百醜千拙草

何とかやっています

失敗しない実験

2016-07-01 | Weblog
てなワケで、イギリスのEU離脱の交渉はこれから多分、年単位で始まる訳ですが、ドイツが早速「いいとこ取り」は許さない、みたいなことを言っています。ドイツではなく、ギリシャぐらいが言ってくれると面白いのになあなどと不謹慎なことを思ってしまいました。

ドイツの気持ちはよくわかります。とくにメルケル首相としては、キャメロンの馬鹿げた政治的バクチの失敗の煽りを食らったようなものですからね。キャメロンの政治生命がどうなろうと知ったことではないが、EUを道連れにして、ドイツにその尻拭いを押し付けるのでは、いい迷惑だと思っているでしょう。

EUという共同体のメンバーの権利を享受するには義務が伴う、当たり前だと思います。
そこには「フェア」であることを望む人間の心理があります。しかし、フェアであることを望むとは、嫌らしい見方をすれば、自分は他人に比べて「損」したくない、負けたくないという心理と同根ではないでしょうか。イギリスは外国移民の受け入れを制限するくせに、EUの市場には自由にアクセスしたいというのなら、ドイツやフランスがその移民の受け皿となって自分たちが「損」をすることになる、「フェア」でない、という言い分でしょう。もっともですが、では、より貧しいEU諸国の国民にとってはどうでしょう。同じ人間として同じヨーロッパに生まれたというのに、コチラは生きていくのに精一杯だ、豊かなライフスタイルを満喫しているイギリスやドイツの国民はアンフェアに地球のリソースを使いすぎている、ちょっとぐらいコチラに回してもバチは当たらんだろう、ぐらいのことは思っているでしょう。

つまり、フェアであることの基準など非常に恣意的で自分勝手なものです。思うに、フェアとかアンフェアという考え方も、各々の自己保存能の一部として社会生活を営む人間のエゴに対処するために生み出された概念ではないでしょうか。この辺りが、人間の社会の難しいところです。大勢のレベルの違う人間が集まって暮らすのですから、お互いのエゴがぶつかり合わないように調整するのは簡単ではありません。それで「フェアネス」という概念を発明せざるを得なかったのではないかと思います。

そして、フェアというものが概念で恣意的なものである以上、現実の世の中は「フェア」であるものなど何一つないわけで、要は、人々が納得できるかどうか、です。「いいとこ取りは許さない」とか「ただ乗りは許さない」と筋の通った発言をすれば、国民を納得させやすい。然るに、実際には「辞めたいという国をやめさせないことはできないのだから放っておく、引き続いてEU市場をイギリスに開放するかどうかはどちらがEU諸国にとってプラスになるかを考えてから決めればいい」と考えた方が「得」な結果になりそうです。しかし、それでは残った国の国民の「気持ち」が収まらんのですな。

キャメロンにしてもメルケルにしても、政治家であり、その主要アジェンダは、平たく言えば、国民をうまく操ることです。彼らにとって、国民は自分たちに権力を与えてくれるお客様であり、お客様は常に正しいのですから、彼らの機嫌を損ねないようにすることが第一の仕事です。今回、その国民を操るためにキャメロンは丁半バクチを打ち、その危険な賭けに負けました。そして、EU崩壊へのドミノ倒しを防ぐべく、メルケル首相もEU諸国の国民を納得させる声明を出す必要がありました。

外から見ていると、まるでドタバタ喜劇です。

いずれにしても、人生も世界も、コントロールのない実験のようなものです。コントロールがないから結果の解釈ができません。解釈ができないということは、自由に解釈してもよいということだとも言えます。これからEUを見て、成功したと解釈するするのも、失敗だったと解釈するのも自由です。

というわけでイギリスのEU脱退については、私は是非を云々せずに、興味深い実験と思って、その成り行きを楽しみたいと思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

見直しの時期

2016-06-28 | Weblog
理想と現実をすり合わせ妥協点を見つけていくというのは、なかなか根気のいる作業です。当たり前ですが、キレて投げ出すというのが最も良くない結果を生むのですけど、それを学ぶのに私は随分失敗を重ねました。今だに反省すること多しです。

「世界は一つで人類は皆兄弟」は真実でありますが、それを地上の皆が行動に現すことは今はまだ理想です。現実は、沈む者がいるから浮かぶ者があり、他人はみんな泥棒で、人の不幸は蜜の味であったりします。

「自分が一番可愛い」という人間の動物としての本音の部分は認めつつも、実は、自分も他者も等しく地球という家に生まれ育つ家族であるという理想に近づいていけるように、根気良く努力するところに人間の成長があるのだろうと思います。しかし、ジョンレノンのイマジンみたいなところ、国境も国も天国も地獄もないような世界に行きつくには、人類全体がその理想を共有し、努力していく必要があり、まだまだ途方もない時間がかかるであろうと思われます。

そんなことを考えながら、今回のイギリスのEU離脱のことを考えていました。ソ連崩壊につながったペレストロイカと状況がちょっと似ているような気もします。EU発足当時は、一般イギリス人も、ヨーロッパが一つの国のようになって、人々が自由に交流できることを、理想に近づく一歩として歓迎したでしょう。でも現実は、貧しい地域の人々が豊かで社会保障の優れた国を目指して大量移動し、結果として以前からのイギリス住民の負担を一方的に増やしてしまい、結局、理想のためのガマンも限界だという状況に追い込まれたというように感じます。しかし、生きるのに精一杯の貧しい移民の人々にとっては、理想よりも目の前のパン、腹が減っていては、比較的豊かに暮らしていたイギリス住民と同じレベルで人類愛や理想を語るのはムリです。またイギリス住民にとっても、これほど急激に増加する移民は想定外だったでしょう。増える人口でこれまで受けられていたレベルの社会サービスを受けることが難しくなり、病院は飽和し、学校の教育の質は低下し、犯罪は増加するわけで、中流家庭にとっては、彼らの生活が脅かされるとさえ感じるようになったのではないでしょうか。

理想は現実に基づいて作り上げられるものであり、現実が変化すれば、それに応じて理想も変化していくのは自然なことであろうと私は思います。EUの発足は殺し合いの歴史であったヨーロッパを核の時代の破滅的な荒廃から守り、かつより大きな経済活動を推進するという意図であっただろうと思います。そのより大きな経済活動の結果は、グローバル化という非人間的な経済によるカースト制の推進であり、消費活動の拡大による環境破壊ではなかったのではないのでしょうか。すなわち、「命よりもカネ」の傾向があまりに露骨になりすぎました。豊かな人々はより豊かに、持たざる人々の生活はより苦しくなり、貧富の差は広がりました。ヨーロッパ諸国の中での経済格差も歴然としたものがあります。

今回のイギリスのEU脱退の動きは、EU発足時の理想というものを、一旦、立ち止まって、見直す時期であることを意味しているのではないかと私は思います。戦争を防ぎ、人々が人間らしく幸せに暮らすために、ヨーロッパの国境をなくして「均一化」しようとするやり方がかえって社会の歪みを生み出したように見えます。貧富の差がまだまだ大きいヨーロッパ諸国の現実を考慮してプランを作り直した方がよい、とイギリス住民は考えたのではないでしょうか。目的は、戦争のない平和で人々が幸せに暮らすことができる社会の実現ですから、EUという手以外にもやり方はあるのではないかと思います。

ですので、今回のイギリスのEU脱退は、理想からの退行ではなく、新たなより良い理想を求めるための有意義な実験の始まりであると私は捉えたいとおもいます。今後、EU諸国にどのようなことが起こるのか、そのデータは貴重なものになると思います

