて、鈴木ムネオ氏、次はどう言ってアベ氏をヨイショする気なのか。

振り返れば、アメリカの番頭としてアメリカの指示の下でしか動けないアベ氏が、海千山千のロシアと戦後最大の問題である北方領土問題を解決してやろううというのがムリです。領土問題は、サンフランシスコ条約でカタがついているというのがロシアの言い分。冷戦以後、アメリカのアジア出張所として反共の一端を担いでいたいわば敵国の日本です。クリミア問題にもアメリカ側に加担したわけで、プーチンはアベ政権に対してまず信頼がない。日本の外交はソ連とアメリカ、そして中国の力関係に依存しており、日本が独自に行うことは出来ないというのが悲しい現実です。その中で、少しでも国益を守り、国際信用を積み重ねて独自の交渉ができるように力を蓄えるのが日本の外交でしょう。アベ政権がやっている外交とは無いカネをばらまくことです。諸外国は、日本との外交を話あうならアメリカ抜きでは意味がないということはよくわかっていわけで、アベ氏はカネで歓心を買うしかない。自然とカネの切れ目が何とやら、となる。

では、アベ氏は一体何ができたのか、自民党が野党に対して言う「批判するだけでなく対案を出せ」(どうせ出しても強行採決するだけですが)という批判も一理ある。しかし、やらない方がマシ、ということが今の自民党には多すぎるのです。このプーチン会談もそれに近いでしょう。むしろ、引導を渡された感さえあります。実力もないのに一流大を受験して通りますか?実力を蓄え、コツコツと実績を積み重ねて、準備を万全にした上で、お互いの利益を守りつつ落とし所を探る駆け引きという真剣勝負に挑むのではないのですかね。日ソ共同宣言から60年、その間、対米隷属を教義としてきた日本政府です。アメリカの属国と思われているから、いつまでたっても国連の常任理事国にはなれないし、北方領土は返ってこないし、沖縄は苦痛を背負わされる。つまり、実力がないからロシアにも中国にも相手にしてもらえないのではないのですかね。まずは実力を蓄えることでしょう。実力もないのに、成果だけを求めるから、人々の反感を買い、やることなすこと全て上滑りして、失敗を重ねるのではないのでしょうか。

ところで、墜落事故後、6日目にして、沖縄米軍、オスプレイの飛行再開との、沖縄県民の神経を逆撫でするニュース。知事も怒り心頭。それを容認する日本政府、どこを見て政治をしているのか。
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不時着のようで不時着でない、ベンベン

2016-12-16 | Weblog
東京新聞、辺野古訴訟問題の記事。

辺野古訴訟「司法まで沖縄差別」 出身の学生「訴え、なぜ通らない」

沖縄県の米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設に伴う新基地建設を巡る訴訟で、県側が敗訴する見通しとなった十二日、首都圏の沖縄出身者から「司法も沖縄差別に加担するのか」などの怒りの声が上がった。、、、
 沖縄県では二〇一四年十二月の衆院選、今年七月の参院選で辺野古移設に反対する候補が連勝、六月の県議選でも反対派が過半数を占めた。元山さんは「地元の声は重い。国は時間をかけて、もっと聞くべきだ。佐賀県のオスプレイ配備は中止になったのに、なぜ沖縄は地元の声が通らないのか」と語気を強めた。、、、
 「憲法で保障する地方自治の原則はどこに行ったのか」と疑問を投げかける。、、、「福岡高裁那覇支部の判決は国の主張をそのままなぞった判決だった。最高裁には法の番人として、知事の弁論を聞いた上で、公正中立に判断してほしかった」と発言。「政府のみならず司法も沖縄差別に加担するのか」と怒りをにじませた。


悔しいことに、裁判所の判断も行政の圧力次第なのがこの国の現実。アメリカの機嫌取りしかできない霞が関官僚とアベ政権の国家権力を使った陰湿なイジメです。皆が幸せになるために考えるのではなく、自分たちだけが得をするために一部の土地や人間に貧乏クジを押し付ける、それを権力を使ってやるのだから卑怯なことこの上ないです。

