百醜千拙草

何とかやっています

JCBの新戦略

2016-05-27 | Weblog
月日の経つのは早いもので、日本の科学会を揺るがしたSTAPスキャンダルからすでに2年余り。久しぶりにKnoepflerのStem Cell blogを覗いたら、Oさん、「STAP HOPE PAGE」とかいうWebsiteを立ち上げたという話題がありました。そのWebsiteに示されているSTAPがあるという「証拠」のデータが余りに説得力がない、と切り捨てています。去年のNatureのSTAP否定論文で正式にケリがついて、もうまともな研究者は誰も相手にしないというのに、何のためにやっているのだろう、と不思議に思っておりましたが、どうやら、世間には彼女のファンらしい人々がいるのです。しばらく前に出たOさんの手記のアマゾンの書評を見てみました。評価が最高と最低に分かれており、中間がほとんどありません。最低評価を付けている人はどうも多くが研究と科学が理解できる業界関係の人々、一方、5つ星を付けている人は、多くが研究業界の内情を知らない一般の人のようですが、その一般の人の多くの人が、どうも「Oさんは、ステムセル利権争いに利用されて捨てられた被害者であり、本当の黒幕は別にいる」という陰謀論を信じており、すべての現象をそれによって説明したいという願望があるようです。ある人は「この本で真実がわかりました」というようなコメントを書いていて、思わずのけぞりました。嘘のかたまりのようなこの論文を書いた本人の手記でどうやって真実がわかるのでしょうか。昔のアステアの歌、「俺が生まれてこのかたずっと嘘つきだったことを知っているくせに、どうしてお前は、愛していると言った言葉は信じられたんだ?」を思い出しました。

また、彼らは科学的な内容を十分に判断はできないにもかかわらず、専門家は常に彼らを騙そうとしているので専門家の言うことは信用できないとも信じているようです。先日、ファンの恨みを買って刺されるという事件があったこともあり、私、ちょっと怖くなりました。これはもう「信仰」の問題であって、事実の解釈を科学的に議論しようとしても、信者の人とは会話は成り立ちません。なるほどファンというものは宗教の信者であって、信仰の前には膨大な客観的事実も取るに足らない瑣末事ものなのだ、と納得した次第です。触らぬ神に祟りなし、もうこの話題には近寄りません。

話変わって、JCBからの広告メール。かつての細胞生物の最高峰の一つ、JCBも南下傾向の昨今、最初の投稿分はJCBのフォーマットにしなくてもよい、とい新しいポリシーを発動させたようです。BioRxivと連動し、BioRxivに発表した論文をそのまま、JCBに投稿できるらしいです。
現在のところ、bioRxivに出ている論文は、あまりクオリティーのよくないものが多いような感じで、普通のレビュー付きのジャーナルに通すのは厳しいといういうよな仕事をとりあえず発表したいという人が利用しているという印象です。しかし、こうした有名雑誌と組むことで、質が上がっていく可能性がありますね。
JCBの思惑は、多分、他のジャーナルと同じでしょう。NatureやCellから系列雑誌を順番に落ちてきたぐらいの比較的高品質の論文をすくい取るという目的でしょうね。ジャーナルのトップ集団から脱落しつつあるとJCB自身が感じているような様子です。果たして、どうなるのでしょうか。かつての憧れの雑誌がその人気を失っていくのを見るには寂しいものですね。しかし、世に変わらぬものはありません。雑誌も研究者も常に世の中に沿って変化することによって、自分というものを保っていく必要があります。随処に主となれば立処皆真なり、変わることによって変わらぬ価値を維持していく努力をしないといけない、と新ためて感じた次第です。
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日米連合軍と戦う沖縄

2016-05-24 | Weblog
3ヶ月待たされた挙句に、リジェクトのお知らせ。
この雑誌の専門分野そのものが衰退しているのが大きな理由ですが、この雑誌、10年前のインパクタファクターは、いまやほぼ半減しつつあり、より幅広く投稿を募るため、雑誌中身との名前の変更を考えているような状態だという話は聞いています。この論文、筆頭著者の人は移動し、追加実験はできず、という状態で、止むを得ず、いまの形で投稿したものです。10年前だったら通らない論文でも、雑誌の評価が凋落傾向のいま、多少レビューも甘くなっていればいいな、などと期待した私の考えの方が甘かったです。例によって、この雑誌も下位にオープンアクセスのオンライン雑誌を数年前に作ったようです。複数の中堅クラスのジャーナルと組んで、落ちてくる論文を拾い上げようとしているようですが、どうですかね。現在のところのインパクトファクターは2.5ほど、将来性があるとは思えません。

さて、もうほとんど興味のなくなったアメリカ大統領選、予備選も終盤に近づいてきました。このまま行くと、嫌われ者二人が争う構図になりそうです。トランプは共和党主流派とリベラル、良識派から嫌われている一方、クリントンは一般市民から嫌われているような感じです。このまま本線になって、共和党が一枚岩となれば、トランプ大統領はかなりあり得る話です。共和党主流派も、いくらトランプが嫌いでも自党の政権を犠牲にする気はないし、勝てそうな馬なら好き嫌い抜きに賭けるでしょう。これは民主党でも同じことです。みんな自分が可愛いですから。

私が興味を持っているのは、サンダースの動向です。いくら巻き返してきたとはいえ、super-deligateの多数をクリントンが抑えてしまったような状況で、ここから民主党候補になる可能性はほぼ無いでしょう。クリントンが指名を確定した後で、サンダースがどう動くのか、という点に興味を持つ人は多いと思います。
これまでの政権がやってきた「金融と戦争で世界の一般市民を犠牲にしてアメリカ経済を回す」というやり方に大勢のアメリカ人はうんざりしており、クリントンであれば、現路線が続くであろうということを人々は予想しています。それがサンダースの支持やトランプの支持につながっている訳です。しかし、最終的にどちらが勝つかは経済状況に依存します。なんとなく生活が上向きと国民が感じておれば、現状維持を望むわけで、クリントン、逆であればトランプ(もしくはサンダース)に票が流れるということになります。

さて、民主党予備選でクリントンが予想通り、指名を獲得した場合、サンダースにクリントン支持を求める説得が始まり、最終的にサンダースはクリントン支持を表明することになるでしょう。
落としどころは、クリントンがサンダースの要求をかなり飲むことを約束し、サンダースにそれなりのポジションを用意する。そのかわりに、サンダースはクリントン政権下でも彼の政策を最大限に果たせるように努力すると支持者層を説得して民主党票を確保する、ということになるのでしょうね。

ま、ありえないですが、野次馬的には、サンダースが党を割ってしまえば面白いとは思います。最終的にクリントンでまとまった時に、クリントン支持を表明するサンダースの演説がどういうものになるのか、興味があります。

もう一つ、繰り返される沖縄の駐留軍による市民への暴行、何度、沖縄はこの屈辱と苦しみを味わわねばならないのか、と対米隷属主義で沖縄米軍基地を恒久化しようとしてきた日本政府に対する県民の怒りは、再び、沸騰しつつあります。この事件に関して、翁長知事は、わざわざ上京し、アベ氏と会談。

東京新聞から
沖縄県で米軍属の元米海兵隊員の男が女性の遺体を遺棄した事件を巡り、安倍晋三首相と翁長雄志(おながたけし)知事は二十三日午前、首相官邸で会談した。翁長氏は会談で「基地があるゆえの犯罪だ。許せない」と憤りを示した。二十六日からの主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて来日するオバマ米大統領と、自らが直接面談する機会を設けるよう首相に求めた。
 翁長氏は会談で「再発防止や綱紀粛正という言葉を何百回も聞かされてきたが、現状は何も変わらない。大きな憤りと悲しみを禁じ得ない」と強調した。
 同時に「安倍内閣はできることはすべてやるというが、できないことはすべてやらないという意味合いでしか聞こえない」と政権への不信に言及。「地位協定を改定しなければ日本の独立は神話と言われてしまう」と、在日米軍の法的地位などを定めた日米地位協定の見直しも求めた。
、、、、
 会談に同席した菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、翁長氏とオバマ氏の面談に関し「一般論として言えば外交は中央政府で協議するのが当然ではないか」と慎重な姿勢を示した。
 