ソ連が崩壊したように、EUという形も一旦、リセットして、また違うタイプの共同体を作るのがいいのかも知れません。壊すことなしには、より良いものに作り変えることはできないですし。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

企業とアカデミアの研究

2016-06-24 | Weblog
先日、とある大手製薬会社が主催した「交流会」に行ってみました。目的は人材の発掘ということらしく、多分50-60人の参加者の半分ぐらいが、転職に興味があったのではないかと思います。交流会とはいうものの、前半は、就職説明会みたいな感じでした。その後、参加者と会社関係者とでmignlingが始まったのですが、私は、たまたま隣にいたイメージング技術の開発などをしている工学系の研究者の人に、この方も製薬会社への転職の希望はないとのことなので、いろいろ面白い話を聞かせて貰っていました。

そこへ会社の研究開発部門の人がやってきたので、アカデミアとの共同研究への取り組みや、研究開発のストラテジーなどを聞いてみました。ま、バイオテクや中堅製薬会社のR&Dにいる人に聞いているのとと同じような話です。会社ですから、規模と制約は大きいですが、アカデミアの研究室と基本的な部分では変わらないな、と思いました。そして、そのワケは、ひょっとしたら実は、アカデミアの研究の方が製薬会社の研究スタイルに近くなってきたからではないか、と私は思い直しました。

アカデミアでもグラントを取って出版し続けないと回らないわけで、その点では、研究資金を調達して薬にして利潤をあげないと回らない製薬会社と同じです。利益の出せる製品を出すためには人々のニーズに応えないといけません。同様に、アカデミアでグラントを取るためには、やはり人々の興味のあることで、インパクトのある計画を提出する必要があります。生命科学系だと、どうしても病気とのつながりについて議論せざるを得ませんし、そうなると、その研究が如何にその関連した病気の治療や予防に役に立つかという具体的な話に自然となって、最近では、結局、Translationalな研究、製薬会社がやるような研究のミクロ版みたいなものを計画書に入れざるを得なくなる、という感じになっています。以前ならば、病気とのつながりは、本題に入るための落語のマクラみたいなもので、形式的なのでしたが、いまや競争も激しくなってきており、パッと見てそのインパクトが明らかな研究、実際的なものにすごく役に立つような研究が高評価を得るような傾向が進んできたために、疾病との関連性は単なるマクラでは通らなくなってきました。ま、計画書を評価する立場に立ってみれば、それはそうだろうと思います。数十とある申請書から最終的にトップ1-2割を選別するわけですから、シンプルで意義が明らかな研究ほど最終候補に残る可能性が高くなるわけで、従って、何らかの実利的効果が期待できる研究が選ばれやすい、ということだと思います。

ただ、製薬会社と違うのは、アカデミアで研究費申請の研究計画というのはあくまで、金を取ってくるための方便にすぎないということだと思います。もちろん、実績がないと金は取れないので、なんでもウケそうなネタを書けばよいというわけではなく、ある程度の本気度は必要です。しかし、研究計画を立てて、研究申請書を出して、運良くそれが当たって、実際に研究費が支払われるまでの間には、年単位の時間がかかることも多いわけで、現代のように進歩の激しい研究業界では、一年前の素晴らしい計画が、実際に研究費が下りたころには、まったく無意味な研究に成り下がってしまうということもしばしばあります。ですので、研究費は必ずしも計画を遂行するためではなく、もっとも有意義な結果を出せる活動に使われることになります。しかし、おそらく製薬会社ではそういうわけにはいかないでしょう。研究の中身と資金はかなり厳密にコントロールされるであろうと予想されます。事実、とある製薬会社からの小さなグラントをもらっている知人は、半年で3回の会社側とのミーティングとシンポジウムでの発表を課せられたとボヤいておりました。これではグラントというよりコントラクトです。

会社側の人は、企業での研究はチームプレーであることを強調し、それぞれの持ち場で、社員が生きがいを持って働いているという話をするわけで、勿論、その通りなのですが、合う合わないがありますね。私は和を尊ぶ平和主義者ですが、チームプレーとか体育会とか、トモダチとか絆とか、アベ自民党とかは、どうも、ちょっと。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

Dance with My Father

2016-06-21 | Weblog
日曜日は「父の日」でした。
自分が子供のころ、「父の日」という日があったかどうか、それを祝っていたかどうか、よく覚えておりません。母の日にカーネーションというのはあったような気がします。子供の時は、両親に何か特別なことをしたこともなく、ワガママで自分勝手で、親孝行というものをしたことのない不孝者の子供でした。

土曜日にちょっとだけ仕事をして昼過ぎに帰ってきて、何か軽く食べようと思って冷蔵庫を開けると、「父の日おめでとう」と書いたカードとチョコレートを抱いた小さなクマのぬいぐるみが冷えていました。
ウチの二人の息子たちの贈り物です。

自分は自分の父に何もしたことがないし、子供も放置してきたのに、ウチの子供たちは、ちゃんとそんな父親を気遣ってくれるのです。何と幸福なことだろうかと思います。子供が、思いやりのある「良い人間」に育って、そして健康で幸せに暮らしてくれること、親にとってそれ以上の喜びはないです。私は恵まれているのだなあとつくづく思いました。

孝行したいときには親はなし、とはよく言ったもので、私の父親は、私が何一つ孝行らしいことをしたこともないうちに、突然、この世を去ってしまいました。その時は随分、後悔しました。その後悔も、のど元過ぎればなんとやら、それからずいぶんの月日が流れ、日々の数々の瑣末事の前に父親のことを思い出すことも少なくなりました。

今年の夏は父の法事があります。それが終わってしばらくすると、私は父親よりも年上になるのです。そう思うと時の過ぎる速さに驚きます。

父は、カッコいい不良であり、会社員であり、それから独立して商売を始め、零細ながらもシャチョーをやっていた人でした。親分肌で若い人にも友人にも慕われていたと思います。我が身と比べてみると、その父親よりも年上になろうかという年齢になっても私はいまだに子供のままだなあ、と感じます。昔の私は、クズではありましたが不良ではなく、カッコ悪いことから逃げようとするために却って醜態を晒すタイプで、人と関わるのが苦手なくせに寂しがり屋、といういじけた子供でした。最近、多少はマシになりましたが、やっぱり三つ子の魂です。ま、それでもいいか、とは思っておりますが。

若いとき好きだったLuther Vandrosが10年ちょっと前に死んだ時、ラジオで繰り返し掛かったのは、遺作となった「Dance with My Father」でした。2003年にグラミーでSong of the Yearとなったこの曲は、糖尿病の合併症で亡くなった自身の父を歌ったものでしたが、その翌年、今度はLuther自身が糖尿病の合併症で亡くなることになったのでした。

早くして亡くなってしまった父親、その父親との思い出、夫を失った母の悲しみ、しみじみと歌われるのを聞いていると、当時は、まるでLuther自身が自分の死について歌ったかのようにも思えて、妙に泣けてきたものでした。

私の父親が死んでから随分経ちますが、夢に出てきてくれたのはほんの数回です。そのうち時間が来れば、また会うことになるでしょうが、きっと、その時は私の方が年寄りになっているのでしょうね。そんなことを思いながら、この曲を聞いていました。
久しぶりに聞いてもやっぱりちょっと泣けますね。



追記。このビデオクリップに出てくる数々の有名人の人々は、病気で倒れてPVに自ら出ることができないLutherに代わって出演したものだそうです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