そして、その後、沖縄でオスプレイの不時着、「不時着」と書いてありますが、機体は大破し、事実上は「墜落」。このような米軍による事故が沖縄では日常茶飯事です。いつ上空から危険なものが落ちてくるかわからない、傍若無人に振るまう米軍の危険に怯えるような日常です。この剣で沖縄米軍のニコルソン中将は、「沖縄の人々に謝罪する」と述べた、そうですが、東京新聞の記事によると、「、、、しかし会見直前にニコルソン氏と会談した沖縄県の安慶田光男副知事は、直接の謝罪はなかったとし『植民地意識丸出しだ』と強く反発した」とのこと。さらに琉球新報や朝日新聞では以下のようにその詳細を伝えています。

安慶田副知事は面談後、報道陣に対しニコルソン氏が「住宅や県民に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」と抗議に不快感を示したことを明かした、、、。安慶田副知事によると、ニコルソン氏からは「抗議書の中にパイロットに対する気遣いがあってもいい」「政治問題化するのか」などの発言も聞かれ、怒りを示す場面もあったという。抗議に加え、オスプレイの飛行中止と配備撤回を要請した安慶田副知事は「謝罪も全くなかった。抗議文を渡す時も顔色を変えて怒っていた。人間性を疑う」と憤った。、、、、 翁長雄志知事は同日夕、県庁で会見し、「感謝されるべき」との発言について「(これまでも)高圧的な発言が多かった。今回もそういう態度で発言があったと聞いている。米軍と県民の考え方に大きな違いがあり、県民や日本政府の考え方も伝わっていないのではないか」と不快感を示した。

またこの件に関し、翁長知事、稲田防衛相との会談の様子を朝日新聞が次のように伝えています。

「県民が配備に強く反対してきたオスプレイが、事故を起こしたことに対し、怒りを禁じ得ない。ただちの飛行中止と配備撤回を強く要請する」と抗議。在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官が、安慶田(あげだ)光男副知事に対し「むしろ感謝すべきだ」と発言したことについて「占領軍意識そのものだ」と批判した。また22日に予定されている米軍北部訓練場(国頭村(くにがみそん)、東村(ひがしそん))の過半返還についても、オスプレイが使用する着陸帯6カ所が造られることから「重大な事故を起こしたオスプレイが代替施設であるヘリパッドで運用されるのは極めて問題だ」と述べ、同日の国主催の返還式典を中止することを求めた。

翁長知事の心中、沖縄県民の怒り、察するにあまりあります。もし、東京でアメリカ進駐軍の頭の悪そうな連中が事故を起こしてこのような態度を取っても日本政府はヘラヘラ、ニヤニヤといつもの調子で揉み手でご機嫌うかがいするのですかね。何れにしても横田幕府から指令が飛ぶのでしょうが。

この「不時着」については、琉球新報ワシントン特派員による国防研究所(IDA)でオスプレイの主任分析官を務めたレックス・リボロ氏のインたビューでは、「航空機が制御できていた場合、機体の損傷を引き起こさずに水面に着陸できただろう。機体が激しい損傷を受けた事実はその航空機が制御不能であり、航空機を破壊するに十分な力で水面にぶつかったことを示唆している」と述べ、オスプレイが制御不能で墜落したことを強調した。そうです。 

さらに、リボロ氏は「何が(事故)原因であれ、これは明らかに航空機が完全に破壊されたことによる墜落事故だ」とし、米軍が説明する「不時着」ではなく「墜落」と断定した。、、、リボロ氏は在沖米軍トップのニコルソン在沖米四軍調整官が声明で、「県民や乗務員を守るために、意識的に浅瀬に着陸しようとした」と主張したことに対して「この声明は無意味でばかげている」と批判。「キャンプ・シュワブにはビーチがあり、ビーチ全体が緊急時に着陸可能であった。パイロットはどこにいても、墜落するしかなかった。私は問題の機密性を理解しているが、沖縄の人々と誠実に向き合うべきだ」と強調した。