その政府が何もしようとせず、沖縄を意図的に見殺しにするから、県知事みずから直接アメリカと対話をしてきているわけでしょう。テマエの無能を棚に上げ、弱いものイジメをしてきたくせに、何の反省もない、このアベ政権の言い草は何なのでしょうか。そもそも、リテラの記事によると、この事件は、政権を慮った上層部にあやうく握りつぶされるところだったそうです。

沖縄の米軍女性殺害事件で本土マスコミが安倍官邸に異常な忖度! 読売は「米軍属」の事実を一切報道せず
「沖縄県警はすでに、事情聴取段階で相当な証拠を固めていた。ところが、県警内部で、捜査に圧力がかかっていたようなんです。安倍官邸の意向を忖度した県警上層部が『オバマ大統領の訪日前でタイミングが悪すぎる』と、言いだしていた。それで、このままだと、捜査を潰されてしまう、と危惧した現場の捜査関係者が琉球新報にリークしたということらしい。つまり、新聞に報道をさせて、既成事実化して、一気に逮捕に持って行こう、と」(在沖縄メディア記者)


そして、アベ政権と言えば、案の定、「首相、地位協定改定に消極的」という報道。
安倍晋三首相は23日の参院決算委員会で、元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性遺棄事件を巡り、沖縄県の翁長雄志知事が求めた日米地位協定の見直しに関し「相手があることだ。実質的に改善を積み重ねてきたところだ」と述べ、消極的な姿勢を示した。26、27両日の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に合わせて行うオバマ米大統領との首脳会談で、再発防止など厳正な対処を求め、沖縄側の理解を得たい意向だ。政府は、翁長氏が求めるオバマ氏との面会も困難との認識だ。一方、県内の政党や企業でつくる「オール沖縄会議」は事件に抗議する「県民大会」を6月19日に開くと決めた。


上(アメリカ)には、あくまでも腰低く、下(日本国民)に対しては尊大、植民地の傀儡政府なのはわかっていたこととはいえ、それにしても腹立たしい。アベ政権の態度は不誠実極まりない。
私、何の力もありませんが、翁長知事の味方です。
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言って悪い冗談

2016-05-20 | Weblog
今日は、ステムセル関連研究の年に一度のリトリートに参加しています。その空き時間に書いています。私は別にステムセル研究者ではないのですが、ゲストスピーカーがそれなりに豪華で、別の分野の最新動向を知ったりできるので、このリトリートは数年前から楽しみに参加しています。食事つきで、しかもタダというのも大きいです。

ステムセル業界も、もともとの建前が細胞ベースの再生医療を開発するという所を目指していますから当たり前ですが、臨床応用、いかにビジネスに結びつけるか、という議論がこうした会でも大きな部分を占めるようになりました。基礎的研究をする方にとってみれば、技術開発よりもBiology的な発見をする方により興味があるので、こういった話はあまり面白くないです。ま、個人的な感情ですが。

好き嫌いに関わらず、トランスレーショナル的な部分を多くの基礎研究が含むようになってきているのは事実ですし、良い悪いではなく、それが世間の興味とニーズである以上、それに応えていかねばなりません。

それで、最近は、標的分子の阻害薬のin vivo deliveryなどのことをぼんやり考えています。こういった薬関係の分野には全く興味がなかったので、無知でしたが、多少調べてみると面白いです。膜透過性環状ペプチドを使って、核内分子の機能を細胞特異的にin vivoで阻害できないだろうか、などと夢想しています。今の所、ど素人の思いつきに過ぎないわけですが、こうした薬理学、化学、工学的な研究分野と、われわれがやっている分子遺伝学、細胞生物学的分野のクロスオーバーというのは必然的なもので、最近は、トップクラスのラボから出るハイインパクト論文の多くが、こうした複数分野の専門家を巻き込んだ共同研究である場合が多いです。実際、ひと昔前なら、核内ターゲットというだけでundruggableと一顧にもされませんでしたが、最近は、透過性ペプチドを使っての核内蛋白の阻害は少なくともin vitroでは可能です。この辺のdrug deliveryの最新の研究の一部のおこぼれを私も頂きたい、などと夢想しております。

というわけで、今日は大した話題はありませんが、二つだけ。

大学時代のとある教授は、質問に学生がトンチンカンな回答をすると「冗談には、言っていい冗談と言って悪い冗談がある、今のは悪い冗談だ」と笑いつつたしなめたものです。
しかし、アノ方の言う冗談は、笑えません。

先日、国会という「立法」の場で、内閣総理大臣という「行政」の代表のアノ方が次のように言って、人々を呆れさせました。

「山尾さん、議会の運営を勉強してくださいよ。議会では私は立法府の長ですよ」

以下、ネットの反応。
凄い、本当に言ってる。 このおぢさんは三権分立を知らんのか?それとも私が知らない間に国の仕組みが変わったのかしら??
中学で学ぶ三権分立も分からんバカ朕が総理大臣にまでなってしまう世襲政治を何とかしないと、日本に未来はない。
安倍総理が16日の予算委員会で「私は立法府の長であります」と発言した後に「山尾議員は議会の運営ということについて少し勉強した方がいいと思います」という自虐ギャグを披露する
安倍氏が「私が立法府の長だ」と言ったとか。この人、本当に頭がおかしいんじゃないかしら。あなたは行政府の長でしょ! それとも三権分立を認めてない?
人に「勉強しろ」と言った直後のこの発言の面白さ(笑)
すごいですねえ 日本の総理は行政府の長であるばかりか、立法府の長ですか。独裁者として君臨すると、こうも傲慢になるんですね。


もう一つ。
政官財と結託してメディアをコントロールする広告会社、世界の「電通」の不祥事。パナマ文書で税金のゴマカシが暴露されたと思いきや、こんどは東京オリンピック招致での買収、派手にやってます。それでも、おとがめなし? いや、キョーレツですな、アベ政権率いる現代日本。利権に優しく民には厳しく、、。国語、社会、経済算数、ついでに核科学は、落第点なのに、ゴーマン度だけは満点、、、というところですか。

いずれにせよ、東京オリンピックは中止にするのが筋だし、多数の都民、日本国民のためでしょう。インフラの関係上、もう一度ロンドンでオリンピックですかね。
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Natureのない世界

2016-05-17 | Weblog
遺伝子操作を使わず、低分子化合物だけを使ってiPSを作る技術がしばらく前に開発されていますが、そのprotocolを調べている間にNature Publishing Groupからでている「Cell Research」という細胞生物学雑誌があることを知りました。知らない雑誌だなあ、新しいNatureビジネスなのかな、と思って、そのホームページに行ってみると、そこの示されているインパクトファクターは12.4とあり驚きました。細胞生物学のリーダー的雑誌であるJCBを凌駕し、同じNPGが出しているNature Cell Biologyにも迫らんばかりの勢いです。

にもかかわらず、この雑誌の名前は私にとっては初耳です。いくら細胞生物が専門ではないとはいえ、ウチの分野でもインパクトのある仕事がJCBやNCBに出ることもあるので、それほどインパクトの高い雑誌なのであれば、名前を聞いていても良いはずです。

雑誌の中身をチラリと見てみました。9割以上が中国人著者です。調べてみると、これは中国の科学アカデミーの関連雑誌で、NPGが出版を請け負っているのだということが分かりました。成る程、と思うと同時に、コレってどうよ、と思いました。雑誌のインパクトファクターとその雑誌に載る論文の質はしばしば乖離がありますが、それでも投稿者は良い仕事はインパクトファクターの高い雑誌に載せたがるわけで、だからインパクトのある仕事は大抵インパクトファクターの高い雑誌に載って、我々の目に触れるということになります。しかし、この雑誌の名前は聞いたことがありません。ということは、少なくともウチの分野でインパクトのある論文がこの雑誌には載ったことは多分ない、ということ示していると思います。