目くらまし

2016-06-17 | Weblog
研究も私生活に関しても日々まずまず平穏で、たいしたニュースはありません。
久しぶりに「内田樹の研究室」が更新されていて、ルモンドの記事の翻訳が紹介されていましたので、すでにお読みになった方も多いとは思いますが、その一部を転載します。

舛添氏の奇癖は以前から知られていた。「2014年の知事選以来、舛添は会計上の規則違反を繰り返してきたと言われている」と都政に詳しいある人物は指摘している。民放テレビやスキャンダル専門紙で連日のように荒れ狂ったメディアの暴風について、この専門家は「攻撃は周到に用意されていたもので、タイミングを計って行われた」と言う。情報筋によれば、この攻撃は計画的なもので、官邸の暗黙の同意を得て行われた。
メディアが知事問題一色に染まったために、報道された場合に政府にとって不都合ないくつかのニュースが結果的に報道されなかった。知事についての報道の開始は、英紙「ガーディアン」が2013年にブラック・タイディングに対してなされた130万ユーロの資金流入についてのフランス当局の捜査について報じた5月11日と同時期である。シンガポールに拠点を置くこの会社はパパ・マサタ・ディアク−1999年から2013年までIOC委員、前国際陸連会長で、現在は汚職で捜査中のラミーヌ・ディアクの息子−の所有するものであり、この資金は日本の五輪誘致チームから出たものと見られている。
日本では、このニュースは二人の人物を巻き込む可能性があった。一人は現在も政界に力を持つ森喜朗元首相。彼は五輪の東京招致を推進し、現在も五輪組織委員会のトップにいる。もう一人はJOCの委員長で、皇族の竹田恒和である。
同じように、舛添氏に対する攻撃は「パナマ文書」の暴露とも同時期だった。日本の400の個人名と企業名がそこに言及されているというのに、日本のメディアはこれについてほとんど何も報道していない。
「さらに、舛添事件によって、7月10日の参院選の選挙選のスタートが丸ごと隠蔽された。これはさまざまな批判、とりわけ経済政策の失敗についての批判を回避しようとしていた政府にとってはまことに好都合なことだった」と専門家は語っている。


やはり、多くの人が違和感を感じたように、このセコい事件を延々とメディアが引っ張ったのは、目くらましだったのでしょう。この記事ではオリンピック招致における「電通」が絡んだ賄賂事件(これはフランスが調査中なので、ルモンドが特に取り上げているのでしょう)、それから、パナマ文書の問題(電通はここでもやっていましたね)への人々の注意を逸らすためであろうという話があります。政府が電通を通じてメディアをコントロールしているという話はずっとあるわけで、お互いの不祥事の報道は抑えたいのは彼らにとっては当然です。

、私は、しばらく前にも書きましたが、自民党の元TPP大臣の収賄事件を不起訴にした事件の隠蔽も大きな理由ではないかとおります。この収賄事件は現職自民党議員のものですから、突っ込まれると選挙に響くということでしょう。それにしてもこの方、収賄事件が公になったら、その瞬間に健康上の理由で国会にこなくなったくせに、不起訴となったら、急に健康障害が完治して政治活動に復帰する、というのだから、現金なものです。これはテスト前のうちの子供の腹痛なみです。

ま、国民は、いつまでもテレビや新聞での政府や広告主に都合のよい話を真に受けて意見誘導される都合のよい存在ではないとは思います。ウチでは既に誰もテレビは見ません。ラジオは生き残っても、全国ネットのテレビ放送という産業はそのうち消えていくのではないでしょうか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

放射能、集めてばら撒く山桜

2016-06-14 | Weblog
数日前のニュース

公共工事で除染土を再利用へ 全国の道路、防潮堤に (東京新聞)
東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の減量と再利用に向けた環境省の有識者検討会は7日、東京都内で会合を開き、放射性物質濃度が基準以下となった除染土を全国の公共工事で使うとする再利用の方針案を大筋で了承した。近く同省が正式決定する。
方針案によると、管理責任が明確で、長期間掘り返されることがない道路や防潮堤などの公共工事に利用先を限定。工事中の作業員や周辺住民の年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下となるよう、用途や期間に応じて放射性セシウム濃度を1キログラム当たり5千~8千ベクレル以下と定めた。


わざわざ放射性物資で汚染された土壌を集めて分けたのに、今度はそれを全国にばら撒くそうです。
以前に、大量に放置されているこの汚染土を詰めたゴミ袋をドローンで写した映像を海外のマスコミで大きく流されたことがありました。海外に対しても国内に対しても、溜まる一方の放射能汚染物質を放置していると、原発事故の収束の見通しが立たないことをまた避難されて、福島も会場の一部となる東京オリンピックにも響く、というわけで、国としては、何かしているポーズを取りたいのでしょうね。かといって、根本的な解決法があるわけではないので、結局はいつもの通り、ツケは全国の住民にコッソリ回して、汚染をバラまいて薄めてしまえ、というのが、いかにもニッポン政府です。大きな問題は見ない、目先の問題は、ゴマかし、すり替え、先送り、自分たちが退職金をもらうまでボロがでなければ、その後は悠々自適の海外移住、後は野となれ山桜、絆だ、トモダチだ、ニッポンチャチャチャ、欲しがりません勝つまでは、と日本人の思いやりと和を尊ぶ心に付け込んで、結局はオノレがためという政府、さすがは民主制官僚独裁国家、ちゅーことですな。

この放射能廃棄物の再利用する今回の基準がいかにキチガイじみていかは、10年前の原子力安全委員会などでの文書から明らかかと思います。是非、下の署名サイトからリンクを見てみてください。一部、抜粋します。

そもそも3・11以前から今に至るまで、原発施設などから発生する100ベクレル/kg以上のものは、「低レベル放射性廃棄物」として、厳重に管理・処分されてきた。今回の「8,000ベクレル/kg以下、再利用しちゃえ」基準は、2011年時に、「非常時だから8,000Bq/kgを通常のゴミと同様に処分してしまえ」という環境省の方針を、さらに。緩めたものだ。

100 Bq/kgと8,000 Bq/kgの二つの基準の違いについて (環境省廃棄物、リサイクル対策部)(PDF)
廃棄物に含まれる放射性セシウムについて、100Bq/kg と 8,000Bq/kg の二つ の基準の違いについて説明します。
ひとことで言えば、100Bq/kg は「廃棄物を安全に再利用できる基準」であり、 8,000Bq/kg は「廃棄物を安全に処理するための基準」です。 

原子炉等規制法第61条の2第4項に規定する規則では、再生利用の基準は放射性セシウムについて100ベクレル/kg以下となっている。これは、原子炉施設のクリアランス・レベル(これ以下は放射性廃棄物として扱わなくてもよいというレベル)については、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会廃棄物安全小委員会において、2004年(平成16年)に報告書を取りまとめ、2005年(平成17年)に原子炉等規制法を改正し、クリアランス制度を導入した。これだって、相当「甘い!」という批判があった。、、、


それにしても、1キロ5000- 8000ベクレルと言うレベルは、放射性同位元素を使って実験している人間からすれば、強烈な量の放射能です。それを道路などに何万トンというレベルで使うのでしょう。これからは、どこに行くにもガイガーカウンターが必要になりそうです。

オンライン反対署名

緊急署名 放射性廃棄物を含んだ除染土を公共事業で利用する方針の撤回を

もう一つ、福島でのオリンピック競技に反対する署名活動も行われているようです。

No Olympics or Paralympics in Radioactive Fukushima!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

xxとカネ

2016-06-10 | Weblog
資本主義の世の中、つまり現在ならカネですね、カネのために働き、カネを使って人をコントロールし、カネのためには(他人の)命や地球環境の犠牲もやむを得ぬ、そういう考えの人間が、国のトップにいるというのは不幸なことです。(そうでなかった例は少ないかもしれませんけど)ウルグアイのムヒカ大統領の話が、人々の心を打つのも、そういうカネ第一主義の政治家しか見当たらないという理由かもしれません。