とのこと。つまり、海に「着陸」したという事実そのものが、不時着ではなく「墜落」であったことを証明しているということです。
「墜落」を「不時着」といい直し、「核爆発」を「爆発的事象」と言い、福祉を削って消費税増税することを「社会保障と税一体改革」と呼び、大量に債権を発行して日銀に買い取らせるサラ金地獄をアベノミクスと呼び、植民地契約を日米同盟と言い換える、さすが、「Post-truth」時代です。(話は逸れますが、商業主義に走るNature Publishing Groupの編集方針を見ていると、真実を追求するはずのサイエンスの世界も「Post-truth era」は到来しているのかも知れません。)

米軍が沖縄県民を見る態度にこそむしろ真実が含まれているように思います。植民地の土民という目線で上から見下ろしているのでしょう。要は日本はアメリカの植民地であり、その植民地の番頭を「首相」と呼んでいるわけですから。

オスプレイが欠陥商品であることは前から分かっていたことで、かつて事故の多さから「空飛ぶ恥」とか「未亡人製造機」とか呼ばれたものです。それを日本政府は言い値で大量に買わされ、沖縄のみならず、首都近辺の米軍基地に何十機と配備するのですから、バカですねー。しかし、二度目のオスプレイの沖縄での事故で、これが欠陥機であることしている沖縄の人にとって「やっぱり墜ちた」は他人事ではありません。恐怖です。どうせ墜落するなら官邸にでも「不時着」してもらいたいと思うのは私だけではないでしょう。
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破壊の後

2016-12-13 | Weblog
純文学の故中上健次さんの評論「破壊せよ、とアイラーは言った」という本をずいぶん前に読んだことを思い出しました。アルバート アイラーの名前はジャズファンであれば知っているかもしれませんが、どれだけの人が現時点でこの人の音楽を聴く人がいるのでしょうか。白人の娯楽のダンス音楽であった音楽が、40年代に、チャーリー パーカーやマイルスやガレスピーが現れて、鑑賞音楽となって、モダンジャズが生まれ、独自に発展してきました。パーカーのジャズはたぶん、ナベサダを始め日本のアルトサックス奏者ほとんどのバイブルとなって現在も日本や世界のジャズ音楽のメインストリームに生きています。一方、その後、どんどんとより先鋭的な方向を目指した実験的なジャズは、60年代の終わりに行き着くところまで行って急激に衰退しました。その間30年弱。ジャズは白人文化への抵抗の音楽として発展し、その縛りが取り払われた時、そのコアも失われたのかもしれません。

スケールから外れた音をワザと足すことで生まれるテンション、シンコペーション、和音進行をワザと無視したメロディー、そうした構造からのズレを意図的に導入することで生まれる面白さ、それが鑑賞音楽としてのジャズの味だったと思います。すなわち、既成の構造、常識に対して、反抗する音楽でした。その反抗は意欲的に広げられていきました。メロディー、和音進行、リズムの構造そのものの規制をどんどん外せばどうなるのか、それがフリー ジャズに行き着いたと思います。過去何百年と渡って研究されてきた西洋音楽の構造や理論を「破壊する」、そうすれば、何か新しいものが生まれるはずだ、というワクワク感が、その動機であったでしょう。また、その破壊と新生への期待が、その頃60年代終わりから70年台の社会にも共有されていたのだろうと思います。

この時期は歴史的に非常にユニークだと思います。ヒッピー ムーブメントと重なります。このような運動はそれ以来、起っていません。新しいもの、新しい価値観を作り上げるために、まず、既存の価値観、社会構造を壊そうとしたのだと思います。しかし、破壊することはできても、「作り上げる」ことは容易ではなかった。何百年、何千年と人々が試行錯誤しながら作り上げてきたものには時間の試練を通ってきた強さもあります。破壊することは出来ます。しかし、それをより良いように作り変えることは容易ではない。だから、破壊し尽くした後に何かが生まれると信じたコルトレーンやアイラーは、最後には、彼ら自身を破壊せざるを得なかったのではないのか、と想像したりします。フリー ジャズがその後に何を生み出したのか、構造の破壊と新しい音楽の新生はイコールではない、破壊は破壊にしか過ぎません。そもそも破壊できる「構造」がなければ、破壊は成り立たないし、テーゼのないアンチテーゼは存在しないです。

