新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

連凧110枚、大空に舞う

2018年05月05日 | 日記

 藤野凧の会は5月5日を「連凧あげの日」にしている。上野原の河原で110枚の連凧がみごとに風に舞った。10枚ごとに色を変えてあるので、いま何枚上がっているかが一目で分かる。凧と凧との間は160センチほど、110枚分になれば180メートル近くの長さになる。1本の糸では足りないから結びあわせてつないでいく。先端近くは細い糸ですむが、1枚1枚の凧が受ける風圧はおなじでも、先端からの距離が進むにつれ、より強度の高い糸が必要になる。そうしたことを一から手探りで研究しながら凧づくりをしてきたのがISさんだ。藤野凧の会会長、われわれ凧あげ隊の隊長でもある。
 ISさんが凧づくりを本格的にはじめたのは、かれこれ25年ほどまえになる。仕事を定年退職し、趣味に時間を使えるようになったときだった。郷里が喧嘩凧で有名な長崎県五島列島だったため、幼いころを思い出しての凧づくりだった。はじめは和凧をつくって揚げていたが、しだいに連凧に移っていった。連凧は栄える。周囲の人たちが感嘆の声を上げてくれる。そのうち陣馬山山頂で連凧をあげることを恒例にするようになった。
 連凧には数々の工夫が凝らされている。100枚にもなると100枚分の風圧がひとえに手元にかかる。素手で糸を引くことができないほど強い風圧がかかる。ISさんはその風圧をすこしでも軽くするために、各凧の中央部をハート形にくりぬいた。これで凧にかかる風圧は半分近く減る。ハート形にくりぬいたことは見栄えのよさと風圧減との一石二鳥の効果をえた。凧と凧のあいだを一定間隔に保つためには、アルミニウムの輪っかを糸につける。重くてはいけないし、滑ってもいけない。アルミを輪にすることを何から学んだのだろう。
 毎年5月5日、陣馬山山頂で連凧をあげていると、それを知っている人たちが毎年見に来てくれた。「これを見に来たんですよ」ということばが嬉しかった。18年ほどつづいただろうか。隊長が高齢になり、山登りがかなわなくなったいまは、河原で連凧をあげている。土手の上でバーベキューをしている人たちがいる。サッカーの練習をしている少年たちがいる。遊びに来た子どもたちが連凧が舞う姿を見て歓声を上げてくれる。糸を自分の手で触る、引いてみる。めったにできない経験だ。
 今回、凧を降ろし、しまい込む際に、先端部分が木に引っかかってしまった。どうしようかと思案していたところ、そばで見ていた若い人が自発的に木に登って引きずり降ろしてくれた。凧あげ隊一同、とても感謝している。
 さわやかな一日だった。