百醜千拙草

何とかやっています

恥かしくないのか

2019-02-22 | Weblog
国会でも野党が取り上げましたが、ガースーが会見での望月記者の質問を抑制しようと、一年半ぐらい前から、望月記者の質問に限って、執拗な質問妨害をし、東京新聞に圧力をかけたという事件ですが、先日は、東京新聞が社説と検証記事で政府のやり方を批判。
おかしいことをしている政権におかしいことをしているのではないか、と問い正すことはメディアの本来の仕事であり、権力者側はそれを国民の声と謙虚に聞いて正すのがそもそもの社会のありかたです。それを、逆に権力者側がメディアを露骨に妨害するということが行われています。百年前の話ではない、今、現在の話。アベ政権になって、報道の自由度、民主主義度が民主党時代から急落し、モラルは失われ、金と力でやりたい放題、ウソに偽造にでっち上げ、なんでもありのなんとも下品極まりない社会になってしまいました。政府の言うことは信用してはいけません、と改めて子供に教えないといけない時代に逆戻りです。ジム ロジャースは「私がもし10歳の日本人なら、ただちに日本を去るだろう」という記事の中でこう述べています。

-- 日本は、私が世界で一番好きな国の1つである。これまで私は世界一周旅行を2回敢行し、数えきれないほどの都市を訪れたが、その中でも東京──あれほど豊かな食文化が発達している都市を私は知らない。銀座に世界最高のステーキハウスがあるのをいまでも覚えている。最高のイタリアンレストランは、イタリアではなく日本にあるのだ。、、、、その日本が50年後か100年後には消えてしまうのは心から残念でならない。、、、なぜ消えると断言できるのか?当然だ。これだけ借金があり、しかも子どもを作らないのだから。私はこれだけ日本を愛しているが、日本に住もうとは思わない。借金と少子化、この二つがシンプルな理由だ。、、、、、 10歳の子がこのまま日本に残り、大成功して財を成すことも可能だろう。しかし、その人生は順風満帆には行かないだろう。なぜなら日本に吹いているのは、追い風ではなく逆風なのだから。--

記事の中では、「30年後、社会問題は深刻になり日本は犯罪大国になる、自分の身を守るため、あるいは革命を率いるための方法が必要である」とも述べています。
今のアベ政権の売国政策、国富の私物化を見ていると、このままアベ路線を受け継ぐ自民党政権が数年つづいて、もし、そうならなかったら奇跡でしょう。良心と知性というものを持たないアベは30年後のことなど知ったことではないと思っているのでしょう。

さて、報道抑制についての話に戻ります。
記者会見の質問 知る権利を守るために
 記者会見での記者の質問は、国民の知る権利を守るために、報道機関として当然の行為だ。権力側が、自らに都合の悪い質問をする記者を排除しようとするのなら、断じて看過することはできない。
 なぜ今、こうしたことに言及せざるを得ないのか、経緯を振り返る必要があるだろう。
、、、
 首相官邸の報道室長は官邸を取材する報道機関でつくる「内閣記者会」宛てに文書で、質問を「事実誤認がある」「度重なる問題行為」とし「事実を踏まえた質問」をするよう申し入れた。
 また報道室長はたびたび、本紙記者が質問している途中に「質問は簡潔にお願いします」などと催促したり、遮ろうとしている。
 しかし、質問は本紙の取材、報道による事実関係に基づいたものであり、決して誤認ではない。
 もし、政府が事実誤認と考えるなら、会見の場で事実関係を提示し、否定すれば済むだけの話だ。
 、、、
 菅氏はかつて会見で安倍晋三首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設を「総理の意向だ」と伝えられたとする文部科学省文書を「怪文書みたいではないか」と語ったことがある。
 その後、文書は存在することが分かった。政府が常に正しいことを明らかにするとは限らない。一般に権力は、都合の悪いことは隠すというのが歴史の教訓である。
 権力を監視し、政府が隠そうとする事実を明らかにするのは報道機関の使命だ。

関して、さらに同新聞の詳細な検証記事。
(上)国、投入土砂の検査せず 「辺野古工事で赤土」は事実誤認か
(中)1分半の質疑中 計7回遮られる
(下)会見は国民のためにある

 、、、、
◆「表現の自由」にまで矛先 内閣広報官名など文書 17年から9件
 長谷川広報官の申し入れ文書は「事実に基づかない質問は慎んでほしい」という抗議だけでなく、記者会見は意見や官房長官に要請をする場ではないとして、質問や表現の自由を制限するものもある(表(1)参照)。
 、、、、
 記者会見の進行役を務める上村報道室長が、質問の途中で本紙の望月記者をせかすようになったのは一昨年秋から。「簡潔にお願いします」「質問に移ってください」と繰り返し、そのたびに質問は遮られてぶつ切りとなる。、、、、
 本紙は今年1月22日、長谷川広報官に文書を送り、18日の沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設を巡る県民投票に関する二つの質問で、上村氏から途中に計8回、せかされたと伝えた。「お互いが落ち着いて質疑をするために、事務方の催促は最小限にしてほしい」と要請したが、その後も続いている。
 、、、、1分半ほどの短い質疑で、質問は計7回も遮られた。
 官邸側は本紙編集局長宛てに文書で、会見は記者が意見や政府への要請を述べる場ではないと主張、上村氏が質問を遮る理由にもなっている。ところが他社の記者の質問では、意見が交じって時間がかかっても遮ることはほとんどしない。、、、本紙記者の場合、当てられるのは常に最後で、1問目が終わるといつも上村氏が「次の質問、最後でお願いします」と宣言するため、2問に限定されている。上村氏が本紙記者に質問妨害や制限を行っているのは明らかだ。
 望月記者は一昨年から森友・加計学園疑惑などで官房長官らに質問してきた。最近では「税を追う」キャンペーンに関連し、増大し続ける防衛予算や沖縄・辺野古の埋め立て工事などの質問を多く行っている。
 森友学園への国有地売却を巡る財務省の決裁文書改ざんのように、政府側の説明にはうそや誤りがあることがありそれをスポークスマンである官房長官に質問するのは記者の重要な仕事だ。特定の記者に対する質問妨害に、政府側が嫌う記者を封じ込めようとする意図はないのか。
 、、、権力が認めた「事実」。それに基づく質問でなければ受け付けないというのなら、すでに取材規制です。 、、、 記者会見はだれのためにあるのか。権力者のためでもなければメディアのためでもなく、それは国民のためにあります。記者会見は民主主義の根幹である国民の「知る権利」に応えるための重要な機会です。
 だからこそ、権力が記者の質問を妨げたり規制したりすることなどあってはならない。私たちは、これまで同様、可能な限り事実に基づいて質問と取材を続けていきます。

と社を挙げて、望月記者をバックアップ。
その望月記者、
とのこと。

いや、この政権の「恥知らず」ぶりを見れば、「恥ずかしくないのか」というのは連中にとってはもはや褒め言葉なのではないでしょうか。普通なら、ガースーも上村も、胸を張って外を歩けないところだと思いますけど。
恥かしいといえば、リテラの「『安倍がトランプをノーベル賞に推薦』を海外メディアはどう伝えたか? 世界に恥さらすも開き直る安倍首相」という記事を思い出しました。この記事では、アベのことを「疑いなく“カス”である。」と結論しています。私は、「人間のクズ」だと思っていますけど、カスって、不潔な場所の隙間とかにたまる汚い臭いやつのことでしょ?
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