おじぃの独り言

セミリタイアして第二の人生をエンジョイするおじぃの備忘録です。

2021東京河川ポタリング『神田川』⑧「中野富士見町」

2021-10-30 07:46:24 | まちま~い

東京河川ポタ『神田川』は中間地点の「中野富士見町」から再びスタートです。ここまで隅田川の河口から約15kmの地点で川沿いの道を上がってきました。

「中野富士見町」へのアプローチは中野通りの「寿橋」から入りました。

「寿橋」の交差点を左折して直進すると『神田川』の「富士見橋」がある東京メトロ「中野富士見町」に着きます。

駅前の「富士見橋」から後半戦のポタスタートです。

上流の水源「井の頭公園」へ目指して上がって行きます。

「富士見橋」から暫く進むと左に『神田川』、右に「善福寺川」と分かれる合流点があります。

『神田川」から見た合流点、勢いよく早い流れです。

「善福寺川」はここから杉並区の善福寺公園内にある善福寺池に源を発して、富士見町で『神田川』に合流します。

約10kmの長さの川で主に住宅地の中を流れています。

「善福寺川」から見た『神田川』の合流点、こちらも勢いよく早い流れです。

三角形をしている合流点の上は川に沿った形をして駐車場になっています。

『神田川』ポタ後半は続きます。

 

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2021東京河川ポタリング『神田川』⑦「高田馬場~中野富士見町」

2021-10-27 06:33:37 | まちま~い

新宿区高田馬場一丁目辺りの「神高橋」は、落合で「妙正寺川(みょうしょうじがわ)」が合流し、さらに落合下水処理場の水が流れ込む地点のすぐ下流にあたり、JR山手線と西武新宿線の鉄橋をくぐるあたりは地元で「高田馬場渓谷」と呼ばれています。

川幅が狭まり『神田川』で最も速い流れを見せます。この渓谷の下流で度々氾濫(はんらん)が起き、この「神高橋」には大雨が降るごとにTV局の中継車が集まる様です。

ポタは「高田馬場」を通り越し、「中野」へ向かいます。今度は「JR中央線」とクロスして東京都の郊外の「中野富士見町」へ進んで行きます。

この辺りの桜の木はとても見事で、桜シーズンは素晴らしいでしょう。

暫くすると高層ビルが建ち並ぶ都会的な景色が目に入ります。「ヨドバシカメラ」の「淀橋」付近で、都庁をはじめとする新宿副都心エリアです。

1960年代後半以降の淀橋上水場跡の開発により超高層ビルが林立する街となりました。1990年、東京都庁ももこの地に移転し、現在では副都心と呼ばれています。

更に進むと東京メトロの「中野富士見町駅」に到着。駅の横に「富士見橋」があり、『神田川』が息良いよく流れています。

まだまだ続く、、、

 

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2021東京河川ポタリング『神田川』⑥「都電荒川線」

2021-10-24 06:12:24 | まちま~い

『神田川ポタ』は早稲田の「面影橋」付近から「都電荒川線」と並行して進みます。

早稲田から「面影橋」のあたりの『神田川』沿いに咲く桜は春にはきれいに咲き誇り、きれいなピンク色の風景を作り出します。都電に揺られながら、その風景を眺めるのもおすすめです。もちろん都電を見ながら「面影橋」をのんびり歩くのも

この辺りは『神田川』に垂れ下がる桜も見ものです。

「都電荒川線」もとてもカラフルの車体です。

「面影橋」は、神田川に架かる単純なコンクリートの橋ですが、「太田道灌」の逸話にある山吹の里の地とされ、江戸時代・明治時代には名所のひとつであった様です。

このあたりの『神田川』には、魚の生息や移動を助ける「魚道」が設けられています。高さ1mと少しはありそうな「小滝」の半分を壊し、魚が遡上できるよう階段状の流れに変えられています。

1m前後のコイは神田川でもめずらしくなくなったが、アユほどの小さな魚でも遡上できるよう、ひとつの段差が数十センチほどの高さに抑えられた魚道は、階段状の緩傾斜で造られています。

そして見どころの「高戸橋」、「都営荒川線」が大きく90度に曲がり、池袋方面に向かい迫力ある都電の景色です。この下を『神田川」が流れています。

このカーブを通る荒川線は目の前を直角に曲がりとても迫力があります。

「都電荒川線」の有名なシャッターポイントですねぇ。

『神田川』の上にある「高戸橋」の名前の由来は、旧町名の豊島区「高田」とと新宿区「戸塚」の両町名を合成したものと考えられています。

場所は新宿区と豊島区の境にあり、新目白通りと明治通り(環状5号)との交差点(高戸橋交差点)の北側です。

ここから『神田川』は杉並区の「妙正寺公園」を源流とする「妙正寺川」と分かれます。

奥の深い『神田川ポタ』、まだまだ続く、、、

 

