万葉うたいびと風香®’s ブログ

万葉うたいびと風香®のブログです。

新たな作品づくり

2014年11月29日 | なごみ
新たな作品づくりが始まっております。

ご縁というのは不思議なもので、万葉集の中でも初期万葉(1期)、2期にこだわってずっと曲作りをしてきました。

今年、新たな形態として産み出した「万葉歌物語 二上山の落日 大伯皇女の嘆き〜斎王として 姉として〜」はまさにその歴史渦中。

そして、今回頂いた新たなお話も、同じ時代背景にあるものです。

この私にできるのだろうか?

そんな自問自答を毎回続けながらも、皆様のお力添えと激励を頂けることが何よりの原動力となっています。

万葉歌を作る。

それは、歌を詠んだ作者の心を知ることから始まります。

毎回、歌が出来上がった頃には、目から鱗で、思いも寄らない1300年前の深い息吹が聞こえてくるのです。

今回は、はたしてどんな姿をみせてくれるのでしょうか。

ワクワクしてきました。


自宅近くの神社のある森。この森に霧が立ち込めるのはめったにありません。こんな景色には思わず大和に思いが募ります。)


いつもの散歩コースの遊歩道、昨日から今朝の雨で一気に落ち葉の絨毯に。思わず一人歓声)


付近の山の紅葉。今がピーク。           こちらは我が家の庭のドウダンツツジ。こちらも見頃。


久しぶりに公園に。シジュウカラの後ろ姿。只今考え中。
♪「なぜだろう?なぜだろう?私が私、シジュウカラでないのは〜?あんなに歌が好きなのに〜」♪


ヤマガラ。素敵な衣裳ですね。








桜井記紀万葉歌碑原書展 in あべのハルカス

2014年11月26日 | なごみ
桜井記紀万葉歌碑原書展が、本日よりあべのハルカス 近鉄本店 ウイング館8階 近鉄アート館ではじまった。

この中で、忍阪区制作による「祈り」DVD、「記紀万葉さくらい」DVD、「文に麗はし」CDの販売もして頂いているそうです。

あべのハルカスで、しかも桜井記紀万葉歌原書展においてとは、なんともありがたく、ただただ感謝申し上げます。

ちなみに、本日は我が奈良大学文学部教授、上野誠先生の講演会も開催され、以降、明日からも連日著名な先生方の講演があるそうです。

詳細は下記の通り。

みなさま、ありがとうございます。

                  「桜井記紀万葉歌碑原書展」

      場 所   あべのハルカス 近鉄本店 ウイング館8階 近鉄アート館.

      開催日   期間. 11/26(水)~30(日)※最終入場は午後7時まで(最終日は午後5時)




   

沖つ藻の名張

2014年11月25日 | 万葉歌で綴る万葉の旅
名張にかかる枕詞、沖つ藻(おきつも)。

大和から東国へと向かう際、宇陀の山間を抜けて名張の山(名張の山々の意)を越える。ここまでは畿内の東限となり、名張を過ぎるといよいよ伊賀の国。
そして、伊勢、東海へとつながっていく。

名張(なばり)は、古語、隠(なば)るを語源とし、隠(なば)る=奥深く隠れること。

沖つ藻は、その「名張」の言葉を導き出し、更に強めるように、沖の奥深く波に隠れ、海の底深くある藻のようにという意となる。

だから、沖深く、波に隠れる藻のように、山深く隠れる名張ということになるのだろう。

その名張に、今年5月のコンサート以来となる、名張再訪&打合せと相成った。

この日は快晴。万葉びとが味方してくれているようなお天気。

打合せの前に、私を気遣って名張歴史読書会の皆様から町中をご案内頂けた。

まずは、藤堂家邸へ2回目の訪問。





現存する文書も史料的価値が高いものばかりで、目を見張るばかりだ。
5月にもお世話になった米澤氏より、文書をはじめ軸や邸宅内の説明を丁寧にして頂いた。
この方、読売新聞 伊賀版において「いが地名考」にも寄稿されている方である。
貴重な資料もありがとうございました。

それにしても、一番いい季節での再訪となったのは、ありがたい。



名張の路地空間、「ひやわい」


名張では、和菓子食べ歩きができる。駅前の観光案内所で1冊600円でチケットを購入。(5枚綴り)
提携店でチケットを渡すと、通常以上の商品が頂ける。
和菓子だけかと思っていたら、お肉やさんのコロッケ他提携店が増えたらしい。


これは、矢の伊老舗さんの佐伊助饅頭。通常1個相当の商品だがチケットで2つ頂けるそう。
店先で、お茶と共に頂きました。
他にも「おきつも」という銘菓もあったので、次回は是非購入してみたいと思う。
風土のお菓子から、万葉の言霊を感じられるってなんて素敵なんだろう。




