百醜千拙草

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期待と希望

2021-06-08 | Weblog
前回の「期待を持つことによって今日の時間を無駄にしている」というセネカの言葉に関連して。これは、確かに一理あります。期待というは自分の外に希望を持つということなのでしょう。

最近、また精神科医でユダヤ人のビクトル フランクルの「夜と霧」の一部を読み返す機会がありました。印象深いのは「希望」に関する話で、ユダヤ人強制収容所で最後まで生き延びたのは希望を捨てなかった人だったとあります。希望を失った人から死んでいくのですけど、希望にも複数の種類があるようです。興味深いのは、あるクリスマスの翌日に大勢の人が死んだという話です。それらの人々はクリスマスには開放されるらしいという噂に希望を持っていた人々でした。彼らはその「期待」を裏切られたことにより希望を失ってしまいました。一方、自分自身の中に希望を持っていた人は希望を失わずに済みました。フランクル自身は、精神科医、心理学者としての立場から、生き延びて、この収容所生活について著作や講演を行いたいという希望があったようです。事実、夜と霧は世界的な大ベストセラーになりました。つまり、クリスマスには開放されるかもしれないというような他者に依存する希望ではなく、自分自身の内にある希望は自ら持ち続けることをやめない限り失われないということです。

ということで、希望を失わないためにも他者に期待しないというのは重要な心構えだと私も思います。他人と過去は変えられないともいいますし。自身の中に希望を持ち続けることが生きる上で大切だと思いますが、それが困難に思うときもしばしばあります。しかし、希望の芽というのは心が落ち着けば、焼け野原にも自然と生えてきます。それを潰さないようにするために、他者に期待しない、そして他人を気にしないことは大切だと思います。私も、不安な時に心の安静を保つために、オポノポノとかマントラとか、試してみましたけど、 実際にやってみて有効だと思ったのは、「ゲシュタルトの祈り」の文句の一部、「私は私のことをする、あなたはあなたのことをする、、、、私は私、あなたはあなた」を思い浮かべることでした。

ストレス過剰になると、他人と比べることで、焦燥感や劣等感を感じ、視野狭窄になって全か無か思考に陥りがちになりますので、そんな時に唱えることができる二、三の言葉を覚えておくといいと思います。
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