想像するに、これは中国の国家レベルの科学振興策の一環としてのインパクトファクター操作でしょう。中国人研究者に対して、この中国科学アカデミー雑誌の論文をできるだけ多く引用するようにという指令がどこかから出ているか、何らかのインセンティブがあるのではないでしょうか。自身の仕事の引用を増やすために自己引用するとかはよくあることですけど、多分これは、中国の国際科学会への影響力を増大するための中国の学会レベルのマニピュレーションではないかと想像します。

そういえば、戦後の日本経済の発展は護送船団方式と呼ばれました。国家レベルで国内の産業の競争をコントロールすることで、日本全体としての産業の発展を達成しました。中国の研究界も、ひょっとしたらそういうことでしょうか。中国の研究レベルを全体として上げることを目的に、個々の研究者に細かい指導が入るのかも知れません。ま、気持ちは分かりますけど、雑誌のメトリックスは研究者にとっては無視できない数字であり、論文内容と掲載雑誌のインパクトファクターはある程度、相関性を保ってもらいたいと個人的には思います。

加えて、NPGにもちょっと問題があると思います。近年のNPGのビジネスのやり方は多くアカディミックでの研究を発表する場を提供する会社としていかがなものか、と思います。実際、少なからぬ著名研究者が、Nature、Cell、Sceineceの編集方針に異議を唱えて、これらの雑誌には投稿しないと明言しておりますし。

ま、商業雑誌ですからビジネスで、まずは健全な経営が優先するのは分かります。しかし、論文出版は、研究者にとって非常に大切な研究活動の一部です。カネになりそうな流行りのネタを優先していく編集方針が、結果としてアカデミックでの研究動向を左右します。出版は研究者にとって非常に大切であり、研究資金の獲得に大きな影響を及ぼします。研究者も流行に沿った研究をある程度やらざるを得ないのですが、その流行を簡単に作り出す力をこれらの雑誌は持っております。まるで焼畑農業で次々に耕作地をかえていのように研究分野そのものが流行り廃れするという傾向を助長しているのではないかと思います。

現在、Cellの姉妹紙やScienceの人気が低下傾向にある一方で、どうもNature系列は一人勝ちの様相を呈しつつあります。PLoS Oneの商業的成功に触発されてか、上位タイトルには届かないが比較的高品質の論文の受け皿となる関連雑誌を作って、論文を系列雑誌に取り込むというやり方を多くの雑誌がやり始め、この数年で雑誌の種類は急激に増えました。Nature系では、Nature Communications、その下にSceintific Reportsと二段構えです。Cell系はCell Reports、Cell Stem Cellの下位雑誌としてStem Cell Reports、JCIはその下にJCI Insightなどなど、有名雑誌出版社からの新興雑誌がどんどん増えて、その評価が追いついていません。そこに大量の中国などからの論文が流れ込むのですが、レビューシステムはそれに対応できませんから、このやり方はある程度のところで成り立たなくなるのではないかと思います。

そのうち、Peer Reviewで商業雑誌にカネを払って、研究成果を広めるというやり方そのものが崩壊するかも知れません。レビューが容易でない数学などの分野にならって、最近、コールドスプリングハーバーがやりだしたBioRxivのような、Publication firstの発表方式は、悪い試みではないと思います。

今や、オンラインの時代で出版コストは低くなり、情報の効率的な分配も極めて容易になりました。科学研究の発表に出版社が必要でなくなる時代は遠くないと感じます。
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抜け穴に嵌る

2016-05-13 | Weblog
税金を納めるのは国民の義務であり、税金をごまかすのは重罪だと我々は教わってきました。
社会に出て働き始めたころ、夏の休暇に過疎地の応援に行ってそこそこの臨時収入を得たことがありました。当時の部長から、必ず収入は申告するようにとお達しがあり、真面目に申告したら、かなりの額を源泉徴収されていたのにもかかわらず、さらに追加で徴収され、結局、臨時収入はほとんど税金に消えたことがありました。
そのときは税務署の人は、市民から公平に税金を集める助けをしているのだろう、とナイーブに考えていたのですが、後々、振り返って、どう見ても経費として計上できる部分も、認めてくれていなかったり、他の人の話を聞いたりして、ああ、税務署というのは、市民から金をで少しでも多く取ることを目標として動いている機関なのだと理解を改めました。

アメリカでは、(権力を持っている)国家をUncle Samと呼びますが、税金シーズンは明らかにUncle Samは個人の財産を狙う悪役として描かれることが多く、うまくUncle Samから合法的に逃れるためのコツなどを指南するサイトが多く見られるようになります。ここでは、納税者と徴税者は敵どうしです。

しかし、かといって、税金は国民生活の保護にも本来必要なもので、みんなが税金をごまかすようになれば、水も止まれば、下水も流れず、道路も通れなくなる、と様々な不便が出てきます。

税金をゴマかす人と、税金を不正に使う人、どちらもどちらですが、どちらに対しても私は寛容な気持ちになれません、というのは、そういった行いは正直で思いやりのある普通の人々をバカにする行為であると感じるからです。

いうまでもなく、理想の社会は善意のある人々がお互いを尊重し、思いやるような社会でしょう。その一方で、人間個人にとって、自分自身が一番大切であることは当然です。その個の尊重を社会のレベルに広げていく、個にとらわれている視点を他にも広げていく、すなわち他人を思い測れる想像力を育てていくことが、人間としての成長であり、それを社会的レベルで達成していくことが人類の目標であると私は思っております。

しかるに現在ではまだまだ、自分が一番大切だから他人を利用したり傷つけたりするのは仕方がない、という考えは世界の多くの所では常識でであり、むしろ自分のために他人を利用することは「かしこい」ことだとさえ考えるようなレベルの人々も大勢おります。和を尊ぶ日本ではそのような考え方は嫌われてきました。自分が大切だから他人も等しく大切である、と考えるのが、一段上の視点から見れば当然の考え方です。

税金をゴマかす企業、増税して、ハコモノを作って天下り税金を自分の資産に付け替える官僚組織、その手先になっているアベ政権、彼らがやっていることは、人々の不利益と引き換えに自分の利益を増大させることです。総じて精神レベルの高い日本人のことですから、「多く税金を納めるぐらい儲けさせていただいてありがとう、この税金を社会に役立ててください」という企業や、「税金納めていただいてありがとう、おかげてみんなが助かります」と考える役人も少なからず存在するとは思います。しかし、あいにく、中には「キレイごとばっかりでは生き残れっていけない、世の中、沈むヤツがいるから浮かぶヤツがいるのだ」と考えるような人々も多数おります。残念ながら、組織としては「悪貨は良貨を駆逐する」との例えの通り、結局、最も低いレベルが基準となっていってしまうのでしょう。

企業が生き残っていく上で、許される範囲で節税のテクニックを使うのは当然だと思います。しかし、明らかに日本で商売をしているのに資金を迂回して利益をゴマかし日本に払うべき税金を払わないというのは、正当なテクニックとは呼べないと思います。自らの利益のために社会に対する義務を積極的に回避しようとするようなセコい企業を私は応援したいとは思いません。自己の存続は何よりにも優先しますが、それはそのためには他人を犠牲にしたり社会に損を与える言い訳にはならないと思います。抜け穴に生きるものは抜け穴に嵌って死ぬことになるでしょう。

当分、私は、XXXXの服を買うこともないだろうしXXXXのビールも飲まないしXXXXの自動車を買うこともないと思います。
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恥ずかしい

2016-05-10 | Weblog
島国で同胞意識の強い日本人ですから、世界で活躍する日本人を見て、誇りに思うのは自然なことだと思います。「同じ日本人として」自分も頑張ろうと思えるのは素晴らしいことです。そんな日本人の一人、富田勲さんが死去とのニュース。

シンセサイザーを使った電子音楽の第一人者で、音響作家としても世界的に知られた作曲家の冨田勲(とみた・いさお)さんが5日、慢性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。、、、71年に渡米。米国で開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーを日本に紹介し、本格的な電子音楽の文化を広めた。74年、全パートの演奏と録音を一人で手がけたアルバム「月の光」を発表し、米音楽チャート誌のクラシック部門で1位に。その後も「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」といったクラシックの名曲を現代的な響きで「再創造」した。日本人では初めて米グラミー賞にノミネート。、、、


