人権ということを考えた時に、自治というのはとても大事と思います。
昔の学校は、形だけだったかもしれませんが今より子どもの自治があったように思います。
学級会の時間とか帰りの会の時間に、学級委員や日直さんが前に出て司会・進行をして、話し合いをしていたように覚えています。
「クラス目標を決める」とかその日にあったトラブルについて話し合うとか、そんなささやかなことだった気がしますが、「自分たちの問題は自分たちで話し合って決める」という姿勢は伝わった気がします。
いつからそれがなくなってしまったのか、わかりませんが。。。
フランスの学校を描いた映画「パリ20区 僕たちのクラス」を観たことがありますが、自治のシステムが日本とはレベルが違っていることに驚きました。
日本で言えば中学~高校位の学校を描いているのですが、例えば、成績を決める会議に、生徒代表が参加できるとか、退学になるかどうかを決める会議に本人が参加できるとか。
それに授業がデイスカッションであることにも驚きました。ヨーロッパでは(すべてかどうかわかりませんが)、授業とはデイスカッションであるがゆえに、少人数学級が必要とされているようです。どうも日本でいう少人数学級とは微妙に違うような気がします。
ヨーロッパ等民主主義の定着している国の教育制度を学んで、求めていくことが必要なのだろうと思います。
去年までのクラスは30人以下学級でしたが、迎合型担任でうちを含め何人かの親はとても苦労をしたと思います。
苛めたい子をわざとクラス委員の子の席の前にする。後ろから腕で首を絞める、そして顔面をグーで殴る。そうやって一人一人を服従させていく。そういう配置を先生の独断と言う事で決めていくんです。明らかにクラス委員の子の周りには取り巻き達の子。そしてターゲットにされた子と其の仲の良い子は教室の端と端、しかも対角線です。そして回りは異性だけ。どう考えてもクラス委員の意向が多く入ったとしか思えない配置でした。
子供たちの自治・・・それは大事だと思いますし、おっしゃるように昔の方がそれはあったと思います。しかし、ここ20年の苛めに対する隠蔽体質が子供に対して「悪い事をしても学校は隠してくれる」と言う感覚を植え付け、更にはそういった教育を受けてきた子供たちが親になっているのですから、凶悪この上ないのです。
何様、自分達が苛め抜いたとして、その結果として同級生が死んだとしても、自分達は悪くない・・・のですから。もちろんどちらの自治も同時に進行しなければならないのですが、教師の自治や親の自治も忘れてはならないのではないのでしょうか?
コメントありがとうございます
本当に大変だったんですね。教師の自治や親の自治!!本当に大事と思います。今の状況を変えていくのに、こうすれば必ずうまくいくというのはなく、当事者が知恵を出し合うしかないのかなと思います。