というような連想をしました。というのは、ドナルド トランプ現象について、次のように語った内田樹さんの言葉を読んだからです。

一握りの巨大多国籍企業や最富裕層に富が集中し、階層分化が極限化していくグローバル資本主義がついに限界に達した。トランプ登場はその断末魔の痙攣みたいなものじゃないですかね。


病んだアメリカの経済システムに翻弄される一般国民の生活、一方で、ごく一部の裕福層は、使いきれないカネを溜め込んでいる、それを見て「破壊せよ」と没落するミドルクラス労働者は言ったのではないでしょうか。トランプは今の苦境を破壊してくれるかも知れない、しかし、ヒラリーでは現状が続くだけだからダメだ、その破壊の後には何かより良いことが起こるかもしれない、そんな期待が反ヒラリー票となってトランプに流れたのでしょう。

しかし、フリージャズやヒッピーの時代とのアナロジーから直感的に思うことは、破壊と新生はカップルしないであろうということです。フリージャズの実験が終わってジャズという音楽ジャンル自体が人気を失っていきました。ヒッピー文化は一時の徒花でした。チャーリー パーカーをコピーする人は今でも大勢いるでしょうが、アイラーやコルトレーンをコピーする人はあまりいないのではないでしょうか。

同じく、現代のグローバル資本主義が壊れて、アメリカが保護主義に走る、そうすると、もはや安い中国製の衣服や商品が手に入らなくなり、物価は上がり、消費は低迷し、よって雇用も増えず、賃金も上がらない、そんな状態になった場合に、最初にシワ寄せを受けるのは、皮肉なことにおそらく他ならぬ地盤沈下したミドルクラスでしょう。つまり、現代アメリカ資本主義の破壊の後に待ち受けているのは、何のプランもなければ、さらなる苦境である可能性が高いと私は思います。

多少関連して、日本では、今年の流行語大賞の一つとして、「保育園落ちた、日本死ね」が選ばれたことに対して、審査員の俵万智さんが「良い言葉ではないが、世の中を動かした。そこには言葉の力があった」と選考理由を自ら説明した、そうです。
これもトランプ現象と類似のものでしょう。社会に対するフラストレーションが、既存の構造を「破壊」しようとする欲求につながる。フラストレーションからくる破壊への欲求が社会全体に広がるということは、既存のシステムの「断末魔の痙攣」を示していると思います。

アイラーは新しいものを創造するために「破壊」しようとしたのに対し、トランプ現象は、もっと切羽詰まっているように思います。一般アメリカ国民の行き場のない怒り、真面目に一生懸命、アメリカン バリューを信じて働いてきた人々が追い詰められた挙句に、破壊を欲求しているのです。新しく価値あるものが生まれることを期待してトランプを支持しているわけではない。とりあえずヒラリーに代表される現代アメリカ資本主義社会を「壊す」、そのために、非常識で政治に無知なトランプは「破壊者」にふさわしいと思ったのではないでしょうか。トランプは壊すことはできるかも知れないが、おそらく、作り出すことはできないでしょう。そのことを国民が実感して、失望するのに半年はかからないのではないか、と私は想像します。断末魔の痙攣の後、みんなが途方にくれることになる、そんな気がします。

つまり、大事なのは破壊の後です。それを考えれば、既存の構造を粘り強く一つ一つ改善していくしかありません。忍耐と長期的計画でサステイナブルな社会に徐々に変わっていくしかないのです。後退戦の愉快な道のりではありません。しかし、その道のりが納得できるように長期的プランを国民に具体的に説明できていれば、彼らがトランプを選ぶ愚を犯すことを防げたかも知れません。民主党がヒラリーではなく、サンダースを候補に担いでいたら、勝っていたかも知れません。