ま、それはともかく、資本主義の原理で動く社会に大勢の人々が生活しているのだから、そこで生きて行くためには、好きキライは置いておいて、「結局、世の中カネよ」という理屈で社会は動いているという現実は受け止めて、それに対処していくしかありません。アカデミアも例外ではありません。

先日、医学部の学生さんとたまたま話をする機会がありました。休みを利用して体験した基礎研究が楽しかったようで、目をキラキラさせながら、「医学研究をしたいので、卒後に海外の大学院に進みたいです」という話をするので、どう反応すべきか、しばらく沈黙してしまいました。
 初対面の人だし、本来、研究の夢を語り、研究で生きて行くのは大変なこともあるけれど報われることもあるよ、みたいな話をすべきだったのでしょうが、結局は、つい、「へへへ、旦那、地獄の沙汰もカネ次第でっせ」みたいな話をしてしまい、すっかり鼻白ませてしまいました。本音はそのような現実の中で、カネではないところを目指して頑張りましょう、と言いたかったのですけど。

少なくともアメリカでは、アカデミアで研究で成功できるかどうかは、どれだけカネを取ってこれるかに依存し、それによってポジションも昇進も決まると言ってよいのではないかと思います。研究者に論文や仕事のインパクトが求められるのは、突き詰めれば、インパクトのある仕事を出せば研究費を取れる確率が上がるからに他なりません。研究費がなければ研究もできないし、研究費を取れないと、研究費についてくる間接経費を当てにしている大学やその雇用者の生活にも響きます。すると仕事は出ない、インフラは劣化する、人も雇えない、仕事がでないからカネも当たらないという負のスパイラルに落ち込むというワケです。

それで、その医学部の学生さんには、とりあえず学生時代には良い成績を取っておくこと、良い師を求めること、奨学金には積極的に応募すること、などを伝えました。私が若いときに、そうしたことに真面目に取り組まなかったことを今になって後悔しているからです。私、大学の専門の勉強は嫌いではなかったのですが、試験に関しては通ればよいとしか考えていなかったので、卒後随分してから、自分の成績表を取り寄せてみて、あまりの出来の悪さに我ながら情けなくなりました。試験はよい成績でパスしておかないと奨学金を取れる確率が減ります。奨学金が取れないと、一流の研究室の一流の師のもとで研究をするという機会を得ることが困難になり、したがって、インパクトのある論文を出せる確率が低くなり、よい論文が出せないと独立してやりたい研究をするためのポジションや資金を得る確率が低くなります。やはり、二流の施設の二流のラボから一流の仕事を出すのはなかなか困難です。

ま、そうやってゴールを設定してその達成のためにひたすら頑張るという人生が幸せかどうかは別問題です。しかし現実問題として、やりたい研究をやるためには、背水の陣で文字通り生き残りをかけてやってくる世界中の研究者とポジションとカネを奪い合うという競争に勝ち残らねばならない、という現実は急には変わりません。研究をやりたいからと、独身を選んだ有名ステムセル研究者の例もあります。それだけの献身と情熱を払ったからこそ彼女の成功があると思います。
しかし、私は、カネとポジションは奪い合うのではなく、回しあう方が、長期的にはプラスだろうと思っているのですが。

とりあえずは、まずは先立つものがあってこそ、研究も学問も物好きの暇つぶしと言ってしまえば、道楽にカネがかかるのは当たり前の話ではあるのですが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

カシアス クレイの肖像

2016-06-07 | Weblog

東京都知事、サンドバッグになっていますが、「クレヨンしんちゃん」の本を必要経費で買ったなどというみみっちい話がトップ記事のタイトルになるのは、やはり異常だと思います。私、この人も前の不祥事で辞めた都知事もその前の自称文豪の人も、ついでに号泣議員も全員気に入りませんが、どうも後ろ足で砂をかけた自民党にも余り好かれていないこの人が血祭りにあげられているのは理由がありそうです。自民党にとって、突っ込まれると政権運営と次の選挙に影響が出るもっと大きな不祥事への注目を反らせたいからではないでしょうか。
 ど真ん中ストライクの真っ黒の案件で、久々に特捜も汚名挽回のチャンスとなるはずであった元大臣の収賄事件のことです。蓋を開けてみれば「不起訴」の大茶番、呆れ返った人も多かったでしょう。どうも小沢氏の事件の黒幕とも言われた法務省の誰かさんがもみ消したという話。さすがは、官僚と政権与党、越後屋と悪代官、水心あれば魚心。コッチはもみ消し、代わりに東京都知事の事件を煽って、目くらましということですな。東京都知事、目くらましに使われて多少気の毒な気もしないではありませんが、やっぱり自業自得ですね。

さて、話変わって、先週末、モハメド アリが死去とのニュース。
私の子供のころにアリはすでに伝説で、蝶のように舞い、蜂のように刺す、その華麗なる一撃は、榎本美恵子さんにも真似されるほどでした。
アリの全盛期の試合は私はリアルタイムで見ていたわけではありませんが、その活躍ぶりは何度もマンガや映画の題材となっています。
ヘビー級ボクシングで、実際に覚えているのは全盛期のマイク タイソンのブームですね。確かその後ぐらいに、すでに腹が出ていたジョージフォアマンが40過ぎてカムバックし、復帰後いきなり30数連勝を重ねているのをTVでみて、その化け物ぶりに驚いたことを覚えています。タイソンやアリのスピードではなく、フォアマンは重戦車のように相手を薙ぎ倒すスタイルでヘビー級ボクシングならではの醍醐味でした。そのフォアマンに最初に引導を渡したアリの試合を見たくなって、キンシャサの奇跡と呼ばれる伝説の試合を見てみました。重戦車フォアマンのパンチをガードで交わしつつ、相手の体力の消耗を待って、蜂の一刺し。アリの戦略がちですね。

アリは、リング外での活動も注目を浴びました。私は、反戦運動、人種差別撤廃運動、人道主義的活動や、引退後にテレビで見せるユーモアに富んだ話などの方をよく覚えています。ボクシングの後遺症と思われるパーキンソン症を発症したのは不運でした。しかし、パーキンソンのせいか表情を変えずに放つジョークに磨きがかかり、その人間的な魅力は多くの人に愛されました。

調べてみると、アリのプロでの成績は、56勝5敗で、このうち37勝がノックアウト勝ち、一方、フォアマンは、81戦76勝5敗、68ノックアウト勝ち、二人とも化け物ですな。

アリの名言集を見つけました。

チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。

肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める。

他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。

私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。

私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい。

私の一番つらかった戦いは、最初の妻とのものだ。



アリの死に際して、フォアマンは、「大切な一部が逝ってしまった」とコメント。
ちょっと、さびしいですね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

凡人の戦略

2016-06-03 | Weblog
あしかけ5年、ようやく論文が出たので、このプロジェクトに絡んで研究費申請したいと思い、どういう計画にするかをずっと考えております。やりたいことはいろいろあるのですけど。しかし、やりたいことを書いてもダメなので、審査員が私にやらせてやってもよいと思うような計画にしないといけません。

