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持統天皇 そして 改元

2019年04月01日 | なごみ
奥山田のしだれ桜。

持統天皇お手植えの伝承を持つ岡崎市にあるエドヒガンのしだれ桜。

以前友達に連れて行ってもらった時は、時すでに遅しで満開の桜を見ることがなかった。

あれから数年。

当時はまさか、、、と半信半疑だったもののなかなかどうして、、、地形図をみると当時の海岸線はずっと陸地に入り込み、三河行幸の折という伝承がまんざらでもないのでは、、、と感じているだけで、なかなか本格的に調べてみるには時間がかかりそう。。。根性なしです。。。

額田王は、相変わらず文献にあたっている。
読みは悪くないはずだが、かすりはするもののなかなかズバリこれだ!というほどの文献にあたらない。
滋賀をホームグランドにしている先生の本は史料学がご専門の上史料批判が多くて、、、万葉集と考古学よ、いづこに〜〜〜。

直木孝次郎先生はまだまだ書き足りなかったこと、書けなかったことがあったはず。できればあの世でたっぷりとお聞きしたい。。。

額田王だけでは史料が少なすぎるので、その周囲からせめているが。。。
まだまだ遠い。

閑話休題。

そんな日々模索の中、力をもらうべく奥山田のしだれ桜を訪ねた。


村積山(むらづみやま)遠景。
見事な円錐形。この山の麓にある。










古代は眼下に矢作川を挟み三河平野が広がっていたんだろうな。


ちなみに村積山頂上部には、村積神社があると古老の方が教えて下さった。

この方偶然にも地元史に詳しい方で持統桜にまつわる色々なお話を聞かせて頂く事ができた上、公民館の中まであげて頂きご案内頂いた。岡崎の山里、奥山田と大和の薬師寺との繋がりがあったとは。
桜のとり持つ縁。





帰路の途中、改元のニュースが。

令和。

出典が万葉集とはなんとも嬉しい。

調べてみると、巻5ー815からの梅花の歌32首の前文。天平2年正月13日、730年正月の宴席でのものだった。

時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぐ、、、、
折しも初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風は柔らかにそよいでいる。。。。

折しも万葉集が出典の改元佳き日に満開の持統桜を愛でたものです^^

時間はかかるが自身が生ある限りなんとか読み解きたいと切に願う。

近所の公園、早くも見納めの椿。





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