ヒラリーが大統領選勝利を予想して、勝利スピーチで「ガラスの天井(女性の社会進出を妨げている見えない壁)」を破るパフォーマンスをする予定だった、という話を聞いて、私は、失望しました。ま、わかってはいましたが、この人にとっても大統領になりたいのは単なるエゴにしか過ぎないのだなあ、国民の気持ちと随分ズレているのではないか、という感じです。女性が大統領になろうが、ガラスの天井が破られようが、ほとんどの日々の生活を生きているアメリカ一般国民にとってはどうでもいいことででしょう。彼らにとっての重大ごとは目の前の苦しい不安定な生活をなんとかすることです。

ま、ともかく、トランプがアメリカと世界を変えることには間違いなさそうです。ただし、悪い方向に向けてでしょうが。


追記、これを書いている間に、「辺野古訴訟、沖縄県の敗訴確定へ 弁論なし、最高裁20日判決」とのニュースが入ってきました。
最高裁は国に不利な判決は出さないとは言われますが、弁論を認めずに判決言い渡しを発表したやり方は、とにかく工事を急ぎたい政府の意向に沿ったものだろうと思いました。詳細がまだわからないので、現時点ではコメントは控えますが、ニュースを読む限り、読売などの与党の御用新聞は政府の言い分の都合の良い部分だけを報道していて、またムカッとしてしまいました。
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原発事故の後始末

2016-12-09 | Weblog
Science のNewsページで、チェルノブイリの封じ込め建造物が設置されたとの話。
30年前、1986年の4月の原発事故、チェルノブイリ4号機の爆発で、ウクライナの穀倉地帯をはじめとしてヨーロッパ中に放射能がばら撒かれました。ちなみにその直後、日本では空前のイタ飯ブーム。ウクライナの小麦から作られるパスタの需要がヨーロッパで激減し、イタリアのパスタ産業が日本での需要を開拓しようとした結果だと言われています。後にチェルノブイリパスタと呼ばれました。ピザにパスタにティラミスー、私もよく食べました。あれから三十年、フクシマが起こり、史上最悪の原発事故の記録が更新されました。
一見、忘れ去られたかのようなチェルノブイリ、しかし、その収束までまだまだ時間がかかります。ソ連が崩壊し、ただでさえ豊かとは言えないウクライナに残された負の遺産を、ウクライナ一国だけに任せておくわけにはいきません。ヨーロッパ全体の安全がかかっています。

記事では、新しい安全封じ込め建造物(NSC)が4号機跡を覆うことになることを報告しています。事故直後、ソ連はコンクリートによる石棺を行いましたが、それは長期的解決策というわけではありません。このアーチ状の建造物は1.6 billionドルをかけて作られたもので(1600億円ぐらいですか、とすると日本の国家予算の1/300ぐらいですかね)100年ぐらいは持つそうです(それでも一年あたり16億円ですか)。サイズは、自由の女神がすっぽり入る高さがあり、アメリカンフットボール場が二つ入る幅があり、多少のトルネードやマグニチュード6の地震ぐらいには耐えられるよう設計されており、今後、この内部でさらに除染の作業が続くとのことです。

この費用とこれからの時間を考えると、気が遠くなりますね。日本のフクシマも今後、何百年にわたる事故処理が待っており、多大な費用と労力が必要とされます。ただでさえ、国家予算の二倍の支出を続けている財政破綻した日本ですから、どこまでやれるのか大変不安です。日本の場合、三十年後にチェルノブイリのような努力が続けられているかは、かなり怪しいです。ヨーロッパ諸国のプレッシャーと監視を受けたチェルノブイリと異なり、誰も責任を取らない国、日本は、三十年経っても、汚染水一つ解決できていない可能性が高そうな気がします。
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幼児化する社会

2016-12-05 | Weblog
悪評高かったアベ トランプ会談で、今頃、次のようなニュースが出てくるのは、どういう意味でしょうか。

トランプ・安倍氏会談に異議 日本へ米政府、対ロ接近を警戒か (東京新聞12/5)
安倍晋三首相が米ニューヨークで十一月中旬に行ったトランプ次期大統領(70)との会談に関し、米政府が事前に「トランプ氏はまだ大統領ではない。前例のないことはしないでほしい」と強い異議を日本政府に伝えていたことが分かった。日本側は、会談は非公式でトランプ氏提案の夕食会は見送るとして理解を求めた。しかし、米側は納得せず、ペルーでの国際会議に合わせて調整していたオバマ大統領との首脳会談は実現せず、立ち話にとどまった。日米外交筋が四日、明らかにした。