シンセサイザー音楽が日本で流行りだしたころは朧げに覚えております。随分昔、日本でシンセサイザーを売り出していたローランドが梅田にショールームを開き、まだコンピューター端末をコードでつないで操作するようなタイプのプリミティブなシンセサイザーなどを展示していて、そこは若者の溜まり場になっていました。それからYMOなどテクノと呼ばれる音楽が大流行しました。

一方、最近では、同じ日本人として、恥ずかしくて消えたい気持ちになることも多くなりました。いうまでもなく、あの方の話です。

安倍首相は独でなく日の超緊縮財政を是正すべし (知られざる真実)
ドイツのメルケル首相との会談では、ドイツによる財政出動の合意を得ることを目指していることを表明している。主要国による政策協調を安倍首相がリードするとの思い入れがあるのだとメディアは伝えている。ところが、安倍政権の足元にある日本経済は、とても他国に範を示すどころの状況ではない。、、、
つまり、安倍首相は日本の経済政策の現状さえ正確に把握することなく、他国に行って、他国の経済政策に注文をつけるという失態を演じているのである。、、、日本の経済政策が零点の状態にあるのに、他国の経済政策に注文をつけるのは100年早い。

小沢一郎事務所ツイートから。
安倍総理は先のロンドンでの記者会見で、「なすべきことは明確だ。アベノミクスの3本の矢をもう一度世界レベルで展開させることだ」と述べた。完全に意味不明であり、もはや何を言いたいか、何をしたいのか理解不能である。第一、このような会見が海外でどう受け止められただろう。とても心配である。


関して、EUに財政出動を説得する方法をノーベル賞経済学者に相談したことが明るみになったことに関する「東京新聞の先週の記事
、、、首相は、議長を務める伊勢志摩サミットで世界経済成長のために各国が財政出動で協調、との青写真を描く。難問は財政規律が厳格なドイツをいかに説得するか。それこそ首相の腕の見せどころのはずだがオフレコ部分は、そのドイツ説得のアイデアを請う場面だった。
 クルーグマン氏は「外交は私の専門ではないので…」とやんわりかわしたことも含め、会合の中身をツイッターで明かした。全体を公開したのは、氏が消費税増税に反対したことなど政府に都合良い部分だけを利用されたくないとの意思表示だろう。、、、


別にアベ氏の妄言に反応したわけではないでしょうが、今週、EU中央銀行は、あらためて財政出動の予定はない、と念押し。
ロンドン 9日 ロイター] - 欧州中央銀行(ECB)のコンスタンシオ副総裁は9日、ECBは包括的な景気刺激策を最近講じたばかりで、世界経済に大きな衝撃がない限りは追加緩和を検討することはない、との考えを示した。


ロシア訪問に関してのゲンダイの記事>
今回の欧州歴訪で安倍首相は、英独にも財政出動をめぐってテキトーにあしらわれた。「一生懸命やっている“演出”づくりに外務省もまいっている」(自民党関係者)というのが現実のようだ。


ま、これはゲンダイの記事で、例によって匿名の「関係者」の話ではありますが、私から見ても、独りよがりな空回りにしか見えないです。なのに、本人はなんとなく満足げなのが、恥ずかしいを通り越して気持ち悪い。

何と言えばいいのですかねコレ。官邸前のみならず訪問する世界各地で反対デモを起こされるほど嫌われて、世界のリーダーの誰からも相手にされていないのに、本人にどうもその自覚がないように見えます。多くの日本人が「同じ日本人として」恥ずかしいと思っている気持ち、どうやったら伝わるのでしょうね。
あるいは本人は全て承知の上でバカを装っているのでしょうかね。だと、タチが悪いですが。
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ラーメンかジンギスカンか

2016-05-06 | Weblog
先日投稿したところから、セミ アクセプトのお知らせ。エディターが一人のレビューアの無理筋の要求を上書きしてくれました。そのメールには、既に編集室の人が朱筆を入れた原稿が添付されていて、その手回しの良さに驚きました。流石に高い掲載料を取るだけのことはあります。

もう一本の論文は、投稿してから2ヶ月余り、放置の刑になっています。編集室に問い合わせたところ、一人のレビューアーがバックれたという話。よくある話です。レビューのような仕事は週末に回されるわけで、きっとこのレビューアも、最初は週末にやるつもりだったのでしょうが、気分が乗らないとか用事ができたとかの事情で一週間が経ち、二週間が経ち、三週間経ったところで多少の罪悪感に駆られはじめるも、どうしてもやる気にならず、もうこれはなかったことにしよう、編集室からの催促のメールも見なかったことにして、ひたすら貝になっていれば、相手もそのうち、あきらめるだろう、というパターンに陥ったに違いありません。気持ちはわからんではないですけどね。しかし、放置に生きるものは放置に死す、因果はめぐり、天網恢々、復讐するは我にあり、きっとアナタの論文も放置の刑に処されるであろう、と密かに思ったのでした。

論文のレビューと言えば、先月、引き受けた数本は、すべて某国の人が著者でした。一本はアメリカからで、それは余りストレスなく読めました。しかし、残りの本土からのは、一言でいうと、なってません。英語がおかしいのは目をつぶりましょう、科学的にどうよ、という点も議論はできます。味噌ラーメンと塩ラーメンを間違えるということもたまにはあるでしょう。しかし、ラーメン屋でラーメンを頼んだのにスパゲティーが出てきたりすると、流石にオイオイです。

こちらは提示されているデータから、その整合性をチェックした上で、論文に書かれているような結論を論理的に導き出せすことが可能かどうかを検討するだけのことですから、データそのものの適切性や誤りなどを評価することはまずできません。論文に書いてあることを信じるしかないわけですが、ラーメン鉢にあきらかにスパゲッティーが盛ってあったり、逆にラーメンがパスタ皿に乗せられていたり、ひどい場合は、出された物体の正体さえ定かでなかったりしたら、一体、何を信じていいのか、という気分になります。どうみてもスパゲッティーなのに太めのラーメンだと強弁するツワモノも稀におります。

時折見かける石のように融通の利かない西洋人も困りますが、ラーメンでもスパゲティーでも大した差はないじゃないの、とでも言わんばかりのこの国の研究者のテキトーさには、流石に真面目な日本人の私はムッとします。

人は人に優しくするために生きているのだ、とよく言われます。私も、厳しさよりも優しさ、狭量厳格であるより寛容であることの方が大切だと常々思っておりますが、私もメシの種にしている研究ですから、礼儀作法はそれなりに守ってもらいたい、と思うわけです。ま、しかし投稿してくる著者の方は、なんとも思っていないのでしょうね。そう思うと、勝手にムッとしている私がバカです。

そんな時に効くビデオ。この歌やその後の「モスクワ」が流行った大昔は、インターネットなどない時代で、曲はラジオでしか知りませんでした。最近、Youtubeで映像つきで再発見して、そのシュールさに感動しました。世界の色々な民族音楽を取り入れたディスコ調サウンドですね。どこの組織でも、しばしば、ろくに仕事もせずに踊っていたりするヤツがもっとも目立っていたりするものですね。

融通が利かない、真面目という印象の強いドイツですけど、これは強烈に効きます。楽しそうに歌って踊っているのがいいです。
敵がラーメンでくるなら、こちらはジンギスカンです。



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ピーマンかニンジンか

2016-05-03 | Weblog
ホワイトハウス記者クラブのディナー会で、オバマが共和党の大統領選予備選候に関して、トランプ、クルーズという候補者を念頭に、「肉も魚も嫌いだと言ったところで、それしか選択肢はない」と冗談を飛ばした、という話。続けて、来年のこの場には「彼女」が立つだろう、と暗にクリントンの時期大統領就任を示唆したそうです。
そういうことは言わぬが華、日本人ならそう思うでしょうね。

