一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』……“心の砕ける音”が聞こえる傑作……

2017年05月22日 | 映画


マット・デイモンがプロデュースし、
本年度アカデミー賞主演男優賞、脚本賞の2冠に輝いた作品である。
アカデミー賞そのものにはさほど興味はないが、
脚本賞だけには注目している。
脚本賞を受賞した作品が『マンチェスター・バイ・ザ・シー』であり、
私の好きな女優、ミシェル・ウィリアムズも出演している。
「見たい」と思った。
日本では、5月13日公開されたが、
佐賀では7月8日公開(シアターシエマ)なのだという。
7月まで待つことができず、福岡(KBCシネマ)まで見に行ったのだった。



アメリカ・ボストン郊外で、
アパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)のもとに、
ある日、一本の電話が入る。
故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたという知らせだった。


リーは車を飛ばして病院に到着するが、兄ジョーは1時間前に息を引き取っていた。
リーは、冷たくなった兄の遺体を抱きしめお別れをすると、
医師や友人ジョージ(C・J・ウィルソン)と共に今後の相談をする。


兄の息子で、リーにとっては甥にあたるパトリック(ルーカス・ヘッジズ)にも父の死を知らせねばならない。


ホッケーの練習試合をしているパトリックを迎えに行くため、リーは町へ向かう。
見知った町並みを横目に車を走らせるリーの脳裏に、過去の記憶が浮かんでは消える。
仲間や家族と笑い合って過ごした日々、美しい思い出の数々……


兄の遺言を聞くためパトリックと共に弁護士の元へ向かったリーは、
遺言を知って絶句する。
「俺が後見人だと?」


兄ジョーは、パトリックの後見人にリーを指名していたのだ。
弁護士は、遺言内容をリーが知らなかったことに驚きながらも、
この町に移り住んでほしいことを告げる。
「この町に何年も住んでいたんだろう?」
弁護士の言葉で、この町で過ごした記憶がリーのなかで鮮烈によみがえり、
リーは過去の悲劇と向き合わざるをえなくなる。
なぜリーは、心も涙も思い出もすべてこの町に残して出て行ったのか?
なぜ誰にも心を開かず孤独に生きるのか……




アカデミー賞で脚本賞を受賞したということは、
物語が最も優れている映画だということ。
ミステリーではないのだが、
「リーの“過去の悲劇”とは何なのか……」
という謎が、序盤は見る者の興味を引き、飽きさせない。
現在と過去を交互に映し出し、
その謎に迫っていく序盤は、
私の好きなミステリー作家トマス・H・クックの作品を思わせる。
割と早い段階で、この謎は判るのだが、
その“過去の悲劇”が映し出されるシーンには、
(私の好きな曲)アルビノーニのアダージョが流れ、


主人公であるリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)と、
その妻であるランディ(ミシェル・ウィリアムズ)の心が壊れる瞬間が映像化されている。
アルビノーニのアダージョは9分ほどの曲であるが、
この曲が終わる頃に、
リーに起こった“過去の悲劇”が、(それは妻であるランディの悲劇でもあるだが)
見る者にすべて判るようになっている。
このシーンは秀逸で、
見る者にも“心の砕ける音”が聞こえるかのようであった。
監督・脚本を手掛けたのは、ケネス・ロナーガン。


安易な感動や、お涙頂戴的なものを排除し、
大人のためのストーリーを生み出すと同時に、
極力抑えた色調と演出で、深い感動をもたらしてくれる。
さすがだと思った。



この映画では、
やはり、ケイシー・アフレックの演技が光っていた。


ケネス・ロナーガンの演出力もあるが、
ぼそぼそと話し、
終始猫背で、
感情を抑えた演技は、
“過去の悲劇”の重さを感じさせ、
抑えた演技であるが故に、
感情を爆発させるシーンが際立ち、
その対比が秀逸であった。




リーの元妻であるランディを演じたミシェル・ウィリアムズも良かった。


『フランス組曲』(←クリック)の好演が記憶に新しいが、
本作でも素晴らしい演技をしている。
ある意味においては、リーよりも壮絶な体験をしているにもかかわらず、
リーを思いやる表情に、
彼女の深い愛を見た。
“過去の悲劇”の直後には、
リーと激しいやりとりがあったことは想像されるが、
そのシーンは描かれておらず、
マンチェスター・バイ・ザ・シーに帰ったリーと、
元妻であるランディが再会するシーンは、


包み込まれるような愛に満ちていて、
二人の表情が素晴らしく、
この映画の名場面のひとつになっている。



ちなみに、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」とは地名で、
英国に「マンチェスター」という工業都市があるが、
本作の「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、
アメリカ合衆国マサチューセッツ州に実在する町の名前である。


その名のとおり海のすぐ近くにあり
人口5000人を少し超えるくらいの小さな町だそうだ。
小さな町であるが故に、
“過去の悲劇”は誰もが知っており、
リーはこの町に住み続けることができなかった。
町を出ていかざるを得なかった。
にもかかわらず、
この町の人々はリーに対して思いやりがあり、
風景も美しい。


先程も述べたように、
この映画は、この手の映画にありがちな、
安易な感動や、お涙頂戴的な演出はない。
予定調和的な赦しも救いもない。
ラストもハッピーエンド的な終わり方をしていない。
“過去の悲劇”は、そんなに簡単に忘れられるものではないし、
おそらく一生背負っていかなければならないものであるだろう。
だが、
そんな暗闇の中にも、一条の光がほの見える結末にもなっている。


西川美和(映画監督)
映画はたいてい、快復や、成長や、再出発を主人公に強いる。だからこそ観る者は満足もするが、所詮作り物だな、としらけることもある。誰も映画で言わせてはならないと思っていた言葉を主人公がうめき出してくれたことで、現実のドツボにハマっている人がどれだけ寄り添われただろう。映画を観ているようで、自分の人生を見せられている。出口がないように見えるかも知れないが、この作品は観る者を絶対に孤独にしない。

李相日(映画監督)
僕らは深い傷や心の痛みに無理にでも向き合い、克服する姿を見ようとしてしまう。しかし、たとえ立ち直れなくても、人生は続く。この先、生きていて良かったと思える瞬間が宿るような気がしてならない。

私の好きな二人の監督のコメントに、
私も共感する。

大切なものを失ったことのある人、
深い悲しみに襲われたことのある人、
人生の痛みに耐えたことのある人、
……様々な経験をしてきた大人のあなたにこそ見てもらいたい傑作である。
映画館でぜひぜひ。

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