そして、
首相、オバマ氏と真珠湾で慰霊へ 米ハワイを26、27日訪問 (同12/5)
安倍晋三首相は5日、今月26、27日に米ハワイを訪問し、オバマ大統領と日米開戦の発端となった地である真珠湾で戦争犠牲者を慰霊する意向を明らかにした。官邸で記者団に「二度と戦争の惨禍は繰り返してはならない。その未来に向けた決意を示したい」と述べた。現職首相が真珠湾で戦争犠牲者を慰霊すれば初めてとなる。1941年の旧日本軍による真珠湾攻撃から今年で75年となるのを踏まえ「日米の和解」を発信する狙いだ。


トランプ会談の勇み足で、広島へ来てくれたオバマの機嫌を損ねたので、この機会にもう一度ゴマを擦り、政権移行後も、教義である対米隷属、すなわち日米同盟という名の植民地政策を継続させてもらいたい、というハラでしょうかね。しかし、アメリカ政府の信用はないでしょうね。

アメリカと言う国は、「ワシントンの桜の樹」の逸話にあるように、建前上は「正直さ」と「信頼」というものを普遍的価値として築き上げられた国です。正直さと信頼に価値を置くというのは、現実は「そうでない」ことがしばしばだからです。その現実を踏まえた上で、あえてお互いを信頼するということで社会が成り立っています。だから、「Trust, but verify」という言葉があるわけです。同じコミュティーにいる人々がルールを守る正直な人間であるという建前が共有されていないような所では、社会というものが成り立ちません。
アベ政権がやったことはその「建前」を踏みにじっておきながら、別の機会ではニヤニヤとご機嫌取りのようなことをして擦寄るということです。それでは、信頼も何もないでしょう。アメリカ人からしたらアベ氏の行動は精神病者に近いでしょう。話をするだけ時間のムダだとオバマもトランプも思うでしょう。オバマはそれが態度に出ています。

最近の続壺齋閑話 のエントリー、「Post-Truth(脱真実)社会」から。

最近欧米のメディアでは"Post-Truth"という言葉がよく目につく。オックスフォード辞典はこの言葉を、今年の流行語に選んだそうだ。意味は、「真実がものを言わなくなった」事態といったようなことらしい。、、、
この言葉を流行らせた元凶はドナルド・トランプだ。、、、その言葉の使い方は、世の中の常識とはかけはなれていて、ファクト(事実)にとらわれず、人の情動に直接訴える。訴えられたものは、その言葉の魔術にかかって、それが真実かどうかなどはどうでもよくなり、それが自分にとって都合がよいかどうか、それだけを基準に判断する。判断と言うのは正確ではない。判断とはファクトについてなす人間の意識行為であって、ファクトを伴わないものは、判断ではなく反応というべきだ。いまアメリカの政治空間では、こうした事態が進行している。アメリカだけではなく、ヨーロッパや日本でも進行しているといってよい。

日本についていえば、今の政権党は、事実の軽視という点ではトランプの先輩筋にあたる。なにしろあったことをなかったことにし、なかったことをあったことにするのは、今の日本の政権の得意芸だから、これはウソがまかりとおる社会だといってよい。だから日本については、"Post-Truth(脱真実)社会"というよりも、"没真実社会"と言ったほうが当たっているだろう。

ヨーロッパ諸国でも、ナショナリズムの高まりにともない、"Post-Truth(脱真実)"現象が一層進むだろうと思われる。その挙句に現れるのは、オーウェルが"1984"のなかで描いて見せた、欺瞞的な社会だろうと思われる。そこでは、平和を所管する官庁は戦争をこととし、真実を所管する官庁はウソをばらまき、愛を所管する官庁は拷問に熱中し、富を所管する官庁は国民を飢餓に追いやる、そういう倒錯的な社会が描かれていた。