しかし、今どき万人が重要だと認めるような研究ネタがその辺に転がっているわけもなく、仮にあったとしても、そういうものはもっとエラい人々がすでに取り分は取ってしまっているわけで、自然と、自分の分野で自分の特技を生かした研究で、なおかつ意義があると思ってもらえそうなものという数々の制約の中で研究計画を立てることになります。当然、そんな制約の中でパッとしたものが簡単に思いつくわけもなく、あれこれ小さな実験をやってみたり、論文をひっくり返してみたり、そんな先の光が見えないような日々が長らく続いております。

かといって、競争のある世界ですから、ネタをのんびりと寝かせておくこともできません。先立つものはなくてもとにかく少しずつでも進めていかないと、あっという間に時代遅れになって、折角のネタもオクラ入りになってしまいます。その辺が苦しいです。

私は、これまで計画した研究がうまく成功したことが少なく、半分失敗したような題材の中に面白い現象を見つけて論文にするというスタイルでやってきているので、なかなかそういったネタを元に売れる計画を作るというのは難しいものがあります。やはり、研究費を貰うという点では、スケールは違っても、がん研究でのMoonshot計画みたいなトップダウンの目的が明確な計画をぶち上げる方が良いのに決まっています。しかし、派手な計画をぶち上げるためには、そういうことを言ってもバカにされないようなリーダー的なポジションを自分の分野ででも確立していないといけません。そのために、重なるリジェクトにもレビューアーの意地の悪いコメントにも負けず、毎日コツコツと勤めて、インパクトのある論文を書くために頑張り、東に小さな学会あれば行って営業活動し、西に共同研究のお誘いがあれば出かけて話を聞き、いつもニコニコと笑っている、そういう人にならねばならないのだろうと思います。

努力はしてますが、向いてません。

それにしても、あれこれ足掻いているのになかなか先へ進まないのはなかなか気分のよいものではないです。若いころはもっと簡単に絶望していました。
しかし、長年、こういう生活なので、たとえ現在はどうにもならないと思っていても、最後はなんとかなるものだことはわかっているので、とにかく目の前のことに集中してあがき続けるうちにヒントが見つかるだろうと、楽観的に日々を送るようにしています。3歩進んで2.9歩下がるぐらいで良しとしていれば、そのうちどこかに着くでしょう。

また、いろいろ足掻いている間に、世の中は狭いようで広く、上には上がいるということを深く実感することが増えました。私も無駄に足掻いたり年をとったりしているのではなさそうです。ヘビー級相手ににフライ級のパンチで正面からいったのでは勝ち目はありません。凡人は凡人なりの戦略で戦っていかねばならない、そこを工夫していくことが凡人研究者の楽しもでもあるのだろうと思います。

というわけで今日はあまり書くことがないので、本日の名言:The meaning of life is to find your gift, the purpose of life is to give it away. JOY J. GOLLIVER
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

想像力が抑止力

2016-05-31 | Weblog
週末、オバマが広島を訪れ、被爆者と言葉を交わしました。確かに歴史的な出来事です。
一方で、これは、消費税増税延期と同様、アベ自民党が選挙用のネタの一つとして利用するためにセットアップしたものであり、オバマにしても、核軍縮がかつて演説したようにはうまく進んでいないので、その言い訳のためのパフォーマンスをしただけだ、という冷めた見方もあります。現実を見れば、核兵器廃絶という理想郷は遥か彼方、火星よりも遠くに見えます。

一般市民が大勢で生活する市街地への原爆を投下したという行いは、誰がどう言い訳しようと、これは悪魔の仕業です。アメリカ人の中には、戦争を終結させるためにやむを得ない行為であったと、原爆投下を正当化しようとする人々がいまだに大勢います。それは、今となっては、この悪魔の行いを正当化するための詭弁であることは、彼ら自身も薄々は分かっているのです。原爆の威力を示すだけならば、わざわざ市民が住む市街地へ落として、市民を大量殺人する必要などないわけですから。これは人体実験でもあったわけです。原爆でどれぐらいの人間を殺せるのか、原爆を落とした後はどうなるのか、人間を実験動物として使うために、戦争終結という大義名分を持って行った行為です。思うに、これはヨーロッパ帝国主義時代から連綿と受け継がれた残虐な「ヨーロッパの心」、すなわち、自分たちの人種以外の人間は、下等動物であり利用される存在であるというメンタリティーに根ざしたものだったでしょう。それが彼らの常識であり、戦争中の日本人は、彼らにとっては人間である以前に、危険な害獣だという認識だったのではないでしょうか。それは、逆に、日本が米英を「鬼畜」と呼び、自分の国が神の国であり、神風が吹くと信じていたのと同様であったのかもしれません。

それから70年余りが経ち、世界がインターネットで繋がっている今、当時の常識は現代の非常識となりました。人間は、人種、民族、国家、性といった属性を超えて等しく尊い存在です。いまでは、日本が世界のほかの国よりも優れた神の国だというような選民思想を持つのは、宗教集団といってもよいぐらいの日本会議の面々や、ほかに誇るものを持たない右翼活動家ぐらいでしょうか。現代では、世界は一つ、人類はみな兄弟で、一つの家の中に住むもの同士でお互いを殺し合い、お互いの場所を破壊しあうのは愚の骨頂であると大多数の世界の市民は考えているはずです。お互いを尊重して仲良く遊びましょう、世界中の幼稚園でそう教えているでしょう。

核を持ちたいという願いは、恐怖と欲望の表れだと思います。力によって支配されたくないという恐怖と力で支配したという欲望です。そのいわば動物的で本能的な自己保存欲を、個人から社会、国から世界というレベルへ昇華していくことが、人類としての進化ということだと思います。

オバマは政治的な縛りがありますから、原爆投下の悪魔性について自己批判することはできません。しかし、横に立っていたアベ氏はともかく、いくら第二次大戦を実際に知らないオバマと言っても、おそらく原爆投下のアンチヒューマニズムは十分理解していたであろうと思います。だからこそ、チョムスキーやオリバーストーンらが来日前にオバマに望んだ通り、オバマは被爆者と接し、言葉を交わすことをしたのだろうと思います。
核なき世界への道はまだまだ険しく遠いです。しかし、これを一つのきっかけとして核廃絶という最終目標へ続いていって欲しいと心から願います。

好奇心と探求心というのは人間を人間たるものにしているもので、物事の理屈を明らかにしたり技術を開発したりする行いそのものは止めようがありません。核分裂の連鎖反応でエネルギーを作り出すことを発見したり、ゲノムDNAを弄ったりする技術を見つけたりすることそのものは、その人間の人間らしい行いゆえだと思います。しかし、どんな理由があれ、それを利用して他人を傷つけようとすることは悪魔の行いです。

他人の痛みを理解し、他人の立場になって物事を考えることができる、「想像力」こそが最大の抑止力だと思います。

原爆投下当日の広島を体験させてくれる映像。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

JCBの新戦略

2016-05-27 | Weblog
月日の経つのは早いもので、日本の科学会を揺るがしたSTAPスキャンダルからすでに2年余り。久しぶりにKnoepflerのStem Cell blogを覗いたら、Oさん、「STAP HOPE PAGE」とかいうWebsiteを立ち上げたという話題がありました。そのWebsiteに示されているSTAPがあるという「証拠」のデータが余りに説得力がない、と切り捨てています。去年のNatureのSTAP否定論文で正式にケリがついて、もうまともな研究者は誰も相手にしないというのに、何のためにやっているのだろう、と不思議に思っておりましたが、どうやら、世間には彼女のファンらしい人々がいるのです。しばらく前に出たOさんの手記のアマゾンの書評を見てみました。評価が最高と最低に分かれており、中間がほとんどありません。最低評価を付けている人はどうも多くが研究と科学が理解できる業界関係の人々、一方、5つ星を付けている人は、多くが研究業界の内情を知らない一般の人のようですが、その一般の人の多くの人が、どうも「Oさんは、ステムセル利権争いに利用されて捨てられた被害者であり、本当の黒幕は別にいる」という陰謀論を信じており、すべての現象をそれによって説明したいという願望があるようです。ある人は「この本で真実がわかりました」というようなコメントを書いていて、思わずのけぞりました。嘘のかたまりのようなこの論文を書いた本人の手記でどうやって真実がわかるのでしょうか。昔のアステアの歌、「俺が生まれてこのかたずっと嘘つきだったことを知っているくせに、どうしてお前は、愛していると言った言葉は信じられたんだ?」を思い出しました。