オマハの託宣、ウォーレン バフェットは「仮に、トランプが大統領になったとしても、うまくやっていけるだろう」と言ったそうです。ま、そりゃ、そうですね。実質的な大統領の権限など拒否権ぐらいのものでしょう。国のトップなど、所詮、祭りの神輿ですから。極東の某島国の首相に至っては、官僚組織に担がれて、振り付け通りに動いているだけですし。私もトランプが大統領になったところで、世界が劇的に変わることはないし、大きな目でみると、クリントンが大統領になって、これまでのようにアメリカ金融、軍需産業という (私から見れば)諸悪の根源を保護していくよりは、あるいはマシな結果になる可能性さえあります。

しかし、トランプを嫌悪する人々は多いでしょう。不動産投資といういわば"虚業"をもとに、ミスユニバースをやったり、テレビの司会をやったり、派手な成金ビルをマンハッタンに立ててみたりと、ポピュリズムを利用しつつ金持ちになった、俗物道を極めたような人物です(少なくとも私にはそう見えます)。札ビラで頬を叩くような真似も実際してきたわけです。そういう人物が、民主主義国家の大統領になりたい、と言えば、その動機は、まず間違いなくエゴセントリックな理由であって、民主主義とはそぐわないものだろうと、普通は思うでしょう。

そういう人が多く支持を集めるということは、ひょっとしたら、自暴自棄になった人々が、劇的な変化を求めて「絶望しつつある人々が戦争に最後の希望を見出す」というような状況になっているのではないか、と心配します。おそらく、実際は、どうしても選挙に勝ちたい共和党に、他にもっとマシでかつ人気の取れる人材がなかったということでしょうが。あるいは、冗談のつもりが真に受けられて、そのまま悪ノリして煽っていたら、勢いがつきすぎて、今更、引くに引けずという状況になったのかも知れません。

トランプとクリントンが本戦で戦う図を想像してみました。過去の大統領選でもっとも興のわかない大統領選になりそうです。嫌いな「肉と魚」の選択をするというよりは、メインコースがそもそも無いのに、つけ合わせをピーマンにするかニンジンにするかと、聞かれているかのようです。
クリントンだと先のことが、なんとなく読めるので多少、安心、という部分でクリントン有利でしょうが、究極の選択に近いですね。期待性の薄さという点では、16年前のアル ゴアとジョージ ブッシュを思い出させます。

どうせなら、ボルグ対マッケンローみたいなのを見たいものです。
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横糸、縦糸

2016-04-29 | Weblog
RNA関係の1日シンポジウムに参加しました。
有名どころを集めた豪華メンバーでしたが、多少、盛り上がりに欠けました。つまり、分野が、ある程度成熟してきて、今では、未知の大陸を冒険するようなワクワク感が乏しくなってきたのです。人々は、少しずつコアなテーマから外れていって、応用研究、ビッグデータを使った包括的研究、生物レベルでの各臓器での研究、という感じで、みんなで一つのテーマを追求する時代は終わり、今は、各々の家へ帰って、それなりにやる時期にきているのだなあ、と思いました。

私は、そもそも最初から家から出ていないので、スタンスは変わりません。ずっと、自分の分野であまり誰からも相手にされないながら、それなりに幸せにやってきました。研究の中身はむしろ以前よりは濃くなってきたように自分では思いますけど、逆に人々の興味は薄れていっているようです。(研究資金の獲得という点からは、これは大きな問題です)

かつて分子生物が急激に広がった時、研究は「分子」を中心に展開することが可能でした。例えば、WntならWntの研究を、脳でやったり腎臓でやったり、ガンでやったりしてもOKでした。今は、ほぼ完全に臓器別、疾患別です。ある臓器、疾患を研究する中で、特定の分子を取り上げるというスタンスでないと、「何屋」なのか、と思われます。それでも、安定してやっていくには、臓器/疾患と分子の二つを専門として持っていることは、必要なようです。臓器/疾患が縦の糸、分子が横の糸、そんな感じで自分の居場所を確保していくことになります。

RNAシンポジウムは、機能性RNAという横糸で広く基礎から様々な臨床までをまとめた会でしたが、縦糸の方がどうしても強いので、それで仕切られてしまうのです。縦糸が強いということは、流動性が乏しく、システムの柔軟性に欠けるということです。世の中が不景気になると、自分の利益の確保を第一に考えるので、排他的な傾向が強まって分野の硬直化が進むのでしょう。

私の現在の居場所もいつまであるかわからないようなものなので、新たに別の住処を探す必要があると感じています。まだ硬直のゆるい場所で比較的スムーズに移れる場所は、もうほとんど見つかりません。新たな住処は新たに作っていくしかありません。
新たに作って人に認識してもらうというのは大変なことですので、これは組み合わせでいくしかありません。思うに、そういう事情で、研究スタイルは従来の生物学から生命工学的な方面の方へと全般的に流れつつあるのでしょう。大手研究室では、新たな技術やシステムで古いものを研究するという研究スタイルを発明し、そこで何らかの(再)発見をするという戦略で、発見を継続させていっているように見えます。

非常に大雑把に研究スタイルという点から生命科学研究の過去の動きを俯瞰すると、形態学の時代、生化学の時代、分子生物学の時代、遺伝子学の時代と流れてきたように思います。そして、現在は一言では形容しがたい多様な時代となっているように感じます。遺伝子学からの発展としてビッグデータを扱うゲノム学、ニューロサイエンスでの必要から生まれた数々のイメージングテクノロジー、ステムセル研究から発展してきた工学的研究、そしてこれらを組み合わせたスタイルと種々様々です。十年後にどうなるのか、全く読めません。
思うに、本当にイノベーティブで多くの研究に影響を及ぼす発見や発明は約十年の潜伏期間をおいて突然、世の中に出てくるように思います。バクテリアでの遺伝子組換え技術、高等動物での遺伝子操作技術、大量シークエンシング技術、Crispr/Casなどです。そうした発見や発明が、研究界全体をドラマティックに変化させます。
だから、私もあまり先のことは心配せず、自然な流れに乗るつもりで、自分の興味をもっていることに集中しておくのが良いのだろうと感じています。先のことは誰にもわからないのですから。


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北国の春は遠からじ

2016-04-26 | Weblog
島影一つ見えない大洋の真ん中でボートを漕いでいるような日々です。
進んでいるのか、止まっているのか、正しい方向に向かっているのか、流されているのか、、、一生懸命に漕いではいるつもりなのですけど。
ま、昔ほどは焦らなくなりました。遠からずやってくる地上を去る日まで、楽しく生きるのみです。
最近は、これにフォーカスしています。毎日、楽しく生きること。
そのために、多少、将来に備えたりプランBを考えてたりはしていますが、それにあまり捕われないように注意しております。将来など本当にやってくるのかさえわかってはいないわけですし、よく緻密に考えてみると、失うものも大してありません。

そう思うと、投げやりというわけではないのですが、眉間にしわ寄せ、眥を釣り上げて、力むようなことはもうやめようという気分です。というか、世の中は、良くなったり悪くなったりして変化していくものです。高く飛ぶには低く屈めとも言います。アベ政権がこれまでの豊かで平和な日本を貧しく殺伐とした国に変えてしまうようなことがあるとしても、傲れる平家は何とやらで、アベ氏も自民党も遠からず消えていき、むしろ、その悪政ゆえに日本はより良くなる機会を与えられるのだと考えることも可能です。天気の良い日もあれば悪い日もある、そう思って天気の悪い日は、天気の良くなる日を楽しみに、悪いなりに過ごせば良いのです。

寒い北海道でも、ずっと続くかに思われるような冬も必ず終わり、春が来ます。そして春の近づきは、ちょっとした小さな出来事の中に感じ取ることができます。

北海道5区の衆院選補欠選挙、残念でした。おそらく当日の投票に関しては互角なので、期日前投票分の自民、公民の組織票(ここに不正がなければ)が、勝敗を分けたということなのでしょう。いずれにせよ、敵の地盤で大きく健闘しました。