これまでも実はそうでした。レーガン政権時のイラン-コントラ事件を引き合いに出すまでもなく、アメリカは民主主義と平和を口実にどこかの国に軍事介入し、武器を売って儲けたカネで別の国の戦争を支援して、もう一儲けしてきました。表があれば裏があるのが当たり前なのですが、近年、その「表」、建前を軽んじることがより著しくなっているように思います。政府から国民まで、自分が良けりゃそれでいい、という態度が丸見えなのです。

正直さと信頼という近代社会を築くのに必要な倫理的規範は、目先の個人の利益とはしばしば相反しますが、長期的にはそれが個人の利益となって還元されるものです。しかし近年、日本に限らず、社会全体を考えるべき立場にある人間が、率先して己の短期的な利益しか考えなくなってきたように感じます。社会の人間としての振る舞いを身につけることが人間としての成熟であるならば、この傾向は幼児退行と言えるでしょう。その幼児化しつつある社会の象徴として、アベ氏やトランプという人間が長期政権を担ったり、大統領に選ばれたりするのだと私は思います。

モノが欲しけりゃ盗めば良い、邪魔な他人は蹴落とせば良い、自分の都合に良いウソはついても良い。そうしてモノとエゴにとらわれた一生を送って、人は幸せに死んでいけるのだろうか、と思うのです。
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危ない男

2016-12-02 | Weblog
悪口が多くて悪いのですが、客観的事実に基づく個人的評価ということで、、、

いくらなんでもトランプがアメリカの大統領というのはあまりに不適格ではないのかと私は思うのですが、大統領選後もいろいろ聞こえてくるニュースを聞いても、この男は危ないと思わせるものばかりです。昔のテレビでのリアリティーショーや美人コンテストでの俗物ぶりがあまりに印象に強いので、色眼鏡で見ているのかも知れないと戒めながらニュース聞いてはいるのですが。TVのショーで印象に残っているのは、10年ほど前、トランプがやっていたミスUSAで、ミスUSAに選ばれたTaraナントカさんが、薬物、アルコールなどの問題を隠していて資格基準違反を問われた時の話
トランプは規則を曲げて、"I've always been a believer in second chances. Tara is a good person. Tara has tried hard. Tara is going to be given a second chance"と言って、ミスUSAに留めました。

現在ニュースによると、ウィスコンシン州の緑の党からの候補者、ジル スタインが大統領選の票計算に不正の疑いがあるとして、再集計を要求しており、僅差でトランプが勝った、ウィスコンシン、ミシガン、ペンシルベニアでの再計算のためにすでに5億円を集め、ウィスコンシンは再集計の準備に入ったとのこと。対して、トランプは「選挙結果は尊重されるべきであって、異議申し立てやののしりを受けるべきではないのに、ジル・スタインはまさにそれをやっている」と述べた。だがトランプ氏自身は選挙期間中に、もし敗北したら結果を拒否すると威嚇し、メディアと体制派エリートが選挙運動で不正を行っていると主張していた。、、、、そうです。

自分の都合の良い時は、明らかな違反があってもsecond chanceを認め、自分が負けたら選挙結果を拒否して不正を行っていると主張するクセに、都合の悪い時は「選挙結果は尊重されるべきだ」ですからね。Second chance believerなら、選挙不正を疑われた投票は積極的に再計算を支持すればどうですかね。この傲慢不遜で自己中心的な性格も嫌らしいが、その品性も下劣。ミスUSA事件の時に、コメディアンのRosie O'Donnellがトランプの言動をギャクのネタにしたついでに、TVのワイドショーでトランプの結婚倫理性の無さやビジネスのやり方をあげ、ミスUSAなどで若者のモラルについて云々できるような資格のある男ではないと厳しく批判、そこからこの二人の敵対関係がしばらく話題になりました。