こちらは、宇流富志禰神社。

宮司様より説明を受けたところによると、藤堂家に伝わる能面45面を譲り受けられ、以来大切に守っていらっしゃるそうだ。


そして、一番行きたかった場所。
「横河」推定地である、名張川と宇陀川の合流地点。
というのも、壬申の乱においての名張における1つの舞台である。
地元の方々のご案内は、名張に限らずどこの万葉故地を伺ってもそうなのだが、土着の人にしかわからない場所や地名、小字名まで瞬時にして教えて頂ける。ありがたいことです。


文化庁有形文化財に指定されている建物続きで、食事&打合せをして、丸1日お世話になった沖つ藻の名張をあとにしました。

改めて「万葉の風土を歩く」ことの大切さと万葉の里に生きる人々との温かい交流に感謝した私です。

名張歴史読書会の皆様、大変お世話になりました。
深謝。

モズのはやにえ。

2014年11月23日 | 身近な野鳥たち
キンモクセイ。

亡き父が植えたのだろうが、4m程の高さだからかなり大きい。

その中の住人、朝は5時頃起床、昼間は自由奔放。そして日暮れ近くなると迷わず帰ってくるのは立派である。

住人の名は、百舌鳥。



今日は、間近で百舌鳥の速贄(はやにえ)を目撃です。


たぶん、ハチです。


いただきま〜す。


目がかわいい。


どこか哀愁漂います。


こちらはノスリ。私の存在に気がついていない。
結構、至近距離。遊歩道の茂みに隠れて激写しました。



こちらは、カケスだと思いますが、逆光。カケスはここのところよくみられるのですが、撮影となると別問題。なかなか用心深い。


たぶんセッカ。器用に細い枝に留まります。


朝露に光り輝く。自然に勝る美しさはないですね。


今朝は空気が澄んでいました。

新たな作品づくりにとりかかっています。
全体像のイメージがぼんやりと外核を現してきました。

自然の中に身を置いては、万葉の時代を思い巡らせております。









河の上の ゆつ磐群に 草生さず 常にもがもな とこおとめにて

2014年11月23日 | 万葉歌で綴る万葉の旅
十市皇女、伊勢神宮に参赴ます時に、波多の横山の巌を見て、吹黄刀自の作る歌と万葉集巻1−22にある。

歌の意味。

風香意訳
清らかな河の流れ、その河の上の神聖な岩々に草が生えないように、どうかいつまでも清純な、永遠(とわ)の乙女でいてください。

この歌の詠まれた波多は、現 三重県津市一志町八太。

波多の横山については、どこを指しているのか学説も分かれるところで定まらず、大きく4説に分けられる。

この歌への私の思いは、相当なもので一種、あこがれにも近いものがあるのかもしれない。

さて、今回、この波多の横山の風土を一志町歴史語り部の会にも所属される地元の方々のご案内を頂いて、訪ねることができた。

まず、ここ波多の地域は、先土器時代以降の遺跡が分布しており、微高地を利用した雲出川水系に古代寺院等が開かれた風土にある。

(雲出川)

大和は藤原京から桜井を経て、名張、青山越えで、波多から伊勢へと通じていくことを考えると、ここ波多は交通の要所であったと推測され、聖武天皇の時代には、関の宮の地名にも名残のみえる、川口頓宮も置かれていた。

白鳳期の伽藍跡とされる八太山大誓院(現:班光寺)は、文書によると七堂伽藍が造立されていたとされ、一志町教育委員会による埋蔵文化財調査報告書によると、遺構の出土状況からも塔が建立されていたことが推定される。
この班光寺跡は、現在JR名松線 伊勢八太駅の南側辺りに位置し、残念ながら礎石なども移動されているので、遺跡の特定は、地元の方々にご案内を頂くか地図をもって辿る事しかできない。
しかしながら、礎石そのものは、波多神社をはじめ区内あちらこちらに分散、保管されているようだ。

今回は、この波多横山の推定地を巡る旅。

川合高岡駅から出発。
私の一志訪問を知った知人の方が、駆けつけて下さり5年ぶりの再会と、嬉しい出来事も。
Rさん、ありがとうございました。

まずは、雲出川を上がって推定地の1つである大仰へ。



歌のイメージだけでいうと、雲出川は川幅がかなり広く、流れも早い。


こちらは安政の大地震によって、逆さまになったとされる逆さ地蔵もある地。
(先日、笠着地蔵とお伝えしておりましたが、巨石の反対側にあるのが笠着地蔵で、この写真は逆さ地蔵と、教えて頂きましたので訂正させていただきます)