また、彼らは科学的な内容を十分に判断はできないにもかかわらず、専門家は常に彼らを騙そうとしているので専門家の言うことは信用できないとも信じているようです。先日、ファンの恨みを買って刺されるという事件があったこともあり、私、ちょっと怖くなりました。これはもう「信仰」の問題であって、事実の解釈を科学的に議論しようとしても、信者の人とは会話は成り立ちません。なるほどファンというものは宗教の信者であって、信仰の前には膨大な客観的事実も取るに足らない瑣末事ものなのだ、と納得した次第です。触らぬ神に祟りなし、もうこの話題には近寄りません。

話変わって、JCBからの広告メール。かつての細胞生物の最高峰の一つ、JCBも南下傾向の昨今、最初の投稿分はJCBのフォーマットにしなくてもよい、とい新しいポリシーを発動させたようです。BioRxivと連動し、BioRxivに発表した論文をそのまま、JCBに投稿できるらしいです。
現在のところ、bioRxivに出ている論文は、あまりクオリティーのよくないものが多いような感じで、普通のレビュー付きのジャーナルに通すのは厳しいといういうよな仕事をとりあえず発表したいという人が利用しているという印象です。しかし、こうした有名雑誌と組むことで、質が上がっていく可能性がありますね。
JCBの思惑は、多分、他のジャーナルと同じでしょう。NatureやCellから系列雑誌を順番に落ちてきたぐらいの比較的高品質の論文をすくい取るという目的でしょうね。ジャーナルのトップ集団から脱落しつつあるとJCB自身が感じているような様子です。果たして、どうなるのでしょうか。かつての憧れの雑誌がその人気を失っていくのを見るには寂しいものですね。しかし、世に変わらぬものはありません。雑誌も研究者も常に世の中に沿って変化することによって、自分というものを保っていく必要があります。随処に主となれば立処皆真なり、変わることによって変わらぬ価値を維持していく努力をしないといけない、と新ためて感じた次第です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日米連合軍と戦う沖縄

2016-05-24 | Weblog
3ヶ月待たされた挙句に、リジェクトのお知らせ。
この雑誌の専門分野そのものが衰退しているのが大きな理由ですが、この雑誌、10年前のインパクタファクターは、いまやほぼ半減しつつあり、より幅広く投稿を募るため、雑誌中身との名前の変更を考えているような状態だという話は聞いています。この論文、筆頭著者の人は移動し、追加実験はできず、という状態で、止むを得ず、いまの形で投稿したものです。10年前だったら通らない論文でも、雑誌の評価が凋落傾向のいま、多少レビューも甘くなっていればいいな、などと期待した私の考えの方が甘かったです。例によって、この雑誌も下位にオープンアクセスのオンライン雑誌を数年前に作ったようです。複数の中堅クラスのジャーナルと組んで、落ちてくる論文を拾い上げようとしているようですが、どうですかね。現在のところのインパクトファクターは2.5ほど、将来性があるとは思えません。

さて、もうほとんど興味のなくなったアメリカ大統領選、予備選も終盤に近づいてきました。このまま行くと、嫌われ者二人が争う構図になりそうです。トランプは共和党主流派とリベラル、良識派から嫌われている一方、クリントンは一般市民から嫌われているような感じです。このまま本線になって、共和党が一枚岩となれば、トランプ大統領はかなりあり得る話です。共和党主流派も、いくらトランプが嫌いでも自党の政権を犠牲にする気はないし、勝てそうな馬なら好き嫌い抜きに賭けるでしょう。これは民主党でも同じことです。みんな自分が可愛いですから。

私が興味を持っているのは、サンダースの動向です。いくら巻き返してきたとはいえ、super-deligateの多数をクリントンが抑えてしまったような状況で、ここから民主党候補になる可能性はほぼ無いでしょう。クリントンが指名を確定した後で、サンダースがどう動くのか、という点に興味を持つ人は多いと思います。
これまでの政権がやってきた「金融と戦争で世界の一般市民を犠牲にしてアメリカ経済を回す」というやり方に大勢のアメリカ人はうんざりしており、クリントンであれば、現路線が続くであろうということを人々は予想しています。それがサンダースの支持やトランプの支持につながっている訳です。しかし、最終的にどちらが勝つかは経済状況に依存します。なんとなく生活が上向きと国民が感じておれば、現状維持を望むわけで、クリントン、逆であればトランプ(もしくはサンダース)に票が流れるということになります。

さて、民主党予備選でクリントンが予想通り、指名を獲得した場合、サンダースにクリントン支持を求める説得が始まり、最終的にサンダースはクリントン支持を表明することになるでしょう。
落としどころは、クリントンがサンダースの要求をかなり飲むことを約束し、サンダースにそれなりのポジションを用意する。そのかわりに、サンダースはクリントン政権下でも彼の政策を最大限に果たせるように努力すると支持者層を説得して民主党票を確保する、ということになるのでしょうね。

ま、ありえないですが、野次馬的には、サンダースが党を割ってしまえば面白いとは思います。最終的にクリントンでまとまった時に、クリントン支持を表明するサンダースの演説がどういうものになるのか、興味があります。

もう一つ、繰り返される沖縄の駐留軍による市民への暴行、何度、沖縄はこの屈辱と苦しみを味わわねばならないのか、と対米隷属主義で沖縄米軍基地を恒久化しようとしてきた日本政府に対する県民の怒りは、再び、沸騰しつつあります。この事件に関して、翁長知事は、わざわざ上京し、アベ氏と会談。

東京新聞から
沖縄県で米軍属の元米海兵隊員の男が女性の遺体を遺棄した事件を巡り、安倍晋三首相と翁長雄志(おながたけし)知事は二十三日午前、首相官邸で会談した。翁長氏は会談で「基地があるゆえの犯罪だ。許せない」と憤りを示した。二十六日からの主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて来日するオバマ米大統領と、自らが直接面談する機会を設けるよう首相に求めた。
 翁長氏は会談で「再発防止や綱紀粛正という言葉を何百回も聞かされてきたが、現状は何も変わらない。大きな憤りと悲しみを禁じ得ない」と強調した。
 同時に「安倍内閣はできることはすべてやるというが、できないことはすべてやらないという意味合いでしか聞こえない」と政権への不信に言及。「地位協定を改定しなければ日本の独立は神話と言われてしまう」と、在日米軍の法的地位などを定めた日米地位協定の見直しも求めた。
、、、、
 会談に同席した菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、翁長氏とオバマ氏の面談に関し「一般論として言えば外交は中央政府で協議するのが当然ではないか」と慎重な姿勢を示した。
 