この選挙に関して、東京新聞の社説から、

二〇一四年の第三次安倍内閣発足後初の国政選挙である。安全保障関連法や経済・子育て政策などが争点だったが、政権が積極的に信任されたというよりも、町村氏の地盤を娘婿である和田氏が守り抜いたといった方がいいだろう。
 通例なら、自民党候補が有利に戦いを進める「弔い合戦」だが、安全保障関連法廃止と立憲主義回復を掲げて共闘し、激しい選挙戦に持ち込んだのが民進、共産、社民、生活の野党四党である。
 敗北したとはいえ、野党共闘の有効性が確認された選挙戦ではなかったか。野党の力が分散しては安倍自民党の「一強」に対抗することは、とてもできまい。 、、、
 現政権の問題点を粘り強く訴えると同時に、安倍政治に代わるビジョンを示すことも重要だ。四党間に理念・政策の違いがあるのは当然だが、共通政策づくりに向けた協議も急ぐべきである。
 


残念な結果とは言え、これは北国の春の息吹を予感させるに十分なものでした。アベ政権という冬の時代も終わりに近づいていることを思わせるようなものでした。敵の地盤の弔い合戦で、圧倒的不利な状態から、あと一歩のところまで追い詰めたのですから。思うに、今回の健闘は、野党共闘の成果というよりも、これは候補者本人の力が大きかったと思います。

間もなく春の到来です。と思えば、しばらくは、アベ一座の下手くそな芝居も、真打前の前座の余興だと思って見守ってやるか、というぐらいの余裕も湧いてくるというものです。
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それでも原発は止まらない

2016-04-22 | Weblog
不思議だけれでも、皆、ウラの実情は多かれ少なかれ察していること、二、三、貼り付けます。

東京新聞社説、地震と減災 原発はなぜ止まらない

 過去にないような地震が起きた。ところが過去の想定に従って、九州電力川内原発は動き続けている。被災者の不安をよそに、責任の所在もあいまいなまま、3・11などなかったかのように。原子力規制委員会の田中俊一委員長は川内原発に「安全上の問題が起きるわけではない」と言う。、、、熊本地震は、その規模も発生のメカニズムも、過去に類例のない、極めて特異な地震である。複数の活断層が関係し、断層帯を離れた地域にも、地震が飛び火しているという。通説とは異なり、布田川断層帯は、巨大噴火の痕跡である阿蘇のカルデラ内まで延びていた。海底に潜む未知の活断層の影響なども指摘され、広域にわたる全体像の再検討が、必要とされている。正体不明なのである。未知の大地震が起きたということは、原発再稼働の前提も崩されたということだ。新たな規制基準は、3・11の反省の上に立つ。「想定外」に備えろ、という大前提があるはずだ。未知の地震が発生し、その影響がさらに広域に及ぶ恐れがあるとするならば、少なくともその実態が明らかになり、その上で「問題なし」とされない限り、とても「安全」とは言い難い。過去の想定内で判断するということは、3・11の教訓の否定であり、安全神話の時代に立ち戻るということだ。、、 その上、九電は、重大事故時の指令所になる免震施設の建設を拒んでいる。原発ゼロでも市民の暮らしに支障がないのは、実証済みだ。それなのに、なぜ原発を止められないの? 国民の多くが抱く素朴な疑問である。


黒幕は誰なのか それでも原発を止めない狂気 (ゲンダイ)

一体、黒幕は誰なのか。その黒幕の狙い、思惑は何なのか。思わず、こう問いかけたくなる。これだけの巨大地震が起こったのに、再稼働している川内原発を止めようとしない安倍政権に対してである。
、、、なぜ、国は川内原発を止めないのか。なぜ原発再稼働を急ぐのか。冒頭の疑問に立ち返るのだが、元経産省のキャリア官僚の古賀茂明氏の解説が分かりやすかった。
「これだけの巨大地震が起こったのに川内原発を止めないのは、ここで止めたら、日本全国の原発再稼働が不可能になるからでしょう。日本全国に断層が走っている。それらが活動期に入っている。どこでも直下型地震が起こり得る。そのたびに原発を止めていたら、再稼働が不可能になってしまう。だから、川内も止められないのです。加えて、川内原発には一応、想定した安全基準がある。それを下回っているのに止めたら、国民が騒ぐと止める前例を作ることになる。それも嫌なのでしょう。この政権がいかに国民と向き合っていないかの証拠です。米国では少しでも心配なことがあれば、原発を造らないし、止めてしまう。断層が近くにあるだけでダメです。しかし、日本では福島原発の事故が起こった後も、最初に再稼働ありきで動いている。原子力規制委員会が“世界一”の安全基準を作り、そこが認めた原発しか動かせない前提ですが、政府は規制委を隠れみのにしている。再稼働させるために規制委を作ったのが真相ですよ」、、、
、、、その規制委は一応の安全基準は作るものの、再稼働の判断は事業者任せにし、安全性への責任を逃れている。万が一の避難計画の策定は自治体任せ。絶対に自分たちに責任が及ばないように仕組んでいる。そこで、住民が裁判を起こすと、その判決は地裁によって割れてしまう。

参議院議員、山本太郎氏のブログ記事

予測不能の度重なる地震に対して、人々の生命・財産をどう守るか。最大限の予防原則に立つ事が、危機管理の鉄則。
原子力規制委員会委員長 田中俊一氏は、「予防的に原発を止めるかどうかは政治的判断」と言う趣旨の発言をしている。
ならば、申し入れ先は官邸以外あるまい
党を代表し、政府に対して書面で申し入れをしたい、と内閣総務官室(総理・官房長官への橋渡し)に連絡。
官房長官、官房副長官、官房副長官の秘書官、など全てスケジュールが埋まっており、無理との事。そんな事もあるだろう、当日の申し入れなんだから。
では、申し入れを受ける側は政治家ではなく、事務方でも結構です。これから官邸に向かいます、と伝えたところ、
先方はパニックになり、電話でたらい回しになった。
「上層部の理解が得られないから官邸の敷地内には入れられない」などよく判らない話が続き、結局3時間半後には、
「官邸の管理運営上のルールに則って入れる入れないの判断をする」と言う新基準を完成させた模様。
官邸に申し入れができないなら、官邸前で申し入れで良いです。
申し入れの所要時間3分。
たったこれだけの為に、何をそんなパニクっているんだ?
たかが山本太郎が官邸に向かって来る、と言う不測の事態にも対応できないらしい。  (筆者コメント、役人のバタバタが、目に浮かびますな)


山本太郎氏のブログ、他の記事も読んでみて感心しました。優秀なブレインもいるのでしょうが、記事の内容も文章も立派です。少しずつでも仲間を増やしていって大きな勢力となって貰いたいと、期待はずれの岡田民進党を見ていて思いました。
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苦難に際して

2016-04-19 | Weblog
熊本の地震は5年前の悪夢を思い出させます。今回の地震が熊本から中央構造線に沿って東へと広がったことが、今後もあるかもしれない余震、本震が、その先にある伊方原発それから同線の逆方向にある現在稼働中の川内原発へ与え得る影響を想像すると戦慄するばかりです。

世の中、嫌なこと、起こってほしくないこと、心が傷むことに満ちあふれております。そんな苦しみに満ちた人生を高い山に登るかのように、だんだんと薄くなる空気の中を、一歩一歩、その終わりに向けて歩むのが人間です。それは頭ではわかってはいるのですが、突然の厄災にみまわれた時、人は、苦しみや悲しみに打ちひしがれることを避けることはできません。

遠藤周作氏の「イエスの生涯」を古本屋で見つけて、しばらく前に読みました。幼いころに着せられたキリスト教という「ダブダブの洋服」を脱ぐのをやめて和服に仕立て直すことにした、と言った遠藤氏にとってキリスト教は大きなテーマで、「イエスの生涯」でも、人間としてのイエスその弟子の心情を正面から深く考察してあります。