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2021東京河川ポタリング『神田川』⑤「江戸川公園~椿山荘東京」

2021-10-21 05:27:50 | まちま~い

『神田川ポタ』、飯田橋から江戸川橋に到着して『神田川』に並行している「江戸川公園」を進みます。

「江戸川公園」は、関口台地の南斜面の『神田川』沿いに広がる東西に細長い公園です。 台地の斜面に自生する雑木林と園路を主体とした公園でしたが、昭和59年(1984年)に神田川の拡幅工事に伴い改修されています。

「江戸川公園」に入るとまず「大井玄洞」の銅像が目につきました。『神田川』の治水に携わった人で「渋沢栄一」と同じ時代に生きた人です。「玄洞」は、当時、たびたび洪水をおこしていた江戸川(現神田川)を何とかしようと、治水に尽力します。

大正2年(1913年)に護岸工事に着手、大正8年(1919年)に完成させます。この治水事業の功績を称え、昭和3年(1928年)『神田川』沿いの「江戸川公園」に「玄洞」の銅像が建てられました。

『神田川』に沿った細長い「江戸川公園」はサイクリングロードが整っています。

公園は細長く狭いですが、歴史のある場所でよく整備されています。

こちらは「みんなの広場」、今ではまわりの住宅街に溶け込んだ公園になっています。

そしてこの辺りでラウンドマークである「椿山荘東京」。広大な庭園を有し、都会でありながら高層ビル街にはない開放感と静けさを堪能できる都会のオアシスです。

「椿山荘東京」の生い立ちは、江戸時代には久留里藩黒田家の下屋敷でした。明治維新を経て南西戦争の功により、元勲の「山縣有朋」は年金740円を与えられ、それを元手に1878 年(明治11年)旧屋敷を購入。

「椿山荘」と命名して趣味である作庭を行ったそうです。その後藤田財閥(現DOWAホールディング)がこれを譲り受け、東京での別邸としました。現在は「藤田観光」が「椿山荘」の運営しています。

「椿山荘」前の『神田川』はこんな状態です。川からの高さは相当あり、治水の川として理解できます。

「椿山荘」前の道はサイクリングロードとして走りやすくよく整備されています。

「椿山荘」を過ぎると「早稲田」方面へ進みます。古くは牛込村に属しており「江戸牛込村字早稲田」であったが、江戸時代初期には、別村になり「早稲田村」と呼ばれるようになったようです。

この辺り見事な桜道が続きます。

まだまだ 続きます、、、

 

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2021東京河川ポタリング『神田川』④「飯田橋~江戸川橋」

2021-10-18 05:58:36 | まちま~い

『神田川』ポタは、東京都心部の「水道橋」から飯田橋方面へどんどん進んで行きます。『神田川』はより大都会的な景色となり、高速道路の下を流れてます。

途中に世界の「トヨタ自動車」直営の自動車ディーラーである「トヨタモビリティ東京」のビルが堂々とそびえ立っていました。

そして「飯田橋」に到着です。飯田橋交差点は「外堀通り」と「目白通り」の交差点であり、かつ「大久保通り」の起点であり、さらに目白通りと並行した『神田川』の対岸の通り(一方通行)も合流する「変則六叉路」になってとても複雑な交差点です。

その複雑な交差点の直下が『神田川』と皇居の「外堀」の合流点となっており、その『神田川』本流側にかかっているのが「船河原橋」です。

『神田川』は「飯田橋」の下で大きく右カーブして上流へ進みます。一方、「外堀」は左側のカーブに進み皇居を囲んで行きます。

そして『神田川』は高速道路の下を「江戸川橋」へと進んで行きます。

ここの「江戸川」という地名は千葉県と東京都の県境を流れる江戸川とは別物で、現在の『神田川』の一部、飯田橋付近 (船河原橋)から関口大洗堰 (現・大滝橋)までの区間が「江戸川」と呼ばれていたことの名残りからついたようです。

「江戸川橋」から『神田川』の眺めです。左の上は首都高速、右は「江戸川公園」になります。コンクリートの高速道路と緑の自然の公園と混ざった風景でアンバランな景色ですねぇ。

『神田川』は「江戸川橋」から「早稲田」、「高田馬場」に向かいます。

続く、、、

 

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