その政府が何もしようとせず、沖縄を意図的に見殺しにするから、県知事みずから直接アメリカと対話をしてきているわけでしょう。テマエの無能を棚に上げ、弱いものイジメをしてきたくせに、何の反省もない、このアベ政権の言い草は何なのでしょうか。そもそも、リテラの記事によると、この事件は、政権を慮った上層部にあやうく握りつぶされるところだったそうです。

沖縄の米軍女性殺害事件で本土マスコミが安倍官邸に異常な忖度! 読売は「米軍属」の事実を一切報道せず
「沖縄県警はすでに、事情聴取段階で相当な証拠を固めていた。ところが、県警内部で、捜査に圧力がかかっていたようなんです。安倍官邸の意向を忖度した県警上層部が『オバマ大統領の訪日前でタイミングが悪すぎる』と、言いだしていた。それで、このままだと、捜査を潰されてしまう、と危惧した現場の捜査関係者が琉球新報にリークしたということらしい。つまり、新聞に報道をさせて、既成事実化して、一気に逮捕に持って行こう、と」(在沖縄メディア記者)


そして、アベ政権と言えば、案の定、「首相、地位協定改定に消極的」という報道。
安倍晋三首相は23日の参院決算委員会で、元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性遺棄事件を巡り、沖縄県の翁長雄志知事が求めた日米地位協定の見直しに関し「相手があることだ。実質的に改善を積み重ねてきたところだ」と述べ、消極的な姿勢を示した。26、27両日の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて行うオバマ米大統領との首脳会談で、再発防止など厳正な対処を求め、沖縄側の理解を得たい意向だ。政府は、翁長氏が求めるオバマ氏との面会も困難との認識だ。一方、県内の政党や企業でつくる「オール沖縄会議」は事件に抗議する「県民大会」を6月19日に開くと決めた。


上(アメリカ)には、あくまでも腰低く、下(日本国民)に対しては尊大、植民地の傀儡政府なのはわかっていたこととはいえ、それにしても腹立たしい。アベ政権の態度は不誠実極まりない。
私、何の力もありませんが、翁長知事の味方です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

言って悪い冗談

2016-05-20 | Weblog
今日は、ステムセル関連研究の年に一度のリトリートに参加しています。その空き時間に書いています。私は別にステムセル研究者ではないのですが、ゲストスピーカーがそれなりに豪華で、別の分野の最新動向を知ったりできるので、このリトリートは数年前から楽しみに参加しています。食事つきで、しかもタダというのも大きいです。

ステムセル業界も、もともとの建前が細胞ベースの再生医療を開発するという所を目指していますから当たり前ですが、臨床応用、いかにビジネスに結びつけるか、という議論がこうした会でも大きな部分を占めるようになりました。基礎的研究をする方にとってみれば、技術開発よりもBiology的な発見をする方により興味があるので、こういった話はあまり面白くないです。ま、個人的な感情ですが。

好き嫌いに関わらず、トランスレーショナル的な部分を多くの基礎研究が含むようになってきているのは事実ですし、良い悪いではなく、それが世間の興味とニーズである以上、それに応えていかねばなりません。

それで、最近は、標的分子の阻害薬のin vivo deliveryなどのことをぼんやり考えています。こういった薬関係の分野には全く興味がなかったので、無知でしたが、多少調べてみると面白いです。膜透過性環状ペプチドを使って、核内分子の機能を細胞特異的にin vivoで阻害できないだろうか、などと夢想しています。今の所、ど素人の思いつきに過ぎないわけですが、こうした薬理学、化学、工学的な研究分野と、われわれがやっている分子遺伝学、細胞生物学的分野のクロスオーバーというのは必然的なもので、最近は、トップクラスのラボから出るハイインパクト論文の多くが、こうした複数分野の専門家を巻き込んだ共同研究である場合が多いです。実際、ひと昔前なら、核内ターゲットというだけでundruggableと一顧にもされませんでしたが、最近は、透過性ペプチドを使っての核内蛋白の阻害は少なくともin vitroでは可能です。この辺のdrug deliveryの最新の研究の一部のおこぼれを私も頂きたい、などと夢想しております。

というわけで、今日は大した話題はありませんが、二つだけ。

大学時代のとある教授は、質問に学生がトンチンカンな回答をすると「冗談には、言っていい冗談と言って悪い冗談がある、今のは悪い冗談だ」と笑いつつたしなめたものです。
しかし、アノ方の言う冗談は、笑えません。

先日、国会という「立法」の場で、内閣総理大臣という「行政」の代表のアノ方が次のように言って、人々を呆れさせました。

「山尾さん、議会の運営を勉強してくださいよ。議会では私は立法府の長ですよ」

以下、ネットの反応。
凄い、本当に言ってる。 このおぢさんは三権分立を知らんのか?それとも私が知らない間に国の仕組みが変わったのかしら??
中学で学ぶ三権分立も分からんバカ朕が総理大臣にまでなってしまう世襲政治を何とかしないと、日本に未来はない。
安倍総理が16日の予算委員会で「私は立法府の長であります」と発言した後に「山尾議員は議会の運営ということについて少し勉強した方がいいと思います」という自虐ギャグを披露する
安倍氏が「私が立法府の長だ」と言ったとか。この人、本当に頭がおかしいんじゃないかしら。あなたは行政府の長でしょ! それとも三権分立を認めてない?
人に「勉強しろ」と言った直後のこの発言の面白さ(笑)
すごいですねえ 日本の総理は行政府の長であるばかりか、立法府の長ですか。独裁者として君臨すると、こうも傲慢になるんですね。


もう一つ。
政官財と結託してメディアをコントロールする広告会社、世界の「電通」の不祥事。パナマ文書で税金のゴマカシが暴露されたと思いきや、こんどは東京オリンピック招致での買収、派手にやってます。それでも、おとがめなし? いや、キョーレツですな、アベ政権率いる現代日本。利権に優しく民には厳しく、、。国語、社会、経済算数、ついでに核科学は、落第点なのに、ゴーマン度だけは満点、、、というところですか。

いずれにせよ、東京オリンピックは中止にするのが筋だし、多数の都民、日本国民のためでしょう。インフラの関係上、もう一度ロンドンでオリンピックですかね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

Natureのない世界

2016-05-17 | Weblog
遺伝子操作を使わず、低分子化合物だけを使ってiPSを作る技術がしばらく前に開発されていますが、そのprotocolを調べている間にNature Publishing Groupからでている「Cell Research」という細胞生物学雑誌があることを知りました。知らない雑誌だなあ、新しいNatureビジネスなのかな、と思って、そのホームページに行ってみると、そこの示されているインパクトファクターは12.4とあり驚きました。細胞生物学のリーダー的雑誌であるJCBを凌駕し、同じNPGが出しているNature Cell Biologyにも迫らんばかりの勢いです。

にもかかわらず、この雑誌の名前は私にとっては初耳です。いくら細胞生物が専門ではないとはいえ、ウチの分野でもインパクトのある仕事がJCBやNCBに出ることもあるので、それほどインパクトの高い雑誌なのであれば、名前を聞いていても良いはずです。

雑誌の中身をチラリと見てみました。9割以上が中国人著者です。調べてみると、これは中国の科学アカデミーの関連雑誌で、NPGが出版を請け負っているのだということが分かりました。成る程、と思うと同時に、コレってどうよ、と思いました。雑誌のインパクトファクターとその雑誌に載る論文の質はしばしば乖離がありますが、それでも投稿者は良い仕事はインパクトファクターの高い雑誌に載せたがるわけで、だからインパクトのある仕事は大抵インパクトファクターの高い雑誌に載って、我々の目に触れるということになります。しかし、この雑誌の名前は聞いたことがありません。ということは、少なくともウチの分野でインパクトのある論文がこの雑誌には載ったことは多分ない、ということ示していると思います。