世界中でベストセラーになった氏の「沈黙」は、キリスト教での大きなテーマである「神の沈黙」がモチーフです。信仰厚い人々が理不尽な苦難に見舞われるとき、助けを求める声に対して、神はしばしば沈黙します。どうして熊本や福島で大勢の罪のない人々が死ななければならないのか、どうして神は彼らを助けなかったのか、という問いです。

ウィキペディアには、遠藤周作しの晩年に関して次のような記載があります。

1993年5月に腹膜透析の手術を行った。一時は危篤状態までに陥ったが、奇跡的に回復する。最初はなかなか苦痛に耐えられず、愚痴や泣き言を繰り返していたが、自分とヨブの境遇を重ね合わせ、「ヨブ記の評論を書く」と決心してからはそれがなくなった。


ヨブ記は聖書の中でも最も不可解であると言われます。この信仰厚い善良な男に神が与えた理不尽な厄災の数々を読むと、なんと神とは意地の悪い存在なのか、と思ってしまいます。

しかし、ヨブ記の評論を書くと決心してから泣き言を言わなくなったというこの遠藤氏のエピソードは、人はたとえ苦難に満ちたものであっても与えらえた人生を拒否するのではなく前向きに受け入れるという選択しかない、ということを示しているように感じます。

聖書には、「柔和なるもの(従順なるもの; the meak)は幸いである、彼らは地を引き継ぐであろう」ともあります。この柔和なるものについて、検索したところ、

しかし、新約聖書ギリシャ語の「柔和な」(プラウス)と言う言葉は、飼いならされ、調教によって、以前野生の手に負えない性格が、従順になった時、その動物は「プラウスである」(柔和である)と言われるのです。従って、聖書が言う「柔和な人」とは、生来が鉄のような固い意志を持ちながらも、神の力によって完全にコントロールされている人を指します。


という解説を見つけました。

イエスは処刑されるにあたり、最後に「神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と言ったといいます。私はながらくその意味がわかりませんでした。

遠藤氏の本を読んで、これが実はイエスの心情を表した言葉ではなく、旧約聖書の詩編の冒頭の句であり、この詩が神を讃え信頼する詩であるということを知って、その意味がようやくわかりました。生来、鉄のような固い意志を持ちながらも神の力によってコントロールされている者、即ち柔和なる者、がイエスでありヨブであるというだったということなのでしょう。

晩年の遠藤氏がヨブのような柔和な者となることを選択したように、様々な苦しみや厄災に際して、固い意志を持ちつつも天を信頼し、その意志に任せる、そのような人間でありたいと私も思います。

被災された人々の心にも遠からず平安が訪れることを願います。
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立ち止まること

2016-04-15 | Weblog
中国ではCrispr/Cas9でヒトの胚の遺伝子操作がすでに行われました。ヒトの手で自らの遺伝子を操作するということにあまりためらいのない人は大勢います。ヒトを含む生物も交配と自然変異によって、多くの遺伝子多様性を獲得してきました。自然界がやっていることを人間が意図的にやったからといって何の問題があるのか、近年の環境の変化は凄まじく、自然が行う変異と淘汰を待っていたのでは、人間の進化は遅すぎる、積極的に遺伝子操作をすべきだ、というような意見のヒトもおります。例えば、George Churchなどはこういう立場ではないでしょうか。この、自然は(人体も含めて)コントロールするべきもの、とでも考える傲慢な西洋的自然観は、自然は人間を育んでくれる母とでも考える東洋的自然観を持つ日本人には、なかなか受け入れがたいものです。人間の浅智慧が推し量れることなど知れています。環境がどんどん変化しているのは、長期的視野を持つこともなく、その浅智慧で短期的な欲望を満たすべく、自然をどんどんと破壊してきた人間そのものの愚かな行いゆえでしょう。遺伝子操作技術で人間をどんどん人工的に進化させるなどということをシラフで言えるのは、そうした歴史への反省がないからではないのか、様々な見地から世界を見ずに、自己の立ち位置のみから主観的に物事を狭く考えてしまうからではないのか、と私は思わざるを得ません。「深いが、狭いために危険」なMad Scientistのような人というのは意外に大勢おります。

しばらく前の内田樹の研究室の中の一節から。

世界史的スケールで見ると、世界は「縮小」プロセスに入っていると私は見ている。「縮小」と言ってもいいし、「定常化」と言ってもいいし、「単純再生産」と言ってもいい。「無限のイノベーションに駆動されて加速度的に変化し成長し続ける世界」というイメージはもう終わりに近づいている。別にそれが「悪いもの」だから終わるのではない。変化が加速し過ぎたせいで、ある時点で、その変化のスピードが生身の人間が耐えることのできる限界を超えてしまったからである。もうこれ以上はこの速さについてゆけないので人々は「ブレーキを踏む」という選択をすることになった。別に誰かが「そうしよう」と決めたわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。相互に無関係なさまざまなプレイヤーが相互に無関係なエリアで同時多発的に同じ行動を取る。今起きているのはそれである。「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである。
そのメッセージを発信しているのは身体である。脳内幻想は世界各地で、社会集団が異なるごとにさまざまに多様化するが、生身の身体は世界どこでも変わらない。手足は二本、目や耳は一対。筋肉の数も骨の数も決まっている。一日8時間眠り、三度飯を食い、風呂に入り、運動し、酔っ払ったり、遊んだりすることを求める。それを無視し続けて、脳の命令に従わせて休みなく働かせ続けていれば、いずれ身体は壊れる。そして、いま世界中で身体が壊れ始めている。


破壊し尽くす前に世界はスローダウンしていって欲しい、と私も思います。破壊のスピードが速すぎて生身の人間ではついていけない、だからもっと遺伝子操作して人間を改造しよう、という考えに普通の人なら強い嫌悪感を抱くでしょう。東洋人であれば、その破壊の理由を考え、先人の知恵に学び、環境の変化にあわせて人間の体を変えるのではなく、その環境の変化の原因となっている人間の欲の方をなんとかしようと思うのではないでしょうか。

しかしながら、人間は欲の塊です。過去の行いを反省したところで、ほとんどの人はすでに、エネルギー高消費型、大量廃棄物産生型の「ラク」なライフスタイルに慣れ過ぎていて、環境に悪いから、江戸時代の生活に戻るという選択はしません。現実は、人間がどんどん己の欲で環境を破壊し続けて、かなり厳しい状況に追い込まれるまで行動を変えることはないのでしょう。

いずれにせよ、人間は「できることはやってしまう」という困った性質を持っております。遠からず、ヒト胚の遺伝子操作も広く行われることになるだろう、というのは世界の人々の予測です。(悲しいことながら)その時、遺伝性疾患を治すというような明らかな目的に加え、オプションとしてなんらかの形質を親の都合の良いように変えるというような目的で遺伝子操作が行われることがおこるでしょう。たとえば、眼の色を変えるというような遺伝子操作は比較的簡単にできるはずです。(ただ、今のCrispr/Cas9の技術では、最高のFidelityのシステムをつかっても、想定外の変異も導入されてしまうので危険すぎて、すぐには使えないだろうとは思いますが)

この間、とある高名な研究者の人が、もしも子供の性質を一つだけ遺伝子操作で変えることができたとしたらどう変えたいか、というアンケートを一般の人,
数百人にとったという話を聞きました。詳細は明かしてもらえませんでしたが、男女間で明らかな差があったということで、男性は「成功してほしい」という意見が多かったのに対し、女性は「良い子に育って欲しい」という意見が多かったそうです。そして、誰も、子供に「長生きして欲しい」とは願わなかったのだそうです。

明らかに目に見えるような形質ではなく、彼らの望んだのは、人間的、社会的な背景における優秀さでした。私、それが救いだろうと思います。良い子になって欲しいという願いは、肉体的、物質的なものではなく、「人間性」という人間を動物から隔てている属性に関するものです。一方で、我々ができることは、遺伝子という物質にごく初歩的な変化を加えることぐらいです。そのような技術は、「人間性」の向上には何の役に立たないでしょう。なぜなら「人間性」というのもは物質の性質ではなく、無形でかつ変化していくものだからです。(逆に、人間性を失わせるような遺伝子変異を入れることなら比較的簡単にできるのではないでしょうか。作るのは難しくとも壊すのは簡単です)