ちなみに、笠着地蔵はこちら



河原は独特の地形をなし、長年の浸食を経たのか砂地でなく石が削られた河原となっていたのも、歴史の重みを感じる。

次に向かったのは、川口頓宮跡。


こちらは、聖武天皇、伊勢行幸の折のものであり、付近には家持の万葉歌碑もあった。

次に向かったのは、2つ目推定地、波瀬清水橋。


こちらは、川幅といい、清らかな水面といい、何ともいえない雰囲気のあるところだ。


ゆつ磐群の意は、斎み浄められた神霊の宿る岩々という意となり、この歌が呪歌だといわれている由縁でもあろうが、まさにそうした清純さを思わせる川の流れであった。
ただ、横山の意をどうくみ取るのか疑問が残る。

次に訪ねたのは3つめ、井関地区。
雲出川支流にあたる。

こちらは、人工的な堰でありながらも自然な景観を極力保っている、見事な堰である。

この日は、秋風が吹き、木の葉が舞い落ちる見事な景観を織りなしてもくれた。ラッキー。

そして、いよいよ白鳳伽藍のあった4つ目の推定地、八太地区へ。
こちらは、既に曲作りの渦中に一人で数度歩かせて頂いている地。



山号にも八太山とついているのも興味深いが、まだまだ勉強不足。

(波多の横山周辺の遠景)

道中、地元の方々をご紹介頂きながらの訪問となった波多の横山、万葉の旅。

心身共々満喫できた旅となったのも、一重にご案内頂いた地元の方々のおかげとただただ感謝申し上げます。
ありがとうございました。


こちらで皆様とご一緒にランチ。


日本庭園も見事に手入れされており、落ち着いた空間に心和む。

私はたまたま万葉歌を歌っているだけであるが、皆さん、地元の歴史風土を語り継ぐべく日々ご尽力していらっしゃる方ばかり。
そんなご多忙な日々をお過ごしの方々が、こうして時間を作って下さることがただただありがたい。
万葉の風土に暮らす人々との交流は、万葉歌を歌っている私にとっては何よりもかけがえのない時間(とき)。

大変お世話になりました。ありがとうございました。
次回は、歌が詠まれた如月にお邪魔したいと思っております。

深謝。 

万葉歌の表現

2014年11月18日 | なごみ
新たなお話を頂いております。

現在、来年に向けて目下準備中。

曲作りの下準備といったところでしょうか。

その中で、次にとりかかる万葉歌をどう表現していこうかと目下思案中です。

今年は、万葉の歌とその風土を映像で表す試みに初挑戦した年となりました。

そこからの飛躍。

試行錯誤の毎日です。

机上だけではアイディアが浮かびません。
そんな時に出かける野鳥観察。


メジロの季節になりました。


皇帝ダリアが空に映えます。


大好きな鳥、斜め45°、ツグミ。

そして、猛禽、ノスリ到来。


しつこいカラス。勝負はわかっているのに、なぜか懲りない。


(うわっ!近いっ!でもノスリの目っていつ見てもどこか優しいつぶらな瞳。しか〜し。。。)







大和に思いを馳せる

2014年11月11日 | なごみ
秋山の樹の下隠り 逝く水の 吾こそ益さめ 御念ひよりは

                    万葉集 鏡王女


風香意訳
秋山の樹の下をひっそりと静かに流れてゆく山清水のように あなたが思っている以上に私のあなたへの思いは深く果てしないものなのです。
そう、この山清水は私の心、そのものなのです。


             by 風香


第3回忍坂街道まつり 除幕式

2014年11月10日 | なごみ
第3回忍坂街道まつり〜石に刻まれた思い いにしえ人との対話〜が、11月9日に行なわれた。

数年来のご縁ということを尊重して下さってのご配慮で、来賓としてお招き頂きました。

今年は趣を変えられて、地元名士の先生である保田與重郎先生が詠まれた俳句、
「押阪の 古川岸の ねこやなぎ ぬれてやさしき 春の雪かな」

を石碑として建立。その除幕式となりましたこと、お慶び申し上げます。




地元園児たちによる歌の披露、ひみこちゃんも応援に!



この句碑、高松塚古墳の石室解体でも陣頭指揮を執られた 石工 左野勝司氏による石刻。


午後からはその左野氏の講演も。高松塚解体の苦労やその後の在り方、また、言葉なき主から読みとれる往時の石工の仕事ぶりとその背景など、普段なかなかきくことのできない貴重なお話を伺うことができた。他に、琵琶と笙の演奏もあった。

さて、その合間にいつものように忍阪散策。


舒明天皇御陵。


こちらは、先日の飛鳥での御礼参りも兼ねての歌碑訪問。

賑やかなお祭り会場もいいけど、こちらの空気感は別世界。


(鏡王女墓)