想像するに、これは中国の国家レベルの科学振興策の一環としてのインパクトファクター操作でしょう。中国人研究者に対して、この中国科学アカデミー雑誌の論文をできるだけ多く引用するようにという指令がどこかから出ているか、何らかのインセンティブがあるのではないでしょうか。自身の仕事の引用を増やすために自己引用するとかはよくあることですけど、多分これは、中国の国際科学会への影響力を増大するための中国の学会レベルのマニピュレーションではないかと想像します。

そういえば、戦後の日本経済の発展は護送船団方式と呼ばれました。国家レベルで国内の産業の競争をコントロールすることで、日本全体としての産業の発展を達成しました。中国の研究界も、ひょっとしたらそういうことでしょうか。中国の研究レベルを全体として上げることを目的に、個々の研究者に細かい指導が入るのかも知れません。ま、気持ちは分かりますけど、雑誌のメトリックスは研究者にとっては無視できない数字であり、論文内容と掲載雑誌のインパクトファクターはある程度、相関性を保ってもらいたいと個人的には思います。

加えて、NPGにもちょっと問題があると思います。近年のNPGのビジネスのやり方は多くアカディミックでの研究を発表する場を提供する会社としていかがなものか、と思います。実際、少なからぬ著名研究者が、Nature、Cell、Sceineceの編集方針に異議を唱えて、これらの雑誌には投稿しないと明言しておりますし。

ま、商業雑誌ですからビジネスで、まずは健全な経営が優先するのは分かります。しかし、論文出版は、研究者にとって非常に大切な研究活動の一部です。カネになりそうな流行りのネタを優先していく編集方針が、結果としてアカデミックでの研究動向を左右します。出版は研究者にとって非常に大切であり、研究資金の獲得に大きな影響を及ぼします。研究者も流行に沿った研究をある程度やらざるを得ないのですが、その流行を簡単に作り出す力をこれらの雑誌は持っております。まるで焼畑農業で次々に耕作地をかえていのように研究分野そのものが流行り廃れするという傾向を助長しているのではないかと思います。

現在、Cellの姉妹紙やScienceの人気が低下傾向にある一方で、どうもNature系列は一人勝ちの様相を呈しつつあります。PLoS Oneの商業的成功に触発されてか、上位タイトルには届かないが比較的高品質の論文の受け皿となる関連雑誌を作って、論文を系列雑誌に取り込むというやり方を多くの雑誌がやり始め、この数年で雑誌の種類は急激に増えました。Nature系では、Nature Communications、その下にSceintific Reportsと二段構えです。Cell系はCell Reports、Cell Stem Cellの下位雑誌としてStem Cell Reports、JCIはその下にJCI Insightなどなど、有名雑誌出版社からの新興雑誌がどんどん増えて、その評価が追いついていません。そこに大量の中国などからの論文が流れ込むのですが、レビューシステムはそれに対応できませんから、このやり方はある程度のところで成り立たなくなるのではないかと思います。

そのうち、Peer Reviewで商業雑誌にカネを払って、研究成果を広めるというやり方そのものが崩壊するかも知れません。レビューが容易でない数学などの分野にならって、最近、コールドスプリングハーバーがやりだしたBioRxivのような、Publication firstの発表方式は、悪い試みではないと思います。

今や、オンラインの時代で出版コストは低くなり、情報の効率的な分配も極めて容易になりました。科学研究の発表に出版社が必要でなくなる時代は遠くないと感じます。
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

抜け穴に嵌る

2016-05-13 | Weblog
税金を納めるのは国民の義務であり、税金をごまかすのは重罪だと我々は教わってきました。
社会に出て働き始めたころ、夏の休暇に過疎地の応援に行ってそこそこの臨時収入を得たことがありました。当時の部長から、必ず収入は申告するようにとお達しがあり、真面目に申告したら、かなりの額を源泉徴収されていたのにもかかわらず、さらに追加で徴収され、結局、臨時収入はほとんど税金に消えたことがありました。
そのときは税務署の人は、市民から公平に税金を集める助けをしているのだろう、とナイーブに考えていたのですが、後々、振り返って、どう見ても経費として計上できる部分も、認めてくれていなかったり、他の人の話を聞いたりして、ああ、税務署というのは、市民から金をで少しでも多く取ることを目標として動いている機関なのだと理解を改めました。

アメリカでは、(権力を持っている)国家をUncle Samと呼びますが、税金シーズンは明らかにUncle Samは個人の財産を狙う悪役として描かれることが多く、うまくUncle Samから合法的に逃れるためのコツなどを指南するサイトが多く見られるようになります。ここでは、納税者と徴税者は敵どうしです。

しかし、かといって、税金は国民生活の保護にも本来必要なもので、みんなが税金をごまかすようになれば、水も止まれば、下水も流れず、道路も通れなくなる、と様々な不便が出てきます。

税金をゴマかす人と、税金を不正に使う人、どちらもどちらですが、どちらに対しても私は寛容な気持ちになれません、というのは、そういった行いは正直で思いやりのある普通の人々をバカにする行為であると感じるからです。

いうまでもなく、理想の社会は善意のある人々がお互いを尊重し、思いやるような社会でしょう。その一方で、人間個人にとって、自分自身が一番大切であることは当然です。その個の尊重を社会のレベルに広げていく、個にとらわれている視点を他にも広げていく、すなわち他人を思い測れる想像力を育てていくことが、人間としての成長であり、それを社会的レベルで達成していくことが人類の目標であると私は思っております。

しかるに現在ではまだまだ、自分が一番大切だから他人を利用したり傷つけたりするのは仕方がない、という考えは世界の多くの所では常識でであり、むしろ自分のために他人を利用することは「かしこい」ことだとさえ考えるようなレベルの人々も大勢おります。和を尊ぶ日本ではそのような考え方は嫌われてきました。自分が大切だから他人も等しく大切である、と考えるのが、一段上の視点から見れば当然の考え方です。

税金をゴマかす企業、増税して、ハコモノを作って天下り税金を自分の資産に付け替える官僚組織、その手先になっているアベ政権、彼らがやっていることは、人々の不利益と引き換えに自分の利益を増大させることです。総じて精神レベルの高い日本人のことですから、「多く税金を納めるぐらい儲けさせていただいてありがとう、この税金を社会に役立ててください」という企業や、「税金納めていただいてありがとう、おかげてみんなが助かります」と考える役人も少なからず存在するとは思います。しかし、あいにく、中には「キレイごとばっかりでは生き残れっていけない、世の中、沈むヤツがいるから浮かぶヤツがいるのだ」と考えるような人々も多数おります。残念ながら、組織としては「悪貨は良貨を駆逐する」との例えの通り、結局、最も低いレベルが基準となっていってしまうのでしょう。

企業が生き残っていく上で、許される範囲で節税のテクニックを使うのは当然だと思います。しかし、明らかに日本で商売をしているのに資金を迂回して利益をゴマかし日本に払うべき税金を払わないというのは、正当なテクニックとは呼べないと思います。自らの利益のために社会に対する義務を積極的に回避しようとするようなセコい企業を私は応援したいとは思いません。自己の存続は何よりにも優先しますが、それはそのためには他人を犠牲にしたり社会に損を与える言い訳にはならないと思います。抜け穴に生きるものは抜け穴に嵌って死ぬことになるでしょう。

当分、私は、XXXXの服を買うこともないだろうしXXXXのビールも飲まないしXXXXの自動車を買うこともないと思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加