同様に、自然の破壊は簡単です。しかし、人間はそれを元に戻すのはできません。原発で有毒な廃棄物を作るのは簡単です。それを無害化することはできません。遺伝子操作を加えることは簡単です。しかし、それを戻すことは容易ではありません。突き進むことは容易です。しかし、立ち止まってじっくり考え、恐れを持って一歩を踏み出すことははるかに難しい、私はそう思います。
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若い才能

2016-04-12 | Weblog
研究費をどう獲得していくか、研究者にとって最大の問題です。競争が激しくなり、技術がそこそこ出揃い、かなりの部分の知見のデータベース化が進んできた今、研究界全体が、昔からある問題は難しすぎるし、新たな問題は小さすぎて意義を強調しにくい、そういう状況にあるような気がします。研究では意義がなにより大切ですから、そうすると主に生物系の人は、意義を強調しやすい疾患の治療などに直結するような研究をプロポーズするようになり、生物学の発見というより、技術開発、エンジニアリングの方面がもてはやされるようになるわけです。現在流行りのSynthetic biologyというのも、こういう傾向を反映しているのでしょう。新興雑誌であったNature Biotechnologyのインパクトファクターは、今や、本家Natureを超えているらしいです。

生物学上の疑問というのは大小、様々、残っているのです。しかし、現在の技術で簡単にやれる範囲をやり尽くしたあと、その分野そのものが注目を失い、人々は次の流行を追って目新しい所へ移っていき、人の集まるところに当然、資金は投入されるということになります。焼畑農業のようなものですね。

人々の関心のあることをする(流行しているものをする)ということは、それだけで「意義」がある程度あるわけですが、こういう傾向は、長期的視野に立てば、専門分野を深く極めていくという観点からはマイナスであろうとは思います。流行は廃れるものですから。しかし、腹は減っては戦もできず、研究費がなければ研究者は何もできませんから、「流行を追う」ことはある種の必要悪です。己のアイデンティティーを保ちつつ、ユニークな視点から流行を、その早い段階で取り入れていくことが必要です。

こんな事情で、私もこの数年以内に、私なりの新しいシステム、新しいリサーチプログラムの基礎を作り上げていかないといけないことはわかってるのですが、何をどうやるべきなのか、限りあるリソースと時間の中で、現在進行中のプロジェクトとどう折り合いをつければ良いのか、悩んでおります。あれこれ論文を読んだり、データベースを眺めたり、そんなことばかりで過ぎていく日々です。

新しいことというのは、自分の研究スタイルそのものも含みます。ノックアウトマウスを作って表現形を解析し、その分子メカニズムを探っていく、という従来のリバースジェネティクスのスタイルは、もはやマウスの作成と解析技術が汎用化されてきたために、最近はむしろネガティブな評価さえ受けるようになったような感じがします。ここ数年はpharmaco-genetics/chemical geneticsみたいな感じで、genetic toolとbiologic compoundsを組み合わせたようなスタイルで何とか、説得性のあるデータを得ることができていますが、このスタイルも別に目新しいわけでもありません。

いくら研究の知見の生物学的価値が重要なのだだと言っても、厳しい現実を生き延びていくためは、論文をそこそこのジャーナルにコンスタントに発表していかねばならず、グラントでは、予想される知見の価値以上に、そこに至るアプローチ法を買ってもらわねばならないわけです。そのためには、研究のいろいろな面でユニークさを出せないと、私のような超零細では生き延びていけません。

この週末も、そんな感じでうじうじとアイデアを求めて、コンピューターをいじっておりました。
が、気がつくと、youtubeで音楽を聴いてました。ははは。

しかし、世の中には色んな才能のある人が沢山おりますな。わが身の凡なることを改めて思い知らされます。

2年前のオランダのタレントショーからデビューした10歳のAmira WillighagenちゃんのO mio babbino caroを見つけました。正式なトレーニングは受けたことがないそうです。確かに荒いところがありますけど、表現力豊かで情熱的な歌い方はMaria Callasを思い出させますね。なぜか妙に心に響きました。

ちなみにMaria Callas版はこちら。

ついでにRenatta Scottoのベルカント


もう一つ、若い人の才能はうらやましい。同じく10歳の時の高尾奏之介くん。この2年ほど、私が自己流で週末に練習しているPartita 2番です。Sinfoniaは三部構造で最後のアレグロのフーガの部分は、Partita2番全曲の中では、最も難しい部分の一つかと思いますが、奏之介くんの演奏には、大変、感心しました。正確なリズムを刻みながら、豊かな表現力を持って右と左のメロディーラインが奏でられています。グレングールドの演奏よりも私は好きです。いつか奏之介くんのように弾ければいいのになあと思いますが、音楽には練習では越えられないものがありますからね。
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田舎でダーチャ

2016-04-08 | Weblog
やや低調です。平坦なのが何よりですけど、人生、山あり谷ありするからこそ意味がある。この数年、関西弁でいうと、色々しばきたおされて精神的にはタフになったかなと思いましたが、ま、絶えざる訓練は必要ですね。

IMFトップ、世界経済の見通し「一段と悪化した」というニュース。4/12に正式表明されるようです。

世界恐慌の予感はこの数年ずっとありました。さて、果たして近代資本主義は崩壊するのでしょうか。世界のためには資本主義は崩壊したほうがよいとは思いますけど、そもそも人間の欲がつくったもので、現在の資本主義が崩壊したからといって、混乱期の後は、結局、別の資本主義もどきが出てくるだけのような気もします。これまで、散々、近代の管理通貨制度というイカサマ(といわせてもらいましょう)を批判してきましたが、結局、今はカネが武器よりも人を支配するのに使いやすいので、使われているわけです。その根底にある「人間をコントロールしたい」という非人間的な欲がなくならない限り、帝国主義であろうが資本主義であろうが、いろいろな形態を使って、他人をコントロールしようとする人間は出てくるでしょう。資本主義が崩壊したからといって人間性豊かな社会にはすぐにはならないとは思います。一部の人間が大勢の人間を支配しやすいように作られた近代の経済システム、本来、無くても良いものですが、今や、社会がそれに沿ってデザインされてしまっているので、人間として生まれたからは否が応でも経済活動に参加せざるを得ません。アホらしいことです。そして恐慌となれば、カネへの依存度が高いほど、ダメージも大きくなります。やっぱり、これからは田舎に土地を買って自給自足できるようにしておくことも必要ですかね。ソ連崩壊後のロシアに学ぶべきです。

さて、嫌でも耳に入る北海道五区の衆院補選。結果次第で、衆院解散ができなくなるかもしれないという話。ダブルになって自民党がぼろ負けしてくれるのが最高のシナリオですが、そうはうまくはいかないだろうと思います。この補選で自民党候補が負ければ、いくら強引、無法のアベ政権でも解散はできないでしょう。

参院選の前哨戦として注目を集める衆院北海道5区補欠選挙(12日告示、24日投票)。安保法制=戦争法や環太平洋連携協定(TPP)、格差と貧困などを大争点に「戦争をさせない北海道をつくる市民の会」と野党が推す統一候補の池田まき候補(43)=無所属=が、自民党公認候補を激しく追い上げ激戦になっている。

「日本史上初めて、野党共闘と市民の連合が自民党と対決する国政選挙」ということです。対する自民/公明/大地(それにしても鈴木ムネオは何を考えているのか)が推す和田氏は、同区で死去した町村議員の娘婿、そもそも義理の親の地盤での弔い合戦でした。圧倒的に有利なはずが、蓋を開ければ、池田氏の猛追で、どうもすでに情勢は逆転したとの話。

人間の中身は外見に現れることが多いです(無論、人は見かけによらないという言葉を実感することもありますが)。そして、私は笑顔の美しい人が好きです(誰でもそうですね)。こういう人がこの選挙に勝てば、野党、市民にとっては、大変、よい景気付けになると思います。是非、勝利してほしいと思います。
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