不思議と誰一人としてお逢いすることはなかった。

そして、石位寺に。

スタッフの方々の中に、馴染みの方がいらっしゃるのが嬉しい。


石位寺より倉橋方面を望む。この日はあいにくのお天気となったが、それでも小雨程度で、山々には霧が立ち込める。
これがいい。このお天気でこそ見せてくれる風景。


忍坂街道から眺める 忍坂山。

目にみえる景色と、目には決して写ることのない心を感じての素晴らしい忍坂街道まつりとなりました。


帰路はやはり泊瀬川。

結局歩く場所、歩くコースはいつもの私時間。そんな自分が嬉しく、やはり万葉歌が好きなのねと、自分に言い聞かせて大和をあとにした私であった。

忍阪区の皆様、ありがとうございました。



新生 犬養万葉記念館

2014年11月07日 | なごみ
新しく生まれ変わった犬養万葉記念館。

以前の展示中心の施設も好きだったが、新生犬養万葉記念館は、岡本館長の元、随所に犬養先生が感じられる空間に生まれ変わっています。

本番前に、その一部を撮影したものをご紹介致します。

まずは素敵な中庭。大好きな空間です。


美しいストレートラインが好きです。

コンサートのご案内は、岡本館長、自らが書いて下さいました。ありがたいことです。

そして水鉢の奥には、犬養先生の追慕を弔う高市皇子の句の万葉歌碑が開館以来の場所にありました。



この歌への想いは、計り知れなく、初期の段階で歌に。

エントランスには、鏡王女の句がお出迎え。(ご縁を頂いている桜井市忍阪に、この歌碑があります。これはその拓本)


今回のコンサートでは1曲目の選曲にした、「秋山の樹の下隠り」です。
一気に万葉の世界へ入り込みます。


コンサートホールです。こじんまりとした会場ではありますが、犬養万葉の聖地。
何ともいえない空気感が漂います。
(後ろ姿はプチ犬養先生)


こちらは会場の様子。右にいらっしゃる方が岡本三千代先生。
ありがたいことに、当日会場は満席。なんでも急遽席数も増やして下さったとか。
ご来場頂いた方々、ありがとうございました!


図書コーナーには、犬養先生の蔵書はじめ万葉集に関する書籍がズラリ。
ああ、埋もれていたい。


壁面の素敵な画は、大好きな鳥頭尾先生のものでした。


万葉は青春のいのち。
いつも心に語りかけてくれる言葉。


(本番直前、高まる心臓を落ち着かせるのに、恐れ多い控え室(元犬養先生のお部屋でした)から、そっとのぞいてみると、秋山の樹の下隠りの拓本と犬養先生の人形が目に。。。一気に心落ち着き、この後本番へ。)


(ステージ後方には、犬養先生揮毫の万葉集があふれていました)


いろんな方が万葉歌を歌ってみえますが、その先駆者であられる岡本三千代先生。
先生との出会い、万葉うたがたり会さんとの出会いがなければ、生涯、万葉歌を知らずに終えていたことでしょう。
岡本先生、ただただご縁に感謝しております。
万葉は心の音楽。

心を付けて帰ってきました。

皆様、飛鳥へお出かけの際は、是非犬養万葉記念館へお出かけ下さいませ。


御礼。

2014年11月04日 | ライブ
犬養万葉記念館リニューアルオープン万葉歌コンサート、皆様のおかげで無事に終えることができました。

リニューアルオープンした犬養万葉記念館は、この度岡本三千代先生が、館長に就任されました。
先生、改めておめでとうございます。そして、すばらしいご縁をありがとうございました。

ご来場頂きました皆様、心より厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。


前半では、万葉歌3曲を、犬養先生の著書を皆様とご一緒に味わいながら私自身も楽しませて頂きました。
後半は、三重県名張市、奈良県桜井市、に引き続き3回目の上演となりました、万葉歌物語「二上山の落日 大伯皇女の嘆き〜斎王として 姉として〜」を会場ならではの演出を準備して、明日香の地で味わって頂く事ができました。



今回の舞台では、私自身の万葉うたいびととしての活動を振り返っていきながら、万葉の風土と万葉の人々をご紹介させて頂く事ができ、改めて皆さんに支えられながら、曲作りをさせて頂いるいる環境に感謝した次第です。

また万葉歌を通じてご縁を結んで下さった皆様が、飛鳥へと足をお運び頂きました事は、この上ない喜びとなりましたことも併せてご報告させて頂きます。ありがとうございました。

今後も私が真正面から向き合っていくのは、万葉びとの心のみ。

原点を忘れることなく、そして着地点を忘れることなく、更なる万葉歌を読み解いて、自分スタイルでじっくりと取り組んでいく所存です。

万葉は青春のいのち。

この言葉を胸に、またきょうから始動です。

深謝。