その後、トランプは芸能ニュースのインタビューでO'Donnellを口汚く批判し、私は、これを見て、心底ゲンナリしました。コメディアンにギャグのネタにされてワイドショーで批判されたと言ってここまで切れるのは大人気ない、と当時は笑っておりましたが、今やその幼児性丸出しの男が強大な国の世界最強の軍隊の最高司令官となるとなれば、さすがに多少の恐怖も感じます。しかも、今だに気に入らないものに対しては、すぐに感情的になって悪口を言いまくるこの人のツイッターを見ていると、中身は全然成長していないままのようです。

当時の芸能ニュースのインタビューから。
 Rosieには吐き気がする。外見も中身もだ。彼女はズボラでトラック運転手みたいにしゃべる。、、、彼女のトークショーが失敗すれば、とっても愉快だ。、、、、Rosieのような悪い人間が失敗するのを見るのは気分がいい。、、、もし私が「View (ワイドショー)」の責任者なら「お前はクビだ」とあの汚らしい太った顔に向かって言うだろう。、、、Rosieを訴えてやろうかと思っているところだ、それは面白そうだからだ。あいつの膨らんだ財布の中から幾らかの金を搾り取ってやりたい。、、、RosieはLooserだ。


これが、仮にショーのためのヤラセのセリフでも、こういう物言いをするゲス人間が大統領ってどうよ。ま、十年前の芸能ニュースではありますが、当時でも立派な初老の大人ですからね。

これを思い出したのは、フィデル カストロの死去のニュースにトランプがツイートしたのを取り上げたブログ記事、「生けるトランプ死せるカストロを罵る」を読んだからです。

キューバ革命の「英雄」フィデル・カストロが死んだことで、トランプがツイッターで吠えた。カストロを残忍な独裁者と呼び、彼の「業績」を「盗み、想像を絶する苦悩、貧困、基本的人権の否定」だったと断定した。

これはアメリカの資本家階層のキューバ観をトランプが代表して表明したということだろう。カストロのおかげでアメリカの資本家たちはキューバで金儲けをする機会を奪われた。だからカストロは不倶戴天の敵というわけだ。

トランプがオバマの対キューバ融和政策を批判していることは周知のことだ。これをトランプは、アメリカがキューバに救いの手を差し伸べたと捉え、キューバの一方的な利益になるものだと言ってきた。しかし実際はそうではないことは、現実をきちんと見ている者の目には明らかだ。

近年キューバへの中国の接近ぶりが際立つようになり、両者の関係はキューバ国内に中国の軍事拠点を設けるところまで発展する勢いだった。それがアメリカにとってどんなに耐え難いことか、軍事専門家でなくともわかろうというものだ。オバマはその危険を回避するために、キューバに手をさしのべ、キューバに対する中国の影響力が高まることを牽制したと言える。だからオバマの対キューバ融和政策は、むしろアメリカの安全保障のために行われたと言ってよい。

トランプにはそういう外交的な背景は一切見えていないようだ。、、、キューバとの外交交渉は、不動産売買の取引とは違うのだ。

トランプはカストロを罵って残忍な独裁者と呼び、「盗み、想像を絶する苦悩、貧困、基本的人権の否定」こそがその業績だったと罵ったが、こうした懸念はむしろトランプその人について、世界中の人々が抱いていることではないのか。


その後、このブログ主さんの懸念した通り、キューバに対して早速、高圧的で傲慢なツイート。

「キューバがもし、キューバ国民やキューバ系米国民、そして米国全体のために関係を改善する気がないのなら、私はその取引を打ち切る」と書き込んだ。

掛け値なしの単純XXです。(XXがやりそうなことを心配していたら本当にやりました)

オバマは近代アメリカ最大の危機であったケネディー時代のキューバ危機から学んだが、トランプは思慮の浅さと品性のなさでせっかくの苦労をぶち壊す。XXにつける薬がないのは東西を問わずということですかね。

カネと国民の不安を煽りたてて得た大統領の地位も、本人もビジネス ディールぐらいに思っており、アメリカと世界の国の人々の生命と将来を左右する職であるという認識もなさそうです。こんなのを選んだアメリカ国民、American Valueというものもすっかり消えてなくなったような気がしますね。
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